三月初旬の日本国軍のとある軍空港に設置された特殊部隊訓練施設。
「綾瀬!後ろだ!」
俺の声と同時に、綾瀬の背後の兵士が綾瀬を一本背負いで床に叩きつけ、同時に兵士の後ろから銃を構えた人影が現れる。
(くそ!これまでか!)
俺が思った瞬間、銃を持つ男の首にナイフが刺さり、奴は無言で後ろ向けに倒れた。
「まさか!お前が…」
兵士に組み伏せられた綾瀬が俺の顔を見てにっこりする。奴は男に投げ飛ばされながらも次の目標から目線を外さなかった。
「綾瀬曹長、アウトです。スイッチを切ってください」
女性風の合成音声が部屋に響き、ホログラムで投影された薄汚い街の部屋の光景が消え、終了のブザーが鳴る。兵士もヒットマンも綾瀬も消え、そこには真っ黒な部屋の中に、全身タイツの様な衣服を着用した俺が一人。部屋は一時間前と同じに戻った。
「試験終了。綾瀬曹長、真田曹長、速やかに部屋を出て中央のブリーフィングルームへ」
俺はやっとテストでの任務に失敗した事を自覚した。
「くそお!部屋の外の車まで、あ、あと一歩だったのに…」
俺はあまりの悔しさに床を拳で殴る。ペアでミッションクリアしなければ失格だ。
再度退出を促すアナウンスが聞こえたが、俺は部屋の中であぐらを組んだまま動かなかった。その時、
「真田!やったぜ!俺達まだトップのままだ!」
訓練用タイツの上からジャケットを羽織って飛び込んできたのは、さっきシミュレーションで俺を救ってくれた綾瀬曹長。俺とはもう九年のつきあいだ。
「大村・鎌田組は始まって三十分でリタイアらしい!完遂組無しだ!」
「ほんとかよ!」
「ああ、俺達最終テストトップで通過だ!」
「やったぜー!」
そう叫ぶと他の訓練生が見守る中、突然綾瀬に殴りかかる俺。咄嗟にそれを手で受け仕返しの拳を俺に繰り出す綾瀬。
短髪でまだ少年の様なあどけなさの残る彼が次々繰り出す拳をかわし、後ろ回し蹴りを繰り出す俺。喧嘩してる様に見えるがそうではない。一部でも有名になった俺達二人の勝利の舞だ。
疲れた体に更に一汗かいた俺達は、とうとう本気で疲れて床に寝転がり、勝利の雄たけび替わりの奇声を発した。
円形に並んだ12のルームの中央のブリーフィングルーム、といっても中央の床に巨大なスクリーンが設置された広間みたいな所だったが、俺、真田勇気曹長と綾瀬浩二曹長の昇格テストに参加した10人のエリート曹長は、訓練用スーツから制服に着替えた後、全員疲れ果ててそこに寝転がった。
「おい綾瀬、お前らもう昇格確定だろ?最後くらい先輩に花持たせてくれてもいいだろうよ」
寝転んだまま転がって綾瀬の横に来て文句を言う佐野曹長。
「え?なんですか、最後の狙撃手って先輩だったんですか?」
「そうだよ!最後の狙撃が成功してたら俺大逆転でさ!」
寝転んだまま、まだ息を切らしている綾瀬に佐野が悔しそうに言いかけた時、階上のコントロールタワーのドアが開く音。靴音を部屋に響かせそこから現れた軍服の人物を見た瞬間、全員が即座に起立し、敬礼。
エリート中のエリートの第十一部隊長でかつ特殊部隊総指令の周防(すおう)准将だ。もう五十歳近い年齢だが、サンボとナイフと暗殺術にかけては日本国ではこの男の右に出る物はいない。
「いい、楽にしてくれ」
麻黒いまるで黒人の様な周防の言葉に、全員が休めの姿勢を取る。
続いて周防は軍服の後ろのポケットから書類を取り出し、俺達を見渡した。
「おい!さのぉ!おめーの言葉は聞き捨てらんねーなあ」
皆の前に立った周防准将が佐野の顔を見て呆れた様に言う。
「おめーはよぉ、真田を狙わずに俺が投げ飛ばして隙を作られた綾瀬を確実に狙うべきだったんだ。そうすりゃーあとは二対一だ。おめー射撃の腕はいいが詰めが甘い。スナイパー志望がそんな事でどうすんだよ。今度で何度目だぁ?この試験」
手にした葉巻をくゆらせながら喋る周防の言葉に佐野が下を向いて悔しい表情をしていた。
「野郎ども!結果が出たぞ」
俺達十人の顔が緊張で引きつる。
「トップ、綾瀬曹長。次点真田曹長。トップと二位逆転だ。最後の綾瀬の行動は見事だった。結果は失格だが、実戦だったらあの後俺が真田にやられる可能性は十分有った」
「よぉーし!!」
童顔の若干二十二歳の綾瀬の久々のドヤ顔。俺もの口元に笑みが浮かぶ。周防の言葉は続く。
「三位、ほおおー、頭脳派の大村か。おめぇの動きには無駄というのが殆ど無かったからなあ。それで四位、お、ついにやったじゃねーか、鎌田、お前だ!腕っぷしの強い奴は大歓迎だ」
「光栄であります。司令!」
髭もじゃのスキンヘッドの巨漢の男が敬礼をしつつ、満面の笑みを浮かべる。
「以上四名合格。後で司令室へ来てくれ。他の者、残念だったな。来年またここで会おう。ちなみに五位は…また佐野か?お前よー何回目だ五位…」
少し不機嫌そうな表情で周防が佐野曹長に顔を向けた時。
「司令!」
低音だが透き通った女性の声が部屋に響く。周防以下全員が声のする後ろのドアの前を見ると、そこには白のミニの制服を着た一人の年配女性が敬礼のポーズを取っていた。
「エ、エンゼルソード!」
「榛名中佐!」
「ほ、本物だ…」
そんな事を囁く特殊部隊受験生の間をずけずけと割って周防司令の元へ行く榛名中佐。俺もあっけにとられて彼女を目で追う。
女性だけの特殊部隊「エンゼルソード」の部隊長。年は四十近いというのに長身のすらっとした体に、白のミニのワンピースの制服にシルバーのロングブーツの彼女。
階級を示す両肩に三本、都合六本のピンクとブルーの線は、ピンク1本のみ細い。それは中佐階級を示している。胸元の勲章代わりの金の刺繍文字は、左胸元だけでなく右の胸元にも施されていた。
白髪も少し見え隠れする胸元までのソバージュの髪。その上には小さなブルーに銀の刺繍入りの、現在十六名しかいないエンゼルソードの証である小さな帽子が飾られていた。
念入りにメイクした顔だが残念だが年齢は隠せない、しかし長身のすらっとした体。大きな胸元にくびれた腰、ボリュームの有るヒップはどうみてもまだ二十台のモデル級の女性だった。
「スゲー、これ見れただけでもここに来た甲斐が…」
「部下の教育が甘いんではないでしょうか」
野次にも似た男の受験生の声を遮り、そう言い放つと、彼女は周防司令の前に立ち再度敬礼。
「司令、落第者の講評は勤務後バーででもやってくださいまし。次は私達がここを使いますので。入りなさい」
その言葉に、後ろのドアから入ってくる同じ様な制服の女性達数人と、見慣れない女性用のデザインのバトルスーツの女性達。それを驚愕の目で見守る男達。
そのはずである。エンゼルソードは完全に極秘化された部隊。何人いるのか、どこの誰なのかは軍の間でも知る者はあまりいない。一般の目に留まるのは年に一度の軍事パレードの時だけ。
マスコミさえも近づけない完全シークレット部隊。軍事においては、偵察、工作、諜報、拉致、暗殺まで行い、政府高官のボディーガード等も行う。
世の中の水準以上の容姿の彼女達六人が部屋に駆け込み、榛名中佐の後ろに整列。内二名は榛名中佐の着ている服とは違い、黒鉄(くろがね)色にピンクのアクセントの、体にフィットしたパンツスーツ。
「先頭にいるのは副官の秋元大尉だ。あとあのパンツの二人はエンゼル予備軍。多分あの二人も昇格試験じゃねーか」
いつのまにか俺の横に来た巨漢の鎌田曹長がそう言うと、もうすっかり気を許したのかヒューと口笛を吹く。年食っているとはいえ度胸の有る奴。
そんな口笛の主を涼しい顔で無視する榛名中佐、と
「暫くぶりだな…中佐」
周防司令の言葉に榛名中佐は彼の方に向き直り、
「ええ、ホットポイント作戦の時以来であります。支援感謝致します」
そう言って再度敬礼。
「榛名中佐」
「はい、司令」
一呼吸置いて周防准将が榛名中佐に言う。
「ちょっと…いいか?」
「なんでしょうか?」
広い部屋の非常口へ足を運ぶ二人だった。
非常口から外のバルコニーの様な所に出て、再び葉巻を咥え、この訓練施設の有る軍空港の滑走路と整備場を見下ろす周防司令。その横にすっと榛名中佐が並ぶ。
二人が見下ろす先には、整備中のエンゼルソードの母艦「セイレーンコール」。
左程大きくはないが、空・海・海中航行もこなす真っ白で胴体のくびれたセクシーでなめらかな機体。周りには見物の兵士達が集まっている。
「新造艦か…」
特務艦とは思えない美しい艦に群がる兵士と羨望の声を聞きながら周防司令。
「ええ、今年の初めに。垂直離着陸、ステルス、光学迷彩搭載。作戦用小型艇四機収納してます。エンジンは燃料と共に専用の物を使っております。周防指令のご存知の以前の母艦ホワイトアマゾネスは、下部組織の「ピクシーアロー」の専用母艦に転用いたしました」
榛名中佐の答えにまるで反応せず、静かに周防は葉巻の煙を吐く。
突然の休憩時間を与えられた俺達に異変が起きていた。ただ立って二人の司令官を待つというのは、晴れて特務に付く事になった鎌田曹長には辛いらしい。なんとかこの沈黙を消そうと、ジョークを連発し始める。
最初は無視していたエンゼルソードの士官四人と士官昇任試験を待つ二人も、ばかばかしい鎌田曹長の話についつい吹き出し始めた。只一人冷静を保っていたエンゼルの士官、ストレートのロングヘアに大きなきりっとした目。右肩の3本のブルーの線のみ太い大尉の階級。エンゼルと下部組織の女性が吹き出す度に、その娘の名前を鋭く叫び注意を促していた。
しかし、それも限界だったらしい。
何とかエンゼルの中ボスの秋元を笑わせようと、鎌田の口がどんどん饒舌になる。全員が笑い、秋元大尉も大きく吹き出す。そして、とうとう
「てめえ!エンゼルなめんじゃねえ!」
その言葉の最後は笑って震えていたが、同時に大きく旋廻した彼女の右足が鎌田曹長の鼻先を掠める。間一髪で避けた鎌田曹長は続けて口攻撃。
「た、大尉殿!見かけによらずピンクでありますか!?いいもの見せて頂きましたが、軍の手前上せめてアンダースコートの着用を…」
そう言って人が神社でする様に両手を二度叩いて拝む鎌田曹長。顔を真っ赤にして、左右確認をした後彼に襲い掛かるエンゼルの大尉殿。ほどなくして二人の追いかけっこが始まると、全員が軍勤務中である事を忘れて大笑いしはじめる。
「あんな秋元大尉初めて見た」
そんな声も聞こえる。
外のバルコニーでは、鎌田の声と中の騒ぎに気が付いた榛名中佐が舌打ちをして中に入ろうとするが、何も言わない周防に振り返り、呆れた表情をする。
「止めないのですか」
「鎌田曹長の事か?」
「我々の特務部隊にはふさわしくない人物だと思います」
周防は何も言わずに相変わらず整備場の様子をみていた。と、
「冴子…」
いきなり周防司令に名前を呼ばれた榛名中佐が驚いた表情で彼を凝視する。
「まだ、続けるのか?」
「何をです?」
「エンゼルソードだ」
「な、何を言われるのですか!」
思いがけない周防司令の言葉に榛名中佐は一歩引いた。
「私達の戦果、功績は特殊の中でも上位にあるはずです!」
「その裏で何人殉職したと思ってるんだ!」
榛名中佐の抗議に周防司令は振り返って彼女をぐっと睨みつける。
「創設以来殉職者は六名。男との恋愛も、人生の楽しみも知らないうら若き乙女達がな」
「それは…今後の課題です!」
「住吉は溶鉱炉で悲鳴あげながら燃えつきた!吉田は深海で艦ごと潰された!それに!」
「由美はここにいますわ!」
荒ぶる周防指令の声を遮る様に、榛名中佐は彼の顔近くに自分の右の手のひらを翳す。その薬指には小さな真っ赤な宝石のはまった指輪。
「対人ブラックホール砲で、あの子…相川由美は、赤いダイヤになりました」
その指輪を一瞬見た後、目をそらす周防司令。
「生きてれば…今頃は冴子の副官になってたかもな。身寄りのないあいつを、俺達の養子にまで考えたものだ…」
「由美のおかげで、敵のブラックホール砲の機密が手に入ったんです」
右手にはめた指輪を触りつつ、意地になって周防司令に噛み付く榛名中佐。
「去年も一人殉職したよな!しかもお前は軍機密を理由に公表しなかった!もうこれ以上たくさんだ!女が国を作り、男がそれを守る!危険な事はそろそろ男達に任せて、お前たちは…」
両手を荒々しく振って力説する周防司令。その時、
「周防司令」
榛名中佐の後ろから若々しい女性の声が聞こえた。そこにはいつのまにかエンゼルソードと下部組織ピクシーアローの受験生の六人が整列。バルコニーでの司令と部隊長の異変にいち早く気が付いてここに来たらしい。
「君は…」
「エンゼルソード秋元麗(れい)華(か)大尉であります」
軽くだがびしっと敬礼した後、彼女は続ける。
「司令の私達に対する心遣いにはお礼申し上げます。しかし、私達は司令の思われてる様な弱い人間ではありません。全員任務には誇りを持っています。それなりの覚悟も出来ております」
睨む様に秋元大尉を見ていた周防の目線が下に下がる。秋元大尉が続けた。
「相川由美少尉は、私の良き友人でありました。今後も彼女の功績を称え、彼女の分まで勤めます!」
「由美…相川は大尉でしょ。二階級特進で」
「は、はい!失礼致しました!」
「もう時間は過ぎてます。早く昇任試験の準備を」
「イェッサー!」
軽く敬礼して部屋に戻っていく彼女達を見つめた後、榛名中佐は自分の元夫に向き直る。
「周防司令。あなたは老いました。それに私はもうあなたから冴子呼ばわりされたくありません。それじゃ、任務がありますので」
周防准将の脳裏に十年程前のある光景が浮かぶ。あの日、
「女だって戦えます!絶対証明してみせます!」
と言い残して離婚届けを投げつけ、家を飛び出した冴子。
言葉通り、一人の女性SWATだった冴子は、わずか十年で日本国軍でも重要な組織を作り上げてしまった。
榛名中佐の背中を無言で見つめた周防の目線は再び階下の整備場へ。周防司令の元を離れようとした榛名中佐は数歩歩いたところで、何かを思い出した様に止まる。
「そうそう、司令からのあの提案、考えておきますわ。ばかげた話ではありますが、一応一理あると見たので」
階下の整備場では「セイレーンコール」の写真を撮った誰かを怒鳴る兵士の声が聞こえる。
周防司令から少尉任官の辞令を貰って感動の涙を流したのも束の間。様々な事務手続きに追われ、晴れて配属の決まった特務第四十二部隊の歓迎会の行われる軍港近くのバーに着いたのは、開始時間数分前だった。
「よっ!」
「よお!」
同じく四十二部隊に配属になった大村少尉と鎌田少尉がバーの入口で挨拶。
「あれ?綾瀬は?」
そう言って俺はあたりを見回したが、当然来るはずの奴の姿が見えない。
「トップが来ないなんてよぉ」
「何か事情が有るのでしょう」
鎌田と大村も腑に落ちない様子だったが…。
「おい、時間だ入ろうぜ」
俺の倍は年食ってそうな鎌田少尉に連れられる様にバーのドアを開けた。と、
「ズガガガガガ!」
何百もの小石が壁に当たる様な音と共に俺のすぐ横の棚の何かの陶器が吹き飛ぶ。咄嗟に俺と大村は床に伏せた。その時、
「おーい、川本!実弾使うなよぉ、ひよこちゃんびびってんだろぉ」
どうやら歓迎の空砲だったらしいが一人が酔って実弾を撃ったらしい。恐る恐る身を上げてあたりを見回した時、俺たちの前に人影が立つ。
「よーうこそ新兵!エリート落ちこぼれ部隊へようこそ!俺が四十ニ部隊指揮官の木桜大尉だぁ!ぐあっはっはぁー!」
ウィスキーの瓶片手に完全に酔っ払った初老の、まるで映画に出てくる海賊の様な…。
「おい、野郎共!新兵を紹介するぜ!何事もソツ無くこなす、エリート候補真田少尉だぁ!」
気を取り直して挨拶しようとする俺にまたもや銃の空砲の嵐。そして何故かドア横に飾られた安っぽい絵の入った額縁がガラスの割れる音と共に下へ落ちる。思わず俺は手を顔に当て一歩下がった。
「次は俺たちには訳わかんねぇ、頭脳派とやらの大村少尉だぁ!」
再びの空砲の嵐に大村が顔をしかめてそむけた。
「以上三人だ!」
「ちょっと!俺は?」
慌てて木桜大尉の前に出る鎌田少尉。
「あの、俺、俺…」
「今更なんだばかやろぉ!おい、この中でこいつ知らねえ奴いるか?」
いかつい野郎共の大笑いの声。
「しかたねぇ、じゃあ紹介してやろう!エンゼルソードとお近づきになりたいだけで十年間特殊を受け続けたオオバカ野郎だ!」
「イェーイ!」
木桜大尉の言葉と同時に、荒くれ兵士共の中に割り込み、奇声を上げる鎌田少尉。俺と大村の時よりも数倍の歓声と口笛と空砲の嵐。
「あ、今日嬉しい事が一つあったんすよ」
「なんでぇ?」
「秋元大尉のパンツ見ちゃったんすよ」
数人の兵士が酒を吹き出し、煙草にむせる
「いや、秋元大尉って怒ると手より先に足が出るんすよ。今日試しに怒らせてみたら案の定…」
「ぶぁかやろぉぉぉ!」
大賑わいの酒席を尻目に、俺と大村は木桜大尉にとっつかまった。
「さあ、バカはバカ共に任せて、おめーたちには取っておきの席を用意してあるぜ!俺の目ん玉のまん前だあ!」
襟首を掴まれ、椅子に荷物でも置く様に座らせられる俺と大村。その前に座ってウィスキーの瓶をあおり、ドンとその瓶をテーブルへ置く木桜大尉。とその前のテーブルには本当の目玉というか、義眼が置いてある。
「おっと、俺の可愛い目ん玉ちゃんだ。外してどっかに置いときゃリモートで百メートル先までは見えるぜ」
その義眼を手に取り、片目に押し込みながら、木桜大尉が続ける。
「よくきたなぁ新人よ。特殊の奴はまずここに配属される。最も余程のヘボか、ここが好きだと言わない限り、来年は四一部隊に行っちまうけどな」
その言葉に俺と大村は顔を見合わせる。
「大尉殿、もう一人来るはずなんですが」
「何?四人?俺は三人と聞いてるぜ」
俺の言葉に、胸ポケットに入っていたパイプに火をつけながら木桜大尉が続ける。
「辞令もらった後、ここの話聞いて怖くて逃げ出したんじゃねーか?まあ、今ここにいない奴の事なんてどうでもいい」
後ろでは誰かのアコーディオンの演奏と共に皆が歌を歌い始めた。今までの功績をただ並べてるだけみたいだがどうやら四十二部隊の歌らしい。
それに耳を傾けながら甘酸っぱい香りの煙をくゆらす木桜大尉に大村が問いかける。
「大尉殿。自分は配属先のここの事をさっきいろいろ調べてまいりました」
「で?」
「四十二部隊がおちこぼれなんて、とんでもありません。全員が何かのプロフェッショナルでチーム戦ではめっぽう強い。まるで何かの用途に合わせてパーツを組み立てて武器を作る様に…」
「聞いた風な口聴くじゃねーか、インテリよぉ」
バーテンが持ってきた新しい酒瓶の封を口で破きながら木桜大尉が言う。
「おめー達新人はこの一年で俺達から全てを学ぶチャンスが有る。まあ、一年遊んでくれ」
「遊んでくれ、ですか。厳しい所ですね、大尉殿」
「なんだ、なんか文句でもあるのか?」
「いえ、自分をしっかり持っていないとたちまち堕落してしまう。そんな部隊ですよね」
それは俺も同感だ。浮かれてなぞいられないだろう。
「一応わかってんじゃねーか、インテリよ」
そう言ってウィスキーの瓶を再び煽る木桜大尉。そして続けた。
「あの後ろのハゲブタは特別だ。奴はここに残す事で周防とナシついてる。奴は腕っ節の強さはともかく、人心掌握と情報収集のプロ。俺達の部隊に今まで無かった物だ。最も奴もここから出て行く気はないだろ」
そう言ってふと後ろを振り返る木桜大尉の視線の先には、メモらしき物をみながら人一倍声をはりあげて歌っている鎌田少尉の姿が有った。
「なあ、インテリよ。世の中体で覚える事も大事だぜ、例えば…」
飲んでいた酒瓶をいきなり大村少尉の顔に近づける木桜大尉。
「こいつだ!」
顔を後ろに引く大村少尉に続けて大尉が喋る。
「こいつを理解するのに頭はいらねぇ、必要なのは肝臓だ、やってみろインテリ!がっはははは!」
そう言いながら、木桜大尉は、俺と大村のアルミのマグカップにウィスキーをなみなみと注いぐ。
「おい!真田!さっきから何黙ってんだよ!罰としておめーもこいつを一気だ!」
(違います!綾瀬の事が気になって)
と俺が言おうとした時、
「やってやりますよ!」
おもむろに立ち上がりそのマグカップを手に取り、口に持って行く木村。途中苦しそうに目を瞑ったり喉音を立てていたが、やがて手を下ろし、マグカップを降ろす。ふらふらと数歩よろめいた彼の手からマグカップが落ちてカランと音を立てた。
「真田ぁ!」
「イェッサー!」
反射的に俺も立ち上がり、大村同様マグカップを手にし、一気にそれを煽った。喉に来るかなりの刺激から、かなり度数の高いものと思われるが、俺も特殊の端くれになったんだと言い聞かせ、苦しいのを我慢してそれを飲み干した。
「ブーラボー!」
声と共に大笑いし、いきなり立ち上がって店のマスターの所へ歩み寄る木桜大尉。
「おい!野郎共!今年もましな奴が入ってきたぜ!みんな飲んで食ってくれい!そうすりゃここのマスターが儲かるってもんだ!金は軍持ちだ!そうすりゃマスターからの俺への袖の下の札束の厚みが増えるってもんだ!がっははは!」
野郎共の歓声の声と共に、またあのアコーディオンが成る。俺と木村のまわりにも鎌田や古参の隊員が集まり、肩を組んで再び部隊の歌を歌い出す。
肉の焼ける臭いと煙草の臭いと、野郎共の汗の臭いが立ち込める酒場の中、俺は意識がもうろうとなりながら、声を張り上げ、歌詞も知らない歌を適当に歌った。
翌日の昼頃、俺は寮の自室のベッドで眩しい昼の日差しに目を覚ます。どうやって帰ったのか覚えてないが今日が非番なので助かる。軍服のまま重い頭痛に再度目を閉じようと思ったが、ある事に気づいて飛び起きる俺。
(綾瀬は!?)
二名一部屋の俺の相棒は当然綾瀬だ。隣のベッドに綾瀬の姿は無い。ポケットを探り、C-pod(コミュニケーションポッド)を立ち上げ綾瀬を呼び出したが、全く応じない。位置情報も切られたままだ。
(何やってんだあいつ)
俺は私服に着替え、同僚に綾瀬を知らないかどうか聞きに行こうとしたが、あまりの頭痛に再びベッドに向き直り、酔って疲れた体を横たえる。その時、ドアをノックする音が聞こえた。
「村本曹長であります」
同期入隊の村本か、おいまて!なんだその仰々しい呼び方は!
「いいよ、入って」
「は、失礼致します」
部屋に入ってきた私服の村本を見るなり、俺は笑って言う。
「やめろよそんな言い方。いつも無言でズケズケ入ってきて、「おーい、真田いるかー」て言ってるだろ」
「いえ、上官より、特務昇進者には敬意を払えと言われております」
そして奴は最敬礼。
「少尉!昇進及び特務就任おめでとうございます!」
布団をかぶった俺の頭痛がさらにずきずきする。
「よーし、そうくるなら俺も言ってやる!命令だ!休みの日は今まで通りに接してくれ!」
「は!了解であります」
俺は布団の中で寝返りを打ちつつ、村本に聞く。
「おい、綾瀬知らねえか」
「綾瀬、でありますか?」
おい、綾瀬も少尉になったんだろ?呼び捨てにすんなよったく。
「自分は綾瀬は昇格できずと聞いております。しかも現在行方不明と」
え、待て!なんだそれ!?
綾瀬の事が気になって仕方なかったが、昇格試験対策も考える事無く、久しぶりにゆっくり寝た次の日から地獄が待っていた。
四十二部隊では毎日が特殊環境を想定した実戦訓練だ。燃え盛るビル、地雷原、ジャングルと洞窟、地底湖等で様々なミッションが用意されていた。
流石の俺もついていくのがやっとだ。それに、今の俺は片肺飛行。以前は殆どの場面において綾瀬と行動を共にし、そしてミッションをクリアしてきた。彼のいないミッションではどうも調子が狂う。改めて綾瀬の存在が大きかったと思った。
それにしてもそんな過酷なミッションを笑い、楽しみ、奇声上げてこなしていく四十二の奴ら。落ちこぼれどころではない、本当たいした奴らだ。
とうとう、本物のジャングルでの七十二時間サバイバル訓練で、俺は始めてSOSを発信。迎えに来たヘリの中でがっくりとする俺だった。
時々戻る寮の自室で、疲れきった俺は綾瀬との写真を見つめ、当時を思い出すのが日課となってしまった。十三歳で軍士官養成学校に入り、たまたまコンビを組んだミッションでトップを取ってはしゃいだまだ子供時代の俺達。お互いはげましながら泳いだ三キロの遠泳。後方支援だが、始めて実戦に送られ、帰還した時、銃を手に一枚向けた顔になった俺達の写真等。
今まで三日以上顔を合わせなかった事は無いのに、綾瀬のいない日は一週間、そして二週間と過ぎて行く。綾瀬が戻ってくる夢も何度か見た。部屋の何かの物音にも
「綾瀬か?」
と声かけたりする事も有った。