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島ぐるみ、オール沖縄、建白書
       ―沖縄・琉球論の試み―


高良 勉「島ぐるみ運動へ」
内海=宮城恵美子「『島ぐるみ会議』から自己決定権の獲得へ」
島袋 純「沖縄『建白書』の実現を目指し未来を拓く島ぐるみ会議の結成について」
平良 識子「総意を後退させてはいけない」
     (『うるまネシア』第18号20140623「島ぐるみ、オール沖縄、建白書―沖縄・琉球論の試み―」)



島ぐるみ運動へ

高良 勉

 私は、3月から「沖縄建白書」の実現を目指し未来を拓く島ぐるみ会議」(略称・島ぐるみ会議)結成へ向けての準備会議に参加している。また、平良さと子那覇市会議員の要請に応えて「発起人」の一員にもなっている。この発起入会には、新川明、由井晶子、新崎盛暉、城間勝をはじめ、仲里和信、照屋義実、吉本政矩等の諸氏88名が参加している。まさに、従来の保革の枠を越えた、会社の社長や大学の学長、県会議員の経験者など錚々たるメンバーの発起入会である。
 周知のように、昨2013年1月28日、オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会実行委員会や、沖縄県議会議長、沖縄県内の41全市町村首長、市町村議会議長らが連名で「1、オスプレイ配備を直ちに撤回すること。2、普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設を断念すること」などを求める「建白書」(以下、沖縄建白書)」を安倍内閣総理大臣に提出した。文字通りオール沖縄の総意を代表する沖縄建白書である。
 しかし、この沖縄建白書に仲井真知事は署名しなかった。また、沖縄選出の自民党国会議員の5名は11月25日に石破幹事長をはじめとする党本部の恫喝に屈服し、普天間基地の県内移設を容認して自らの公約を裏切った。そして、自民党沖縄県連も県内移設を容認する公約違反を行い、沖縄建白書から脱落していった。さらに、仲井真知事は昨年12月25日に辺野古新基地建設のための埋め立て容認を表明し、自らの公約と県民を裏切った。(私たちは、埋め立て容認の撤回と仲井真知事の辞任を要求する署名運動を行っている)。こうして、オール沖縄の一角は崩されてしまった。
 そこで、「基地に支配され続ける沖縄の未来を、私たち拒絶します。そのような未来を子どもたちに残してはなりません。私たちには、子どもたちに希望のある沖縄の未来を引き継いでいく責務があり、沖縄らしい優しい社会を自らの手で自由につくっていく権利があります。2013年沖縄『建白書』の実現を求め、沖縄の未来を私たちのものとするために、オール沖縄の島ぐるみの再結集を、呼びかけます」という呼びかけに応えて、島ぐるみ会議を結成しようというわけである。
 私は、この島ぐるみ会議がオール沖縄の島ぐるみ運動に大きく発展することを期待し、微力ながら努力していきたいと思っている。幸い、沖縄住民には島ぐるみ運動の歴史的体験が蓄積されている。主なものでも、1957年前後の島ぐるみ土地闘争。そして、60年代の祖国復帰運動も一種の島ぐるみ運動の側面を待っていた。また、71年のゼネストも島ぐるみで関われた。近年では、95年の少女暴行事件に抗議する県民大会以来、数度の島ぐるみ県民大会が開かれている。さらに、昨今のオール沖縄の島ぐるみ運動は、米軍基地の閉鎖・撤去、基地支配の拒否を正面に掲げた内容になっている。このような島ぐるみ運動の体験は、ヤマトの他符県にはない独自の歴史である。
 私たち、琉球弧の自治・自立・独立をめざす運動は、このような琉球人民の闘いの歴史を大切にし、その教訓を継承し活用すべきである。とりわけ、琉球独立を実現するためには広範な協労(統一)戦線と島ぐるみ運動がなければならない。
 確かに、島ぐるみ運動や協労(統一)戦線には、妥協や弱点が付きまとう。自民党沖縄県連のように、平気で自らの公約を裏切り敵側へ脱落していく輩もいる。また、島ぐるみ運動内部にも意見や方針の相違が起こったりもする。協労(統一)戦線に必要以上の期待をかけることはできない。
 今回の沖縄建白書にしても、研究者・後田多敦の「『建白書』の危うさ」(『琉球通信』第12号、Ryukyu企画)という指摘もある。「日本の政治史上で過去に類例のない公的機関連名の意思は、『沖縄建白書』に集約されることで、その意味を貶められ『配布資料等(チラシ)』扱いとなった。民意は『沖縄建白書』にミスリードされた。目的と手段の合理性、正当性について冷静になる必要があるだろう」という後田多の分析は鋭く、歴史的教訓を踏まえており大いに勉強になった。惜しむらくは、もっと前向き主体的に「『沖縄建白書』に署名した市町村村長が、函館市のようにそれぞれ裁判を提起すればよい」等のような具体的提言をして欲しかった。
 とまれ、島ぐるみ会議は「2013『沖縄建白書』の実現を求め」ることを目標の一つとして結成されようとしている。と同時に同会の目標は基地問題のみではない。先に引用した「呼びかけ文」を注意深く読むと「沖縄らしい優しい社会を自らの手で自由につくっていく権利があります」と諞っている。この権利は、「自己決定権」に他ならない。「沖縄の未来」のためにその行使を目指すのだ。
 したがって、琉球弧の自治・自立・独立をめざすドゥシ(同志)・友人たちは、多いに島ぐるみ会議結成に参加し、協労(統一)戦線の中で鍛えられ、島ぐるみ運動の発展へ共に寄与すべきではないか。ゆたさるぐぅとぅ、御願げーさびら。(2014年5月22日)



「島ぐるみ会議」から自己決定権の獲得へ

内海=宮城 恵美子


1・はじめに
 「島ぐるみ会議」は準備会を含めてもたった3回、1回目3月2日、2回目3月22日、3回目4月19日。時間にして3時間の活動しかない。結成は4月19日と間が無い団体について評価していいものか少々疑問もあるが、現時点で琉球独立運動に資する為に3回の会議の状況から見えること、会議に期待することについて考えてみたい。

2・結成の経緯
 1回目は、「『建白書』の実現を求め、沖縄の未来と誇りを守りぬく協議会(仮称)結成呼びかけ」というタイトルを付した文章が配布された(これを当初文と呼ぶ)。そして3回目に「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」というタイトル文章名で会が発足した。(以下「会議」と呼ぶ)
 1回目は司会進行を島袋純氏が行い、会結成の説明を玉城義和氏が「かつて琉球は一国をなしていたが、『琉球処分』によって~~」といった言葉を交えて話された。これまでにも島袋純氏は沖縄の自己決定権確立のための組織化の必要性を主張され、また日本の立憲主義崩壊の危機が迫る中で、憲法が破壊される前に沖縄は独立すべきだという意見も表明されている。私が「会議」への期待が出来そうだと感じた点であった。
 1回目に出された当初文は、「護憲派」の文章によくある「反基地、全国と連帯して」とは異なる特徴があった。「建白書」の実現、つまりより多くの沖縄の住民の再結集をはかり、国際的・歴史的視野も含めて、沖縄のアイデンティティに訴える内容であった。
 2回目の会議では当初文の「雰囲気」が変わってきた。
 まず変わった部分を紹介しながら、会議の性質を考えたい。
 当初文と2度目文とを比較する。
 当初文の特徴は、「私たちは、平和を愛する国際社会の主体だった琉球王国の子孫であり」と「琉球王国」、「その子孫」という言葉である。2度目の文では削除された。
 また「国連人種差別撤廃委員会は、国際人権規約に基づく沖縄の自己決定権を認め、沖縄への権利侵害の是正と差別解消を、日本政府に勧告しています。」という文であったが「自己決定権」が削除され、「勧告」は「求めています」に変わった。
 また、当初文で沖縄の「実態は、軍事植民地化であり」と「化」に込められた実現状態を示す言葉が、「軍事植民地状態の継続」という文言に変わった。
 文の変化は、著名な政治学者の「まるで独立運動でもするようだ」との意見があり、その影響があったと思うが、事務局の中で、充分な議論がなされていないという印象である。
 2回目。3回目の会議で出てきた多くの意見は、議員は個人参加にすることと、そして高江や与那国や自衛隊問題も含めた活動を入れられるのかという点であった。その点は2回目の文に「私たちには、私たちの土地、海、空を守る権利があります。このような権利は、地球上のすべての人々が共有するものであり、人類が長年の努力から勝ち得てきた普遍的な権利です。」と人権宣言文の様な文章を挿入しており、また「未来を拓く」という言葉の中にすべての沖縄の闘いが含められるということで了解された。
 そして、3回目、結成会議で合意されたのが、共同代表者と「会議規約」である。会議の通称は「島ぐるみ会議」(文の中では「会議」という)と呼ぶことになった。
 2回目の「会議」を終わって、島袋純氏から「100人委員会」へ、具体的には石原昌家氏、上里賢一氏、照屋寛之氏と私に島袋純氏が加わって、「権利章典作成委員」を立ち上げようという提案があった。そのメンバーで3回目の「会議」に間に合わせて沖縄の権利章典起草案を準備しようというものであった。起草委員長に照屋氏、副委員長に私が就き、たたき台を私が作成し、「委員」に叩いてもらった。私は長文A案と短文B案の2種類を作成し提出した。A4サイズ1頁内に可能な限りの人権を網羅する必要から、短文B案を委員による手直し作業で完成させて、19日前に提出した。今後の議論の推移を注視している。内容は沖縄の自己決定権の獲得を目標にした権利章典を目指しており、19日提出の際には、名称は「会議声明文」(案)としてある。
 なお、「会議規約」案の作成は高良鉄美氏グループが行なったもので、3回目会議で提案・修正を経て、完成した。「声明文」については今後、提案されることになっている。以上が「会議」の経過である。
 「会議」体制についてであるが、1回目会議での「発起人」は、研究者、労働運動、財界、琉球民謡界、元副知事、市長経験者等の「大御所的」方々も見られ、65名である。「発起人」は50名から100名程度を目指すという。2回目の会議で「発起人」88名となった。

3・「会議」への参加理由
 私は、なぜ参加するのか。私は島袋純氏とこれまで、琉球歴史研究会や沖縄平和市民連絡会、そして「100人委員会」で沖縄の自己決定権の獲得を目指す立場を共有してきた。その立場から「会議」をゆくゆくは憲法制定会議の方向にもっていけないかと考えての参加である。「琉球民族独立総合学会」が研究・学習するグループとすれば、この「会議」は「琉球弧の憲法制定の横断会議」に持っていけないか。各地域で人権の学習・運動を行い、権利章典を作成しながら沖縄の人権尊重と憲法制定運動を作っていく。沖縄の将来像が作れるか議論できる大衆運動の基盤として「会議」が役立てられないかという期待である。
 日本国からの分権を踏まえ、ハードルは大変高いがやってみる価値はあるだろう。
 新聞で事務局へインタビューしたと思われる記事が掲載されている。それによると、「島ぐるみ会議の目的に、オスプレイの配備撤回と普天間飛行場の閉鎖・県内移設断念を求め、県内の全市町村長、議会議長などが首相に提出した『建白書』の内容を実現するため『オール沖縄的な島ぐるみの連帯の強化と運動の発展』を目指す。より多くの賛同者を募るため、県議、各市町村議員にも個人の立場で参加を呼び掛ける」とある。オール沖縄的連帯強化である。要は結集しようということ。何をもっての結集なのか。袋に入れる中身は今から創る。巷での視方はいろいろのようで、知事選挙の受け皿作り、「オール沖縄」は危うい、との声も聞こえてくる。
 発足間が無い組織に対してこれ程までに注目があつまり、本紙「うるまネシア」が特集するのは異例なことのように思う。すでに本紙編集委員の後田多敦氏が、「琉球通信(2014年4月15日号)」に「『建白書』の危うさ」と題して論じておられる。
 また、日本(本文では本土のことを日本と呼ぶ)ヤマトでは呼びかけ人の衆議院議員・横路孝弘氏らが「『オール沖縄』と連帯し、日本の自立とアジアの平和をめざす国民世論と運動を発展させよう-日米政府による辺野古新基地建設反対 沖縄を再び戦場にするな 集団的自衛権の行使容認反対」の呼びかけ文を掲載している。その月刊誌には「沖縄の政治的地殻変動 建白書を軸に『オール沖縄』の再構築へ」と特集し、「会議」共同代表の仲里利信氏、平良朝敬氏、そして事務局員の仲村信正氏へのインタビュー、執筆記事も掲載されている。
 日本の右傾化、反動的嵐が吹く中で、運動の再構築を図りたい。そこで気が付いたのが沖縄の「島ぐるみ会議」ということか。
 ところで、「会議」に保守系が入ったことを「危険視」し、また日本の革新系の序列にないことに不安を感じる人も多い。しかし、「復帰後」の本土系列化によって、かつて琉球立法院時代に一国の主人公として「考え抜く」行動があったことを考えると、中央系列はある面、主体性を弱めた要素ではなかろうかと思える。そのようなこれまでの運動の枠で革新と保守の色分けをする状況でみると「会議」は危ういとなるだろうが、それを越えた新たな枠組みが「会議」にはある。
 「会議」は立場の違う人を集めたように一見見える。だが、基地反対という点では一致している。このことが、沖縄での50年代の「島ぐるみ闘争」に重ね合わせて、今後の広範囲な結集軸にするための運動になりうる可能性があるのではなかろうか。
 私は長い間、反基地・反戦の闘いをしてきたし、日本国憲法の戦争放棄や人権思想の大切さも説いてきた。「社共」とも連帯してきたし、今もそうしている。しかし、抗議文一つ作るにも沖縄「差別」の有無で長時間紛糾することは度々ある。沖縄の「地政学的」要因等によって沖縄に過重な軍事基地負担を押し付けるのはけしからんと思い、そして沖縄人を「同じ」日本人と思って闘っているといった見解等である。「差別」認識一つとっても異なる理解が運動側にあり、相互理解をつくるためには日本・沖縄史、日本の対沖縄政策についてまで根源的に遡ることなしには、日本人にそのことを理解させるのは難しい。それは沖縄人のその立場の人にも同様に言える。端的に言えば沖縄に米軍専用施設の74%があるのは自明で、その事実については彼らにも異論はないが、しかし、そのことの評価・判断となると異なるのである。「同じ」日本人と言うが沖縄は、日本とは異なる文化、歴史、伝統、言語などがあること、それらを「劣等視」し奪われ、日本人への同化政策まで行われてきたことまで、運動の現場で話しあうことは容易ではない。むしろ沖縄人主体の運動構築によってその相互理解も作りやすいであろう。
 また、従来の保革の枠組み自体が日本的枠組みであり、必ずしも沖縄に当てはまるとは言えないのではなかろうか、という点から「会議」について考えてみたい。
 「社共路線」の立場は、日米安保条約は日米いずれかが廃棄を求めれば条約を解消できるのだから、国会で反安保派が多数を形成していくことで安保体制から脱皮することができるという。その上で基地反対の立場をとってきたつもりであろう。「つもり」というのは、沖縄で大きな運動が起こらなければ、動かないし、決して敏感に行動しないからである。安保反対派路線を敷いているつもりでいながら、現実には沖縄に基地移設集中化と日本国内の基地縮小化に向かい、最近では安保論さえもジリ貧状態である。結果的に日本人の安保容認は8割に上るがそのことが沖縄にもたらす過重負担への責任を問う意見は聞こえてこない。戦後69年、復帰後42年、沖縄への基地重圧の戦後史は重く積み重なってきた。そして更に辺野古新基地の策動やオスプレイ配備等、基地の重圧はおさまる様子が見られない。[中略]
 今回の「会議」がそのような従来の日本「社共路線」の延長上にある革新オンリーで運動を構築するのではないことが重要であると考える。沖縄は保守も革新も基地の重圧から免れることはありえないからである。日本の観念的基地闘争とは、沖縄の現実の基盤は異なっている。であれば、観念から出発するのではなく基地の重圧を現実に受けており、政府の弾圧を許さないと思い、だから基地を取り除きたい、自分たちの望む地域を作りたいとする人たちが主体となった運動に切り替えることが重要ではなかろうか。その集まりを提案しているのが「会議」である。まずは基地はいらないという点からの出発に力点があると思う。
 どうしても基地闘争は革新の土俵であると考えがちであるが、その枠組みを超えた「建白書」はすでに島ぐるみ闘争の要素を持っている。基地の存在、重さがもたらす事実。そこに多くの人々が参加できる体制を構築することの意義があると考えている。従来の固定観念から脱皮しなければ評価できない運動論である。
 そして、今、沖縄人の権利がいかに侵害されているか、反基地闘争、反オスプレイ闘争の中で権利意識が多くの住民に芽生えることが重要である。そのためにも「会議」では権利章典を創る活動は重要である。我々沖縄人民の権利とは何か。権利獲得のためにはどのように行動すればいいのか、考える主体の形成を図ることである。
 本土の革新の司令塔、「本土系列」では無く、沖縄人の置かれた政治的地位、現状分析、歴史認識をすることで闘う主体を形成し、この地域の主人公になっていく、その闘いの場として「会議」が活かせると考える。
 蛇足だが、私の立場は、沖縄の人民による自己決定によって自らの望む沖縄の政治的地位を獲得して、東アジアの一員として相互対話を通じた関係、開かれた地域づくりが作られることが望ましいと考えている。沖縄は米国一国との安保条約は持たない。その立場から述べれば、日米安保条約は日本国と米国との条約にすぎず、琉球は関与しない。安保条約とは無縁である。つまり、琉球独立後は日米安保条約から離れた、琉球独自の立ち位置で近隣諸国との関係性を大切にしながら地域の未来を切り拓く主体となっていく。そのような方向に向かうためにも琉球人の自己決定権を行使できるスタンスを身につけられるように努力していきたい。以上が「会議」に参加する理由である。次項からは、私が考える沖縄解放の道筋であり、「会議」の中で、今後、折々に提案等していければと考えている。以下は参考として記述しておきたい。
 [以下項目のみ列挙] ①琉球人差別が見えた日 ②憲法解体国にとどまる必要性の有無を問う-日沖関係史 ③脱植民地化:「復帰」後も変わらない ④米軍特権が最上の国、日本、その下にある沖縄 ⑤分離・独立への道-もの扱いからの解放

4・国際人権法とは
[略]
5・沖縄の克服課題[略]

6・さいごに
 沖縄が日本の植民地、米国の植民地であることを直視していくこと、そこから始まるのではなかろうか。うるまネシアの読者は脱植民地という用語は当然のように使うかもしれないが、一般の人はそうではない。「会議」には、やる気になれば幅広い可能性がある。その中心は沖縄の大衆が自己の頭で決定できること。復帰後進んできた「本土系列」思考から離れていって「自己決定」へと舵を切りなおすこと。「会議」にはそこに向かう「芽」があり、それを活かす素地も備わっていると思う。
【引用・資料等】[略]



沖縄「建白書」の実現を目指し
未来を拓く島ぐるみ会議の結成 について


島袋 純

 沖縄では、長年、普天間基地の辺野古移設を容認する知事、及びその知事を支えるいわゆる県政与党である自民党及び公明党と、それに反対する社大、社民、共産党の野党陣営に分かれて対立してきた。知事選挙についても、それを一つの重要な争点とする二陣営の対立を中心としていた。しかし、2009年の民主党鳩山政権の誕生の際に、選挙公約として普天間基地の県内移設の撤回が掲げられ、翌2010年5月末に辺野古回帰が発表される直前まで、その模索が続けられた。辺野古新基地の推進母体の政権による支えを失った沖縄の保守勢力は、2010年1月の名護市における推進派市長の落選を受けて、抜本的な政策転換を迫られ、次期知事選挙の公約として、辺野古移設反対に180度舵を切ることになる。
 2012年には、沖縄のすべての政党、社会的経済的団体から構成されるオスプレイ反対に向けての県民大会実行委員会が動きだし、9月9日は、10万人を集める大集会を成功させた。圧倒的な県民の意思と言っても過言ではない。その際に、オスプレイ配備の反対とともに普天間基地の閉鎖と撤去が大会決議文の中に盛り込まれた。
 この実行委員会を中心に県民大会の次なる沖縄総意の取り組みとして出されたのが、建白書である。2013年1月28日付けで、安倍晋三総理大臣に対して、県民大会実行委員会に加え沖縄県内すべての41市町村長、議会議長、県議会議長、県議会全会派代表、さらに沖縄の主要経済団体、労働組合等の代表の署名入りで提出された。そこで要求されたのは、1,沖縄米軍基地へのオスプレイ配備の撤回、2、普天間基地の閉鎖と撤去、3,同基地の県内移設断念である。その全文面は末尾資料を参照されたい。

 安倍晋三内閣総理大臣殿。
 沖縄の実情を今1度見つめて戴きたい。沖縄県民総意の米軍基地からの「負担軽減」を実行して戴きたい。
 以下、オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会実行委員会、沖縄県議会、沖縄県市町村関係4団体、市町村、市町村議会の連名において建白書を提出致します。
1, オスプレイの配備を直ちに撤回すること。及び今年7月までに配備されるとしている12機の配備を中止すること。また嘉手納基地への特殊作戦用垂直離着陸輸送機CV22オスプレイの配備計画を直ちに撤回すること。
2, 米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設を断念すること。

 以上が、建白書の要求内容となっている。もっとも重要な点は、2点に集約された要求(筆者は3点に分類)、つまりオスプレイの配備撤回とともに普天間基地の閉鎖・撤去及び県内移設の断念を、全市町村長、全市町村議会議長、県議会議長、全県議議会会派代表、さらに主要な経済的、社会的団体の長が直筆の署名を携えている点である。
 建白書の内容の要求の経緯を示す文書について、あまり良い文書ではないとの批判が聞かれる。確かに疑問を懐かざるを得ない文言も少なからずある。しかし、政府の政策に明白な反対の意思をこれほどの政治的社会的代表者たちが結束して示すということが何よりも重要であり、琉球・沖縄の歴史においても空前の試みである。このような幅広い結集と合意形成された要求は、日本でも先例が無くおそらく世界的にみても希有な「政治的意思」の表明であり、歴史的な要求文書ということができるであろう。
 この建白書の重みは、繰り返しになるが、すべての沖縄の自治体及び自治体議会の代表、全沖縄的な社会的経済的団体の代表によって、合意形成され共有された明白な意思、言い換えれば全沖縄的な総意として確定した要求である点にある。
 この総意を実現することは、署名した代表者たちすべての責務であるはずである。また、組織や機関の代表として署名した場合は、その組織、団体、機関等の責務になるはずである。したがって、同じ実行委員会または建白書を出した枠組みが継続して、その責務を果たす中心なることが本来、求められることになる。
 しかし、現実は、自民党政権そして自民党本部から、強力な切り崩し工作により、沖縄選出の自民党国会議員の公約転換が強いられた。そして自民党沖縄県連は辺野古移設容認へと方針を転換した。しかし、自民党沖縄県連はこの建白書に組織の意思として代表が署名したことを、未だに公式に否定していないし、撤回していない。ゆえに本来であるならば、自民党沖縄県連もこの建白書の実現に向けて責務を負う立場にある。建白書を支える立場にある。しかし、自民党沖縄県連及びその支援あるいは協力関係にある諸団体組織等がもはやこの要求実現に向けて参加することはありえず、この全沖縄的な組織・団体・機関らの代表を結集する団体連合方式の枠組みによって、要求を実現していくことは現実的に困難となっている。
 となれば、公約転換、方針転換により参加困難となった組織団体を除外した形で団体連合方式を継続するか、別のしかたでの幅広い再結集を試みるかである。後者には多様な別形態が可能性としてはあり得る。その一つとして考え出されたのが、個人参加方式による建白書の要求事項の実現運動である。自民党県連が、建白書について、公式に否定していないのであれば、組織的に参加できないとしても、自民党議員、党員が個人として建白書実現を追究する運動へ参加することに対して、それを拒む論理は出てこないはずである。したがって、建白書実現という目的に基づく個人参加方式にすることによって、再び幅広い結集を図ることが可能となりうる。
 また、これまで、政治的団体、社会的経済的団体、自治体、自治体連合体等の公式の機関及び組織の団体連合方式であった従来の運動に比べ、個人個人の参加からなる市民運動的な取り組みとならざるを得ない。個々人の結集という形になり、個々人の参加意欲、支援する意思、能力に依拠する新しい形である。従来、団体連合方式では、県民大会や建白書東京行動などの短期的な、一過性のもので、イベントが過ぎ去れば解散されてしまう。実際に県民大会実行委員会は東京行動後、解散した。個人参加であれば、建白書の要求を実現するまで継続的な取り組みの運動体となることが考えられうる。
 3月から3回の発起人会議が開催され、この市民参加、市民運動的な取り組みが議論され、広く沖縄県民に個人参加を呼びかける文書が合意形成されてきた。運動体の名称は、「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」となった。発起人会議でかなり議論されたが名称の含意は後述の説明文から読み取ることができよう。あとは共同代表により最終的な確認及び修整を経て、結成大会への参加を呼びかける文書として発表されることになるであろう。その文書が次のものである。

 「沖縄「建白書」を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」参加呼びかけ文案(段落番号は筆者による)
1,
 2013年1月28日、沖縄は極めて重要な歴史的意義をもつ「建白書」を日本政府に提出しました。オスプレイ配備撤回と米軍普天間基地の閉鎖及び県内移設断念を求めて沖縄の41市町村すべての首長、議会議長、県議会議長らが署名し、沖縄の総意として、安倍晋三内閣総理大臣に直接要請するという歴史的行動を興しました。
2,  そして去る1月19日、米軍普天間基地の辺野古移設の可否を最大の争点とした名護市長選挙において、「移設ノー」を、名護市民は明確に示しました。にもかかわらず、日本政府は辺野古への建設強硬を明らかにしています。このことは名護市民の民意と尊厳を踏みにじり、社会正義と民主主義の基本をも否定するものです。
3,  沖縄の米軍基地は、米軍政下において沖縄の人々の人権を侵害し人道的な配慮を無視して建設されたものです。私たちは1950年代、基本的権利を守るため島ぐるみで米軍支配に対して闘いを始めました。今なお国土面積の0.6%の沖縄に、米軍専用施設の74%が集中する実態は、社会的正義にもとる軍事植民地状態の継続です。沖縄の人々が、人として生きることすら拒まれる基本的権利の侵害であり、経済的、社会的及び文化的発展の自由を否定する構造的差別です。
4,  私たちには、私たちの土地、海、空を守る権利があります。このような権利は、地球上のすべての人々が共有するものであり、人類が長年の努力から勝ち得てきた普遍的な権利です。国連の委員会では、沖縄のことについて沖縄の人々が決める権利があるとし、日本政府に対して、基地を集中させる沖縄への差別と権利侵害を解消していくよう求めています。
5,  沖縄経済と米軍基地の関係について、県民総所得約4兆円のうち、米軍基地関連収入は5%に過ぎず、基地の返還跡地は、沖縄経済全体を牽引する発展の拠点となっています。たとえば、那覇新都心地区では、雇用者数が103倍、直接的経済効果は69倍と、返還後は著しく増加しています。小禄金城地区や北谷町北前地区等においても同様に発展しています。米軍基地の返還が、経済的発展の自由と自立と平和につながることを、沖縄の人々は気づいています。
6,  基地に左右され続ける沖縄の未来を、私たちは拒絶します。そのような未来を子どもたちに残してはなりません。私たちには、子どもたちに希望のある沖縄の未来を引き継いでいく責務があり、沖縄らしい優しい社会を自らの手で自由につくっていく権利があります。2013年沖縄「建白書」の実現を求め、沖縄の未来を私たちのものとするために、オール沖縄の島ぐるみの再結集を、呼びかけます。

 以上が一般県民対象の参加呼びかけ文書案である。段落番号は、筆者が次に示す段落ごとの説明のために付したものである。筆者が考えたところの、この文書が持つ意味を順に説明したい。下記の解説、説明文は、あくまで筆者が個人的に考えたものであって、島ぐるみ会議事務局及び発起人会議、あるいは代表者会議で承認されたものではないことをお断りしておきたい。

 1,建白書の歴史的意義の解説、説明である。実際に全沖縄的に建白がなされ、①オスプレイ配備撤回、②普天間基地閉鎖、③県内移設断念の3点が、すべての沖縄の政治団体、社会的な団体の共通意思であることの証明である。

 2,ふたたび、地元自治体の住民の意思として、移設反対が明示されたことを示し、政府がそれを無視している点を、普遍的な価値である社会正義(公平な、偏りのない負担、少数者に対する抑圧のないこと)、民主主義(市民近接の原理、投票による意思尊重の原則)の基本に背いているということの指摘である。

 3,沖縄の基地問題の根元は、不法といっても過言ではない国際法を無視した土地の略奪、つまり人権侵害、所有権の侵害によって基地が建設され存続していることであり、それに対して人権を守るために、沖縄社会が連帯し、島ぐるみで闘い始めたことを強調している。現在の基地に反対する様々な運動もその延長線上にある、長年にわたる闘いの一環であるという位置づけを行っている。現在は日米両政府が、基地を沖縄に置き続け、このような両国政府の外交及び法制度等によって沖縄差別が構造化されていることを指摘している。そして、そのような日米両政府が形作る構造的な差別との沖縄の闘いであることを宣言している。

 4,自分たちのすむ土地、海、空に対する保全及び利用の権利は、すべての人々が持っている人類の普遍的な権利である。沖縄の人々にも当然、沖縄の陸、海、空に対する保全及び利用を自分たちの自由に行う権利があることの宣言である。
 沖縄の人々が基盤とするこのような権利は国際的にも認められた普遍的な権利である。それを国際機関の見解を引用して確認したい。
 2008年10月30日に国際人権(自由権規約)委員会は、日本政府への改善勧告において、沖縄の人々を自己決定権を有する人々と認定し、日本政府の沖縄の人々への権利侵害に深い懸念を示した。さらに沖縄の人々に対して土地に対する権利を保障し、言語、文化及び歴史教育を正規の教育課程に組み込むよう改善すべき、とするものであった。また、国連の人種差別撤廃委員会は、2010年3月の日本政府への「最終見解」(勧告)は以下のことを日本政府に要求している。
 「委員会は、沖縄の独自性について当然払うべき認識に関する締約国(=日本)の態度を遺憾に思うとともに、沖縄の人々が被っている根強い差別に懸念を表明する。沖縄における不均衡な軍事基地の集中が住民の経済的、社会的、文化的権利の享受を妨げているとする、人種主義・人種差別に関する特別報告者の分析をさらに繰り返し強調する。委員会は締約国に対し、沖縄の人びとが被っている差別を監視し、彼らの権利を推進し、適切な保護措置・保護政策を確立することを目的に、沖縄の人びとの代表と幅広い協議を行うよう奨励する」
 つまり、国連の諸人権委員会は、国際的人権の水準に照らし合わせると、日本政府が明らかに、沖縄の人々を差別し、人権侵害を行っている、権利を保障していないが故に、改善せよという勧告である。このような国連の日本政府への勧告からも明らかにように、日本政府は沖縄の人々の権利侵害を行っており、その解消を沖縄は求めていくということである。

 5,基地は、たとえ様々な財政措置があったとしても、存在そのものが、経済的波及効果が極めて低い迷惑施設。沖縄への特別な財政措置を全廃しても基地撤去の方がはるかに沖縄経済の発展にとって波及効果が高い。その波及効果を上回る財政措置を導入することなど不可能であり、基地は経済発展の自由を阻害している。国連差別撤廃委員会が指摘する、「沖縄における不均衡な軍事基地の集中が住民の経済的、社会的、文化的権利の享受を妨げている」との指摘のうちの、「経済的権利の享受を妨げている」に該当する。基地のない経済発展を形作っていくことは、沖縄の人々がもつ自己決定権の一つであり、国際自由権規約1条(社会権規約1条も同文)がいう、第1条「1,すべての人民は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する」(1966年発行、1979年日本批准)からも導き出される国際的に共通認識されている普遍的な権利である。
 「経済的発展の自由と自立と平和につながることを、沖縄の人々は気づいています。」によって、単なる利益の大小比較、経済効果の比較問題にしないで、普遍的な経済発展の自由の権利の侵害が回復できるか、の問題にしている。

 6,沖縄社会を自ら構築していく権利は、沖縄の人々にある。それは、国際人権規約の第1条にも定められているような自己決定権を沖縄はもち、オスプレイ配備の撤回、普天間基地の閉鎖、辺野古移設の阻止を実現する権利があるということの宣言である。経済的、社会的及び文化的発展の自由を自ら追究していく権利及び政治的地位の自由な決定という自己決定権により実現していく、ことの宣言である。
 以上が参加呼びかけの文書の含意である。
 結成大会は7月27日となった。沖縄の人々の幅広い再結集が、個々人の覚醒した権利意識が、この沖縄の人々が本来的に持つ自己決定権を回復する基盤となり、未来を拓く鍵になる。多くの参加を期待した



総意を後退させてはいけない

平良 識子

 はいたい ぐすーよー ちゅーうがなびら。今、沖縄は歴史的岐路にある。はじめに結論を述べてしまうが、日本政府からどのような脅しや圧力や懐柔があろうとも、沖縄においてそれぞれの思いや違いは尊重しながらも、オール沖縄として声を上げ続けることが今、歴史的に最も重要だと思っている。いうまでもなくその一致点のスタートラインは、2013年1月28日41全市町村の首長、議会議長、県議会議長らが署名し、沖縄の総意として日本政府に提出した「建白書」にある。
 「建白書」の歴史的意義について、私は、琉球併合後、国際人権規約第1条に基づく自己決定権を琉球/沖縄人が行使したものとして、ひとつが憲法による日本復帰だとするならば、「建白書」はふたつめの行使であると捉えている。日本政府はその重大な意味について、そもそも認識していないのかもしれないし、認識しているからこそ無視しているのかもしれない。ちなみに自己決定権は、自らのより良い未来を選択するに何度でも行使することはできる。
 さてこれまで沖縄政治があまりに日本政府による植民地主義的政策により翻弄され続け、沖縄人同士で分断され続けてきた。それは小さな社会で生きる沖縄の市民、私たち自身が生きにくいものとなり、様々に弊害を生み出してきたことを思う。本来ならば琉球/沖縄人は気質として、ピースメーカー的発想に優れた人々であると思う。少なからず復帰後の政治の保革対立の状況と、否応なく絡めとられる県民市民の損失を考えると、「建白書」が政治的にオール沖縄でまとまった意義を協調してもしすぎることはないだろう。しかし自民党県連国会議員は公約を翻し、仲井眞知事は辺野古移設を承知した。
 オスプレイ配備撤回、米軍普天間基地の閉鎖、県内移設断念の総意を、後退させてはいけない。年末の知事の辺野古移設承認を受けて、「建白書」を実現するべく、すべての沖縄の人々が、個人参加を基本にして政治的な立場を超えて広く結集できる運動体として、島袋純琉球大教授を理論構築の中心として、沖縄「権白書」を実現し未来を拓く島ぐるみ会議(以下、島ぐるみ会議)を立ち上げるに至った。
 島ぐるみ会議は、約100名の発起人で設立し3回の会議を経て10名の共同代表および規約を確認したところではあるが、個人参加の組織化という初めての取り組みであるため、生きの苦しみ、模索しているところである。今後の取り組みにおける個人的思案として那覇市議会でも提案してきたことであるが、沖縄の日本復帰の国際世論を形成したとされる1962年の琉球立法院による国連および国連加盟諸国に提出した2・1決議に学び、「建白書」を国連レベルのものとする取り組みへと提案していきたいと考えている。いずれにしても、この島ぐるみ会議が、これまで政治や組織で分断されてきた個人を繋ぎ、人と沖縄がエンパワーメントするものとなり、沖縄の自立をつくるものになれればと事務局にかかわるものとして思う。
 沖縄において基地は、経済自立、発展の阻害要因でしかなく、沖縄の人々の安全保障を脅かし、軍事緊張による危険を増長させている。アジアの緊張の海の真ん中で、沖縄がより良く生きていくためには、基地をつくることなく回避し、かつ関係諸国が互いにウィンウィンとなる関係構築のテーブルセッティングをし、平和貢献することで、国際社会における沖縄の生きる道を自らが模索しつくらなければならないと思う。今、歴史に耐えうる行動を、一人ひとりが取り組むことが大切であると思う。
 そこで島ぐるみ会議の結成大会を、7月27日(日)、午後2時より、宜野湾市民会館大ホールで開催します。これからの沖縄の新たな歴史をつくる島ぐるみの運動に、多くの市民、県民のみなさまがご参加いただき会員となっていただきますように、ゆたさるぐとぅ うにげーさびら。



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