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沖縄青年委員会(海邦)関係文書

沖縄返還と労働者の闘い
  T 世界への飛躍−沖縄返還
  U 世界経済の危機と労働者人民の悲惨
  V 沖縄返還を粉砕し労働者政府の樹立を
  W 沖縄日中問題をめぐる諸党派批判
闘争宣言1971.10.3
10・21大統一行動への参加呼びかけ

T 世界への飛躍−沖縄返還


一 デェィゴの花は泥にまみれても…


 沖縄の花、デェィゴは五月の青空に真紅咲く。琉球人とさげすまれ差別され続けたその歴史は今も続いている。在日アジア人民、部落の人々、アイヌの人々。ベトナムの黒人米兵は叫ぶ「俺も傷つけば白人と同じ、赤い血が流れる」と。
 すべての差別され抑圧されている労働者人民、民族の解放のシンボル、それは血の真紅だ。「抑圧者よ、我等の中にも同じ赤い血が流れているのだ。同じ人間なのに何故……?」
 自らの運命を自らの手で生きようとする人々にとって現実の苦痛は生きていることの証でもある。
 沖縄、三里塚、北富士、水俣、あらゆる地域であらゆる職場で、あらゆる学園で、そして自衛隊や米軍基地の中から、いや全世界いたるところで、人間解放の叫びは運動は、巨大な渦となってまき起こっている。政治的、経済的、軍事的、あらゆる桎梏をはねのけ、生きること、働くことの意味を問題にする人々は無数のゲリラ戦士として、自らの自由、人間性の解放をかち取るために立ち上がっている。
 デェィゴの花は散って泥にまみれても、その真紅は変らない。すでに闘いは全世界各地で開始されている。平凡な人間が自らの平凡さを守り発展させるために闘っている。

 「平和で豊かな経済発展」「南の太陽と豊かな自然の観光開発」……。確かに沖縄は豊かな島である。明るい太陽と原色の自然・群青の海。だが人々の生活はそれとはあまりにも対照的だ。戦後二六年間にわたる米軍支配は基地経済に依存したイビツな経済構造をつくり上げ、沖縄の人々の生活一切は基地機能の完全なる維持に従属させられた。生活に最低必要不可欠な電気や水道は米軍に握られ、幹線道路は軍用であり港も空港も管理権はアメリカ。日照り続きで住民が水に困っても基地には水が豊富にある。米軍人が犯罪を犯しても住民は泣き寝いりするよりしようがない。
 「沖縄が返らぬ限り日本の戦後は終らない」と佐藤首相は六七年に沖縄で抗議のデモに取り囲まれながら言った。その言葉通り日本の戦後史に幕を閉じ、日本の新たな「世界への飛躍」をかけて今、沖縄は「本土」に返還されようとしている。その「返還」によって沖縄人民にはいかなる運命が待ちうけているのか。また本土の労働者人民にとってもその事は何を意味するのか。時あたかも「軍国主義の復活」が言われ、世界第二の経済大国に成長した日本に円切り上げ、資本自由化の要求が世界資本主義諸国から強く出されている中で、本土・沖縄の労働者人民は何故に沖縄返還粉砕の闘いをやり遂げなければならぬのか。「核抜き本土並み」「即時無条件全面返還」など沖縄の有り方について色色と語られながらも、その事によって沖縄問題にはらまれる真の矛盾は解決されるのだろうか。
 沖縄返還協定の批准がなされようとしている今国会を「佐藤内閣打倒」ではなく、「自民党政府打倒・働く者の政府樹立」に向けた闘いとして、この資本主義社会のあらゆる苦痛・悲惨・不満から労働者人民を解放する闘いを成しきるために、全国のあらゆる職場・工場で自らの解放をかけ闘い、闘おうとしている青年労働者諸君に社青同よりこの沖縄パンフをおくる。これまで常に闘いを裏切り続けてきたダラ幹をブッとばし、資本主義社会転覆のため共に闘おう!

二 「力と対話」による沖縄の再編

 「復帰」を目前にして日本の円変動相場制移行によって、沖縄人民の手持ちドルと円との交換レートが問題になっているが、沖縄はこれまで通貨交換を四度経験してきた。沖縄の世界的位置はその意味ではその時々の通貨によって示されてきたと言える。敗戦による米軍占領によって旧円→軍票(B円)になり、沖縄の帰属が決定されなかった一九四六年にはB円→本土新円に切り替えられ、北朝鮮革命の成功によって沖縄の軍事的重要性が増してくると、四七年にはB円と新円の二本だてになり、中国大陸での将介石一派の敗北を予測してアメリカが沖縄を半永久的な基地として確保する事を決定した四八年にはB円に一本化される。サンフランシスコ条約によって「信託統治」――これは国連総会にも安保理にもかけられず、支配者は彼らの法的正当性をも無視して決定した―され、米軍の軍政継続を日本支配者は自らの安定をはかるため喜んで認めた。そして一九五八年にB円からドルヘの切り替えがなされ、アメリカの沖縄支配は完成する。アジアのカナメ石としての沖縄が完成する。
 六九年暮の日米共同声明をうけて沖縄が「返還」されんとしている今、ドルから円への切り替えの中にふくまれている事は、日本資本主義とアメリカにとっての沖縄の位置の重大な変化を意味している。
 日米共同声明の要点は(1)七二年には極東の安全に特別の変化がない限り沖縄を返還する(2)韓国・台湾はじめ東南アジア全体に対する日本の安全保障義務の確定(3)アメリカの国際収支対策への協力と貿易・資本の自由化の積極的推進――である。この声明のねらいはアメリカのアジアからの一定の撤退と日本の肩替りであり、同時にコザ闘争やB五二撤去闘争に見られる沖縄人民の米軍・基地への怒りの爆発――反帝ナショナリズムの高まりを返還によって静め、こうして日本政府はアメリカに協力しつつアジア進出の足場を確保し、日本の帝国主義国家としての完成を目指す、文字通り沖縄返還によって経済・軍事両面の大国としてアジアに君臨しようとしているのだ。そしてアメリカは沖縄基地を戦略基地から前進基地へと性格を変化させ、ドル防衛と基地機能の充実のため大合理化―全軍労の解雇・ナイキ等の自衛隊買い取り、軍用地費の日本政府支払いなど――をかけてきている。
 アメリカの戦略転換は、大量の軍事費と軍隊を送りこんでもなお勝てぬインドシナ戦争とドル危機を打開するために、ニクソンドクトリン(アジアの闘いはアジア人の手で)と大統領補佐官キッシンジャーの「力と対話」路線に基いている。即ち「弱い者には力で、強い者には対話・或いは力をもって強い者と握手する」ことを基本にし、過去の栄光「強者アメリカ」の幻影をとっ払い、現在のアメリカの実力を冷静に判断する中から一切の問題を処理しようとしている。そうしたものとして米中握手があり、それは台湾切り捨てとベトナム戦争の平和的終結との取り引きを意味する。そしてこれまでの韓国−台湾−南ベトナムという前線、その背後の補給・兵たん・出撃基地としての沖縄・フィリピンという戦略を、韓国・沖縄・フィリピンのラインに下げ、沖縄を軸に日米が共同して国家としては中国・朝鮮民主主義人民共和国そして北ベトナムにねらいを定め、一方各国支配者階級の抑圧・搾取に抗して立ち上る各国労働者人民の闘いの圧殺を見つめた反共反革命の軍事臨戦体制の再確立としてこの事はある。
 沖縄の米軍人の乗用車のナンバープレイトには、キー・ストーン・オブ・ザ・パシフィック(太平洋のカナメ石)と入っているが、返還後の沖縄は日・米・そしてアジア・太平洋各国支配者階級共通のキー・ストーンであることにはいささかの変わりもない。

三 返還協定と反革命臨戦体制の形成

 国会で批准されようとしている返還協定は、本土・沖縄の労働者人民の反対を戒厳令的弾圧の中で機動隊の装甲車とタテに守もられつつ去る六月一七日、東京―ワシントンでテレビによる同時調印という空々しくも虚しい演出によって強行された。この協定は日米共同声明路線の全面的実施要綱であり、政府自民党の「核抜き本土並み」のキャンペーンをも、それがいかにも見えすいた嘘であることが一目でわかる内容であり、沖縄の保守派から民社・公明党までふくんで協定批准反対を(それがいかなる内容の反対にしろ)言わざるを得ないものである。
 (1)協定前文では明確に「これらの諸島(注・沖縄列島)の日本への復帰が(前記の)共同声明の基礎の上に行なわれることを再確認した」とし、共同声明の基調であるアジア、太平洋圏の反革命臨戦体制の形成が、日本の義務であることを確認し、それを前提に沖縄「返還」がなされ、返還自体はその事を積極的に推進するんだという事を日本が明確に全世界支配者階級の前に宣言したわけだ。
 (2)協定第二条では日米安保条約の沖縄適用を定め、第三条で沖縄の米軍基地の大半及び関連施設の日本政府による米軍への全面提供(存続)を確認した。この事により沖縄の共同防衛義務と自衛隊の派兵が決定され、六〇年安保の自動延長という形式をとって発動された七〇年安保が、文字通りアジア・太平洋圏で日本の「国益」が犯され、或いは「重大な脅威」が生じた場合発動される実体を持ったといえる。
 (3)第四条では二六年間の米軍支配下での、労働者人民に対する抑圧と収奪、生きる権利や働く権利を奪ってきた事に対する「対米請求権」を放棄した。この事は戦後アメリカの軍事力とドルによって支配者としての地位の安泰を保証された日本資本家階級が、アメリカのドル危機を少しでも救い、一切の犠牲を沖縄人民におっかぶせようとしているのだ。
 (4)第六条と合意議事録及び「愛知・マイヤー覚書」に基づき、復帰時に返還される基地・施設は現在の米軍用地のわずか一六・六%であり、基地機能を少しでも低下させる様なものは一切除かれている。しかも返還される基地を農地や住宅地にするには多額の資金が必要とされるが、復元補償も定めていない。
 (5)第八条ではVOA(アメリカの声)放送が特例的に認められた。本土電波法で外国人の電波使用が禁じられているのにあえてこれを譲歩したのは、このVOAはCIAなどと並ぶ情報機関海外広報庁に属し、対共産圏向けの放送であり、日米支配者にとっては是非とも必要なものだからだ。
 (6)また海底に大きな油田があると推定され、現在その帰属が問題になっている尖閣列島を返還区域に入れ、日本帝国主義の領有を宣言している事は、資源問題が日本資本主義のネックであり、同時にその領有をめぐる中国との間の紛争を通して排外主義をあおり、自衛隊の沖縄派兵の国民的合意をとりつけようとする意図であるのは明らかだろう。

四 「沖縄開発」=第三次琉球処分

 この協定を軸に具体的に日本帝国主義が、施政権返還を通して沖縄をどう処理しょうとしているのかが「復帰対策要綱」である。既に政府は昨年五月沖縄に事務所を設置し、本土との一体化=「復帰準備」行政を開始しているが、今国会には沖縄開発三法案(1)沖縄振興特別措置法案(2)沖縄開発庁設置法案(3)沖縄開発金融公庫法案、として出される。
 その主な内容は「七二年を初年度とする振興開発十ケ年計画をつくり、その事業の国家負担・国家補助の割合は特例を設ける。そして沖縄開発に地元の意見を反映させるため沖縄開発庁の付属機関として沖縄振興開発審議会を設け、沖縄県の代表に参加してもらう」ことを骨子とする。この背景には沖縄を単に「平和で豊かな県づくり」するのではなく、その経済開発の中味を「国際化時代」に対応した日本全土の再開発(新全国総合開発計画、新経済社会発展計画)の中での沖縄、として進めようとしている。これは過密・過疎・公害などの問題を資本主義的に再整理し、土地と工場の配置替えなどを行う中で利潤追求の最大限の効率化を沖縄を含んで実現しようとするものだ。基地経済からの脱脚を求める沖縄人民の願望「平和産業論」(屋良主席)を、本土企業の進出、特に石油やアルミなどの公害企業を中心に行い、現存沖縄中小企業の合併・整理・本土企業への系列化として組織しようとしている。
 そのために「沖縄での企業立地を促進するため、電力・水・工業用地・道路・港湾その他の産業基盤の整備充実につとめ、新規立地企業への税・金融上の措置」をとり、「沖縄と本土の企業格差が大きい事は認めざるを得ないが、生産性向上による経営強化と業界の組織化による構造改善が必要」と大合理化による生産性向上をうたい上げている。どんなに政府資本家が「豊かな沖縄づくり・アジアに開かれた沖縄づくりを!」「経済大国日本の一県として明るく豊かな地域社会の建設を百万県民の能力と不断の努力によって実現せよ」(沖縄生産性本部)と叫んでみても、その「明るい豊かさ」は資本家階級だけに「独占」されるものであり、労働者人民には首切り・合理化の強化・本土への出稼ぎや就職・海外移民といった苦痛と悲惨の道しか残されていない。
 既に沖縄では全軍労首切りに止どまらず、復帰と同時に専売法が通用されるタバコ会社三社の従業員七百名の解雇問題と葉タバコ農家の作付転換(その資金の無い農家は離農していく)、電力公社(七百人)の首切り、バス五社合併による配転・人員整理、基地に依存してきた民間企業の倒産があい次ぎ、一方銀行や信用金庫、デパートの合併による本土型の徹底した合理化が導入され始め、農業では平地の大部分を軍用地に取られ、残されたわずかな土地で零細経営規模でやってきたが、作付の大部分はサトウキビとパイン・甘庶である。それも本土復帰と共に農産物自由化の前に一気に押しつぶされ沖縄農家のほとんどは経営が成りたたなくなる。そうした先行き不安を見越した離農・一家離村が相いつぎ、そのほとんどは海外移住・本土出稼ぎの形態をとり、沖縄農業も三ちゃん農家になり過疎化が進む。漁業でもそのほとんどは沿岸漁業であり、青壮年は本土大企業の遠海漁業の下請けに雇われている状態だ。しかも中城湾のガルフや東洋石油の公害によって海は荒廃し、沿岸漁業も壊滅しようとしている。
 更に行政面では「沖縄に国家行政の総合出先機関を設置しかなりの分野で中央直轄行政を行なう」こととし、東京・大阪・京都等で「地方自治」を主張する社共に敗れた政府資本家は、沖縄を突破口に「中央直結」の政治を上から実現しょうとしている。具体的には市町村の数を半減し(官公労・自治労々働者の首切りと地方公務員法の通用による「労働三権」のはく奪)、教育委員の公選制から任命制へ、教公二法の沖縄への通用(政治活動・争議行為の禁止)、琉球大学の国立大学移行による大学立法の通用、教育行政への五等級制導入による職場位階制(組合分裂の促進)、勤評などだ。
 こうして「沖縄開発」「復帰対策」の名目で、沖縄社会の基底にある地縁・血縁的共同体を資本主義体制の中に組み込み崩壊させ、「孤独な群衆」として放り出し、全軍労・官公労・教職員会というこれまで沖縄人民の索引組織を弱体化し、沖縄人民の戦闘性を奪い従順な「子羊」にしようとしている。産菓再編成の嵐のような進行の中で、階級としての抵抗力を奪い資本家の利潤追求の餌食にしようとする攻撃が今、開始されている。帝国主義的琉球処分が進行しているのだ。

五 「第二第三の三里塚」――軍用地強制取り上げ

 今度の沖縄返還の重要な柱の一つに軍用他問題がある。「自衛隊の沖縄配備と米軍用地の提供がスムーズにいかなければ批准しても批准書の交換はされない」(野呂防衛政務次官)とこの返還劇の本音をはいたが、協定によれば八十八ケ所・二九四平方キロの米軍施設がそのまま使用され、「久保・カーチス取り決め」で自衛隊も米軍基地を引継ぐ形で沖縄に派兵されることになっている。

 これらの軍用地は米軍が琉球政府を通じて地主と契約を結んでいるが、施政権返還により形式的には一旦地主に返され、それと同時に安保条約と「関連取決め」「地位協定」などの効力が発生し、地位協定による日米合同委員会で基地提供協定を結ぶという手続きが必要になる。そして日本政府が各地主と交渉する段取りになるわけだが、約三万三千人の軍用地地主全は賃借料の不満や反戦・反自衛隊意識が強く用地確保が危ぶまれている。また那覇市を先頭に十五市町村から軍用地解放要求が出されたり、約六千人の地主を中心に再契約を拒否する地主の会が県労協や復帰協によって組織される動きもある。

 これに対し政府は沖縄国会最大の問題法案といわれる「軍用地強制確保法」を特別立法として出す予定だ。これによれば契約を拒否した地主の土地を五年間は強制的に確保できるのであり、三里塚の農・労・学・市民の闘いに恐怖した政府は沖縄での「第二第三」の三里塚の闘いが起ることを「未然」にふせぐため、強行採決をしてでも成立させる積りだ。これをムチとすればアメの政策は賃借料を現行より六・五倍にする事だ。戦後二十数年たち強制的に土地を取られた人々は、いや応なく喰うために別の仕事についた。しかも米軍の賃借料は不当に低く、生活収入の一割も占めない額でしかなかった。確かに地主の中に復元補償も無く土地が返ってきてもそのままでは使い道もない、農業をやっても展望はないそれより現金収入が増えるのなら、という気持があるのは事実だが、戦前〜戦後の長期にわたる本土支配者階級の沖縄人民への差別と抑圧の歴史は、常にこうして現実的利益誘導とそれに抵抗するものは容しゃなくたたきつぶす政策をとってきた(本土でも同じだ)が、沖縄人民の積年の屈辱の歴史は最早こうした事を許さないところまで来ており、コザ闘争はそうしたものの爆発であったし、沖縄人民は自分の生活の矛盾がすべて基地に原因している事を骨身にしみて知っている。基地=軍事=政治=社会経済体制とつながっており、基地撤去=平和産業ではない事を石油コンビナートや下地島パイロット飛行場問題を通じて理解している。基地問題は一地主の問題ではなく、「基地の中に沖縄がある」といわれるように沖縄人民の運命そのものだ。そして戦後の沖縄史は基地闘争史でもある。一度基地闘争に火がつけば、労働者・農民・市民全体が立ち上る、沖縄全体が立ち上る事だ。それを知るがゆえに政府支配者階級は、徹底してそれをふせごうとする。軍用地強制確保法案はそうした闘いを圧殺することに真のねらいがあるといえる。

 六 自衛隊は「日の丸」とともに

 去る六月二九日、日米安保協議委員合で「沖縄の直接防衛責任の日本による引き受けに関する取り決め」という事実上の政府間協定が結ばれた。それによれば(1)自衛隊の配置は七三年七月一日までに完了(2)那覇空港の航空自衛隊下一〇四ジェット戦闘部隊の緊急迎撃体制は返還日から六ケ月以内に整える(3)米軍の地対空ミサイル・ナイキ・ホークを自衛隊が買い取りそのまま配備につく、以上の防空任務を重視した協定に合意した。
 そして七月来日したレアード米国防長官は「アメリカは今後も核のタテを維持することを保証するが、通常兵力による抑止力も重要であり、この面での同盟諸国の責任は増大する」と、日本の通常兵力の強化―陸上自衛隊の装備の近代化強化を要求してきた。
 こうした事をうけて八月末防衛庁の「四七年度自衛隊業務計画」では陸海空五四三〇人―ホーク・ナイキミサイル基地七基などを内容とする自衛隊の沖縄配備計画を発表した。この計画では沖縄出身現職自衛官約八百人を沖縄部隊の中軸におき、「沖縄の防衛は沖縄の手で」をスローガンに“郷土部隊”としての色彩を強く出し、沖縄の反軍・反自衛隊感情をやわらげる事をねらいとしている。具体的な部隊配置は(1)陸軍―警備隊を装甲車で機動化し、低空用ミサイル・ホーク部隊・航空隊(ヘリ部隊)(2)海軍―掃海艇・揚陸艇・支援船・対潜しょう戒機・揚陸艦・周辺海械に護衛鑑の重点配備(3)空軍―最大の重点をおきF一〇四ジェット戦闘隊・航空警戒管制隊(レーターサイト四ケ所)・高空用ミサイル・ナイキ基地―以上となっている。そして四次防の終了年七六年には沖縄に九千二百人の隊員が派兵されている予定だ。
 沖縄現地では戦時中の日本軍の残ぎゃくさに対する鮮明な印象が残っている。それは薩摩から明治・大正・昭和の歴史の中で、「琉球人」として差別され抑圧されてきた事の凝縮として日本軍は抑圧者の象徴であった。しかも日本で唯一、直接戦場になり、引き続き米軍に占領され捕りょ収容所に入れられ、緑の山河は赤茶けた荒野と化し、平地の大部分は基地として取り上げられ、廃墟の中から自力で生きてきた人々、親兄弟の何人かは戦死したり餓死・栄養失調で死んでいる。そして朝鮮で、中国で、ベトナムで戦争が起れば米軍基地があるがゆえに、常に戦争の危険におぴえ不安におののく。沖縄の青年の幼年期の遊びは薬きょうを花火のかわりに爆発させる事であり、兵器の残骸を集める事であった。その何人かは爆発でケガをし死んでいく。沖縄の人々の保守・革新を問わず共通の言葉は「戦争はイヤだ・平和がほしい」につきる。
 こうした沖縄に帰郷広報隊のPRがこう叫けぼうとしている。「自衛隊は昔の軍隊とは違います。隊員は純真な青年です。あなたの町の開拓の力になります。自衛隊に入れば給料もらえて各種免許がとれる、海外にも行けます。国を守りましょう!沖縄の防衛は沖縄県民の手で!」と。そして十月三一日の自衛隊パレードに沖縄の人々を無料招待しようともしている。
 八月一八日沖縄出身自衛隊員砂辺君(一九才)は日光の華厳の滝に投身自殺した。滝の上にMグラフの天皇の写真、家族の写真そして自衛隊員証を残して。彼は七〇年暮の首里高校闘争の中心でありその後朝霞通信隊に入隊した。なぜ沖縄で革命的な彼が自衛隊に入りそして自殺したのか。そして今年初めて防衛大学に沖縄出身学生が三人入学した。
 ここにこれまでの沖縄人民の闘いにふくまれている限界と意義が示されている。「異民族支配から平和憲法体制下の本土への復帰を!」という気持は、米軍を追い出すためには平和憲法で認められている自衛隊で、とまで思いつめさせる。どうしたら米軍を追い出せるのか、基地を平和を自分の手に取り戻せるのか。だが平和憲法下の自衛隊の現実はどうだったのかといえば、貧農や下層労働者の子弟が集められて「内乱ちん圧」の治安訓練が展開される。「平和憲法の敵」は自分と同じ労働者・農民であり、自衛隊とはそうした労働者人民が圧政に抗して自らの解放を求めて立ち上ったら出動するものだと知った時、自衛隊の敵は米軍ではなく米軍は同盟軍であると知った時、彼は叛軍闘争を開始しようとした。だが彼は中途で挫折した。死を選んだ。日本支配者階級の沖縄への差別と抑圧は現在こうして一人の若者を死に追いやった。
 沖縄への自衛隊派兵はこうした現実をおおい隠して「自衛隊のイメージづくり」として展開されている。すでに研修という名目で約三千人の隊員・防衛大生が送りこまれ(1)米軍を見学し軍事知識を深め、米国が自由諸国の安全を守るために払っている“努力”に対する理解と認識を深める(2)戦跡見学をし米軍より説明をうけ戦争中の沖縄本島防衛の実態・戦術を学ぶ(3)愛国心(どんな?)を養う――ことをしてきたのである。更に返還時に配置する部隊も「住民受け」する部隊を考え、台風などの災害復旧活動をする工兵隊やヘリコプター部隊を配備する予定だ。
 日常的な自衛隊解体闘争と結合しない「沖縄自衛隊派兵阻止闘争」は無力である。スローガン倒れである。自衛隊を国土開発隊に改編するなどという平和ポケした寝言をいっている限り、それは政府資本家の手の内だ。

 七 四次防と専守防衛

 こうした自衛隊の配備計画は、第四次防衛計画と防衛白書、そして沖縄米軍の再編成をみたとき何をねらいにしてそれが強行されようとしているのかが、一目瞭然となる。 昨年の国連総会で「日本は経済大圏にはなるが軍事大国にはならない」と佐藤首相は語り、平和憲法を守ることを宣言し、ソ連圏を含めた多角的平和共存体制を望むことを明らかにした。一方国内では中曽根防衛庁長官(当時)が防衛白書を発表し、「専守防衛」を強調しつつ「短いが鋭いヤリ」をたずさえて登場し、専守防衛のためには渡洋爆撃のできる攻撃力を持つ必要があるといい、渡洋爆撃機やミサイルの装備を明らかにした。そして「防衛力の限界」としてICBM(大陸間弾頭弾)や攻撃型空母・長距離爆撃機は持たないと述べたが、逆に言えばIRBM(中距離弾頭弾)や短距離爆撃機は持てる事を意味し、原子力潜水艦には制約がなく、これらの軍事力は朝鮮半島・中国大陸をちょうど射程内に入れるものである。更に重大な問題は戦術核兵器の保有は憲法上可能であるが、政策上これを持たない(国民に「核アレルギー」があるから)として将来の可能性を残していることだ。具体的な防衛(軍事)構想は、通常兵器による局地戦に対処できる体制を確立し「国内の潜在的な不安定要素(何を指すのか?)が外部からの影響などによって誘発され、間接侵略的事態に発展する可能に留意し」つつ、これまで日本を含む極東全域に展開されていた米軍は次第に減る傾向にある事を考え、日本の国力も向上してきた事だし、自主防衛の努力を進める。核の脅威に対しては米国の核抑止力に依存する。
 このような「専守防衛」の名目の下に策定された四次防予算は、総額五兆八千億円を五年計画で遂行するものであり、三次防の二・二倍、最終年度国民一人当りの負担額は一万五千円前後という驚異的な数字であり、世界第七位の総額になる。この予算の特徴は(1)陸軍――千両の戦車体制を確立しホークミサイル装備・へリ・装甲車を増強し、空地機動力の向上と火力の充実(2)海軍――八千トン級大型護衛艦(ヘリコプターやミサイルを積載)、高速ミサイル艇・潜水艦などの建造・艦艇二四万五千トンと一・七倍の強化(3)空軍――F四EJファントム百五十八機・ナイキの増強・レーダーサイトの増設・固定三次元レーダーの整備・偵察機・輸送機など九百機を整備し防空体制の飛躍的強化をはかる(4)返還後の沖縄防衛体制の整備(前章参照)(5)研究開発費千七百五十億円(三次防の三・五倍)を投入し、AEW(早期警戒機)・PXL(次期対潜しょう戒機)・ミサイル・ヘリコプター・電子機器などの研究開発を進める―となっている。こうして四次防では兵器の国産化に比重をおき、三次防では五〇%であった装備の国産化率を一気に八○%までもっていこうとする。「作るより買う方が安い」といわれる兵器を作るのは、生産企業の技術的進歩を考えたとき経済効果は大きいという、資本家の要求を政府がのんだからであり、産軍複合体として独占的支配権は益々拡大していく。特に兵器の自主開発は三菱重工を「日本の兵器庫」として発達させている。

 八 アジア・太平洋圏をにらんだ「日米共同管理」の沖縄基地

 六九年の日米共同声明以来、全軍労労働者で解雇された者は五千人に及ぶ。そのたび毎に米軍は基地縮少を発表するが、それは基地の縮少ではなく米軍事戦略の変更とそれに基づく兵力再編計画による「基地合理化」であった。
 この極東軍事戦略の変更を端的に現わしたのが本年三月四日に行なわれた米韓合同演習・フリータムポールト(自由への跳躍)作戦である。この作戦は、仮想敵軍が北から非武装地帯を越えて侵入したとの報をうけ米軍が米本土を出発、空挺部隊が敵陣に入り込み敵を掃討し基地を建設確保するといいうものであり、明らかに朝鮮半島の国内革命戦争鎮圧を目的にしている。
 米本土から韓国まで一万三六〇〇キロを戦闘部隊を空輸するこの大演習は、アジアからの米地上軍の撤退というニクソン・ドクトリン発表後初めての緊急空輸作戦として、「同盟国の防衛を保証する」アメリカの断乎とした決意表明であった。
 この時沖縄基地はステッピング・ストーン(踏み石)と呼ばれ、これまでのキー・ストーン(かなめ石)から一歩違った意味を与えられた。一言でいえば「戦略攻撃基地から緊急発進・兵たん基地」へと変質したのだ。それは沖縄の主役であったB五二爆撃機、メースBミサイル・CB(生物・化学)兵器など戦略兵器が縮少削減きれ、一方、本土・台湾・韓国の工兵隊を沖縄に統かつした西太平地域工兵隊司令部の設置、超大型輸送機C5Aギャラクシーの配備、第三海兵師団(緊急出撃軍)の編成、嘉手納基地滑走路の補強工事、そして太平洋における一大中枢補給基地、陸軍第二兵たん部隊の機構拡大などに見ることができる。
 そして日本自衛隊の役割りは、ナイキ、ホーク地対空ミサイル、レーダーサイト、対潜しょう戒、緊急迎撃体制、沿岸防備など空・海の防衛分担であり、陸上部隊は数も少い沖縄機動隊に替って米軍基地を沖縄人民から守ることにその任務がある。つまり治安軍、反革命人民抑圧軍として、沖縄階級闘争の爆発がコザ暴動のように拡がった場合、沖縄人で構成する治安軍隊の出動をもってよりスムーズに鎮圧することである。こうして自衛隊は、「沖縄の防衛は沖縄県民の手で」という郷土へのナショナリズムをかきたて、最終的に「日本」国家に統合しようとするものだ。
 このような日米共同による沖縄基地体制を米軍は「有事即応体制」と呼ぶ。日本が常時沖縄基地を守り整備しておき、有事の際には米緊急出撃軍が本土からとんできて、即座にそれを使用できる体制の確立だ。
 一方日本側の野望はさらに発展する。十月十一日西村防衛庁長官は「アジア・太平洋地域の“天災地”に自衛隊を派遣する」と露骨に海外派兵も有り得ることをほのめかす演説を行い、日本帝国主義のネックである資源確保―マラッカ海峡防衛論の実現を推進せんとしている。
 こうして沖縄は日米共同によってアジア・太平洋圏の反革命前進基地として生み直されようとしている。


U 世界経済の危機と労働者人民の悲惨


一  労働者人民は苦痛と悲惨で連帯する

 沖縄の悲惨、苦痛は沖縄人民だけのものではない。それは本土労働者人民の悲惨、苦痛の凝縮だ。全世界の労働者人民のそれでもある。資本主義的生産様式がこの全世界をおおっている現在、世界資本主義の矛盾、危機は新たな大衆収奪、人民抑圧、そして全社会的な資本主義的再編、とりわけ労働者にかけられてくる首切りを含む大合理化の嵐として、その危機や矛盾の一切は人民に転嫁される。
 沖縄人民の米帝、日帝に対する闘いは沖縄のみでは完結しない。本土労働者の国鉄マル生粉砕闘争、全逓の労務政策粉砕、その他あらゆる労働者、農民、市民、学生の闘いは全世界的に結合されなければならない。資本主義の危機が我々にそれを迫っている。再度言う、沖縄人民の苦痛、悲惨は、本土人民の苦痛、悲惨であり、本土人民の苦痛・悲惨は沖縄人民の苦痛、悲惨でもある。
 ニクソン声明によるドル、金交換停止、そして八項目の緊急措置によって、輸出型、高度成長をなしてきた日本資本主義は、一挙の国内不況の浸透を余儀なくされた。またさきのニクソン訪中外交の進展は日本支配者階級をして、「ポスト佐藤」(佐藤以後)を言わしめている。この「長期安定政権」は日本をアジア・太平洋の盟主として、確固とした地位をかちとるために“努力”してきたが、ドルショックと中国問題で対応力を失い始めたのである。
 戦後世界体制をつくり上げていたドル体制の危機の中で、日本資本主義は新たな安定した資本主義的諸関係を再編・確立するために、死活をかけた攻撃を開始している。
 それは労働者階級の一部をもまきこんで進められており、ますます議会政党化する社会党・共産党、ポスト佐藤の思惑をこめた社・公・民の流れ、そして労働運動に胎動している右翼帝国主義労働運動 JC・同盟・中立労連・総評をつらぬいて「大産業報国会」を作ろうとする動きとなってあらわれている。
 「本土の労働運動・労働者に期待を持っていない」と沖縄の労働者は語る。「そうだ諸君、我々も現在の労働運勧『指導者』など信じてはいない。だが沖縄の地からは見えなくても、諸君ど同じ苦痛をかかえ自らの解放のため苦闘している労働者は沢山いる。我々を信じてくれ、同じ悲惨の中に生きている労働者を」

二 ニクソン声明と資本主義の死の苦悶

 八月一五日・ニクソン大統領はまさに劇的な金とドルの交換の一時停止、十%の輸入課徴金、九〇日間の賃金、物価の凍結を中心としたドル防衛・インフレ阻止の新経済政策を発表した。
 この非常措置は六七年ポンド切り下げ、六八年のゴールドラッシュ、金プール制の廃止、金の二重価格制移行と続き、更に七〇年には「紙の金」といわれるSDRの創設にいたる、ひん死の状態でのたうちまわっていた戦後のIMF体制に破産を宣告したに等しい。
 すでに六八年の金の二重価格制移行の時にIMF体制は死亡宣告をいい渡されていたにもかかわらず、この間の世界的な高度成長を支えてきた世界貿易の拡大は、金に裏うちされたドルを決済通貨にすることで可能だったのであり、世界資本主義の維持強化のために「国際協力」によってなんとかIMF体制は維持されてきた。
 一九七〇年の世界貿易の合計額は六〇年の二・四倍、五〇年の五・一倍であり、鉱工業生産資数では六三年を一〇〇として、西独一五三、米一三五、カナダ一四七、日本二五八といちじるしい拡大をしめしている。そして、この拡大こそは、実は国際的信用紙幣としてのドルの一方的散布とでたらめな信用売りによってなりたっていたのであり、まさに戦後世界体制の経済的な高度成長はこのようにして、信用の極限的拡大深化によって可能になっていたのだ。
 こうした状況で、アメリカは、戦後二番目という二三二億ドルの赤字を含む七一年度超大型予算という景気刺激策=インフレ政策をとったが、設備稼動率七三%、失業率六%という情況はいっこうに解決きれずに、逆に国際収支で、一八九三年以来はじめての貿易収支赤字の年になるかも知れないというまったく、絶望的なスタグフレーションの深化を呼びおこしてきていた。(アメリカの失業者は実質的には一〇〇〇万人にもおよぶといわれている) こうした背景と情勢の中でニクソンの新経済政策の発表があったわけだ。ニクソンはその中で「米国製品が不公正な為替レートのために不利な立場におかれることのないようにする措置である」、「今や彼ら(各帝国主義諸国)も世界の自由を防衛する負担を公正に分担する時がきた。今や、為替レートを公正に設定し主要諸国が平等の立場で競争すべき時がきた。もはや米国は片手をうしろ手にしばられたまま競争する必要はない」語っている。
 これはニクソンが国内の失業とインフレの深化に直面して、その解決というよりも、アメリカでのこうしたスタグフレーションを日本をはじめ、全世界の資本主義諸国が共有化すべきことと、そのために、変動相場制への移行から、多角的通貨調整を10%の輸入課徴金という脅迫手段でおしつけようとしていることにほかならない。こうして、今や、全世界資本主義諸国のますます一体となった死に至る苦悶が本格化し、世界的な規模での労働者人民の決起の基礎は明確につくられつつある。

 三 円の変動相場制移行と資本の再編

 ドルの金との交換停止、10%輸入課徴金などの新経済政策により、日本経済のうけた打撃は大きい。もともと日本経済は本格的な停滞へ入りつつあり、所得政策の導入、低生産性部門のきりすてと高生産性部門への移行などが国際的規模でおしすすめられ、戦後の高度成長の終えんとその全面的な再編強化が、あらゆる領域で進行していた。
 今回のドル体制の破産はこの日本経済の停滞を決定的なものにし、そうであるが故に、全面的な全領域にわたる再編強化を暴力的にでも早急に貫徹する必要にせまられてきた。ブルジョアジーどもは、ドル体制の崩壊と円の変動相場制移行に直面して、「経営全般をみなおすまたとない絶好期だ」「経営の全分野にわたって見なおしをやりたい」(新日鉄藤井副社長)といい、通常のコストダウン努力ではとても固定費増を吸収できないという認識をしている。
 すでに新日鉄では鉄鋼の成長率が10%から6%に低下している中で、コスト引きさげを「パーフェクト五〇〇」(君津)、「アタック一〇〇〇」(八幡)、「スクラム一一〇〇」(釜石)、「ダツシュ一五〇〇」(名古屋)などというかたちでおしすすめ、二七億一六〇〇万円、鋼材トンあたりにして一四〇〇円のコストダウンをはかっている。さらに、新日鉄の直接関連会社(一九〇社もある)の再編成が、吸収、合併などをテコとしたシステム化、総合化=一貫化として推進されている。
 不況の色の濃い石油化学では、イラン、タイ、インドネシアなどの石油開発に本格的にのりだし、「石油戦争」の際に味わった苦い経験を再びくりかえさないことと、石油開発から石油精製さらには誘導品に至るまでの一貫石油資本への移行をはかりつつある。この石油資本の再編成にも石油開発公団など国家の強力なバックアップがあり、官民一体となった再編成が進行している。また石油化学業界の中でも最近、ボーリング場、ホテル経営、射撃場などのレジャー部門に進出する企業が増えており、不況の深刻さを表わしている(東亜合成化学工業、電気化学、鉄輿社、ラサ工業、旭化成など)。
 こうしたエチレン供給過剰、塩ビなどの過剰生産で不況が続いている石油化学産業ではいくつかのところでコンビナート計画にひびがはいったり、計画を延期するところがでてきている。 ドル体制の崩壊と円の変動相場制への移行はこうして全産業分野にわたる資本の再編成に拍車をかけ、資本にとって死活の問題としてむきだしの力をもっても採算のとれない低生産性部門のきりすてと一方、高生産性部門のより一層の一貫化、総合化という名のもとで、文字通りの労働監獄の完成へと向かわざるをえない。
 ドル体制の破産、円の変動相場制への移行以来あらわれているいくつかの事実をみてみよう。 自動車産業はトラックなどの比較的長期延べ払いものの商談が困難になる。またこの業界は外貨建て債権が一千億円あまりあるため仮に10%の切り上げがあれば100億円以上の為替差損ができることになる。頭うちの国内需要の減退と相まって、生産計画のねり直しにおいこまれるメーカーもでてくるようだ。
 造船産業では、日本の造船大手8社の輸出船対外債権残高はドル建て債権で約二兆円もあり、10%切り上げとして一七五一億円の為替差損が発生する。 日本独占の輸出依存は全売りあげの輸出比率でみて、造船で30・4%、精密機械30%、繊維22・4%、鉄鋼22・1%、自動車21・8%と非常に高い。こうした中で、ほとんどの産業で設備投資を縮少し、採用人員についても削減をしてきている。
 鉄鋼産業では45年11月から粗鋼減産15〜18%を行なってきたが、新日鉄では10月以降も現行の粗鋼減産率は継続されることになった。これに応じて、新日鉄の設備投資も45年度の約二二〇〇億円に村し、46年度当初は約二五〇〇億円をみこんでいたがこれを二二〇〇〜二三〇〇億円に縮少し、工事別には大分製鉄所の二号高炉着工をみあわせる。
 三菱自動車は岡崎工場建設計画を再検討、日立は生産計画を削減、三井造船も千葉工場の第二建造ドッグ、玉野造船所の20万トンドッグ建設を当分延期する。
 採用人員についても47年春卒業予定の中、高生の求人取り消し企業は76社(94事務所)一万五〇五〇人(労働省調べ)となっている。とり消しの最も多いのは電機関係の21社九一二一人、機械、三四七人人など、企業別でみると新日鉄は46年春二五〇〇名を採用したが47年は三〇〇人の予定。日本鋼管は46年三八三二人を一九三〇人にしぼる。日立製作所は46年六五〇〇人を採用したにもかかわらず、今年は中高卒者の採用を全面的に中止した。

 四 産葉再演成の中で深まる労働者の悲惨

 資本は、こうした設備投資の縮少、採用人員の削減だけではとても不況を克服することはできないとして、不採算部門の工場閉鎖=全貝解雇、人員削減などの合理化をうちだしている。 工場閉鎖は日本加工製紙(京都工場=46年10月閉鎖、王子工場=47年4月予定、東京セロファン紙(東京工場=46年末)十条製紙(十条工場=時期未定)中越パルプ(伏木工場=46年5月)など、さらに人員整理については、三井東圧、電気化学、日本合成化学などで出ており、特に三井東圧は一五〇〇名の人員整理ではとても足りず、最終的には四千名程度の人員整理になることが予測されている。
 こうした各産業、企業にとってお荷物となっている工場、業種をきりすてながら、それを前提にして、一方では資本の集中、合併が進行している。最近では第一銀行と勧銀の合併、三菱江戸川化学と日本瓦斯化学の合併、国策パルプと山陽パルプの合併、川崎重工と汽車製造の合併などである。 現在は、複合的な各産業のつながりが求められ、システム化の推進が中心課題になっているため、資本系列をこえた提けい、共同会社の設立なども活発になってきている。その一つは機電一体化であり、日立製作所(興銀系)と日立造船(三和銀行系)、東芝(三井銀行)と石播(第一銀行)、古河グループの富士電機と川崎グループの川崎電気の合併、川崎重工業と富士電気、富士通の提けい、三菱重工業と三菱電機、住友重機械と住友電工、あるいは、住友化学と昭和電工と日産化学で日本アンモニアの設立など。
 こうしてともかくも、生産の集中、総合化、一貫化が全産業、全企業の共通の一致点となり、労働者人民のさらなる抑圧、搾取を強めている。 不採算部門のきりすては一方、近代的工場への生産の集中をもたらし、コンピューターの下で、一分一秒までも監督支配される労働者を大量につくりだし、住宅問題、余か時間の利用などをテコに文字通り、二四時間総体を資本の下への深い隷属の中でおくらなければならなくなる。もしも反乱をくわだてようものなら配転され、あらゆる面で露骨な差別支配をうけ、それでも反抗すれば解雇するというパターンの完成なのだ。すでにほとんどの大企業においてこうした体制は確立されつつある。
 こうしたところでは、第一に総合人事管理制度が導入され、科学的な人事管理というみせかけのもとで、職務と能力が会社への貢献度を軸として判断され、いく重にも複雑にからみあった賃金体系、職務体系、資格体系がつくられ、文字通り、重層的な差別支配がつくりだされている。 第二に、労働時間のみせかけの短縮が、日経連の方針にそって、(1)生産をおとさない(2)人員をふやさない(3)コスト増を伴わないという条件で、作業能率の向上、出勤率の向上を目的としてなされており、短縮された時間は、余かの有意義なすごし方として会社の研修会や、QC、ZDなどに利用されている。
 最近では、労働者の「勤労者財産形成促進法」をテコとして、社内の住宅対策、持家制度の推進、企業年金の導入などをはかっている。こうした社会福祉面を強調し、特に持家制度をおしすすめることによって、新たな資本の下への労働者の統合と隷属をおしすすめようとしている。
 ところが、こうした合理化=近代化の結果が労働者にとって何んであったのかを明らかにしているものとして、労災、特に大型、死亡労災の激発がある。労災の現在の特徴は四〇年以降労災の減少傾向が鈍化するとともに労災が大型化してきていることだ。また災害率の最も高いのは中高年令労働者であり、これは、農村からのでかせぎ、転業、新しい合理化についていけない結果である。特に鉄鋼では44年90人が45年には一五〇人と激増しており、これは会社もいうごとく、四直三交替制導入の結果であることはあまりにも明白である。
 こうして、資本の全面的な再編成――きりすてと集中、集積――が力づくでも強行され、労働者の生活、労働条件を中心とした全生活領域が資本の手の下にもてあそばれようとしており、労災、職業病などの目にみえる悲惨も深化、拡大しようとしている。まさに今秋は、矛盾のブルジョア的解決がはかられていってしまうのか、それともプロレタリアートが解決能力を開示していくことができるのか、の二つに一つの結論が現実的に実体として、つくりだされようとしている時期なのだ。
 我々は、この矛盾のブルジョア的解決――これは労働者人民を深い絶望へとおとしこめていく道――を許すことなく、新たなプロレタリア階級としての共同(団結)の力で、資本の再編成を粉砕し、帝国主義労働運動に全面的に対決する、新たな労働運動の潮流を沖縄闘争の中で登場きせなければならない。

 五 労働運動の帝国主義的再編を粉砕し新たな労働運動を

 今秋は、労働運動をめぐる情況からいっても一つの決定的段階としてある。 すなわち、すでにみてきたように暴力的にも資本の側は工場閉鎖、人員整理と一方における集中集積を貫徹しようとしている。ところで、総評運動、特に民同左派運動がいまだ、一定の戦闘性をもって存在するところは、官公労を除けば、実はこうした古い設備、合理化の進行が遅れてきたところがほとんどである。
 現在の民間労働運動の実情を大ざっぱにみてみると石油化学での総評系は合化労連、化学同盟、紙パ労連、ゴム労連、全硝労の五単産、石油は全石油(純中立)に組織化されている。同盟は全化同盟、しかしほとんどの大単組は純中立、上部団体非加盟で存在しており、これらを中心として石油化学労組懇談会が組織されている。
 電機は電機労連(中立労連)にほとんどが組織化されている。
 造船は、造船総連(同盟)と三菱造船、日本鋼管造船、石川島播磨などで十人万を結集し、造船重機共闘、来年二月には造船重機労協を結成する予定。これに対して、全造船(中立労連)は一万四千人。
 鉄鋼は鉄鋼労連(総評・JC加盟)、繊維、電力は、ほとんどが同盟。自動車は、自動車労連(同盟)と全国自動車(純中立)で自動車労協を組織している。金属は全国金属(総評)と全金同盟(同盟)全機金(新産別)。
 このうち、化学産別については、全硝労がほとんど全国単産としての機能を喪失、紙パは今回の「ドルショック」による工場閉鎖、合併などでピンチな情況にたたされており、合化は住友化学が一年以内に合化を脱退することをきめたこと、もともとアンモニア系の肥料会社が多いことからピンチであり、円の変動相場制移行による工場閉鎖、合併は、総評化学単産に最後的な打撃を与えることになる。
 全造船でも最後のトリデ浦賀分会が、住友資本と帝国主義労働運動=造船重機共闘の手によって分裂させられ、四千二百名中約三千五百が二組へ流れた。これを契機にして、全金の中での住友系各労組にも弾圧が強まり、北辰電機、日本スピンレス、住友機会などで組織破壊攻撃をうけている。
 今や民間労働運動は、帝国主義労働運動と資本の攻撃の前に屈服し、なだれをうって帝国主義労働運動へと傾斜を深めている。石油化学においては、石化労懇、自動車は自動車労協、造船は造船重機共闘、電機労連の右傾化、同盟の電力・繊維という情況である。
 こうした情況は民間にとどまらず、官公労においても、国鉄のマル生運動、全逓の郵政合理化として、近代的労務管理が、暴力的に貫徹されようとしている。
 こうしてこの秋はまさに、日本の労働運動の今後を決定づけていく重要な時期としてあることは明らかだ。
 民同左派は、ここまでおいつめられてはじめて、一定の攻勢的展開を開始している。あるいは、攻勢的展開を余儀なくされているのだ。全造船浦賀分会における民連(浦賀民主化総連合)・会社一体となった組合丸がかえ攻撃に対して、全造船本部は、はじめて「民連解散、活動の即時停止」命令をだし、聞き入れないとみるや、大量(浦賀だけで70名)の権利停止などの統制処分を行なった。また、国会議員や、弁護士を大量に動員し、不当労働行為などの徹底した摘発、民連系の集会に対する阻止行動、連日一〇〇名以上の動員でのビラ入れ行動など、一連の攻撃的展開を貫徹した。そうした攻勢的展開により丸がかえを阻止し、分裂=二組結成へと相手をおいこむことができた。
 今、国鉄マル生運動についても弁護士・国会議員団などによる徹底した不当労働行為の摘発とマル生集会の阻止行動など、官公労においても一定の攻撃的対処がなされつつある。
 しかし、今の総評運動=民同左派運動ではせいぜいやれてここまでで、もう一歩今までの組合運動を出発点から生みなおし、新たな団結と闘いを職場からつくりだしていくことはできない。現在の資本の攻撃の内容を理解できず、その具体的に労働者に対して結果としてあらわれる新たな悲惨と苦痛、このことを問題にできない労働運動は、いかに外見的に戦闘的であろうと、勝利への展望をきり開いていくことはできない。
 資本の労働者支配は、大企業における労働市場の閉鎖性と終身雇用制を背景とした年功序列の賃金体系と職場秩序を物質的な基盤とした企業別組合の下で、貰徹されてきた。ところが、五三年からの技術革新=オートメーション化の進行と高度成長の中で、こうした古い労働者支配の基盤そのものがほりくづされていかざるをえなかった。すなわち若年労働力不足は、大企業における労働市場の閉鎖性を開放的なものとし、中途採用の道を開いたし、年功序列の賃金体系は必要なくなり、若年労働者に有利であると同時に、特に労働者を分断と競争の中にたたきこみ差別支配を実現できる職務職能給の導入がはかられた。年功的職場秩序も崩壊し、競争による資本への貢献度がそれにかわった。こうして古い熟練とそれを基盤にした団結は解体され、競争と分断がそれにかわり、バラバラにされた労働者一人一人の再度の資本の下への統合が、近代的労務管理をテコとしながら進行することになる。
 この再度の「資本の下への労働者の統合運動」が現在の資本の攻撃の環である。それが近代的労務管喝をテコとして強行され、労働者の新たな悲惨を拡大、深化している。
 この近代的労務管理の基礎となっているあらゆる合理化を粉砕せよ、なかんづく、新たな機械の導入を阻止せよ、そして、労働者の一切の苦痛からの解放をめざせ。このことぬきに、組織温存的に組織維持的に一定の攻勢的展開を行なう民同左派運動は無力である。
 今まさに、死に絶えんとし最後の対決へと入っている民同運動を止揚し、新たな労働運動の潮流を沖縄返還粉砕へ向けて登場させることが、今秋の我々にかせられた任務といわねばならない。
 明確にしておかなければならないことは、民同左派の現在の一定の戦闘性さえ、実は古い熟練労働社を基礎とした戦闘性ではなく、議会主義と産業政策の転換に深くのめりこんだ――その意味では敗北を前提にした――戦闘性であり全くのポーズにすぎないことだ。彼らはすでに労働者の苦痛、悲惨の根源としての合理化に全面的に対決することをあきらめ、あるいは放棄し、ズプズプの議会主義、社会民主々義として現在の佐藤内閣の危磯、暴力的な社会資本の再編の中で対決のポーズを一定の戦闘性として表現しているにすぎない。彼らのいう沖縄問題でのストライキとは、実はこうした深い議会主義と産業政策をめぐる闘いに傾斜したところのストライキであり 決して現在の労働者人民の新たな悲惨と苦痛の根源としての合理化と、沖縄返還を粉砕していく方向性をもったストライキではないのだ。
 我々は、こうした民同左派のストライキをその出発点から止揚し、文字通り、合理化に正面きって対決し、その労働運動の新たな潮流としての登場をもって、沖縄返還そのものの粉砕へ一歩でも二歩でも迫るストライキとして準備し、貫徹しなければならない。
 総評が準備している十一・一九ストライキをそうした観点からとらえかえし、極端化して突きだす中で、今秋からすでに開始されている来春闘へ向けた闘いの勝利的展望をひきだし、政治闘争の新たな飛躍を勝ちとらねばをらない。国労、全逓における、ポーズとしてのマル生運動粉砕を極端化し、ここを発射点とした拠点ストライキを我々自身の手で生みだし、全国に、あらゆる産別に波及させ沖縄返還協定批准を断乎として粉砕しょう!


V 沖縄返還を粉砕し労働者政府の樹立を


一 沖縄国会と既「革新」政党

 この秋の政治情勢は、日中問題・ドル・円問題、そして沖縄返還協定批准をめぐる問題で大きな混乱が予測され、佐藤内閣の危機がさけばれている。
 こうした中で自中問題を中心として社公民の共闘が組まれ、社会党石橋書記長は「自民党内の“反乱軍”とも一緒にやろう。佐藤内閣を打倒するためにはそういうグループとも組まなければならない」と日中国交回復内閣の実現へ動く気配である。
 九月七日、沖縄国会に向けて「倒閣」を目指し三党の共闘を強化するため「三党確認事項」がまとめられた。それは(1)日中国交回復決議案の成立(2)「返還協定には多くの環大な疑惑が存在する。政府は非核武装宣言の成立に協力し、対米交渉をやりなおすべきだ」(3)ドル切り下げ、課徴金の撤廃。中小企業への深列な打撃、沖縄県民の不安解消のために緊急措置を、という内容である。
 しかし日中国交回徹→佐藤内閣打倒→選挙管理内閣→総選挙→社公民・野党連立内閣樹立、という構想は何を意味しており、その上に闘かわれようとしている今国会では本当に労働者人民の苦痛は解決されるのか、また国会でそうしたことが解決されるのだろうか。一方日共は、「佐藤内閣打倒・民主連合政府の樹立」をかかげ、「革新首長」の増加や議員の数が増えたという「党勢拡大」の波にのり、社共共闘を提起して下から社会党支持層をパクろうと躍起となっている。
 この様に既成野党勢力は今秋を期して、自らの政治展望と七〇年代の方向性を「政府構想」として出してきている。いわば社公民の流れは反共国民統一戦線であり、日共は人民戦線派の流れである。(くわしくはWを参照)

二 沖縄返還では挙党一致の自民党

 沖縄国会を前にして佐藤は「批准には自信がある。復帰の条件にはいろいろ問題もあるが、それを十分審議すれば野党も沖縄が日本に復帰すること自体には反村できないだろう」と自信満々に語っている。野党側は「核抜き本土並みの条件をみたしていない」「ニクソン訪中・日中国交回復の波・中国国連参加の情勢など、日米共同声明の時と国際情勢は根本的に変化した。だから沖縄基地の価値はなくなった」或いは「核も基地もない豊かな沖縄を」とかゴチャゴチャ言っているが、佐藤の自信の前には、うつろな言葉としか響いてこない。
 沖縄返還に最後の政治生命をかける佐藤内閣は、自民党「ハト派」まで含んだ日中国交回復運動の大合唱に、くり返しゆさぶられつつも「台湾の国連議席確保」の逆重要事項提案国に踏み切り、六五年以来追求してきた日韓台米反革命臨戦体制の基本的態度を保持し、他方で「繊維問題の解決抜きに沖縄返還は保証されない」というアメリカの強い態度の前に、「日米対等・友好(イコールパートナーシップ)時代」をきり開くとして、繊維業界の反対を押し切って、繊維対米輸出規制の政府間協定を受け入れた。どんなに泥をかぶろうと沖縄返還だけは、自民党体制でやり切ろうと決意しているのである。それは資本主義の延命策だからこそ、日頃口うるさい財界は彼等の一部が繊維問題で打撃をうけても、日本資本主義全体の生命には替えられないとして、佐藤に沖縄問題の決着をつけさせようとしている。何が何んでも沖縄を強行突破させ、日中政策の破産をもって「全国民的」に佐藤内閣の葬送曲をうたおう、というのが天皇訪欧を媒介にした支配階級の政治プランだ。
 だから日中問題に焦点をおき、沖縄については返還の「有り方」のみを問題にするやり方は、政府支配者階級の手の内での闘いでしかない。日中国交回復促進議員連盟との協力を通して、自民党内「良識派」をも含んだ中道左派連立政権をと言っても、財界は自民党の分裂を許しはしないし、たとえそれが実現したとしても帝国主義ブルジョアジーの利害と衝突するものではない。むしろ激化する国内矛盾による労働者人民の闘うエネルギーを鎮静化し、なおかつ中国貿易を手に入れるためには、自民党政府の危機の打開として社公民共闘の手に、一時的に政権をまかせる位の余裕を支配階級は持っているそういう事態になっても資本家階級の労働指揮権・社会的権力は弱められるどころか、ますます強化されれていく。
 沖縄の返還そのものはいいことなのだ、祖国の下に「里子」に出されていた子供が帰ってくるのだという前提がいつの間にかつくり出されており、いかなる形での返還がいいのかという対立にすりかえられている。だが問題なのはその返還が、沖縄・本土の労働者人民にとって何なのかが明らかにされることだ。それは丁度、職場の矛盾・悲惨としての合理化を、合理化そのものはよいが、いかなる合理化なのかが問題だと、合理化に対する闘いを放棄し、産業政策転換闘争へと脱落し、合理化の結果に対する救済に躍起となっているのと同じ問題である。
 我々の沖縄闘争はこうした返還を前提としたものではなく、矛盾・悲惨の根源としての返還そのものを粉砕し、沖縄労働者人民の解放をめざす闘いでなければならない。

三 沖縄返還粉砕と労働者階級

 政府支配者は「平和的に領土が回復され沖縄が返還されてくる。結構なことだ」と、復帰自体には誰も反対できないはずだと、民族統一、国民の一体化という徹底して民族主義、国民主義、ナショナリズムを強調し、それをテコとして「国家統合」「国民統合」を完成させる。これが返還の中味だ。
 IMF体制の崩壊的危機に示される世界資本主義の危機と、構造的な停滞期に突入し「安定成長」路線をとらざるを得ない日本資本主義は、これまでの発展をささえてきた戦後的社会的諸関係総体を国の内外にわたり全面的に改編し再編していこうとしている。新全総、新経済社会発展計画・国民総背番号制、四次防、入管法等々六〇年代後半から七〇年代初頭にかけての政府ブルジョアジーの労働者人民に対する攻撃の一切はそうしたものとしてある。そして工場・職場では近代的労務管理を軸になされる首切りを含む大合理化の遂行。これらを通して労働者人民の団結を解体し、一方町内会組織、部落差別、朝鮮人差別などの古い共同体や差別意識を徹底して利用しつくし、団結の解体と共に相互の競争と分断を激化させ、一人一人をバラバラの個人に分解するなかで、「地域コミュニティー構想」などを通して国家の下に秩序づけ、抱摂していこうとする。一言でいえば 「国家の下への労働者人民の統合」だ。
 この事は沖縄でも進められようとしており、復帰対策要綱の中味はすべて沖縄開発をテコとした帝国主義経済体制の導入と、それを上から行政的に補完する「沖縄開発庁」の設置をもって、沖縄人民を日本国家の下に統合しようとするものである。
 一方沖縄返還をテコとしつつ「団を守る気慨」の強調、自衛隊の沖縄派兵、天災を名目とする海外派兵、国連軍参加のほのめかし、これら一切の裏づけとしての四次防。そして「経済大国」と「国益」の強調などで徹底して鼓吹されるナショナリズム。
 そうしたこと一切の象徴として天皇は復活した。対内的には国家の象徴であり、対外的には日本国民の象徴として、政治・経済・社会・軍事すべての象徴・帝国主義ナショナリズムの象徴として天皇は復活した。天皇の訪欧とニクソン大総領との会見、来年に予定されている皇太子の沖縄訪問など十分満足すべきものではないかもしれぬが、帝国主義ブルジョアジーにとっては「世の中はすべてよし」の状態として、「日本大改造計画」は着々と進んでいる。その環が沖縄返還なのだ。
 そして沖縄を通して日米を両軸とするアジア・太平洋圏の支配者階級の同盟を形成し、社会主義圏とアジア・太平洋圏各国人民の革命的蜂起に対する、反革命臨戦体制をしき、日本はアジアの七〇年版「盟主」たらんとする。佐藤が国連で敗北を知りつつ、台湾の「逆重要指定提案」に踏切ったのも単なる台湾への信義ではない。韓国、フィリピン・タイ・ベトナムなど各国が「逆重要」に踏切ったのに、日本が加わわらなかったらば各国支配者は動揺し危機にひんする。だからこそ、アジアの盟主としての利害を貫徹するために踏み切ったのだ。
 支配階級が民族・国家をテコに国民統合をすすめている時、それを前提にした闘いはいかに戦闘的であっても、結局それは反帝ナショナリズム左派であり、ブルジョア株序の中にくみこまれていかざるを得ない。労働者階級には何故、国境がないのか。それは労働者の苦痛と悲惨はあらゆる被抑圧階級の凝縮であり、すべてである。それは資本主義が民族や国家を越えて世界的に成立するのと同時に資本主義による結果としての悲惨を通して、全世界的に共通の悲惨を共有するからだ。沖縄返還による労働者人民の更なる苦痛の深化は、悲惨からの解放を求めて、返還粉砕、自民党政府打倒・帝国主義ブルジョア政府打倒、労働者政府樹立・へと必然的に進まぎるを得ないのだ。


帝国主義ブルジョア政府打倒・七二年沖縄返還粉砕・自衛隊派兵阻止・協定批准実力阻止・プロレタリア政治闘争を闘い抜こう!

 帝国主義ブルジョアジーによる狂暴な暴力支配と社会秩序の重圧の中で、階級的革命的運動そのものを抹殺せんとしている日帝のワクを突破して、今こそすべての職場・工場・学園・地域からの決起を開始せよ。
 反戦青年委員会運動の怒とうの波は、七〇年六月安保決戦のあとひいたかに見えるが、そうではない。更に一層鋭くこの帝国の支配の根源に対し、ゲリラ戦を闘っている。危機におぴえる敵階級が、「アジア・太平洋圏」安保の発動としての反革命的国際連帯の一層の強化・再編をもってしか生きのびれないとさとったとき、国家権力の暴力的社会再編を、三里塚・沖縄を頂点として、あらゆる社会的領域で進めている。全逓で、国労で、全電通で、さらにあらゆる民間産業において、近代的労務管理と生産性向上運動・帝国主義右翼労動運動に対決し闘い抜いている。
 その上で国家の強権的統治機構の再編に抗し、叛軍・入管・反弾圧と、その領域での攻撃に対し、団結の内実を深めつつ闘い抜いている。
 これらすべての闘う青年労働者・学生は今秋批准国会を死力をつくして爆砕しつくすために闘い抜かねばならない。
 この事をもって、自分の身体に帝国主義の差別支配の傷をつけられ、なおこれを克服して決起する沖縄労働者人民、在「本土」沖縄人民と連帯し、こたえ切っていく事が可能なのだ。だから我々の闘いは、まず徹底的に七二年沖縄返還の攻撃がいかなる攻撃であり、我々労働者階級にとって、その存在、運命と深くかかわり合っているのかを知ることである。
 このような攻撃を打ち破るために、職場生産点からの政治ストライキに昇りつめる反乱を開始すること、たん的にいえば、職場スト実をあらゆる階級的・戦闘的な芽を汲みつくして組織すること。これらの行動委を地区的に結びつけ、本土プロレタリアート、在「本土」沖縄プロレタリアートの連帯を条件としつつ、他の諸階級・諸階層をも含めて、七二年返還粉砕・自衛隊派兵阻止・国会批准阻止政府打倒の共闘をつみ重ね、築き上げること。当面、七〇年安保崩争を最も戦闘的に闘い抜いてきた反戦青年委が軸となってゆくであろう。

 この全国的政治潮流は、社公民の「日中国交回復野党連立政権構想」・日共・民青の「民主連合政府構想」に対決しつつ、これらの小ブル的限界を越えて闘い抜くためには、帝国主義ブルジョア政府を深部から揺さぶり、協定を批准することができないような所に追い込んでゆかなければならない。この事は単純にポスト佐藤の思惑にのっかった「佐藤内閣打倒・第二ブルジョア政府の実現」ではなくして、帝国主義ブルジョア政府の打倒=自民党政府打倒・労働者政府樹立の闘い、として頑強に闘われなければならない。


闘う青年労働者の自立的・自主的闘争機関(反戦青年委)の更なる力強い建設を軸として全国に階層・戦線を貫く七二年沖縄返還粉砕共闘を生み出し批准時・首都に集中し、国会包囲――制圧闘争を闘え!

 全国の闘う青年労働者・学生諸君!いつまでも一人一人の闘いをぼうとくし、階級としての自主的自立的運動をさまたげている部分を許しておくわけにはいかぬ。労組幹部にせよ、社共にせよ、「新左翼」内の一部に至るまで、闘わんとする者が、自ら決定し執行する事の可能な、即ち自らの運命を誰の手にゆだねることなく、自らの手に握りしめんとする部分が力強く登場し、激しく闘うことをさまたげることはできない。もしそれを許すならば、結局ブルジョア共の手の内に再びくり込まれてしまうしかないのだ。
 徹底的に自己と階級の運動に関して、この歴史的分岐点に於て、いかなることが問われているのかを討論し、自らの力において一人でも闘いを開始し、「政治権力に集中する職場・学園・地域からの総反乱」に一切の努力を傾注せよ。批准時に至るまでに全国を貫く支配の系統図を揺がし、枇准を強行せんとするならば、首都に総結集して闘い抜こう!


W 沖縄日中問題をめぐる諸党派批判


(1)社公民共闘=反共親独占国民統一戦線

 この流れは産業合理化の貫徹、近代的労務管理の導入を通して確立されんとする労働者の重層的差別支配、近代的身分制の中の職制労働者層の利害を中心に、大ブルジョアの優遇措置からはずされ自民党政府との亀裂を感じ始めた没落農民や都市小市民層をつなぎとめている。
 前者は「右からの労働戦線統一」を推進する部分であり、生産性向上には積極的に協力し分配の段階で少しでも多くの分け前にあずかろうとして労使協調路線を意識的に推進する。帝国主義ナショナリズム、国民統合に自らを組みこんでいく。帝国主義社民。
 政治的には民社党に代表されるが、反戦排除以降、社会党も総体として(成田・石橋の社民中央派が新江田派に引きずられる形で)ほぼ同一の歩調をとらざるをえない方向にある。
 後者は創価学会・公明党に収約される。没落中間層のもつ地域的縄張りにそって、都会の孤独な青年大衆の心をも把えているので大ブルジョアに対しては一定の戦闘的ポーズをとる。昨年四月の京都府知事選での「自公民連合」による敗北以降、急速な「左旋回」を開始した。野党再編論から共闘三原則((1)憲法・議会制度の擁護(2)反安保・日中国交回復推進(3)国民福祉優先の経済)の提言。竹入の訪中と、公明党と中国との共同声明調印(七月二日)。共同声明では「ひとつの中国」論がうち出され、沖縄返還協定反対、米軍の台湾占領、インドシナ侵略に対する非難がうたわれた。六月参院選での社公民共闘の成功をくぐり、彼らは自民党の「自己完結的政府党としての衰退」を見てとり、同時に美濃部の足もと東京でついに議席を失うという「日共に食われていく社会党」に連合政権の幻想を与え、その背後からファシストとしての本格的な登場の時をうかがっている。
 七月一日開催された総評拡大評議員会は、政党支持をめぐってこれまでの社会党一本支持を改ため「社会党を中心とする革新勢力を強化する展望に立って、政策を中心として協力関係のあり方について検討を開始する」とし、社公民共闘の一翼としての社会党支持に変更した。また全民懇の幹事会は「社公民協力が定着した」とし三党の書記長を招き、「三党協力を中心とする大胆な政権構想を提示する」としているのである。

(2)崩れゆく総評民同・社会党ブロック

 七月三一日から五日間、開催された総評第四二回定期大会は改めて戦後労働運動のナショナル・センターとしての総評の混迷と崩壊の危機をさらけ出すものとなった。
 合理化、生産性向上には反対するといいつつも結果としてそれを認め、それと引きかえの賃上げと労働条件の改善で労働者の「よりよき生活」の防衛に努力してきた総評(民同左派)の「戦闘性」の基盤そのものが解体されるところまで工場内・社会内分業の帝国主義的改編は進んでいるのだ。資本との戦闘性という事を含む「統一四原則」を基軸にすえながらも右翼的統一に屈する単産が増え、政党支持については社会党への絶望、不満が増え、社会党・総評ブロックという戦後労働者運動の中軸は崩壊に瀕している。
 だが民同左派、官公労の拠点である国労にマル生運動を通しての組織破壊攻撃がかけられ、また、今春闘の中で芽を突き出してきた分業そのものを桎梏と感じる暴力的エネルギーや沖縄ゼネスト等に突きあげられ、ドル・ショックによる経済の先行き不安で鉄鋼・繊維・電気・自動車など輸出関連の企業組合が多い「統一」運動の停滞も受けて、一定の左からのまき返しがはかられている。 今秋期段階では十一月中旬沖縄ゼネストと連帯しつつ年末一時金、反合、生活要求、「沖縄返還協定反対・全面返還」を結合させて最低一時聞のストを構えるとしている。社会党はこれに呼応し「一〇・二一全国統一行動を第一波として沖縄国会段階における高原闘争を展開する」とし、反安保実行委(沖縄連)、日中国民会議などの連合した体制でとりくみ、十一月中下旬に沖縄上京団を含む全国から国会に結集する統一行動を、とたてている。院内では社公民、院外では社共共闘というふうに動揺しつつ、これらの闘いを社会党の独自活動を前提とし重要なヤマ場における反自民の幅広い統一行動を呼びかけるなど「平和と民主々義を守る闘い」の復権を夢みており、いわば社会党・総評ブロックの最期の抵抗といえる。
 我々は彼らがいかに戦術的に左翼的ポーズをとったとしても、それはしかし「極左」を排除した上での、戦略的には右へ傾いていかざるをえないものであることを明らかにしなければならない。国民主義的議会主義の院外プレッシャーとしての社民型ストライキは今や、労働者大衆自身の戦闘的政治ストによって踏みこえられねばならない。我々は労働者階級のエネルギー!を「倒閣国民運動」の物理力と化し、今秋期闘争を六〇年安保闘争の小規模な再現に終らせようとするこのブロックの死に水をとりつつ、政府打倒へ迫るのだ。
 なお左翼的言辞をまき散らしながら、実践的にはこうした「平和と民主々義を守る闘い」の国民的昂揚にすがりつき、その青年親衛隊にすぎないのが社会主義協会向坂派「社青同」であり、革共同革マル派である。

(3)人民戦線=反帝民民=日本共産党

 日共は佐藤内閣の危機、社公民共闘の動き、新左翼諸潮流の分岐の拡大などを読み込みつつ、本格的に人民戦線型の権力基礎をこの「激動の秋」を通して打ち固め、政府権力問題に迫っていこうとしている。平和・中立・民主・生活向上の統一戦線を結成し、七〇年代の遅くない時期に民主連合政府をうちたてるという構想であり、「革新首長」の増加など党勢拡大の波に乗り「この力を民主連合政府へ」と政治的熱気を帯びている。
 安保破棄が革新共闘の基軸であるとし、社公民共闘を「半自民」の安保肯定共闘であると批判し、とりわけ民社党に集中砲火を浴せている。日中問題については中国派を党内から一掃したいまでは、党と党の関係と国と国の関係は別だとし、独自の国交回復運動を進めようとしている。日共が共闘原則に日中問題を入れていないのは反動的だと社会党からは批判されている。また「日共打倒」を唱える日中友好協会正統本部をふくむ「日中国交回復国民会議(社会党・総評系)」の扱いをめぐって社共「一日共闘」も揺れている。
 こうした現状から今秋の政治焦点を沖縄返還協定批准阻止――倒閣に置く。返還協定は日本全土を沖縄化(核基地化)するから「第二の安保改定」であるとし、核も基地もなく、県民の犠牲を完全に賠償させる「真の祖国復帰」を実現するため「全面返還協定」の締結を要求する。平和で豊かで民主的な沖縄県の建設。国民的危機感をアジリながら「激動の秋」へ向けた活動を開始している。
 しかし一切が安保破棄を通告できる民主連合政府の樹立にかかっており、何故ならすべての矛盾の原因は安保条約にあるからとされる。ドル防衛による円切上げも日米経済協力をうたった安保第二条が原因だという。労働組合においては諸要求を階級的に結びつけることは統一と団結の破壊であり、民主連合政府への最短距離は政党支持の自由をかちとることであり、美濃部や屋良の革新首長を擁護することであるという人民戦線型労働運動である。
 労動組合を始め、一切の現実の人間の生きた活動は民主連合政府およげ「党」のための手段でなければならないのだ。党と統一戦線の関係はここでは主人と奴隷の関係である。「民主連合政府は社会主義権力ではない、しかし人民は権力をとる前にも選挙によって統一戦線政府を作れるという国際的経験」を日共は強調する。だが帝国主義支配の危機が深まりファシズムが台頭してくればくる程、労働者階級を小ブル的利害の物理力化しファシズムと戦争の血の海に沈めてしまう、このことこそ我々がフランスやスペインの人民戦線政府から学ばねばならぬ国際的経験ではないのか。ファッシズムにはただコミューンを!

(4)人民戦線左派=反スタ・スターリニスト=革共同中核派

 六月沖縄返還協定調印阻止闘争のまっただ中で「返還粉砕派」と「本土復帰・奪還派」という形で全国反戦・全共闘は分岐再編の過程に入った。中核派がその破産を必死に隠蔽せんとした「沖縄奪還論」とはいかなるものなのか。「十一月決戦」以前は次のようなものであった。日米両帝国主義の強盗的同盟は沖縄をアメリカが支配することによって成立しているのだから「返還」される事はありえない。だから沖縄県民の「祖国復帰要求」をつきだす事は日本帝国主義の致命傷になり、日本革命への最短距離である、と。しかし日米共同声明によって「七二年返還」を日米両支配階級が合意してしまうと、それは「ペテン的返還政策だ」と居直った。沖縄県民の「本土復帰・基地撤去」の切実な要求を踏みにじる返還であり、だから真の返還=奪還をかちとらねばならず、それが日本革命の過渡的綱領的位置をしめる、と手直しした。
 彼らは奪還すべき「本土」でいかなる帝国主義的政治社会秩序の改編が進行しているかを見ようとしない。そういう変化が起きたからこそ、沖縄人民の要求をことごとく踏みにじる「返還」が必要になったのだ。アジア反革命戦争とファシズムへの突撃の砦としての七二年返還。これが日米反革命階級同盟の合意なのだ。現在彼らは反革命階級同盟を全く認めず帝国主義間対立が激化しており、沖縄奪還闘争は永続的闘争であり、今秋期闘争は侵略を内乱へ転化する絶好のチャンスであるとしている。しかし新全総――復帰合理化、資本への労働者の絶望的隷属をカッコに入れた内乱などは空語でしかない。
 つまり中核派は内容的には社共の路線のまま「本土復帰」のエネルギーにのっかり、外観だけ戦闘化するという反帝ナショナリズムであり人民戦線の左からの補完物にすぎない。彼らは決して自らの隷属を問題にせず、観念の世界から地上の現実を受けとめ、告発していく小ブル・インテリの宗派であり、大衆運動の政治的利用主義である。自分たちに都合のよい糾弾だけを受けとめ たとえば返還粉砕をいう沖青委(海邦)に対しては、中核のヘルメットを脱ぎ沖青委(山城)のヘルメットを着け「沖縄県民」に化けてテロ暴行を加えるという、自分をのりこえ革命化していく者には武装戒厳令をしく反スタ・スターリニストである。
 我々は反戦青年委運動を小ブル的に固定化せんとする中核派・第四インターの全国反戦僭称を粉砕し止揚し、本土・沖縄を貫く労働者政府樹立に向けてせせこましい「内乱」ではなくプロレタリア・ソビエト運動をもっての「蜂起の地平」を切り拓かねばならない。
 以上、民社党から革共同中核派まですべての「反政府党」が批准反対→倒閣のアジテーションを行なっている時、我々はこれらの小ブル諸潮流との断乎たる分派闘争にうちかち、深まりゆく帝国主義支配体制の危機と階級的亀裂を更におし拡げ、プロレタリアートとしての解決能力を即ちプロレタリア統一戦線とその政治権力を現在的に準備し突き出していかねばならない。問題は「次期政権を誰がとるか」ではなく、こうたてられねはならない。「危機の小ブル的解決か、プロレタリア的解決か」と!


闘争宣言

沖縄青年委員会(海邦)

 全ての沖縄人は今こそ決起せよ! 屈服の歴史を斬て。我らの解放は闘う沖縄の勝利の力なり。 「隣人と思えば乗ぜられる。敵と思われれば暴動が起こる。慎重を期せ。本性を表わすな」明治十二年、琉球処分官松田道之は、大軍を率いて沖縄に出発する時、こう訓戒した。かくして沖縄が日本に併合された。今再び国家意志は、その言葉通りの本質で、更に強力な物理力で沖縄を破壊解体し、沖縄「県」をつくらんとしている。日本国家による沖縄支配は、沖縄の類似県と比較しても八倍以上の差別的租税の収奪となり、同時に国家財政を一切沖縄に還元しない中で沖縄を極度の貧困に陥しこめた。かつ日本資本の徹底した沖縄収奪の中で、ソテツ地獄と呼ばれる悲惨な飢餓社会を構造化した。そして沖縄人を皇民として侵略に駆り出す沖縄戦では、多くは日本軍によって沖縄人の非戦闘員が虐殺されて二十数万の死者を出した。沖縄を焦土と化した沖縄決戦と第二次帝国主義戦争の敗戦によってなおかつ生きのびた。アメリカ帝国主義と共同し、朝鮮戦争、ベトナム戦争等で人民の流した血を貪欲に飲みこんで日本帝国主義は侵略として復活した。その二十数年間沖縄人民は、日本の政治の過程から全く分離され、特殊な軍事監獄にたたきこまれてきたのだ。
 我々は七〇年七月八日、東京タワーで決起し、日本国家権力に刃を向け、日本人への告発を展開し、熾烈な裁判闘争を闘い抜いている富村順一氏の闘いをうけとめねばならない。「日本人よ、君たちは沖縄のことに口を出すな」という富村氏の主張は、日本人と沖縄人の矛盾を曝き出し、形骸化した連帯を断ち切り、より深い連帯を模索する道へ向かわせている。六九年日米共同声明の宣言を前後して沖縄の問題が日本の政治過程に登場したのは、あくまでも米帝のインドシナにおける敗退の帰結として、日本帝国主義の延命のために軍事派兵と国内体制再編の政治的・軍事的・経済的・思想的テコとして必要となったことに他ならない。沖縄七二年返還は、日帝の軍事的強化――進出のための拠点基地として沖縄が指定されたに過ぎない。沖縄返還はそれ以外のものとして見ることはできない。
 国家は沖縄人民に対して徹底的に差別し、「よりよき国民となるために」という形で抑圧支配を貫徹し、侵略の尖兵とせんとしている。この支配の構造は形態を変えながらも一貫して推進されんとしている。
 七二年沖縄返還は、日本帝国主義の沖縄人民への恩恵として誇張されており、返還に伴う沖縄人民の苦痛は、その恩恵に報いるために耐えしのべという発言が、当の政府官僚どもによってなされているではないか。
 七〇年代日米帝路線の基軸である七二年返還の現実の進行は沖縄人民にとっていかなるものとしてあるのか。行政機構の一体化、即ち政治過程における系統的支配統合の強化としてある琉球政府――県庁への移行の中で、必然的に進行する官公労三千人首切り(それは同時に全軍労と並ぶ沖縄労働運動の背骨を砕く攻撃としてもある)、同様の問題として全専売労働者、全逓、自治労、教育労働者、交通労働者への全員又は大巾な首切り、合理化、支配強化。「日本大資本の流入→支配による民間の全ての中小企業の合併又は倒産、合理化とその労働者への犠牲の転嫁、沖縄農業の大半を占めるサトウキビ、パイン産業の全工場の大合併による沖縄農民の全一的支配、サトウキビの買いたたき、農民の半プロレタリア化、本土商品の流入、ドル危機、税制、関税、自由化の問題は、中小市民をもまきこんで経済生活を破壊していく等々。七二年返還は単なる「ペテン」ではなくて現実に全社全的に不可避的に全沖縄人民の経済生活、権利、団結を破壊し、混乱させ、のみこもうとしているのである。
 この沖縄の現実、人民の苦悩と闘いの飛躍と決意を無視することは許されない。沖縄人民の一切の歴史の苦痛の根拠は、帝国主義矛盾の犠牲としてある。沖縄問題の本質は、軍事基地という桎梏にがんじがらめにされているところに起因する。軍事基地は沖縄人民の永い将来を決定するものとして沖縄の全島をおおいつくし、土を、人民の生活をむしばんでいるのだ。一切の水資源を米軍に奪われた沖縄の干バツの苛酷さをみよ。それ故、我々の闘いは帝国主義の鉄鎖を断つアジア解放闘争の物質的根幹をなすものとしてあるのだ。七二年返還攻撃を粉砕する重要な闘いの質として、日帝の尖閣列島略奪阻止闘争が鋭く迫られている。
 我々の沖縄解放の道は、日本――大和への叛逆とアメリカ帝国主義の軍事支配との対決以外にはないのだ。沖縄人民の強固な団結とアジア人民との連帯をかちとらねばならない。沖縄人民の対決している敵が、日米帝国主義という全アジア人民の共通の敵であるからだ。まさに我が沖縄が、帝国主義のアジア侵略反革命の最大拠点となっている以上、我々の任務は重大であり、かつ困難である。
 沖縄人民を「県民」と呼称し、それに何らかの意味を附与して革命的様相をつくろわんとする部分の犯罪性は明らかであり、闘う沖縄人としても許すことはできない。
 我々は、沖縄解放闘争を闘う主体として日本プロレタリアートに必死に提起する。沖縄屈辱の歴史として帝国主義が宣言しようとする返還協定批准を断固阻止せよ!
 七二年返還を粉砕せよ。日本――沖縄解放の歴史の分岐がここに問われている。

 我々沖縄青年委員会(海邦)は、九月二十九日の沖縄青年集会の成功と本日の闘いによって、秋の協定批准国会闘争――一〇・二一全国大統一行動に突入していくことをここに宣言する。
 日本軍の沖縄上陸阻止! 天皇の沖縄訪問粉砕! 富村さん即時奪還! 返還協定批准阻止! 日帝の七二年沖縄返還粉砕! 一〇・二一大統一行動勝利! 沖縄解放!

 全ての沖縄人は団結して決起せよ!

一九七一年十月三日
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10・21大統一行動への参加呼びかけ

 沖縄青年委員会(海邦)


 我々沖縄青年委員会(海邦)は、9・29沖縄青年集会と、10・3沖縄青年総決起闘争をかちとり、協定批准国会に向けて断固とした闘争宣言を発した。我々は日本プロレタリアートに沖縄七二年返還粉砕を10・21協定批准阻止の全人民的決起で闘うよう必死で呼びかける。 日本帝国主義国家への沖縄の統合=七二年返還は、日本――沖縄――アジア人民にとっていかなるものとしてあるか。インドシナでの敗北と国内危機、ドル危横にあえぐ米帝は戦後世界支配の盟主たる基盤と権威を失い、あれこれの手直し的政策で延命を図っている。だが、それは帝国主義の本質として更なる支配の強化とアジア人民への犠牲の転嫁としてなされる。GNP第二位としての日帝は、労働者支配の強化と地域住民の下からの右翼的組織化。上からの権力機構肥大化と緻密化による暴力装置の強化を軸とした支配管理機構の合理化、強化。経済の産軍一体化の拡大と、教育、マスコミ、文化、医療等の統合。等々……。
 侵略帝国主義としての国内体制の再編が全社全的に推進されつつある。米軍体制の補完と日帝のアジアへの侵略反革命の拠点としての日本軍沖縄派兵を中心とする、沖縄の統合およぴこれを社会的基盤とする日本――沖縄での復帰=民族悲願の右翼ナショナリズム運動の形成、これが七二年返還である。
 この沖縄七二年返還を中心軸とする日帝七〇年代路線に既成革新政党は、ただポスト佐藤の思惑をひめた議会内野党としての小ブル運動をくり返すにすぎない。のみならず、体制の左からの補完物としての復帰=奪還派は、全てを破壊し、悲惨を生み出しつつ荒々しく進行する七二年沖縄返還の現実について一切闘う展望を提起しえず、「行動」左派としての乗り切りと、日帝の論理に従った沖縄の県民化運動を組織の一体化=系列化運動としてなしている有様である。政府とマスコミは、かかる国民運動派をも包摂しつつ、民族悲願達成の大キャンペーンで秋の国会批准を強行せんとしている。「返還協定には多くの不充分性と問題がある。佐藤内閣の責任は重い。国民の努力で解決すべき問題が山積みしている。しかし七二年返還そのものには誰も反対していないし、してはいけない」という日帝マスコミの論理に復帰奪還派が何ら対決しえない中で今国会が開催されんとしている。
 日本の全ての闘う人民に訴える。
 「復帰か返還粉砕か」はマスコミがワイ小化せんとしているように単なる新左翼内の党派闘争の問題では決してない。沖縄を根こそぎ破壊する佐藤の現実、日本――アジアにとっての七〇年代階級闘争の質を問う問題として重く迫っている。
 我々は、はっきりと断言する。「七二年返還と対決しえない日本人民の運動は、無意味であり、敗北である」と。協定不満派としての復帰後の七二年返還の枠の中での運動に対して、返還粉砕派は、いまだ沖縄問題における一政治潮流としても本土においては登場しえない痛苦な現実をはっきり見なければならない。沖縄問題における復帰=屈服派と、返還粉砕派の分岐を鮮明にさせ、10・21大統一行動を準備する中から、徹底した大衆的討論で全人民に深化・浸透させ、強大な共闘機関をめざしつつ、10・21大統一行動を広汎な結集で闘い抜かねば、今日の主体の危機を突破できないであろう。

 権力の狂暴は暴力支配と社会秩序の重圧の中で左翼運動そのものを抹殺せんとする日帝の枠を突破して、今こそ全ての職場、地域、学園から決起せよ。七二年返還粉砕の巨大な全人民的政治的登場の中から秋の批准国会を爆砕せよ。10・21大統一行動を労働者、学生戦線、市民団体、入管、叛軍戦線等、全ての闘う人民の総結集で貫徹し、十一月初旬の批准を爆砕せよ。全ての闘う人民の総結集と共闘の中から大衆的・戦闘的に七〇年代を永続的に担いうる強固な統一戦線は結成されるだろう。
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