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■上■ 議論の原点と焦点 「人民」に該当する県民/独立国家の権利有する 島袋 純 「沖縄には、沖縄のことを決める自己決定権がある」。もはや選挙の宣伝文句で何度も使われるスローガンの感があるが、実際には何も決定できているように見えず、いったい何を決める権限なのか、皆目分からない。真正面から「自己決定権」という「権利」そのものについては議論せず、それぞれ自分の主張に都合のいいよう使うので、同じ言葉なのに相互に理解し合えず議論が全く噛み合わない。したがって、「自己決定権」を言う場合、最低でも出発すべき議論の原点と、焦点を定める必要がある。 国際法で明文化 「自己決定権」の原点を国連憲章や世界人権宣言で述べられ、国連総会決議等を経て一般国際法として認められ、国際人権規約(1966年採択、79年日本批准)1条において明文化された権利に置きたい。それは、「すべての人民は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する」である。 つまり、地球上の「人民」に相当する集合体は、独立した主権国家を構成することを含めて、政治的地位を自由に決定する権利を持ち、自分たちの経済、社会、文化の発展について自由に追求する権利を持つということである。いいかえれば、主権国家の最高規範である憲法を制定する権力を持ち、自分たち自身の主権国家を構成することができる人々の集団ということである。 問題の焦点は、沖縄の人々がこの「人民」に該当するか否かである。私の答えはYES、沖縄の人々は、国際法上、主催国家を構成しうるという「人民」に該当すると考えている。つまり、元来沖縄の人々には、独立して主権国家を構成し、外交も防衛も独自通貨発行もすべて自分たちで決定し実施する権利があるということである。 独自性への思い 権利があれば現実化するということではない。現実は、まったく逆である。むしろ、日本の政治も法律や制度も言説もさらには教育も、沖縄の人々が「人民」であるということを完全にあるいは巧妙に否定する形で構築されている。 このような否定は、換言すれば、特定の人々に対する主権国家の構造的な抑圧と言える。この半世紀、抑圧された人々の解放と政治的自由回復が国際社会の最も重要な課題となったからこそ、「人民の自己決定権」は、国際法となったわけである。 国際法に「人民」たる条件の厳格な規定があるわけではないが、近年の先例として「人民」に相当するとして、特定の主権国家の一部として属していた地域およびその住民が、新たな主権国家として国際社会で承認される事例が多く存在する。それを一つの基準とすれば、おおよそ「人民」の現実的条件が分かる。 第一におおよそ19世紀に、先発の主権国家である欧州諸国の領土として、そこに住む人々の意思とは無関係に強権的にそれ以前の独自の国家や統治機構を廃止されて組み込まれた人々がこの条件に該当するとされた。 第二にそれ以降も、異なる法・制度、異なる権利保障の状況に置かれ続けた事例が多い。イングランドのスコットランド統合、アイルランド併合、そしてさらに世界的な植民地拡大のように、欧州の主要な主権国家は近隣の小国家や周辺地域の政治的自由の剥奪(主権剥奪)から出発して拡大し、世界中のすべての土地と人々を分割するほどの規模で拡大した。 第三に、このような人々がその社会独自の歴史や文化の共有と継承を願い、政治的な主体としてそれを実現していく思いがあるかが鍵となる。 この半世紀は、抑圧された地域の人々が「人民」たることを宣言し承認させ、次々と主権を回復する時代となっている。 主催回復の潮流 近年、東欧では多くの地域の人々が主権国家として独立を果たした。英、伊、西など西欧諸国でも国内の周辺地域の「人民」による主権回復の運動は激化し、多くの主権国家ではそのことを承認することによって連邦的な仕組みが導入された。 たとえば英国の北部地方スコットランドは、まがりなりにも独立王国であったが建国以来イングランドの影響下にあり1707年には完全に主権をロンドンに奪われる。 が、その後も独自の文化・法制度を保ち、主権の回復を目指す運動は継続した。 1989年には国会議員等からなるスコットランド憲法制定会議が形成され、そこでスコットランドの人々が政治的自由を有する「人民」であり、その権利に基づき、新たな自身の統治機構を作るという「権利請求」が採択された。 ブレア政権はこれを認め99年、スコットランドは主権の大半を回復した。現在では外交・国防を含む完全な主権回復、すなわち主権国家としての独立を目指す政党が政府を担っている。 沖縄の人々がスコットランドと同じく、このような権利を持つ「人民」に相当するということになんの不思議もない。政治家や学識者のみならず報道も、この点をこれまで曖昧にしてきた。この論点を省いた自己決定権の議論は、むしろ権利を霧敗霧消、あるいは否定する役割さえ果たすことに注意しなければならない。 (沖縄タイムス20100714) ■中■ 独立という選択 国家の差別からの脱却/9条引き取り平和な島へ 松島泰勝 なぜ琉球(奄美・沖縄・宮古・八重山の各諸島)は独立しなければならないのか。鳩山由紀夫氏は、総理大臣として初めて在沖米軍基地の県外移設を約束したが、結局は琉球人の生命や生活よりも日米同盟を選んだ。普天間基地をめぐる混乱で明らかになったのは、ほとんどの日本国民は基地を受け入れず、琉球人を犠牲にして「日本国の平和と繁栄」をこれからも享受しようとしていることであった。琉球が日本国に属していては、未来永劫、日本国の「掃溜め」として利用されるだろう。 「領土」の呪縛 琉球は「日本復帰」を選択したが、自己決定権の行使は1回で終わりではない。状況を変革する必要があれば何度でも行使できる、国際法で認められた民族の権利である。かつて独立国家であり、現在も政治経済的に差別されている琉球が当然もっている権利である。 民族の自己決定権は、領土保全を求める国民国家の立場と対立するとの議論がある。日本政府は「復帰」前に琉球を「日本固有の領土」とし、「本土返還」を求めた。しかし琉球は別の国家であったのであり、「固有の領土」ではなく、日本政府は領土保全を理由にして琉球人の自己決定権を否定できない。米国の住民は英国から独立する際、「代表なくして課税なし」と叫び、英国からの独立運動を展開した。 琉球の住民は日本国民として納税の義務を負っている。しかし、国会には琉球から少人数しか代表が派遣できず、数の暴力により米軍基地の固定化が進められてきた。琉球に対する国家ぐるみの差別から脱することが日本国の中ではできないのである。 人口が数万、数十万という琉球よりも人口が少ない太平洋諸島はなぜ独立の道を選んだのだろうか。それは島の土地、言葉、文化、自然などを島外の大資本や大国の支配から守るためであった。各島嶼国は、外資による土地所有禁止、自国民優先の雇用、保護主義的経済政策などを憲法や法制度で定めている。また外交権を行使することで、多様な国々と外交関係を結び、政治経済的、文化的ネットワークを築くことが可能になった。世界とつながり、土地や文化、自らの島で主体的に生きる権利を守るため、つまり自衛の手段として独立したのである。 依存謝絶計画 独立するために何をすべきだろうか。太平洋島嶼国は太平洋諸島フォーラムという国際機構を形成している。同フォーラムは島々を独立させるために設立され、現在もニューカレドニアの独立を支援している。琉球の独立運動体は同フォーラムにオブザーバーとして参加し、島嶼国の協力を求めていく。そして国連、国際機構など独立を実現させるための世界的なネットワークに参加し、「外圧」を利用して日本政府を独立に向けた協議の席に着かせる。 なお、太平洋ではハワイ、グアム、ニューカレドニア、仏領ポリネシアで独立運動がみられ、ニューカレドニアは2014年に独立に関する住民投票が行われる。 次にインド独立の父、マハトマ・ガンジーに学び、基地固定化に結び付く日本国の政策を拒否するという、非協力、非暴力運動を展開する。宮古島出身の独立論者、平垣次(イリノイ大学名誉教授)が提唱する「日本依存謝絶計画」を作成し、内閣府沖縄担当部局、沖縄総合事務局を廃止する。そして日本国とは異なる独自の生態系、生活のリズム、ゆいまーる関係、地場産業等を守り、育て、再生させる。 対等こそ友好 今年の慰霊の日に、筆者らを呼び掛け人とし、賛同者を募り「琉球自治共和国連邦独立宣言」を発表した(詳細はNPO法人「ゆいまーる琉球の自治」のブログ参照)。その独立の範囲は奄美・沖縄・宮古・八重山の各諸島であり、各諸島はそれぞれ自治共和国となり連邦を構成する。共和国内の島々は州となり、琉球国において住民自治の基盤となる。連邦、共和国、州それぞれに政府、議会、裁判所をおき、憲法を定める。分権化を推し進め、各共和国や各州間の対等性を保障する。憲法には、近代的法制度のほか、慣習法、自治憲章、土地憲章も明記する。 日本国には米軍基地を引き取ってもらう。アジアの緊張を高める米軍基地は琉球の抑止力にはならない。米軍は琉球人に対して事件・事故という形で常に暴力をふるい、有事の際には琉球は攻撃の対象となる。琉球は外交権を行使し、周辺諸国と「非武装・中立化協定」を調印する。北欧のオーランド諸島のように、「軍事的要衝」であった琉球が非武装・中立の国になることで、周辺諸国の勢力均衡が保たれる。 米軍基地が拡大した日本国では憲法「9条」の形骸化がさらに進むだろう。琉球国は「9条」を日本国から引き取り、自らの憲法に「9条」を明記する。琉球は国として日本国から分かれることで「戦争の島」から「平和な島」へと生まれ変わる。 日本国と琉球とはこれまで、支配と抵抗、差別と怒りという不幸な関係にあった。両者は対等な関係になることで、かえって隣国として友好関係を築くことができるのではないか。分離独立して世界から孤立するのではなく、琉球人の自立と自存、自らの意思で生きる権利を実現し、世界の国や地域とより深い関係を結ぶために、琉球独立という具体的な選択肢が見えてくる。 (沖縄タイムス20100715) ■下■ 歴史の反省から 国家への思想乏しく/戦争体験生かし得たか 川満信一 参院選の結果は、沖縄の情況をさらに屈折させた。ついこの間の衆院選で、沖縄の自・公候補者は全滅して、長年続いた国の自・公政権も民主党政権へ移り、「世替わり」したばかりである。1年やそこらで政策の実績が問われるはずはないと思うのだが、いまや民主党政権は半年そこらで総理も交代し、風前のともし火といった危うい風情である。 沖縄を考える柱 鳩山由紀夫前総理は、日米関係の見直し、東アジア共同体の構想という、大きな政治目標を打ち出した。戦後60余年間の、悪化した日米軍事癒着、アジア諸国との歴史的反省にたった関係修復の糸口、日本国の主体性確立といった点からみて、これは日本国経営の指針を大きく切り替えていく兆候であろう、と期待した。しかし、背後の見えない権力と、いまや影の内閣化したマスコミの総反撃によって、あえなくつぶされてしまった。 いまや、米軍基地との共存を唱えてきた“自民保守党”が「普天間県外移設」と叫び、戦後沖縄闘争の成果をかっさらい、ひん曲げて「カクシン」の旗振りに変身している。 さて、こういう情況の逆転と混乱のなかで、わたしたちの目はどこへ向いているのだろう。 わたしは、沖縄を考える方法として、常に5本の柱を軸にとるようにしている。 一つは薩摩侵略(1609年)、二つは明治の琉球処分(1879年)、三つは沖縄戦(1940年代)、四つは沖縄施政権返還(1972年)、五つは米軍再編と日米軍事同盟(1995年以降)である。 柱の1本ずつをめぐっても、何十冊もの本を読まなければならないが、自分なりの歴史判断は、辞典の項目のように概念化して整理できる。当面の情況を判断するためには、沖縄戦以降の三本柱を軸にして考えるだけでも一応の答えは得られるだろうとおもう。 解体進む「沖縄」 沖縄戦で生き残ったわたしたちは、戦後史の織り方をどこで間違えたのか。。一貫していえることは、大陸(国家)の論理というのが何であるかについての勉強不足にあった。島に生きる少数の人間は、国(多数者)から、自分たちの生活の利益に相反するようなことを押し付けられることが多い。そのために、洗脳されておこぼれにありつく一部の層を除くと、いやいやながらやむを得ないという歴史への参加姿勢になってしまう。 たとえば遺族会の場合、戦没者に対する遺族補償は、当然の政策であるが、補償を受けることと、なぜ戦争の犠牲になったのかという心の反省が、むすび目をもたないと、糸の切れた織物を織り上げるしかない。選挙では保守勢力の有力基盤となり、終戦記念日には、戦争は嫌だ、平和が大事という自己矛盾を演じる結果になってしまう。 糸の切れた織物は、施政権返還すなわち祖国復帰運動過程で穴だらけの着物になった。日の丸掲揚、君が代斉唱、方言罰札、そして国政参加というトリックによる政党はじめ各労組の中央系列化による「沖縄アイデンティティー」の解体。日本民族という衣装で仮装舞踏会を演じた復帰運動の役割。なぜそういうことになったのかを、振り返れば、日・米という国家の、島への目線がはっきりと見分けられ、おのずから姿勢が定まるのではないか。 歴史的反省の足りなさが、現在の日米軍事同盟の土台を作り、島の命運を翻弄しているのだと思う。 米軍占領下で朝鮮、ベトナム戦争と、自分たちの生活の裂け目に苦悩したのは全軍労の先鋭部分と、アカと名指された労組員や弾圧対象の一部革新だけであった。沖縄戦の体験はほんとに戦後史創造の糧となったのか。 歴史の先行きをしっかり見通す目線を鍛えるのが、自立や自己決定の基本だとおもう。歴史は個々人の創造行為の集積にほかならない。島を生きる少数者にも都合もあれば物言う口だってある。それを無視されるなら、国連人権宣言を盾に三くだり半を突きつけて、尻をまくる基本権を沖縄だって持っている。いつまでも大陸の多数者の利益や都合だけで振り回されるのはもうごめんだ。それが世界の思潮ではないだろうか。 腰据えてかかる このごろ米軍再編にからむ普天間問題をめぐって、中国や北朝鮮を仮想敵とした抑止力とか、防衛力ということばがマスコミを賑わせている。これも見方によっては謀略・陰謀の泥棒戸締まり論から卒業していない。現在の軍事レベル、兵器の凄まじい進化を無視した議論でしかないからだ。 米本国でコンピューターに向かい、無線操縦の無人機で、パキスタン、イラクをはじめ、ピンポイント爆撃をするような時代に、地政学などという偽学問を持ち出して、沖縄はアジアにおける抑止力、防衛力のかなめだなどと屁理屈にもならないことを並べている。国民にも隠すしかないような密約だらけの取引で、沖縄の基地を既得権にし、売り買いする手口はベニスの商人の尻肉1ポンドのルールにもはずれる。政治への不信を積み上げたのは誰か。日本の知性もアメリカの知性も、近代以降の汚染でヘドロ化しているためではないか、と絶望的な気分になったりもする。 自立とはまず恥を知ることだ。あのドイツの元大統領ヴァイツゼッカー氏のように、歴史の恥部から目をそらさず、自分のなかに宇宙(神仏)まで届くような垂直な倫理を打ち立てることだと考える。 バカの考え休みに似たりだが、変転めまぐるしい情況の奥を見据え、自己決定という選択を誤らないためには、バカも休み休み言いながら、腰を据えてかからなければなるまいと思っている。 (沖縄タイムス20100716) |
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