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「琉球弧の自己決定権」に向き合うための研究ノート 沖縄自治政府樹立についての考察 大杉 莫 (共産主義者同盟首都圏委員会) はじめに T 自立県政――自治・自律 U 自立財政――脱基地経済 |
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3・11以降、何かを変えられたのだろうか。一方では核をめぐる米帝の世界的支配と日米安保体制が、他方では国策国益によって押し込められた原子力政策が、未だ我々の前に厳然と立ち塞がっている。国家−権力−をめぐる闘いが、社会−革命−をめぐる闘いが決定的だ。 はじめに 一旦敗退を喫したとは言え、日米両政府によって翻弄され続けた保守県政下の「失われた12年」に終止符を打たんとし、「自立し発展する新しい沖縄へ!」を掲げた「伊波洋一新県政建設」への捲土重来を見据えれば、沖縄の自己決定権の樹立に際して、いまここで、制度論的考察を行うことはあながち突飛なことではない、と判断される。 沖縄自治研(注1)のメンバーでもある佐藤学は「沖縄が高度な自治を獲得するためには、経済的な『自立』を実現することが前提条件であるとする、一般に受け入れられている考え方は、政治的自律の重要性を、経済的要件の下に位置づける発想です。自治の高度化を考える上で、こうした思考様式は、議論の自由な発想を妨げ、重要目標が何であるのかを見失わせる結果になってきました。/政治的自律は、経済条件に従属する必要はありません。もちろん、経済条件を全く無視することはできません。しかし、経済上の自立が常に前提条件となり、それ以後の自治・自律への議論を打ち切ることは不毛であ」(「問われる沖縄の『自治の力』」『沖縄「自立」への道を求めて』高文研09年7月)ると書き記す。 すでに30年近く前に、原田誠司が「経済的な従属・収奪の関係を克服するためには、必ず人間の意識的闘いと条件が存在するのであって、経済自立にとってそれが各民族集団と対外関係の具体的あり方としてどのように構想できるかが最大の問題であろう。したがって経済自立とは主体的に把握されなくてはならない。……経済自立を政治的自立と分離させることはできない。」(「嘉数[啓]論文〈「沖縄経済自立への道」〉をどう読むか」『新沖縄文学』83年6月)と喝破し、復帰=併合から10年、「世替わり」の混乱を経て、主体を鋭く問いかけていた。 T 自立県政――自治・自律 1 「闘い」としての法−制度化 かつて大田昌秀県政(90〜98)の副知事を務めた吉元政矩は、「21世紀、沖縄のグランドデザイン」をもとに、「(一国二制度を柱にした)沖縄国際都市形成構想」(注2)および「(2015年までに全基地を撤去させる)基地返還アクション・プログラム」(注3)を構想・立案し、「沖縄自立志向」とよんでも差し支えない県政運営を牽引した。彼は琉球政府時代を振り返りつつ、「多くの制約・限界はあれ、私達は一つの政府を運営してきました。」(「沖縄の未来像」『情況』08年8・9月合併号)と、「一国二制度」も含め、新たな琉球自治政府・「特別県制」の展望とその可能性を強調した。 もちろん提言・構想、そして制度設計ならば、「自立経済構想」と同様、枚挙に暇がない(注4)。しかし様々な構想や試案が沖縄人の心を掴み、その潜勢力となってきたことは紛れもない事実だし、他方、若い世代が「ウチナーンチュ・アイデンティティ」を掲げ、直接、国連の場に乗り込み、国連機関(先住民族作業部会)での琉球・沖縄人の権利回復運動と未来の可能性を語る時代に至っている(注5)。そして、2010年4月25日の県民大会では「脱冷戦・脱植民地化から琉球共和社会連邦へ」という小見出しと共に「琉球弧の自己決定権の樹立へ(注6)」のビラが撒かれ、6月23日には「琉球自治共和国連邦独立宣言(注7)」が発せられた。 これに我々は如何に応えるのかである。まさに日本−琉球弧の国家と社会の〈かたち〉だけにとどまらず東アジア総体の未来と結びついており、それらを沖縄連帯のうねりとして実際に新たに作り出すことである。これこそ、帝国主義本国(宗主国と言い替えても構わない)日本のプロレタリアート人民にとっての「試金石」であり、その限りでは、琉球弧の自己決定権の確立とそれへの支持・連帯は、「革命」と同義・等価に他ならない。 沖縄自治州基本法試案 沖縄自治研によって2005年10月に発行された『沖縄自治州 あなたはどう考える?―沖縄自治州基本法試案―』の「第2部入門・解説編」の「2.沖縄自治州の系譜」で藤中ェ之は、「過去に、時代の節目節目において発表された、多くの沖縄の自治の構想は、構想と現実を切り結ぶ持続的・実践的な努力により制度化されることはありませんでした。一旦、忘れ去られ、またある時期がきたら『再発見』されてきたのですが、それは何故でしょうか」と自問し、次のように自答する。 「第一に、沖縄の経済基盤が弱く、財政的に中央政府に依存していることが挙げられます」とし、復帰運動自体が(日本)国家依存を助長させてきたこととともに、「財政依存から脱却するという『自立』に向けての『痛み』を担う覚悟」の欠如を指摘している。「第二に、本土政府の画一主義を改革することはできない、とする事大主義的な意識が挙げられます」。そして「第三に、自治政府構想は、財政的な裏付けや既存の国の枠組みに基づいていないため、理念が先行してしまい、多くの一般の人々が生活実感を持って運動に関りにくいという側面があったと思います」。 藤中があげた3点(@財政問題、A事大主義、B具体性)は、幾つかの難点はあれ、それ自体間違いではない。しかし問題は、「主体の欠落」という観点が捨象されていることである。彼は、@依存からの脱却の痛みを回避しようとしても、もはや「依存」しえない財政破綻が来ている。Aの事大主義で危惧された画一的な制度自体を日本政府が望んでいない。そしてBについては、「地方の行政サービスを支えてきた国からの補助金(地方交付税)が大幅に削減されるので、もう数年のうちには沖縄県内の自治体の行政サービスの水準は低下し、その中には、財政再建団体に転落する自治体も多数生じることが予想されます。そうなれば、一般の人々の関心を集めることになるでしょう」と自答しているが、これでは「現状維持が不可能になった」という情勢論の展開であり、「危機アジリ」にしかすぎない。それこそ「構想と現実を切り結ぶ持続的・実践的な努力」を担う主体が要請されているにもかかわらず、その点を不問に付せば、こうした言説は「啓蒙主義」の陥穽が待ち構えている。敢えて言えば、あらゆる提言などは主体が欠落したところでは、言いっ放しの「放談」の類に堕す。そもそも、法・制度(条例しかり)とは、何かを変える・何かが変わりつつある・何かが変わった、ということを「追認」することでしかないとも言えよう。だからこそ「大衆運動」が是非とも必要なのだし、その大衆的な力によって政治家や政党を動かす。ある意味では社会的コンフリクトとその解決としての制度化である。日本そしてアメリカとのコンフリクトだけではない、沖縄内部のコンフリクトこそが問題とされるであろう。 2010年県知事選にはっきりと示されたように、「68年体制」の最後的解体と「復帰」を巡る未決の論争を経て、「依存vs自立」という新たな課題が沖縄の民衆レベルで生起している。それは、沖縄内部の階級・階層性とともに、買弁主義と排外主義が依存・自立の論点に否応なくまとわりついてきていることとも対応している。 2 「特別自治制」と「沖縄自治州」 「琉球諸島の特別自治制に関する法律案要綱(素案)」(自治労沖縄プロジェクト98年、以下「要綱」と略記)、「沖縄自治州基本法試案」(沖縄自治研究会05年、以下「試案」と略記)、そして「沖縄の『特例型』道州制に関する提言」(沖縄道州制懇話会09年、以下「提言」と略記)について触れる。 平和的生存権・People・自己決定権 「要綱」は、「第二総則」の「一この法律の目的」で「この法律は、琉球諸島地域に生活の本拠を有する人びと(「住民」という)が、その生活と人権の保障を確実なものとするために、当該地域において自治政府を組織する権利を有することを確認し、その組織および運営の大綱を定め、当該地域における人びとの『平和のうちに生存する権利』の確保と『地方自治の本旨』の実現に資することを目的とする」としている。これは、「試案」の「平和的生存権」とともに、沖縄住民の権利宣言=基本法(憲法)としての理念に彩られた「生存と平和を根幹とする『沖縄自治憲章』」(=玉野井試案81年)を引き継いでいる。(注8)。 ここでの「主体」は、「国民」「県民」はおろか「州民」ですらなく、三者とも「住民」を採用している。「試案」は「用語解説」で「ここで言う『住民』の概念に最も近いものは、英語で言うところの『people』(注9)です。……/したがって、本法案で言う『住民』は、単に沖縄に住んでいる人とか、住民登録をしている人という意味ではなく、『沖縄に住み、沖縄の歴史を理解し、その文化と価値観を共有し、沖縄の決められたルールを守り、沖縄社会に主体的に参画する意志を有する人々』を指します」と注記。「要綱」は、「選挙権については国籍要件をはずす…、…被選挙権を外国籍住民に認めるかどうかの問題があるが、それも基本条例の定めによるものとするか」と踏み込む。「試案」もまた「用語解説」で公務員への国籍要件を除外し、日本国憲法の「people」を「国民」と読み替えた、かの悪名高い「国民=国籍条項」を打ち砕くものとなっている。未だ熟れの悪い言葉でしかないが「構成的権力」についての一つの側面を照射しているとも言えよう。 日本(国家)との対峙 とはいえ「要綱」及び「試案」は、両者とも日本国憲法遵守を掲げている。「要綱」は慎重にも地方自治法などにも抵触しないことにも言及している。しかし「試案」は、「要綱」から一歩踏み出し、「一沖縄における自治の基本原則」において「1.沖縄の主権は、沖縄の住民に帰属する」と明記する。 「試案」は、「六沖縄自治州と国との関係」という一項を立て、「1.憲法上、国の専属的権限とされるものについては、沖縄自治州の権限は及ばないものとする。それ以外の事項については、住民の信託に基づき設置された沖縄自治州に包括的な権限がある。沖縄自治州は、自治立法権、自治行政権、自治外交権、自治司法権を有」し、「国会への法案提出権・発議権」を持つ。つまり「準連邦制(国家)」に基づく観点を押し出している。そもそも「連邦制」は現憲法が想定しておらず、「日本−沖縄(琉球)」の連邦制国家の形成は「憲法改正」が必要であるとの判断に起因しているからである。 『自治憲章』が「権利宣言」にすぎなかったとしても、第16条の「(最高規範)この憲章は、沖縄における最高規範であり、あらゆる条例、規則は、この憲章に適合しなければならない。国の法令を解釈する場合は、この憲章に背反することのないよう努めなければならない」という一項を置くことによって、「要綱」「試案」の導きの糸となったばかりか、「国家・国法」に対峙し、新たな政治文化の形成をも射程していた。 ここまで書いて「さし迫る破局、それとどう闘うか」を唐突に憶い出してしまった。自治州基本法から沖縄特例単独州に至るグランドデザインを、「琉球弧の自己決定権の確立」としての「沖縄自治州政府(琉球政府)樹立」へと獲得し得るか。追い打ちをかけるように、「(琉球政府は)権力を維持できるか」というフレーズが浮かぶ。 「沖縄道州制懇話会・道州制提言」が語る課題 「提言」は「オール沖縄」と豪語するごとく、個人参加の形ではあれ政財官民を含めた全県的なメンバーを網羅し(注10)、「沖縄の世論を喚起し、21世紀の沖縄の未来を切り拓くにふさわしい沖縄の在り様について、沖縄の人々の合意形成の一助となれば」を最大公約数的にまとめ上げ、ある意味では「沖縄の総意」とも呼べるものとなっている。「提言」の意義はまずここにあると言っても過言ではないだろう。そして道州制論議を広く巻き起こし、政府(当時の自公政権)・日本経団連から打ち出された道州制攻撃とも呼べる新自由主義的社会再編を打ち返し、九州との統合案を一蹴し、「特例・単独州」構想の合意を克ち取り、それを広く発信するという所期の目的を完遂し得たと言えよう。そもそもブルジョアジーの側から提起された道州制なるものは、広域経済圏形成=都道府県合併にすぎない。もちろん沖縄における道州制論議も、それこそ「同床異夢」(仲地博「沖縄州政府樹立は『国』を問い直す」『情況』10年5月号)の感をぬぐえないが、まぎれもなく、日本での論議とは全く位相を異にしたその作業に「自己決定権」がはっきりと刻まれた。 その上で、二点ばかり。 「沖縄道州制懇話会が考える道州制の意義」の中で、前述の「試案」から更に踏み込んで書き込まれた「準連邦型単一制国家/一国多制度」が提起され、他方「福祉国家の再編強化/地域社会の存続とナショナルミニマム/地域経済発展の推進力の強化」が課題として抽出される。 前者に関しては、「沖縄単独州の理念・目的」として「21世紀アジアと日本、沖縄の平和と繁栄の実現/共同体意識に基づく地方公共団体の設置/新しい信頼関係とソーシャル・キャピタル(社会関係資本)に基づく地域活性化/地理的特性に起因する交通や物流、国境離島の問題/基地問題の解決/道州制の先行モデルとしての沖縄州/日本とアジアの架け橋」らが掲げられている。「具体的には、国境に位置する沖縄州は世界に開かれた活力ある州をつくるために、関税や出入国管理等の国の国境管理に関する権限移譲を求め」、「地域住民の合意形成/住民投票/国と地方の協議の場の法制化/道州制基本法/沖縄州と国の協議機関」などや「市町村優先の原則」が改めて提起されている。さらに「沖縄の特例的権限」として@沿岸及び国境警備、A漁業資源の管理・利用、海底資源探査と利用、サンゴ礁等の海洋・海岸環境の保全といった海洋管理、B出入国管理や税関、検疫等の国境管理などを想定。 後者に関しては、「国の重要な役割の一つは、医療や福祉、教育など国民生活に密着した分野において、ナショナルミニマムを保障すること」が強調され、そのために「国は、市町村や道州がそうした住民サービスを行うための財源確保に必要な財政調整や財源保障を担う必要」が説かれている。この「ナショナルミニマム確保」が提言合意の基調でもあったろうと思われるが、憲法第25条及び第26条をも持ち出し、くどいように「ナショナルミニマムの保障」が税財政制度とともに語られている。しかし、(日本)国家と枠組みも含め、地方分権・地域主権問題において常に問題とされる「権限と財源」が、これら構想のにおいても未確立の状態になっている。 U 自立財政――脱基地経済 独立・琉球から、自治・沖縄まで、幅のある議論を惹起する自立経済問題であるが、アメリカそして日本によって蝕まれた沖縄の経済体制というだけではなく、環太平洋・東アジアにおける日米両帝国主義による「沖縄の軍事属領的支配」としての基地への依存を強制させられてきたことについての批判の貫徹が、まず前提とされよう。すでに併合10年を経た80年代を前後して「軍事属領」「国内植民地」をめぐる議論がなされた(比嘉良彦・原田誠司編著『沖縄経済自立の展望― '79第2回シンポジウム報告―』鹿砦社80年7月)。とりわけ日本政府の「振興策」に象徴される政府資金の投入(あたかも、かつての「高等弁務官資金撒布」のごとき「植民地経営」の常套手段)によって、反「自治・自立・独立」=併合・同化・買弁勢力の育成と手を携えてであるが、「基地機能維持・再編強化」のために沖縄の民衆は、その意志と生活を蹂躙させられ続けてきた。 まさに「基地経済」とは、依存を強制されてきたことの一側面を指しているに過ぎず、「自立経済」が、文字通り、日米両帝国主義との闘いの中でつかみ取られようとしている。 強いられた依存経済 沖縄総合事務局調整官を勤めた宮田裕の「沖縄経済の特異性はどうしてつくられたか」(『沖縄「自立」への道を求めて』高文研09年7月)の分析を見てみよう。 まず、「復帰後、8兆8000億円の内閣府計上の沖縄振興事業費が投下されたが、経済活動を見ると県内総生産に占める第二次産業の構成比は、復帰時の27・9%から06年度は11・88%に低下している。中でも『ものづくり』の製造業は10・9%から4・1%に低下し、民間経済を誘発していない。製造業の割合は全国の21・3%に比べても、その差は極めて大きい(注11)。政府による財政投資は、県外に漏れており、『ザル経済』が経済自立を阻害する原因するとなっている」と書く。しかし、繰り返すように確認しておきたいが、「自立経済の阻害」とは、振興開発計画・振興策そのものによって政策的に作り出されたもの以外の何物でもないことを踏まえておかなければならない。 72年を契機に「基地経済からの脱却」が語られ、基地依存を強いられることによって、27年間にわたる軍政支配によって不全状態を強いられた第2次産業――とりわけ製造業の再建と、社会的経済的インフラ整備が「沖縄経済」の至上目的とされた。沖縄振興(開発)特別措置法−沖縄振興(開発)計画の大義たる「格差是正」がそれを象徴していた。しかし、「本土復帰」そのものが、基地存続−再編強化(米軍駐留に加えて自衛隊進駐!)でしかなかった。経済成長(日本の後追い)とパラレルに、振興計画−振興策そのものが差し出す様々な優遇措置(特例税制や高率補助(注12))によって、「基地依存経済」は官主導・日本(政府)依存経済(公共事業依存経済)へと形を変えつつも、その実体としては何ら代わらぬ「依存経済」を強いられていったのである。そこでは自立はおろか「健全な」産業(製造業)振興などは等閑視されてきた。 「07年度沖縄県財政の決算によれば、歳入総額に占める地方税収入の割合は19・9%で、全国都道府県平均の33・3%に比べて極端に低い。その原因は、沖縄への財政投資が県外に還流し資金循環効果に乏しく民間経済を誘発していないしくみになっているからである」という現実にも如実に現れている。しかし、後述の前泊・普久原も指摘しているが、基地関連収入が歳入歳出の矛盾を隠蔽し、名護市の例に見るまでもなく、自治体財政を蝕んできた。「逆格差論」(注13)を主導した若き日の岸本前市長の晩年の「再転向(?)」をも生み出したかのように思えるほど、この腐食は骨がらみとなっていた。 宮田は続ける。「基地依存度の高い自治体は嘉手納町40%、次いで宜野座村35%、金武町は35%である。これらの市町村は、基地収入が税収の2倍を超えており、基地収入がないと予算が組めない構造的な問題を抱えている」ばかりではなく、「軍用地料収入に依存している市町村の失業率は[全国3・9%、沖縄全体で7・4%に対して]嘉手納町17・5%、名護市12・5%、読谷村12・4%、金武町12・1%と異常に高く、不労所得(基地収入)が勤労意欲をそぎ落としていると思われる」と。 1 基地経済とは何か よく言われることであるが「基地経済」とは、基本的に基地関連収入(「軍関係受取」(注14))への依存による県経済の歪みをさす。金城毅(南西地域産業活性化センター)が報告(沖縄タイムス10年8月21日「沖縄経済 構造変化と課題」)しているように、72年の県民総所得4851億円のうち、基地関係受取が830億円(17・1%)で、公共投資は376億円(7・8%)、観光収入が365億円(7・5%)であった。再併合35年を経た07年度には県民総所得が約8倍の3兆9370億円となり、最多は観光収入で12倍近くの4289億円(構成比10・9%)、公共投資は8倍・3077億円(同7・8%)に対して、基地関係受取は約2・5倍の2088億円(同5・3%)にとどまった。17・1%と比較すれば、1/3へ激減したと言えるであろうが、2000億円・5%は、決して小さな数字ではない(注15)。 そしてこれらは「狭義の基地経済」であって、前述した通り、基地故の自治体・市町村に交付される補助金・交付金に加えて、SACO合意・辺野古新基地建設案以降、基地受け入れの対価として基地所在市町村活性化特別事業=いわゆる島田(晴雄を座長とする)懇談会事業1000億円(97年から毎年100億円)、北部特別振興対策事業1000億円(これはもっと露骨に県知事・名護市長の辺野古移設受け入れ表明を受けて、99年閣議決定された)が投入された。こうして卑劣とも言える日本政府の「政策」は、かつての「沖縄振興(開発)計画」による「格差是正」を掲げた自立化阻止の財政投入が維持しえなくなって(注16)登場した「麻薬」とも言える。これらの基地関連交付金や振興策資金は、紛れもなく「広義の基地経済」でもある。 基地依存財政 やや詳しく見てみる。テキストは沖縄県知事公室基地対策課『沖縄の米軍基地』及び『沖縄の米軍及び自衛隊基地(統計資料集)』(10年3月)と、川瀬光義「米軍再編交付金にみる基地をめぐる政府間財政関係」(『都市問題』10年11月号)。 @「基地交付金」が、57年「国有提供施設等所在市町村助成金に関する法律」によって、非課税となっている米軍関係施設の固定資産税等を補完し、一般財源として交付された。この年は岸信介政府誕生・安保改定への着手が開始され、他方、砂川闘争に象徴される反基地闘争が激化。また本土米地上軍の撤退・沖縄移駐によって、沖縄の基地拡大強化とそれに抗する「島ぐるみ闘争」が燃え上がっていった時期でもある。そしてさらに加えて70年には法外補助(補助金的性格の予備的措置)として「施設等所在市町村調整交付金」が制定された。前者を助成交付金、後者を調整交付金と呼ぶ。 A「基地周辺整備法」(正式名称「防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律」)とは、元は66年制定の「防衛施設周辺の整備等に関する法律」が、72年沖縄再併合後、翌73年関東移設計画の日米合意を受けて、基地負担集中地域(沖縄だ!)への財政援助が必要とされ、74年に改訂されたもの。従来からの基地との因果関係が明白な損害・被害防止のための財政支出とは別に「基地との因果関係が必ずしも明確ではないが自治体の公共施設の整備等に充当される特別な補助金」のための第8条「民生安定施設の助成」と、第9条「特定防衛施設周辺整備調整交付金」が新たに制定された。「民生安定」とはよく言ったものだが、この「9条交付金」が、SACO合意以降のあらゆる「振興策資金」の法的根拠となった。これらによって「対象施設と自治体を防衛大臣の裁量で選別し、指定」し、事業によっては全額(10割)補助されるようになった。『防衛施設庁史』(07年)では「地元対策の幅もずいぶん広が」(川瀬より重引)ったと嘯いている。 B「軍用地料」とは、軍用地主としての自治体にとって「財産運用」=「貴重な」自主財源となっている。ヤマトでは米軍基地面積の約87・3パーセントが国有地(戦時収奪の結果でもある)だが、沖縄では08年段階で民有地が32・8%、市町村有地が29・2%、県有地が3・5%、国有地が34・4%となっている。とくに沖縄本島中部地域では民有地率は75・4%に達している。そして各自治体によって異なるが、集落(字所有)毎に配分されたり、さらにそれが各戸毎の収入になったりしている場合もある。(注17)。 Cその他では、「北部振興対策」や「島懇事業」もさることながら、「米軍再編交付金」について付け加えておかなければならない。07年制定の「駐留軍等の再編の円滑な実施に関する特別措置法」で新たに設けられたこの交付金は、基地受け入れから完成までを4段階の「進捗状況」に応じた、出来高払いの補助金として打ち出された。それ故、岩国市そして直近では名護市のように「米軍再編」拒否を打ち出した途端、進行している事業への補助金も「停止」される。「この米軍再編交付金は、9条交付金の枠組みを活用して……いわば何でもありと言ってよいような仕組みとなっている」(川瀬)のである。 脱基地経済の射程 昨年(10年)8月、県議会事務局が「米軍基地に関する各種経済波及効果」(注18)を試算。地元二紙は「全基地返還で年9155億 経済効果2・2倍に」(琉球新報10年9月11日)、「……県議会事務局が初試算 雇用は9万人余に」(沖縄タイムス同日)と報道。 前泊博盛は「『基地依存』の実態と脱却の可能性」(前掲『沖縄「自立」への道を求めて』)において、「日米安保を将来にわたって安定的に維持・運営していくためには米軍基地の拠点としての沖縄の経済発展をいかに抑制し、米軍基地なしでは地域経済が成り立たないような体制をいかに保持するかが日米両政府にとって重要な課題となる」と書いた上で、「実際、基地所在市町村や沖縄県を中心に、財政に占める基地依存度は高まりつつある。背景には、新たな米軍基地建設の受け入れを前提とする『米軍再編交付金』、あるいは10年間で総額2000億円の基地所在市町村に対する『島田懇談会事業』『北部振興策』などが投入され、反基地運動の抑制や反基地勢力の台頭を抑える効果を発揮している」と指摘する。 しかし、「産業振興に必要な土地の大半を奪われている基地所在市町村は、基地のない市町村に比べ失業率が高いなどの特徴があ」り、「明暗分ける脱基地と基地依存」の項で、「[成功した脱基地の]北谷と[失敗した基地依存の]名護」をレポート(注19)。その上で、「脱基地経済は、かつて懸念された『イモ・裸足の時代』への逆行ではなく、返還効果による地域振興と民間活力の発揮を促すチャンスとして大きく可能性を内包している」と結論づける。 また普久原均は、前泊報告の前提ともなるべき、返還された基地跡地利用の実態を「『基地撤去亡「県」論』という神話」(『世界』臨時増刊08年1月岩波書店)で報告。那覇新都市・北谷(美浜・ハンビー)・小禄金城やその他の返還された基地に対して、返還当時の基地関連収入と返還後の直接的経済効果、そして雇用効果なども比較し、10倍から100倍以上もの経済効果を生み出していることを報告している。もっとも、すべて手放しで喜ぶわけにはいかない。普久原は言う。現在の「沖縄県における駐留軍用地の返還に伴う特別措置に関する法律」は返還後、原状回復に要した期間プラス三年間の賃借料相当額の補償しか規定していない。加えて、解雇・整理された基地従業員の雇用確保や、残存有害廃棄物の問題等についても解決策を講じなければならない。 こうした跡地利用に対して、真喜屋美樹が「返還軍用地の内発的利用 持続可能な発展に向けての展望」(『島嶼沖縄の内発的発展−経済・社会・文化』藤原書店10年3月)の中で、「その2事例[那覇市・新都心地区(おもろまち)、北谷町・美浜地区]のような跡地利用開発は、県内に同じような商業地を形成し、島嶼県経済という限られた市場でパイを奪い合う構図をつくっている。こうした開発手法が他の跡地でもとられれば、基地跡地でも立地案件がよい一部地域に人口の集中や商業集積が進み、既成市街地の人口減、経済の空洞化が引き起こされることが予想される」と指摘。他方「平和の郷 自治の郷/村民主体の原則・地域ぐるみの原則・風土調和の原則」を掲げた読谷村を「持続可能」な「内発的発展」の例として称揚している。さらに松島泰勝は「また基地を撤廃させた後、その跡地を開発することで、基地が与えていた以上の経済効果を生み出せばよいとする議論がみうけられる。しかし、基地経済と同様な経済効果を民間企業があげようとすると、乱開発は必然であり、琉球は破壊し尽くされてしまうだろう」と疑義を呈し、「琉球は基地による経済効果を必要としない、新たな発展を構築する時期にきているのではないだろうか」(『琉球の「自治」』藤原書店06年10月)と提起する。 2 脱依存財政への挑戦 前述の「沖縄自治州構想・試案」での財政制度計画では、「自治財政権」をはじめ「一括交付金」「財源移転・財政調整」「ナショナルミニマム」「米軍(基地)課税」等、難問山積の感がある。財政、いわゆる「地方財政」をめぐり、自治州の税収と、交付税・交付金・補助金などの「ヒモを断ち切る」ことも含め、税制(国税と地方税を中心に)と財政調整・財政移転(ナショナルミニマムを中心に)について、自治州政府として日本政府との関係をどのように整理するのか。 琉球新報は「復帰38年 指標で見た沖縄 経済自立に課題」(10年5月15日)の中で「〈補助金・交付税額〉受益額最多は『誤解』」という見出しで「国からの国庫支出金と地方交付税を合計した県民1人当たりの受益額は、2006年度で25万4843円と全国8位となる。……『最も多い県』のイメージは正しくないことが分かる」としているが、「国税納付額は1人当たり18万8757円で全国32位である」。つまり、記事中で県が強調するのとは全く逆に「米軍基地負担に伴う特別交付金や、沖縄振興特別措置法に基づく恩恵を受けて」いるからこそ、否、にもかかわらず「国からの財政措置は『普通の県並み』だ」と捉えなければならないであろう。つまり納めた税金に対して、1・35倍の「援助」を受けている。沖縄タイムス(10年7月9日「[補助金総点検]基地負担に見合わない」の記事も含め、「沖縄だけが貰いすぎ」ということは全くない。ましてや日本政府関係者からも漏れ聞こえる「甘やかすな」なる言いぐさは言語道断である。だが、決して満足し得る数字ではないことは特筆しなければならないし、その「質」において更なる精査が問われるであろう。 沖縄単独州財政問題 和仁屋浩次は「道州制実現下における沖縄単独州の財政構造に関する実証分析−沖縄単独州の財政課題とその対応策−」(NIRA28・09年3月)において次のようなシミュレーションを行っている。道州制移行後の沖縄州の歳出不足2001億円で財政調整の割合は38・2%(現行31・8%)と依存度が高まる。同様に、州内基礎自治体も財政調整割合が52・2%(現行22・9%)にもふくれあがってしまった。 和仁屋は「沖縄州と州内基礎自治体の場合は、こうした[財政の健全化に寄与する]結果は得られなかった。その理由としては、第一に、国から地方への税源移譲に際して、全国一律の基準で行われると、もともと税源が小さい沖縄県は相対的に配分額が少なくなること、第二に、道州制導入は全ての区域において規模の経済性による歳出削減効果が働くが、一州一県である沖縄州ではその効果は限定的であることが考えられる」とし、「沖縄県が他の道州区域と比較して財政調整に依存する割合が高くなる理由として、第一に……沖縄県は歴史的事情等を起因として、高率補助制度や沖縄固有の補助金の措置が講じられるなど国から特別な支援を受けている現状がある。したがって、国庫支出金の廃止は国からの財政依存が高い沖縄県と県内基礎自治体の財政に極めて深刻な影響をもたらすことになる。/第二に、沖縄県の地理的要因があげられる。沖縄県は島嶼県であると同時に多くの離島を有している。したがって小規模校への教職員配置などが必要になることから職員数が多く、行政コストに占める人件費の割合が高い……この点においても沖縄県の地理的事情に起因したものといえる。/第三に地域経済が脆弱であることである。沖縄県の一人当たり県民所得は全国最下位であり、また完全失業率は全国一高い……。当然ながら、法人事業税や住民税などの地方税の収入は地域経済事情に直結しており、そのため、沖縄県の地方税収の割合は全国と比較しても低い(07年度当初予算をみると、歳入に占める県税の割合は九州7県平均が27・0%であるのに対し、沖縄県は17・6%である)」と理由を述べ(ちなみに47都道府県平均は33・3%)、「本稿で試算した地方共同財源は16兆9424億円であるが、これが地域間の財政力格差是正を行うための財源として不十分である場合は、他の道州区域よりも財政調整が必要となる沖縄州と州内基礎自治体の財政は危機的状況に陥ってしまうであろう」と結論づける。 伊藤敏安による研究(「地方財政から見た道州制の課題に関する検討」『地域経済研究 21』10年3月)は、地方財政に重要な「地方交付税」に対して〈帰着地ベース〉〈発生地ベース〉という概念を用いて、国税の地方委譲をシミュレートした点に興味を惹かれた。地方交付税財源にあたる国税(注20)の当該都道府県別納入額を「発生地ベース・地方交付税交付金」とし、他方、実際に交付された「地方交付税交付金」を「帰着地ベース・地方交付税交付金」とした上での両者の比較検討である。つまり「納入と交付」と考えると、まず「発生地ベース(納入)」では全国平均11・8万円に対して、沖縄4・5万円(38・0%)、但し北海道5・3万円(44・5%)でもある。対して「帰着地ベース(交付)」は、全国平均12・0万円を100とすると、沖縄は23・4万円(196・6)となる、但し北海道も26・7万円(223・0)。こうして見ると北海道も同様ではあるが、沖縄の場合において納入と交付との差は18・9万円もの交付過多である(注21)。もっともこの試算は伊藤も言うように「公平」ではない。なぜなら「現行制度のもとでは企業の法人税や社員の源泉所得税は、本社の所在地で計上されているから」である。もとより、こうした数値を見せつけられると暗澹たる思いを禁じ得ない。がしかし、元々都市部と地方では租税負担能力に著しい格差が横たわっている。ここでは、沖縄と類似の財政規模・構造の他県も含め、「国内南北問題」とも呼びうる構造が垣間見られるが、これこそ資本主義の「宿痾」である。(ここでは言及を控えるが、原発震災がもたらした災禍を思い浮かべてほしい。) 新自由主義政策によって加速された市場経済の歪みは「そもそも、地方が『依存経済』となるのは、市場経済の帰結である貧困かつますます縮小する『自立経済』を肯定できないからであって、『自立経済』を確立できないからではない」(岡田清「沖縄経済調査報告・若年層の失業問題」『中央大学経済研究所年報第36号』2005)という現実を前提にし、日本という中の「一地方」に留まる限り「貧困問題の解決」は中央(日本政府)に依存するしかない。併せてこの間の「地方分権・地方主権」論議は国家主義統合・中央政府のための施策の一つでしかなく、日本経団連に至っては恣しいままの搾取・収奪を求めているだけである。ここで扱った和仁屋や伊藤の研究も独自の工夫を凝らしてはいるが、極論すれば政府・ブルジョアジーの道州制構想を前提にしているだけでしかない。自立財政への挑戦とは、野放しの(日本)資本への制動のためでもあり、「企業誘致」を第一とする税制特権(特区)などではなく、「課税自主権」も含め、日本(本土)資本による収奪構造の打破が求められていることがわかる。 沖縄自治研から道州制懇話会に至るまで「ナショナルミニマム・財政調整」問題を一貫して強調していることにも見られるように、「準連邦制」の提起は、もちろん憲法改正をギリギリのところで回避する知恵とも言えるが、こうしたナショナルミニマム問題も、まさしく〈政治〉への不可欠な踏み込みであり、政治的自律が要請されていると言えよう。 今後の帰趨に関しては予断を許さないとは言え、稲嶺進名護市長が「第一次産業を中心に地域経済を建て直したい」と語り、「脱基地と脱基地経済の構築に必要なのは、脱基地に向けた県民の本気度と活用の知恵、脱基地に踏み出す勇気、そして脱基地への挑戦を推進できるリーダーの存在」(前泊前掲書)であり、政治的ヘゲモニーの構築をもってする「自治・自立・自決」こそが、沖縄の未来にとってスローガンに終わらないリアルさを持って迫ってくる。買弁勢力の暗躍による国頭村安波地区が取り沙汰されているが、普天間にせよ、そして辺野古・高江にせよ、もはや日米帝国主義の思うがままのやり方が頓挫しつつある。とりわけ「普天間県外移設」はともかく、高江地区のヘリパッド建設を容認してきた仲井真県政(そして東村村政)は、隠しおおせなくなった「オスプレイ配備」を前に動揺を開始した。 依存財政からの脱却(依存経済・振興体制の打破)を通した、沖縄の民衆の自立の問題は、(日本)国家に突き刺さる「安保と憲法」を巡る東アジア・環太平洋という「アジア大」の課題でもある。仲里効の、「制度空間と意識空間の差異と分離」の中から「琉球弧の自己決定権の樹立へ向けて、二重権力状態を創り出していく。柔らかな政治体を創り出していく。これは、沖縄の民衆が自らの実践を政治体に結集させていくことであり、ネグリの言う世界史的な〈構成的権力〉と結合することです」(「琉球弧の自己決定権の樹立へ既視と未視の間の琉球政府」10年5月14日「韓国併合100年・安保改定50年・復帰38年を問う沖縄集会」基調)という提起に対するわれわれの側からの応答が真に問われている。 【注】 (注1)沖縄自治研究会は、02年4月に立ち上げシンポを開催してから、ワークショップ方式で、三つのレベルの「自治構想」(04・10シンポで発表。@地方自治法の枠内で、A日本国憲法の枠内で、そしてB憲法を超えて)を編み上げ、とりわけ「市民性教育」に焦点を当てつつ、現在は、町内会・自治会活動、NPO活動から「地域と学校」への調査研究を行うに至っている。http://plaza.rakuten.co.jp/jichiken/ (注2)全県フリートレードゾーン推進派と目された宮城弘岩の所論(『沖縄自由貿易論』琉球出版社98年7月)を、拙稿「沖縄の自立解放に向けて・その二」(『共産主義運動年誌五号』04年6月)で検討。 (注3)第1期・三次沖縄振興開発計画が終了する01年を目途に、早期に返還を求め、整備を図る必要がある普天間飛行場他9箇所。第2期・次期全国総合開発計画の想定目標年次の10年を目途に返還を求める牧港補給地区他13箇所。第3期・国際都市形成整備構想の実現目標年次である15年を目途に返還を求める嘉手納飛行場他16箇所。 (注4)拙稿「沖縄の自立解放に向けて/復帰・併合・買弁派に抗して」(『共産主義運動年誌三号』02年11月)参照。 (注5)96年に国連B規約(市民的および政治的権利)人権委員会・先住民作業部会に松島泰勝がウチナーンチュ(琉球人)としてはじめて参加し以降、99年にこの作業部会に参加し続けた若い世代を中心に「琉球弧の先住民族会(Association of Indigenous Peoples in the Ryukyus)」が正式に立ち上げられた。また08年10月に、同人権委員会は日本政府に対し、琉球民族にアイヌ民族と同様の先住民族としての権利を認めるよう勧告した。 (注6)「琉球弧の自己決定権の樹立へ」 http://www7b.biglobe.ne.jp/~whoyou/jiritsudokuritsu2010.html (注7)「琉球自治共和国連邦独立宣言」 http://ryukyujichi.blog123.fc2.com/blog-category-19.html (注8)拙稿前掲大杉莫「沖縄の自立解放について――復帰・併合・買弁勢力に抗して」の「自己統治としての『自治の再建』へ」の項参照。 (注9)島袋純は、「沖縄タイムス」(10年7月14日)で「『人民』に該当する県民/独立国家の権利有する」と題して「沖縄の人々は、国際法上、主催国家を構成しうるという『人民』に該当すると考えている。つまり、元来沖縄の人々には、独立して主権国家を構成し、外交も防衛も独自通貨発行もすべて自分たちで決定し実施する権利があるということである」とした上で、「権利があれば現実化するということではない。現実は、まったく逆である。むしろ、日本の政治も法律や制度も言説もさらには教育も、沖縄の人々が『人民』であるということを完全にあるいは巧妙に否定する形で構築されている」と切歯扼腕する。(注10)懇話会メンバーの「肩書」を列挙する。沖縄大学法経学部教授、琉球大学教育学部教授、元沖縄県副知事、内閣府道州制ビジョン懇話会・道州制協議会メンバー、NPO法人コミュニティおきなわ、沖縄県議会議員(与党)、沖縄県議会議員(野党)、市長会代表、町長会代表、那覇商工会議所前副会頭、沖縄県経営者協会副会長、沖縄経済同友会(道州制委員会委員長)、連合沖縄会長、沖縄県企画部長(オブザーバー) (注11)その貧弱な製造業の内訳を見ると、生活関連産業が事業所数62・3%(全国36・9%)、従業員数64・9%(全国26・9%)を占める(県「県民経済計算2008年度版」)。 (注12)72年に沖縄振興開発特別措置法が10年毎の時限立法として制定され、02年の第四次に「開発」の二文字が取れ沖縄振興特別措置法となる。その別表でこれら高率補助一覧が付されている。農林水産・治山治水を始め、道路・港湾・河川から学校・教育・福祉施設に至るまでの公共事業に対して「本土」では5割を中心に1/3から2/3の補助であるが沖縄へは原則9割(8割から10割!も)の補助となっている。 (注13)73年6月に発表された「名護市総合計画・基本構想」。その中で「今、多くの農業、漁業(またはこれらが本来可能な)地域の将来にとって必要なことは、経済的格差だけを見ることではなく、それをふまえた上で、むしろ地域住民の生命や生活、文化を支えてきた美しい自然、豊かな生産のもつ、都市への逆・格差をはっきりと認識し、それを基本とした豊かな生活を、自立的に建設して行くことではないだろうか。その時はじめて、都市も息を吹き返すことになるであろう」と謳い上げている。 (注14)「県民経済計算において、『軍用地料』、『米軍雇用者所得』および『軍人・軍属の消費支出』を軍関係受取として位置づけている」(県知事公室基地対策課『沖縄の米軍基地』08年3月)。但し、沖縄タイムス(06年1月10日)によれば、軍人・軍属家族の消費支出等は約736億円で県発表より200億円以上多く、基地交付金等も含むと軍関係受取は県民総所得の約10%(約2422億円)に達する、という。 (注15)加えて、軍関係従業員は沖縄県の全就業者数の1・4%を占め、失業率7パーセントにも上る沖縄においてはこれも決して無視しえない。 (注16)沖縄振興開発事業費は、内閣府沖縄総合事務局「沖縄県経済の概況」を見れば明らか通り、98年(大田県政)の4430億円をピークに、10年(仲井真県政)の2012億円に激減している。 (注17)沖縄防衛局資料によれば、06年度軍用地料888億円、軍用地主約3万9千人、地料100万円未満が53・8%、200万円未満が74・2%を占めるが、他方、500万円以上の軍用地料を取得している地主は8・4%にも上る(『沖縄の米軍基地』より)。 (注18)沖縄県議会事務局が試算した「米軍基地に関する各種経済波及効果」10年8月 http://www3.pref.okinawa.jp/site/view/contview.jsp?cateid=194&id=22642&page=1 (注19)「失敗した名護市」について、前泊は「普天間基地返還に伴うキャンプ・シュワブ沿岸への代替基地建設の受け入れを決めた97年以降、基地関連収入は95年の19億円から01年度には91億円と5倍に増えている。その後も年間30億円前後の基地関連投資が続いている。/増えた理由は97年から始まった米軍基地所在市町村活性化事業(通称・島懇事業)と、00年から始まった北部振興策。……/政治の二つの『基地所在市町村活性化事業』事業予算の投下で、名護市財政の基地依存度は96年度以前の6、7%台から97年以降増え始め、01年度には29・4%、04年度には24・5%まで急増した。この間、名護市だけでも600億円を超える政府の振興予算が投下された。しかし、完全失業率は95年の8・7%から05年には12・5%と悪化、企業立地で増えるはずの法人税収は4億4000万円から4億3000万円と減り、逆に市の借金となる『市債残高』は171億6000万円から04年度には235億2000万円にまで膨らんでいる。/振興予算を投入されて逆に依存度を高め、失業率が悪化し、借金が膨らむ結果となった。名護市は『基地振興策をこなすために借金を重ねたのが原因』と説明しているが、振興予算がむしろ逆効果となり基地所在市町村を苦しめる本末転倒の事態が生じている」と明らかにする。 (注20)地方交付税のための財源として、所得税、法人税、消費税、たばこ税および酒税の国税5税の約3割が「法定率分」として算定されている。この「3割」も含め、そもそもこの間の再配分機能劣化としての累進課税解体と法人税減税など、「税制」問題全般についても踏み込んだ検証・批判が必要であることは言うまでもない。 (注21)沖縄県財政を見る。総務省「08年度地方財政統計年報」によれば、普通会計決算ベースの歳入・構成比は地方税19・5%(全国41・7%)に対して、地方交付税34・2%(全国16・9%)・国庫支出金28・1%(全国12・0%)である。 ※本論で言及した幾つかの文献は風游サイトで参照することが出来る。 http://www7b.biglobe.ne.jp/~whoyou/ (『情況』2011年7−8月合併号) |
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