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沖縄経済の特異性はどうしてつくられたか



  宮 田  裕(元沖縄総合事務局調整官)


○米軍統治下の財政援助
 
 1945年4月1日、米軍は沖縄本島に上陸した。その直後の4月5日には、米国海軍元帥C・W・ニミッツの名において「ニミッツ布告」を発布し、「米国海軍軍政府」を樹立した。翌46年1月29日、「沖縄を日本から分離する覚書」により、沖縄は本土から分離され、米軍統治が始まった。戦後の1950年12月5日、米国海軍軍政府は「琉球列島米国民政府(USCAR)」に改称され、高等弁務官制度のもとで独裁権を行使するようになった。
 琉球列島米国民政府は1951年5月1日、「琉球列島経済計画(1951〜55年度)」を策定した。経済政策の目標は、「ガリオア資金を活用して戦前の生活水準に匹敵する水準の確立を図ること、またこの生活水準での自給確保の水準を達成すること、経済の金融機構を安定化すること」と述べている。経済計画期間中にガリオア資金(占領地域統治救済資金)226億3000万円の救済資金を沖縄に援助した。ガリオア資金は、沖縄復興としての電力施設、水道施設、道路、港湾等の復興資金のほか、食料品、肥料、油脂類、薬品、建設資材、教育材料等に使われた。さらに産業復興を目的に船舶、漁船も提供されるようになった。
 さらに米軍は極東のキーストーンとして沖縄に基地を建設し、道路、空港、港湾、ダム開発等の社会資本の整備、電力供給、食糧援助等のインフラ整備、民生安定事業等に取り組むようになった。
 一方、日本政府は敗戦から17年間、沖縄の経済復興に関心を示すこともなく財政援助をしてこなかった。これが原因で沖縄には本土との社会資本・生活基盤の格差、所得格差を生じた。日本政府は米国の要求を受け、1962年9月13日「日本政府の琉球政府に対する援助について」閣議了解し、翌63年度に初めて沖縄への財政援助を開始した。このことが沖縄の戦後復興が遅れた大きな原因である。
 なぜ日本政府は、沖縄に財政援助を行ったのか? その根拠は1962年3月19日に発表された「ケネディ新沖縄政策」にある。新沖縄政策、沖縄が日本の一部であることを認め、@沖縄住民の福祉向上及び沖縄の経済発展を増進する、A太平洋のキーストーンとして沖縄の米軍基地を重視する、B日米協力体制の強化で沖縄基地を安定的に保有する−−が主な内容である。こうした沖縄統治をすすめる上で米国はその経済負担の一部を日本政府に求めた。
 これを受け、日本政府は財政援助を決定したが、援助の内容は、@琉球政府(市町村を含む)の諸施策、事業等の水準を本土並みに引き上げ、住民の所得の向上に努める、A沖縄に日米琉諮問委員会を設置し、援助については沖縄住民の意思を反映して実施することなどであった。
 日本政府が沖縄援助を開始した1963年度の日米両政府び援助額は71億4831万円であった。そのうち日本政府は10億1283万円(14%)、米国政府は61億3543万円(86%)で米国の援助額が約9割近くを占めていた。琉球政府は、米国政府の援助金で戦後の沖縄復興を図ってきたのである。
 日本政府が沖縄への財政援助を開始した63年の一人当たりの県民所得は301ドル、当時の為替レートで10万8000円、日本の一人あたり平均所得21万5000円のわずか2分の1に水準であった。
 米軍統治下で27年間、琉球政府に対する援助金は、日本政府1232億円(43%)、米国政府1649億円(57%)であるが、日本政府援助金の8割は沖縄返還が確定した69年度以降の復帰対策に集中している。

○復帰対策と「償いの心」

 1971年6月17日、日米間で沖縄返還協定が調印された。政府は72年の沖縄返還に向けて、沖縄復帰関係法案を立案し、71年10月16日に召集された第67回臨時国会(沖縄国会)に提出した。沖縄復帰関連法は、@沖縄振興のための「沖縄振興開発特別措置法」「沖縄開発庁設置法」「沖縄振興開発金融公庫法」の開発三法、A本土制度への移行を定めた「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」からなる。
 沖縄復帰関連の立法趣旨は、沖縄に対する「贖罪意識」すなわち「償いの心」は原点になっている。71年10月に召集された沖縄国会で、山中貞則総理府総務長官は沖縄関連法案の立法趣旨説明に当たり、戦後沖縄の歴史認識に触れ、沖縄県民に謝罪した。その内容は沖縄は先の大戦で最大の激戦地となり、全島が焦土と化し、沖縄県民十余万人の尊い犠牲者を出したが、戦後27年間米国の支配下に置かれた。日本国民と政府は、多年にわたる忍耐と苦難の歴史の中で生き抜いてこられた沖縄県民の心情に深く思いをいたし、「償いの心」を持って復帰関連法律を策定する、と述べた。
 復帰直前の71年暮れ、山中総理府総務長官は沖縄で「米軍統治下に終止符を打つ」と明言した。長い間、苦難の歴史を歩んできた沖縄県民に対する謝罪の気持ちを述べ、政府の責任で復帰対策を進めていると説明した。
 沖縄で復帰準備に取り組んでいる日本政府沖縄事務所職員に対する訓示では「戦後4分の1世紀余の長きにわたり我が国の施政権の外に置かれてきた沖縄を迎えるにあたって、忍耐と苦難の歴史の中で生きてこられた沖縄県民の方々の心情を深く思い、県民への償いの心をもって祖国復帰という歴史的な大事業の達成に全力投入せよ。そして諸君は今、非常に苦しい試練の時期であるが、沖縄復帰という輝かしい未来に向かって復帰対策には万全を期して対処してほしい」と激励した。
 沖縄は戦後27年間、米軍支配下に置かれ、暗くて不幸な歴史がある。山中総務長官訓示はこのような歴史認識のもとに復帰対策の基本として沖縄県民に「償いの心」を強調したものだった。
 1971年の沖縄国会で「新生・沖縄県」の誕生と建設を図るために、「沖縄振興開発特別措置法」「沖縄開発庁設置法」「沖縄振興開発金融公庫法」の開発三法と「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」の復帰関連法が制定された。

○沖縄振興の4点セット

 沖縄振興の特徴は、@政府が沖縄振興法を制定する、・内閣総理大臣府が沖縄振興開発計画を策定する、A沖縄にわが国最高の高率補助を適用する、・沖縄振興開発予算は内閣府が一括計上する−−の4点セットからなる。このような仕組みは、沖縄に与えられた特別措置である。
 なぜ、沖縄にこのような制度を適用しているのか。それは沖縄の振興開発は「償いの心」が原点になっているからである。地域の振興計画は、県や市町村が担当すべきであるが、沖縄の振興開発は政府の責任で行われている。沖縄の特殊事情にある。
 沖縄の特殊事情とは、@沖縄は第2次大戦最大の激戦地で全土が焦土と化し、沖縄県民は沖縄戦を生き抜き廃虚の中から過酷な歴史を歩んできたこと、A戦後27年間、米軍の施政権下に置かれたたこと、B沖縄県には過度な米軍基地が集中していること−−等から政府は「贖罪意識」すなわち「償いの心」で沖縄振興に責任を持つことを「沖縄振興開発特別措置法」の立法趣旨で明確にしているからである。
 政府は、本土との格差を早急に是正し、沖縄の地理的、自然的条件を生かした自立的発展の基礎づくりを行い、希望の持てる沖縄の将来展望を県民に明らかにするため、復帰後四次にわたる「沖縄振興(開発)計画」を策定し、沖縄振興に取り組んでいる。
 沖縄振興(開発)特別措置法は、本土において適用されている個別立法のすべての優遇措置を沖縄に適用しており、沖縄振興開発事業については内閣府が予算を一括計上し、全国一高い高率補助を適用しているのは、政府の責任で沖縄振興を推進することを明確にしているからである。

○振興予算は「ODA沖縄版」

 復帰後、政府は「沖縄振興開発特別措置法」「一次〜三次沖縄振興開発計画」(1972年度〜2001年度)および「沖縄振興特別措置法」「沖縄振興計画」(2002年度〜11年度)に基づき、2009年度までに8兆7885億円の振興開発事業費を計上した。その結果、道路、空港、港湾、ダム開発など社会資本の整備は急速に進み、沖縄の経済社会は着実に発展してきた。
 しかし、政府の沖縄政策の目玉として実施されている「本土との格差是正」及び「自立的発展の基礎条件整備」のために投下された振興開発事業費は、経済自立には結びついていない。沖縄振興予算の実施機関である内閣府沖縄総合事務局が発注する公共事業費の50%は県外業者が受注し、沖縄の予算が本土に還流するという“ザル経済”を構築しているからである。本土ゼネコン業者は政府の沖縄振興開発事業(公共事業)を受注しているが、県、市町村の税収には貢献していない。
 2007年度沖縄県財政の決算によれば、歳入総額に占める地方税収入の割合は19.9%で、全国都道府県平均の33.3%に比べて極端に低い。その原因は、沖縄への財政投資が県外に還流し資金循環効果に乏しく民間経済を誘発していないしくみになっているからである。
 復帰後、政府の責任で沖縄の新興開発を実施しているが、財政資金は、途上国援助として投入されるODA資金と同様にその大半が日本企業の受注で日本に還流する「ODA援助」と形が類似しており、「ODA沖縄版」となっている。

○「ザル経済」で産業は停滞

 復帰後、8兆8000億円の内閣府計上の沖縄振興事業費が投下されたが、経済活動を見ると県内総生産に占める第二次産業の構成比は、復帰時の27.9%から06年度は11.8%に低下している。中でも「ものづくり」の製造業は10.9%から4.1%に低下し、民間経済を誘発していない。製造業の割合は全国の21.3%に比べても、その差位は極めて大きい。政府による財政投資は、県外に漏れており、「ザル経済」が経済自立を阻害する原因する原因となっている。
 第一次産業への財政投資は農業振興、農業農村整備1兆1099億円、森林水産基盤3533億円、計1兆4632億円の財政が投下され、農林水産業の基盤整理は大幅に進展したが、県内総生産に占める第一次産業の構成比は、復帰時の7.3%から1.9%に大幅に低下している。
 完全失業率は復帰時の3.0%から08年は7.4%(全国平均4.0%)に2倍以上に拡大し、深刻な雇用・失業情勢が続いている。失業者全体の48%は34歳未満の若年者が占めており、15歳〜19歳の失業率は18.2%、22歳〜24歳は22.2%で失業率で若年者の雇用対策が喫緊の課題となっている。振興開発事業費は県内の資金循環が乏しく産業連関から見ると生産誘発、軍用誘発効果はもたらしていない。県民所得は全国最下位で全国平均の7割の水準で低迷している。
 軍用地料収入に依存している市町村の失業率は嘉手納町17.5%、名護市12.5%、読谷村12.4%、金武町12.1%と異常に高く、不労所得(基地収入)が勤労意欲をそぎ落としていると思われる(2005年国勢調査)。

○硬直化する沖縄県財政

 先にも述べたように、沖縄振興策で復帰後の37年間に8兆8000億円の振興開発事業費が投下されたが、沖縄県の予算に占める税収の割合は、復帰後変わっていない。
 2007年度の歳入構成をみると、自主財源は全体の30.8%で、全国都道府県平均(50%)に比べ財源を大きく国に依存している。歳入総額に占める県税収入の割合は19.9%で全国平均の33.3%に比べると6割弱である。依存財源(69.2%)のうち、地方交付税34.4%(全国23.3%)、国庫支出金25.0%(全国12.2%)の割合が大きい。沖縄の振興開発予算は、ピーク時の98年度4430億円から09年度は2166億円と半分以下に減っている。
 沖縄県の経常収支比率は94.9%で危険ゾーンにある。経常収支比率とは財源構造の弾力性を測定する指標で、人件費、扶助費、公債費等の義務的経常経費に、地方税、地方交付税、地方譲与税を中心とした経常一般財源がどの程度充当されたかを見る指標で、この指標が低いほど普通建設事業費等の臨時的経費に充当できる一般財源に余裕があり、財政構造が弾力的に富んでいることを示す。一般的には、75%程度が安全ゾーン、76〜85%が要注意ゾーン、86%以上は危険ゾーンである。
 一方、沖縄県の財政力指数は、0.29%で財政構造の硬直性と脆弱性を示している。この指数は基準財政収入額を基準財政需要額で除して得た数値の当該年度を含む過去3カ年の平均値をいうが、「1」に近くあるいは「1」を超えるほど財源に余裕があるものとされ、「1」を超えると普通交付税の不交付団体となる。
 また県債残高(借金)は復帰時(1972年度)の21億円から2007年度は6582億円に拡大し、沖縄県の財政は硬直化している。

○基地とリンクした振興策

 基地所在市町村の財政は、基地交付金、基地所在市町村活性化事業(島田懇談会事業)、北部振興事業で「箱モノづくり」がなされてきたが、維持・管理等のランニングコストで市町村財政は硬直化し、地方は閉塞感から抜け切れていない。
 基地所在市町村には、年間約280億円の防衛施設生活環境資金(民生安定施設補助)、特定防衛施設交付金、国有提供施設交付金、基地施設所在市町村調整交付金等が交付される。その他、基地受け入れの対価として基地所在市町村活性化事業(島田懇談会事業)1000億円、北部振興事業1000億円が担保された。
 島田懇談会事業は、基地所在市町村の閉塞感を緩和し、経済を活性化することで若い世代に夢を与える事業として1997年度にスタートしたが、地域は潤っていない。08年度までに837億円が事業採択されたが、「箱モノ」がつくられ、雇用機会の創出、経済の自立、人づくりを目指す事業目的は達成されず、将来の展望は描かれていない。
 北部振興事業は、「普天間飛行場の移設に係る政府方針」として2000年度に特別予算100億円が計上され、新たな基地建設の代償措置としておおむね10年間で1000億円が担保された。2000年度から2007年度までの北部振興予算の実績は、公共事業442億円、非公共事業252億円、計694億円が事業採択された。北部振興事業は基地とリンクしているため、基地受け入れの条件が付いている。
 たとえば07年度予算は、V字型の代替海上基地建設を認めない沖縄側に防衛省が反発し、10カ月も予算が凍結され、新規・継続事業がストップし、年が明けた08年1月22日、会計年度がわずか2カ月の期間で予算凍結の解除を行ったが、基地とリンクしている地域振興の在り方が問われている。
 基地交付金、基地とリンクした予算で地方自治を行うことは、地域の主体性を失うことになり魅力ある地域づくりはできない。
 基地所在市町村には深刻な財政問題も発生している。基地依存度の高い自治体は嘉手納町40%、次いで宜野座村35%、金武町は35%である。これらの市町村は、基地収入が税収の2倍を超えており、基地収入がないと予算が組めない構造的な問題を抱えている。
 普天間飛行場移設関連経費としては、北部市町村には基地周辺対策費、基地交付金、北部新興事業費、SACO関連経費等3800億円の財政移転がなされた。移設受け入れ先の名護市は法人事業税収入の減少、起債残高の増加、失業率の増加等がみられる。

○制度設計の不備

 現在の振興事業費は、公共事業中心の振興策となっている。道路、港湾等の社会インフラは本土並みに達しつつあり改善がみられるが、振興事業費が教育、福祉、医療など県民生活と密接な分野に使えるような制度設計にはなっていない。
 沖縄振興の切り札として金融特区、IT特区等の経済特区が制度化されたが、経済活性化のトリガー(引き金)としての優遇税制はほとんど活用されていない。金融特区は、北部振興策の一環として普天間飛行場の辺野古沖受け入れ条件として制度化されたが、事業認定を受けて立地した企業は一社にすぎず機能していない。金融特区のメリットは、法人税から35%の所得控除を行うことで銀行業、証券業、保険業を集積するとしているが企業誘致のインセンティブにはなっていない。
 沖縄の金融特区は欧州のダブリン(アイルランド共和国)をモデルとしている。ダブリンは@政府の積極的な介入、A法人税率10%適用、B産業開発庁による積極的なマーケティング活動、C内閣府と業界団体による効率的な運営仕組みづくり、Dアイルランド中央銀行による迅速な金融機関の許認可等政府主導で取り組んでいる。ファンド会計に習熟した会計士、金融、保険専門家育成の大規模プログラム導入による教育水準の高さ、若い労働力の供給等で外国企業が進出している。高度情報通信ネットワークも整備され、便数の多い国際空港があり成功している。
 沖縄の金融特区は制度設計がお粗末すぎる。その他のIT特区、観光特区についても優遇税制の活用実績に乏しく、産業振興の牽引力とはなっていない。企業の立地促進と貿易の振興を図る目的で設置された特別自由貿易地域、那覇自由貿易地域制度については、関税法の枠内で運用されており、アジア諸国と戦争していく制度ではない。
 30年間の復帰プログラムが終わり、新たな「沖縄振興法」策定に当たり、稲嶺知事は「魚より釣り具がほしい」として政府に「経済特区」を認めされたが、沖縄に与えられた経済特区は「魚が釣れない釣り具」で沖縄振興の牽引力になり得ていない。

○沖縄の優位性を生かせ

 沖縄は経済問題を「政治」で語り、要請、陳情行政で問題解決を図ってきた。特別措置、高率補助で国に依存してきた。自立経済を構築する沖縄振興策は生産・需用創出、新規ビジネスの開拓等、経済の成長戦略となり得ていない。
 沖縄に活力をもたらすのは「ものづくり」、「文化」の産業化である。比較優位としては、未利用植物と有用微生物による発酵技術を組み合わせたサプリメント開発、海洋資源を利用した自然海塩、ニガリの新分野の産業化、月桃(ショウガ科の多年草)からの化粧品開発等が考えられる。また醸造副産物(泡盛、蒸留粕、ビール酵母等)の再利用、健康食品など資源活用型新技術開発は有望と思われる。
 音楽・文化の産業化で沖縄が注目されている。沖縄発音楽・映像等に産業化、かりゆしウェアーのデザイン開発等は成長産業になり得る。
 健康・長寿・癒しは沖縄の比較優位の分野である。沖縄の特性は長寿・癒しであり、いつでも誰でも体験できる亜熱帯ヘルシーリゾートに特化した健康の産業化は、他地域ではまねのできないユニークな分野である。健康長寿県として沖縄の伝統食品、薬草等の健康食品は成長性の高い産業であり、沖縄のポテンシャルはそれに十分こたえられる。
 近年、アジアの食に貢献する沖縄が見直されてきた。中国産野菜の農薬使用で、アジア主要都市は食に対する不信・不安が高まっている。アジアの市場に新たに取り組み、沖縄からシンガポール、香港等アジア市場へ安全・安心な沖縄野菜・食材を供給することはアジアの食に貢献することなる。
 観光・リゾート分野では、東アジアの富裕層をターゲットにすることで沖縄観光の魅力アップが図られる。07年度に沖縄を訪れた観光客をは589万人であるが、そのうち外国人観光客のシェアはわずか3%(約19万円)である。アジア市場は潜在需要が高い。09年春に沖縄本島の主要港湾である那覇港には10万トンクラスのクルーズ船バースが暫定供用される。台湾や中国沿岸部に近い地理的特性を生かし、アジアの富裕層をターゲットにした観光戦略で新たな観光需要の喚起が期待されている。


『沖縄「自立」への道を求めて◆基地・経済・自治の視点から』(高文研090725)所収

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