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琉球弧の自己決定権の樹立へ


ナラン!日米の軍事植民地

 亜熱帯の風を揺らし、百年の従属の根を食い破るように沖縄が動きはじめた。そのシグナルはもはや天皇の国家とアメリカの傘の下の日和見で曇った感度ではキャッチできない。
 戦後65年、朝鮮戦争60年、日米安保改定50年、そしてコザ暴動40年、沖縄と日本の戦後史を決定づけた歴史的な節目の年に当たる2010年。戦後日本に初めて政権交代が実現し、これまでの戦後国家を拘束していたさまざまな呪縛を解除していくことが期待された。しかし、この間の普天間基地の「移設=新基地建設」をめぐる政府中枢の言動と自己保身的な国民意識の動向から見えてきたことは、日本の国家と国民がいかにアメリカを内面化し従属化されていたのか、ということである。沖縄のわれわれが目撃したのは、政治力学の変更ぐらいでは日本政府と日本国民そのものの沖縄認識は変わらない、という動かしようもない事実であった。


日本の枠組みを越え、沖縄自らの地図を

 こうした日本国家と国民の沖縄観は、歴史化されたものでありかつ構造的なものである。そして普天間「移設=新基地建設」をめぐって露呈した国家としての日本の内向の共犯/共同性は、またしても沖縄の主張を封じ込め、排除しようとしている。
 だが、沖縄の意思を排除しながら従属化させるやり方は何時までも通用するわけがない。いまや抗議や怒りの声が、地域や階層や組織を横断し、「島ぐるみ」の様相さえ呈している。その怒りと異議申し立ては、沖縄民衆の歴史体験の深みから立ちのぼってくるものであり、日本の戦後の枠組みを決定づけていた日米安保そのものの前提を問い直すところまで風向きを変えようとしている。
 この怒り、この流れ、この想像力をこれまでのような政治力学に回収するのではなく、新たなる実践の地平に解き放っていくための眼と声が求められている。問われているのは、沖縄自身の思想と実践の射程である。アメリカの影の下にドメスティックな安全と安心を享受し、アジアからの視線を封印した日本の〈外〉を想像し創造することができるのかどうかである。
 答えははっきりしている。沖縄の地に立ち、沖縄の知によって生産した沖縄自らの意思を保障する政治的・文化的空間を、誰の手にもゆだねることなく、自らの知恵と力によって創造していくことである。沖縄の自立と自己決定権への意思を、2010年という転換期の時代の風景の尖端に描き込むことである。われわれ自身の地図を製作しなければならない。


脱冷戦・脱植民地化から琉球共和社会連邦へ

 沖縄戦の死者たちの遺念に思いを寄せること、日米合作の軍事植民地的な〈例外状態〉で精神を損ない、命を落とした無念の声を想像力をもって聴き取ること、そして歴史の正典が周辺化し封印した、アジアの半島と群島の脱冷戦、脱植民地化のタタカイに繋がること。
 われわれはみなガマから生まれたイノチであり<艦砲ヌ喰ェーヌクサー>である。
 そして、われわれは<復帰ヌ喰ェーヌクサー>である。
 沖縄が、どこでもない沖縄に還ること、主体を発明し未聞の声を情況に打ち立てよう!
 日本の海外県としての位置からアジアの脱植民地化の共闘者となろう!
 世界のイメージを変えること、内発を力にすること。
 還我琉球、原点有理、そして沖縄の自己決定権樹立と琉球共和社会連邦へ!


 われわれは、2010年が沖縄の決定的な変革の年であることを、震える神経でキャッチする。われわれは琉球弧の自己決定権の〈構成的力動〉の創発へむけて、琉球弧を横断する有志の連合体である。ひとりひとりが自立した表現者であり、実践者である。

ヒヤミカチウキリ!
大和世ぬ幻想〈ゆくし〉 復帰〈たちむど〉る未来〈さち〉や
我〈わ〉した島琉球 世〈ゆ〉や直〈のう〉れ


ナラン!日米の軍事植民地  琉球孤(奄美・沖縄)の分断をゆるすな!
沖縄への構造的差別をゆるすな!  米軍基地はヤマトへ!
日本軍・自衛隊は沖縄からゴーホーム!
「琉球弧の自己決定権の樹立へ」有志連合(2010.04.25)

琉球自治共和国連邦独立宣言

 2010年、われわれは「琉球自治共和国連邦」として独立を宣言する。現在、日本国土の0.6%しかない沖縄県は米軍基地の74%を押し付けられている。これは明らかな差別である。2009年に民主党党首・鳩山由紀夫氏は「最低でも県外」に基地を移設すると琉球人の前で約束した。

 政権交代して日本国総理大臣になったが、その約束は本年5月の日米合意で、紙屑のように破り捨てられ、辺野古への新基地建設が決められた。さらに琉球文化圏の徳之島に米軍訓練を移動しようとしている。

 日本政府は、琉球弧全体を米国に生贄の羊として差し出した。日本政府は自国民である琉球人の生命や平和な生活を切り捨て、米国との同盟関係を選んだのだ。

 琉球人は1972年の祖国復帰前から基地の撤去を叫び続けてきたが、今なお米軍基地は琉球人の眼前にある。基地があることによる事件・事故は止むことがない。日本国民にとって米軍の基地問題とは何か?琉球人を犠牲にして、すべての日本人は「日本国の平和と繁栄」を正当化できるのか?われわれの意思や民族としての生きる権利を無視して米軍基地を押し付けることはできない。

 いまだに米国から自立することができない日本国の配下にあるわれわれ琉球人は、絶えず戦争の脅威におびえ続け、平和に暮らすことができない。

 琉球人はいま、日本国から独立を宣言する。奄美諸島、沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島からなる琉球弧の島々は各々が対等な立場で自治共和国連邦を構成する。琉球は三山時代(14C半ば〜15C初期)を経て、1429年に琉球王国として統一された。

 その後1609年、薩摩藩は琉球王国に侵略し、奄美諸島を直轄領とし、琉球王国を間接支配下に置いた。1850年代半ばに琉球王国は米・蘭・仏と修交条約を結んだ。1872年に日本国は琉球王国を一方的に自国の「琉球藩」と位置づけ、自らの命令に従わなかったという理由で1879年、「琉球処分」を行い、「琉球王国」を日本国に併合した。

 その後、琉球王国の支配者たちは清国に亡命して独立闘争を展開した。日本国に属した期間は1879年から1945年、1972年から2010年までのわずか104年間にすぎない。琉球が独立国であった期間の方がはるかに長いのである。

 太平洋の小さな島嶼国をみると、わずか数万の人口にすぎない島々が独立し国連に加盟している。これらの島嶼国は、民族の自立と自存を守るために、一人ひとりの島民が「自治的自覚」を持って独立の道を選んだのである。国際法でも「人民の自己決定権」が保障されている。琉球も日本国から独立できるのは言うまでもない。

 これからも日本政府は、「振興開発」という名目で琉球人を金(カネ)で支配し、辺野古をはじめとする基地建設を進めていくだろう。長い歴史と文化、そして豊かな自然を有するわが琉球弧は、民族としての誇り、平和な生活、豊かで美しい自然をカネで売り渡すことは決してしない。

 平和運動の大先達・阿波根昌鴻は「土地は万年、金は一年」と叫び、米軍と闘った。われわれ琉球人は自らの土地をこれ以上、米軍基地として使わせないために、日本国から独立することを宣言する。そして独立とともに米軍基地を日本国にお返しする。

2010年6月23日 慰霊の日に
呼びかけ人
松島 泰勝(ゆいまーる琉球の自治/龍谷大学)
石垣 金星(ゆいまーる琉球の自治/西表島郷土史家)


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