スタイルシート原理主義者に「怒られ」捲くつたせゐか、それなりに全うな記述となつてゐます。
しかし、「怒られ」た事を恨みに思つてゐるらしく、全體にかなり嫌みたらしい記述となつてゐます。「PC Tips」も眞つ青です。わらひ。
全く、嫌なら嫌で、解説をすつぱり切落してしまへば良いのですが、何で嫌ひなものを一生懸命解説して見せるのでせうか。
スタイルシートを使用することのメリットには次のようなものがあります。
- 見栄えを一度に指定しちゃえ:
- 見栄えを一度に変更しちゃえ:
- 自分の好きな見栄えで見ちゃえ:
- 見栄えと意味を分離しちゃおう:
しちゃえ
とかしちゃおう
とか、良い歳をしたをぢさんの文體としてはふさはしからざるものだと思ふが如何。どうやら、わざと氣持ちの惡い書き方をして、スタイルシートに對する嫌惡感を煽らうとしてゐるものと見受けられる。
- 未対応のブラウザもある:
- ブラウザによって動作が異なる:
- ひどい実装のブラウザが多い:
- 保存すると見栄えが・・・:
箇條書きをしたければul/li要素を適切に用ゐるべきだと指摘したい。(この文書では修正してあります)或は、項目とその解説を記述する際には、定義リストを適切に用ゐるべきです。
とほほさんは、ブラウザのバグをCSSのせゐだと言つてゐます。はつきり言つて、責任轉嫁です。
とにかく・・・まだまだ現時点では、スタイルシートを使用するのは、それなりのリスクを負うことを覚悟する必要がありそうです。
スタイルシートを使用しなければリスクはないかのやうな言ひ方をするのは、非常に危險です。「Netscape Navigator系タグ」を濫用したHTML文書はMosaicで全うに表示されないので、「Netscape Navigator系タグ」を使用するのにも當然「それなりのリスクを負」はねばなりません。
もつとも、とほほさんの視野には、Mosaicだのlynxだのと云つたブラウザは入つてゐないやうです。しかし、lynxでまともに表示されない事はリスクではないのでせうか。勿論とほほさんは「世の中で使はれてゐるブラウザは、殆どがNetscape NavigatorかInternet Explorerだ」と言ふでせう。しかし、さう云ふ主張は「閲覽者にブラウザを選ぶ權利はない」と言ふのと同じ事です。
2001年春現在、Netscape Navigator 4.xのシェアが激減し、Internet Explorer 4.x/5.xが市場シェアの九割を占めてゐます。いまや、Cascading Style Sheetsを積極的に用ゐる事には餘りリスク
がない、と言へるやうな状況となつてゐる譯です。
また、特にNetscape 4.*での実装はひどいので、Netscapeでも正常に表示されることをちゃんと確認しましょう。
と、とほほさんは言つてゐますが、「問題の多いNetscape Navigator 4.xを切捨てる」勇氣を持つ事も重要でせう。
とは言へ、Netscape Navigator 4.xの表示が絶對ではない、と云ふ認識が、現在では一般化しつつあります。Netscape 6がリリースされてしまつた今、Netscape Navigator 4.xに「對應」すべきかどうかは、よくよく考へてみる必要があります。
W3Cがスタイルシートを開発した理由の一つに、アクセシビリティというものがあります。目の見えない人にも正確に意味を伝える、視力の弱い人が特大のフォントで読むことを可能にする、マウスの使えない人にもキーボードでの操作を可能にする、などなど。
W3Cの「理想主義」に、とほほさんは反論出來ません。だからとほほさんは、その理想主義の支持者を、或は支持する態度を攻撃します。
スタイルシートのメリットや、このアクセシビリティの思想に感動して、「これからは全員スタイルシートだっ!」とばかり、人のWebページにまでケチをつけたがる人をたまに見かけます。「スタイルシートを使うと、Netscapeでまともに見れないから・・・」というと、「そんなブラウザを使っている方が悪い。」とまで言う人もいるようです。
先行する人間の傲りが感じられる文章です。或は、既に安定した地位を築いてゐるから、とほほ氏は後發のCSS派の非難をケチ
と呼んで、自分の地位を守らうとしてゐるのでせう。既成事實を楯にとり、己の權益を守らうとする態度には反吐が出さうです。
Netscape Navigator依存の「タグ」に盲目的に固執し、論理的により全うであるHTML+CSSと云ふやり方を排斥しようとするとほほ氏の態度こそケチ
臭いものです。
そもそも「スタイルシートを使つてゐる方が惡い」と、とほほさんは言つてゐるのではないですか。
しかし、UNIX端末しかなくてNetscapeしか使えない人も居ます。意味だけでなく、目に優しい見栄えを考慮しなくてはならないこともあると思います。<FONT COLOR=pink>春だねぇ</FONT> といった、見栄えの情報が目の見えない人にも雰囲気を伝えることもあると思います。
unixではlynxが依然、嚴然たる勢力を保つてゐる事を、とほほさんは知らないやうです。なぜとほほさんはそんなにNetscape Navigator 4.x(Mozilla Classic)に拘はるのでせうか。
とほほさんはMozilla Classic以外のブラウザを知らないのでせうか。とほほさんはそんなに無知なのでせうか。ものを知らないくせに「入門」なんてものを拵へてゐるのならば無責任ですし、知つてゐてとぼけてゐるのならば「確信犯」です。
Mozilla Browser/Netscape 6がリリースされ、とほほ師の主張も崩れてしまひました。
そもそも、
が<FONT COLOR=pink>春だねぇ</FONT>
雰囲気を伝える
と云ふとほほさんの主張も怪しいものです。
とほほさんは、文脈を無視してさう云ふマークアップの「例」をいきなり示してゐます。とほほさんは、文章の中でどのやうに使はれてゐるのかがわからない春だねぇ
と云ふ文句をいきなり示して、何らかの雰囲気を伝えることもある
と言つてゐます。とほほさんは、わざと曖昧なものの言ひ方をして、「こんな使ひ方をしたつて良いではないか」と言つて、反論を封じようとしてゐます。しかし、かう云ふ「反論を封じる爲」にでつち上げられた「都合の良い例」は、とほほさんの主張を裏附けるものではありません。
少くとも、<em>春だねぇ</em>
の方が、
よりも汎用性のあると云ふ事に、とほほさんは反論出來ないのではないでせうか。漠然と色を附けたところで、雰圍氣が必ず傳はる、と云ふものでもありません。<FONT COLOR=pink>春だねぇ</FONT>
そして、fontだらうが、スタイルを設定されたemだらうが、「リスク」を背負つてゐる事には變りがありません。最終的に、或色の附いた文字列をどのやうに解釋するかは、閲覽者次第です。閲覽者はピンク色が嫌ひであるかも知れません。究極的な事を言へば、HTML文書を見た閲覽者が何を感ずるかは全くわかりません。そして、ただの「ピンク色」を漠然と示すよりは、「強調」と云ふ事を明示した方が、制作者の意圖を閲覽者が誤解する危險性だけは低くなります。制作者が雰囲気
に逃げる事で却つて誤解を生むリスクが高まると云ふ事を、私は指摘したいと思ひます。
また、背景色がpinkであつた場合、
では、字が讀めなくなります。それから、pinkと云ふ色は、HTML 4.01で定義されてゐません。<FONT COLOR=pink>春だねぇ</FONT>
それにしても、目の見えない人に見榮えの情報が傳はるんですかねえ。口から出任せも休み休み言ふがよいのです。
W3Cの仕様書に定義されているから・・・ではなく、それぞれ一人一人が、自分の考えで、スタイルシートを使う、使わないを考え、自分のホームページを作成して欲しいと思います。(・・・ってなことを書くと、また怒られそうだな^^;)
一見正論みたいですが、「話し合ひ」だの「良く考へて」だのと云つた類の言ひ方は、責任囘避以外の何物でもありません。この手の「大人の態度」ほど、嫌らしいものはありません。一見公正なやうで、實は不公正だからです。
自分の意見がはつきり固まつてゐるのならば、はつきり言へばよろしい。
第一、「敵」に對する嫌みを連發し、相手のイメージを惡くする事で讀者を自分の側になびかせようだなんて、そんな卑怯な眞似をした擧句、自分の考えで
なんて言ふのは間違つてゐます。その一人一人
の考え
は既に自分の考え
ではなく、とほほさんの「偏見」に支配されてしまつてゐます、とほほさんに誘導された考え
以外の何物でもなくなつてしまつてゐます。
とほほさんの攻撃目標は所詮、「スタイルシートの支持者」でしかありません。とほほさんが幾ら嫌みたらしい文章を書き綴らうとも、スタイルシートの理念は全く搖らぎません。的外れなとほほさんの「反論」は、反論になつてゐません。そもそもこともある
と言つてばかりでは、全體の理念を否定する事は出來ません。
それにしても、(・・・ってなことを書くと、また怒られそうだな^^;)
とは、何ともふざけた言ひ草ではありませんか。眞つ向勝負を「ガキつぽい」と決めつけるのは勝手ですが、ごねてごねてごねまくつて自分の意見を通すやり方が「大人」のやり方なのですか。納得出來ません。とほほさんは潔く負けを認めたらどうですか。負けてゐるのですから。
とほほさんは、負けを認めて見せてゐます(2000.6.13)。後(2000.7.9)になつて氣附いた。
もつとも、「批判されたら文章を撤囘して自分を善人に見せかける一方、主張は撤囘しない」と云ふ、良くあるパターンをとほほ師もなぞつてゐるに過ぎません。
私としては、「人に押し付ける」人に対して、「スタイルシートは現時点ではまだ『諸刃の剣』なんだから、闇雲にもに人に薦めるのも問題があるよ」と言いたかったのですが、論争になって(論争にして)しまい、また、悪い面ばかりを強調してしまい、多くの方に誤解を与えてしまったようです。すみません。
例によつて、論爭相手に「人に押し付ける」人
のレッテルを貼つてみたり、「自分はスタイルシートの惡い點を強調しただけだ」と居直つてみたり、「私を批判してゐる人達は誤解してゐるのです」と自己正當化をはかつてみたり、と、とほほさん、相變らず反省する氣もないやうです。反省してゐないのなら、發言の撤囘は爲にするものでしかありません。或は、撤囘して見せる事によつて、却つて自分の意見を押通せると、とほほ師は考へてゐるのです。
自分自身が他人にNetscape Navigator 4.x(Mozilla Classic)の使用を押し付けて
ゐる事實を、とほほさんは認めません。自分は人に押し付け
をやつておいて、そのくせ反對者を人に押し付ける人
と言つて非難するとは、とほほ師も良い根性をしてゐます。自分の事を棚に上げれば、幾らでも他人を罵れると云ふ、良い例です。
そもそも、「誤讀」を誘つておいて「誤讀された」と愚癡るのはどう云ふ積りなのでせうか。「スタイルシートは現時点ではまだ『諸刃の剣』なんだから、闇雲にもに人に薦めるのも問題があるよ」
等と、とほほさんは言つてゐませんでした。とほほ師は、「スタイルシートはリスクが高い」とひたすら言つてゐました。
或はとほほ師は、豫め故意に意圖を隱蔽しておいて(「見え見え」でしたが)、批判されたら「俺の意圖が傳はらなかつた」と嘆いて見せたのです。もつとも、曖昧なものの言ひ方をすれば、批判者には當然付け込まれます。とほほ師は勘違ひしてゐるのです。曖昧で雰囲気
を傳へるだけの言ひ方は、誤解を誘發するばかりでなく、制作者の思ひもよらぬ形で批判の種となるのです。曖昧なものの言ひ方は屡々危險です。そして、曖昧な「物理マークアップ」はやはり危險なのです。曖昧な言ひ方をすれば、讀者は良く解釋して呉れるだらう、と、とほほ師はたかを括つてゐたのです。讀者はそんなに甘くはありません。
──と云ふか、論爭すれば負けるから、とほほさんは逃げたのです。わざと自分から負けを認める大人の態度を示して、「ガキ」に對する「實質的な勝利」を演出して見せてゐるのです。大東亞戰爭に負けた時、朝禮で「負けるが勝ちと云ふ事もある」と演説した小學校の校長先生がゐたさうであります。とほほさんの遣り口はそれとそつくりです。或は、とほほさんの遣り口は卑怯です。
なほ、どうでも良いのですが、闇雲にもに
は原文のママです。