四国のみちと遍路
                                                              
≪四国のみち≫ 【root26(三角寺から椿堂のみち)〜県境を越える】

2015年12月18日
≪第65番三角寺〜東金川休憩地〜椿堂〜国道192号線≫(8.5km)

          
 ここまで随分と時間を食ってしまっている。やはり、遍路道を辿る人の所要時間は参考にはならないようだ。

  
 8時25分、三角寺の石段で記念写真を撮り、参拝時間はいつものとおり30分程度だ。

 
 三角寺を出て、9時18分、我々は歩き遍路が使う道じゃなくて、四国のみちへと行く。この辺り、小生の持参の地図は遍路道は『椿堂への近道』と書かれている。そして、小生の方は『四国のみち』と書かれているだけだ。その小生持参の地図は≪歴史を歩く旅マップシリーズ≫という四国遍路地図4だ。この地図は、≪へんろみち保存協力会編≫の四国遍路ひとり歩き同行二人(地図編)の“黄色本”と違って縮尺と方位が同じなのである。そして、『へんろ道(新旧)』と『四国のみち』を表示している優れものだ。

  
 少し降りると、二人連れの女性が道を上がって来た。挨拶を交わすと「三角寺さんを参ったのですか。今日はどちらまで?」と聞くので「取り敢えず椿堂までで、出来れば雲辺寺さんまで」と、相棒が応えた。「ご苦労様です」と丁寧に応えて頂いたのだった。道端に建つ手印の石標は歴史を感ずる代物である。すぐ先にある三角寺口のバス停は、9時37分に通過した。

  
 民家の横の手印は右手は『奥の院へ 五十八丁』、左手は『雲辺寺へ 五里 箸蔵寺へ 七里』と読める。このバスが通る道は、県道5号線へと合流し、新宮へと向かう。そして、すぐ先に“土佐街道登り口”の石標が建っていた。この辺りは淡々とした道路歩きだ。

 
 やがて10時15分、平山バス停のある歩き遍路道と合流する交差点に着いた。

   
 道の右手に“ゆらぎ休憩所”と名付けられた東屋があった。ここで小休止である。5分ほどで再出発、編路道と合流すればルートは明白である。10時44分、道は高速道路を潜っていた。

  
 道端の民家の前に咲いている曼珠沙華のようなピンクの花は“園芸種”だと、相棒が云う。間もなく、左下方に椿堂がある街並みが見えて来た。椿堂秋葉神社を過ぎると、道はカーブを描き下って行った。

  
 11時、椿堂に着いた。参拝を終え、トイレを済ませ予定していた民宿へ連絡を入れた。その民宿の方は「今は何方に?」「今まで、一日でどのくらい歩いていますか?」など問い、「椿堂からだと6時間は必要なので、今の時期、暗くなるのが早いので、こちらまでは無理です」と云うではありませんか。小生は「暗くなっても、歩けますから・・」と宿泊をお願いし「どうなるか、昼過ぎに再度連絡します」と電話を切ったのでした。相棒にその旨を伝えると「暗くなっても大丈夫よ」と、雲辺寺へ行く勢いです。


≪椿堂≫
 ここは四国霊場番外札所で、正式には「邦治山不動院常福寺(ほうじさんふどういんじょうふくじ」といいます。
 平安時代初頭、弘仁6(816)年、弘法大師がこの地に立ち寄られ、持っていた椿の杖を突き立て、当時この地方に流行していた病を大地に封じ込めました。
 その後、この椿の杖から芽が出て大樹になったところから、「椿堂」の名がついたと言われています。



【指導標や標識など】


   

  

  

  


 
環27雲辺寺へのみち