≪四国のみち≫ 【愛媛支6・四国カルストルート)】
2015年11月20日〜21日
≪地芳峠〜姫鶴平休憩地〜五段城〜国民宿舎天狗荘(7.4km)≫
昨夜の宿泊は私たちだけだった。昨日の昼食後、姫鶴荘のご主人に『今、大野ヶ原まで来ているので迎えは要りません』と連絡したのだった。それは、先日の予約の段階で宿泊の件を伝えた際は『雪が降ったら閉める』云々で返事が重かったのだが、『明日からは天気予報では良くなる』し『四国のみちを歩いている』などなどを伝えて『タクシーで天狗荘まで行って、ここへ泊まって翌日、大野ヶ原経由で古味まで降りようと計画している』旨の話をすると、『大野ヶ原まで登って来たら大丈夫じゃ』『来れんかったら、電話してくれたら迎えに行っても良い』から『古味から登って来たらいい』との経緯があったからなのだ。
そんな頼もしい援護もあって、今回の計画が実現出来たのだった。
【11月20日】
地芳峠〜姫鶴平
さて、地芳峠では記念撮影のみで姫鶴荘へと出発し、すぐ先で休憩することとした。その場所には、右手へとガードレール付の舗装道路が藪の中にあった。傍らには“四国のみち”の指導標が転がっていたが、見るも無残な姿になっていた。道路が新しく付け替えられた後、捨てられた物たちはどういう結末を迎えるのか・・暗示しているのか?
14時40分、再出発だ。軽トラが追い越して行ったが、相棒が「あっ、オジサンよ」と云う声が聞こえたのと、車が停まってバックして来たのが同時だった。小生が昼過ぎに電話で『迎えは要らないから・・』と連絡した後、何かを仕入れに出掛けていたのだろうか。姫鶴荘へと戻る途中の様子だった。挨拶を交わすと、姫鶴荘の大将は『お待ちしてます』と走り去った。
相棒が“携帯のチェックをするから・・”と、すぐ先の広くなった場所へ足を止めた。すると偶然にも道路の奥に東屋を発見した。この道は何度も通っているが、初めて見る東屋だった。そしてその脇にも古い道路が藪の中だった。再び歩き出すと直ぐに左手に道が降りていたが、そこには≪作業道 ハイノ谷線≫とあった。
15時5分、唐岩番所跡に着いた。この場所には以前訪れた事がある。地図にはこの先に破線の道が記されている。予土国境には何か所もの道が残されているが、現在使える道は・・・さて。
≪唐岩番所跡≫
関所のことは土佐では道番所といわれ、享保
元年(一七一六)二月の「道番所定式」付録
によると、領内の関所は八十一か所で、そのうち
六十三か所は国境番所、十八か所が内番所であ
って、現在の梼原町には両方合わせて十六か所
の番所があった。
唐岩番所は、土佐と伊予との境目番所の一つ
であって、宝永元年(一七〇四)に設置され、
地芳番所ともいい、永野口番人が享保元年(一
八〇一)まで兼務していた。
番屋は、九尺梁に桁四間の茅葺屋根の総板敷
きで、備付品として鉄砲(一)、手錠(一)と
三ツ道具があり、便所・物置とともに庭前に池
を配し暴風用の樹木もあったという。
現在は、敷地の一部と自然の築山も変形はし
ているが少し残っている。番所の北側には、道
を隔てて「はりつけの岩」がある。
この岩が「はりつけの岩」だろうか、高知県知事の書で『地芳台』と刻まれた石碑が置かれていた。再び歩き始める。今時は、見晴らしの良い小高い場所には、携帯電話のアンテナだろうかアンテナが建っている。お陰で、山奥へ来ても電波は入るのだが、先日の小田深山の不便さが際立つのである。
15時34分、姫鶴荘に着いた。結果的には、今日は7時間半ほどの歩きだった。歩いた距離は≪古味〜大野ヶ原休憩所(15.1km)〜小松(0.3km)〜地芳峠(7.9km)、地芳峠〜姫鶴平(2.9km)≫の26.2kmだった。
夕食は特別料金のBBQを注文していた。そして今日のご褒美はビールだった。黒毛和牛で有名な四国カルストの牛のBBQの夕食で満腹になった。夕食時には昼間のスタッフは皆、自宅へ帰ったようで、大将一人になっていた。大将の住まいは“中津明神山の麓の中津”だという事だった。頂いた名刺には≪財団法人 柳谷産業開発公社≫と書かれていた。大将は、この姫鶴荘の支配人の肩書だ。
【11月21日】
姫鶴平〜国民宿舎天狗荘
姫鶴荘の部屋はユニットバスだった。居心地は快適だったが、TVのチャンネルが地デジのみで、おまけに民放が三社しか入らなかったので、小生はイマイチだった。
目覚ましのアラームが鳴る前、6時半、デジイチを持って外へ出た。そんなには寒くは無い。軽四が二台停まっていた。若いアベックが姫鶴荘の裏から朝陽の昇るのを待っていた。この庭には愛媛県と高知県の境に綱が張られている。日の出は、6時46分頃だった。道路に停まっていたもう一台の車から親子らしい三名が道路へ出て来た。そして、感嘆の声が聞こえた。
部屋の外、テラスから石鎚が望まれる素晴らしいシチュエーションだ。昨日の受付の際、朝食は“8時でお願いします”と言うと『有難う御座います』と、言われた。どうして感謝されるのかピンと来なかったのだが、女性陣は出勤が遅い方が助かるからだった。朝食を終え支払いを済ませ、出発は8時20分過ぎだ。
姫鶴平の休憩舎で記念撮影をして、すぐ先を左折した。この場所も相棒と撮影に来た場所だった。前方に石膏で造ったであろう置物みたいなものが見えたが、近付くとそれは生きたヤギだった。それも二頭が草を食んでいたのだった。もう、“モオ〜”と鳴く牛は居ないのに、何故、取り残されているのかは解からない。
すぐ先に、猪伏の大ケヤキへの案内標識が左へと別れていた。この界隈は、過去、何度も車で通っていた。しかし、今日は目的があった。それは帰路の確認だった。少々の寄り道で、8時45分には本来の道に戻った。道は勾配を増して五段城への昇りとなった。
左手を望める場所からは、高野本川が深く谷を刻んでいるのが確認出来る。そして、日陰になっている場所に、猪伏の大トチの林道の“ドンズマリ”にあるトイレが見える。そして、山座同定の容易な中津明神山の手前にある山の中腹を横切る林道が、帰路に辿る道なのだ。
五段城の近くの道路脇には、案内板が建っているが文字が消えて見え難い箇所があった。
≪五段高原≫
五段高原は四国カルストの中で最も景観がすぐれ
ており、標高は1,000mから1,456mあります。
晴れた日には、東に室戸岬、北に石鎚山が遠望でき
ます。車道のない時代には人々は歩いてここを越え
ていましたが、急な坂道を登る途中、緩い区間が五
つあったことから、この名がつけられました。
近くのササ原には「巨人の踏切」と呼ばれる6u
ほどの窪地があります。この付近には、大小のヂリ
ーネ(石灰岩が雨水によって溶食された窪地)が集
まっています。特に大きいドリーネは直径が8m
深さは5mもあります。
地図を見ると五段城のピ−クの南北方向には、愛媛側にも高知側にも破線の道が残されている。実は、計画段階で町役場(久万高原町役場と柳谷支所)へそのことについて問い合わせをしていたのだった。しかし、結果は“トンチンカン”な返答で、埒が明かなかった。そして、『天狗荘からは、猪伏までの林道が使えます』とのことで、車も通行可能という返事だった。その後ネット検索で確認すると、昨年このルートで天狗荘へと行っているレポを見付けた。
そんなこともあり、一昨日、天狗荘へ行った際にこの“林道”の入口を確認したのだが、驚く事に“工事中・通行止め”の看板があった。その看板は久万高原町が建てていた。ナンテコッタイ。
先日、四国カルストへ寄った際は辺りはガスに覆われて幽玄な雰囲気だったマユミの実も未だ色付いていた。天狗荘の手前にある真っ暗なトンネルは、ヘッデンを取り出して歩いたのだった。
天狗荘には、9時50分に着いた。一時間半を掛けてのノンビリの歩きだった。天狗荘でコーヒーブレイクとして、小休止である。ここにも姫鶴荘と同様に、愛媛県と高知県の境を示す県境が記されていた。
天狗荘の手前に掲げられていた“四国のみち”の案内板は高知県製だった。その真新しい案内板は“天狗高原へのみち【15.6km】”の案内で、秋葉口から天狗荘までの案内が記されていた。いつもの事なのだが、わが県と比較して、高知県が羨ましく思うのである。
≪おまけ、帰路の道≫
さて、休憩を終えれば降りるのみである。10時8分、相棒が「あれ、通行止めの看板が倒れとる・・」と、林道の入口で声を張り上げた。林道の名称は≪東津野城川線≫と呼ぶらしい。鎖を跨いで少し行くと道端に手作りの標識が打ち捨てられていた。その標識には『幹線林道猪伏線 県道303号線経由国道440号へ』と矢印入りで書かれていた。また、『美川・梼原方面可 オールオン』とも記されていて、林道バイク走行愛好者のものらしい看板だった。
谷を挟んだ向こうの道路をダンプカーが三台上がって来ていた。工事中なのかなぁ〜、と云いながら工事場所へ着く。林道の工事期間はH28年3月22日までと掲示されていた。側壁はもう修復を終えているように見えたが、大型の重機など機材が置かれているが、今日は誰も作業をしていなかった。“あれっ、さっきのダンプは何処へ行ったのか・・”また、この林道は平成7年度には開通していたと推測される。
その応えは、その先にある“第二工事現場”だった。今度は≪森林整備中≫の看板と重機類が置かれていた。搬出された木材が積まれて、林道が奥へと伸びているようだった。こちらの工事は高知県の業者の請負だった。それもその筈、取り付きは愛媛県なのだが、右手の鞍部を越えたら高知県なのだ。
10時25分、暫く降りて行くと後ろから大きなエンジン音がして先ほどのダンプカーが追い抜いて行った。相棒が「後のウンチャンが、手を振って行ったヨ」と言うではないですか。高知ナンバーの運転手はどこまでも気持ちがいい〜。相棒が「変な形の雲が出とる」と云うので、カメラを向けたのだが、なんて事はない。そして、二車線の舗装された林道は山腹に続いていた。
谷を挟んだ向こうの山は、先ほど向こう側(南側)の山腹を歩いた“五段城”だ。ここら当りの林道のガードレールはドドメ色に塗られている。景観を考えての事だろう。そして、林道の入口に打ち捨てられていたのと同様の手書きの案内板は、しっかりと建てられていた。
11時4分、天狗荘まで5kmの看板が建っていたが、こちらは天狗荘が建てたものだろうと推測される。つまり、降りなのに、5kmを一時間ほどで歩いていることになる。前方に何か動物が現れた。直ぐに道路から去ったのは“さる”だった。そして、見上げる木にも数匹が見えた・・と、次々に道路を横切ってさる・・のだった。乗用車が一台上がって来た。工事の監督風の人が乗っていた。
猪伏の集落が近付いて来た。立派な林道の立て看板があり、≪林道 小田・池川線の中間点(猪伏)≫とあり、≪幅員7.0m、延長106.6km≫と記されていた。また、別の林道・野地線は橋を渡って続くようだ。ここが起点だ。そしてガードレールに張られたシール。県道303号線・猪伏西谷線もまた、起点である。
11時37分、≪通行止め≫の場所に着く。今までの広い林道と違い、集落を縫う県道は狭い。谷を見下ろすと三段の滝が見えた。暫く歩くと左手の林の中、祠があるがこの集落は“お一人が住んでいるだけ”との情報で、冬は引き払う・・との事だった。
集落が現れた。もう、10数年前に釣りに通っていた頃、「この家の人と話したことがある」と相棒に話すと「こんな山奥まで来とったん」と呆れられたのでした。結局、集落で一人だけお住まい・・というんがこの家だったのだ。11時49分、工事現場の手前の車の中で弁当を食べているのは現場監督なのか。そして、現場では命綱にての作業中だった。
我々も適当な所で昼食じゃ〜。・・と、何処からともなく昼のチャイムが聞こえて来た。道路が拡張され、広くなった場所でザックを降りして簡素な昼食中、ダンプカーが来た。今度は二台だったが、後のダンプの運転手は我々を認めて手を振って走り去った。この辺りまで来ると、随分と開けてきて田圃の畦道は猪除けで囲われている。どこかで猪が伏せているんだろう・・『それで“猪伏”というのだ』と相棒に言おうとしたら、もう猪伏集落は過ぎて高野集落が見えて来たのだった。
結局、昼食後30分ほどで四国カルストが見える、今朝、反対側(山の上)から見下ろした景色に辿り着いたのだった。そして、すぐ先の愛車デポ地点には12時53分に着いた。数度の休憩を挟んで、2時間45分の下りだった。車だと、登りで18分かぁ〜。
≪おまけ Part2≫ 猪伏資料館はこちらから
≪おまけ Part3≫
昨日、昼食休憩の際にザックカバーを忘れて来た。歩き始めて30分ほど経ってから気が付いたので「明日、時間があったら取りに行ったらいぃやん。ソフトクリームも食べれるし〜」との相棒の弁。
そんな経緯で、昨日歩いたコースを車で走ることとなったのでした。昨日と違って、今日は連休初日の土曜日だ。中久保交差点のヘアピンを曲がった先で凄い勢いで車が降りて来たが、急ブレーキで停車したと思ったら直ぐにバックした。工事関係者だろうか、随分慣れた運転だ。除けてくれた対向車にお礼の挨拶をし、先を急ぐ。
ふとバックミラーを見ると乗用車が近付いていたので、広くなっている場所で先を譲った。他県ナンバーの乗用車は、結局、我々と同じ目的の地で休むこととなった。大野ヶ原ミルク園までは25分ほどで着いた。勿論、第一目的のザックカバーは、休憩舎の椅子に黙って座っていたので、直ぐに車の後部座席に乗せて、我々は、ミルク園でソフトクリームを食べ終わると帰るのみだった。
【四国のみち案内標識など】
【宿泊費 18,334円】ビール代含む
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