小生、四国のみちを歩く中、過疎化に悩む地元の方の声を初めて耳にした。それは、先年の“平成の大合併”による上浮穴郡の一町三村の合併にろる新たな矛盾の事だった。その方が云うには『柳谷村は、水力発電所が沢山あり収入が沢山入っていた。面河村も同じように潤っていたはずだ・・』との事で、合併によって得したのは久万町だけだと云います。そんな事もあり、ネット検索で調べました。

 そして今回、四国カルストを徒歩で辿ることとなり計画を立てる中、猪伏から五段城への山道の事が気になりネットで検索をすると上記と同様、発見したのでした。同時に、地図に拠ればこの界隈には何本もの山越えの道が存在しています。
 
 
データベース「愛媛の記憶」
「愛媛の記憶」−【『ふるさと愛媛学』調査報告書】

愛媛の景観(平成8年度)

(1)  渓谷深きむら@

ア 森林(もり)と渓谷(たに)はむらの財産

(ア)  緑のダム

 

近澤 房男さん(上浮穴郡柳谷村西谷 昭和元年生まれ 70歳)

 

「柳谷村でも高山地域に属する四国カルストの周辺は、ブナやミズナラなどを中心とした広大な天然林が広がり、そのほとんどが国有林に属します。特にこの地域は年間を通じて降水量が多く、これらの天然林は『緑のダム』として、豊かな水を蓄えてくれています。しかし、戦後の国有林の木材生産事業によって、天然林の大部分が択伐(たくばつ)(選択して伐採すること)や皆伐(かいばつ)(全伐)によって人工的に更新(こうしん)(再生)され現在に至っています。

 近年、人々のくらしが豊かになってくるとともに、心の豊かさやゆとりを求めて、特に自然環境の保全と天然林の『緑のダム』としての機能に期待する声が高まりをみせているのですが、一方では天然林の択伐計画も根強く存在しているのも事実です。

 現在残っている原生林は、われわれにとって貴重な財産なのです。遅きに失しましたが、十数年前から原生林の保存について各方面に働きかけてきました。その結果、全国的な保存意識の高まりもあり、現在では一応その成果を挙げているといえます。名荷(みゅうが)谷の奥から、大川嶺にかけて広がる、伊豆ヶ谷(いづがや)山の見事な天然ブナ林なども成果の一つです(写真1-3-2参照)。昭和63年(1988年)、猪伏(いぶし)山国有林は松山営林署の素材生産事業に組み込まれ、原生林の択伐計画が進行していました。その計画の中にすばらしいケヤキの大木が含まれていることを、当時の柳谷村森林組合長岡本幾雄さんより連絡を受けたのです。

 早速、関係者で現地調査を行いました。途中のブナ・トチ・モミ・ツガなどの巨木に目を奪われながら、目指すケヤキの大木に見参したのです。その感動は終生忘れ得ないでしょう。胸高直径1.36m、樹高30m、枝下高10m、その周辺に林立するケヤキの大木の中でも、一際目をひく雄姿。見事というか、図り知れない自然の営みの偉大さを感じたものでした。さらに近くのトチの巨木に、山の木を見慣れている一同がまた感動したものです。

 この地域は、猪伏の集落から四国カルストの五段城(ごだんじょう)(標高1,446m)への登山道の途中の4段目付近にあります。日本アルプスに『けやき平』の地名があることを知りながら『四国一の欅(けやき)』のそびえている五段城近くの地名を、「欅平(けやきだいら)」と名付けて保存に努めることに意見が一致したのです(写真1-3-3参照)。その後、猪伏山国有林の択伐計画は中止され、現在は面河自然休養林に属していますが、欅平自然休養林とも呼ばれ、遊歩道も設置されています。択伐の危機にあった大ケヤキとの出会い、その保存に理解と尽力をされた人々との出会い、これも自然と人とのきずなでしょうか。」(B)

 

    b 沢奥に育つ山の幸

 

 昭和45年(1970年)、「柳谷村自然林野保護条例」が制定され、人々は環境保護に意を配っている。(C)

 「自然環境の保全については、もっと早く共生の大切さに気付くべきであったとの思いがします。世の中の流れというか、価値観の急速な変化に対応することができなかったことを痛切に感じているのです。近年、自然環境保護意識が高まってきていますが、それは自然に恵まれたこの村においても同じです。昭和40年代の前半ころでしたが、村の人々が大切に見守っていた高山性の花木や野草が、ごっそりと採取され持ち去られたことが度々あり、残念な思いをしたものです。この山村に育っている野草は、高山性を帯びているので低地の町へ移しても育たないのです。この条例は、規制というよりもあくまでも自然保護の大切さを人々の心に訴えているのです。

 『育てる』ということについては、山林の村といいながら、余りにも、スギ、ヒノキの育林にこだわり過ぎた嫌いがあるように思います。これらの人工林も水を養う機能を果たしているのですが、その効果については疑問視する意見もあります。その機能をより効果的にするには、天然林に近い山林を育てることです。そこで植林の際、たとえ本数は少なくても、ケヤキの混植をすることを勧め、実行もしているのです。

 今、都会では街路樹や庭園木としてケヤキの植栽がはやっています。また、それがビルなどの洋風の建物によく似合っています。この村の山林にもいつの日か、スギ、ヒノキ林の中にケヤキの木が大きく、育っていくことを期待しています。

 清涼な流れのある谷奥の沢には、昭和30年(1955年)ころにはワサビが自生し、人々は春の訪れとともにこれを摘み、ワサビ漬けにして季節を味わっていたと思われます。ワサビが自生しているということは、適地でもあるわけで、沢の所々に小さいワサビ田を見かけたものです。ミツマタが消え、山がスギ、ヒノキ林に変わっていくに従い、自生していたワサビもその姿を消していきました。

 人々のくらしと食生活が豊かになるとともに、自生していたワサビが自然食品の香辛料として見直されてきました。そこで、このワサビの特産化を目指して試作を始めたのです。適地と考えられる国有林内の自然の沢を借地し、また山奥の棚田を利用して、静岡(遠州)系と島根系を導入しました。いずれも成育はいいのですが、ワサビ特有の辛さの点で、自生しているものに優るものはないようです。ただ、自生種は芋(根茎)が小さいので生産名柄化には適していないようです。最近、高齢化してきた農家では、山菜のゼンマイやウドの栽培が始められていますが、これらは自生のものの株根を、家の近くの畑へ移植したということです。

 もともとスギ、ヒノキの山林を伐採すれば、焼畑の名残りでしょうか、自然にゼンマイが芽吹き、お茶が生えてくるのです。この山の自然を生かした山菜などの特産物の栽培について、いろいろと課題もありますが、大いに期待しているのです。


ありし日の黒川第一発電所≫           ≪柳谷村全図≫                 ≪緑のダム・ブナの天然林
   


≪「欅平」の大ケヤキ≫
                 ≪木漏れ日のさす沢のワサビ園≫