四国のみちと遍路
                                                              
≪四国のみち≫ 【愛媛支5・四国カルストルート)】

2015年11月20日
≪小松〜地芳峠(7.8km)≫

          
 大野ヶ原休憩所の東屋には予定より早く着いた。相棒は東屋の傍らの大野ヶ原ミルク園という店で自家製のソフトクリームを楽しみに歩いて来たのだが、生憎、開いてなかった(帰宅後確認すると、金曜日が定休日だった)。しかし、我々は昼食を食べ終えれば、次の目的地の地芳峠へと出発なのだ。ザックを降ろして簡素な昼食を摂っていると、丁度、昼のチャイムが鳴った。

  
 休憩舎の脇にあるトイレは11月13日までの工期で改修工事中との看板(西予市役所・野村支所の掲示板)があった。今日は改修は終わっている筈なのに利用は出来なかった。この下のトイレを利用して・・・との案内があるが、そこまで降りて戻ってくる気力は無かった。昼食休憩を終え、再出発は12時18分だった。

  
 暫く進むと源氏ヶ駄馬へと案内板が建っていたが、入り口はコンクリの道だ。我々が歩く“四国カルストルート”と名付けられた“四国のみち”は、その殆どは、車で通ったことがある道なのだが、歩いていると違う景色が見えるのだった。

  
 20分ほど歩くと見覚えのある場所に差し掛かった。以前、相棒の撮影行の際に歩いた場所だ。ふとザックを触った際、ザックカバーが無い(写真のとおり)のに気付いた。そう云えば昼食休憩の際にザックカバーを除けたまま、出発時に付け忘れたのだった。今さら引き返すことは適わない。

  
 道は愛媛県と高知県を行き来しながら続いていた。相棒に“この県道はどちらの管轄なんだろうか”と問うが、応えは帰ってくる筈は無い。帰宅後分かった事実は≪愛媛県道・高知県道383号四国カルスト公園縦断線≫と名付けられた道だった。両県で同じ号数を名付けていたのだった。右手、高知側へと木々の間から遥か下に集落が垣間見える。中の川の集落か?やがて愛媛県側へと道は続いた。

   
 13時9分、左手に林道風の道が分かれていた。この辺りは集落からは離れているが、放牧地となっているようだ。放牧地は右手にも現れた。勿論、現在は牛の姿は見えない。すぐ先で相棒が「ナデシコが咲いているヨ」と声を掛けて来た。もう11月も後半なのに、こんな山の上の道端に咲いていたのは驚きだ。

  
 13時19分、“姫草番所跡”の標識が建っていた。その昔の予土国境に建つ番所の跡だ。そして、地図にも破線の道が記されている。しかし、現在も尚、踏み跡を辿れるかどうかは判らない。そして、私たちはその先の牧場の傍らに建つトイレを拝借したのだった。

 
 13時44分、牛城と呼ばれるピークの裾を高知県側へと道は続いていた。見下ろす谷筋には集落が垣間見える。見晴らしの効く道路端で小休止である。行き違う車の人が向ける眼差しは、我々を放牧地の牛を見るかのような眼で見ているのだろう。確かに、こんな辺鄙な場所を歩く人を見掛けるのは稀な事。

 
 小休止後、13時58分、地芳トンネルが抜ける以前の峠越えの道が高知県・梼原へと抜けるのは旧道で山肌を道が降りている。そして、ず〜っと下方集落を抜ける新道も確認出来る。その、真下に望める集落・永野には過去には役場からバスが通っていたようだが、現在は無くなっているようだ。

  
 道は小牛城と呼ばれるピークを右手に愛媛県側へと巻き、14時19分、旧国道440号線へと合流した。5分ほどで、地芳峠だった。この道は、新しく出来た下のトンネルと地芳道路が開通した後は、無名の峠の道路となってしまったのだ。今は、この峠を利用するのは、四国カルストへと行き来する人達だけとなってしまった。つまり、観光客と宿泊施設を利用する者だけになってしまったという事だ。



【四国のみち案内標識など】