四国のみちと遍路
                                                              
2015年10月3日【環17作礼山仙游寺へのみち(16,5km)〜環18へのみち(その1)】

≪鈍川温泉休憩地〜奈良之木〜窓の峠〜仙游寺休憩地〜第58番仙游寺≫〜≪吉祥寺〜バス停≫


 さて、仙遊寺を後にして帰路はバス停にたどり着くことが出来るか否か?

  
 山門の側の休憩舎は薄暗い中にあり、傍らの池の鯉は餌が欲しいのだろうか、直ぐに寄ってきた。また道端には以下の立て札が建っていた。

≪作礼山トレッキングコース≫
作礼山は標高約二百七十メートル、四国八十八箇所霊場第五十八番仙遊寺があり、修行の山として、信仰の対象とされてきました。頂上からの眺めもよくトレッキングに最適です。健康増進の為に歩いてみませんか。

と、コース図付の立て札が建てられている。そして、その案内板に“歩き遍路”の案内も貼られていた。

 
 歩き遍路標識の案内に従って、“第59番国分寺”へと向かう。直ぐに以下の立て看板があり、眼下に市街地が見渡せた。

≪五郎兵衛坂≫
 昔々、仙遊寺には、伊予守から奉納された大きな太鼓が置いてありました
が、この大太鼓は、音もたいへん大きく、桜井の海岸にまでそのたたく音が
聞こえたそうです。この大きな音に魚が逃げて漁ができないと、五郎兵衛とい
う漁師が大層怒り、仙遊寺に登り、包丁でその大太鼓を破った上、仏様に悪
口雑言をあびせました。その帰り道、この坂でころんで腰を
打ち、その時の怪我がもとで亡くなったそうで、それ以来、
この坂を五郎兵衛坂と呼び、この坂を歩く時は、気をつけて
ゆっくり歩くようになったといわれています。


 
 坂を下りると池の端を辿り、竹林が続いていた。15時、間もなく遍路道の手印のある標石に導かれて、民家の間を縫う道を行くこととなる。

 
 15時5分、やがて、吉祥寺を通り過ぎ田圃の中の道を“歩き遍路”の指導票に導かれながら歩く。15時半頃だったろうか、後ろから来た軽四が停まり、女性の声がした。「お遍路さん、これ小さいですがどうぞ」と、ミカンを戴いたのだった。お礼を言ったあと、相棒が「バス停はこの近くにありますか?」に「どちらまで」と聞かれたので「JRの今治駅か、最終は鈍川温泉へ行きたいのですが」に「えっ。鈍川温泉ならこの先のバス停では駄目なので、鈍川温泉行きのバス停までお送りしましょうか」と、“天の助け”である。

 
 全く凄い展開になったものだが、送ってもらう車中、前方にバスが走っていた。そのバスは我々が当初乗ろうとした路線で、帰宅後バス時刻を調べてみると、松木バス停発が15時30分発の便で、次のバスが16時57分だった。つまり、そのままバス停へ着いても一時間余り待たないとバスは来なかったのだ。

 そして、ご婦人が「(右折して)信号の右のバス停より左のバス停へ送ります」と、小泉バス停まで送っていただいたのだった。丁寧にお礼を述べ、バスの時刻表を見ると15時37分発だが・・・小生の時計は15時41分を指していた。『あぁ〜また出た後か〜。次のバスは?』と見ると17時2分だった。“あぁ〜、やっぱり一時間以上待たないかんのか〜”と思い巡らしていたら相棒が「あっ、バスが来たヨ」との声。遅れがちなバス便に助けられた私たちだった。20分の車上の人となって、無事、16時に鈍川温泉に着いた。

 降りるとき、ここが最終だとばかり思っていたので“降車ボタン”を押してなかったら、バスは停留所でグルッと方向転換をして通過しようとしたので、大急ぎで運転手さんに『ここで降ります』と告げたのだった。実は、ここから先は「停留所以外でも降りれますので、最寄りの場所で降車ボタンを押して下さい」のアナウンスが流れていたのだが、その意味をよく理解していなくて、ここが最終だと思い込んでいたのだった。さて、停留所から20分ほどの道路歩きで朝方の車デポ地点に帰り着いたのだった。

 
 それにしても、凄い展開の一日だった。今日も見知らぬ暖かい人たちに感謝である。


【費用】瀬戸内バス(小泉〜鈍川温泉)・・・・・一人 ¥480


≪四国のみち案内標識など≫

   
 


環18 国分・唐子浜をいくみちへ続く