四国のみちと遍路
                                                              
2015年5月1日【愛媛環3(三間盆地2ヶ寺参りのみち)、愛媛環5(宇和文化の里とへんろみち)】

≪三間盆地2ヶ寺参りのみち≫【務田駅(むでん)〜第41番龍光寺〜基幹集落センター〜第42番仏木寺〜歯長峠休憩地〜歯長峠
≪宇和文化の里とへんろみち≫【歯長峠〜歯長トンネル〜歯長橋休憩地〜第43番明石寺〜開明学校文化の里〜JR上宇和駅】

         

 今回の計画は出だしからトラブル続きだった。その最初は、実行の日を決めたのが前日だった事。そして、GW真っ只中の日に宿泊の予約の電話をしたのだったが、勿論、予想通り・・・空き室は無かったので、日帰りへと計画を変更しての

 松山IC〜大洲IC〜大洲道路経由〜北只IC〜宇和IC〜宇和島道路経由〜三間IC

 の有料道路を利用して、道の駅みまに着いたのが7時25分だった。愛車をデポして、今回の出発点の“JR務田駅”まで歩きだ。その事で事件が起きるが、詳細は、出発点へ戻って来てからの記述にする。


 
 道の駅から、JRの本物の駅のすぐ手前のローソンで買い出しを済ませ、7時40分に務田駅に着いた。丁度、列車が到着したところだった。こちら側の踏切が閉まっているという事は、宇和島行きだろう。今の時間は、通勤・通学の時間帯なのだ。

  
 私たちが歩く前には単独とペアのお遍路さんが先行していった。田圃の中のみちを暫らくで、三間の保育園・小学校・中学校、そして高校まで集まっている地域を脇目に歩く。8時、龍光寺前の四国のみちの指導標に着く。ここで確認を怠った事による事件は後述する。門前のお家の脇に、石の中に灯りが灯せる珍しい石柱があった。

 
 この時間では、もうお遍路さんも沢山訪れていた。本堂と大師堂でお経を奉納し参拝を終え、納経を終えるのに半時間ほどの時間が要る。そして8時24分、駐車場の裏からのへんろ道を辿ったのが、誤算其のUだった。兎に角、歩き遍路のシールは所構わず貼られている。そのシールに私達も導かれるのである。

  
 私たちが歩きだすと直ぐに二人のオジサン遍路さんが追い付いて来たので道を譲った。薄暗い林の中、木漏れ日にギンリョウソウが照らされていた。小山を越えるようにへんろみちは県道に出た。“えっ。おかしい!”と気付いたのは私で、相棒は何が何だかはか判らないようだ。改めて地図を確認し、暫らくは県道を歩く。そして、道端のオッサンに中山池(四国のみち)への道を尋ねる。やっと中山池への道へと入ったのは、8時50分だった。

 
 田圃の中の四国のみちの案内標識は直ぐに見つかった。中山池の畔の休憩所で小休止である。池には青年が釣りに来ていた。池の中にはたくさんの木が生えている。不思議な光景だ。

  
 四国のみちは生活道を指定している(旧道や古道)が一方、歩き遍路の印があるみちは四国88ヶ所を辿る道で、なるべく早く目的の地(寺)へ到達するように、新しく道が出来る度に改訂されるようだ。今朝は、この事に想いが及ばなかったのだ。龍光寺の前の案内標識を確認さえしていたなら、こんな事にはならなかったのだが、後の祭りである。

 
 兎に角、四国のみちは民家の裏などを辿りながら、9時45分に仏木寺へ着いたのだった。

 
 2ヶ寺目の納経を終え、10時10分には歯長峠へのみちへと出発である。

 
 朝方、通って来た高速道路の下をを潜って、朝方、数名のお遍路さんが歩くのを認めた池を、我々も回り込む。そして、高速の側道から離れて山道へとみちは続いている。10時27分だった。

 
 直ぐに石が敷かれた道になった。左手に高速道路を通る車のエンジン音を聞きながら、エッチラオッチラと上がって行く。林間には陽が射しこまないものの、汗が噴き出て来る。10時55分、小休止後出発しようとすると、直ぐ近くから大きなエンジン音が聞こえた。歩き出すとみちは直ぐ先で県道31号線と合流していた。

 
 しばらく県道を行くのだが、軽トラが数台追い越して行った。さて、四国のみちは歯長峠へと向かわずに、県道の歯長トンネルを歩くようになっている。このルートは何故、峠越えのルートとしていないのか、県の担当者に聞いてみたいものだ。11時5分、県道から山道に入ったところにある休憩所で小休止。直ぐ先には『立入禁止』との標識が掛かっていた。事前に入手した情報では『鎖が掛かった急坂』とあるが、それは、私たちが山登りに利用する、登山道に掛かっている鎖の道とは様相が違っていた。道脇のロープの替わりに鎖が張られたものだった。

 
 11時18分、崩壊場所に出合った。ここが理由で“立入禁止”としているようだが、登山道とは全く基準が違うのである。相棒も問題なく通過した。こんな道だと、火野正平だって歩ける道だ。

 
 前方が開けて来て、歯長峠へ着いたのは11時半だった。ここは西の方角が開けている。後方に海が臨めるのが宇和島湾や三浦半島の方向だろう

 
  峠には傍らに小屋があり、中にはお地蔵さんが安置されていて、側面には峠の由来が貼られていた。また、前方、左の町並は卯之町の方向が垣間見える。あとどのくらいで、私達は辿りつけるのだろうか?

≪歯長峠(はなが)の由来≫
 昭和の初期まで、この峠道は宇和と三間・宇和島をつなぐ唯一の生活道で、大勢の人の往来で賑わい、ここにも巨人伝説が有る。
 多分に伝説的な人物である東国武将足利又太郎忠綱は末代無双の勇士で、源氏の出自ながら故あって平氏側について功名を馳せ、その後、源氏に追われて西国に逃れ、この地に居住した。
 力は百人力、声は十里四方にもおよび、その歯の長さは実に一寸余。又の名が歯長又一郎ここで庵を結んだことから、庵寺にも峠にも歯長の名がついた。(現在宇和町伊賀上の歯長寺(しちょうじ)に歯長又太郎の供養五輪があり、歯痛の神ともなっている)
 宇和への入り口であり、戦略上の要衝でもあったこの峠は、宇和と土佐勢の攻防の舞台であり、幾多の合戦の後、長宗我部軍に攻略されたと伝えられている。【西予市教育委員会】


          
 峠を出ると上がって来た男性に出合うのだが、何かの作業の人のようだった。峠の脇に電力の鉄塔が建っていて、峠の道の途中から“電力巡視路”の案内と合わさっていたのだった。そして、相棒が上掲の花を見付けた。帰宅後調べると、濃いブルーの花の名は“ホタルカズラ”と呼ぶらしい。

 
 降りる事しばらく、11時42分、車道に架かった通行止めの注意書きに出合う。すぐ先には四国のみちの標識もある。そして降りる事、またまた暫らく、12時6分に高速道路脇をすり抜けて県道と合わさった。

 
 カンカン照りのアスファルトの道脇に、明石寺まで6.3kmの表示がある。そこから少しで橋の袂の歯長橋休憩所での昼食は12時12分だった。直ぐに、前の道を一人のお遍路さんが通り過ぎて行った。そして暫らくすると男女の二人連れがやって来て、会話は弾んだのだった。その方たちは富山からの“繋ぎ遍路”との事で、私達と同様だった。彼らは「43番を打ち終わると、今日は松山までで富山へ帰ります」との事だった。

 お遍路さんには二通りの人に分かれる。一切、話しかけないで・・・というオーラを醸し出している方と、向こうから何かしら話しかけて来る人。私達も、どちらの人なのかを観察しながらの遍路旅である。

 
 12時33分、四国のみちは橋を渡って県道29号線と名を変えて歩く事になる。アスファルトの道路を歩くようになると午後の照り返しの熱も重なって暑い事この上ない。暫らく行くと先ほど通り過ぎて行ったお遍路さんが、私設休憩所で靴を脱いで休んでいた。相棒が「ちょっと休んで行く」と、同席させてもらう。そのお遍路さんも「区切り遍路で、今回は11泊の予定・・・」という事で、今日は宇和での宿泊との事だった。そしてこの後、暫らくご一緒することとなったのだ。

  
 宇和の街中へ入る前にICの取り付け道路を潜ることとなるが、同行の方の遍路地図はこの辺りで彷徨っている(ルートが一つでは無い)ようだった。また、歩き遍路のシールもあらぬ方角(小生の四国のみちの地図とは明らかに違っている)なのだ。ここは、ICが出来る前からある四国のみちを歩くこととした。

 街中の宇和高校へと向かう道を歩いて行く途中、軽トラのおっさんに呼び止められた「これ、お接待で・・・」と、我々三名に“まんじゅう”を手渡された。有難くお接待を受け、宇和高校を通り過ぎ明石寺へと入る。私達は門前にある売店でアイスクリームを食べ、本堂に着いたのは14時13分だった。

               
 ここの境内も綺麗に花が咲きそろっていた。

 
 そして、綺麗な藤も咲いている。ここまで同行したお遍路さんは、私たちがアイスクリームを食べている間に先行していたが、納経所でどちらに行くか迷っていたようだ。お寺の方に聞きにいったものの、これから行く目的地(今日は宇和で泊まり)を伝えると、前方にある山道を降りるように勧められたようだった。14時32分、神戸の方と一緒に、本堂の左側へと四国のみちの案内どおりに行く。

 
 掘割のようなみちは直ぐ先で下っていた。左手へと遍路道は案内されていたが、同行の神戸のお遍路さんが「開明学校へは、こちらへ標識がありますよ」と後ろから声を掛けて来た。私はその標識に気付いていなかったので、元のみちまで戻って道をり降りて行ったが、すぐ先で先ほど降りようとしたみちと合流していたのだった。遍路の案内標識は、大概の場合ショートカットの道を示すもので、ここでもそうだった。やがて四国のみちは、県立宇和特別支援学校の脇を通って街へと続いていた。

 
 街中では、案内も不明瞭となる。それは案内標識が車での移動や中心部の方向からの案内が主となるからなのである。卯之町幼稚園の前で迎えのお母さんに「開明学校はどちらでしょうか?」と尋ねるも、良く知らない様子だったが、他のお母さんが脇から「この先から入ったところです」と、指し示すその先に見える案内標識が見えたのだった。

 そして、曲がり角のところで、神戸からのお遍路さんとお互いの健闘を祈って別れた。15時9分、宇和文化の里・開明学校へ着き記念写真を撮り、一路、JR上宇和駅を目指す。宇和町小学校の側を通ると、沢山の低学年らしい子らが先生に誘導されて歩いていた。こんなに沢山の児童の集団下校に会うのは久し振りの事だ。

 
 国道56号線の下松葉交差点を渡って、線路を見ながら田圃の中の路を進む。駅の前には四国のみちの案内標識が建っていた。15時46分に駅に着いたが、待っている者は誰もいなかった。その内に高校生らしき生徒が次々にやって来てベンチがいっぱいとなる。15時58分の宇和島行は時間通りにやって来たが、乗り込んだのは三分の一ほどで残りの生徒らはホームに残ったままだった。

  
 次の駅の宇和駅で乗客の大半が入れ替わったようだ。次の下宇和駅を過ぎるとトンネルが連続する区間になる。そして、右の方向が開けると宇和海が広がっている。国道56号線を法華津トンネルを通るルートとあまり変わらないルートだが、車窓から眺める風景は趣がちがう。

 宇和島駅の手前の北宇和島駅の案内のアナウンスで「予土線は北宇和島駅で乗り換え・・」と流れた。慌てて運転手(ワンマンなので)に聞きに行ったのだが、運転手は驚いたようだった。『走行中は運転手に話しかけないでください』の掲示があった。北宇和島駅に停車した後、運転手さんは丁寧に「ここで乗り換えて下さい」と言い。そして「15分ほどで近永行きが来ますので、それに乗ってください」との事だった。降車したのは16時29分だった。

               
 きっちり、16時44分に列車は来た。乗車券を取って運転手に「上宇和から乗り換えで務田なんですが、運賃はいくらになりますか?」と聞くと「ちょっと待って・・」と、携帯で問い合わせて「一人550円です」と応えてくれたのです。この列車はワンマンで、料金はバスなどで見かける電光表示なのですが、違う路線からの乗り継ぎ料金は表示していません。

 当初予定していた宇和島までは450円で、宇和島から務田までが220円なので、当然、乗り継ぎの方がお得です。そして一駅、16時57分に務田駅へ到着。ホームにはお遍路姿の方が数名待っていた。そして今朝出発した道の駅へ戻って、私はトイレを借り相棒にコーヒーを入れてもらい一息。さて、いつものように道の駅で野菜を仕入れてから帰ろうか!・・・と思っていた矢先、ここで冒頭の事件が発生である。

【ご注意ください。 道の駅利用以外の駐車はできません。

本来道の駅をご利用されているお客様のご迷惑になります。
施設の業務妨害・地域の防犯上も考え 至急お車を移動して
ください。
不審車両として警察署の指導により写真を撮り 記録を
残しました。
今後このような事がないように協力ください。

    平成27年5月1日

        
道の駅みま 駅長




 上掲の警告書がワイパーに挟まれていたのだった。この種の観光施設の駐車場では、このような事は初めての出来事だった。帰宅後、ネットなどで観光客が利用出来るこの種の駐車場については、西予市や大洲市についてはhpなどに駐車場の案内なども載せられていた。

 小生が計画している“区切り四国のみち踏破”を実現するには、どうすれば良いんだろうか?元々、四国のみちと指定する際に、このコースを歩くにはこういう交通手段で、こういう方法で実現が可能というものが見えて来ないと、誰も見向きもしない。その事が、“四国のみち”の踏破がネットであまりヒットしない要因なのでは?

 遠来の区切り遍路さんは、その殆どがJRや高速バスを利用して、移動にタクシーを使いながら何日間かの巡礼だ。そんな遍路のサイトでタクシー利用で嫌な思いをした・・・と書かれていたのも、宇和島での出来事だった。別に宇和島の皆さんが人が悪い訳ではないでしょうが、今回の出来事は良い思い出とは言えません。余談ですが、道の駅(他の町)では気分がそがれる想いを以前にも経験しています。そんな経験をした道の駅は、それ以後スルーしています。今回の出来事は小生の不注意によるものですが、もう二度とこの駅には立ち寄れないでしょう。


≪四国のみちの標識など≫

   
   
   
   
   
  



JR運賃・・・上宇和駅(予讃線)〜北宇和島駅・・予土線へ乗り換え〜務田駅【1人550円】

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