四国のみちと遍路
                                                              
2015年6月12日【愛媛環6(宇和盆地四季のみち)】

≪JR上宇和駅〜鳥坂休憩地(鳥坂番所跡)〜大洲市鳥坂峠≫


 今回辿るみちは非常に困難な計画の実行となった。それは、起点はともかくとして、終点が峠となっているからだ。遍路での辿りならばネットなどで情報があるが、私達が辿っているのは“四国のみちなので、”日帰りでの計画は大変だった。しかし、四国のみちの踏破には、この先にはまだまだ困難なルートがある。

 先日来、コンビニの駐車場へ愛車をデポしての実行である。そして、今回も上宇和駅の近くのコンビニにお願いしたのだった。

          
 
鳥坂峠を降ると、ルート外である番外札所・佛陀懸山札掛大師堂(松下庵)があるのだが、その寺は既に廃寺の様になっていた。

 
 予定通りにコンビニの駐車場に車をデポして、出発は10時24分だ。街中の国道脇の駐車場所から直ぐに北へと田圃の中のみちへと導かれる。この路は先日の歯長峠から43番札所・明石寺を辿り、上宇和駅で終わったルートの続きでもある。

 
 みちは直ぐに国道へと導かれたが、郵便局の裏の旧道を通る。田圃の中の農道の道は、『ここが四国のみち?』というような道となった。11時、田圃の中を辿る道もやがて国道56号線へと向かう。道路を横切り、東側に続く旧道を歩くこととなる。

 
 直ぐに国道を行くこととなるがまたまた旧道へと導かれ、11時半小休止である。照りつける日差しはもう夏のようで、白衣の下のTシャツも汗でびしょ濡れだ。アスファルトの上を歩くのは疲れる。それでも国道よりもわき道を歩く方がいくらかはましだ。

 
 道端に“関地池”の案内標識がある。千本桜が有名らしく、春には賑わうんだろうが今日は寄れない。そして相棒が「これって、△×さんが云っていた喫茶店じゃなぃ〜」と云う。道端に“こけむしろ  500m先 →”の案内だ。同じく、今日は寄れません。少し行くと、田圃の中の小屋からバタバタと鴨らしき鳥が泳ぎだした。国道へ交わるまでの間に野宿禁止のお堂があった。12時のチャイムが鳴った。

 
 国道脇の工場らしき建物に“お遍路さん休憩所”との案内がある。従業員の休憩所を使わせて頂けるようだが直前に昼のチャイムが鳴ったところなので、寄りません。そしてすぐ先に、壊れた(遍路ブログに載っていた)アダルトグッズの自動販売機がある小屋があった。もちろん、こちらにも寄りません。

  
 バス停、『正信』に着いた、12時10分だ。バス停の時刻表の表示には特急と急行に分かれていたが、当バス停には急行のみの時刻表だった。ちなみに午後の便は12時01分、14時01分、16時31分、18時01分だった。国道を渡ると休憩所があり、ここで昼食をとることとした。真新しい小屋のようで、中には多田小学校の子供たちの句と“漣さん”の“ありがとう”の書が掲げられていた。

 
 コンビニで買った弁当を20分ほどで平らげ、出発は12時32分。すぐ先に国道から旧道へと入る。案内板には、

この先、鳥坂トンネル(L=1117m)トンネル内歩道狭し。
●ここから
←峠道(へんろ道)
         5.5Km 約60分
→56号(トンネル利用)
         2.1Km 約25分

 とあるが、我々は“小走り遍路”さんとは違って、峠道を辿る。

 
 10分ほどで、田圃の中のみちは、古い遍路標石に導かれ山道へと入る。直ぐ右手に≪鳥坂番所跡≫の標識だ。奥の家には表札が掛かっていて、誰かがお住まいのようだ。ここで記念写真、パチリ。結局、鳥坂休憩地は見逃してしまったのだった。

 
 山道の旧道には古い水路が設けられているのだが、今は埋もれてしまっているので、用を足していない。こんな山中にもその昔、田圃があったことが窺える。畑ならば、水路は不必要なのだ。しかし、どこの山中もそうなのだが、この辺りも植林されていて跡形も無い。今朝までの雨で、道が沢となっているが、我々はこういう場面には慣れているので、このような事で戸惑うことはない、そして、未だそれほど陽が強くないので蛇がみちに甲羅干しにも出て来ていないのだ。

 
 峠といっても南予地方の峠は標高が低い。ここ鳥坂峠も470mである。松山や我が街(東温市)の峠のように1000mも上がる事は無いのである。13時15分、峠に着いた。ここでも小休止。

 
 旧道の直ぐ下、植林の間に間伐の為の作業道らしい道が縦横に設けられている。最初に記したように“四国のみち”の案内地図(ダウンロード版)は、ここから次のルートの北只までの案内が無いので、遍路地図を使うこととした。

  
 13時40分、鳥坂トンネルのバス停の表示がある。そして、日天社の案内である。

≪日天月天様≫
昔々、世の中で一番尊いものは、昼はさんさんと
光を注いでくれる「お日様」、夜はほのかな明り
を与えてくれる「お月様」、この二つだと考えら
れていました。
この社は、この尊いものを神様として祭っている
といわれ、「日天月天様」と呼ばれています。
御神体は、この山から切り出されたと思われる半
円形をした石で、梵字(古代インド文字)が刻ま
れています。


          
 日天社を13時50分に出発。


 
 時々は手入れが入っているような道になった。トンネルのバス停への別れには遍路道のシールが貼られていたが、草ぼうぼうだった。20分ほどで、左手に大洲方面が垣間見えてきた。すぐ下が朝方車で通った国道だろう。

 
 バス停を見送った事で、大洲市街まで降りることとしたが、相棒は納得いかないようだった。何度か道路を横切って路を降って行く。暫らくで民家の屋根が現れ、14時33分、雑草に覆われた朽ち果てた門(鐘を吊るしていたと思われるが、ロープだけが垂れていた)に出合った。ここが、番外札所・佛陀懸山札掛大師堂(松下庵)だった。

 
 ここで小休止。大師堂は足を踏み入れるのには勇気がいる。ここは南予。相棒は小生のダニ事件以降、私が草むらに入るのを躊躇うのである。すぐ下にある民家沿いの道には、犬の散歩のオバサンなど村人が通って行く。14時50分再出発、路は民家の脇へと続いていたが、英語が刻まれた石標が建っている。勿論、遍路道シールが貼られていた。

 
 すぐ先で小学校に出合う。14時52分、南久米小学校を抜け、高架橋の下はフェンス越しに見える松山自動車道の大洲北只ICである。高速道路は鳥坂峠の左手(東側)を抜け、宇和盆地とは一つ違う集落へと抜けている。一方、国道56号線は鳥坂峠直下を抜けているのだった。

≪南久米小学校・校歌≫

  松の香におう 札掛の
  桜花咲く    校庭に
  清くやさしく  肩組んで
  まことの道を つとめあう
  わが南久米  わが南久米小学校    以下略



 
 小学校を通り過ぎて国道56号線に入ってしまった。実は、四国のみちのプリントは松尾峠から大洲北只の間は省かれていたので、遍路道を辿れば良い・・と思い込んでいた。暫らく標識に出合わないので、遍路地図(歩き遍路用の黄色い本)を見ると、一方は金山出石寺(番外札所)へ、もう一方は国道56号線(大洲市街)へと導かれていたのだった。国道歩きは暑い上に騒音が酷いのでなるべく避けていたが、仕方がない。

 
 国道を辿り15時半、ゴルフ場を抜け、北只郵便局前を遍路地図を見ながら進む。ここからは国道56号から国道441号を辿る。ここで相棒が「鍛冶屋があるよ」と云う。確かに古い錆びた看板には“鍛冶屋”と読める。永遠と街中を辿る。15時50分、肱川へ合流する手前を左折して、市街へと入る。

 
 “臥龍の湯”という施設に着いた。バス停があるが、市内巡回バスだった。国道歩きあたりから相棒の足が重いようだ。ここで遍路標識があらぬ方向へと指示していた。どうしたものかと思案投げ首。すると道を隔てた家の前でお爺さんが「こっち・・」と指さしている。結局、JRの駅へは大洲の中心街から肱川橋を渡って行くこととなった。おはなはん通りを歩き、肱川橋(国道56号線)を渡ると左折し中一商店街と書かれた県道43号線を行く。相棒は、もうゆっくりとしか歩けないようだ。しかし、どこまでもJR大洲駅の案内が無い。16時25分、JR伊予大洲駅へ着いた。時刻表を確認すると、16時14分に出た後だった。次は17時6分の特急と、普通は41分だった。大阪辺りだと特急に乗り、乗り換えあんないで普通に乗り換えるのがふつうだが、ここは四国。先に着く特急で乗り換えても、次の便の普通に乗り換えるようだ。また、特急料金も必要なので・・・却下。

  
 待合所には大勢が居た。20分ほどの車中の人となって、18時5分、八幡浜で乗り換え。待つこと20分ほど18時26分発だが、この列車は2両編成でワンマンじゃ無かった。車掌付きだった。またまた車中の人・・20分余り。

 
 夕陽が田圃に落ちる中、18時53分、上宇和駅に着く。ここから、朝出発のコンビニへ戻るみちが四国のみちなのだ。結局、19時に朝方のコンビニに着いた。


≪四国のみち案内標識など≫
  

   

   

   

  

   

   

  

   

 


【費用】JR(伊予大洲〜上宇和)・・・・・一人 ¥550
    高速料金・ガソリン代は別