2015年3月17日【環9・10・11(久万高原町のみち)】 昨年末に思い付いた≪四国のみち≫踏破に中々踏み出せないまま春が来た。 計画自体はほぼ出来ていたのだが、雪の季節となり久万高原町の四国のみちを歩く計画は出来ませんでした。それと追い打ちをかける如く、主治医の“山登り禁止令”“5時間を超えるような散歩はしないように”などの忠告などもあり、この時期までおとなしくしていたのでした。今回の計画は、root9〜root11の“四国のみち”踏破で、出発点の久万高原町役場の出発は9時24分。ここの商店街は“お雛さん”のディスプレイで有名だ。 今から目指すのは44番札所(四国88ヶ所)の大宝寺だ。“四国のみち”の標識はそこかしこにあるので、分岐の個所では見落とさないように辿る。いつもは車を利用するので、この山門を潜るのは初めてである。 いつも、久万高原町を通る場合は奥久谷からの道を使っているのだが、三坂峠あたりからガスがこぼれているのが見えた。予想通り、久万盆地はガスに覆われていたのだった。という事は、今日は晴天が保障されたという事だ。9時50分、大宝寺の山門手前で相棒の「ちょっと撮影!」で、10分の寄り道である。 参拝を終え、10時半には寺の奥から延びる遍路道を古岩屋を目指す。良く整備された道が続いているが、山道では相棒のスピードがガタっと落ちた。先日相棒の掛かり付けの先生に「少し痩せるように・・」と言われた際「夫が入院して一年余り運動出来ていない」との言い訳を聞いてくれなかったのは、この事が物語るのだろうか? 急坂も終わる頃に歩き遍路さんが追いついてきた。今の時間でここを通るという事は、(旧)小田町あたりから歩いて来ているのだろう.。やがて峠御堂(とうのどう)という場所か?ベンチが置かれた広い場所に着く。小屋が建っていてもおかしくない場所だった。 11時10分頃通過。そこからは下っていたが、前方に残雪の山が垣間見えた。堂ヶ森から五代の頭〜二の森あたりだろう。降り始めて5分ほどで峠御堂トンネルの脇へと降り立った。ここからは、道路歩きである。 ブツブツに切られた古の道へ戻るには、案内標識に気を付けて歩く事が肝要なのだ。この四国のみちは、遍路道と重なっているので、“遍路マーク”が目印なのだ。古の道へと導かれると直ぐに『河合休憩所』に着く。11時半なので、昼食休憩である。25分ほどの休憩を終え、再出発後直ぐに道路歩きとなるが、遍路道は民家の裏へと続いていた。 集落の中、遍路道は新しい道(車が通る道の意)と合わさりながらやがて、12時19分頃、山道へと入って行った。やはり、遍路道に車道は似合わない。“ふるさと村”や“ゴルフ場”の脇を通り抜けて道は下って行くと前方が開けた。12時46分頃、人が住んでいるのかどうかはっきりしない農家を過ぎると未舗装の道路へ出た。 道路を暫らく歩くと坂村真民(詩人・砥部町に記念館ある)の『愛の道しるべ』が掲げられていた。そして直ぐに“八丁坂入口休憩地”に着いた。12時57分だった。小休止は、持参した紅茶とコンビニで入手したシュークリームである。 ここからは、昨年も辿った古岩屋へと降りるのだ。相棒が「そういえばこの時期、“ユキワリイチゲが咲いている”とネット情報があったよねェ〜」と話しかけて来た。そして、直ぐにその花に出会うのだった。道端にはそこかしこに可憐な花を咲かせていて、花見物“昔乙女”にも出会った。 古岩屋の解説板には13時40分頃に着いた。記念撮影の10分ほどの寄り道で、引き返すだった。再びの“八丁坂入口休憩地”は14時11分だった。 【参考】 (往路)久万高原町役場〜1.4km〜44番札所『大宝寺』〜1.5km〜中峠休憩地〜1.1km〜河合休憩地〜3.9km〜八丁坂入口休憩地〜1.0km〜国民宿舎古岩屋荘 (帰路)国民宿舎古岩屋荘〜4.9km〜河合休憩地〜1.9km〜高野休憩地(千本峠経由)〜3.0km〜迎西バス停〜1.75km〜久万高原町役場 【八丁坂から岩屋寺を歩く(2014年11月24日)】へ ≪後半に続く≫ |