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2014年12月9日【環13(瀬戸風峠へのみち 10.9km)】                                    
  ≪第51番石手寺〜瀬戸風峠(解説板)〜伊台バス停〜菅沢(五明小学校)≫ ・・・PDFファイルでルートを見る


 さて『waiwai隊』は、今回が『四国のみち』の初お目見えである。尤も、先月2コースほどの試し歩きを行い、アクセスの悪さに自家用車のみでの実現は不可能な事を思い知らされたのだった。それで一つ一つコースを見返しながら、公共交通機関の利用が可能かどうかなどを考えて実行に移すこととなった。そして、今日のコースはバスを利用しての踏破計画を立てたのだった。

  
 今日の出発点は、第51番石手寺である。相棒が私の両親を連れて四国遍路を成し遂げた1984年からは、もう30年の年月を経ていたのだった。今回、小生が昨年10月から13ヶ月に及ぶ闘病生活を終えたのを機に、四国のみち(コースの多くが遍路路を利用している)の踏破を思い付いたのだった。その記念すべき出発点となる石手寺には、9時過ぎに着いた。

  
 私たちがまだ慣れない仕草で参拝をしていると、団体の人たちが追い抜いていった。いま一つ要領を得ない参拝が終わり、駐車場へと戻って再びの準備を整えたのは9時50分だった。石手寺の境内の東端に四国のみちの案内標が建っていて、瀬戸風峠まで3.3kmの表示だった。さて、出発である。街中を縫った四国のみちは、舗装された道路だ。

  
 その道は、まもなくみかん山の中へと続いていた。由緒ある道は車の往来が疎な道だ。みかん山が途切れると辺りは、今度は手入れの行き届いた竹林になって勾配を増したのだった。

  
 道がヘヤピンカーブになるともう街が眼下に見下ろせた。先ほど参拝を終えた石手寺の裏山(愛宕山)も眼下である。歩き始めて30分を経過していた。

  
 道は北へと続いていた。西方には瀬戸内が望めるようになり、少々の降りになる。車のエンジン音が近付いて来た。そこが四差路となっていたのだが、前方に四国のみちの標柱が建っていた。左方が開けたみかん畑の向こうには、城山と道後平野の街並みが広がっていた。

  
 歩き始めて一時間を過ぎた頃、前方に家が現れた。山中にあるニュータウンは南白水と言う。そして、瀬戸風峠の標識は唐突に表れた。そもそも、瀬戸風峠の場所は事前に入手した情報では、ニュータウンのど真ん中の表示だった筈。しかし、紛れもなく目の前にあるのは“解説板”だった。ここは、ニュータウンの入り口(出口)だった。石手寺から3.3kmで、次の伊台バス停までは、1.9kmとの表示がある。

≪瀬戸風峠≫
 この峠は、標高約210mで、松山市街地を見下ろす絶好の場所です。市街地の中心に見えるビル群は、道後温泉を中心とする旅館街です。 この瀬戸風峠は、かつて伊台・五明方面から道後や城下へ通じる交通の要衝として位置づけられていました。
現在は、道後の商店街振興組合が中心となって、道後周辺のみどころ28か所を結んで設定している「道後村めぐり」のハイキングコースの一部として親しまれています。


  
 ニュータウンの中に続く四国のみちは外れにある建物に出くわした。怪しげな荒れた建物は、帰宅後のネット検索で元ラブホテルだと判明した。アベノミクス効果は、この辺りまでは未だ及んでいない。道路から見える窓ガラスは多くが割られていたのだった。

  
 一旦、ニュータウンを出ると、道端に咲く冬桜が久し振りの日差しに誇らしげである。そして、再びの造成地らしい住宅街の中を通る。伊台バス停まで0.7kmの表示である。

  
 住宅街を抜けると伊台のメイン道路へと入ったようだ。もう、11時20分になっていた。案内標識の表示が石手寺⇒瀬戸風峠⇒伊台バス停⇒五明集会所と変わって行く。五明集会所までの表示されている距離は、5.7qである。

  
 疎らな農家や田圃など、田園風景の中を歩く四国のみちに、車の往来は稀である。道端にある小屋で山羊が日向ぼっこをしていた。雄雌の住まいは仕切られている。

  
 11時50分、道が折り返し様になっている場所に神社があった。ここの軒先を借りて昼食である。瀟洒な神社の天井に飾られている絵馬と同様、神輿も吊られていた。今朝、8時過ぎに寄ったコンビニは混雑していて、弁当の種類も残り少なくなっていたが、小生の“助六寿司”は、一つだけ残っていたのだった。味噌汁に湯を入れたらもう準備はOK.。20分ほどの昼休だった。

  
 再び歩き始めて、伊台バス停から1.6kmの案内表示からは山道になっていた。12時半、今までとは違う立派な道路に出た。山中に新しく開通しているバイパスのようだ。

  
  バイパスから直ぐに旧道=四国のみちを通る。少々、ややこしい山村集落に付けられている道だが、そこかしこに案内標が貼られているので、ボーッとしていなければ、迷う事はない。しかし、唐突にバイパスへと出た。そこには“上実川”バス停があり、おっさんが休んでいた。相棒が「四国のみちは、こちらでしょうか?」と聞いているが、判らないとの返事だ。

 
 別にボーッとしていた訳ではないが、少し引き返して怪しかった場所まで戻ろうとしたら、相棒が、先ほど通り過ぎた道の上方に例の案内柱を見付けたのだった。その先の分岐には、案内標識が見当たらなかったのだ。その分岐は12時50分で、ここからはまたまた山道となった。

  
 山道を抜けてまた畑地へと出たのは13時8分だった。五明集会所まで2kmの表示である。ヘアピンカーブーの山の斜面を上がると、その先には畑の中へ真っ直ぐな道が続いていた。この辺りは、ぶどうを産出していることで有名な耕地だった。

  
 ちょっとした丘状の場所を越えると、再び、下り坂となり前方に大きな建物が見えて来た。その左手に建つ、田舎には似つかわしくない建物は、病院だった。そして、先ほどのバイパスらしき立派な道路に突き当たった。集会所までは0.8kmと表示がある。時計は13時20分を指していた。バイパスから旧道が通る五明の街へと入る。

  
 街中を行くと、直ぐに五明のバス停は見つかった。次のバスは14時56分なので、一時間20分ほど待つ事となる。我々は、先にある五明小学校を目指した。保護者らしき女性が3名いて、次回に辿る高縄山への道を尋ねるも、“知らない”との事だった。

  
 相棒が「時間があるからコーヒーにしよう」と言う。民家の脇のコンクリートの階段の場所で・・・、登っていると女性が「こちらで休んで下さい」と声を掛けてきた。その女性宅は、別荘として利用しているようで、庭先でコーヒーを入れ、山の話などで小休止である。帰り際に「野菜を持って帰りますか?」と言う。せっかくなので、好意に甘えさせてもらって、ザックに入りきれないほどの野菜を袋に詰めることとなってしまった。バスは、3分ほど遅れてやって来た。

 
 道後緑台で下車したのだが、お土産の袋の重さに辟易した相棒は、持ち歩く気力も無いようなので近くの空地へ残して、小生が朝方の駐車場まで車を取りに帰るのだった。15時半頃に道後温泉本館を通過した。石手寺の側の駐車場には16時前に着いた。


【費用】伊予鉄バス(五明〜道後緑台)・・・・・一人 ¥510

ちょっと 一息
石手寺に掲示されていた“仏陀の肉声 最古の御経”より

我は相手を討とうと武器を手にするも、痛みが起こり停まりぬそのゆえんは、他人を損なえば、他人に痛みあり、それを我もまた痛む
そのゆえんは、敵対せば我と汝みな一緒の安楽のくずれるを痛む人々を見よ、互いにぶつかり合うを見よ、奪い合うを見よ、
和のくずれて我と汝、ともに裂ける苦しみを見よ、
我は、この痛みを克服せり、それを語ろう
もろもろの有情がぶつかり合う、それはあたかも水の干上がりゆく池に魚たちが跳ね合うようであり、そのゆえんを知らず、われを知らず、他人を知らず、ただただ生きようとして、ぶつかり合って、つらく怒りて、にくみ、またまた、ぶつかり合う我、安らかなる所を求めしも、いずれの所も平らかならず、あらゆる方角へとゆれ動くに、どこへ行くとも、はたまたこの世を捨てて別の世を求め、のがれんとも、痛みなき所なし
はたして、いかにしても終には、ぶつかり合うを見て絶望せりその時、もろもろの有情につき刺さる見えざる矢の見えたり
もろもろの有情、あれこれの見がたき矢に衝き飛ばされて、おのおのそれぞれの矢の目当てへと、疾駆して右往左往し、ぶつかり合い奪い合う
その見がたき矢を抜かば、疾駆せず、悲嘆に沈むことなし


 
環14高縄山探鳥ノみちへ