東妙寺は、1278年(弘安元年)、蒙古軍(元軍)の襲来にそなえて亀山上皇様の御子、後宇多天皇様が、敵国退散の祈祷寺として建てられた由緒ある勅願のお寺です。
創建の当初から、多くの仏様たちを供えた密教祈祷の大寺でした。寺領は、3300町歩で、現在の神崎平野のほとんど全部と、三養基郡・佐賀市の一部までも含んでいたと伝えられています。
しかし、中世以降のたびかさなる戦乱と明治の廃仏毀釈、そして第2次世界大戦後の農地解放のために、全く疲弊してしまいました。
《勅願寺でしたから明治までは、天皇様ご一家だけが東妙寺の大檀那であって、民間人の檀家入りは許されませんでした。しかし、現在では、30戸の檀家と千数百人の信者様が居ます。》
本堂と庫裡(くり)は、東妙寺の先々代の「岩根真寛大僧正」様のお弟子、熊本県玉名市の別格本山蓮華院誕生寺の中興開山「川原是信大僧正」様が再建され、現在は熊本の蓮華院誕生寺の貫主「川原英照僧正」様より住職を継承された「早田法玄」師が、東妙寺の第48世法印として法燈を継いでおります。
一般の人に親類があるように、お寺には「法類寺院」があります。東妙寺の法類寺院は、『蓮華院誕生寺』『石塔院』『龍田寺』がありまして、創建当時からのつながりです。