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2009年12月30日 (水)
久喜市議会と大利根町議会の意見書



 以下に、久喜市議会の「八ツ場ダムの建設推進を求める意見書」と、大利根町議会の「「利根川流域の安全・安心を守る首都圏氾濫区域堤防事業の促進」を求める意見書」の全文を掲
載する。

 久喜市議会の意見書は埼玉県議会などと同じで、旧政権勢力と上田知事の意向に沿ってひたすらにダム建設の続行を求めて、民主党政権にダメージを与えることだけを狙ったも以外で
はない。

 一方、大利根町議会の意見書は「八ッ場ダム事業中止に伴う治水・利水の再検証の早期実施と、ダム予定地の地元住民等の不安や心情も理解し、ダム予定地の住民の生活再建・地域再
生を可能とする法(地元への補償措置を定めた法)の整備も併せて強く要請する」としている。

 もちろん建設推進ではありえないのだが、しかし単純な「建設中止」論でもなく、八ッ場ダムの再検証の実施と、カスリーン台風で利根川の堤防決壊の現場に接する地域としての現実
的な治水対策、八ッ場住民の生活再建への配慮も含めて求めている。

 久喜市議会でもこのような意見書をめざすことができなかったか、私自身いささか反省する思いもある。

          ----------------------------------------

久喜市議会の意見書

賛成:14名 新政議員団、公明党、石川・春山(大地)、鈴木・松村(市政)、岸(改進)
反対:7名 共産党、猪股・矢野・川辺(大地)、鈴木(市政)、井上(改進)

     八ツ場ダムの建設推進を求める意見書

 八ッ場ダムは、本市を含む塙玉県にとって利水及び治水面はもとより、717万県民の生命・財産を守る観点から必要不可欠なダムである。

 埼玉県では、現在、八ッ場ダムの完成を前提として設定された暫定水利権に基づき、県民約160万人分の使用量に相当する水道水を確保せざるを得ない状況にある。仮に、暫定水利権で
の取水が制限された場合、地下水採取が現在の約1・8倍にもふくれると予想され、相当な規模の地盤沈下が再発するおそれがある。

 また、利根川上流3流域のうち、流域面積の4分の1を占める吾妻川流域唯一の治水も目的とするダムであり、その治水上の効果は大きい。

 とりわけ、昭和22年9月発生のカスリーン台風による利根川の決壊等により、群馬県はもとより本市を含む埼玉県東部及び東京都東部など、併せて30万3,160戸が水没、冠水する大惨事
となったことを忘れてはならない。まして、当時と比較し、流域都県の人口が急増していることに鑑み、水害防止の観点からも必要性大である。

 さらに、各地の住民訴訟判決でも都県側が全面勝訴しており、司法でもその必要性が認められている。

 このように、八ッ場ダムの建設は、埼玉県にとっても、久喜市民の安全、安心を確保するためにも必要なものであるとともに、国策として57年の長きにわたって、関係住民及び地方自
治体の負担の上に進められてきた事業である。したがって、国の責任において完遂されるべきものである。

 国においては、関係地方自治体との十分な協議の上、八ッ場ダムの建設を推進するよう、強く要望する。

 以上、地方自治法第99条の規定に基づき、意見書を提出する。

2009年 月  日
                            久喜市議会
          ----------------------------------------

大利根町議会の意見書

    「利根川流域の安全・安心を守る
       首都圏氾濫区域堤防事業の促進」を求める意見書

 昭和22年9月のカスリーン台風により、大利根町地先の堤防が決壊した。この洪水による被害は埼玉県下にとどまらず、東京都葛飾区、江戸川区、足立区に侵入し、浸水面積は約440k
uにも及んだ。国土交通省によると被害は、死者78人、負傷者1506人、家屋浸水138,854戸という激甚なものであった。

 これを契機に利根川治水計画の見直しが始まり、昭和27年利水・治水及び水資源確保を目的とした八ッ場ダム建設計画が、長野原町に提示されて以来半世紀以上が経過した。

しかし、新政権発足に伴う国の突然の方向転換に対し、永年にわたる国家政策との対立の末に苦渋の判断を下して代替地転居と事業執行を待つばかりとなっていた地元住民や関係者の反
発は大きく、また、共同事業者である1都5県(東京都、埼玉県、千葉県、茨城県、栃木県、群馬県)の各都県知事から建設中止に対する批判や中止の際の負担金返却要求の声も上がった


 そして、八ッ場ダム事業中止に伴う治水・利水の再検証を行うこととなった。

 しかし、八ッ場ダム事業計画においては、次のような問題点が言われている。

(1) 3度目の基本計画変更において、「工期の延長」、「ダムの堤体の縮小」、「水力発電所の設置」が行われた。工期が延びれば営繕費などの間接経費が必要にも関わらず、この
予算が見込まれていないことや、岩盤掘削量を149万m3から68万m3へ、ダム本体のコンクリート量を160万m3から91万m3に縮小するが、ダムサイトの岩盤断面図から見ると本体工
事の変更による増額が推測されている。また、東京電力株式会社への巨額の減電補償などが発生し、近い将来に総事業費の増額が想定されている。

(2) 首都圏の水の需要については、2015年頃にピークを迎えてその後は次第に減少していく。1人当たりの水道供給量はすでに頭打ちになっており、2020年頃には水道用水は減少し
水余りになるのではないかと言われている。

(3) カスリーン台風再来時の八ッ場ダムの治水効果は、2008年6月6日の政府答弁書でカスリーン台風再来時の八斗島地点(群馬県伊勢崎市にある利根川の治水基準点)の洪水ピーク
流量は八ッ場ダムがあってもなくても同じであると八ッ場ダムの治水効果がないことも認めている。

(4) ダム建設のために河川改修が後回しにされるのではないかと言われている。利根川の河川予算の推移を見ると、1998年では河川改修予算は1051億円で八ッ場ダムを含めダム予算
は490億円であったが、2007年では河川改修予算は495億円と年々減少しているが、ダム予算は581億円と増大している。

 これらの問題点を踏まえ、八ッ場ダムにおける治水利水等の検証を早急に実施することが必要である。また、11月13日1都5県の知事は、国土交通大臣に中止を前提としない客観的な再
検証の実施等の申し入れを行っている。

  堤防は安全だと思われがちだが、今も漏水被害などが発生している。平成13年、関東地区を直撃した台風で、利根川が出水した。加須市では、洪水が地盤に浸透して住宅地側へ漏れ
だす漏水が発生した。首都圏の安全と安心を守るため堤防の強化や整備が早急に求められている。

 よって、政府及び国会に対して、利根川流域の大利根町として、「利根川流域の安全・安心を守る首都圏氾濫区域堤防事業の促進」を強く求める。

 また、八ッ場ダム事業中止に伴う治水・利水の再検証の早期実施と、ダム予定地の地元住民等の不安や心情も理解し、ダム予定地の住民の生活再建・地域再生を可能とする法(地元へ
の補償措置を定めた法)の整備も併せて強く要請する。

以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出します。

平成21年  月  日

                           大利根町議会
          ----------------------------------------

 実は大利根町議会は、上記の意見書と八ッ場ダム建設推進の意見書と2本を同時に可決していて、聞いてみたら両方の意見書に賛成した議員が1人いたという。

 その両方に賛成した議員さんはいったい、八ッ場ダムの建設に賛成なの? 反対なの? ちょっとおかしいなとは思うのだが、それなりのバランス感覚と言ったらいいのだろうか。




2009年12月29日 (火)
八ッ場ダム建設中止の論理 (3)



事業費は4600億円ではとうていおさまらない

 八ッ場ダム建設事業の事業費総額は4600億円とされていて、平成20年度までに3200億円が支出されたことから、すでにダム工事の7割が完成しているというデマがまことし
やかに流された。

 その典型が石原東京都知事の発言で、9月11日に「もう、大体7割できてきて、あとダムそのものをつくるか、つくらないかって、全部疎開したわけでしょう。道路も鉄道も全部つ
けかえて、幾ら工費がかかったか、べらぼうなものでしょう。」と堂々としゃべったのであるが、これが、知事たちがいかに事実を知らないままで「推進」を叫んでいるのかを露呈する
こととなった。

 公共事業の多くがそうであるが、総事業費の7割を支出済みだから事業の7割が完成したということにはならないのであって、八ッ場ダムの場合は、予定していた事業費4600億円
の7割をすでに支出してしまったと言う方が正しい。

 実際、これまでにも事業費2110億円とされていたのが2004年に4600億円に倍増されたし、(建設中止しなかったとしても)工事が計画通りに2015年に終わるのはとう
ていムリだと言われてきたし、工事期間が延びればますます事業費はふくらむだろうし、これから完成までに最終的にいったいいくら増額が必要になるのかはわからないと言うべきであ


 国道や県道の付け替え工事などの関連工事もまだ完成区間は一部でしかない、住民の移転(石原は「疎開」と言った)もまだ進んでいない、未買収地も残っている、ダム本体工事はま
ったくこれからであるが、それだけではない。

 竣工までには、東電への減電保障が数百億円、貯水池周辺には地滑り危険箇所が22か所も指摘されていて地滑り対策費も増額は必至で、なんだかんだで1000億円は増額せざるを
得ないだろうという試算もあるし、完成した後にはダムのメンテナンスにも金はかかる。

“中止した方が得か、継続した方が得か”の比較はナンセンス

 今、工事を中止した場合と継続した場合と、どちらが多く財政支出が必要になるかという議論がなされていて、八ッ場ダム推進派は、中止した場合には、国がこれまでに支出した32
00億円はムダになり、さらに住民の生活再建支援の支出もしなければならないから、中止した方がかえって金がかかる、したがって八ッ場ダム建設は継続すべきだと主張している。

 私自身は、工事費の大幅な増額の可能性からして、中止した方が財政支出は少なくてすむと考えているが、“継続した”と仮定して、さらに完成後の地滑り対策費まで含めての事業費
の計算比較は困難であろう。

 ただし、次のことは言える。

 ダム建設を中止しても当然住民の生活の再建、地域再生を支援する事業は続けなければならないし、いずれダムに沈むからと言われて長い間なおざりにされてきた国道や県道などの地
域のインフラ整備は行わなければならないのであって、それらの支出は絶対に“無駄な支出”ではない。

 ましてやダム建設中止後の生活再建・地域の再生をいかに進めるか、その計画を作るのは地元の住民以外ではありえないのであって、それは住宅と温泉街の移転新設、幻の“ダム湖観
光”を柱とした地域再生よりも、より多くの財政支出を必要とするものであったとしても、むしろ積極的に支援していくべきものであることは言うまでもない。

 一方、中止した場合には、都県がこれまでに負担した利水負担金1460億円を返還しなければならないとされていて、国交相も返還を検討する方針を明らかにしているが、仮に国庫
から都県に返還されるとして、国にとってはある意味で“ムダな財政支出”であっても、都県にとっては住民のために使える収入だから、これも社会的には必ずしもムダな金ではない。

 したがって、中止した場合と継続したばあいと、財政支出はどちらが少ないか、どちらが高くつくかというような議論自体が、旧来の公共事業と財政の論理にとらわれていることを意
味しているのであって、そのような比較判断でには関わりなく、いずれにしろ八ッ場ダムを中止すべきことは変わりない。

前原国交相の姿勢は最初から明快だった

 9月17日、前原国交相は就任記者会見で「八ッ場ダム建設中止」を明言したわけだが、その際に記者の質問に答えた一問一答の中で、ダム建設中止の政治的決断が、単に「中止した
方が財政的に節約できるか、逆に高く付くか」の損得の問題ではないことを明快に説明しているので、引用しておく。(9月19日、朝日新聞群馬版)

 「(記者) 建設中止した場合と、中止しない場合を比べて、後者の方がコストが安くても、中止の考えは変わらない?

 (前原) 変わらない。いま全国で140以上のダム、あるいは放水路が建設中、あるいは建設計画にある。我々はこの事業仕分けをこれからやっていかなくてはならない。
 つまりは八ッ場ダム、川辺川ダム(熊本県)は、我々が全国のダム計画見直しの入り口として考えており、八ッ場ダム一つの得か損かで考える問題ではない。今後の河川行政、そして
また公共事業のあり方を見直していくうえでの入り口であり、そういった認識を国民の皆さん方にはもっていただきたい。
 改正河川法には、住民との対話、環境への配慮といった理念が盛り込まれている。我々は、できるだけダムに頼らない河川整備を考えたい。山をしっかりと手入れし、保水力を上げて
いくことも大事だし、そのことによって、河川の水質を上げていく。様々な資源を回復させていく。
 ダムはいったん造ると、砂がたまる。たまった砂の浚渫費用が今後発生する。ダムに砂がたまることで、川から海岸線への砂の供給が減る。砂が減れば海岸の浸食が起き、護岸整備を
やらなくてはならなくなる。
 ダムを全否定しているわけではない。ダムの必要な河川整備もあると思う。しかし改正河川法の趣旨をいかして、できるだけダムに頼らない河川整備をしていきたい。
という考えを表明していた。」

 その他の八ッ場ダム建設中止に関わる一問一答は以下の通りである。

 「(記者) 八ッ場ダムは、どういう手順で中止を進めるのか。

 (前原) 1952(昭和27)年に計画が始まって以来、57年の長きにわたって、住民、関係者の方々には我々の想像を絶するご苦労をおかけしてきた。
 八ッ場に限らず、こういったダムの建設予定地は、ほぼ例外なく当初は誰もが反対した。地域から離れたり、隣人との人間関係が悪くなったり、様々な苦労を越えて、建設容認へと傾
いていったという歴史的な経緯がある。
 本体工事の中止はご理解いただきたいが、一方で我々が考えなくてはいけないことは、皆さん方がいかにご苦労されてきたのかという思いをしっかりもったうえで、お話を伺い、ご要
望を伺い、それに沿った形で、解決策を模索していくことが大事だ。
 いままでの計画を変更する以上は当該自治体、住民に対する何らかの補償措置を、法的な枠組み、財政的な裏付けを含めて行っていかなければならない。我々民主党が野党の時にそう
いった補償措置の法律案を作っている。
 八ッ場についてはできれば連休中に、地元が受け入れ態勢を整えてもらえるなら、私自らお伺いして、皆さん方の思いを真摯にお聞きする場をつくっていただければありがたい。知事
や首長さんとも懇談したい。 

 (記者) 流域の都県は「中止するなら事業費の返還を求める」と言っているが。

 (前原) いままで推進すると言っていた事業をやめた時、どんな補償措置をとるかという法整備の中に、検討項目の一つとして考えたい。どんな中身にするかは今後詳しく検討した
いが、丁寧な対応が必要だ。

 (記者) 自治体や住民からは話も聞かずに中止するのかとの反発もある。

 (前原) 我々は野党の時に、何度も何度も八ッ場ダムについては視察して、地元の方々、あるいは当該自治体の方々とお話して、マニフェスト(政権公約)にした。しっかりと話を
伺ったうえで、党の考え方を決めた。
 マニフェストを掲げて総選挙を戦い、政権を預かった我々としては、当該地域の方のご苦労を認識したうえで、マニフェスト通りやるという立場。やみくもに無条件で中止するのでは
なく、地元の皆さん方にお話を伺い、ご苦労されている現状もつぶさにみて、どのような補償措置が必要かも我々は検討していく。




「八ッ場ダム推進」に固執する議員の論理 (2)



「暫定水利権」って?

 久喜市議会でも可決された意見書は、利水について、「埼玉県では、現在、八ッ場ダムの完成を前提として設定された暫定水利権に基づき、県民約160万人分の使用量に相当する水道水
を確保せざるを得ない状況にある。仮に、暫定水利権での取水が制限された場合、地下水採取が現在の約1・8倍にもふくれると予想され、相当な規模の地盤沈下が再発するおそれがある
。」と言う。

 上田知事は記者会見で、「そういう暫定水利権ではなくて、我々は安定水利権を得るために八ッ場ダムに参加しているわけでありまして、」と述べている。

 問題は「暫定水利権での取水が制限された場合」ということになるが、1972年からの取水実績がある中でこれまでに取水に支障をきたしたことはなく、過去にあった1996年と
97年の軽微な渇水(10%の取水制限、県民には節水の呼びかけのみ)の時にも安定水利権と比べて不利な扱いがなされることはなかったという。

 これについては埼玉県自身も、「暫定水利権は豊水時のみ取水可能として許可されているにもかかわらず、渇水時においても取水停止の措置はとられず、さらに、安定水利権の利水者
も一緒に取水制限に加わるといった制限方法が取られてきました」と言っているのであって、実際には暫定水利権も安定水利権と同等の扱いを受けている。

 つまり八ッ場ダムの暫定水利権は、八ッ場ダムがなくても取水し続けることが可能で、安定水利権と区別する必要がないのだから、国交省に安定水利権として認めさせればいいだけの
話であるのに、なぜそのように要求しないのか。

首都圏の水需要は減り続ける

 しかしもっと根本的には、八ッ場ダムの利水効果そのものがもはや必要なくなってきているということにある。

 八ッ場ダムが計画された当時から高度成長期には首都圏の人口急増に伴って水需要も増え続けると予想されていたが、1990年代から、節水対策の普及や漏水防止対策が進んできた
こともあって、首都圏の水需要そのものが減り続けているのが現実であり、八ッ場ダムが完成する予定の2015年以降は首都圏の人口そのものが減少していくと予測されている。

 これに対し、東京都などは1日最大給水量500万トン(90年代初頭は600万トンもあった)に対し、保有水源は700万トンもあって、現在すでに200万トンもの余裕水源が
あるわけだし、埼玉県の場合も水需要は10年前からはほぼ横ばいで、むしろ今後は減り続けると予想されていて、すでに給水量を上回る水源が確保されているという。

八ッ場ダムの治水効果?

 意見書は治水について、「利根川上流3流域のうち、流域面積の4分の1を占める吾妻川流域唯一の治水も目的とするダムであり、その治水上の効果は大きい。
 とりわけ、昭和22年9月発生のカスリーン台風による利根川の決壊等により、群馬県はもとより本市を含む埼玉県東部及び東京都東部など、併せて30万3,160戸が水没、冠水する大惨事
となったことを忘れてはならない。まして、当時と比較し、流域都県の人口が急増していることに鑑み、水害防止の観点からも必要性大である。」と書いている。

 もし仮に、昭和22年のカスリーン台風と同じような台風が来て、当時と同じように利根川が決壊したら、当時よりも首都圏の人口が増えているから、もっと大きな被害が出るだろう
と予測しているらしいのだが、はたしてその予想は正しいか。

 6都県知事の共同声明でも、「カスリーン台風と同規模の洪水が発生した場合には利根川の至る所で堤防が決壊する可能性があり」と言っているのだが、これらはいずれも何が何でも
八ッ場ダムを造り続けたいがために、なりふり構わず危機をおあり立てる語り口そのものである。

 疑問は、さてそれではこの50年間にわたる利根川の堤防強化やかさ上げ、河床掘削などの河川改修を続けてきたのに、それらの効果もむなしく「利根川の至る所で堤防が決壊」して
当時と同様かそれ以上の被害が出るだろうというのでは、50年間の治水対策はいったい何だったのかということにならないか。

 12月28日のブログ(1)にも書いたとおり、50年間の最大洪水時においてさえ、最高水位は堤防よりも4mも下を流下していたということから、すでに大きな洪水にも対応でき
る河道断面を確保していると考えられるのであって、「カスリーン台風と同規模」で「至る所で堤防が決壊」するなどということはありえないし、国交省も当の知事たちもそんな荒唐無
稽のお話を本当に信じているとはとうてい考えられないではないか。

 八ッ場ダムによる水位引き下げ効果は利根川の栗橋付近で10cm程度とされていて、それは洪水調節にはほとんど影響ないと言わざるをえない。

 そもそも、国交省は「200年に1度の大洪水」とか、カスリーン台風並みの大雨被害に対応すると言ってきたのだが、実際にはカスリーン台風では吾妻川流域での降雨量は少なかっ
たから、八ッ場ダムには関係なかったと言われているし、雨がどこで多く降るかはわからないから、あらゆる場合を想定するとしたら、吾妻川以外の利根川流域にもっともっとたくさん
の大規模なダムを造らなければならないことになる。

 しかも「200年に一度の大洪水」に対処するために、もしダムだけですべての流量調節を行うと仮定すると、これまでに利根川上流に建設されたダム群に加え、八ッ場ダム完成後も
さらに10基以上のダム群を作り続けなければならないと言われているが、そんな非現実的な計画を立てることはありえない。

 八ッ場ダムが“利水”のためには必要なく、“治水”のためには役に立たないとすると、上田知事はいったい何のために、八ッ場ダムにそれほどに固執するのか。



2009年12月28日 (月)
今どき、「八ッ場ダム推進」を叫ぶ議員たちの論理(1)



 12月18日、久喜市議会の最終日に「八ツ場ダムの建設推進を求める意見書」が賛成多数で可決された。

 この意見書自体は、どこかで意見書の文案を作って組織的にあちこちの議会に提案して数の力で可決させてきているものであるから、自民党や公明党などの旧勢力による民主党政権へ
の妨害戦術の一つに他ならない。

 それでも多くの自治体議会で、このような旧政権の謀略のような意見書が賛成多数で可決されてしまうということは、何を意味するか。

 それは、戦後60年間にわたって続けられてきた「鉄とコンクリート」による自然破壊こそが“近代化”“科学技術の勝利”であり、日本の国土をコンクリートで固めることが防災対
策であり、土建型の公共事業をひたすら続けることが地域振興であると、いまだに信じている人々が、残念ながら地方議会の中では多数派を占めているということである。

ダム推進の先頭に立つ上田知事の放言

 その先頭に立っているのが石原都知事や上田埼玉県知事、6都県議会議員の推進議連だったりするのだが、中でも上田知事のデタラメな放言、ダム中止派に対する攻撃の激しさ、その
突出ぶりはひときわ目立っている。

 たとえば、10月28日、知事は記者会見でこんな風な発言をした。

 その発言自体はあまりにくだらないものなのだが、“八ッ場ダムが埼玉の治水対策にとって必要だ”と主張する人々の感覚がこんなものだということを示すいい例ではある。

 これに対して、八ッ場ダム建設中止を求めてきた「八ッ場あしたの会」や「八ッ場ダムをストップさせる埼玉の会」などが詳しい批判を展開しているので、それらの批判のポイントだ
けを記しておく。

 上田放言(1)
 『大体、地元の加須とか、大利根町の皆さんに聞くと、5、6年に1回くらいは堤防すれすれに水が来ておりますと。チャポチャポといって、時々ここに水が来る場合もありますと。」

 新聞記事になったこの文章だけを読むと、もう利根川はいつあふれるかわからないほどに水害の恐怖にさらされているように思えるのだが、実際には、最近の最高水位を記録した平成
10年9月や13年9月でも、堤防の4m下であり、「堤防すれすれに」「チャポチャポといって、時々ここに水が来る」ような事実はないという。

 4m下を流下している水位を「堤防すれすれ」だの「チャポチャポといって」だのと言うのは、茶のみ話かあるいは酒の席での駄話か、もし加須とか大利根の行政の責任ある人のお話
だとしたら、ウソをいってパニックをあおっていることになるし、確かめもせずにそれを信じてしまう知事もあまりに無責任と言わざるをえない。

 上田放言(2)
 「それから大澤(群馬県)知事も言われましたが、平成10年の段階でも極めて危ない水面すれすれで、土手近くに置いてあった駐車場の車が全部流されるという、それほどスピーディ
ーにいざ豪雨で来るときは来るという」

 「土手近くに置いてあった駐車場の車」というのは、実は前橋市内の利根川堤防の内側の河川敷に作られた群馬県職員用駐車場であって、増水時には使用しない、あるいは速やかに撤
去することになっていたのだが、県の河川課と総務部の連絡の遅れ、いわば行政の過失によって発生した人災であったのだが、上田知事の記者会見だけを読むと、あたかも大洪水で堤防
の外側の市街地の駐車場に水が押し寄せて、市民の車を押し流したかのように誤認させるではないか。

 県では「知事は河川敷の駐車場であることは承知しております」と言っているので、そうであれば上田知事は、知っていながらわざととぼけて(?)誤認されるような発言をして危機
感をあおったということになる。

 なお当時、駐車場の管理職員が“責任を感じて”自殺していて、群馬県知事はそれを「死者が出るような事件」と言っているのだが、これはあたかも洪水によって死者が出たかのよう
に誤認させる発言である。

 上田放言(3)
 「平成10年からの10年間だけでも利根川流域での漏水が起きている・・・利根川沿いで26か所、10年間で起きているんですね平成10年から20年までの間に。」

 平成13年9月の洪水で加須市付近の堤防からの漏水があって、この時には水防団の活動などで止めることができた。

 上田知事は、堤防からの漏水が度々起きていることをもって、やっぱり八ッ場ダムが必要だという論拠にしたいらしいのだが、ちょっと考えてみると、その論理のばからしさにだれで
もが気付くだろう。

 漏水は堤防の下から水が浸み出してくるのであって、八ッ場ダムがないから利根川の流量が増えて堤防の上から水があふれ出してきたわけではない。

 実際に加須市で発生した漏水の時にも水位は堤防の上から4m下であったのだから、八ッ場ダムが完成して洪水流量をわずか低減させたとしても、堤防の下からの漏水を防ぐことには
全然ならないではないか。

 そんな詳しい計算もすでになされていて、八ッ場ダムによる水位低下の効果は加須市付近で10cm程度、それによる漏水減少率は3%程度であるというから、仮に八ッ場ダムができ
てもやっぱり漏水は発生する危険があるということになる。

 堤防下からの漏水を防ぐために必要なのは、ダムではなくて堤防の強化でしかないから、埼玉県行政としては利根川の堤防強化を何よりも真っ先に進めなければならないはずなのに、
漏水の原因を八ッ場ダムに強引に結びつけようとする発言は、もしかしたら行政最高責任者の責任逃れだろうか。



2009年12月17日 (木)
いい加減な知識で書き散らす某市長の罪(2)



 鹿児島県阿久根市長・竹原氏のブログ、氏は障害者団体や全国からの批判に対して「一部の文章だけを取り上げて批判するな」と言っているので、全体を見てみることにしよう。

          -------------ここから引用--------------
■2009/11/08 (日) 医師不足の原因は医師会
 医師不足が全国的な問題になっている。特に勤務医の不足は深刻だ。
医師が金儲けに走っている為だが、この体質を後押ししてきたのが医師会だった。

(引用文省略)

 勤務医師不足を解消する為に勤務医の給料を現在の1500万円程度から開業医(2500万円程度)に近づけるべきなどとの議論が出てきている。
しかしこんな事では問題は解決しない。医者業界の金持ちが増えるだけのこと。

医者を大量生産してしまえば問題は解決する。全ての医者に最高度の技術を求める必要はない。できてもいない。例えば昔、出産は産婆の仕事。高度医療のおかげで以前は自然に淘汰さ
れた機能障害を持ったのを生き残らせている。結果 擁護施設に行く子供が増えてしまった。
「生まれる事は喜びで、死は忌むべき事」というのは間違いだ。個人的な欲でデタラメをするのはもっての外だが、センチメンタリズムで社会を作る責任を果たすことはできない。
社会は志を掲げ、意志を持って悲しみを引き受けなければならない。未来を作るために。
          -------------引用、終わり--------------

 (5)医師不足、勤務医の不足は、「医師が金儲けに走っている為だ」と決めつけ、勤務医師不足を解消する為に勤務医の給料を引き上げるのは、「医者業界の金持ちが増えるだけの
こと」とし、さらに前後の脈絡もなく唐突に、「医者を大量生産してしまえば問題は解決する」と言う。

 金儲けに走るのは医師に限らずどこにでもいるだろうし、日本社会全体がそうなっているわけで、また医師会が自民党の圧力団体として医療政策をねじ曲げ、大学医学部の定員を抑制
してきたことも確かだろう。

 しかしそれでも、竹原氏の文章が事象の一部を一面からだけ取り上げた決めつけにすぎないことはちょっと考えればわかるはずだが、医療政策の誤り(失敗)を問題にしないで医師や
医師会を悪者としてすべての責任を押し付ける物言いは、大衆受けするかもしれないが問題の本質にも解決策の提言にもほど遠い。

 私も全国の大学の医学部の定員を大幅に増やして医師を大量に増やすべきだと考えるが、医師という人間を育成するのはモノを生産するのとはわけが違うし、ましてや「医者を大量生
産」するなんてことができるわけもない。

 医師を育てるのが、自動車の修理をする技師を育てるのとは違うなんてことはあたりまえではないか。

 また人は医師という職業に魅力を感じるからこそ医師をめざすのであって、その魅力の中には当然、仕事を支えるだけの給与や勤務条件も入ってくる、その方策として給与の引き上げ
が論議されているのであって、条件を整備しないで「医者を大量生産」することなどできはしない。

 彼が、医者の給料を上げる必要はない、最高度の技術なんかいらないから大量生産しろと書くのは、無責任な空理空論でしかない。

 (6)「昔、出産は産婆の仕事」と書いて、それを自然淘汰につなげているのは、現代においても出産は産婆でいい、産科医に行く必要はない、産婆でダメならそれで仕方がないと言
っていると理解するしかない。

 確かに今、産婆の仕事を再評価する議論もあるが、それは産婆と産科医との連携の問題であって、医療との連携なくして産婆だけでいいという話ではないし、ましてや未熟児や何らか
の病気や出産時の事故で医療が必要になった時に命を救おうとするのは、センチメンタリズムでもなければ、医者の金儲けのためでもない。

 (7)もう一つ、たいへん気になる記載がある。

 竹原氏は、機能障害を持った子供が「生き残らせ」られて、そういう子供は「擁護施設」に行くと考えているらしいが、障害児はそういう「施設」に入るものだという理解がまず間違
った思いこみである。

 しかも「擁護施設」という施設はないので、おそらく竹原氏は「養護施設」あるいは「養護学校」と間違えているのだと思われる。

 「養護施設」というのは児童養護施設のことで、家庭環境などに問題があって家庭での養育が困難な児童を養育する児童福祉施設であり、竹原氏が書いているような「機能障害を持っ
た」子供の行く、あるいは障害児を収容する施設ではない。(児童養護施設に入所した児童がたまたま障害を持った子である場合はある)。

 「養護学校」は障害児を教育する学校であるが、今は「特別支援学校」と呼ばれている。

 なぜわざわざこんな言葉の問題を取り上げて指摘するか。

 竹原氏はもしかしたら、「養護施設」が何かということも知らないで、さらに養護施設と養護学校のことも知らないでごちゃ混ぜにして理解しているのではないか。

 そうだとすると、竹原という人は、障害児のことも、障害児福祉行政や障害児福祉施設についてのいい加減で中途半端な理解に立って、時には間違った知識で無責任な文章を書き散ら
しているのではないか。


2009年12月16日 (水)
障害者は淘汰されるべき存在か(1)



 竹原・阿久根市長の言動は、そのブログでの他者への歯に衣着せぬ攻撃や、保守的な役人組織、職員の利益団体としての労働組合、古い体質の市議会との対決姿勢などによって全国的
な注目を集めている。

 ある意味では「改革」の旗を掲げて市役所に乗り込んでも、官僚組織や議会との調整にエネルギーを費やし、妥協に妥協を重ねて結局は目立った成果もあげられないケースが多い中で
、その対決姿勢を貫きとすことができているだけでも注目に値するのかもしれない。

 そのやり方やブログの記載を賞賛する人も多いらしい。

 しかし私は、この間ずっと阿久根市長の行動やブログを見ていると、その攻撃的な対決姿勢がパフォーマンスとしては意味を持っているかもしれないが、彼の民主主義意識や人権感覚
に対する強い疑念を抱いている。

 その一つが全国に報道された“障害者差別記事”である。

 竹原氏の文章も言葉の使い方も非常に粗雑かつ乱暴で、意味を読み取るのに苦労するし、言葉の使い方が読む側に苦痛をもたらすこともあるのだが、それはある程度ガマンしなければ
ならない。

          -------------ここから引用--------------
■2009/11/08 (日) 医師不足の原因は医師会
 医師不足が全国的な問題になっている。特に勤務医の不足は深刻だ。
医師が金儲けに走っている為だが、この体質を後押ししてきたのが医師会だった。

(引用文省略)

 勤務医師不足を解消する為に勤務医の給料を現在の1500万円程度から開業医(2500万円程度)に近づけるべきなどとの議論が出てきている。
しかしこんな事では問題は解決しない。医者業界の金持ちが増えるだけのこと。

医者を大量生産してしまえば問題は解決する。全ての医者に最高度の技術を求める必要はない。できてもいない。例えば昔、出産は産婆の仕事。高度医療のおかげで以前は自然に淘汰さ
れた機能障害を持ったのを生き残らせている。結果 擁護施設に行く子供が増えてしまった。
「生まれる事は喜びで、死は忌むべき事」というのは間違いだ。個人的な欲でデタラメをするのはもっての外だが、センチメンタリズムで社会を作る責任を果たすことはできない。
社会は志を掲げ、意志を持って悲しみを引き受けなければならない。未来を作るために。
          -------------引用、終わり--------------

 (1)最初にひっかかるのは「機能障害を持ったのを生き残らせている」という文章である。

 普通の人間だったら「障害を持った子を」と言うところを「機能障害を持ったのを」と書くこと自体が、もうすでに「生まれてきた子」でなく、生まれてくるべきでなかった「もの」
扱いしていることを意味する。

 (2)「以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている」というのはどうか。

 自然淘汰あるいは自然選択説は、本来は進化論や遺伝学で「生存に有利なものが生き残る」という概念であるが、「外界に適応するものは栄え、そうでないものは滅びる」「劣悪なも
のは滅び優良なものが生き残る」という意味でも使われる。

 人間は、医療ばかりではない、みずから環境を作ることによって、野生動物のような自然淘汰されない社会を作ってきたのであって、それは新生児の場合だけではない、病気の治療や
、障害があっても生きられるノーマライゼーションの社会を作ってきたし、寝たきりの高齢者も生きていける社会を作ってきた。

 そうした人間社会の営みは、社会的存在としての人間のあり方そのものであるはずだが、竹原氏は、放っておけば自然淘汰で死んでしまうべき存在を生き残らせるのが問題だと考えて
いるらしい、それが「擁護施設に行く子供が増えてしまった」の文章の「増えてしまった」という言葉に表れていよう。

 以前は障害児は生まれる前に自然淘汰で死んでしまって、生まれてこなかったんだと言うが、実は、病気の人も高齢者も同じことである。

 竹原氏の言い方を借りれば、“以前は病気の人や高齢者は自然に淘汰されたのを生き残らせている、結果、医療費が増大し、高齢者福祉施設が増えた”ということになる。

 しかしそれは実は、医療が高度化したからではなくて、人間がそれを望んだからであるが、それを本人や家族の当事者でもない第三者が評論家的に批判して、いいとか悪いとか言える
のか、ましてや社会を作る責任とか未来のためにとかの政策的な判断で是非を論じることができるのか。

すべての誕生を喜び、死を悲しむのはセンチメンタリズムか

 (3)「『生まれる事は喜びで、死は忌むべき事』というのは間違いだ」という独りよがりな死生観もたいへん気になる。

 「死は忌むべき事」という考え方については、人間の死生観の問題であって確かにさまざまな考え方がありうるが、しかしそれとて、正しいとか間違いだとか、決めつけられることで
はない。

 ましてや、死を受け入れるのは本人や家族やある意味での当事者であって、“以前だったら自然淘汰されていたんだから死んでも仕方がない”とか、寝たきりの高齢者や植物状態に陥
った人を延命させるのは間違いだとか、第三者が言うべきことではない。

 ただし「生まれることは喜び」というのは普遍的な真実ではないか、…それは生物の持つ本能に基づく行為であり、感情であるからでもある。

 仮に今後のことを思って悩んだり心配になることがあったとしても、もしも誕生自体を「喜び」と受け止められない場合があるとしたら、貧困や家庭環境やあるいは障害者を受け入れ
ない社会とか、そのような社会の方に問題があると考えられる。

 (4)竹原氏は「生まれる事は喜びで、死は忌むべき事」という考え方を「センチメンタリズム」と批判する。(批判しているように読める)。

 親が、どんな障害があっても、子の誕生を喜ぶことはセンチメンタリズムか。
 障害が重くて高度医療でも救えなくて生まれてこれなかったことを悲しむのはセンチメンタリズムか。
 あるいは胎児に障害があって生きられないかもしれないから、現在の医療でできる最大限の技術と努力を尽くすことはセンチメンタリズムか。

 次の「センチメンタリズムで社会を作る責任を果たすことはできない」「社会は志を掲げ、意志を持って悲しみを引き受けなければならない。未来を作るために」というのは、とりわ
け意味が取りにくいのだが、文章の通りに解釈してみると以下のようになる。

 生まれることが喜びで、死が悲しみというのがセンチメンタリズムで、そんなセンチメンタリズムで喜んだり悲しんだりしていては社会をつくる責任=つまり政治はできない、将来の
ために、社会は(政治は)自然淘汰による障害児の死を受け入れるべきだ、と。

 これはもう、障害児が生まれてくることは社会のためにならないから、社会の将来のためにもならないから、高度医療でむりやりに生かさないで、死んでも仕方がない、それを社会と
政治が受け入れるべきだという思想以外のものではない。

 もっとも竹原氏がこういう考え方をはっきりとは示さないで、センチメンタリズムがどうとか、志を掲げるとか、意志を持って悲しみを引き受けるとか、未来のためにとか、非常に情
緒的な意味不明な言葉を使ってわかりにくい文章を書いているのは、このような彼の思想の本質をオブラートで包み隠そうとする無意識のわざではないか。



2009年12月13日 (日)
新型インフルエンザとワクチン副作用



ワクチン副作用による死亡が64人

 12月10日、毎日新聞に「新型インフル 初の10代死亡例 ワクチン接種後」の記事が掲載された。

 新型インフルエンザワクチン接種後の副作用で、初めて10代の死亡例があって、ワクチン副作用による死亡報告は8日までに64件にのぼるという、厚生労働省の発表である。

 記事にはこの死亡者について、「自己免疫性疾患などの持病があった」「主治医は、腹痛などはワクチンの副作用で起きた可能性があるが接種と死亡との直接の関係はないと判断して
いる」とも書かれている。

 一方、6日の厚生労働省の発表によると、新型インフルエンザによる国内の感染者の死者が100人に達した。

 100人目の死亡者は74歳の男性で、悪性リンパ腫や糖尿病の基礎疾患があり、11月16日に新型インフルエンザワクチンの接種を受けていたが、12月4日に新型インフルエン
ザを発症、抗インフルエンザ薬のタミフルを服用したが、5日に自宅で急性呼吸不全により死亡したという。

 新型インフルエンザによる死亡者が100人に対して、ワクチン接種後に副作用を発症しての死亡者が64人、この数字をいったいどう理解したらいいか。

 厚労省は12月9日に新型インフルエンザワクチンの副反応報告を発表していて、それによると、12月7日までのワクチン納入量(932万回分)をもとに推計した副作用発生率は
0.02%、重篤な副作用例が0.002%とされている。

 副作用の報告は1427例、重篤な副作用例が177例、その内の死亡者が64人である。 

 ただ厚労省の発表は、新型インフルエンザを発症して死亡者が出た場合、その患者にはもともと基礎疾患があった場合でも「新型インフルによる死亡」とするのに対して、ワクチン接
種後の副作用を発症して死んだ場合にはわざわざ「基礎疾患があった」と断った上で「接種と死亡の因果関係は不明」としたり、「評価不能」などと発表されることが多い。

 実際、厚労省は、これまでのワクチン副作用による死亡者64人についても、「すべて基礎疾患を有する人で、主治医が接種と死亡の因果関係について『関連あり』と報告した例はな
い」と言っている。

 こういう発表の仕方にかなり意図的なものを感じるのは私だけではない。

 ワクチン接種はインフルエンザに感染しても重症化するのを防止するのだと宣伝されているが、最近は、ワクチン接種を受けていて新型インフルエンザを発症して死亡したというケー
スも多い。

 もともと、ワクチンの中でもインフルエンザワクチンは“効かない”“危ない”と言われてきたし、それは“新型”インフルエンザについても同じことらしい。

 いやむしろ、新型インフルエンザのワクチンの重篤な副作用発生率0.002%というのは、季節性インフルエンザワクチンの0.0002%と比べると10倍にもあたる、驚くほど
に高い。

ワクチン接種は自分で判断するしかないのか

 ワクチン接種を受けて新型インフルエンザにかからないか、かかっても軽症で済めば、ワクチンの効果があったかなと思ってそれでよい。

 ワクチン接種を受けないでも、かからない人が多いわけで、あるいはかかっても高熱が出て2〜3日休んでいれば治る軽症ですむ場合がほとんどであるわけだから、それで割り切って
もよい。

 ワクチン接種を受けるかどうかは、それぞれの判断基準をもって、一人一人の考え方次第というしかないのだが、特に子どもにワクチン接種を受けさせるかどうかについては相当慎重
に考えなければならないし、接種した後にも副作用が出ていないか、子どもの体調の変化や経過をしっかりと見守っていく必要がある。



カタカナ言葉は日本語ではないのか?



 12月10日の健康福祉委員会で、鈴木松蔵議員から「プレゼンテーションとはどういう意味か」という質問が出た。

 議題は「指定管理者の指定について」で、養護老人ホーム「偕楽荘」と心身障害者簡易通園施設「のぞみ園」の管理運営を民間社会福祉法人に“委託”することを決めるもので、その
説明資料の中に、それぞれ2つの団体から応募があって、2次審査で「プレゼンテーション」を行って選定したという記載があった。

 鈴木議員は行政のカタカナ言葉についてかねてから異論を唱えてきており、議会でもたびたび「日本語を使うべきだ」という持論を展開していたから、執行部も議員も「ああ、またか
」という感じで受け止めた。

 執行部の課長が答弁に立って「補足説明という意味です」と答え、質問した鈴木議員は「それなら補足説明と書くべきだ」と続けた。

 鈴木議員はこだわりたかったようだが、議案の内容にはまったく関係なくて、資料の中の用語の使い方だけの問題だから、この議案に対する質疑としてこの場で取り上げること自体が
ムリで、質問も続かず何となくウヤムヤになってしまった。

 私自身も、行政があまりひんぱんに、やたらとカタカナ言葉を使うことには違和感があるのだけれど、しかし今や、カタカナ言葉でないと言葉の“イメージ”や“ニュアンス”が伝わ
りにくいものは多い。

 それは用語だけの問題ではなくて、その意味するところの行為やことがらや概念自体が外国から入ってきたものは、“もともとの日本語”では内容の全体を表現しにくいことが当然あ
りうる。

 その概念自体がもともとの日本生まれでないものは、もともとの概念と結びついていたカタカナ言葉の方がしっくりするものが多いのは確かだ。

 “プレゼンテーション”もその一つで、これをもともとの日本語だけでその概念を表現するのはむずかしい。

 大辞林をひくと、
 (1) 提示。説明。表現。
 (2) 自分の考えを他者が理解しやすいように,目に見える形で示すこと。また特に,広告代理店が依頼主に対して行う広告計画の提示や,説明活動をいう。プレゼン。
 と出ていて、この場合は(2)の方にあたるのだが、課長が答弁した「補足説明」という言葉では意味が違ってくる。

 外来語は、大辞林には「他の言語より借り入れられ、日本語と同様に日常的に使われるようになった語」と出ていて、端的に言えば外来語とは、“外国語が日本語化したもの”である
から、“外来語は日本語である”と言ってもいい。

 問題は、その一つ一つのカタカナ言葉が日本語として定着したかどうかの判断であって、「カタカナ言葉だから使うべきでない」として外来語自体を排斥するような態度は、これはも
う日本語至上主義、幕末の攘夷論を思わせるではないか。

 ちなみに、この同じ資料の中に出ているカタカナ言葉を拾ってみると、ホームページ、Eメール、デイサービス、老人ホーム、サービス、ニーズとあり、さらに、団体から提出された
プレゼン資料の中には、バイキング食、アンケート、トラブル、コミュニケーション、オンブズパーソン、マニュアル、ボランティア、サポーター、ケアハウス、相談センター、ライフ
ステージ、ノーマライゼーション、サポート、ガイドラインなどのカタカナ言葉が使われていた。

 さてこれらを、カタカナ言葉を使わないで、表現しようとしたらどうなるか、以前、総務省がどこかでカタカナ言葉の言い換え集を作ったことがあったが、かえってわけがわからなく
なっていつの間にか忘れられてしまった。



2009年12月 8日 (火)
予算編成過程の公開の取り組みの評価



 「12月4日のホームページ」で「久喜市が初めて予算要求状況の公開」の記事書き、同じ文章を『声と眼』389号(2009/12/3)にも掲載した。

 今回の久喜市の予算編成過程の公開は、それなりに評価するべきなのであろうが、それでも昨年の議会で提言した私からすれば、はなはだもの足りない、いかにも中途半端な公開とい
うしかないので、「今後、査定の経過や事業の内容についても公表するべき」だと書いた。

 県内の近くの市の議員さんがそれを読んで、また実際の久喜市のホームページの当該のページを見た上で、「久喜市が予算編成過程の公開に踏み切ったのはかなりの英断だ」という評
価を与えてくれた。

 なるほど、久喜市の今回の取り組みは、おそらくは県内では初めての取り組みであり、直接に久喜市長および久喜市行政当局と相対している私が感じているよりも、客観的には少しは
高い評価を得ているようだ。

 そう思い直してはみたのだが、それにしても、以下のような事業名と予算要求額を並べてみせただけでは、事業の中味も要求金額の根拠もわからないし、これで市民にとって予算要求
状況を知らせたことになるのだろうか、こういう形で公開した市の担当者の感覚に素朴な疑問を抱かざるを得ない。

     -------------------------

    平成22年度「新久喜市」当初予算要求状況一覧表
      主な事業(一般会計・課別)
 総合振興計画策定事業  6,146(単位 千円)
 駅バリアフリー化事業  84,000
 病院建設補助事業 1,090,000
 人権啓発推進事業 692
 男女共同参画業務経費 1,540
 広報発行事業 12,071
 元金償還事業(財政課) 1,784,042
 利子償還事業(財政課) 385,325
 市民税・諸税賦課事業     28,993
 固定資産税・都市計画税賦課事業 65,742
   ・・・(中略)・・・
 小学校教材整備事業        51,052
 幼稚園就園奨励費補助事業 74,339
 学校給食運営事業 691,413
 体育施設管理事業 107,047
 図書館資料整備事業 10,637
     -------------------------

 もっともここまで書いてきて、昨年の市議会一般質問で「予算編成過程を公開するべきだ」と提言した際に、最初は田中市長も財政担当部も消極的な姿勢に終始して、事務作業がたい
へんだなどと“やらない理由”ばかりを並べ立てていたので、私の方から「最初はできる範囲で始めてはいかがか」と言ったことを思い出した。

 今回の久喜市の公開は、予算編成過程を公開していこうという積極的な姿勢を前提として、「取り組みの第一歩として、できる範囲で」踏み込んだ決断を評価するべきなのかもしれぬ




2009年12月 1日 (火)
ノイバラは危険だから抜いた方がいいか



 私はずっと東京の練馬区の住宅地で子ども時代を過ごしたが、家の前の道路でメンコやカンけり、オニごっこやかくれんぼをしたり、近くにはけっこう空き地や原っぱも残っていたか
ら、そんなところを子ども集団で駆け回っていた。

 原っぱでは背丈よりも高く伸びた雑草の中を走り回り、オニに追われて近所の家の垣根の下をくぐり抜けてよその家の庭を突っきったり、木によじ登りヘイを乗り越え、どぶ川を飛び
越えたり、当然、体中が泥だらけ、手足はしょっちゅうすり傷切り傷だらけだった。

 蜂の巣を見つければ度胸試しとばかりにサオを振り回して巣を落として蜂にさされても、そんなときはアンモニアがいいんだとガキ大将に教わっておしっこをぬってすませた。

 すり傷や切り傷にはつばを付けるだけだったし、毛虫にさされたらヨモギの葉かドクダミの葉をもんで汁を塗っておけばその内に痛みやかゆみも消えていくような気がした。

 虫さされにヨモギやドクダミは民間療法の俗説以外でないし、ましてや蜂に刺されておしっこを付けるなんてとんでもないということは後で知った。

 遊びの中で傷をこしらえけがをしたりを繰り返しながら、柿の木は枝が折れやすいとか、ススキの葉で足を切るとけっこう深い傷ができるから気をつけなきゃいけない、あそこのヤブ
の木はトゲがあるからくぐっちゃいけないとか、ある種の毛虫は刺されるとものすごく腫れて痛いから椿の木の下を通るときには気をつけろとか、逆に、桜の木の下を通ると上からぼた
ぼた落ちてくるアメリカシロヒトリは触れても刺さないからだいじょうぶだとか、いろんなことを学んだと思う。

 さて、“今の子どもたち”は、そんな自然との付き合い方の小さな知恵をどこで学ぶのだろう。

 そもそも幼い頃から、そんな危ないまねはしないように親から言われ、どんな小さな危険からも遠ざけられて、蜂の巣にも近づかないし、草ぼうぼうの原っぱ(今はあまりないが)の
中を走り回ったりヤブに飛び込んで、すり傷切り傷をこしらえたりすることもないのだろうか。

 11月に開かれた決算委員会で、ある女性議員さんが、保育園の植え込みの中にノイバラが生えていて、子どもが植え込みに入ると危険だから抜いてほしい、保育園に植わっている椿
の木はよく毛虫が付くから何とかしてほしいと要求したのには、ちょっとビックリした。

 確かに椿やサザンカにつくチャドクガは、刺されるとたいへん痛いし、数日は腫れが残るほど毒が強いのだが、この議員さんが、農薬を散布しろと言いたかったのか、椿の木を抜いて
しまえと言いたかったのかはよくわからない。

 しかし誤解を怖れずに言えば、ノイバラもチャドクガも、命に関わるようなものではないし、そんなに神経質になる必要があるのだろうか。

 棘のある木や草が生えてきたら子どもがそれに触れる前に除去してしまう、毛虫の付くような木は植えないで、毛虫が出たら農薬を撒いて殺してしまって、子どもたちのまわりの自然
からすべての小さな危険も事前に取り除いてあげる(農薬はかえって危険だと思うが)、そんな環境をつくることがはたして本当の意味で子どもたちのために必要なのだろうか。








2009年11月22日 (日)
一般質問の熾烈(?)な順番争い



 11月議会の日程は11月25日から12月18日まで、一般質問は11月30日、12月1日、2日の3日間である。

 一般質問は事前通告制をとっていて、議会運営委員会が開かれるひ、今回は11月18日午後1時から受け付け開始、翌日の午後3時が締め切りである。

 質問枠は1日7人、3日間で最大21人(議長は通常は質問しない)で、質問順は通告した先着順に、たとえば1日目の1番、2番、3番、2日目の1番、2番、…といったように希
望枠を抑えていく、受け付け開始の午後1時に並んだ議員が複数いれば、抽選で順番を決めるのがルールである。

 今回は18日の1時に6名が並んだので、抽選順に1日目の1番から6番までの枠を取り、その後に来た議員が2日目以降の枠に名前を入れていった。

 ところがいったん順番が決まった後で、2番目と3番目になった議員が入れ替わり、次いで5番目になっていた議員が1番目の議員と交代し、1番だった議員が3日目の枠に移ったの
で、途中で5番が空いたりして話が少しややこしくなった。

 最終的に1番枠を確保した議員は、最初の抽選ではくじ運が悪くて1日目の最後の方になってしまったのだが、自分より前の枠に入った人が自分のと重なる質問を通告していたので、
その人より先に質問したくて1番に交代してもらったのだそうだ。

 20名もの議員が一般質問するのだから、これまでにも質問内容が重なったりすることはしばしばあったが、自分より前の議員の質問を出し抜くために質問順を変えてもらったという
のは、おそらく初めてだろう。

 それにしても、先に質問したからといって手柄になるわけでもなし、政策議論を深められればいいと思うのだが、何でそんなに「1番」にこだわるのか…。

 ちなみに彼がどうしても1番でやりたかった質問というのは、合併時の事務事業の調整状況(介護保険料や学校給食費、公民館使用料など)についてで、今回、確かに他にも何人かの
議員が内容的に重なる質問を通告しているのだが、実際にはそれぞれに少しずつ質問の趣旨や観点は違っている。

 実は私の質問通告の中にも重なる内容があって、質問順は2日目の4番目なのだが、前の人の質問と答弁を聞いてから、その答弁を踏まえてさらに深く執行部の見解をただしながら、
またちょっと視点を違えて質問したいと考えている。






2009年11月19日 (木)
議会の一般質問は真剣勝負



 市議会の一般質問は質問時間40分となっていて、この制限時間内なら再質問、再々質問と何度でも質問することができる。

 たとえば9月議会で、私は7項目の質問を行うと通告したのだが、1回目は議長席の前の演壇で、7項目すべての質問を通して行い、執行部は1から7まで全部の質問に対して一括し
て答弁する。

 2回目の質問以降は、執行部と向かい合う議員席側の演壇に移って、執行部の答弁に対して一つずつ質問して執行部が答える、その後は一問一答で質問、答弁が繰り返されていく。

 質問、答弁は基本的に「ことば」で行うから、時には聞き間違いや言葉がはっきり聞き取れなかったり、また質問に対してマトはずれな答弁もあったりはする。

 それでも一問一答なので答弁を確認しながら、答弁に対して問題点を指摘したりしながら論点を詰めていく。

 もちろん自分の思うような答弁が来ないことも多いし、執行部とこちらとの立場や考え方の違いが浮き彫りになってきて、それ以上は論点が煮詰まらないと思ったら、こちらから打ち
切って、次の質問へ移っていく。

 こちらは1人、向こう側は市長や部長、担当の職員が次々と出てきて答弁するのだが、こちらは部長たちの早口の答弁を一言も聞き漏らすまいと神経を集中させ、いっしょうけんめい
メモしながら頭の中では次の質問を考えている。

 1〜2時間も質問と答弁を繰り返して終わって自席へ戻ってくると、精神的に張りつめた空気がいっぺんに抜けてもう疲労困憊である。

 一般質問は議員と執行部との真剣勝負だ、と思ってきた。

答弁の予定原稿を先に渡してほしいという提案…

 ところが議会運営委員会で、市政の鈴木議員から、「質問して執行部が答弁する際に、答弁の予定原稿を先に渡してもらいたい」という提案がされた。

 一般質問は事前に質問事項の概要について通告してあるから、当然、執行部は質問事項を検討して答弁の原稿を作成していて、1回目の答弁はその原稿を読み上げる形で行われる。

 その答弁原稿を先に渡してもらって、質問者はその原稿を見ながら答弁を聞いて、次の質問をするようにしたい、その方が質問と答弁がかみ合うというのである。

 議員はみんな、執行部の答弁を聞き取り、メモして、それに対して次の質問をしているのだが、答弁を耳から聞いただけでちゃんと理解できない、聞き漏らしてしまうから原稿があれ
ば助かる、あるいは先にその原稿をもらっておけばメモしなくてもすむということらしい。

 18日の議会運営委員会で各会派の意見を持ち寄ったが、大地と新政議員団、公明党、改進の4会派は「答弁予定原稿を先にもらう必要はない」との見解で、共産党は「できればもら
いたい」という意見だった。

 最初に提案した市政の鈴木議員は、なおも原稿を先にほしいと言っていたが、多くの会派が必要ないという見解であるからもう話は進まない、もしそれでもというならば、議会運営委
員会とは別に検討の場を設置するよう提案しらいかがかということで話は終わった。

議会をセレモニー化させちゃいけない

 執行部は議員の質問概要の通告に対する答弁原稿を作成してはいても、実際には議員の質問のニュアンスや重点の置き方によって、また前に登壇した議員と重なる質問もあったりして
、予定していた原稿とは微妙に違った答弁をすることはある。

 それは真剣勝負なんだからあたりまえで、執行部が単に原稿を棒読みしているだけの答弁ではおもしろくも何ともない、無味乾燥なセレモニーと化してしまって、議会は形骸化してし
まうだろう。

 答弁に際して答弁の予定原稿を質問者に配るということになれば、答弁はその原稿と違うものになってはまずいから、答弁者は一字一句間違えずにその原稿を読むだけでいいというこ
とになってしまう。

 質問と答弁をかみ合わせるために原稿を先にほしい、というのもおかしな話だ。

 2回目の再質問以降は、質問する側も答弁する側も原稿などないのであって(執行部は“想定問答”を用意しているらしいが)、どっちみち議員は、再質問以降は言葉での答弁を受け
て次の質問を組み立てていくのだ。

 かみ合わせることができるかどうかは、議員がきちんとした調査に基づいて、どれだけ論理的な質問の組み立てができるかどうかにかかっている。

 ましてや、久喜市議会は一問一答制で質問できるのだから、的はずれな答弁が来たら次の質問で「どこがマトはずれか」を指摘してもう一度質問すればいいのであって、議員の側が論
点を明確にしてかみ合うように何度でも質問すればいいだけのことだ。

 もっとも何度質問しても執行部がマトはずれ答弁に終始して、傍聴の市民から『執行部はマジメに答えるべきだ』という感想が寄せられることも多い。


2009年11月17日 (火)
合併のどさくさで何でもできる



 久喜市では公民館はほとんどの団体が「無料」で使用している。

 実は、久喜市公民館条例では利用団体は使用料を納付しなければならない、つまり「有料」が原則であるが、教育関係団体、公共的団体、社会福祉団体、公益団体が使用する場合と、
その他教育長が認めたときは「免除」する規定になっている。

 久喜市では、市民活動を促進し、活発化させるという政策的な目的のために、この「例外」としての免除規定を適用して、公民館使用料は徴収しないできて、その結果、久喜市におけ
る市民活動がこれほど活発に展開されるようになったことは、だれもが認めるところだ。

 それが来年の合併でどうなるか、重大な政策変更が陰で決定されようとしている。

 実は、菖蒲町や鷲宮町の公民館でもいちおう免除制度はあるのだが、ほとんど免除は適用されずに公民館の使用は事実上「有料」となっているという。

 久喜市と菖蒲町と鷲宮町で公民館使用料の扱いが違っているので、合併後どうするかを4市町で協議してきて、これまでに「合併時に統一」という“調整方針”で合意している。

 久喜市の行政当局は、これまで通り「実質無料」を継続するとも有料にするともはっきりした方針を示さないできたのだが、それが、11月13日に開かれた女性議会で突然、「有料
化」の方針が飛び出した。

 「菖蒲や鷲宮が有料なので、それに合わせて新・久喜市全体の公民館を有料にする方向ですりあわせをしている」という。

 その後、合併推進室長や生涯学習課長(公民館の所管)にも聞いてみたが、「まだ決まったわけではない」「担当課レベルの調整で有料化の方向になっているが、正式にはこれから決
める」という。

 この言い方は、「まだ正式には決定していない」と言い続けながら、ある日突然、「決定しました」と言ってくる、行政当局お得意のやり方ではないのか。

 しかし本来であれば、市長が公民館の有料化を打ち出したら、市長や行政当局として議会や市民にも利用団体にもかなりの時間をかけて十分に説明しなければならないはずだ。

 一方的に「市長が決めたから4月から有料です」と宣言して実施できるものではないのだが、市長は合併のどさくさにまぎれて強行してしまうつもりか。

 普通だったら議会で相当の議論が起こるはずだが、今回は合併で3月22日に現在の議会がなくなって、4月末の選挙まで空白期間となるから、その間に議会審議なしに決めてしまっ
ていいと考えているのか。

 市民や利用団体にも事前の説明や意見を聞く機会もなしに、決まってから「お知らせ」すれば、市民は文句を言わず従うしかないと考えているのか。

 田中市長は、12年前の市長就任時には「市民の目線」とか「市民の目の高さの市政」をさかんに言っていたのだが、今は、批判を浴びないためには市民の目に見えないところで決め
てしまうのがいいと、そう考えているのか。

 3期12年も経つと、政治姿勢も変わるものか。



2009年11月 8日 (日)
合併で、久喜宮代衛生組合がどう変わる



 11月6日に久喜宮代衛生組合議会が開かれ、2008年度の一般会計決算、2009年度の補正予算などが提案された。

 衛生組合議会は例年、定例議会が3月と9月の年2回招集されて、それぞれの議会の中心議題は新年度の予算と前年度の決算審議であるのだが、今年は9月に市長選挙があったために
11月にずれこんだ。

 衛生組合は、久喜市と宮代町がそれぞれの自治体のごみ・し尿処理行政を専門に行うために共同して設立していて、久喜市、宮代町とは別の独立した自治体であり、独立した議会を構
成している。

 焼却炉やし尿処理施設は一般的には“迷惑施設”であることに間違いないから、宮代町の行政区域内に設置していることにともなって、その組織・運営には両市町の協力と配慮が欠か
せない。

 組織は、管理者は久喜市長、副管理者は宮代町長があたり、組合議会の議員は両市町から同数を選出して構成して、議会の議長は宮代町の議員、副議長は久喜市議会の議員から選出し
ている。

 また、ごみ・し尿処理を含めてすべての業務執行のための経費は久喜市が3分の2、宮代町が3分の1を負担することになっている。

 議会構成や負担金の拠出割合は、両市町の人口比やごみ排出量の割合とは比例しないが、これも両市町で協力して運営していくための配慮以外でない。

 実際、人口比からすれば組合議会の議員は久喜市から3分の2以上を出してしかるべきではないかとか、ごみ・し尿の排出量からすれば久喜市の負担金の拠出割合はもっと減らしてほ
しいとか、これまでにも異論が出たことはあった。

 しかし、処理施設の位置が宮代町内で、これまでもっぱら宮代町側の住民により多くの迷惑をかけてきたことからすれば、久喜市の財政的負担割合が高くなっていることや、議会構成
を半々にして、その運営に宮代町の議員の意見がより多く反映するような仕組みにしておくことは、宮代町住民への配慮として、いわば当然のことであったろう。

業務範囲を新久喜市全域と宮代町に拡大

 それが今度の久喜市側の合併で事情が大きく変化することになった。

 久喜市が来年3月に菖蒲・鷲宮・栗橋町と合併しても、現在の久喜宮代衛生組合の焼却施設をやめるわけにはいかないし、現・久喜市地域のごみを鷲宮栗橋衛生組合の焼却炉や菖蒲町
の焼却炉に持っていくわけにもいかないから、現在の衛生組合の焼却炉は今後の相当長期間にわたって維持していかなければならない、いわば現在の久喜市(合併後の久喜地域の市民)
にとっての生命線であることは変わりない。

 したがって、合併後の新・久喜市は引き続き宮代町といっしょに衛生組合を継続して構成し、その新・久喜宮代衛生組合で、(1)現在の焼却施設とし尿処理施設、(2)現在の鷲宮
栗橋衛生組合で運営している焼却炉とし尿処理施設(鷲宮町と栗橋町の境界付近にある)、(3)現在の菖蒲町単独の焼却炉(久喜菖蒲工業団地、清久工業団地、菖蒲町の境界付近にあ
る)の3施設を運営していくことになる。

 そうなると新・久喜市の人口約15万人に対して、宮代町は約3万人だから、人口比で6分の1となり、施設で見ても、3つある焼却炉の内の1か所だけ、2つあるし尿処理施設の1
つだけ、つまりは現在の久喜宮代衛生組合の施設についてだけ、負担金を拠出する責任を負うことになる。

 負担金の拠出割合については比較的単純に考えればよくて、現在の久喜宮代衛生組合の施設維持にかかる経費の3分の1を宮代町に求め、残りの3分の2と、鷲宮栗橋の施設や菖蒲の
施設の運営費は当然すべて新・久喜市の負担となる。

 問題は議会組織の構成をどうするかなのだが、新・衛生組合の議会については、現在のまま同数とはいかないで、現在の鷲宮、栗橋、菖蒲町の住民の意見がより多く反映するような仕
組みを作らなければならない。

衛生議会の定数、市長独断は仕切り直し

 普通は現在の久喜宮代衛生組合議会の中で協議し、さらに久喜市議会と宮代町議会がそれぞれに話し合って、両議会で協議して調整を図るのだが、しかしその議会の構成について、6
日の議会は朝から混乱、1時間半も空転することとなってしまった。

 発端は、管理者である久喜市長が一方的に議会定数案を発表してしまったことであった。

 管理者(田中市長)は、新・衛生組合議会の定数を12名とする、構成は新・久喜市から9名、宮代町から3名とすることを、正副管理者(久喜市長と宮代町長)の合意として「報告
」した。

 その「案」について、議会に対してはまったく協議の呼びかけもなく、正副管理者だけでまとめてしまったわけだ。

 現在の衛生組合議会は定数14で、久喜市と宮代町から7名ずつを選出していて、合併すれば事業量はおよそ2倍近くになるのに、議員数は今よりも減らすというのはどういうわけか


 久喜宮代衛生組合におけるこれまで10年間のごみ行政、なかんずく、ごみ減量の取り組み、できるだけ燃やさないごみ処理、生ごみ全量堆肥化などの循環型社会に適合したごみ処理
の基本方針は、衛生組合の職員、市民の協働で築き上げてきたものであるが、その中心で議会における議論の展開が決定的役割を果たしてきたといって過言でない。

 合併によって、これまでの久喜宮代衛生組合のごみ処理基本方針が維持発展されていくのか、交代させられてしまうのか、多くの市民から注目されているのであって、この決定的な時
期にあって衛生組合議員を大きく減らし、しかも宮代町の議員を3人にしてしまうということは、管理者(久喜市長)にとって、うるさい議会の口を封じてしまおうという意図がなかっ
たか。

 6日の議会は2時間の空転の後、管理者(久喜市長)が「9人、3人というのはあくまでも案である」と釈明し、定数については白紙で久喜市議会と宮代町議会に対して「協議を依頼
」することになって、ようやく審議を再開することができた。



2009年11月 3日 (火)
「議会改革」の意義を再発見



市議会議長会の研究フォーラムin金沢

 最近、議会改革・活性化課題、議会基本条例に関するシンポジウムや研修会が多く開催されていて、参加する機会も多い。

 10月21・22日に金沢市で開かれた全国市議会議長会主催による研究フォーラムには、久喜市議会からは大地、新政議員団、公明党の3会派14名が参加した。

 1日目が「地方議会はどう変わるべきか−−首長と議会の新たな関係」というパネルディスカッション、2日目は、所沢市議会と豊田市議会から「議会基本条例の制定」について、平
塚市議会と伊万里市議会から「議員立法」の経験についての実践報告があった。

 すでに全国では73の県議会、市町村議会で「議会基本条例」が制定されていて、久喜市議会は64番目の制定になったわけだが、内容を見るとそれぞれの議会の実情によってそれぞ
れにさまざまな特徴を持っている。

 共通しているのは、真に市民からの付託を受けていることを自覚して市民の多様な声を自治体行政に反映させようという努力である。

 かつて多くの場合、議会は首長の決定に対する追認機関と批判されてきたのだが、しかしそれでは憲法や地方自治法で議会という独立した機関を置いている意味はないのであって、議
員定数削減や報酬引き下げ、果ては議会無用論さえ広がっていかざるを得ない。

 市議会は、市長とは別に選挙で選ばれた議員が構成して、市長と対峙する自治体の一機関であり、その議会機能は「市長に対するチェック機関」というにとどまらず、自治体における
立法機関であり、政策立案機関でもある。

 議会改革あるいは活性化というのは、そうした議会の権能を自覚して、自治体における二元代表制の一翼として自立していこうと苦闘する、その過程であるといってよい。

議会改革シンポジウム

 10月30日には東京の日本教育会館(一橋ホール)で、「二元代表制を機能させる議会改革シンポジウム」が開かれて、久喜市議会から6名の議員(大地から猪股、矢野、川辺、公
明党の角田、戸ヶ崎、市政の鈴木)が参加した。

 実は、この日は当初の予定では、久喜市議会決算常任委員会を開くことに決まっていたのだが、委員の中から“このシンポジウムに参加して勉強したい”という要求が出たので、日程
を変更したという経緯もあった。

 このシンポジウムを主催したのは「JMAC構造改革推進セクター」という民間シンクタンクで、三重県で行政評価・事務事業評価システムを作った方や、「月間ガバナンス」の編集
長らから、議会改革の現状と課題、議会における予算決算審査に行政評価をどう活用するかについての講演の他、熊本県合志市議会の「行政評価を活用した常任委員会による決算認定」
、長野県飯田市議会の「議会主導による自治基本条例制定と議会改革の取り組み」の実践報告が行われた。

 現在開かれている決算常任委員会の決算審査のあり方について、多くの示唆を与えてもらうことができたし、今年、久喜市議会で「議会基本条例」を制定して具体的な取り組みを始め
たばかりであるが、来年3月の合併後の新・久喜市議会にこれをどう引き継いでいくかについても得るものは大きかった。

 会場からの質問や意見交換でも、各地の議会や議員からの真剣な思いを受け取ることができたのであったが、こうした全国的な奔流となりつつある議会改革・活性化の意義を理解でき
ていない議会も、残念ながらまだあるようだ。

いまだに「二元代表制」を理解しない議員もいるけれど…

 会場のある議員の質問は「二元代表制とか、議会として意見をまとめて市長に対峙するということは、野党を利するだけではないか」というものであった。

 この日のシンポジウムの目的自体が、二元代表制の一翼としての議会の役割をもっと発揮するためにどうするかというものであるわけで、二元代表制の意義そのものを否定しようとす
る意見に対しては、さすがに会場から失笑も漏れたのであったが、それでも講師は次のように答えていた。

 「国会では多数派から首相を選出して与党となりますが、地方自治体では首長と議会は別々に選挙されるのですから、そもそも“与党”とか“野党”という関係はありえないんです。
 だから本来は“与党”とか“野党”はありえないのだけれど、市長に近いということで“与党意識”を持っている議員はいるでしょうね。」

 「地方議会では、長に対して、議会として政策を対置し、政策を実現すべきであって、議会としてまとまることが、“与党を利する”ことだってあるんじゃないですか。」

 「市長は1人しかいませんから多様な市民の意思を代表するわけにはいきません。
 それに対して議会は多様な市民の意見を反映しているんですから、それをまとめて政策に反映することは、“与党”とか“野党”とかではなくて、市民を利することになるんです。」

 さらに、「世界の民主主義国家における地方自治を見てみれば、首長がいない自治体はあっても、議会がない自治体はありえません。
 住民から選挙された議会が、外部の“シティマネジャー”を任命したり、議員の中から市長を選出したり、議員が市の幹部職に就いたりする自治体だってあるんです。
 だから地方自治の主体は議会なんです。」という説明は衝撃的でもあった。

 金沢市のフォーラムでは以下のような話もあった。

 「日本国憲法では『議会を設置する』ことは明記されていますが、市長を置かなければならないという規定はないのですから、本来は置かなくてもいいんです。」

 帰ってから読み直してみると、憲法93条はこういう規定になっている。
          ---------------------------------------------
第93条 議会の設置及び長・議員の選挙
 (1)地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。
 (2)地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。
          ---------------------------------------------

 確かに93条はその1項で、“議会は置かなければならない”ことを定め、2項で“議員は選挙で選ぶ”と規定しているのだけれど、市長を置かなければならないという規定はなくて
、同じく2項で“市長も(置く場合には)選挙で選ぶ”という規定である。

 この指摘も“目からウロコ”であった。







2009年10月25日 (日)
西口駅前 『サリアビル』はどうなる



 9月23日の議会閉会後に議員全員協議会が開かれ、市長がサリアビルの現状について」報告した。

 サリアビルは昨年10月に桧家住宅が買収して実質的に“桧家ビル”となった。(約4%の床について銀行や個人地権者の所有である)。

 また市が出資して設立された再開発ビル管理株式会社も解散が決まっていて、市は今後はサリアビルにいっさいの関わりを持たないことになる。

 すでに8月に桧家住宅の本社が6階に移転して業務を行っているが、それ以外の階については、11月のリニューアルオープンをめざして改修工事が進められている。

 今のところテナントとの募集状況は、地下1階に居酒屋、カラオケ、ラーメン屋などの飲食店街、1階と2階にスーパーとコンビニ、3階にコーヒーショップと雑貨店、4階に生活雑
貨と書店の入店がほぼ決まっているものの、5階は事務所、オフィスを募集しているが、なかなかむずかしくてまだ全部は決まっていないらしい。

 田中市長は、ダイエーが撤退した後のサリアビルのあり方について、平成15年頃から一貫して、「雑居ビルになっては困る」「雑居ビルにならないように」「商業ビルとしての再開
」を言い続けてきた。

 久喜市は「雑居ビル」を『さまざまな業種、業態の店舗が多数混在するビル』と定義しているが、11月オープン予定のサリアビルが飲食店街、スーパーやコンビニ、雑貨店、事務所
などが渾然と入居するということは、結局は、田中市長があれほどいやがっていた“雑居ビル”になることがはっきりしてしまったということか。

5階の一部を公共施設に利用できないか

 さて、このままではサリアビル(『クッキー』という名称になるそうだ)がオープンしても、5階部分はあまり使用されないようだし、最近あちこちにオープンしている大規模商業施
設に出店したテナントが、オープンして1〜2年で撤退してしまうことが多いのも事実である。

 そこで今からでも、市は家主である桧屋住宅にお願いして、その5階部分の空きスペースを貸してもらって、公共的施設を配置してはどうだろうか。

 市の出張所や駅前保育施設、それから、市民が会議や研修で使える部屋を置けば、今は中央公民館などがいつでもいっぱいの状況だから市民活動のいっそうの活発化をはかることがで
きよう。

 選挙の時には不在者(期日前)投票所を設置すれば、投票率が大きく上がるはずだ。

 今は市役所2階に地域職業相談室(ミニハローワーク)が置かれているのだが、いつでも相談者の行列ができて人があふれている状態だから、これも駅前に開設すればとても便利にな
る。

 市民にとって便利というだけではなくて、ビルの上階に公共的施設があって人が常に集うようになれば、そこに行く人たちでビルの下の方の階の人通りやビル自体への人の出入りも増
えるというものだ。

 久喜市の再開発事業でサリアビルが建設された当初、周辺からの圧力で、ビル自体も狭く小さいものにして、駐車場も狭く、ビルの中に飲食店も作らせないで、ビル自体の集客力を小
さくさせ、結局は商業ビルとしては成立しないようにしてしまったでなかったか。

 今、その愚を繰り返さないで、公共的施設を置くことでサリアビルの集客力を高め、ひいては西口一帯に人が集まるようにしていく、行政とビル、周辺地域の共存共栄、一体の発展を
めざしてはどうだろう。






2009年10月10日 (土)
市が予算編成過程の公開へ



 市政の透明性を高め、市政への市民参加を進めていくために、自治体の年間計画であるところの予算がどのように要求が上がり査定されているのか、その過程の公開は欠かせない。

 そのため最近、多くの自治体で「予算編成過程の公開」が行われるようになってきている。

 鳥取県や、市では国立市、我孫子市、京丹後市など、それは多くの場合、知事や市長がトップダウンで「公開」することを決定して取り組まれてきた自治体が多い。

 普通は自分の手に権限を握っていたいお役人としては、みずからの手の内を市民の目にさらすようなことはしないものであるが、それに対して、政治家としての首長たちがトップダウ
ンで「予算編成過程の公開」に踏み切り、それが今、全国に広がりつつあると言っていい。

 予算編成過程の公開を先進的に実施してきた首長たちは、市民や議会などから求められる以前に、みずから進んで先取り的に「公開」を打ち出しているのであって、市民に依拠して政
治を進めていこうという「改革派首長」たちの政治姿勢の実践であると言うこともできる。

 久喜市では市長選挙後の9月議会初日(9月11日)に、市長の所信表明演説で田中市長が「予算編成過程の公開」について、「予算編成の透明性を確保するため、予算の要求状況や
査定結果を公表し、市民の皆様との情報共有を図ることによりまして、開かれた市政を推進」していくと述べ、合併前の今年度から公開を開始することを明らかにした。

市長は昨年、予算編成過程の公開にきわめて消極的だった

 しかし実は、予算編成過程の公開という市長の方針転換を聞いてびっくりしたというのが、私の率直な感想ではあった。

 これまで、市長がこの問題にどのような姿勢を示してきたか。

 昨年(2008年)、私が6月議会の一般質問で、「久喜市で予算編成過程を公開していくべきだ」と提案した際に、財政部長は「予算編成の透明性の確保及び市民の皆様との情報の
共有を図り、開かれた市政を推進するため、予算の要求状況及び査定状況等の公表につきまして、今後調査研究してまいりたい」と答弁したのだが、その「今後調査研究」という官僚用
語ほどあてにならないものはない。

 そこで私は市長に対して、みずから決断して公開に踏みきるよう求めたが、田中市長は、「公表については、私自身も今後積極的に行っていきたいと考えておりますので、そのやり方
、方法につきましては、若干ご猶予をいただきたい」という答弁をしたのだが、その一方で、「具体的な数字が変更になったときにひとり歩きしてしまう」というおかしな心配にも言及
して、積極的だが消極的だか、やるのかやらないのか結局よくわからない話であった。

 私は、9月議会の一般質問で再度取り上げて、「2009年度の予算策定を公開のもとに進めるべきである」と市長が決断すればすぐに実施できるのだから行動に移すよう求めたのだ
が、今度はどういう答弁だったか。

 まず財政部長は「数字がひとり歩きをしてしまうという懸念が払拭されない」「いましばらくの検討の時間をいただきたい」「来年度予算編成過程については難しい」「最短で平成2
2年度の新市誕生以降、平成23年度予算が編成されるころが、実現できるめどかな」と述べ、田中市長も「平成23年度の予算の中で、つまり合併後の予算編成の中で何らかの形でこ
のような公表ができれば」と、ひたすら決断しない、先送りして、あいまい答弁で言質を与えない、そんな態度に終始したのであった。

 2回の議会での市長の答弁を聞いて、私は、市長が自分で決めないで、自分の部下である役人たちの都合にまず配慮しようとする姿勢、市長が決断すればすぐにできるはずのものを2
〜3年後まで先送りしようという姿勢にあきれるしかなかった。

 それが今になって、来年度予算の編成過程から公開すると言い出した、ということは、今秋から始まる各部の予算要求とその査定の過程を公開するということは、ずいぶん唐突な急転
直下の方針変更ではないか。

 (どうも田中市長は、いったん「やらない」と言っておいて、あとから急に方針転換することが多い、子ども医療費の無料化の問題もそうだった。)

 こんなに急に方針変更するくらいなら、昨年に質問した段階でなぜ「早期に実施したい」くらいは言わなかったか、なぜ「23年度予算編成過程から」などと、年度まで指定して先送
りして見せたか。

 一つ思い当たることは、田中市長は議会から要求されて、それに押されて方針を変更したという形をとりたくなかったのではないか。

 だから議会ではいったんは、「すぐにはムリだ」と拒否しておいて、その後に努力した結果、自分の判断で1年繰り上げて実現することにしたのだというポーズをつくろって見せたの
ではないか。

 まあ、一応は私の提案が実現したわけで、田中市長の「決断」にとりあえずは敬意を表しておこう。

来年度当初は「暫定予算」なので…

 ただし、である。

 2010(平成22)年3月23日に合併して、4月の時点では市長も議会も不在で、合併後50日以内に選挙が実施されることになるから、4月の年度当初においての予算は「暫定
予算」であって、本格的な年度予算は選挙後に策定することになる。

 したがって、合併前の1市3町がそれぞれ2か月間くらいの最低限必要な人件費と事務費について旧市町が個別に算定し、それを合算したものを暫定予算とすることになるが、そこに
は市民生活に関わる事業費はほとんど含まれない。

 したがって市長は2010年度予算の編成過程を公開すると言ってはいるのだが、実際には人件費と事務費の2か月分だけの暫定予算の、その一部である現久喜市の分だけである。

 現在の久喜市の各部局が、新年度の新規事業を含まないで、年度当初2か月分の最低限必要な人件費と事務費だけを計算した「要求額」を査定して、その過程を公開することに、残念
ながらあまり実質的な意味はないと言わざるをえない。


2009年10月 8日 (木)
台風18号による市内の被害状況



 「超大型の台風18号」は今日未明に知多半島付近に上陸後、長野県から新潟県へ、関東に再接近したのは昼頃らしい。

 「超大型」ということで、その被害が心配されたが、市内の小中学校については、早々と昨日(7日)の昼前には全校を臨時休校とすることを決定し、市役所職員は8日の早朝に市役
所に集合することとして台風襲来に備えた。

 埼玉久喜市周辺では夜中の4時か5時頃に最も大量の雨を記録したらしいが、朝には小やみになっていたし、少し風が強かったものの暴風というほどではなかった。

 市役所生活安全課の調査集計が以下の通り報告されている。
・7日23時の降り始めから8日6時までの総雨量 106.5o
・瞬間最大雨量(8日4時〜5時) 41.5o

(1)住宅棟への被害状況は
  床上浸水 なし
  床下浸水 1件(本町2丁目)

(2)道路冠水は
  青葉バス停付近
  市立図書館通り
  ライオンズマンションアンダーパス(1mの冠水)
  北陽高校西側
  青葉中央通り
  東口大通り
  東京理科大西側

(3)倒木
  けやき通り、北青柳、太田集会所、久喜中、青葉小

(4)この他、
  ・古久喜や中央4丁目で、排水ポンプを作動させた
  ・市内5か所で土のうを積んで浸水防止対策を取った
  ・住宅地の下水が流れないという通報があって、北小学校体育館のトイレを住民に開放した
などの対応も取っている。

 昨年9月の豪雨被害では観測史上最高の降水量を記録して、床上浸水、床下浸水、道路冠水があちこちで発生して、職員が市内各所に出動するなど対応に追われていたから、それに比
べると被害はずいぶん小さくてすんだ。 【昨年の被害状況はこちら】

             -------------------------------------

 なお、8日と9日は熊本市で開かれる全国都市問題会議(全国市長会主催)に、田中市長が秘書課長を同行させて参加していて、市議会からも新政議員団、公明党、改進の11人の議
員もいっしょに出かけている。

 前日の7日に羽田から飛行機に乗ると聞いていたので、もしかしたら欠航になるんじゃないか、あるいは離陸しても熊本空港へ降りられるのだろうかと心配されたが、何事もなく到着
した熊本市の天気は快晴だったという。

 他にも「会派・市政」の3人の議員が、やはり7日の飛行機で台湾へ視察に出かけているが、こちらも幸いにも台風の影響は受けないで無事に着いたらしい。


2009年10月 2日 (金)
市長の唐突な方針転換



 8月の市長選挙のマニフェストで、田中市長が突然、子ども医療費の無料制度の範囲を拡大する方針を打ち出したことは、市民や多くの議員をもビックリさせた。

 当然ながら9月議会の代表質問で各会派から質問が集中して、市長は、現行制度の「入院は中学校卒業まで、通院は小学校就学前まで」を、通院を「小学校卒業まで」に拡大する、合
併前の来年の1月から実施すると明言してみせた。

  いのまた和雄のホームページの記事へのリンク

 子育て支援の政策として当然必要なことだし、議会でも要求が出ていた政策の実現であるから、市民にとって大いに歓迎すべき政策変更であったのだが、なぜ“ビックリ”したか。

 実はこれまで議会では、「子ども医療費の無料化の範囲を拡大すべきだ」という主張が何度も何度もなされてきていた。

 最近では、今年2月議会の代表質問でも共産党の渡辺議員が、さらに一般質問で公明党の岡崎議員が「通院医療費の小学校卒業まで無料化」を求めた。

 しかしそれらの質問に対して、市長も健康福祉部長も「その考えはない」と答弁して、かたくなに方針変更を拒否していた。

 「検討する」という姿勢すら示そうとはしなかった。

 その後の1市3町の合併協議の中でも、新市ではこれまでの久喜市の制度を踏襲すると「決定」してしまった。

 ということは、田中市長は少なくとも今年夏近くまでは子ども医療費無料を拡大しようという考えはまったくなかったはずだ。

 それが市長選挙の直前になって、田中市長が突然に心変わりしたのをどう理解したらいいか。

 市の基本的な制度政策について検討の素振りさえ見せずにいて、唐突に方針転換してしまうというのは、政治と行政の一貫性という観点からしていかにも危うい印象を受ける。

 本当は、子育て支援の基本的な理念に基づく政策の体系があって、計画的に制度政策を実行し拡充していくべきなのに、田中市長のやり方はそうではない。

 もしかしたら、田中市長は、子育て支援政策の体系的な確固とした柱というものを持っていないのではないか。

 こんなに簡単に突然、方針変更してしまうということは、市民受けの良さそうな“新政策”を、その場その場でばらばらに、場当たり的に打ち出しているだけのように見える。

 今回は無料化の範囲拡大を、いきなり市長選挙のマニフェストとしてぶち上げて、政治的なインパクトに利用して見せた。

 そう言えば、昨年2月議会では子ども医療費の無料について窓口払いの一部撤廃を打ち出したのだが、あれもそれまでの議会での再三の要求に対して市長が何度も拒否してきていた政
策であったから、やはり唐突な方針変更であった。

 田中市長が、本当に子育て支援政策の重要性を理解しているのなら、なぜ今年の当初予算策定段階や2月議会の審議において積極姿勢を示せなかったのか。

 合併の半年前になって、急に思いつきのように方針を変更することにして、しかも今年度中に実現できると言い出したのはどういうわけだろう。

 田中市長の政治運営の手法というか政治スタイルに疑問を持たざるを得ない。

 それとも、“議会からの要求に答えて実現した”という形をとりたくなかっただけなのかもしれない。

 もう一つ、素朴な疑問がある。

 これまで無料範囲の拡大ができない理由は「財政問題」だったのだが、ここに来て急にどこからか財源が湧いてきたわけでもあるまい。

 市長や行政のいう「財政難」は単なる言い訳にすぎなくて、政策方針さえ決めれば財源はやりくりして生み出せるということか、そうでなければ隠し財源(国で言う“埋蔵金”)を持
っているのか。





2009年9月25日 (金)
八ッ場ダム中止への道



 総選挙を経て、自公政権の崩壊、民主党への政権交代で問われていることは、これまでの国の政治のあり方をどう変えていくか、変えることができるのかということである。

 この国の政治のあり方と書いた、その最大の課題が、これまで自公政権が続けてきた公共事業を最優先に、鉄とコンクリートで大地と川と海岸を覆い、自然の景観と生態系を破壊して
きた、土建国家・日本の政治のあり方を、変えていくことができるかどうかであることはいうまでもない。

 なかんずく、無駄な公共事業の象徴として、群馬県の「八ッ場ダム」はある。

 民主党がマニュフエストの最初の最初に明記して、政権交代がスタートした16日に、前原国交大臣が「八ッ場ダムは中止」と明言したのは、だから、当然のことであった。

 そして私たちは、政権を握った民主党がみずからのマニフェストに基づく八ッ場ダム中止の方針を貫き通していけるのか否か、大いなる期待をもって、半ばは祈るような気持ちでもっ
て、注視し続けているのである。

何が何でも公共事業を止めたくない人たちからの反撃

 それにしても、ダム推進派と多くのマスコミによる「八ッ場ダム中止に反対」「ここまで来たのだから完成させるしかない」、「何が何でも推進していただきたい」(大澤正明・群馬
県知事)の大合唱、それこそ大洪水のような民主党と前原バッシングはすさまじいばかりと言うしかない。

 これまで50年間、この国で続けられてきた公共事業優先の政治を転換しようとするとき、いかにそれへの抵抗が激しく困難なものであるか。

 いったん走り出したら止まらない、「すでに決めたことだから」「多額の税金を投入してきたのだから」、「決定」を覆すこと自体が悪であるかのように反撃にかかる旧勢力と、それ
と一体になったマスコミをも含めた総攻撃、私たちは今、それを目の当たりにしているのだ。

 それはまた、八ッ場を出発点にして「この国の政治のあり方」そのものの転換につながっていかざるをえない民主党の政治に対して、これまでの政治を守り続けたい人たちが、その緒
戦でストップをかけて民主党の政治を骨抜きにしてしまおうという攻撃でもある。

 総選挙を経てもなお“保守王国”を保った群馬県の知事や八ッ場ダムの地元町長と“地元住民”、石原東京都知事だけでない、民主党出身の上田埼玉県知事まで、首都圏の有力知事ら
がこぞって民主党に対して集中砲火を浴びせた。

 前原国交相が現地を訪れる前日には、わざわざ公明党の新代表が先手を打って現地を訪問して、「ダムを継続してほしい」住民の要求を受けるという側面支援のパフォーマンスをやっ
てみせた。

 これほどに、公共事業を絶対に止めたくない旧勢力の抵抗は激しい。

 しかし一方で、マスコミの報道は、総事業費4600億円の7割が支出済みと言いながら、実際には国道や県道の付け替え工事完成区間が未だ10%にも満たないことや、用地買収も
代替地造成も終わっていなくて、総事業費そのものがこれからさらに大きくふくらむであろうことについては触れない。

 想定されている“1947年のカスリーン台風の被害”に対して、八ッ場ダムがほとんど治水効果をもたらさないという見解(2008年、国交省)についても触れない。

 八ッ場ダムあしたの会のホームページ

 八ッ場ダムをストップさせる埼玉の会のホームページ

 テレビ画面では毎日のように、地元町長や“住民”が「八ッ場ダム中止に反対」を声高に叫ぶばかりで、地元はもはや100%がダム推進派であって、ダムなしで地域の再生を求める
住民はもはや1人もいないようにさえ見える、そんな報道のありさまである。

 しかしその陰で、今、「ダムはやっぱりいらない」と考えている住民が声も出せない状態に押し込められていることを、人々は知りようもない。

謝罪すべきはだれか、何に対してか

 前原国土交通相は住民に対して「ご迷惑をかけた」と、これまでの国のやり方を謝罪して見せたのだが、はたして、本当に謝罪すべきはだれで、何に対してか。

 50年前に住民の意志を無視して八ッ場ダム建設計画を持ち込んで以来、金と権力で住民を押さえつけ、八ッ場ダム反対の闘いをたたきつぶし、その間に生活基盤を徹底的に破壊して
、今はもはやダムの完成に期待する以外には将来への希望すらも持てないような状況に追い込んでしまった、そうした国家権力のやり方をこそまずは謝罪すべきではないのか。

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【追記1】
 地元では、道路や鉄道を付け替える谷の中腹に移転して温泉街を再興し、ダムを中心とした観光振興をめざしているらしいのだが、今どき、本当にこの程度のダムと、新しい地点に掘
り出した温泉、全国どこにでもありそうなスパ施設が人を集める価値を持つと信じられるのか、まただまされているとは考えられないか。

【追記2】
 世界的には、アメリカでもドイツではダムや川の堤防を取り壊して自然を復興させる事業が始まっているし、海外だけではない、北海道の釧路湿原でも、いったんはコンクリートで固
めた釧路川の蛇行を取り戻す“自然再生事業”も行われているのだ。

 途中でやめたらかえって金がかかるからダムを完成させるしかないという言い方がいかに時代錯誤か。

 自然を再生させる方が価値があると判断されるならば、完成したダムでも壊す、たとえ建設費用がまるまるムダになっても、金がかかってもやるべきだ、21世紀はそういう時代では
ないか。

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【毎日新聞社説】
 鳩山政権の課題 八ッ場ダム中止 時代錯誤正す「象徴」に
 http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20090923ddm005070074000c.html




2009年9月 1日 (火)
市長は最後の議会で進んで所信表明演説しては?



 8月28日に市議会代表者会議が開かれて、9月議会の会期日程や市長の所信表明演説、代表質問を行うことなどについて報告があり、9月4日の議会運営委員会で協議することが了
承された。

 その中で一つ、「オヤッ?」と思うこともあった。

 来年の2月議会は合併前の最終の市議会になるのだが、すでに2月8日に開会されることになっていて、その日程(予定)はすでに公表されている。

 例年ならば予算議会でもあるので当然、市長の新年度の施政方針演説があって、それに対する各会派の代表質問も行われることになっているのだが、その市長の施政方針演説と代表質
問を取りやめたい、その2月の最後の議会の日程も大幅に短縮したいという。

 それは田中市長の意向であるらしい。

 理由は、合併期日が3月23日で、新年度予算はこの議会には提案されないから、市長が新年度の施政方針演説を行う必要はないというわけだ。

 確かに、3月23日以降の1週間の新市の予算も、4月からの新・久喜市の平成22年度予算も、最低限の人件費と管理経費だけの“暫定予算”となり、事業費などを盛り込むことは
できないことになっている。

 新年度の事業経費を含めた本格的な予算編成は、4月に新市の市長選挙と議会議員選挙後があって、そこで選出された市長が作成し、新市議会で審議することになるるから、現在の久
喜市議会の2月定例議会には新年度予算は提案もされず、いっさい審議しない。

 だから「市長の“新年度の施政方針演説”は行わない」というのは理屈の上では自然のことだと思えるのだが、はたしてそれでいいか。

 市長が議会で演説する機会として施政方針演説と所信表明演説とがあるのだから、その“所信表明演説”くらいしてもいいではないか。

 最後の久喜市議会にあたって、と同時に新生・久喜市の出発を前にして、田中市長が、久喜市と市民の来し方行く末についてみずからの所信を述べて、議員が久喜市の市長に対する最
後の質問をして市長が答えて、それをもって有終の美を飾ってはいかがなものだろうか。

 田中市長が議会での議論を避けているように見えて仕方がない。






2009年8月20日 (木)
議員のゴルフ大会



 議員の中には、どうしても議員同士でゴルフをやりたいという人たちがいるようだ。

 8月17日付で、「第4区親睦ゴルフ大会実行委員会の選出について」という文書が回ってきて、各市から実行委員を選出して、8月中に報告するようにという通知である。

 以前は毎年、“埼玉県第4櫛議会議長会の主催”でゴルフ大会が行われていたのだが、そもそもゴルフをやる議員さんはほんの一部しかいなくて、好きな議員さんたちだけで楽しんで
いたらしい。

 一部の議員さんたちしか出ない「親睦ゴルフ大会」がどれほどの“親睦”になっていたのか知らないが、いわば一部の議員の遊びに、市議会議長会が金も人も出して、ということは税
金を使ってやっていたわけだ。

 しかもゴルフをやらない、参加しない議員のところには「ゴルフ大会開催」の連絡もなかった。

 一昨年、輪番制になっている4区議長会の会長と事務局が久喜市に回ってきたときに、当時の新井議長の判断で「4区議長会主催親睦ゴルフ大会」を“休止”して、その必要性と継続
実施に対して問題を投げかけた。

 私のところにも、他の市の何人かの議員さんたちから、「久喜は良く決断してくれた。これを機会にもうやめた方がいい」という声も寄せられたのだったが、昨年、会長市が春日部に
回っていったら、さっそく、“実行委員会の主催”に形を変えて復活してしまった。

 議長会の主催でないから「正式の議長会の行事ではないよ」ということらしいが、実際にはゴルフ大会の開催準備や事務いっさいを仕切っているのが議長会の会長と事務局を担当して
いる市の議会事務局であることに変わりはない。

 今回の「実行委員の選出について」という文書がいったいどこから来たのかと思ったら、今年の議長会の会長と事務局を受けている蓮田市議会から発送されていて、その文書の責任者
は「蓮田市議会事務局長 木村雄一」、「担当」は蓮田市議会事務局の職員の名前が書かれていて、蓮田市議会の直通電話とFAX、メールが記載されているのである。

 開催日は11月18日(水)、会場はゴールド栃木プレジデントカントリークラブ、会費は1人5000円、プレー代12000円とあって、すでに蓮田市議会事務局の職員がゴルフ
場の予約も取って、すべてのお膳立てを整えているらしい。

 参加者の確認も事務局で行い、当日の随行とお世話係も蓮田市議会事務局職員があたることになるとしたら、これでは4区議長会の主催といったいどう違うのだろう。

 本当に議員同士の親睦を自主的にやるのだったら、自分たちで実行委員会を作って準備するべきで、実際には事務局職員にやらせているくせに形だけ実行委員会でやるかのようなポー
ズを作るのはおかしいじゃないか。

 ゴルフ大会をやりたい議員さんたちは、結局は人にお世話してもらいながら遊ぶのが好きなのか。

 なお、昨年の親睦ゴルフ大会に、久喜市議会からは松村議員が1人で参加して、どんなのだか知らないが“親睦”を深めてきたと聞いている。



2009年8月18日 (火)
歩道の管理責任



7月11日(土)

 県道さいたま栗橋線の鷲宮町との境界にあるオーバーブリッジ、青毛堀側と東武伊勢崎線、葛西用水路を大きく跨ぐ橋があって、この写真は鷲宮側から橋を越えて久喜市に入った地
点である(久喜側から撮影)。

 私たちは普段は車でしか通っていないので、この部分の歩道の危険性には今まで気付かなかったのだが、橋の最後の部分、欄干のところから歩道が自転車がやっと1台通れるくら いに
狭くなって左へくいっと曲がっていて、しかも地盤沈下で生じた段差をアスファルトで埋めているのだが、そのアスファルトもなだらかとは言い難い。

 7月11日の夕方、この地点を自転車で通り抜けようとした女性(Aさんとしておく)が、右上の写真の手前(下)、欄干とガードレールの間の段差にハンドルを取られ、曲がりきれ
ずに転倒してしまった。

  Aさんは外傷はたいしたことはなかったが、むち打ち症状でそれから約1か月間も入院し、退院後も通院を続けている。
 後ろに乗っていた幼児にケガがなかったことは奇跡的と言おうか、不幸中の幸いではあった。

 さて、これは自転車運転の未熟によるものか、不注意によるものか、それとも、歩道の構造上の欠陥か、あるいは道路管理者の維持管理に過失があったといえないか。

 私は県道の管理責任の問題こそが問われるべきだと考えて、Aさんと相談した上で、管理にあたっている埼玉県杉戸県土整備事務所に対して、道路状況の調査とその責任を問うた。

7月21日(火)

 一方、事故から10日後の7月21日、現場では歩道の拡幅整備工事が行われていて、進捗状況から見ると、前日の20日は祝日であったから、その前の週から着工していたもののよ
うであった。

 これは明らかに埼玉県が、歩道の状態に欠陥があったことを自覚して、急遽、改善補修に取りかかったのであろうと考えられたので、担当の職員に聞いてみたが、「事故があったから
やったわけではなくて、前から工事をやることは決まっていた」と説明している。

 それにしても事故があって1週間後に改良工事に取りかかるなんて、タイミングがよすぎるから、私はやっぱり、事故があったからあわてて着工したのだと思っている。

8月10日(月)

 事故に対する行政の責任については、8月10日、担当者から「検討した結果、道路状況に欠陥はない。県の道路管理に瑕疵もなく、したがって埼玉県に過失はない」という、ある意
味では予想通りの回答があった。

 これに対し、Aさんはその後、症状も改善して何とか退院できたこと、また事故後の速やかな改良工事によって歩道の状況も改善されたこともあって、“県の責任を問うた意味はあっ
たと思う”と話している。

 現在はすでに写真のように、歩道の拡幅・改良工事も終了し、事故現場の直接の危険はとりあえずなくなったと言っていいだろう。

 ただ、通常なら歩車道の境界か民地側に建てられるべき電柱が移設されないで、以前のままの場所に取り残されたままになっていて、実際に走ってみるとぶつかりそうな感じがしてち
ょっと怖い。

 これは、工事に緊急に大急ぎで取りかかったために、電柱所有者との調整協議が間に合わなかったものと思われるが、結果的に歩道のど真ん中に立っているじゃまな電柱はこのまま
残しておくのだろうか。

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 なお、久喜市の管理する市道においても、道路舗装の破損や陥没、マンホールのフタの突起、街路樹の枝の落下等々、道路および道路構造物の維持管理の瑕疵が原因となったと考えら
れる事故が多数発生している。

 これに対して、久喜市の道路管理責任が問われて、自動車の破損やケガに対する補償事件は年間20数件にも達している。


2009年8月17日 (月)
議会の視察日程



 一つの定例議会が終わってから次の定例議会までは、つかの間、“空いている期間”ということになるが、しかしそれは“お休み”ではなくて、ある意味では議員にとって調査活動や
勉強のための貴重な時間である。

 6月議会が24日に終了し、次は9月議会が11日から始まるが、8月末ごろにはその準備に取りかからなければならないから、まとまった時間はせいぜい20日くらいまでしかとれ
ない。

 したがってこの時期には、各委員会や会派の視察が集中して実施されている。

6/30〜7/2 会派視察「改進」 山口県柳井市、長門市、山口市
7/7 久喜市議会の議員全体研修 さいたま市、松伏町
7/8・10  会派視察「新政議員団」 札幌市、北広島市、旭川市
7/16・17  久喜宮代衛生組合議会
          福島市、安達地方広域行政組合
7/22・23  議会運営委員会 北海道福島町
7/27・28  会派視察「市政」 岩手県奥州市、宮城県仙台市
8/3・4  総務文教委員会 京都府京丹後市、大阪府泉大津市
8/3・4  健康福祉委員会 宮城県岩沼市、石巻市
8/20・21  市民経済建設委員会 大分県日田市、福岡県福岡市

 この他にも、一人で、あるいは少人数で勉強会やフォーラムに参加したり、調査活動に出かけたりすることもあって、石川議員は先週、登別市議会と白老町議会を訪ねてきたし、来週
には私も障害者教育関係のフォーラムに参加する予定だ。

選挙もあって忙しいのはわかるけれど…

 今年は、総選挙の日程が後から飛び込んできたから、各議員ともそれらの日程との調整もたいへんだったろう。

 特に、市民経済建設委員会の視察は、総選挙が18日に公示になって2日後の20日に九州へ出かける予定になっているのだが、6月中には視察日程を決めて、訪問先の市議会に正式
に視察受け入れのお願いを出した後で総選挙が決まったのだから、もう今さら変更はできない。

 当然のことながら、議員としては、病気とかのやむを得ない事情がある以外は、市議会の「公務」を最優先にしなければならないはずだが、それでもある党の議員さんは、その20日
からの視察への参加を取りやめたという。

 久喜市議会では公務に参加できない場合には、その理由を明記して届けを出さなければならないことになっているのだが、その議員さんはどういう理由で「不参加」としたのだろう。

 まさか、党の選挙活動をやるため、なんてことはあるまいが…。


2009年8月15日 (土)
福島町と松前城と津軽海峡



 ずいぶん報告が遅くなってしまったが、7月22日、北海道の福島町議会の「議会基本条例」、議会改革と活性化の取り組みについて視察に行ってきた。

 福島町は北海道渡島半島のいちばん南、隣の松前町が最南端であるが、青函トンネルの北海道側の最初の駅である「吉岡海底駅」(現在は閉鎖中)、そして青函トンネルの出口(北海
道側の入口)は福島町にある。

 議会活性化の取り組みは、北海道のいくつかの小さな町の議会から始まって全国に広がってきた。

 全国で議会基本条例を最初に作ったのは栗山町だというのは言うまでもないことだが、その他の町議会でも北海道内の白老町、福島町、知内町などが内容的にも最先端を行っていると
先陣を切っているといって過言ではない。

 また日本で最初の「まちづくり基本条例」(自治基本条例)を制定したニセコ町では、その後に議会についての規定も組み込む形で、まちづくり基本条例を発展させている。

 さて、福島町に視察に行くと決めて、まず困ったのが行程だった。

 飛行機だと函館空港から鉄道、バスを乗り継いで福島町役場への到着はどんなに早くても3時頃になってしまうので、かえってJRを使った方が早く着けるということを知ったのは驚
きだった。

 それで、久喜駅を6時半ごろ出発して新幹線で八戸まで行って、昼食の駅弁を買い込み、特急白鳥に乗って青函トンネルを通って函館の手前の木古内という駅で下車、そこまでが約6
時間、さらにバスで1時間以上をかけて福島町まで行って、福島町庁舎に着いたのは2時頃だった。

 帰りは松前町内の旅館を朝8時半ごろに出発し、青函トンネル、新幹線を乗り継いで久喜駅に帰り着いたのは夕方の6時頃だった。

 結局、今回の議運の視察は1泊で北海道まで行きながら1か所だけの視察ではあったが、それでも議会活性化に取り組む上で、栗山町や福島町議会の経験に学ぶことは欠かせないから
、たいへん有意義な勉強をさせてもらうことができた。

 福島町では視察の受け入れに、下記のような条件を付けている。
(1)視察資料は事前に福島町議会のホームページからダウンロードして読んでくることと、その資料を持参すること。(福島町では配布してくれない)
(2)原則として、福島町内の旅館に宿泊すること。

 今回も、宿泊は福島町議会事務局に紹介してもらったのだが、残念ながら町内の旅館はどこも満室で、隣の松前町の松前温泉の旅館に宿泊となった。

 江戸時代に松前藩が置かれたあの松前であり、松前城の城下町である。

 やっぱり今回も観光の時間は取れなくて、せめて朝食前の6 時に起きて津軽海峡を臨む岸壁を歩いてみたのだが、海の向こうにあるはずの津軽半島、竜飛 岬はかすんで見えない。

 陸側を振り返ると松前城が見えた。


2009年8月11日 (火)
略奪された墓石−−福知山城



 今回の総務文教委員会の視察行程はけっこう厳しかった。

 第1目的地の京丹後市は京都府の北端、日本海側の市である。

 8月3日、久喜駅の出発が朝の6時半、新幹線で京都駅へ、それから福知山線、昼食は京都駅の駅弁を買って車内ですませ、福知山駅でタンゴ鉄道に乗り換えて峰山駅に着いたのが午
後1時半、2時間の視察研修を終えてそのままタンゴ鉄道で引き返して、その夜は乗換駅の福知山駅前のビジネスホテルに宿泊した。

 翌日の8月4日はホテルで朝食をとって8時半には出発して、福知山線で大阪駅へ、南海線に乗り換えて泉大津駅に着いたのが午後の1時過ぎで、泉大津市議会の迎えの車で上條小学
校を視察してから、泉大津駅、なんば駅、新大阪駅を経由して新幹線のぞみ号、久喜駅に帰ってきたのは夜の7時過ぎだった。

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  3日の夜に宿泊した福知山駅のすぐ近くに福知山城がある。

 福知山駅に降り立ったのが夕方の5時半頃で、翌朝は8時半には出発だから、観光の時間はまったくなかったのだが、それでも朝6時前に起きて朝食前にホテルから福知山城まで歩い
てみた。

 早足で約15分、小高い丘の上に築かれた福知山城の前までは行けたが、天守閣の中へは9時以降でないと入れないので、城のまわりを散策して帰ってきた。

 この福知山城は築城に「転用石」を大量に使用していることで有名である。

 これは築城の際に近郷近在の村々や寺社の墓石や五輪塔、石仏、石塔などを大量に徴発してきて石垣に使用したものであって、石垣のそばを歩きながらちょっと目をこらしてみただけ
でも、仏の姿や文字や梵字か何かの印が刻まれた石があちこちに組み込まれているのを見つけることができた。

 福知山城は、明智光秀が織田信長の命で丹波一国を平定して、1579(天正7)年に丹波侵攻の拠点として築いた城で、その後は占領地である丹波の国経営の中心地となっていて、光秀
は民生に力を入れ善政をしいたとして民衆の支持を得てすこぶる評判が良かったという。

 信長が、大名であれ民衆であれ神社仏閣であれ、既存の権力や神仏の権威を否定し破壊して、みずからが専制的な君主として君臨しようとしたのに比して、インテリの光秀は神仏を敬
い、民衆を大切にしたと言われている。

 そんな基本的な姿勢からしても信長の思想とは根本的に相容れなかったのではないか、私はそんな風に考えてきたのであるが、さて、この転用石についてはどう理解したらいいだろう


 「転用石」は実は、信長が二条城や安土城を築いた時に寺社などの石仏や墓石、五輪塔を破壊し徴発してきて築城に使ったとされていて、光秀もそうした信長のやり方にならったもの
であった。
 光秀はそれらの石を徴発する際に「丹波の平定が成就したら必ず再建する」と約束したと伝えられているのではあるが、実際には本能寺の変で信長を殺し、すぐに自分も秀吉に斃され
たのだからその約束はかなわなかった。

 ただそれにしても、神仏を敬い、善政をしいて民衆に慕われたとされる光秀の顔と、いくらせっぱ詰まったからといって築城のために墓石や石仏までもを破壊し奪った光秀のやり方と
、どちらが真実なのだろうか、そのギャップが大きすぎるではないか。

 ホテルに帰ってから雑談していたら、K議員が『光秀は信長から丹波の国をやると言われたものの、その時にはまだ平定してもいなかった。そのために大急ぎで福知山城を築かなけれ
ばならなかったのでたいへんだったんだ。だからそんな強引なことをやらざるをえなかったのだ』と解説してくれた。

 光秀の側にそうしたやむをえない事情があったにせよ、これはやっぱり占領者の論理であり武力で統治する側の論理ではないのか。

 逆に、武力でもって墓石までもを略奪された側の被占領地の民衆は、「後で再建する」と約束してもらったとして、それで納得して石仏や墓石を差し出しただろうか。

 はたしてそれで、略奪された側の人々が、占領者を喜んで受け入れることができたのだろうか。

 強者の論理と弱者の論理、支配する側と支配される側、統治する側と統治される側、略奪する側と略奪された側、どの時代にあってもどちらの側に身を置くかでものの見方は変わって
くる。

 せめて私は、統治され略奪された人々の側に立って、人間的想像力を働かせながら民衆の思いに心をめぐらせたいと思う。



2009年8月 6日 (木)
「合流式」下水道とは何か





 これは久喜市の市街地における下水道処理系統図の一部である。

 図面の中心が久喜駅、右端の真ん中くらいに吉羽の下水処理場、左端は県道さいたま栗橋線である。

 灰色の部分が下水道処理区域で、いちばん右下側が東4丁目、右上は吉羽、左下は本町4丁目、下端は南町、上端は北2丁目となっている。

 赤い線で囲まれた地域が、雨水と汚水をいっしょに流している「合流式」の区域で、下水道の「中部第1幹線」「第2幹線」によって下水処理場に流入する。

 「合流式」の区域はもともとの市街地の中心部であり、最も早くに下水道が整備された区域である。

 昭和45年以降は「合流式」の下水道は認められなくなったため、それ以降に敷設された地域は汚水だけを処理する「分流式」で、汚水幹線(茶色の太い線)を通って、処理場へ流入
している。

 合流式も分流式も、通常は処理場で浄化処理されて中落し堀川に放流しているので問題はないのだが、問題は降雨時である。

 合流式の下水管を通って多量の雨がいっしょに流入してくると、処理場ではとても処理しきれないため、処理場への流入管をシャットアウトして直接、中落し堀川に放流しているのだ
という。

 中落し堀川はすぐ下流で葛西用水に合流して古利根川となり、どこへ流れていっているのだったか、下流で取水されて飲料水に、なんていうことはなかっただろうか。

 実際に処理しきれないで放流しているのは年間降雨日数105日の内の36日で、多量の雨で希釈されているとはいえ、家庭から排出されたトイレの汚水や雑排水を処理しないまま川
へ放流していることになる。

 市では「下水道改善計画」を策定して、未処理水の中落し堀川への放流をできるだけ少なくするように取り組んではいる。

 根本的には「合流式」の下水道管を汚水を分離していくしかないのだが、しかしそれには膨大な財政が必要になるとして、分離は不可能という立場を取っている。

 国の方針としても、雨水と汚水の分離、合流式から分流式への変更までは求められていないのだという。

 こんな現実は市役所の下水道課では常識であったらしい。

 私たち議員もそれらしいことを聞いてはいたのだが、いずれは老朽化した下水管の敷設替えと同時に「合流式」から「分流式」に変更していって、将来的には生放流はなくなるものだ
ろうと思っていた。

 市役所の担当者の「それは不可能です」という見解を聞いて、“それで本当にいいの?”と今さらながら考えさせられてしまった。

 普通は公共下水道が都市衛生行政の基本だと思っているが、一方では公共下水道が地方自治体の財政を破壊する政策であるという批判も根強い。

 そればかりか、公共下水道によって河川の水質や環境を守ることもできないのだという現実を突きつけられて、都市に暮らす私たちはどうしたらいいか。

【関連記事】http://www7.ocn.ne.jp/~tomoni/gikai/me-kadaibetu/gesuidou.htm#090806




2009年7月20日 (月)
民主党の森岡洋一郎を応援する



待ちに待った総選挙!!

 21日にようやく衆議院が解散され、8月30日の総選挙が決まりました。
安倍、福田、麻生の政権たらい回し、そして総選挙を逃げ続けてきた麻生政権が、任期切れぎりぎりになって逃げ切れず追いつめられて迎えた解散・総選挙です。私たち国民にとって、
この選挙は自公政権を終わらせるための選挙であり、政権交代のための選挙です。

 小泉郵政選挙以降、自民党と公明党は数の力によって政治を牛耳ってきました。
教育基本法、防衛省昇格、米軍再編の支援、憲法改正の国民投票法、毎年度の予算まで、強行採決や衆議院の3分の2による再議決で成立させてきました。
今年も自衛隊をソマリア沖に派遣する海賊対処法や衆院憲法審査会規程なども強行採決で可決しました。
しかしその一方で、年金や医療、貧困・雇用不安など国民の暮らしはズタズタです。
自公政権は「100年に一度」の不況だからと、経済危機対策を口実にして、選挙対策で定額給付金や公共事業の税金ばらまき政策を拡大しましたが、景気回復も生活不安の解消も見込めて
いません。

 問題は、自公政権がこうした選挙対策の大盤振る舞いの財源のほとんどを建設国債・赤字国債に頼っていることです。
国際追加発行額10兆円、これより一般会計総額102兆円の内、44兆円が国債で、その額は年間税収額をも上回ることになってしまいました。
このツケは当然、増税という形で国民に回されてくることにならざるを得ません。

 民主党のマニフェストに対して「財源が示されていない」と批判している自公政権自身が、そのばらまき政策の財源を国債=将来の国民の負担でまかなってきたわけです。
それどころか、政権交代前にあらゆる財源をさんざん使い尽くし食い散らかしてしまって、選挙後の民主党の政権運営を困難にさせようとしているようにも見えます。
自公政権はこれほど無責任に、日本の政治と財政運営を破壊してきたと言って過言ではありません。

私は民主党の森岡を応援します

 久喜市を含む埼玉13区は、自民党の土屋品子に対して、民主党の森岡洋一郎、社民党の日森文尋らが立候補を予定しています。焦点は言うまでもなく定数1名の小選挙区で、自民党が
勝つのか、民主党が勝つのかです。

 そもそも土屋は元知事であった父親の地盤・カンバンで最初は“無所属”で当選し、選挙区内の市町長や保守系議員をバックに連続当選してきましたが、自民党というだけで議員を続
けてきた、その時代は終わったと言えます。
この13区の議席を、絶対安定議席を確保してきた自民党から民主党に交代させることができれば、それ自体が政権交代を象徴することになるでしょう。

実は社民党の日森氏は私がかつていっしょに活動した仲間なのですが、今回の選挙は何よりも政権交代を実現させるためにこそ、小選挙区では森岡洋一郎を当選させて土屋品子を落とさ
なければならないと考えます。

 民主党の森岡は久喜市青葉4丁目出身の34歳、一昨年4月に春日部市から県議会議員に当選しましたが、県議の職を辞しての立候補です。
私は民主党とはまったく何の関係もつきあいもありませんが、今回は勝手に森岡氏を応援します。







2009年7月 5日 (日)
永年勤続議員の表彰



 6月定例市議会の初日に、議員の表彰状の「伝達式」がとり行われた。

 毎年の全国市議会議長会、埼玉県市議会議長会で、議員の在職10年以上(3期)、15年以上(4期)、20年以上(5期)など、5年区切りで議員の表彰が行われることになって
いる。

  ⇒議員表彰と記念品についてはこちら

 埼玉県市議会議長会は4月17日に、全国市議会議長会は5月27日に開かれて、久喜市議会では今回は「議員在職10年以上」で、共産党の木村議員と新政議員団の岡崎、内田議長
が表彰を受けた。

 埼玉県内だけでも対象者は何十人、全国では何百人、何千人といるのでとても一堂に集めて表彰することはできないから、議会ごとにまとめて表彰状と記念品が事務局に送られてきて
、各議会で渡すことになっていて、本会議冒頭に休憩を取って本会議場で「表彰状伝達式」が行われ、一人一人議員が前に呼ばれて、議長から表彰状を受け取った。

 昨年の2008年は松村議員、2007年は鈴木(松)、原、川瀬、公明党の角田、柿沼議員が「20年」の表彰を受け、2006年には須藤議員と公明党の戸ヶ崎議員が「15年」
で表彰された。

 実は2008年には私も「30年」の表彰の対象になっていたのだが、その時には私は「拒否」して表彰を受けなかった。

 その前年から、全国の無党派市民派議員ネットワークの「虹と緑の500人リスト」の仲間たちと話し合って、ただ当選回数を重ねるだけで表彰されて税金から記念品をもらうことは
やめようということになって、「なくそう議員特権」のキャンペーンをやっていた。

 この頃から全国で表彰を拒否する議員が急増してきていたはずだ。

 一方、公明党も昨年から、議長会の永年勤続表彰を辞退することになったらしくて、今回ちょうど公明党の岡崎議員が「10年」の対象になっていたのだが、「辞退」したので表彰状
は来なかった(角田氏に聞いたら「党の決定で受けないことになった」と言っていた)。

 議員が、「市議会議長会」という議員の内輪の組織で、当選回数を重ねただけの議員に、活動内容はいっさい問わずに「地方自治の功績は多大である」と自分たち同士で内輪で誉め合
うような「特権的」な表彰制度、こんなのはムダだし、もうやめた方がいいだろう。

 今回、本会議を休憩しての「伝達式」に、傍聴に来ていた市民からは『わざわざ休憩して本会議場でやらなくても、後で控室ででもやったら…』という感想(疑問)が寄せられていた




2009年7月 3日 (金)
「新型」インフルエンザが広がった(2)



 28日、日曜日の夜に、東小学校2年生の1人の児童の新型インフルエンザ感染が確認され、とりあえず翌日の月曜日について学級閉鎖の措置をとった。

 29日の月曜日になって、県からの「学級閉鎖措置を検討すべき」という指導、校医の判断もふまえて、市の新型インフルエンザ対策本部の決定や市教育委員会からの要請に基づいて
、学校長が1週間の学級閉鎖を決めた。

 しかしその日、東小で他のクラスの児童の健康状態を調査したところ、3年生のクラスで発熱による欠席者が多数あって、そのうちの2人はA型インフルエンザであることがわかって
、このクラスについても学級閉鎖とすることになった。

 さらに30日に、これらの3年生の複数の児童のウイルスの遺伝子検査の結果、新型インフルエンザであることが確認され、東小学校は7月1日から7日まで「臨時休校」とすること
を決定した。

 一方、東中学校と太東中学校についても、29日に1年生のそれぞれ1人の生徒が新型インフルエンザに感染していることが確認されたため、7日まで学級閉鎖とすることに決定した


 これらの学級閉鎖および臨時休校の措置は、最終的にはそれぞれの学校長の決定である。

 しかし実際には、市の教育委員会から市の対策本部に対して具申して、対策本部が学級閉鎖や休校の措置をとることを教育委員会に要請し、教育委員会が学校長に対してそれに従うこ
とを要請して、校長が決定するというシステムになっているらしい。

 その際に、市の対策本部や教育委員会の判断には、県教育委員会からの指導勧告が大きな意味を持つし、学校長は学校医の意見をもっとも尊重するのだという。

 3日に開かれた市議会全員協議会で、そのような説明を受けた。

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 しかし新型インフルエンザがもう季節性のインフルエンザと同等の扱いとなりつつある段階で、「1人の感染者がでれば学級閉鎖」としなければならない根拠は、実は薄いのだと思う


 感染者の出たクラスを閉鎖すればその児童からの感染は防げて、さらに潜伏期間の児童がいたとしても広がることはないだろうが、今や新型インフルエンザはどこから感染してもおか
しくはない。

 国の指針では、発熱者全員に対して遺伝子検査はすでに一律には行わないことになっている、ということは「新型」かどうかを特定させる必要もないということであり、医療機関の対
応もこれまでのように「発熱相談センターに行かせる」という措置もとってはいない。

 それでもなぜ「1人でも学級閉鎖」という判断をしたのか、教育委員会も健康福祉部長も、今の打開では国の対応指針がまだ変更されていないので、当面はこれまでの指針に従って対
応するのだと言う。

 新型インフルエンザに対する認識は変更されて、医療機関での受診や遺伝子検査の扱いも変更となったが、その後の学校の対応などについてはまだ新しい対応指針が示されていないの
で、市や現場の学校で勝手に判断するわけにはいかないということらしい。

 もし学級閉鎖や休校にしないで感染が広がったら、学校長や教育委員会や市が批判される、そうならないために国の従来の指針に従っていく、そういう判断でいいのかという疑問はあ
る。

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 なお、東小学校、東中学校、太東中学校の感染した児童生徒の“感染ルート”はわかっていないし、これほど広がっている実態からすれば突き止めようもない。

 季節性のインフルエンザの感染ルートを探そうとするのが無駄な労力であるのと同じように、新型インフルエンザについても感染ルートを探す必要もない。

 “感染ルート”探しが“犯人捜し”となり、感染者が何か悪いことでもしたかのように見ることにつながっていってしまう、関西の新型インフルエンザ騒ぎで実際に起こってしまった
ことだ。

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 学校では、子どもたちに対して外出するなと指導しているが、昼間、両親とも不在の家庭も多いのに、子どもたちがいま、どういう状態におかれているか。

 特に東小学校では敷地内の学童保育所も閉鎖されてしまった。

 家に1人でおいておくのが心配だからと作った学童保育を突然閉鎖されてしまって、さて、子どもたちも親もどうしているか、仕事を休めた親はどれだけ入るだろう。

 1人で家にいるしかない子どもたち、中学生はまだいいとして、小学生低学年の児童はどうしているだろう。

 外出するなといわれても、家に閉じこもって、1日中1人で勉強しているわけにも行かないし、ずっとTVを見ているのも精神衛生上よくない。

 子どもたちに対するケアが必要なのだが、こういう時に、この日本の社会ではすべて家庭の自己責任、親の責任とされてしまうのだ。

 最もケアが必要な緊急の事態にあって、そのしわよせが子どもたちと母親に行くのは、やむをえないのか、ましてやひとり親の家庭では。



2009年7月 1日 (水)
プレミアム付き商品券、予想外の不人気!?



 定額給付金をあてこんで地元経済の活性化に役立てようと、久喜市でも「プレミアム付き商品券」を大々的に売り出した。

 1万円で1万1500円分、15%のプレミアムを付けた「とくとく商品券」、全部で1万6000セット、1億8400万円分を売り出した。
 6月20日、21日、商工会館とふれあいセンター、清久コミュニティセンターの3会場の販売実績は何と、4287セット、4287万円! だけ…!? 何というあてはずれ! 何
という不人気!?

 10日間が経過した6月30日現在までの集計は、5958セット、5958万円だという。

 残り、1億円(1億1500万円分)、売り出し枠の3分の2が売れ残っていることになる。

 このままじゃあ、せっかくのプレミアム付き商品券が、ちっとも地元経済の活性化につながらないじゃないか。

 市はすでにプレミアム分の2400万円と、それに商品券の印刷代や宣伝費を上乗せして商工会に補助金として交付してしまっているから、売れ残ったら、補助金分を返してもらわな
くちゃならなくなる、そんなことになったら地元経済活性化に逆行しかねない。

 売れなかった理由ははっきりしている。

 半分の5500円分はヨーカドーなどの大規模店でも使えるのだが、半分の6000円分は“地元商店”でしか使えない。

 使用期限の9月までに、大規模店以外の地域の小売店や飲食店などで6000円を使えるかどうか、そういう店では少額の買い物が多いだろうから、500円券を10回以上使う機会
があるかどうか…、市民の多くは「ちょっと心配…。もしかして使い残したら損しちゃう。ちょっと買うのはやめとこう」と判断したのだろう。

 他市で1日とか2日で売り尽くしたところもあるが、そういうところは全部大規模店でも使えるとか、元気な小規模小売店がたくさんあっていくらでも地域のお店で使えるというとこ
ろが多いという。

 さて、売れ残りを出すわけにもいかないから、商工会では今日、7月1日から再度大々的な売り出しをはじめた。

 当初は、1世帯で変える限度額を3セット、3万円とし、しかも定額給付金の申請書といっしょに送付されてきた商品券申込書がないと買えない、久喜市民しか買えないことにしてい
た。

 しかしそうも言ってられなくなって、今日からは、限度額10セット、10万円、申込書がなくても商工会に行ってその場で名前さえ書けば市民でなくても買えることにしたらしい。

 すでに購入した人も買えるから、事実上、何度でも、いくらでも買えるということになるのだろうか。

 そのかいあって、今日1日だけで1000セット、1000万円が売れたらしい。

 あと9000万円!

 しかしこの商品券をもっと使いやすくするには、さらに思い切った方針修正も必要ではないか。

 たとえば、9月末までわずか3か月間の使用期限を12月までか来年3月まで延長するとか、10月以降は専用券・共通券の区別をなくして全部の券が大型店でも使用可能にするとか
、そういう発想はないのだろうか。






2009年6月29日 (月)
市内の小学校で、「新型」インフルエンザ



 28日、久喜市で2例目の「新型」インフルエンザ患者の発生が明らかになった。

 29日の朝から、「久喜市新型インフルエンザ対策本部」が断続的に4回の会議を行っていて、情報の確認、学級閉鎖の対応などを協議しているという。

 発症者は市内小学校の2年生で、土曜日から体調不調で医療機関を受診したが、その時点では発熱もなく帰宅、日曜日に発熱があって再度受診して、「新型」インフルエンザの疑いあ
りということで遺伝子検査(PCR)したところ、新型への感染が確認されたという。

 児童のクラスはとりあえず「学級閉鎖」となったが、その後、7月5日まで学級閉鎖を継続することとされた。

 さらに他の学年でも休んでいる子どもたちが複数いるクラスがあって、そちらも学級閉鎖となりそうだ。

 これまでは新型インフルエンザが発生するたびに、マスコミは大々的に報道して大騒ぎしてきたが、すでに国や県もこれまでの対処方針を変更しつつある。

 つまり5月以降、これまでは発熱したら地域の医療機関ではなくて発熱外来へ行かせ、“疑い”の時点で必ず遺伝子検査を行って「新型」か否かをはっきりさせ、患者が出れば入院さ
せて“隔離”し、患者を拡大させないという対策をとってきた。

 今後の対処方針の転換は、地域の医療機関で受診させる、“疑い”者全員に遺伝子検査を実施することはしない、特に“強制的”に入院させることはしないで自宅で療養させるという
ものだ。

 実際、その児童もどこで感染したかわからないし、それを突き止めようもない。

 すでに季節性の“普通の”インフルエンザと同様に、特に恐ろしい伝染病ではないこともわかっているのだから、今後の「新型」インフルエンザの最も有効な対処方針は、かかったら
静養して早く治すことを心がけてもらうということである。

 市と教育委員会は今回、1人の児童の発症がわかっただけの時点で直ちに学級閉鎖の決定をしたのだが、国や県が対処方針の転換を打ち出している中で、本当に学級閉鎖しなければな
らない必然性があったのか、どうだろうか。





2009年6月20日 (土)
11日、議案質疑でちょっともめた



 6月11日の本会議は議案質疑で、久喜市議会ではあらかじめ各議案ごとに質疑事項を通告しておいて、それに対して答弁してもらい、議員からは再質疑、再々質疑という形で進めて
いる。

 当然ながら質疑通告は当該の議案の内容について疑問点などをただすのだが、答弁に対する再質疑、再々質疑をやっていく内に、時として関連した脇道の問題に広がっていって、もと
もとの議案とかけ離れた質疑にまで進んでいってしまうことがある。

 久喜市の条例改正案について質疑していたはずが、いつの間にか国政そのものの問題へと進んでいったりすることもある。

 もちろん、国会の法律改正によって自治体の条例が改正される場合もあるし、地方自治体の政策であっても、国の政策動向に規定されざるをえないわけだから、国の制度政策と久喜市
の政策の関係とか、あるいはまた国の政策の欠陥や足りない点を自治体でどう埋めていくかとか、そういう観点から論議することは当然あっていい。

 しかし国会における政府と野党の論戦をそのまま持ってきたような議論は、すじがきも結論も分かり切っている台本を見させられているようで、自治体議会ではあまり生産的な議論と
はいえない。

 だいたい答弁するのは久喜市の部長たちであるから、国の政策制度そのものの問題を質疑したとしても、「国会ではこう説明されております」とか、「国会における議論の推移を見守
ります」「政府における今後の検討の推移を見守ります」という答弁以外には深められないことも多い。

「委員会中心主義」と本会議の議案質疑と

 また、久喜市議会は「委員会中心主義」を取っている。

 これは、提出された議案は原則として各委員会に付託して詳細な審議をし、委員会の審査結果を本会議に報告してから、本会議で採決して最終的な結論を出すことになっている。

 各委員会にはその行政分野ごとに専門的な知識を有する議員が集まっているので、その審査に委ねた方が審査を深めることができるであろうという期待に基づいているのだが、それは
あくまでもタテマエと期待であって、実際には2年ごとに委員会の改選で次々と他の委員会に移っていく場合もあるから、実は必ずしも専門の議員が集まっているとは限らない。

 だから委員会に付託する前に本会議でも全議員によって議案質疑を行うことは当然必要である。

 だが本会議で議案質疑を行う場合のルールとして、久喜市議会では全会派で合意した申し合わせ事項に「大綱的な質疑にとどめる」という規定があって、委員会で審査する前にその前
提となる基本的な事項を「大綱的に」質疑することになっている。

 しかし実際にはこの「大綱的」というのが何を意味するのか、どこまでが大綱的で、どこからが詳細になるのか、かなり見解が違ったりする。

 議員の中には「大綱的」というのは予算区分けの段階である「款・項・目・節」の「款・項」までだと思いこんでいる人もいるのだが、それがとんでもない勘違いであることは前に書
いた。⇒前の記事はこちら

 予算について質疑する際には当然、個別の事業名を上げて質疑するわけだが、その事業名は「節」や、さらに「節」の中の説明欄に書かれているので、本会議で「款・項」までしか質
疑できないとすると個別の事業名を上げての質疑はできないことになってしまう。

 事業名を上げての質疑ができないとすると、本会議では予算については事実上、質疑はできないということになってしまうではないか。

 だから私自身は、本会議で予算について質疑するときなどは、予算編成についての基本的な考え方とか、個別の事業についてであれば、その事業の基本的な考え方や位置付けや目的な
どを質して、金額の積算の中身などには入らないように注意している。

 それでも予算額の根拠の大枠について聞かざるを得ない場合もあるのだが、詳細の質疑はできるだけ避けるようにしている。

 ただ、議員というのは発言しはじめると止まらなくなるクセがあって、往々にしてどんどん細かく入り込んでいったりする。

質疑打ち切りの動議を否決

 それにしても、11日のある議員の質疑は、本会議での質疑としては確かに細かすぎた、と私も思った。

 その議員自身が所属する委員会に付託されることになっている議案でもあり、多くの議員から、「細かすぎる」「もうやめた方がいい」「後は委員会でやれ」などのヤジが飛んだ。

 とうとう業を煮やしたある議員から、「質疑打ち切りの動議」が出されるに及んで、議長がその動議の可否について採決を行った。

 「質疑打ち切り」に賛成の議員が10名(新政議員団6、公明党3、改進の岸)、反対の議員が11名(大地5、市政3、共産党2、改進の井上)で、かろうじてその動議は否決され
た。

 私は、この日の議員の発言の仕方に問題があったとして、どんなに問題があったと思われたとしても、議員の発言の権利は最大限保障されるべきものであって、もしも質疑内容に問題
があったとすれば、議長の「議事整理権」によって交通整理をはかるべきであったと思う。


2009年6月16日 (火)
決算審査は批判と監視の機会



 11日の本会議で、「久喜市議会基本条例」案に対する質疑が行われた。

 この議案は基本条例検討委員会のメンバー9名の共同提案である。
 全会派が提案者に名を連ねているので質疑はないかと思われたのだが、鈴木議員から質疑があって、提案者を代表して私が答弁に立った。

 議会基本条例の策定については、久喜市議会でも当初からさまざまな議論があったのは事実だ。
 会派によって微妙に温度差もあったりして、そうした全会派の共同提案であるからけっこう答弁にも気を使う。

 鈴木議員に対する答弁の中で私が述べた文言の一つに、角田議員からクレームが付いた。

 私が述べたのは次の通りである。
 「決算審査は、予算執行の実績や結果及びその成果について、法令適合審査、計数的審査などを通じて、過去の財政運営の評価及び問題点を発見し、将来の財政運営に繁栄させること
が期待されているのであって、したがって決算審査自体が、市長の財政運営に対する議会からの批判、監視の機会に他ならない。」

 角田議員は、この中の「市長の財政運営に対する議会からの批判、監視の機会に他ならない」の中の、“批判”という言葉がおかしいと言うのだ。

 もしかしたら、『市長のやったことはすべていいことだ。批判する内容などない』という議員もいるかもしれないが、決算について審査すること自体が、それに対する“批判”や監視
の機会を設けることである。
 このことに違いのあろうはずはない。

 さらに言えば、私は、何ごとも100点満点というのはないと思っている。
 決算審査にあたっても、与党とか野党とかの立場にとらわれずにまずは批判的立場から見た方がよいと思っている。

 だがそれも立場によりさまざまで、“批判”という言葉だけが耳に残って、“決算審査が批判だなんておかしい”とピピッと反応してしまう人もいたわけだ。

 私もその場ではあまりこだわる必要もないと考えて、“批判”の語を削除するよう発言の訂正を申し出て終わりとした。

 角田氏が「誤解を与えるような言い方はしないでほしい」と言ったのもちょっとひっかかった。
 これは主語と述語を正確に言い換えるとこうなる。
 『“批判”という語を聞いて、自分(角田氏)が誤解したから“批判”という言葉を使わないでほしい』というだけのことだ。

 私からすれば、何でそんな「誤解」をするの? と言いたいところだが、まあ言わないでおこう。

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 実は私が「決算審査は市長の財政運営に対する批判と監視の機会に他ならない」と言ったのには下敷きがある。

 地方議員や事務局職員に広く使われている参考書に「地方議会運営事典」という書籍がある。
 これの「決算認定」の用語解説にはこういう記述がある。

 「歳入歳出予算の実績、結果について、改めて議会に批判、監視の機会を与え、当該地方公共団体の財政運営の適正を期すこととしている」。

 また全国都道府県議会議長会の事務局に長く勤めた野村稔という人は、地方議会運営の生き字引とも言われる人で、久喜市議会でも何度か講演をお願いしたこともある。
 この人の書いた「地方議会改革宣言」という本の決算審査について書かれた章にはこうある。

 「予算の使い方については議会の厳しいチェックがあるため、いい加減な使い方はできないこと、また使い方の教訓から今後の予算編成や執行にあたって参考になる事項があるため、
詳細な審査が期待されている。この議会の厳しい批判や指摘があるからこそ、決算を審査する価値がある」。

 決算審査は財政運営に対する批判や監視の場であり、そこから教訓を引き出して、今後の財政運営に反映させることにこそ、決算審査の意味がある、ということである。

 議会と市長とは地方自治体の二元代表制の一翼である。
 したがって、積極的に批判を行っていくこと、少なくともそうした姿勢をもって決算審査にあたることが必要なのだと思う。

 市長に対して“批判”することが何かいけないことででもあるかのように躊躇したり、遠慮したりするとすれば、それは議会の役割を半ば放棄することにもつながるのではないか。



2009年6月15日 (月)
「国の決定には反対するべきでない」か



 『声と眼』を読んだという市民からよく手紙やメールをいただくのだが、残念ながら匿名が多い。

 中には、記事内容に疑問を呈していたり、あるいは市に対する要求を書いているのにもかかわらず、匿名だったりする。

 私は匿名の電話、手紙、FAX、メールには回答しないことにしているが、その方の意見や要求がまるっきりの誤解に基づくものであった場合、返事をしたくてもできないのは困った
ものだ。

 先日来たハガキも匿名で、「定額給付金に猪股が反対するのはおかしい。国で決定したことを一自治体が反対することはできない。次号の『声と眼』で見解を説明してください」と書
いてあった。

 これも甚だしい誤解であって、国で決定した政策であってもそれを実行するのが自治体である場合が多いが、その際に私たちが自治体の立場から、また地域で生活する市民の立場から
国の政策に反対することは当然ありうる。

 国で決めたから自治体は反対すべきではないということになったら、地方自治はありえないのであって、日本は戦前の中央集権国家に戻ってしまう。

 しかも定額給付金の事業は、国で決定して全国一律で実行している国の制度のように見えるのだが、実は国で制度化された事業ではない。

 あれは制度上は自治体固有の「自治事務」と位置づけられていて、定額給付金事業を行う全国の各自治体に対して、国が補助金を出して実施するというしくみになっている、つまりは
制度上は久喜市をはじめとする各自治体の事業だから、各自治体議会で決めて実施しているのである。

 いわば、各自治体が独自に実施する事業を、国が全国一律に実施させるという仕組みの、これまでにないおかしな事業なのである。

 こんな誤解もちゃんと説明してさしあげたいが、「次号の『声と眼』で説明してくれ」と一方的に回答方法を指定されても、この人の誤解に対する説明に『声と眼』の限られた紙面を
割くわけにもいかぬ。

 この人がハガキで送ってきたということは、おそらくメールは使っていない、このブログも読んでいないかもしれないから、この人の思いこみによる誤解は永久に解けない。

 匿名では議論もできない、投稿者の真意を確認のしようもない、そもそも、議論というのはお互いの信頼関係の上にお互いの意見や考え方を双方向でやりとりしながら、違う点を明ら
かにする、あるいは一致点を探すものだと思う。

 匿名では議論のための土台となる信頼関係を作りようもない、困ったものだ。


2009年6月 9日 (火)
市長交際費はすべて「公務」か



 6月議会の一般質問で、市長交際費の支出について取り上げた。

 久喜市の市長交際費は、年間252万円、おもに市長が飲食付きの懇親会等に出席する際の「会費」や葬式の供花・香典等に支出されて いる。

 毎年、宴席への出席の多い12月、1月が交際費支出も大きくて、今年の1月は78件39万円が支出されていて、その内、73件36 万円が飲食付きの新年会・懇親会であり、葬儀
の供花が2件、香典が3件である。

 私が調べた中で交際費の支出をいちばん厳格にやっているのは東京の国立市だと思う。

 国立市では「市長および市役所交際費の取り扱い基準」に基づいて、葬式でいえば交際費から支出するのは職員や議員など本人の葬式の 「供花」だけで、香典はすべて市長といえども
自費である。

 久喜市の場合は田中市長は香典を自分の財布からは出さないことにしているらしいが、考えてみれば、職員(本人であれ家族であれ)の 葬式に副市長や他の管理職や議員が参列する場
合には、香典はみんな自分で支出しているのであって、同じように市長だって香典は自分で 出すのがあたりまえではないのか。

 また国立市では、1月の新年会等の参加費は12件で5万6000円、2月の参加費はゼロ、3月は2件で1万円、3か月で7万円に達 しない。

 久喜市は1月が39万円、2月が34件19万円、3月が19件14万円で、3か月で70万円を超えていて、国立市の10倍にものぼ るのだが、なぜこんなに違うのか。

 国立市の場合、交際費から支出するのは、市の行政を進める上で直接的な協力関係にある団体に厳密に限定しているのであって、その他 の地域的な団体、サークル的な、内部の親睦的
な団体から招待があって、市長がお付き合いで出る場合は、市長の自費で支出しているとい うことらしい。

 市長が市民団体等の会合から案内をもらって出席する場合、市という地方自治体を代表する立場で、あるいは久喜市の行政機関を代表す る立場から出席する行為と、政治家田中暄二と
して出席する行為とを区別するのかしないのか。

 公務の範囲をできるだけ広くとらえるのか、狭く限定するのかである。

 別の言い方をすれば、「市長」の名前で案内状が来たものはすべて「公務」なのか、必ずしもそうとは言えないのではないか。

 政治家個人としての政治活動として出席する会合の会費は、税金からの交際費ではなくて自分の財布から出すべきではないのか  私は一般質問で、「公務」で市長交際費から負担すべ
きものの基準を見直すよう求めたのだが、田中市長の政治姿勢はまったく異なって いるようだ。

 田中市長は、市民との会合については、市長としてできるだけ多くに出席して、市民との意見交換を行うように務めていて、しかも「2 4時間のすべてが市長としての行為であって、
公務と公務でないものを分けることはできない」という考えを明らかにした、ということは 、呼ばれた会合の参加費のすべてを市長交際費から支出することに何の疑問も感じていないら
しい。

  久喜市長の交際費へのリンク   支出基準へのリンク

 国立市の交際費へのリンク  支出基準へのリンク








2009年5月31日 (日)
急遽の日曜議会と運動会



 5月31日、今年度初めての日曜議会が開かれた。

 議会活性化の話し合いでは、年1回以上の休日議会を開くことを決めたが、それは2月定例議会の代表質問の日を想定しているから、今回の日曜議会は“想定外”ではあった。

 国家公務員の今年の6月期末手当の支給に関して、人事院が減額の勧告を出されたので、市職員の期末勤勉手当も0.2か月分減額することになった。

 6月の支給に適用するには5月31日までに議会で議決しなくては間に合わない、そのための臨時議会の日程がこの日以外には取れなかった、そういう事情による。

 事前の執行部からの説明によると、労働組合との協議の見通しが付かないので、ぎりぎり最大限の日程をとっておきたいので5月末日を予定したのであったが、実際には久喜市職労と
の交渉は22日には合意していて、もっと早く開くこともできたはずだった。

 想定外の日曜議会となったのはどうも別の事情によるものだったらしい。

 28日には合併協議会の合併協定調印式、29日には天皇が北中曽根に来るので市長がお出迎えに行ったとか、その他の日にもいろいろな会合があって市長があいさつにいかなければ
ならないとか、そうした日程を優先したので、この31日の日曜日なら空いていると判断したらしい。

 この日程を決めた時点では、市内で新型インフルエンザが発生して先週の運動会がこの31日に延期されるなんてことはわからなかった。

 しかもゴミゼロ運動の取り組みが各地域で朝8時からやるとして、臨時議会開会は10時半、その前の10時から議会運営委員会を予定していたから、各議員とも地域の小学校等の運
動会の開会式に出席してから大急ぎで市役所へ向かうことになった。

 私も青毛小学校運動会が23日から今日に延期されて、8時半の開会式であいさつして、市役所へ着いたのが9時半過ぎだった。

 他の議員も議会前に運動会に出席してあいさつしてきた人もいたし、清久小の運動会は9時半開会だったので、地元の議員さんたちは議会が終わってから大急ぎで行ったようだ。

 もっとも市長は議会が終わってからそれぞれの運動会を回ったらしい。

 毎年そうだなのが、田中市長は代理を立てないで運動会が盛り上がっているまっ最中でも遠慮なしに行って、来られた方は市長が来たからやむを得ずたとえ競技の途中であっても、「
ただ今、市長様がいらっしゃいましたので、ここでいったん中断してごあいさつをいただきます」とやることになる。

 田中市長はいい気分であいさつだけして、「次の公務がありますので」と言ってさっさと帰ってしまうのだが、せっかく盛り上がっている競技を中断された方は、「市長だからって、
何だ、あれは…」「せめてこの競技が終わってからにすればいいのに」と、近くにいた人たちとあきれ顔でブーイングを言い合う、これもいつものことだ。







2009年5月30日 (土)
「久喜の話ことば CD版」



 今年の3月に「聞いてみよう 久喜の話ことば」という小冊子が完成した。

 久喜市教育委員会が作成したもので、いわゆる「久喜弁」「久喜ことば」を生きた話しことばとして残していくために、CD録音したものだ。

 私が久喜に来たのは25歳の時、33年も前になるが、昔から久喜に住んでいる人の独得のイントネーション、アクセント、語尾に「でー」とか「だでー」とかを付ける話し方に何と
なくおもしろく思ったことを覚えている。

 当時もちょっと調べてみたりしたのだが、いわゆる久喜弁は、大きくは「東関東方言」と分類されていて、茨城弁が典型的なのだが、茨城、千葉、埼玉の境界付近、つまり久喜のこの
辺もその一変形(亜種?)であるらしいことがわかった。

 いわば茨城弁と東京弁、あるいは標準語とが混合したものらしい。

 いつの間にか自分の話し方も影響されたようで、当時は東京に住んでいた両親のところへ戻って話しているときに、父から、「なんだ? その言葉は」と言われたこともあった。

 私が市議会で、“久喜ことば”の保存を行政の課題として考えたのは、最初はもう10年も前になるが、市内の津田道夫氏と話していたときに『久喜弁を保存できないか』と言われた
のが最初だった。

 議会で「久喜の方言、あるいは久喜弁といわれるものを記録して残すてはいかがか」と提案し、それが2002年に「久喜の昔のことば」という本になったが、それは久喜方言の単語
を拾い出して標準語と対照したものであった。

 しかし言葉は話ことばの中でこそ生きてくるものであるから、単語だけの抽出比較ではいかにも物足りない、何とか久喜弁の雰囲気を記録して残すことはできないだろうかと思った。

 しかも久喜市でも、ふだんの会話の中で“久喜弁”のイントネーションを使う人がどんどん少なくなってきているから、音声として記録するとすれば今が最後のチャンスだろう。

 それで、2006年6月議会でCD−Rに記録して残すことと、関心のある人に頒布してはどうかと提案して、教育委員会が研究を約束していた。

 それがようやく実現したのが、今回のCDである。

 CDには、戦争中の生活の思い出話、戦後の生活や水害の話、お祭りや風俗、農作業の話など14話が収められている。

 『この刊行物は、1冊あたり概ね350円です』と書かれているので教育委員会に聞いたら、いくらで頒布するかを明確には決めてはいないようだったが、350円というのは作成に
かかった経費でこの価格で売るという。

 私は文化的価値が金銭的な付加価値も生むと思っているから、教育委員会には「500円か1000円くらいの値段を付けてもよかったんじゃないか」と言ったのだが、市は商売っ気
はまったくないらしい。

 残念ながら今回のCDの収録対象とはならなかったが、内田議長はふだんから典型的(?)な久喜弁で話しているし、津田道夫氏の久喜ことばのイントネーションもいい。

 教育委員会には2枚目、3枚目のCDを作成してほしいと思っている。

 さらに、久喜市内各地の祭りや伝統芸能のすべてをDVDに映像で記録して残すことを、これは観光PRの映像ではなく、学術的にも後世の研究に耐えるような記録を残すようにと提
案している。

 これは内容を充実させれば少々高くても十分売れて、市の財政にわずかでも寄与することができると思うのだが…。



2009年5月28日 (木)
サリアビル、5月オープンの幻



 西口のサリアビルは昨年10月に桧家住宅に転売され、今年の5月には5、6階に桧家住宅の本社が入り、4階までは商業施設としてオープンすると説明されていた。

 しかし今、5月も終わろうとしているのだが何の動きもないので、市の担当に聞いてみたのだが、やっぱり5月のオープンはできないらしい。

 2002年5月にダイエーが撤退してから、日本中央地所が購入して、一時的に肉のハナマサが営業していたが、それも昨年の2月に撤退、この間、全面的に取り壊してマンションに
建て替える計画もあったらしいが、それもだめ。

 田中市長は行政としてまったく関わろうとせず、民間まかせで、「雑居ビルだけは避けたい。商業ビルとして再開して欲しい」などと他人頼みで夢想的な希望的観測を並べるだけの第
三者的な対応を続けてきた。

 桧家住宅がビルを購入して、上階に本社が入り、下の階にスーパーが入るとなれば、これはもう、田中市長が嫌っている「雑居ビル」そのものだろうが、それでさえも、5月のオープ
ンは「延期」となった。

 すでに7年間も空きビル状態が続いていて、数億円規模の大改修が必要とも言われている上に、下階のテナントもまだ決まっていない状態で、見通しはあるのだろうか。

 今でもよく市民の皆さんから、サリアビルに、市役所の出張所を、駅前保育所を、集会施設を、若者の集える場を、などなど、などなどの提案、要求をたくさん聞くのだが、やっぱり
駅前の顔としてのサリアビルを再生するには、行政が一定の税金を投入してでも、その役割を果たすべきだと思う。

 田中市長は政治的決断をまったく考えていないのか。




政務調査費審査委員会での審査(3)



 20日の政務調査費審査委員会で、一通りの審査が終わった後で、委員どうしの意見交換があった。

 この日、公明党の岡崎委員が欠席で、代理で出ていた角田議員から、私に質問があった。

 角田氏は私のホームページの政務調査費の報告記事(昨年9月〜12月分)を印刷したのを用意してきていて、「いくつか聞きたいことがある」と言う。

 一つは、書籍代で同じ本を2冊購入しているのはなぜかということで、それは大地の別々の議員用に購入したものだ。

 二つめは、書籍を2冊購入していて、価格が違うという指摘だったが、1か所は私がホームページに掲載するときに数字を打ち間違えたもの(報告書には間違いなかった)で、もう1
冊は著者から直接割引価格で購入したので安くなったというものだった。

 いずれにしても、前の審査委員会で何の指摘もなかったし、事務局に保管してある大地の報告書を見てもらえれば確認できたことであったのだが…。

 私もかねてから公明党に聞きたいことがあって、それは、公明党の政務調査費使途報告書で、毎回、「広報費」の項目で「iJAMP利用料」というのを1か月1万円、年間で12万
円を計上している。

 公明党の報告書で「広報費」として計上されていたから、これはホームページの管理料か何かかと思っていた。

 それにしては公明党久喜市議団のホームページはもう1年も更新していないので、おかしいと思って角田議員に聞いてみたら、
 「なに言ってんの。iJAMPはホームページとは関係ない。行政情報サービスだ」
と言われてしまった。
 公明党のホームページはもうとっくに更新をやめて放置してあるんだそうだ。

 それではかの「iJAMP」の毎月1万円の支出は「広報費」ではなくて、情報を購入するんだとしたら「資料購入費」に該当することになる。

 公明党の政務調査費使途報告書の項目がずっと間違っていたわけで、2008年度1年分の項目変更(訂正)をしてもらうことになった次第。

 全部の会派の政務調査費報告書をお互いに細かくチェックするから、けっこう間違いの発見や、訂正が出てきたりする。

 これまでも庶務課からチェックが入って添付書類の充実なども図ってきているが、今年度からはさらに、1年分まとめて監査委員にチェックを依頼することになっている。

 市民の税金を使うのだから、厳密にしてしすぎることはない。



2009年5月22日 (金)
新型インフルエンザ患者発生!



 5月22日未明、鷲宮町在住の男性が「新型インフルエンザ」に感染していることが公表された。

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●埼玉県鷲宮町在住 29歳・男性
●患者は5月17日〜19日、大阪府及び京都府に滞在。19日に鷲宮町の自宅に帰宅後、咳が出始め、20日に39℃の発熱があった。翌21日、発熱外来を受診、簡易検査の結果が
A型陽性であったため、埼玉県衛生研究所において遺伝子検査を行っていたところ、本日未明に新型インフルエンザ(A/H1N1)に感染していることが確認された。
●現在の患者の状態は、県内の協力医療機関に入院中だが、熱は下がり、容態は安定している。
●本人の19日以降の行動及び5月17日〜19日の大阪府・京都府の旅行における同行者(久喜市在住、男性)、同居の親族(両親)について現在、接触状況の詳細について調査中。
●埼玉県の発表によれば、現段階では二次感染が生じ、感染が拡大する恐れがあるものとは認められない。

 これを受けて、久喜市新型インフルエンザ対策本部では、
「新型インフルエンザについての情報−正しい情報に基づいた冷静な対応をお願いします−」として、「市民の皆様には、正確な情報に基づく冷静な対応とともに、今後も感染予防のた
めの咳エチケットや手洗い、うがい、マスクの着用についてご協力くださいますよう、よろしくお願いいたします」と呼びかけている。
      -------------------------

 しかしその後に発表された久喜市の対応は、はたして“正確な情報に基づいた冷静な対応”と言えるか。

■23日に予定していた小中学校6校の運動会・体育祭は“延期”となった。
 市新型インフルエンザ対策本部長(田中市長)から、「明日開催予定の運動会や体育祭等を行うことについては延期されるように要請します」と、市内小中学校長に依頼があったとい
う。
 「いつまで延期」という期限はないから、実質的に中止となるのかどうか。
 鷲宮町では「秋に実施する」と発表しているらしい。

■市内のある中学校は来週に修学旅行を予定していたが、これも“延期”が決定された。

■他のいくつかのイベントも行政からの依頼で“中止”されたという。

 実際にはすでに自己防衛に走っている市民も多くて、もうかなり以前からマスクはどこにも売っていない。

水際作戦、封じ込め対策の失敗

 しかし、今回の国家レベルでの新型インフルエンザ対策が、当初の水際作戦も封じ込め対策も“失敗”したことははっきりしている。

 最初は関西で、いきなり「渡航経験のない人」が新型インフルエンザにかかっていることがわかって、同じような患者があちこちで次々と現れたこと自体、すでに新型インフルエンザ
が蔓延していたことを示している。

 新型インフルエンザにかかっても発熱しなかったり典型的な激しい症状が現れない場合もある。

 国の方針では、発熱した人のすべてを新型インフルエンザ患者と想定して簡易検査を行い、A型陽性者に遺伝子検査を行ってきたが、そもそも潜在的な患者のすべてを補足できていな
かったのではないか、そんなことは不可能だろう。

 しかも発熱してからはじめて検査し、「入院」(実際には強制的な隔離らしい)させるのだから、それまでにすでにウイルスが拡散してしまっていたことも考えられる。

 実際問題として、関西のある市の議員のメールによると、発熱した人が押し寄せている発熱外来では対応しきれないで、遺伝子検査も間に合わなくなってきているという。

 発熱した人でも人間の心理として、かぜだろうと思ってまずは身近な近所の医院に行く患者さんも多いし、その時運悪く同じ待合室にいた他の患者や診察した医師を全員隔離するわけ
にもいかぬ。

対策方針の転換が必要

 とにかくこうして広がってしまった新型インフルエンザだが、これまでの“封じ込め”対策から、かかってしまった人の重篤化防止の対策へと、早急に切り替えなければならないと指
摘されはじめている。

 幸いにして、新型インフルエンザは今のところ弱毒性で、感染力なども季節性のインフルエンザと変わらないことがわかってきたらしい。

 「今回の新型インフルエンザは、健康人であればタミフルを飲まずとも自然に治癒している人も多いし、早期にタミフルで治療すれば命に関わることはなさそう」 「逆に、致死的に
なるのは、高齢者やがん患者などの免疫力が低下した人たちで、病院の入院患者の多くが該当する。新型インフルエンザ騒動で発熱患者が病院に押し寄せた場合、多くの入院患者がリス
クにさらされることになる」、そのためには医療現場に隔離室、陰圧室の整備が必要という政策提言もある。

 そういう新型インフルエンザに関する最近の状況を聞くと、久喜市の対応は“過剰な対応”、あるいは“不必要な措置”ではないかという感じを受ける。

 季節性のインフルエンザでさえ、一つの学校で何十人もの感染が出たときに学級閉鎖や休校にするのは、インフルエンザをそれ以上には広げさせないためということもあるだろうが、
現実には授業が成り立たないということでもある。

 ましてや今回、地域で数十人、数百人の患者がいっぺんに発生したというような状況でもなくて、学校では一人の患者も報告されていないのに、運動会をいきなり延期にしたのは何の
ためか。

 中学校の関西方面への修学旅行を、鷲宮町で、あるいは久喜市で感染者が確認されたのを理由に取りやめなければならない理由はないのであって、意味のない自粛といわざるをえない


 関西地区全体で感染が起きているからそっち方面へは行かない方がいいというなら、市内の他の中学校は今週はじめに修学旅行を実施しているではないか。

 運動会をやって、あるいは関西へ旅行させて、その後に患者が出た場合に非難されるのを避けるための“延期”ではないのか、手回しよく行政の責任逃れのためではないのかと疑いた
くなるのである。

 こうした感染症対策で、行政が市民の健康と命に100%責任を持つなどということは、そもそも無理な話であるのだが、市民の側は行政に過大な責任を負わせようとし、行政は万が
一の場合に備えてあらかじめ予防線を張ろうとするものだ。

 誤解を恐れずに言えば、すでに埼玉でも東京でもどこでも、新型インフルエンザウイルスが潜在的に広がっているかもしれない、これから広がってくるかもしれないということを想定
して、“封じ込め”ではなく、予防と早期治療、そのためには気軽に受診できる体制を構築しなければならない段階に来ているのではないか。

 ただし「気軽に」と言っても、新型インフルエンザが疑われる患者さんが地域の医院に行った場合には、できるだけ他の患者さんと分けて別の部屋で待たせたり診察する配慮はあたり
まえだろう、季節性のインフルエンザだってそうしてきたはずだ。

患者への差別と偏見、バッシング

 これまでの“封じ込め”対策が、結果として、新型インフルエンザ患者を悪者視してバッシングするような風潮を作り出し、あおり立ててきてしまったことも見逃せない。

 新型インフルエンザにかかってしまった高校生やその高校に対して激しい誹謗中傷をして謝らせてしまうような、そんな状況を作り出した、この日本社会の思考方法はいったい何なの
か。

 私たちのこの地域で、新型インフルエンザ患者を差別したりバッシングしたりするようなことにしてはならないだろう。

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社団法人日本感染症学会緊急提言 「一般医療機関における新型インフルエンザへの対応について」がとても参考になります。
http://www.kansensho.or.jp/news/090521soiv_teigen.pdf

@ 過去の我が国における新型インフルエンザ流行の実態から学んでください
A 新型インフルエンザは、いずれ数年後に季節性インフルエンザとなって誰でも罹患しうる病気です
B 新型が流行すると青壮年層の被害が甚大となるのには理由があります
C 流行初期から一般医療機関への受診者が激増します
D 重症例にはウイルス性肺炎よりも細菌性肺炎例や呼吸不全例が多く見られます
E 一般予防策ではうがい、手洗い、マスクが効果的です
F 医療従事者の感染予防にはサージカルマスク、手洗い等が効果的です
G 全ての医療機関が新型インフルエンザ対策を行うべきです




政務調査審査委員会(2)「食事代」



政務調査費から「食事代」を支出する議員の“常識”?

 20日の政務調査費審査員会の領収書をチェックしてみて感じたこと。

 いくつかの会派が、視察研修に出かけた際に「夕食代」を政務調査費から支出していて、堂々と「1人4200円」とか「3500円」とかの領収書を添付していた。

 夕食代で3500円とか4200円とかというのは、もしかして飲み代も込みではないか?

 これは今回だけではなくて、毎回、必ずといっていいほどいくつかの会派の報告書に「食事代」の領収書が添付されている。

 職員の旅費条例では、議員や市長は宿泊料14800円までの支出が認められているので、ホテル代と合わせてその金額ならいいだろうという認識であるらしい。

 しかし、ホテルで「1泊2食でいくら」というような場合は仕方ない(?)かもしれないが、「食事代」だけの領収書を政務調査費の支出で出してくる感覚は、ちょっと私には信じら
れない。

 私たちの会派・大地では、飲食代は政務調査費からは出さない、「食事込み」の場合でも原則として、政務調査費からは「食事代」を除いた金額を計上することに決めている。

 それにしても、議員の多くがいまだに「違法でさえなければ、税金で食事(飲み食い)してもかまわない」と考えているのだとしたら、市民感覚から大きくずれているのではないか。

 “飲食代は自分持ち”、いつでもどこでも視察先でもこれが市民の常識ではないかと思うのだが、議員の常識が市民の常識からかけ離れているのではないか。



2009年5月21日 (木)
政務調査費審査委員会のシゴト(1)



 20日に、政務調査費審査委員会が開かれた。

 久喜市議会政務調査費審査委員会は、議会活性化特別委員会の協議を経て設置された。
 委員は各会派から1人ずつ出ていて、4半期ごとに提出される政務調査費支出報告書と添付の領収書などを1枚1枚すべて審査する。

 金額は事前に事務局でチェックしているのだが、
・領収書のあて先が個人でなくて会派になっているか
・領収書に書籍などの題名がきちんと明記されているか
・一つ一つの支出が政務調査費の支出目的に合っているか
・支出内容や添付書類の記載が適切か否か
などを審査し、委員の中から疑問符が付けばみんなで協議する。

 「これは政務調査費から出すのはまずいんじゃないの?」という協議もして、明らかにまずい支出があれば訂正させる。

 20日の審査委員会でも、いくつかの問題が提起された。

 視察旅費の支出で、「視察事項、目的」が書かれていないのがあって、書類の訂正と、さらに当該の視察報告書の提出を求めた。

 銀行からセミナー受講料を振り込んだのだが、振り込み控えに会派名が入っていないものがあったが、今回はやむを得ないと認めた上で次回からは会派名を入れるように要請した。

 議会全体として取り扱いの方法について協議が必要ということになったり、条例や規則、支出基準のあいまいなところがあれば議長に報告して、代表者会議などでの検討を求めること
になる。

で、今回の問題提起。

交通費は、安さ優先と速さ優先、どちら

 東京都内や千葉などに行くときに、多くの場合にはJRを使った方が早いから、JRで行くことが多いのだが、運賃は東武線〜地下鉄を利用した方が安い。

 市の旅費規程では、いくつかの経路がある場合、運賃の安い方を使うことになっていて、実際にはJRで行っても、東武線経由の運賃しか支給されないことになっている。

 そうすると、政務調査費は旅費規程を準用することになっているので、JR運賃は出せないことになる。

 普通は、早く着くことの方が優先されるし、乗り換えの手間もあるから運賃が40円とか100円くらい高くてもJRを使いたい。

 そこで、「乗車時間、乗り換えなど、合理的な理由があれば、運賃が高い方の経路も認めていいのではないか」ということが問題になって、議長に報告して検討してもらうことになっ
た。



2009年5月 4日 (月)
緑綬褒章 (2)



 久喜点字サークルぎんなんに緑綬褒章が決まって、実にさまざまなところからお祝いやら何やらが飛び込んできた。

 28日の新聞に受章の記事が出た後で、市内や県内のボランティア仲間から電話やメールで「おめでとうございます」のメッセージをいただいたが、これらの方々は心からのお祝いの
気持ちを表してくれたものであって、日ごろから気にかけていただいていることに、こちらからも素直に「ありがとうございます」とお礼を申し上げた。

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 しかし政治がらみがやたらと多いことにはあきれた。
 国会議員関係から来たメッセージを届いた順番に並べてみよう。

 4月18日(封書・投函日は17日) 自民党政策審議会副会長・参議院議員の肩書きで関口まさかず、自分の写真付きの封筒で送ってきた。
 27日(封書・投函日は26日) 今度の総選挙に立候補を予定している武山ゆり子、やっぱり封筒には自分の写真がでかでかと印刷されている。
 28日(封書・投函日は27日) 民主党参議院議員・山根隆司
 29日(電報・依頼日は17日) 自民党衆議院議員・土屋品子
 29日(封書・投函日は28日) 自民党参議院議員・古川俊治
 31日(封書・投函日は30日) 民主党参議院議員・島田智哉子

 29日以降に、埼玉県知事・上田清司から封書で、埼玉県社会福祉協議会会長・上田清司からは電子郵便が届いた他、県の福祉部長名と、銀行などからも届いた。

 国会議員のセンセイ方はとにかく自分の名前や顔を売り込むのがオシゴトみたいなものだから、心がこもっているかどうかは別問題で、今回の褒賞や勲章の受章者みんなにメッセージ
を送り付けたのだろう。

 だが、私が変だと思うのは、公式に発表された28日以前に、なぜ「お祝いメッセージ」が届いたのかということである。

 事前の内定段階で聞いていたのは、だれが受章するかについては個人情報でもあり、28日の正式な発表までは外に漏れることはない、マスコミにはその1週間前に受賞者名簿を渡す
が、それは事前の取材のためであって(今回、私のところにも新聞やテレビ数社から取材依頼があった)、28日以前に公表されることはないということであった。

 それが早々と18日には自民党の参議院議員から封書のメッセージが届き、27日に発表の前日というタイミングで衆議院選挙の候補者、29日に届いた電報も17日に依頼されてい
た、ということはどういうことか。

 念のために、褒章を所管する厚生労働省や埼玉県の人事部栄典担当にも確認してみたのだが、マスコミ以外には情報は出していない、それ以外のところになぜ情報が漏れたのかはわか
らない、ということであった。

 しかし現実には、どこかのお役所が漏らしたのか、あるいはマスコミへの事前公表の段階でそのまま名簿が流されたのかわからぬが、受賞の個人情報がだらだらと垂れ流されていて、
特に国会議員のセンセイ方には“特別に?”情報が渡されているらしい、漏れ放題になっているということになるではないか。

 国会議員や候補者のセンセイ方にとっては、個人情報であれ何であれそうした秘密情報を早く入手することができるということが国会議員としての“力”であって、そうした情報を使
って自分を売り込むことに何の躊躇もないらしい。

 そうすると、正式に発表される以前の情報を使って早々とメッセージを送りつけてきた人ほど、人権意識と遵法意識が欠如している人だということになると思う。

 業者からの「記念品」の売り込みについては後日に書く。



2009年5月 1日 (金)
不正請求事件調査特別委員会



 4月30日、市議会で、「障害者自立支援給付費等の不正請求事件に関する調査特別委員会」の第2回会議が開かれた。

 この日は2回目の会議で、今後の調査方針を話し合って、まずは、(1)事件の全容についての説明、(2)自立支援給付費の請求と給付の仕組み、手続き等についての説明を市当局
に求めていくことになった。

 サービスの利用者などその他の関係者についても話を聞きたいという意見も出たが、事件の全体像を把握することが先決であって、その後にさらに委員会としてどのように調査を進め
ていくかを協議するということである。

 第3回は5月14日、第4回は19日に開き、民生経済部長、社会福祉課長、児童福祉課長ら関係各課の担当者の出席を求めて聴取する予定。

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 この日、委員からおかしな発言もあった。

 まず開会後すぐに、公明党の戸ヶ崎委員が、「特別委員会でこれから審議されることが先に報道されることがある。決まったことを正確に報道していただくよう、ホームページなども
含めて、委員長からお願いしたい」と発言したのだが、何を言いたいのかよくわからない。

 当然、この事件は不正請求額が巨額に上っていることから、全国的にも注目されていて、新聞やテレビでも報道されているが、どこかに“正確でない”報道があったのだとしたら、そ
れを指摘して具体的に是正を求めるべきだが、それはしなかった。

 あるいは特別委員会がこれから調査するのだから、その前に事件の内容が報道されては困るとでも言いたいのだとしたら、マスコミは当局や関係者、当事者に対しても取材して報道し
ているのだから、それをやめてくれなどとは言えるわけがない、報道の自由に対する侵害だと批判されるのがオチだ。

 戸ヶ崎氏は「ホームページ」とも言ったから、もしかすると議員がホームページやブログで報告したり意見を書いたりするのを牽制しているのかとも思ったのだが、議会や調査委員会
の審議経過を市民に報告し、議員がみずからの考えを展開するのは議員の責任であって、それを問題視するとしたら、市民に知らせるなと言っているに等しい。

 もう一つは、鈴木精一委員の発言で、「市が告訴していくので、その後の警察の動き、捜査の内容を入れて調査した方がいい。警察の捜査内容の情報を入れるようにした方がいい」と
言ったのだが、そもそも警察の刑事事件の捜査と議会の調査とは役割がまったく異なることを理解していない発言と言うしかない。

 議会が事件の調査を行うのは、行政を監視する立場からであって、その上に制度や行政の仕組みを点検し、そのあり方を改善するためである。

 議会の調査は、この事件を起こしたエイムの責任者を法的に裁いて断罪することではない、日本の法体系ではそれは司法(警察も含む)の役割である。

 それに、久喜市の告訴はまだ受理されておらず、警察による捜査はまだ始まってもいないのだが、もし捜査が進んでいったとして、捜査段階で警察の捜査経過の情報を入手して、それ
を入れて議会の調査を行うべきだというのは、ちょっととんちんかんな考えではないか。

 そもそも、警察が市議会の調査に役立つようにと捜査情報を提供してくれるものか、それは警察の捜査情報の漏洩ということにならないか。

 先の臨時議会で調査特別委員会の設置を求める議案に対して、「設置は必要ない」と言い放った議員さんたちは、あの時は「警察の捜査を見守るべきだ」と言ってもいたのだが、今度
は警察の捜査情報を入れた方がいいというのは…?







2009年4月30日 (木)
「緑綬褒章」(1)



 久喜点字サークルぎんなんが緑綬褒章を受章した。

 「緑綬褒章」はボランティアを対象にしていて、県内では2つの団体・個人が受けた。

 実は昨年から、久喜市社会福祉協議会で「推薦」の手続きを進めてくれていて、その間、サークル設立の経緯や活動経過、過去の点訳実績をお話ししてきていた。

 その間、何回か、「受章が決まった場合に受けるか」という確認があって、今年の2月だったか3月だったかに“内定”の連絡があった、その時にもまた「受章するか」の意思確認が
あった。

 いったん受章が決まってから「受けない」とか「拒否」「返上」なんてことになると畏れ多いので、はっきりと「受けます」と返事してから“決定”となるものらしい。

 過去の点訳実績の報告がいちばんたいへんだった。

 ぎんなんの設立が1985年で、その頃は点訳作業は点字タイプライターや点字板による手作りで、1部しか作成できなかったから、それを依頼者に渡してしまうとこちらの手元には
残らない。

 最初の頃は、全盲の子どもの教科書や教材などの点訳が主で時間に追われながら点訳作業を進めていたから、記録なども残してはいない。

 その後、パソコン点訳が中心になって、点訳したデータがパソコンに残るようになったが、パソコンの容量も小さかったので、点訳が完成して点字プリントして渡してしまうとそのデ
ータは消去することが多かったし、フロッピーに記録したデータも散逸してしまったり、10以上も前のフロッピーだから壊れてデータが取り出せないものもたくさんある。

 点訳してそれを視覚障害者や図書館に提供してしまえば私たちの役割はいちおう終了となるわけで、何かの表彰とかを想定して記録を残すことなど考えもしなかった、また点訳に追わ
れていて記録に残す余裕もなかった、そんなことを考えもしなかったというのが実情である。

 最近では少し余裕も出てきたので、点訳データを整理して、後でまた同じものの点訳(提供)依頼があったときにすぐに提供できるように、点訳図書目録を作成してきているが、それ
でもやっぱりその場だけの資料や個人的な文書の点訳依頼であれば記録は残さない場合が多い。

 表彰ということになると“実績”が大事ということになるのだろうが、表彰されるなんてことはまったく想定しないでただまっすぐにボランティア活動を続けてきた私たちとしては、
“実績が評価されて表彰された”というのはいささか面映ゆい気もしないではない。

 ただ、今回、過去の点訳の“実績”というより、私たちの足跡を見直してみて、あらためて「ああ、こんなに点訳してきたんだ」という一種の感慨を抱いてはいる。

 受章が決まってからマスコミの取材依頼があって、会長や副会長に相談したのだが、みなさん奥ゆかしくて、「いい」ということだった。

 やっぱりみんなも受章をことさらに意識していないで、これまで素朴にボランティア活動を続けてきた、その姿勢はこれからも変わらないという気持ちを共有していると思う、その姿
勢の方が誇らしい気がする。

 事務局長の私が新聞記者からインタビューを受けて、「今回の受章の感想と、今後の抱負を」と聞かれたのだが、実のところ、受章したからどうということはない。

 新聞記事では、「猪股さんは今後について、『点訳のできる人材を育て、1冊でも多くの本を点字で紹介していきたい』と意気込んでいる」と書かれてしまったが、これはちょっと私
の気持ちとは違うような気がする。

 今回の受章は、記録とか表彰とかを意識しないで活動してきた、その結果が社会的に、直接には国(厚生労働省)に評価されたにすぎないし、受章したからといって私たちの活動姿勢
が変わるものではなくて、これまでの点訳活動をこのまま続けていくだけのことだ。






2009年4月29日 (水)
生活保護制度の「常識」 (2)



 前のブログで、貧困が急増しているのに対して、しかし行政は生活保護の申請自体をさせないで追い返したりする現実があると書いた。

 生活保護は、憲法25条「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」に根拠を置く、日本社会の最後のセーフティネットである。

 25条の見出しは「生存権、国の社会的使命」となっており、いうまでもなくこれは国民の権利であり、国の国民に対する責任でもある。

 現実に即して言えば、たとえば仕事をしていても、最低生活費を下回る収入しかない場合には、(生活保護を受ける要件を満たしていれば)、まず生活保護を受けて生活を安定させる
ことが先決で、生活が安定してこその子育てであり介護であり、病気の場合には療養であり、仕事さがしもその後のことだ。

 生活保護問題の研修会の中で、私たち議員にとって分かり切っていると思っていたことが、実はわかっていなかったということを知った。

 たとえば…、

(1)生活保護の申請は、必ずしも市役所の申請書を使う必要はなくて、極端に言えばメモ書きでもいい、要は「必要事項」が書き込んであればいいのだということ。

 “もやい”でも「保護申請書」の書式を用意していて、私もその書式をもらってきたが、最低限必要な事項は、あて先(たとえば『久喜市福祉事務所長』)、日付、申請者氏名、住所
(住民票がなくてもいい、今いる場所。ホームレスの場合は書かなくていい)、保護を受けたい理由(今までの経緯や生活に困っている事実)などなどである。

 そうそう、「生活保護法による保護を申請します」と、申請の意思表示を明記しなければならない。

(2)申請書は窓口に置いてくるだけでも有効で、その日が申請日となる。(受け付けとか受理は必要なくて、申請書がその事務所に到達したことをもって申請したことになる)。

(3)よく窓口では、生活保護の決定までに30日かかるといわれるのだが、生活保護法24条では申請日から原則として14日以内に保護の決定をしなければならないことになってい
る。

 例外として、調査に時間がかかるなどの「特別な理由」がある場合は「30日まで延ばすことができる」と書いてあるのであって、決定までに30日以上かかるのは「違法」というこ
とになる。

(4)さらに「急迫した状況にあるときは、速やかに職権をもって…保護を開始しなければならない」(25条)となっていて、この「急迫した状況」とは手持ち金が限られているなど
の場合、即日やごく短期間での決定もありえる。

(5)家がない、住民票がない場合でも、現在いる場所の福祉事務所で申請できる、現在地主義をとっており、このことは年越し派遣村の人々がいっせいに千代田区役所に申請したこと
で広く周知されるようになった。

(6)住まいがない場合、生活保護を申請してから、アパートなどを探し、敷金や家具什器を買うお金など、入居(転居)費用も生活保護で支給される。

 厚生労働省は、住居を失ったり保証人がいない人に対してアパート等の情報を提供するようにという通知を、各自治体に出している。

(7)本人が1人で申請に行って、申請を受け付けてもらえずに追い返されたりすることが多いので、全国各地で弁護士や議員、“もやい”のような貧困問題を取り組んでいる団体など
がいっしょに福祉事務所に行く、「同行申請」が多くなっているという。



“反貧困”、生活保護問題の研修会(1)



 このところ、「貧困」問題の研修会に続けて参加してきている。

 4月25日に、「脱・子どもの貧困サバイバル大作戦シンポジウム」が代々木の国立オリンピック記念青少年センターで開かれて、私と川辺議員の2人で参加してきた。

 17・18日には2日間にわたって「第1回生活保護問題議員研修会」が永田町の星陵会館で開かれ、矢野議員と2人で参加した。

 3月7日は日本弁護士会館で「シンポジウム『女性の貧困』」の研修会、2月18日には生活保護申請同行ボランティア養成講座というのにも参加した。

 最近、生活保護問題の研修会が多く開かれているが、これはやはり景気の急激な落ち込み、派遣切りに象徴される貧困の広がりという社会情勢を反映したものだ。

 これらの研修会の多くが、年末年始の年越し派遣村で有名になった“自立生活サポートセンター・もやい”や、弁護士を中心とした生活保護問題対策全国会議、全国公的扶助研究会、
反貧困ネットといった、これまで貧困問題に正面から取り組んできた団体組織が関わって開かれている。

 こうしたテーマは以前だったらあまり関心を持たれることもなかっただろうし、議員にとってもどちらかといえばマイナーな課題であったのだが、最近では「貧困」を正面から取り上
げて日本社会の病理として、また地域で生活する人々自身がいつ落ち込むかもしれない、自分たちの問題として取り組まれてきている。

 私も過去、何人かの生活保護の相談に乗ったことはあったが、直接いっしょに市役所に行って生活保護申請をするということはしてこなかった。

 しかし昨年来の派遣切りや“年越し派遣村”の現実から明らかになったことは、最後のセーフティネットとしての生活保護が穴だらけで機能していないということであって、それは自
治体窓口に行っても申請自体が受け付けられなかったり、ていよく追い返されたりすることが多い。

 久喜市の社会福祉課でも、最近は毎月30件前後の生活保護に関わる“相談”があるが、その内、“申請”に至るのは10件前後に過ぎない、ということは、行政にとっては、久喜市
では生活保護のニーズは毎月10件前後しかないという判断になってしまう。

 多くの自治体の現場において、生活保護の相談や申請に来た人をいかに追い返し、いかに断るかが仕事になってしまっていて、その結果、この日本で、生活費がなくて餓死者が出てい
る、そういう現実がある。

 ある市では、仕事と住まいを失った人が生活保護の相談に来たのに、ハローワークに行くように進めたり(住所がなくては正規労働者への就労はほとんど絶望的だ!)、『お金がなく
なったら来なさい』とか、『生活保護が決まってもお金が出るのは1か月先になるから仕事を探した方がいい』とか、財布の中に数百円しかない人に対して、生活保護でなくて社会福祉
協議会の緊急貸付制度を紹介したりすることもあるのだという。

 いったん貧困状態に陥ってしまったら、そこから抜け出して生活を立て直すためにも、まず現実の生活を安定させること、食べものと寝るところを確保して、身体を休めることから始
めなければならない、いずれの研修会でも、そのための生活保護を活用しなければならないことが強調されていた。

 残念ながら、今の行政、お役所は必ずしも人にやさしいとは言えない。

 市民が貧困に陥ってそこから抜け出そうとするとき、まずは生活保護を使いたい、そう考えたとき、行政に1人で立ち向かうのは容易ではない現実がある、そのために議員としてもで
きることをしなければならないと思う。


2009年4月24日 (金)
合併賛成派のすさまじい行動の効果?



 合併に関するはがき投票(アンケート)の回答状況は、
 13日 17063名(29.5%)
 23日 34369 (59.4%)

 締め切りは27日だから、最終的な回答率は65%か、あるいは70%にまで届くだろうか。

 合併推進派の過熱ぶりはすごいらしい。

 「合併賛成」を呼びかけるチラシはしない全戸のポストに投げ込まれていて、これはポスティング業者に委託しているらしい。

 合併STOP!市民有志の会でもやろうかという話は出たが、1枚10円はかかる、新聞折り込みでも1枚3.5円かかるのだと聞いた。
 個人の集まりの有志の会ではそんなお金はないから自分たちの手で配っているが、残念ながらとても全市に配布することはできていない。

 今日の朝刊には「合併賛成」を呼びかける青年会議所のチラシが折り込まれていた。

 ある地区では、区長さんが「合併賛成に○を付けましょう」というチラシを回覧板に入れて配布してきたという。

 区長や元区長が直接チラシを持って、戸別訪問に回っている地区もあるらしくて、私のところに「こんなことやっていいんでしょうか」という苦情の電話があったが、私としては「区
長は非常勤の特別職の公務員で中立のはずなのにおかしいですね」と答えるしかない。

 東武線のホームで電車を待っていたら、見知らぬ人から「久喜の方ですか? はがき出しましたか? 賛成に○してください」と言われ、チラシを渡されたという。

 その女の人はホーム上の1人1人に声をかけていたそうで、気味悪かったという電話があった。

 とにかく理屈は抜き、何が何でも合併という熱意はすさまじいが、中身の空虚さとおしつけがましさがいっそう感じられて、逆効果になっていることに気付かないらしい。



2009年4月14日 (火)
駅前で合併反対のビラマキをした



 今日(14日)の朝、久喜駅前で「合併STOP! 久喜市民有志の会」のビラマキをした。

 議員は私と川辺さん、渋谷前議員ら10人くらいが6時から8時くらいまで、それぞれが仕事に出かける前の都合のよい時間だけの行動である。

 先週月曜日に市民意識調査のはがき(回答用紙)が送付されていて、すでに投函した人もいるだろうから、ここを通っていく人たちの中でどれくらいの人がこれから回答を書くのかわ
からない。

 住民投票だったら期日前投票もあることはあるが、やっぱり最終日に投票する人が大部分だから、訴えをしてもけっこう手応えがあるのだが、はがき投票ではその手応えがわからなく
てやりにくい。

 それでもできるだけの訴えはしようと、有志の会で話し合っている。

 私は東口の階段の下に立っていたのだが、6時半ごろに、田中市長を先頭にして市の幹部職員が10数人ほど階段を下りてきて、東口広場に展開し始めた。

 聞くと、課長級以上の職員を動員して、市民に「意向調査の啓発」活動を行っているのだそうで、昨日(13日)から毎朝、夕方も駅頭に立つのだという。

 まさか市の職員に「合併賛成に○を付けましょう」と言わせるつもりだろうか、公務員にそこまでやらせるのはやり過ぎだろうと思ったが、さすがにそこまではやらなくて、「意向調
査にご協力ください」という呼びかけだった。

 田中市長も職員といっしょに立つのかと思って「がんばってるなあ」と感心しようとしたが、それは違っていて、田中市長は階段を下りてきてそのまま広場を突っ切って東口大通りの
方に歩き去っていってしまった。

 ジャージ姿だったから、どうやら朝の散歩の途中に、職員を激励に(それとも、まじめにやっているかどうかを見に、あるいは監視に?)来たらしい。

 職員のみなさんは8時過ぎまでまじめに立ち続けていた。

 ここで、市長の聞き捨てならない発言を書いておかねばならぬ。

 市長が階段を下りてきて、私たちの前を通り過ぎるとき、私たちに向かって「あまり妨害しないでね」と言ったのだが、これは合併反対の運動を、市長に対する“妨害”と認識してい
るということだろうか。

 広辞苑によると「妨害」とは「じゃまをすること。妨げること。『通行を妨害する』」とある。

 「害」という字もあるから、“悪いこと”のイメージがあろう。

 市や国のある政策に対して、意見を言ったり、「反対」を訴えたりすることは市民の当然の権利であって、民主主義の国である日本では言論表現の自由は絶対的に保障されている。

 だから市や国の政策に対する意見や反対を表明し、市民に訴えることを指して“妨害”と言うことは普通はなくて、逆にそうした言論活動を実力で妨げることを“妨害”と言うことは
ある。

 田中市長は、彼が正しいと信じる政策に反対する言論を“妨害”と非難するとすれば、それは民主主義的な言論表現の行動を否定するに等しくはないか。



2009年4月13日 (月)
「合併のメリットとデメリットを単純明快に教えてください」



 市民の方から時々、メールや電話、FAXなどでさまざまな問い合わせや質問、意見が寄せられる。

 私は基本的には、匿名のお問い合わせにはお答えしないことにしている。

 「匿名」の場合、本当にそれが“善意”の市民からのものかどうか判断できないので、率直な答ができないということもある。

 実際、過去にメールで、市の課題についての問い合わせにていねいに答えたところ、その一部分が別の掲示板に都合よく適当に抜き出して貼り付けられて、誹謗中傷の材料に使われた
ことがあった。

 匿名電話で苦情を言ってくる場合、多くは乱暴な口調で、説明を聞くと言うよりも初めからこちらを非難してやろうという意図が見える場合もある。

 問い合わせして何らかの回答を求めるのであれば、まずみずからの名前とどこに住んでいるかくらいは知らせて欲しい。

 別に、私はその方の身元を詮索して、私への支持とかカンパとかを求めるわけでもなくて、“相手がだれか”わかることで、私の側からもその方を信頼して率直に回答することができ
る。

 最近も合併がらみで質問が来ている。

 たとえばこんなメール。

      ----------------------------------------------------

 下記の件、ご回答を頂きたく、お願い申し上げます。
 久喜市在住の○○と申します。1市3町合併について、メリットとデメリットを単純明解に教えて下さい。お願い致します。
以上

      ----------------------------------------------------

 いちおう名前が書かれていたが、久喜のどこに住んでいるのかも、この人がどういう人で、どういう意図でこの質問をしてきたのかわからないから、私にとっては“匿名”と同じとと
らえざるを得ないので、ここでは「○○」さんとしておく。

 ○○さんのメールがまじめなものだとしても、それでも「メリットとデメリットを単純明快に」教えるなんてことは、私にはできない。

 従ってここでは、メールの問い合わせに対する回答ではなく、そのメールに対する感想を書いておこう。

 まず第1には、もし本当にメリットとデメリットを知りたいのであれば、「単純明快に教え」てもらうのでなく、まずは自分で調べてみるべきだろう。

 調べるための材料は、いちばん手っ取り早いのは、久喜市のホームページと、いのまたのホームページの最近の1市3町の合併に関する記事を読み比べてもらってから、疑問やわから
ない点があったら猪股なり久喜市なりに問い合わせればいい。

 さらに詳しく自分で調べる気になったら、1市3町の合併協議会の会議録や資料をあたってもらったらいい。

 第2には、メリット、デメリットと言っても、立場によって違う。

 田中市長の政治的価値観からすればとにかく合併することが最優先であって、どんな合併であっても合併することそれ自体がメリットであるのだから、田中市長にとってはデメリット
はないと考えているに違いない。

 私の政治的価値観からすれば、久喜市に暮らしている生活者としての市民にとって、いま進められている1市3町の、これまでにまとまった合併協議に基づく合併に明確なメリットは
ない、いや、言い方を少し変えれば、メリットがあるかどうかはまったくわからないと言わざるを得ない。

 合併協議の内容が先送りや不明な点が多すぎる、合併してどのようなまちづくりを進めるかがわからない、そもそもその最もかんじんなまちづくりの方針が協議されていないからであ
る。

 いま示されている「新市基本計画」なるものは、根拠のない、バラ色の未来、きれいごとの言葉の羅列でしかないのであって、あんなものを本当に信じている人はいないと思う。



2009年4月10日 (金)
定額給付金の使い方



 久喜市でも定額給付金の通知が送られてきて、4月10日から申請手続きが始まる。

 久喜市議会2月定例議会の最終日、3月19日、私は定額給付金の給付のための一般会計補正予算に「反対討論」を行い採決に反対した。

 久喜市議会では22名の議員の内、反対したのは私と川辺議員(社民党)の2人だけで、国会では反対していたはずの共産党や民主党の議員までもが、久喜市では賛成したのには驚い
た。

 共産党や民主党も「世紀の愚策」とか何とか言って批判していたと思うのだが、同じ政党なのに国会と市議会とで態度が違うというのはよく理解できない。

 1人1万2000円の給付が現実になってみると、支持者の中でも「欲しい」という人はいるので反対できない、もし久喜市議会で否決になってしまうと、久喜市民だけがもらえなく
なってしまうのでは支持者から非難されることになってしまうのは困る、まあそんな判断らしい。

 近隣の自治体議会の中で、また無党派議員のネットワークで、ふだん付き合いのある議員が賛成したのか反対したのか、何人かに聞いてみたが、政党に関係ない私のような無党派の議
員でもいろいろだった。

 「ばらまき」「世紀の愚策」と批判して反対した人もいるし、どっちにしろ国会で決まってしまったことだから仕方がない、自分のところだけ反対するわけにはいかないとして賛成し
た人もいる。

 いずれにしろ国会で定額給付金が決まり、全国各地の自治体議会でも、また久喜市議会でも定額給付金が盛り込まれた補正予算が可決され、早いところではすでに給付手続きが開始さ
れた。

 久喜市でもかろうじて年度内の3月31日に通知が発送され、まもなく申請手続きが始まろうとしているのだが、さてそれでは、私は定額給付金を受け取るか、あるいは拒否するか。

 別の言い方をすれば、麻生首相のお勧めにしたがって受け取ってパーッと使って消費拡大に貢献するか、それとも定額給付金の制度そのものに反対の意志を示すために申請しないか。

 これも他市の自治体議員に聞いてみたが、申請しないという人もいる、受け取って生活費に使う、議員活動に使う、市民運動に使う、福祉団体や反貧困に寄付するという人もいる。

 結論から言えば、私は、定額給付金が久喜市で給付されることが決まった場合、私と私の世帯の定額給付金を申請し、全額受け取ることを最初から決めている。

 私と私の世帯分の定額給付金を受け取らないで政府に返した場合、それがさらに別のムダ遣い…自衛隊の海外派遣やダム工事やいらない公共事業など…に使われることになるわけで、
そんなことを認めるわけにはいかぬ。

 しかもそれはもともと私が徴収された税金の一部を返してもらうだけのことであり、3年後には消費税増税になるかもしれない、その先払いでもあるわけだから、わずか1万2000
円、3人家族で4万数千円であっても政府なんぞに預けておくわけには断じていかぬ。

 ただし「パーッ」と使ってしまおうとは思わないので、景気振興に寄与するような使い方は意図してすることにはならないだろう。

 銀行口座に振り込まれるわけだから、いつもと月と同じように同じだけの金額をおろして、同じだけの支出をすることになるだろうから、使う金額はほとんど同じで、その結果、おそ
らく口座にはいつもと月よりも若干多くお金が残ることになるだろう。

 したがって麻生首相の期待するようなパーッと使って景気振興に寄与することにはならないだろうと思う。



2009年4月 8日 (水)
はがきが届かなかったらどうなる?



 合併の是非に関する住民投票、ではない、はがきによる市民意識調査は市役所で4月6日に市内の有権者全員5万9000人に発送しているはずだが、8日の12時現在、まだ到着し
ない。

 青毛の今日の郵便配達は午前中に終わっているから、今日はもう来ないということだ。
 市内の郵便物なら、普通は1〜2日で届くから、本当に来るのか少し不安になってきている。

 同じように心配になった市民、お2人の方から「まだ来ないけれど、本当に発送したんだろうか」「もし来なかったらどうしたらいいか」と電話をいただいた。

 市役所に問い合わせてみたら、郵便局から「全市に配達終了まで2〜3日はかかるかもしれない」と言われているらしい。

 加えて、菖蒲町と白岡町でも6日に全有権者にはがきを発送しており、みんな久喜郵便局扱いなので、混雑のためもっと遅れるかもしれない、合併推進室の職員は「1週間くらいはか
かるかも」と予防線を張ってきた。

 なるほど、それではもう少し待つことにしよう。

 しかし話していて、もっと大きな問題に気がついた。

 もしもはがきが本当に届かなかったらどうなるのだろうか。

 誤配達は当然ありうるし、選挙の投票所入場券ですら「不着」はあるが、選挙の場合は入場券(はがき)がなくても投票所に行けば、有権者名簿でチェックして投票できる。

 はがき投票の場合はチェックのしようがないわけで、「不着」を理由とした再発行ができるのだろうか。

 ちなみに、市の広報によれば「紛失を理由とした再発行はできない」と書かれているが、「不着」の場合は? あるいは「抜き取り」(盗難)の場合はどうなるのだろう。

 「はがきが届かない」という本人の申し出だけで再発行すれば、悪用の意図があれば「2重投票」も可能となるが、その防止のための方策はあるのか。

 もし再発行しないとすれば、「不着」の市民は自分の責任ではないのに、自分の意志に反して、はがき投票に参加する権利を奪われることになる。

 昨年1月の合併協議開始についてのはがきアンケート(投票)の際は、数人に「再発行した」というが、そんなことがあったとは、今初めて知った。

 市の見解を聞きたいと思う。



2009年4月 7日 (火)
不正請求事件の調査特別委員会を設置へ



 久喜市議会は7日に代表者会議を開いて、障害者自立支援給付等の不正請求事件に関する調査について協議した。

 議題は、「事件に関する調査特別委員会を設置する」ことである。

 市議会としてはこれまでに、3月24日の全員協議会で執行部から事件の概要の報告を受けているだけであり、事件の背景や原因についての話などはまったく出ていない。

 したがって当然、事件の全容と詳細、背景や原因、今後の対策を?確認するのは議会の責任でもあるから、調査のための特別委員会を設置することに異論があるはずはないと思っていた


 大地と新政議員団、共産党が「当然、議会として調査をすることが必要であり、特別委員会を設置するべきだ」と主張した。

 特別委員会を設置するには、本会議で「調査特別委員会を設置する」という議案を可決しなければならないから、臨時議会を開かなければならない。

 ところが、公明党の角田、市政の鈴木、改進の岸議員は「特別委員会の設置に反対」と主張した。

 角田議員の反対の理由は、
「特別委員会を設置して調査しても、何が出てくるかもわからない。何も出てこないかもしれない」
「市がこれから訴訟を起こすことにしているのに、特別委員会で調査する必要はない」
「健康福祉委員会を開いてはどうか」
 
 岸議員の反対理由はまた振るっている。
「今の時点で何を調査するのかわからない」
「全員協議会で説明を受けただけで、何も情報がない中で、特別委員会で何をやるのか」
「自分が把握している情報があまりにも少ないので、今の時点で特別委員会を設置することに反対である」

 事件についての情報が少なくて不明な点が多いから特別委員会で調査するべきだと言うならわかるが、『何もわからないから調査する必要がない。特別委員会も必要ない』というのは
、逆だろう。

 執行部からの提供された情報が少なくて、もっと詳しく内容を究明したい、その原因と今後の対策うについても議会として審議すべきだからこそ調査する、そのための特別委員会でな
いか。

 調査というのは、角田議員のように最初から「何も出てこないかもしれない」と思ってするものではなくて、問題点がどこにあるのかを究明するために調査するのであって、問題点を
見つけて今後の対策を考えるのが議会の役割であり、市民から託された責任であり権限に他ならない。

 「何も出てこないかもしれないから調査する必要はない」などというのは、議会のすべての調査活動も監視機能も否定するに等しい。

 角田議員が「健康福祉委員会を開いて」と言うのだが、これはベテラン議員とも思えない、議会の手続きもルールも知らない人の言うことである。

 議会は一部の人によって勝手に恣意的な運営がされないように一定のルールの下に運営されている。

 定例会が閉会された後には、委員会はたとえ委員長や他の構成員が開きたいと思っても勝手に開くことはできないというルールはその一つである。

 たとえば定例会が閉会中の今、4月の時点で健康福祉委員会を開くには、2月議会の本会議で「閉会中に何々の案件について継続審査してよろしい」という手続きをとっておかなけれ
ばならないのだが、2月議会中には、この事件は執行部だけが知っていて議会には知らされていなかったので、その手続きを取りようもなかった。

 健康福祉委員会の委員が自主的に集まって相談することくらいはできるが、それは正式の委員会ではなく、ましてや何らかの権限を与えられての調査でもない、任意に集まって協議し
たというだけのことにしかならない。

 したがって市議会としてこの事件の正規の調査を行うためには、臨時議会を開いて、そこで特別委員会を設置して調査を進める以外の方法はない。

 調査を行う、そのための特別委員会を設置する、そのことを臨時議会(本会議)で決定しなければならないのだが、どうもこのルールがきちんと認識されていないらしい。

 結局、代表者会議で合意を得ることができなかったため、やむをえず、大地と新政議員団、共産党の3会派で臨時議会の召集請求手続きを行い、早期に臨時議会を開いて「特別委員会
の設置についての議案」を提出することになった。

 角田議員はまた、「調査しても何も出てこないとしたら、議会のパフォーマンスにしかならない」とも発言したのだが、市政の課題を調査しようとすることを“パフォーマンス”と誹
謗するなど、議会への侮辱と言って過言ではない。

 さて、「調査しても何も出てこない」「何を調査するのかわからない」「特別委員会の必要はない」と主張した公明党や改進の議員さんたちは、調査のための特別委員会に加わるだろ
うか、“どうせパフォーマンスだ”と言って加わらないだろうか。








2009年3月22日 (日)
すべてを市民に知らせよ



 合併説明会の会場で、説明会次第の他に2つの資料を配付している。

 一つはきれいな印刷の説明パンフレット「豊かな未来を創造する個性輝く文化田園都市を目指して」、もう一つは同じ標題で『資料編(新市における事務事業の取り扱い)』という8
0ページほどの冊子だ。

 3月1日の広報といっしょにきれいな方のパンフレットが全戸配布されたのだが、これはいつもながらのお役所文書らしく“きれいごと”しか書いてなくて、合併しなければすぐに破
綻するが、合併しさえすればバラ色の未来が約束されていると書いてある。

 政治不信、行政不信は根深いのを、田中市長はご存じないのかもしれぬが、説明会場での質疑でも数人から「負の部分も説明してほしい」という声があったとおり、今どき、こんなき
れいごとばかりのパンフレットを誰が信用するだろうか。

 当日配られた『資料編』には、主要な事務事業が合併によってどう変わるか、一つ一つの負担とサービスをどの水準に統一するのか、良くなるのか悪くなるのか、合併時に統一できな
いものはどうするのか、などなど、詳しく書いてあって、合併後の新市のイメージが割合とつかみやすい。

 こんなことを詳しく書いてあっても、字も小さいし、表も多いし、市民はおそらく読まないだろうから、全世帯に配るのはもったいない、市民向けには簡単に概要だけ知らせれば十分
だ、市長も行政のお役人たちも、そんなふうに考えたのかもしれない。

 政治はできるだけ多くの情報を市民に知らせる責任を負っており、その情報をどう受け取るか、どう読むか、考えるのは市民自身なのだということを忘れているのではないか。

 昨日の説明会に参加した市民の方から、「この『資料編』を今からでも全世帯に配布するべきではないか」というメールをいただいた。

 私も同感である。








生活圏と行政圏の一致とは何か



 合併説明会で、市長はもう一つおかしなことを言った。

         ------------------------------
 生活圏と行政圏が一致するのが望ましい。
 周辺の町の住民が久喜市に買い物に来ているので、久喜市の行政圏域をそれらの町まで広げる必要がある、というのである。
         ------------------------------

 しかしこの論理が正しくて、だから合併が必要だということになるとどういうことになるか。

 菖蒲や鷲宮や栗橋の住民が、たとえば久喜市内のヨーカドーやヤマダ電機に買い物に来ているのは事実である。

 しかしそれらの同じ住民が春日部市や、さいたま市や東京都内のデパートに買い物に行き、宮代町の東武動物公園に遊びに行き、菖蒲町民の半分くらいは毎日、桶川駅を利用して通勤
し、桶川駅周辺で買い物をしているのだ。

 一方、久喜の市民の生活圏が菖蒲や鷲宮や栗橋にあるだろうか。

 久喜の市民の生活圏も、やっぱり春日部市やさいたま市や東京方面に広がっているのではないか。

 生活圏と行政圏の一致というなら、鷲宮や栗橋町は久喜市と合併するのが望ましくて、久喜市は春日部やさいたま市に合併するのが望ましくて、さらには埼玉県全体が東京都に編入し
てもらった方がいいことになる???

 生活圏の拡大というのは近世から近代、戦後、高度成長期以降、商品経済の発達、交通網の発達に伴って急激に進んできたことであって、平成の大合併とは何の関係もなくて、単に合
併推進論者たちが自分たちの論理を合理化するために持ちだしてきたのに過ぎない。

 現代社会においては、生活圏は行政圏を越えて広がっていくのがあたりまえでないか。

 本来、生活圏と行政圏とを一致させる必要はなくて、周辺市町の行政的社会的資源を相互に連携して活用しつつ、市民の生活を豊かにしていく、それと同時にそれぞれの自治体の独自
の政治的価値観に基づいて独立した行政制度を築いていくことこそが望ましい。

 そのためには住民の合意を形成できるくらいの行政規模が望ましくて、その規模は歴史的地理的、歴史的背景によって異なるのであって、田中市長のように「30万人人口、面積10
0平方キロくらいが望ましい」などと機械的に言えるものではありえない。

 さて田中市長は、久喜市民の生活圏と行政圏を一致させるために、この際、宮代町と話し合っていっしょに春日部市に合併を申し入れるか、蓮田市などといっしょにさいたま市に合併
してもらおうと考えるか。

 それとも菖蒲や鷲宮や栗橋の住民の生活圏と行政圏を一致させてあげる)ために合併して、今よりも少しでも大きくなれば、それで田中市長は満足か。

 もっとも、菖蒲や鷲宮、栗橋の住民の生活圏といっても、時々ヨーカドーに買い物に来る人が多いというだけのことだから、それをもって生活圏と行政圏が一致することになるのかど
うか、保証の限りではない。

 ましてや私たち久喜市民にとっての生活圏と行政圏の拡大とは全然一致しないのだが。



2009年3月21日 (土)
だれが住民投票をやらないと決定したか(4)



 この期に及んで田中市長は責任逃れをはかるのか

 3月21日、朝10時から東公民館で開かれた合併に関する市民説明会に参加した。

 150席ほど用意されたイスに、参加者は100名。

 10時から開会して、市長が15分くらいあいさつしてから説明が40分くらい、質疑に入ったのは11時だった。

 相当の人数が質問するだろうという予想もあって、司会者が最初に「時間の関係上、質問は1人1問だけに限らせていただきます」とあらかじめ制限してから挙手を募ったのだが、実
際に発言したのは8人くらいで、11時50分には終わってしまった。

 あまり盛り上がっているという感じではなく、市民の関心自体が低いということだろうか。

 質疑をした人の中では、大半が合併に批判的な立場からの発言が多く、当局の説明があまりに合併のバラ色の未来を宣伝するものであったのに対して、「合併の負の側面もちゃんと言
ってほしい」という注文や、住民投票をやるべきではなかったかという質問もあったが、残念ながら市長はじめ当局がきちんと真正面から答えようとしていたとは思えなかった。

 市長の答の中で看過できない発言もあった。

 一つは、「郵送による住民意向調査の方法で行うことは12月24日、1市3町の首長会議で確認された」という発言。

 実は田中市長自身がその首長会議をリードする立場であり、責任を持つ立場であったのだが、彼はまるで自分には責任がない場で決められたかのように、他人事のように語るのだ。

 そして首長会議の直後に開かれた合併協議会で、田中市長は住民意向調査の方法について、すべての議題が終わって、「その他」で触れているのだが、会議録から当該部分を次に引用
する。

          --------------------------------------------
【田中暄二】以上をもちまして、本日予定しました議事等につきましてはすべて終了いたしました。

 次に、次第5、その他でございます。
 初めに、私のほうから1点ご報告をさせていただきます。

 ただいまの協議をもちまして合併協定項目の協議も限られた期間の中で、委員の皆様方の格別なるご理解とご協力によりまして、実質的な合併協議をすべて終了することができました

 委員の皆様には、ご労苦をおかけしまして心より感謝を申し上げる次第でございます。

 今後は、合併協議の内容を1市3町の住民の皆様に説明するため、各市町におきまして住民説明会を開催をしてまいります。その後、住民の皆様の合併の賛否を伺う意向確認を行って
いく予定となっております。

 この住民の意向確認の方法について、本日この合併協議会を開催する前に1市3町合併推進会議におきまして協議をした結果、1市3町それぞれが郵送による住民意向調査を行うとい
うことで意見が一致をいたしましたので、ご報告を申し上げます。

 今後も引き続き委員の皆様には、1市3町の合併実現に向けまして、格別なるご理解とご協力を賜りますようお願いを申し上げます。

 委員の皆様方からご意見、ご質問等ございますれば、お伺いいたします。

〔発言する人なし〕

【田中暄二】特にないようでございます。
          --------------------------------------------

 これだけである。

 合併協議会の場では、1市3町がそれぞれ郵送による住民意向調査を行うことになったということについて、田中市長が「報告」しただけで、市長はこれを会議にはかったわけでもな
く、賛否や決定や確認を求めることもしなかった。

 その場にいただれからも、意見も質疑も何もなかった。

 そもそも住民意向調査は各市町がそれぞれの住民に対する手続きとして実施することだから、1市3町合併協議会で協議して決定することでもない。

 最初から協議会の協議事項にも当日の議題にも含まれていないわけで、だから、田中市長は「報告」だけして、委員さんたちも意見や質問しても言いっぱなしになることはわかってい
たから誰も何も言う立場でもない、それでさっさと終わりにしたのであった。

 それなのに、田中市長が、住民投票をやらないことは、合併協議会で確認されたことでもあるかのように、あえて弁解じみたことを言い出すのはどういうことか。

 実は今日、田中市長はこうも言った。

          --------------------------------------------
 意向調査の方法については、19日の市議会最終日に、住民投票を求める請願が賛成少数で否決されたことでありますし、さらに住民投票の費用を計上した予算が可決されています。

 住民投票についてはご質問者のようにやれと言う人もいるしやるなと言う人もたくさんいます、いろいろな人がいます、と。
          --------------------------------------------

 つまり田中市長は、住民投票をやらないで、郵送による住民意向調査を行うことは、合併協議会で決定され、さらに市議会でも議員多数の意志で決定されたのであって、市長である自
分が決めたわけではない、住民投票をやるなと言うのは市長である自分だけの意志ではない、と言いたいらしい。

 私たち市民が政治家である市長に期待するのは、“この決断は自分の全責任で行ったものであって、自分はこれこれの理由で住民投票を行わないのだ”という政治家としての態度であ
る。

 この日の田中市長の発言からは、市長の追認機関と堕した合併協議会や議会、さらにまわりの人の意見に責任を預けて、唯一の決定権者であるみずからの責任をタナアゲにしようとす
る、責任逃れの姿勢しか浮かんでこない。



2009年3月12日 (木)
税金を使った交際費



 2009年度一般会計予算で、市長交際費252万円、議長交際費100万円、教育委員長交際費40万円が計上されている。

 久喜市や市議会、教育委員会を代表する立場で、いろいろな会合に呼ばれたときに、お祝いとか寸志、あるいは飲食が出るときなどは会費という形でお金を持っていく、また職員や行
政関係者の慶弔費(「御霊前」)にあてることが多い。

 久喜市と久喜市議会のホームページには市長・議長の交際費の使途が細かく掲載されているので、市民の方は時々はご覧いただきたい。

田中市長の交際費支出使途

市議会議長の交際費支出使途

 おかしな、首を傾げたくなるような支出もある。

 12月、1月は時節柄、忘年会、新年会が多くて、毎日のように新年会が続いているが、市長は最高でわずか1日で7つの新年会をはしごしていて、そのどこにも交際費から「会費」
という名目で「お祝い」5000円を持っていっている。

 私が聞いたこともない歌手(? 失礼!)のファンクラブの新年会とか、市民の趣味のサークルの新年会にもこまめに顔を出す、その努力はたいしたものだが、そこにも久喜市の名前
で市長交際費からお金(税金)を持っていくのはどうなのか。

 田中市長の個人のポケットから出すべきじゃないかとちょっといやみも言いたくなるが、田中市長は「市長」というあて先の案内状が来たら交際費から出すことにしているらしい。

 1月の交際費は78件、38万円の支出で、その内、新年会が66件、31万円が「会費」として支出されている。

 “1か月で66回の新年会!!”にはびっくりだが、この他にも、懇談会とか、新年にあわせて「総会」を開いているものもあるから、実際にはもっと多い。

 田中市長もよくこんなに体が続くと心配するが、顔を出して挨拶して、乾杯だけして帰ってしまうことも多いらしい。…それでも会費5000円。

 それでも久喜では全部の使途、支出の相手、会場の名前まで公開されているから、私たちはこれを確認することができるのだが、教育委員長の交際費の使途はこれまでホームページに
は掲載されてこなかった。

 3月11日の市議会建設文教委員会で、教育委員長の交際費の使途についても当然公開すべきであると質問し、執行部から、4月からホームページに掲載していくという答弁があった




2009年3月 9日 (月)
住民投票をやらないという決定(3)



合併協でも市議会でもそんな決定はしていない

 9日の午後から総務委員会で、「久喜市の合併の是非を問う住民投票条例の制定について」と、「1市3町の合併問題について住民投票の実施を求める請願」の審査が行われた。

 質疑の中で、住民投票に反対の立場の委員から、「郵送による住民意向調査をすることを合併協議会で決定した」という発言があったのだが、どうも、この件については、多くの議員
や(市民も)誤解しているらしい。

 実は、合併協議会で、「住民投票を実施しないで、郵送による住民意向調査を行う」と“決定”したことはない。

 12月24日の第8回合併協議会で、田中市長は次のように述べた。

 「住民意向確認の方法については、合併推進会議(首長会議)で協議した結果、各々が、郵送による住民意向調査を行うことで協議が一致した。」

 これはその日のすべての議題が終わった後で、「その他」の中で述べたことであって、これでよいかどうか会議にはかられることもなく、田中市長が首長会議で意見交換して首長たち
の考えが一致した旨を“報告”して、協議会の委員たちは“ただ聞いただけ”であった。

 だから、「住民投票を実施しないで、郵送による住民意向調査を行う」ことについて、これまでに合併協議会で“提案”されたこともなく、“決定”してもいない。

 そもそも各市町における住民意向確認は合併協議会でやることではなく、各市町の事務なのだから、合併協議会に諮ることではない、これは考えてみればあたりまえのことではないか


 しかし多くの議員は、「住民投票を実施しないで、郵送による住民意向調査を行う」ということが合併協議会で決定されたかのように錯覚し、『決定されたんだからこのままやってい
い』と思いこんでいるのである。

 さらに、住民の意向確認は各市町の事務であるが、しかしそれでは、「住民投票を実施しないで、郵送による住民意向調査を行う」と、田中久喜市長は久喜市議会に諮ったことがある
か、あるいは説明したことがあるか。

 議会で質問されて答えたことはある(はなはだ不十分で、かつ不誠実な答弁ではある)が、少なくとも田中市長がみずから説明したことも提案したこともなく、議会で決定したことも
ない。

 したがって、久喜市において今どういう状態か。

 行政事務執行の段階を正確に言えば、単に田中市長が「住民投票を実施しないで、郵送による住民意向調査を行う」と、いわば勝手に方針を決めて表明し、市長の権限で行政の事務と
準備を進めているのである。

 もちろん議会の多数が市長のその方針を黙認して支えているとはいえ、議会にきちんと説明もせず、諮りもしないで、今まさに田中市長の独断政治が進行しているといって過言ではな
い。

 今この時、議会が田中市長の独断政治をただ黙認し追認するだけでいいのか、問われているのは議会でもあると言えよう。




合併協議会の会議録はまだですか?



 合併協議会の会議経過で確認したいことがあって、合併協議会のホームページで探したのだが、11月26日の第7回合併協議会の会議録が最も新しいものであった。

 12月24日に開かれた第8回合併協議会の会議録は、現在(3月9日)まで2か月半近く経とうとしているのに、いまだにアップされないでいる。

 おかしいと思って市の合併推進室に問い合わせたところ、12月の会議録は2月4日には作成完了していて公文書館などで公開しているので、そちらで見ていただければと言われた。

 そうすると、2月4日には第8回の会議録ができあがっていたのに、それからさらに1か月以上たってもホームページにアップされていないということになる。

 合併協議も大詰めで事務が建て込んでいて忙しいというのは理由にならぬ。

 すべての事務事業は基本的に市民(住民)に公開で進めるというのは大原則であって、忙しいからしなくていい、あるいは後回しでいいということにはならぬ。

 たとえば、事務手続きを進めるのに、どんなに忙しくても部内の決済を省略はできない、議会の承認や決定が必要ならばそれを抜きにしたり、事後承認でいいということにはできない


 もしも事務手続きが遅れたとしたら、その承認を取った後にでなければ当該の事務手続きを進めるわけにはいかないのと同様に、どんなに忙しくても仕事の大前提として、事務事業も
会議録も市民がいつでも見られるようにしておくのがあたりまえではないか。

 一見、非能率に見えるけれども、すべては市民の監視の下に進めなければならないのが行政であって、それを省いたら、政治(注)と行政は市民の手を離れて独走してしまう恐れがあ
るからこそ、そうなっている。

 ところが実際には、行政の側には市民の監視の下に進めるという意識が薄いから、会議録が2か月以上たってもアップされない、できあがっていても1か月以上もアップしないという
ことになってしまっていたり、あるいは忙しいからという理由で後回しにされているのかもしれぬ。

 合併推進室から催促してもらって、その後に合併協議会事務局に電話したら、『すぐに、近日中にアップします』ということだったが、遅れた理由はよくわからなかった(別に、理由
などはないのだろう)。

 1月26日に第9回、2月24日に第10回が開かれているが、第10回の分は会議資料すらもアップされていない、ということは、現在はホームページから会議の議題すらも知るこ
とができない状態である。

 久喜市の場合、すべての政策審議機関は開催後1か月以内に会議録をホームページにアップするのが基本となっているので、2か月以上もアップしないなどということは信じられない


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(注) “政治” 主義主張の仮面を被った利害のぶつかり合い。私利私欲のためになされる公の行為。 【筒井版 ビアス「悪魔の辞典」より】



2009年3月 2日 (月)
住民投票はやらない(2)



「ダブルスタンダード」

 田中市長の答弁で、聞き逃せないことがもう一つある。

 5年前の幸手・鷲宮との合併協議の時には、田中市長は『賛成が多数になるだろう』と思ったから住民投票を行ったのだが、今回は『反対が多いかも知れない』という危惧があるから
住民投票をやらない。

 いわば田中市長の主観的判断で、その時どきの見込みや都合で、やるかやらないかを恣意的に決めてしまっているわけで、これでは政策の一貫性がまったくない、いわば政治家として
は恥ずべきダブルスタンダードと言うほかない。

 市長の政治姿勢そのものに関わる、私の質問に対して、田中市長は、
 「住民投票をやれと言う人もいる。やるなと言う人もいる。多くの人の意見を聞いて、自分で決定したものである」と答えた。

 どうも市長の発言意図がわからない、的はずれな答弁であるとは思うのだが、しかし田中市長が“ダブルスタンダード”だという自覚がまったくないらしいことはわかった。

 市長のまわりで、どんな人が『住民投票をやるな』と言っているのかは知らないが、少なくとも、市長にそう進言している人が市民の意見を尊重して市民の多数に依拠して市政を推進
していこうという立場でないことだけはわかる。

 まったく逆に、市民の多数が何と言おうが合併をやるべきだ、何が何でも合併を成就させるという絶対的な目的のためには、住民投票などはやるな、ということだろう。

 市長ご自身も5年前の住民投票で、合併反対が多数を占めて断念せざるを得なかったは、“住民投票をやったのが失敗だった”ととらえているからこそ、「今度は住民投票はやらない
」と決意したわけだ。

 だから、田中市長の思考方法からすれば、前回はやって今回はやらないのは“ダブルスタンダード”ではなくて、いわば前回の“失敗”に学んで今回は「やらない(こんりんざい、や
らない)」と学習したのである。

 しかしこの思考方法は、つきつめれば、市長が主観的に「正しいと思う」政策を掲げたら、市民の意見などに惑わされず、たとえ市民の多数が反対していても、強行するのが権力者の
権限だということにまで行き着く、住民自治とは正反対の思想であることに、田中市長は気付いているのか、いないのか。





2009年2月28日 (土)
市長は住民投票を棄てた(1)



 2月27日、一般質問で、合併に関する住民投票について質問した。

 すでに田中市長は、「合併を何としても成就させるためには、絶対に住民投票はしない」と決めて、他の3町の町長さんたちと約束して発表してしまっている。

 質問をしてみて、一つだけわかったことがある。

 市長は昨年ずっと、「1市3町の信頼関係が大切である」「首長会議で協議して決める」と言ってきた。

 その結果、最終的に12月24日の首長会議で「住民投票でなく、郵送による住民意向調査を行う」と合意したということになっている。

 問題は、田中市長が首長会議において、『住民投票をやるべきだ』あるいは『住民投票をやりたい』と主張したのか、あるいは住民投票の実施を提案したのか、しなかったのかである


 久喜市は自治基本条例を持っていて、第23条で「市長は、市政に関し住民の意向を聴くべき重要な案件が生じたときは、住民投票を実施することができる」と規定している。

 したがって、久喜市自治基本条例を遵守する立場に立てば、住民投票をして市民の意志に従う以外にないのであって、久喜市長である田中市長は、それを1市3町の首長会議に、みず
からの意志として表明しなければならない立場にある。

 田中市長が、久喜市長としての責任を果たしたのかどうか、確認したいと思って、何度も何度も聞いたのだが、市長は「自治基本条例の趣旨を踏まえ、市民意志の把握については市民
参加の観点から実施していくことが重要であると言った」「久喜市自治基本条例に住民投票が規定されているという話をした」などと、どうしても住民投票の実施を主張したかどうかを
言わない、あいまいな答弁を続けた。

 さらに、「住民投票をやれと言う人もいる、やるなと言う人もいる。多くの人の意見を聞いて決定した」とも言う。

 もしかしたら、田中市長は始めから住民投票をやらないと決めていて、首長会議の場でも、本当はみずから住民投票をやらない立場で臨んでいたのではないか。

 さらにしつこく質問を続けて、やっと田中市長の口から「首長会議の場で、住民投票をすべき立場であると申し上げた」という答弁があったのだが、これは何を意味するか。

 田中市長はまた、「他の首長からは『久喜市民が1年かけて自治基本条例を作ったと言っても、(3町の)町民は誰も参加していない』と言われた」とも述べている。

 つまりはこういうことになる、

 首長会議の場で、田中市長自身は「久喜市長として住民投票をすべき立場にある」と言った。
 しかし他の3町の町長さんたちは「久喜市自治基本条例は他の町には関係ないから住民投票は必要ない」と言って住民投票に反対した。
 それで田中市長も、久喜市においても住民投票をやらないことに同意した。

 田中市長は、久喜市が自治基本条例(住民投票の規定)を持っているにもかかわらず、住民投票の規定を持たない他町に引きずられて、自治基本条例の規定を貫き通すことができず、
住民投票を放棄した。

 田中市長は「住民投票をすべき立場にある」とは言ったとしているものの、「住民投票をやるべきだ」とか「やりたい」とまで主張したわけでもなく、「合併を何としても成就させる
ために」住民投票を捨てることに同意した。

 田中市長はこんりんざい、住民投票を語る資格はない。





2009年2月24日 (火)
参考人の招致をしないことになった



 市議会に、「合併の是非に関する住民投票の実施を求める請願」が2つの団体から2件提出されて、総務委員会に付託して審議することになっている。

 総務委員会で請願を審議するに際して、大地の川辺議員と共産党の木村議員が請願者を「参考人」として招致するよう求めて委員長に申し入れた。

 住民投票を求めている市民の切実な生の声を直接聞くべきであるということももちろんあるが、議会は、執行部と議員だけの、あるいは議員だけの閉ざされた空間で、“内輪”だけの
やりとり、質疑や議論だけでものごとを判断し決定してしまうのでなく、さまざまな形で市民の声を直接に反映できるような場を作っていくことが大切だと思っている。

 参考人の招致については久喜市議会活性化対策特別委員会でも議論して、「参考人制度の活用を進める」と合意形成してきたことも踏まえれば、私たちはこうした請願や陳情などの審
査を行うにあたって、私たち自身が積極的に地方自治法に規定された諸制度を活用していく姿勢こそが求められているのだと思う。

 久喜市議会ではこれまで参考人制度を活用することはあまりなかったのだが、昨年、議会活性化対策特別委員会で陳情代表者を委員会に招致して意見陳述をしてもらった例はある。

 2月22日に開かれた総務委員会で、川辺、木村、鈴木(市政)の3人が請願者を参考人として招致するよう求めたのに対して、新政議員団の岡崎、園部、公明党の岡崎議員が「必要
ない」と主張した。

 「必要ない」という理由は、「請願の内容は請願書に尽くされており、読めばわかる」「請願書の紹介議員が説明すればいいので、参考人の意見は聞く必要はない」などというもので
あった。

 しかし本来、紹介議員は請願書の趣旨の説明はできるが自分の意見を述べることはできないとされているのに対して、参考人はその意見を述べてもらうために招致するのである。

 請願書の趣旨を請願者当人から直接に述べてもらうことこそが参考人制度の意義であって、それを紹介議員の説明に代えることはできないはずである。

 残念ながら参考人制度の意味についての理解の違いもあって、議論はかみ合わないまま、最後に委員長の井上議員(改進)が「委員長として、参考人を呼ばないことにする」と決定し
て、今回は委員長の判断で参考人の招致はしないこととされてしまった。

 昨年、私たちは活性化委員会で時間をかけて議会審議の充実や市民参加の推進を話し合ってきたのであったが、議員1人1人がその活性化の精神を議会運営に生かしていこうという姿
勢を発揮していかなければ活性化は進まないものだ。

 特に今回のような委員会の運営をどのように進めるか、委員会運営において活性化をいかに進めるかの権限は、本来は委員長にあって、委員長は委員会の運営に関して全責任を負って
いる。

 だから、委員会審査を深めるために参考人を招致するか否か、請願者を参考人として呼んで意見を求めることが必要か否かの判断をするのは委員長の権限以外にないのであって、参考
人の招致は委員長の権限と責任を発揮して決定すべきであったはずだ。

 今回は残念ながら、井上委員長がその権限と責任を前向きに積極的に発揮することもなく、ただ後ろ向きの事なかれ主義、今までと同じように大勢にしたがっていれば間違いないだろ
うという現状維持の官僚主義に流されてしまったわけだ。



2009年2月20日 (金)
憲法改正国民投票の準備事業予算



 2009年度の市町村予算に、憲法改正の「国民投票準備事業」のための経費が盛り込まれているという情報が入って、予算書をひっくり返したが見つからない。

 どこに載ってるのかと思ったら、2009年度一般会計予算の中の、
選挙管理委員会費
選挙管理委員会業務経費
委託料
「電算業務」として463万円が計上されているのだという。

 財政課に確認してやっとこれが、
「既存住民情報システム改修」「期日前投票管理システム改修」という費用で、
憲法改正の国民投票準備のための名簿管理システム改修費用だとわかった。

 歳入では、
国庫支出金
委託金
総務費委託金
選挙費委託金
「投票人名簿システム構築交付金」として、かかる経費の全額463万円が下りてくることになっているんだという。

 国の補助金(委託金)にも、名目上は「国民投票のための経費」だとは記されていないらしい。

 それでも他市町では、予算説明欄に「国民投票人名簿調整システム構築委託料」などと明記して予算の目的をはっきりと明示しているのだが、久喜市はなぜ「電算業務」としか書いて
ないのか。

 政治的立場で、賛成反対はいろいろあるだろうが、何のための経費かくらいは、明らかにしておいてくれないと判断のしようがないと思うのだが、隠されるのがいちばん困る。

 財政課で、「久喜では隠しているんですか」って聞いてみたんだが、課長は苦笑いしていた…。

 なお、国の2009年度予算では、「日本国憲法の改正手続に関する法律」が2010年5月に施行されるに伴い、国民投票の施行の準備に必要な経費として、国民投票制度準備等関
係経費 46億円が計上されているという。



政務調査費審査委員会



 2月20日、「久喜市議会政務調査費審査委員会」が開かれた。

 市議会の政務調査費は年4回に分けて交付され、報告書も四半期ごとに提出しなければならないことになっていて、この日の審査対象は第3期分・昨年の10月から12月分までの使
途についてである。

 審査委員会は各会派から1名ずつの6名で構成されており、各会派からの使途報告書、領収書等の添付書類をすべてチェックして、不適当な支出がないか、間違いがないか、おかしな
点があれば各会派に差し戻してただしてもらい、議長に報告することになっている。

 この日、審査・協議の対象になった一つの問題は−−

 昨年11月25日に、それまでの無会派だった松村、鈴木精一、鈴木松蔵の3名が新会派「市政」を結成した。

 久喜市議会の政務調査費は会派に対して交付するのが原則なので、無会派の場合は構成員1人で政務調査費の交付を受けるための「会派」を作って届け出ることになっている。

 松村氏の会派は「風」、鈴木精一氏は「さきがけ」、鈴木松蔵氏は「自民党」という政務調査費管理団体を名乗ってきていた。

 新会派「市政」が発足した時点で、3人それぞれの政務調査費管理団体としての1人会派は解散したわけで、当然のことながらそれぞれの「解散届」が提出されたのだが、解散年月日
が「さきがけ」と「自民党」は11月25日、「風」の解散日が11月30日となっていたことから話がややこしくなった。

 しかも松村氏は「風」の会派として、11月26日に政務調査費(3件12,640円)の支出をしていて、その領収書を添付してきていた。

 そうすると松村氏は11月25日から30日までの5日間、2つの「会派」に所属していて、「市政」発足後にも「風」の名前で政務調査費を使っていたことになるのだが、こんなこ
とが認められるわけはない。

 審査会で協議した結果、次のように合意した。

(1)松村氏の「風」の解散年月日「11月30日」の記載は誤りと思われるので、新会派「市政」結成の「11月25日」に訂正を求める。
(2)したがって11月25日以降の「風」の政務調査費の支出は認められないので、26日の3件の支出は不適当であり、松村氏に対して、使途報告書の訂正と12,640円の返還
を求める。

 久喜市議会は、政務調査費をみずからチェックして不適当な支出を排除する仕組みを作っているが、もしもこの審査会での指摘がなかったらどうなっていただろう。

 もしも松村氏が、「解散届」の解散年月日の日付を本当の解散日より後に意図的にずらして記載(こういう記載を『改竄』と言うんだと思う)して、解散後の政務調査費の支出を合理
化して返還を免れようとしたのだとしたら、それは市民の税金を私しようとする行為になるのだが、なぜこんなことをしたのだろう。



2009年2月15日 (日)
学者先生の語る定額給付金



14日、15日の2日間の自治体議員政策研修会で、研修の主要なテーマは2009年度国家予算と地方財政だから、5人の講師の内、3人までが「定額給付金」に触れた。

 景気の急激な後退の中で、政府の緊急経済対策がどのような効果を期待され、どのような効果に結びつくか、触れざるを得ないのは当然ではある。

 ただ、200人以上の参加者のほとんどは全国の地方議員であり、いろんな政党や立場があるだろうから、講師も「定額給付金」についてストレートには言いにくい、いや、言いにく
いというよりも、学者は政策立案者でもない、執行者でもない、という意味では当事者ではないのだから、「こういう見方がある」「こういう考え方がある」というような、批判的検討
を提示するのが“学問的姿勢”であるだろう。

 1人の講師は、08年度第2次補正予算案や09年度当初予算案に盛り込まれた景気対策についてその効果を発揮するのは困難であるとの見方を示した上で、定額給付金についても批
判的検討をしてみせてくれた。

 定額給付金が「1回限りの定額給付金を配分する一方で、数年後にはもっぱら国民が負担し、企業が負担を免れる消費税の引き上げが予定されていて、将来の生活不安が高まる中では
、1回限りの給付金は個人消費回復の牽引役とはならないのではないか」

 「アメリカでは08年5月から1人あたり最大6万円程度の小切手が送られたが7割は貯金と借金返済に使われ、残りは消費拡大の効果も翌月には小売り販売の伸び率低下として薄れ
た」と、外国の例を引いてもくれた。

 別の講師は、それとは対照的に、「定額給付金」をストレートに擁護してみせた。

 「麻生内閣は最初は、家計消費拡大のための定額減税を考えたが、それ全部の家庭に行き渡らないので、『臨時給付金』になりました。
 臨時給付金ははなはだ評判が悪いんですが、他に配る方法がありますか。
 2兆円を他の何に使うか、国民の合意は作れないでしょう。
 福祉のためとか、保育園とか、他の目的に使えという人たちはいるけれど、2兆円を4000万円ずつ分けて使うことにしたって、1年だけで終わってしまうんじゃ仕方がない。だか
ら『臨時給付金』でいいんです」

 ちょっと待ってよ。
 他の方法ではまとまらないからこれでいいんだって、ものすごく乱暴な擁護論にはビックリした。

 この先生、どうしても定額給付金という言葉が出てこないらしくて、ずっと『臨時給付金』と言っていたのはご愛敬か。

 先生の話に気をよくしたか、大阪のある市の議員さんが手を挙げて、「自分は公明党の議員だが、地域で評判が悪いなんてことはありません。自分のまわりには待ってる人がたくさん
います」と自画自賛してみせたのだが、会場のあちこちから失笑が漏れた。

 先生これでますます調子に乗って、今度は、「実は私は、『臨時給付金』が法定受託事務だと思いこんでいたんです」と、学者らしからぬことを言いだしたが、これはもう放言の類で
あろう。

 定額給付金が国の事業としての「法定受託事務」でなくて、自治体の固有の事業である「自治事務」として位置づけられて、国は市町村に補助金を出すという形で実施される。
 このことについては、昨年の内に大いに議論になっていたし、国会でもマスコミでもその是非が論じられていたのだったが、その経過もまったく知らないらしいというのは、どういう
こと? 学者としては恥だろう。

 あげくに、「『臨時給付金』は個人単位に配ることになっているけれども、世帯単位に配れば事務的にも簡単なのに、国民総背番号制がないからそれができない」なんて言いだしたの
だが、定額給付金は個人単位にではなくて、世帯単位に配ることになっているのだから、まったく間違って理解していることをみずから暴露してしまった。

 会場は少しざわついたが、この先生の間違いを指摘してあげる人はもうだれもいなかった。

 人には誰でも間違うことはあるだろうし、思いこみってこともあるんだが、わからないことや知らないことを知ったふりして、しかも上から教えてやるみたいな態度でしゃべるってい
うのがいちばんいけない。

 私も気をつけようと思った次第。



自治体議員の研修会



 2月14日、15日と、自治体議会政策学会が主催する研修会に参加した。

 「自治体政策特別講座」と銘打って毎年開かれていて、今年の会場は代々木で、比較的近いので申し込んだ。

 テーマは「政界的不況と自治体財政ー予算審議で問われる議会の責務ー」、第1講義「財政健全化法におけるチェックポイントと財政運営」、第2講義「農業政策の終焉と自治体の役
割ー農業と地方財政」、第3講義「地方財政改革をどう進めるか」、第4講義「政府の地方財政対策と2009年度予算書の読み方ポイント」、第5講義「地方債の動向と自治体財政ー
地方経済対策、地域金融」となっていてプログラムは非常に密度が濃い。

 私たち現場の地方議員にとって、国の予算の解説とか、地方財政の分析方法などは比較的弱い分野だから、こういう研修会にはできるだけ参加して勉強するようにしている。

 今回も、2日間にわたる講義のいくつかから、いま現に進んでいる景気の急激な後退局面の見通し、それを踏まえて国の2009年度予算をどう見るか、特に地方財政計画の特徴につ
いて、勉強になったし、久喜市の2009年度予算をどのような角度からどうチェックしたらいいか、示唆を得ることができた。

 もっとも、いろいろな研修会に参加するのだが、残念ながら内容に満足できる研修会ばかりではない。

 この2日間の研修でも、正直なところ、ざっと表面を撫でただけのような講義や、時間の関係もあってか、地方財政で当面している課題にまで話がいかないで終わってしまったり、期
待はずれの講義もあったりした。

 制度や現状のだらだらした説明を並べただけで、「政策」的な視点のない話はつまらない、時間のムダ、お金のムダとさえ感じさせる。

 2日間の研修会の参加費は3万5000円で高い。

 こうした費用はとても議員報酬だけではまかなえなくて政務調査費を充てるしかないのだが、2008年度に交付された政務調査費24万に対して、私はこれまですでに30万円くら
いは使っているので、差額6万円以上は自己負担していることになる。

 政務調査費が月額10万とか20万も出ている自治体議会ならともかく(県議会は月額50万)、久喜市議会のように月額2万円、年間24万円しか出ないところでは、3万5000
円という負担はいかにも重い。

 なお、主催者によると、この研修会の参加者は247名だそうで、そうすると1人35000円として700万円以上の収入が主催者に入ったことになるのだが、そのわりに講義は狭
い会場にびっしり詰め込まれて行われていたし、講師5名の費用や資料代はいくらなのだろう、やっぱり参加費が高すぎるのではないだろうかと、そっちの方が気になってしまった。



2009年2月 7日 (土)
定額給付金とプレミアム付き商品券



 麻生内閣が「定額給付金」を全国民・全世帯に支給しようとしていることについては、そもそもの政策の趣旨が不明確で、景気低迷下の「生活支援」なんだか「経済対策」なんだか位
置付けも不明確なまま強行されようとしている。

 景気刺激策としての効果も期待できないから、この苦しい国家財政からの2兆円のバラマキは“世紀の愚作”“天下のムダ遣い”に終わるのは目に見えている。

 政府に2兆円の自由に使える金があるのなら、ただばらまいて「パーッと使ってもらう」のでなく、学校耐震化の促進や医療や子育て支援、高齢者福祉、障害者の自立支援政策に使っ
てほしいと思う。

 パーッと使ってしまって今年だけでなくなってしまうのでなく、将来に向けて形に残るような政策に使うべきだ。

 公明党と自民党による選挙目当ての壮大な買収工作は失敗に終わるであろう。

 しかし政府が定額給付金を実施する以上、その実務を行わなければならない自治体としては、少しでも地元で消費してもらって「景気刺激」効果を発揮されるようにと努力することに
なる。

 あちこちの自治体にならって、久喜市も地元商店街で使ってもらうために、「プレミアム商品券」を発行する方針を決めたという。

 久喜市が発行するプレミアム商品券は、500円券22枚綴り(1セット11000円分)を1万円で販売する、ということは1セット1万円の商品券を買えば1000円分得をする
計算になる。

 それを25000セット発行する予定で、商品券総額は2億5000万円+プレミアム分2500万円となるが、その2500万円は、定額給付金支給に関わって国から交付される臨
時交付金3000万円の中から負担する。(残りの500万円は発行経費だという)。

 ただ、商品券が市内の大型店でみんな使われてしまっては地元商店街の活性化にならないということで、職員が頭をしぼった策はこうだ。

 1セット1万円の半分の5000円は市内のどこの店でも使えるが、残りの5000円分は大型店を除いた地元商店街でしか使えないという条件を付けることにしたらいいんじゃない
か。

 そうすれば商品券の額面2億7500万円の内、1億3750万円は地元商店街で使われるんじゃないか。

 問題は、市民が定額給付金を消費にあてるかどうかである。

 現金で支給されれば通常の生活費の支出に加えて「パーッと使っちまおう」という動機付けになるかもしれないが、今度の給付金は基本的には銀行口座に振り込まれることになるから
、市民が通常の生活費以上にわざわざ定額給付金を銀行から引き出して消費にあてるとは考えられない。

 今後の景気も生活もますます悪くなることが予想されているから、普通の市民は通常の生活費でさえ切りつめている。

 だからほとんどの人は定額給付金が振り込まれたからといって余分におろすことはせず、銀行口座にそのまま積んだままにしておくのではないか。

 私の家もたぶんそうするだろう。

 まあ、子どもの分の2万円くらいは(子どもたちは自分に支給されると思いこんでいるようだ)特別に使うかもしれないが…。

 1万円に月1000円のプレミアムが効果を上げて商品券25000セットが全部売れたとして、そして思惑通り、半分は地元商店街で消費されたとしよう。

 それでも、そのほとんどは通常の生活費の支出にあてられてしまうのではないか、消費を増やすことにはならないのではないか、という悲観的な観測を、私などはしてしまうのだがど
うだろうか。




2009年2月 2日 (月著作権侵害損害賠償請求事件



 1月29日に市議会全員協議会が開かれ、市長から2つの「事件」の経過について報告された。

 一つ目の、学童保育・久喜児童クラブに関わる国・県の補助金返還請求問題についてはホームページに書いたが、久喜市として実施してきた学童保育事業で、運営と経理の不透明につ
いて結果的に放置してきた久喜市の行政責任を認めざるをえない。

 もう一つは、田中市長が「著作権侵害損害賠償請求事件」で提訴された問題である。

 全員協議会における田中市長の説明、S氏の事件を掲載したホームページ(弁護士が作成した)によると、概略は次の通りである。

          -----------------------------

 田中市長は昨年5月まで久喜市観光協会会長の職にあったのだが、観光協会が平成18年に提灯祭のパンフレットを作成するために、市内のS氏に写真撮影を依頼した。
 その写真をJTBの観光パンフレットやNHKの地域伝統芸能まつりのパンフレットに無断で提供・使用させて、S氏の著作権を侵害した。
 S氏がそのことを指摘したのに対して、「著作権は観光協会にある」として適切な対応を取らなかったこと、S氏に対して暴行や脅迫行為があったことなどから、田中市長他2名に対
して450万円の損害賠償請求がなされたというものである。

          -----------------------------

 市長の説明とS氏の訴えで、食い違っている点がいくつかあるようだ。

 それと、訴状を読む限り、S氏にとっては著作権侵害による「損害」そのものよりも、観光協会、市担当課、その他の関係者からの対応によってS氏の人格が踏みにじられたと感じて
いることの方が問題であるように思えるのであるが、どうだろう。

 訴状ではまた、この裁判は「普遍的な「個人の尊厳」の理念でもってこれを問い直し、是正しようとする人権裁判である」と位置づけているのであるが、こうした人の思いが、裁判で
はどのように扱われるのだろうか。

         ------------------------------------

当該事件について、弁護士が作成したホームページへのリンク

「訴状」も掲載されていて、実際に読んでみると、何が問題になっているのかがよく理解できよう。

         ------------------------------------







2009年1月20日 (火)
医療体制等推進協議会が解散



 19日の午後、市役所で「久喜市医療体制等推進協議会」の会議が開かれた。

 久喜総合病院開設に向けて、地域の病病連携(病院間の連携)、病診連携(病院と診療所の連携)など必要な体制について協議するために、JA厚生連、医師会、行政(総務部長、担
当課長)、市民「有志」などが「自主的に」集まって、昨年3月に発足して、今回が2回目の会議であった。

 「有志」が「自主的に」集まったという意味は、行政が設置したのではなくて、どこが呼びかけたのか、市民「有志」をどのように選出したのかもわからない、何をやるのかもよくわ
からない会議だからだ。

 実際、この協議会の規約には「協議会の庶務は、埼玉県厚生農業協同組合連合会幸手総合病院、久喜市総務部企画政策課及び健康福祉部保健センターにおいて処理する」となっていて
、事務局があって何らかの審議事項があって結論を得るための会議ではないらしい。

 議会でも「いったい何のための会議か」と話題になったことはあったが、久喜総合病院がJAのいわば民間病院であることから、その運営方針に行政が直接介入することはできないと
いう判断で、「自主的」な協議会としたらしかった。

 しかし病院建設には久喜市から35億円もの補助金を直接に支出するのであって、市行政が運営に参加できないというのはかえって理解できない。
 むしろ、直接にか間接的にか、何らかの形で運営に参画できる体制を作っていくべきではないか。

 昨年3月の第1回会議の議題は「規約」についてと会長の選出、協議会の趣旨についての若干のやりとりと意見交換だけで終わっていた。

 今回の第2回会議は、「埼玉県地域保健医療計画」について県の医療整備課から説明を受けた後、久喜総合病院の診療体制、特に医師の確保の進展状況について幸手総合病院の伊坂院
長から簡単な報告があったという。

 「あったという」と書いたのは、私は他の用事があって3時少し前に傍聴に入ったのだが、その時はもう閉会寸前で、協議会の内容は最初から傍聴していた矢野議員から聞いた。

  矢野議員のブログに詳しく記載されているので参照されたい。

 傍聴席についた私の耳に「それではこれでこの協議会は解散となります」という声が聞こえてきたので、「エッ。閉会じゃなくて解散? 聞き間違いか」と思ったのだが、確認すると
、確かに協議会そのものの解散だという。

 協議会規約には「委員の任期は2年」とあって、第1回の会議ではこの協議会は「JA埼玉県厚生連と締結した協定書の中で、開院前後、運営協議会を設置することになっているので
、その運営協議会設立まで」継続すると説明されていたのだが、結局、特に協議するべき内容もなく、成果を生むこともなく、この日で協議会は解散となった。

 発足して10か月、わずか2回の会議で解散になったというのも、久喜総合病院との関係や地域医療体制の整備についてどのように関わっていくかについて、久喜市行政の方針が定ま
っていないことに問題があるのではないか。

 2011年に予定している病院のオープンまでに、病院の体制確立、地域の連携、行政のかかわり方など課題は大きい。

 4月以降に、別の審議機関を立ち上げることになっているらしいのだが、いずれにしろ、38億円の補助金を支出して開設される久喜総合病院の運営や、地域医療体制のあり方につい
て、久喜市が当事者として直接に参画していく方針を確立することが大前提であろう。

  昨年4月の第1回協議会の委員名簿、規約、会議録はこちら。






2009年1月19日 (月)
菖蒲町長は「再議」手続きをとった



 13日に菖蒲町議会で、合併に関わる住民の意思を等「住民投票条例」が可決されたことはすでに書いた。

 町議会の議決直後から菖蒲町長は、それでも議会の多数の意志を無視して、なおかつ区長会の半数を超える「区長有志」の意向をも無視して、「住民投票はやらない」方針を打ち出し
ていたのだが、15日、町長は議会に対して「再議」の手続きを取った。

 「再議」とは、地方自治法第176条で規定された首長の「拒否権」とも言えるもので、議会が行った条例制定などに関する議決に異議がある場合、再度の審議と議決を求めることが
できることになっている。
 議会側があらためて議決する場合には3分の2以上の賛成がなければ当初の過半数での議決は無効となってしまう。
 首長が議会の過半数の議決をもひっくり返すことができるわけで、住民の意思、議会の意志をも無視して権力を行使することができる、いわば地方自治における民主主義の“禁じ手”
とも言えるものである。

 今回、菖蒲町長はこの“禁じ手”を行使した。
 何が何でも合併を進めるために、1市3町の首長との『住民投票はやらないでおこう』という約束を住民の意思よりも上に置くことを宣言したに他ならない。

 田中久喜市長も同じ考えに立って、住民投票をやらない固い決意を表明しているのだが、久喜市の場合は住民投票を定めた「久喜市自治基本条例」にすら背反するのだから、菖蒲町長
よりももっと罪は深い。

 菖蒲町議会は23日、午前9時から開かれる。



2009年1月14日 (水)
菖蒲町議会傍聴記…住民投票条例を可決



 13日、菖蒲町議会で「合併の是非を問う住民投票条例」の審議が行われるので傍聴に行ってきた。

 すでに1市3町の首長会議で「合併についての住民の意思確認は意向調査の方法で行う。住民投票は行わない」と確認されたことが報告されたのに対して、菖蒲町議会12名の内の6
名が、住民投票条例制定のための臨時議会の開催を求めて開かれた。

 25の傍聴席はすぐに満席となり、パイプイスを出して30数人が傍聴に訪れていたが、その中には久喜の議員が5人、それ以外にも菖蒲町以外の住民も多数いたようだ。

 昨年11月には菖蒲町の34名の区長の内28名が署名して「住民投票の実施を求める」意見書を提出しており、6名の議員は「住民の意向を大切にすべき」という考えから住民投票
の実施を求めている。

 区長「有志」の意見書も、6名の議員の行動も至極当然のことではあったと思うのだが、議会はもめた。

 最初に議長が「大事な問題なので回数制限なし」で行うと宣言した。

 本来なら議会の議案はすべて「大事な問題」なのだから、普段からすべての議案について質疑は疑義がある限り、また質疑答弁をかみ合わせるためには回数制限を設けずに行うのが理
想である。

 しかし議員間で意見が対立するこの問題に関してだけ回数制限なしというのは、一方の立場の議員が延々と質疑を繰り返し、引き延ばしできるということを意味する。

 実際、この日も、住民投票に反対する議員が、条例の中身についての質疑を超えて、合併に賛成か反対かを質問したり、議案の提案者以外の賛成の5人の議員1人1人に質疑したり、
果ては休憩休憩の連続、休憩中に質疑をしてみたり議案から離れて長々と演説を始める議員もいて、どこまで続くかとさえ思われた。

 議長の采配、議会運営のルール…、いったいどうなってるの(?)というのが率直な感想ではあった。

 住民投票に反対する議員からの質疑で聞き逃せない発言もあった。

 「住民投票は合併が破綻するリスクが高いから、こんな時期に住民投票するべきでない」
 「住民投票はイコール反対運動である。住民投票をするということは合併をさせたくないということか」
 「運動を自由にするべきでない。前回はビラ合戦になって、私も出したが住民が惑わされた」

 住民投票はイコール合併反対運動だなどというのは暴論というしかないが、逆にこの議員は、住民投票をやったら「反対」が多いんだから、合併を成功させるためには住民投票を行わ
ない方がいいという意見を正直に述べたわけだ。

 住民の反対があっても無視しろ、住民投票という自由な意思表明の機会そのものを必要ない、住民の意思に関係なく、町長と議会の判断だけで合併を決めた方がいいという、あまりに
も率直な住民蔑視の発言でないか。

 菖蒲町の町内事情はよくわからないのだが、どうやら、この議員は前回の蓮田、白岡、菖蒲の合併協議の際は「反対」の立場で、住民投票で反対運動を盛んにやって、その時は自分も
「合併反対」のビラを出して住民を惑わしたから、今回は久喜、鷲宮、栗橋、菖蒲の合併賛成派になったので住民投票をいらないと言っているらしかった。

 私は午前中で帰ってきたが、議会は夕刻までかかって結局、住民投票条例を賛成6、反対5で可決した。

 しかしそれでも町長は、「納得できないので、条例案の再議も含めて、対応を検討する」と述べたそうで、住民投票はやらないという強硬姿勢を崩さないという。

 合併を成功させるためには、住民投票で住民の意思を問うことはしない、議会の決定にも従わないという、町長の行動は政治権力の独走、暴走、“独裁”に近くないか。

 議会の中にも町長の独走、暴走を容認する人たちがいるとしたら、町長は安心して“議会の意志”を無視して独走することができる。



2009年1月 9日 (金)
緊急の臨時雇用対策は「やったふり」?



 昨年12月、大企業に解雇された非正社員らを、大分県杵築市や大分市が臨時職員として緊急雇用する対策を打ち出したのに対して、上田清司埼玉県知事が12月17日、「(役所の
臨時雇用は)対策をやってますよという、やったふりだ。急にやらせたって教えることが多くて仕事にならない」と批判したと報道された。

 「何百何千人が路頭に迷った中で、1人を何カ月か市役所で雇うという話でしょう。それで多くの人が救われるという錯覚を起こすのは迷惑」と批判したというのだが、はたしてそう
か。

 多くの非正規雇用労働者、派遣労働者が職と家を同時に失って放り出され、路上生活を余儀なくされている非常事態に対して、たとえ6か月でも3か月でも当面の仕事とすむ場所を提
供することによって、次の生活へのステップとすることができる。

 たとえそれぞれの自治体は数十人規模であっても、たくさんの自治体が取り組んでいけば、多くの人を救うことができるはずではないか。

 いわば自然災害の被災者を救済するのと同様に、人災=企業災害の被災者を救済する取り組みを、上田知事は「効果がない」かのように批判するのはなぜか。

 政治はそもそも、1人1人の人間のいのちを大事にすることから出発しなければならないと考えるのだが、上田知事にとっては1人の人間のいのちよりも全体の経済が大事なのか。

 上田知事は、埼玉県の対策として、「森林の間伐作業への就業あっせんなど」を検討しているとも言っているのだが、それこそ、派遣切りにあった労働者ができる仕事だとは思えない


 なお、今年に入って、上田知事は埼玉県の雇用対策として、県の公共事業を増やすことを打ち出したが、中長期的な景気対策としての効果はともかく、現に路頭に迷っている人の救済
には直接には結びつかないのではないか。

 県内でも今年に入って、さいたま市が100人、行田市が16人と、臨時職員の緊急雇用を打ち出している。

 上田知事は、こういう県内自治体の“いのち”を救うための取り組みも「やったふり」で「効果がない」と切り捨てるか。

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 久喜市は市内企業の雇用状況を調査した上で、今後の対策を検討するという、まわりの自治体の状況を見ながら、いささか消極的な姿勢でいるのだが、上田知事の見解によってブレー
キをかけられたのでなければ幸いである。

【久喜市の状況→いのまた和雄のホームページ】