葉山の散歩道(9) ー上山口@ー          12,03,23

   上山口は三浦半島を横切って葉山から横須賀・衣笠に抜ける山道沿いの山村だから、海岸地区のよう
  な風光明媚な華やかさはないが、緑豊かな木々や段々畑や棚田などのどかな風情を醸し出していて、都
  会ではめったにお目にかかれない失われてしまった田園風景が今も残っている。この地域は平成21年
  度の朝日新聞創刊130年記念行事の一環として行われた「にほんの里100選」に選定された里の一つ
  で、特に「水田」「湧水」「里山」が評価されたようである。
   この地は葉山の奥座敷と呼ばれるだけあって、散歩コースには事欠かなく、どのコースでも古い屋敷や
  里山風景や豊富な史跡を楽しむことができる。ぽかぽか陽気の3月中旬、文化財研究会の企画で約3時
  間の上山口散策をした。病後なので休みやすみの参加にした。では上山口を案内しよう。

   1、新善光寺(再掲)
    逗子駅から御用邸に至るいわゆる行幸道路を進んで、途中で左折して衣笠方面に行くと新善光寺が
   ある。浄土宗、創建は弘治2年(1556)だが、建仁年代(1201〜03)に頼朝の妻政子が信州善光寺如来
   を写し取り、鎌倉の名越で信仰し、その後に新善光寺として当地に創建したと伝えられている由緒ある
   寺である。浄土宗寺院なのに本堂内陣は室町期の禅宗様式と伝えられる貴重な建物である。
   唐風の四脚門、本堂、厨子は県重文指定、阿弥陀三尊は善光寺風の造りで町重要文化財にそれぞれ
   指定されている。ここから上山口の散歩コースがスタートする。

   2、唐木作の庚申塔
    新善光寺の前の県道27号線を隔てて唐木作の庚申塔がある。寛文12年(1672)造立。帝釈天塔なの
   に青面金剛を刻んだ塔として珍しい。「唐木作」という地名は、昔中国と交易していたころ、紫檀,黒檀、
   等中国の植物を移植栽培したことによる。近くにある運慶寺(うけじ)という地名は唐木を使って仏像を
   彫る仏師(運慶?)の住む工房があった所からこの名前がついたという説がある。

   3、三島神社
    新善光寺の裏道は旧浦賀道で、ふきのとうが道路脇にたくさん芽を出していた。段々畑には一面に梅
   の花と菜の花が咲いていて、畑仕事をする顔見知りの農家の人たちが声をかけてくれた。春の日差しが
   一杯の葉山の田舎道である。10分も歩くと今にも朽ちそうな古びた神社に出る。三島神社である。由緒・
   由来は不詳だが、伊豆の三島大社から祭神の分霊を勧請したものだろう。

    ヒューム管を利用して建てられた鳥居が建っている。鳥居は大きく分けて2種類ある。柱に転び(傾斜)
   があり、笠木に反りのあるのが明神系鳥居。柱が並行で、笠木に反りがなく真っ直ぐなのが神明系鳥居
   である。ここの神社の鳥居は神明系鳥居である。三島神社は古くは三島明神と称されていたのに何故
   鳥居が明神系ではないのか、多分鳥居の形まで気が付かなかったのであろうか。

   この三島神社の氏子は太平洋戦争ごろまでは鰻を食さなかった。三島神社の眷属(けんぞく)は鰻なの
   で食べるとバチが当たるためである。田仕事をするとき鰻を食べている人は蛭にに食われ、食べていな
   い人は蛭に食われないと伝承されていた。うなぎは三島神社の使いとして崇められていたのである。
    因みに各神々の眷属を知る限り記すと、伊勢神宮・・鶏、八幡宮・・鳩、春日神宮・・鹿、熊野神宮・・鴉、
   出雲神宮・・龍蛇、天満宮・・牛、稲荷神宮・・狐、等である。

   4、大昌寺
    三島神社から古道といわれる幅1間ほどの道を30分ほど歩くと大昌寺がある。由緒は2説あるが南北
   朝初期の歴王年間(1338〜42)に領主戸塚八郎衛門宗達が庵室を構えたのが開基であろうと推察され
   る。江戸時代に入り一時無住状態が続いたが昭和に入り本堂が建立された。町指定天然記念物のモミ
   ジが素晴らしい。心和む雰囲気に包まれた閑静なたたずまいのお寺である。

   5、岡部・猪股の墓
    道中橋を渡り、六地蔵・子安観音、栗坪の庚申塔をお参りしてさらに進むと、岡部六弥太・猪俣小平
   六の五輪塔がある。この2基の五輪塔は鎌倉初期の造立といわれ、高さが両塔とも120センチを超える
   凝灰岩の堂々たるものである。岡部六弥太・猪俣小平六は平家物語の「巻九」に出てくる源氏の武将
   で、この2人の逸話については09年のHP「青葉の笛」として記載済みである。文化財研究会入会のき
   っかけとなった両将の五輪塔との4年ぶりの再会だった。

                        −続く