新緑の鯖街道

 若狭小浜から京都に至る道、小浜近辺では【京は遠ても十八里】といわれており、日本海で獲れた
鯖を一塩して京都に運ぶと丁度良い塩梅になったいわれます。この鯖街道は1200年ほど前から存在
していたと記録にあるそうで、それも1本ではなく数本あり、鯖街道マラニックのコースは小浜から
京都出町商店街までほぼ一直線の最短距離で結ばれているものです。
 鯖街道マラニックは毎年5月に開催され、今回が10回目の節目の年になります。過去2回参加し、
新緑の中で遊ぶ楽しみは筆舌に尽くしがたく、私の好きなコースの筆頭にランクしているほどであり、
また今回で最後の大会という噂が駆け巡りましたので、何はともあれ仲間を誘って馳せ参じました。

前日5月14日(土)新横浜駅で町田・相模原実業団のメンバー髭kaku氏とヤンババあっちゃんと待ち合わせ、ビールを呑みながら小浜へ。国民宿舎に荷物を置き、明日のスタート地点の鯖街道起点のいづみ町商店街に出かけました。商店街の道路の真ん中には起点の碑が埋め込まれています。 周辺を散策すると、小さな町であるにもかかわらず、神社仏閣の多さに驚きましたが道端の観光案内図でざっと見たところでも数十はあるでしょうか。時間があればゆっくりと訪ねてみたいものです。
 この夜、同じ宿舎に知人が5人泊り、その一人はトランスエゾで一緒だったバンパイアT原氏で、相変わらず怪物振りを発揮しているようで、つい最近もゴビ砂漠250kmを走破し、次はボリビアの4000mの高地を走る予定だとか。我々は昼間のアルコールがまだ抜けず途中退席しましたが、彼らは遅くまで痛飲したようでした。

翌朝4時に起床し、港近くの集合地点の公園に行くと、我々の呑んだくれマラニックに参加している常連も数人きており、また、懐かしい顔もあちこちで見かけました。やがて時間になり、いづみ町商店街の鯖街道起点に移動し午前6時300余名がピストルの音とともにスタートしました。
 今年は花粉症で練習不足の上、1週間前にクシャミをしたところ、腰を痛め当初はベッドから起きるとき難渋しましたが、安静にこれ努めたところ走れるところまで回復しました。
 あのバンパイアT原氏にこの話をしたところ、腰痛とインフルエンザは走って治すもんだと言ってましたが、とてもまともな人間の忠告とは思えませんので、余り相手にしないようにしまょう。
13km辺りからいよいよ山に入って行き、九十九折の中を歩んで行きます。今回36km地点までに11時間30分迄に着かないと関門にひっかりますが、曇り空が幸いしてか別に急いだわけではありませんでしたが関門には10時20分と余裕を持って到着しました。
 ここの関門にはこの山中のコース唯一の酒屋があり、自動販売機でビール缶を買い、あっちゃんと半分づつ呑みました。41kmの久多からはまた上りが続きますが、あっちゃんはビールが効いたのか坂道をものともせず走り去っていきました。
 山の中のエイドでは京都のF見さんと5月のGWに能代〜長万部マラニックに“ちっち”と一緒に走ったという人から水を頂きました。
 今回は余り暑くありませんでしたが、イタドリの皮を剥いて食べながら最後の峠花背峠から鞍馬まで数キロは下りのみです。また、イワカガミの紫が印象的でした。
鴨川に出る2kmほど手前で個人エイドの方が私をジロジロ見ていました。私もどこかで見たおっさんだなと思ってお互い見つめていますと、「福井さん。京都のM尾です」と挨拶を受けました。中山道等を一緒に走った京都の医者のご夫妻がエイドをやっておられ、ミニトマトがとっても美味しかったですね。
 M尾さんから今行くと丁度葵祭にぶつかるころだと教えられ、鴨川を下るって行くと葵祭の行列が上賀茂神社に向かうため橋を渡っているときでした。橋の袂で座り込み20〜30分見物しました。メインの斎王代も過ぎ、さて行くかと振り向くとナント髭kaku氏も見物していました。

あゴールまで2km、のんびり行こうかと葵祭の余韻に浸りながら歩いていると金髪の外人女性から「サイゴマデアキラメタラアカンデ〜」と大声で発破をかけられました。
しょうがないなあ、ゴールまで走るかと散策で溢れる人々を掻き分け76kmのマラニックは午後4時19分に終わりました。翌日の午前中、京都市内を散策し、午後の新幹線で帰るべく座席に座ろうとしたら「そこは俺の席だぞ!」とガラの悪い声。振り向くとナント同じ実業団のN野がいるではないですか。5月初め以来、萩往還だ、川の道だと他人の応援に走り回り、行方不明だった男が修学旅行生でごった返す京都駅に突然出現し、帰りの車中は当然宴会になりました。
第10回鯖街道2005/05/15)