私たちの紹介

“ちっち&さり〜♪”って?

ある日、知人夫婦と三浦半島に拠点をもつ走友会のマラニックに参加しました。
それぞれの自己紹介のとき、その知人が私たちを“チッチとサリー”と紹介してくれました。
私たちは学生時代から付き合っていて、彼女の友人からは“チッチとサリー”みたいだねと噂されていたそうです。
そこで、2人だけのチーム名を作ろうということになりこの名が誕生しました。
名前の通り、チビの“ちっち”とハンサムな“さり〜♪”です。よろしくネ!
「チッチとサリー」は漫画家“みつはしちかこ”さんの作品「小さな恋のものがたり」の主人公です

いつから走り始めたの?

今から20年前“ちっち”が小学生の息子と町田市つくし野の小さなマラソン大会に参加しました。結果はビリでした。翌年、再び挑戦しましたが、後ろに数人いたはずでしたが、その人たちがリタイアして、またもやビリでした。
しかし、レース後の充実感から一緒に出ようよと誘われ1993年の武相マラソン10kmが“さり〜♪”のデビュー戦になりました。

ウルトラマラソンはどうして始めたの?

1993年2人でインドネシアのバリハーフマラソンに出ました。
蒸し暑くて大変苦しかったのですが、北海道網走から参加した宮崎さんという女性がハーフより100Kmマラソンがよほど楽よ!と話していたのが耳に残りました。
1995年の8月、野辺山でランナーズウエルネスの坂本雄二さんの【ウルトラマラソンセミナー】に冷やかしで参加し、この年の9月の第1回野辺山100kmを勧められましたが、この時はトンデモナイ!と尻込みしてしまいました。
翌年春の富士五湖80kmがウルトラデビューとなりました。
“さり〜♪”は最初から快調に飛ばしましたが、途中で失速し53km地点で“ちっち”におい抜かれ、ゴールでは30分以上の差をつけられました。
この時、“ちっち”は女性のトップでゴールしました。

記録よりランRUNらんの世界へ

あんなに苦しいウルトラマラソンは2度とやるまいと思っていたのですが、人の噂も75日というのに、3日もすればもう次の大会を物色する有様でした。
野辺山、宮古島、しまなみ街道、鯖街道、奥武蔵、サロマ、モロカイ、アラスカ等々参加し、24時間レース、さくら道、と走っていきました。
ある時、“さり〜♪”が東京湾1周に参加し、のんびりゆっくり走ることに味をしめ北の大地トランスエゾ往復も挑戦しました。
その後ボランティア活動中での事故による故障も癒えた“ちっち”も1年遅れでこの世界に入り、今は二人で中山道、伊勢湾、地元の歴史遺跡マラニック等デジカメをいつも持ち、あちこちで足を休めながらの“
ランRUNらん”を楽しんでいます。