第10回大村湾一周ウルトラマラソン

 一度は走ってみたいと思っていました大村湾にやってきました。佐賀県嬉野温泉をスタートして長崎街道を通り、大村湾を時計回りに長崎市を経由して、西海橋、ハウステンボスを横目に見て、再び嬉野温泉に戻る160kmのコースです。
初めてのコースだし、夜中も走るので“ちっち”との二人旅ですが、宮古島で出た坐骨神経痛が再発しないかとの若干不安な面もありました。

006年2月10日(金)福岡空港で出会った〔弟の兄〕と高速バスで佐賀県野温泉にきました。旅館はインターネットの楽天トラベルで申し込みをした【一休】建物は年代物でしたが、清潔にしており接待も親切でした。ここの温泉は日本三大美肌湯の一つと言われ、そういえば温泉に入ると肌がつるつるしてきます。
大会本部のある旅館【松園】の所在を確認した後、街を散策しました。この時期はシーズンオフなのか閑散としていましたが、町興しの為か街中の道路の両側に灯篭に灯が入れられ、灯篭祭りが行われておりなかなかの趣がありました。
翌朝の食事は、名物温泉豆腐を頂きましたが、豆腐を温泉で温めたものですがこれがなかなかの美味でした。
今回の申込者は100名余で午前10時、正午、午後2時、午後4時スタートの4組に分かれての時差スタートです。午前10時組は旧長崎街道の寄り道コースで半数近くの人がこの組のようでした。
スタート前に記念写
りましたが、後ろの方では目立ちませんので、手を上げているのがさり〜♪、前列左から3人目がちっちです。彼女は記念写のときはいつも良い位を確保します。
午前10時スタート、のっそりと走るのか歩くのかわからないようにゆっくり進んでいきます。
5kmほど行くとキリシタン弾圧の碑がありますが、殆どの者が見向きもせずに先を急ぎます。呼掛け人が折角設定した名所旧跡を寄らないなんて勿体無いと思いますが、それぞれのペース、考え方ですから致し方ありません。アレッ?“ちっち”もいないや。

長崎街道のコース上、キリシタンの遺跡が多くありますが、写真の【日本26聖人乗船場碑】もその一つです。豊臣秀吉の布教禁止令により京都・大阪で捕縛された日本、スペイン、ポルトガルの26人が長崎の地に送られ処刑されました。
その
遺骸は世界各地に送られ、カトリック教徒の崇敬を受け、1862年教皇ピウス9世によって聖人の列に加えられたそうです。

また、大村宿に入る手前に首塚が残っていますが、島原の乱から20年後に603名のキリシタンが捕縛され、そのうち406名が打ち首になり、その首は1ヶ月間晒され、首と胴は別々に埋められたと碑に記され当時のキリシタン弾圧の凄まじさを物語っていました。
35km辺りで“ちっち”に電話をしましたが、1kmほど前方にいるようなので、37km付近から山に入るので待っているようにと伝えたのですが、山道が複雑でなかなか会えません。地元の農家の方が畑作業をしていたので聞きますと「女性がたった一人で走っていったよ。」と心配そうに言っていました。
途中で出会った3名の参加者とともにコースを探していると、ようやく“ちっち”に出会いここから行動を共にすることになりました。一度、国道に出て再び、旧長崎街道に入りましたが、夕闇が迫ってきており、また、時々小雨も降る中では、初めての道に不安を覚えましたので50km過ぎで残念ながら国道に戻ることにしました。
62kmの水族館前のエイドでは阿蘇でもお世話になったミノ さんが出迎えてくれました。ここではビールをカップ1杯頂きました。長崎市内では今も路面電車が活躍していて、その光景を眺めながら走っているとすぐ後ろに人の気配がしましたので、振り返ると正午スタートの呑んだくれのkaku、辻ポン、一休の3人が追いついてきていました。丁度市内ではランタンフェスティバルが開催されていましたので、揃って見物に出かけました。
もともとは中国の華僑が旧正月を祝うために始めたものですが、今では長崎市全体で盛り上げる一大イベントになっているそうです。この後、ちっち&さり〜♪は平和記念像にも行きましたが、暗闇の中に坐像が見えていましたが、人影はなく静まり返っていました。
80km過ぎから“ちっち”が走れなくなり、完全な歩きの状態になりました。暗闇の中、見えたり隠れたりする大村湾を右側にただひたすら歩いていると95km辺りのエイドに立ち寄ると午後4時スタートの筈のN原氏がお手伝いをしているではありませんか。彼も坐骨神経痛が出て、僅か20kmでリタイアせざるを得ない状態になったそうです。
117kmの西海橋にかかると、東の空から朝日が顔を出す瞬間に
遭遇することが出来ました。満ち潮にかかっているようで、物凄い勢いで海水が大村湾に注ぎ込んでおり、海面を見下ろすとあちらこちらに小さな渦潮が出来ていました。
眠い時間帯も過ぎ残りは40kmです。
ハウステンボスはサラリーマン時代2度来たことがあります。いずれも出張扱いでしたが、2度目は夫婦で招待を受けホテルヨーロッパに宿泊し、朝食からシャンパンが呑み放題でしたが、ランナーにとって施設内は少々狭くジョギングしてもすぐ一周してしまったことが想い出されました。写真はハウステンボスシンボルタワーのドルトムント。

145km地点で大村湾ともお別れですが、残り10余kmは延々と上り坂が続きます。一歩一歩ゴールに近づいていると思うと苦にもなりませんでしたが、不思議なことに嬉野温泉街が見えた途端、ゴールまでが何故か長く感じられました。午後2時44分、スタートしてから28時間44分で戻ってきました。
温泉に入り疲れと汗を流し、割り当てられた部屋に入りますと、辻ポンとkakuが焼酎やビールを出してくれました。コース上では控えていましたので、パカパカ頂きましたら、午後5時からの宴会では既に出来上がっていました。
今回
いたのは愛知県犬山から来られたk氏でした。75の御歳で午後4時の制限時間1分前に見事ゴールし完走されたことです。
他の方がいくら早く走っても、記録を更新しても羨ましさや感動はありませんが、この方の強靭さに
驚愕し、この年齢まで健康で元気に走ることが出来ればとつくづく感じました。まさに畏敬さえ覚えます。
宴会の後、部屋でk氏に授与された敢闘カップになみなみとビールを注ぎ共に祝杯を挙げましたので、75まで頑張れるかな?
翌日、大宰府天満宮、国立博物館(残念ながら休館)、観世音寺、都府楼跡に行きました。
大宰府では〔飛梅〕にほんの少し開花しているのがありましたが、福岡城では写真のように紅白の梅が開花し目を楽しませてくれました。
夕食にホテルの近くの長浜の屋台に出かけましたが、少し早かったのか丁度準備中で、元祖長浜本店でラーメンを食べましたが、注文の仕方がカタ、オオカタと言うのですね。ラーメンと注文しましたが、ラーメン1品しかないのですから、すぐにどこのもんやと思われますね。
楽しい大村湾1周と福岡探訪でした。(2006/10〜14さり〜♪)