阿蘇カルデラ〜ラッキョウ〜開聞岳〜韓国岳

 町田・相模原実業団の主力メンバー5人は阿蘇カルデラスーパーマラソン100kmに参加すべく、日夜鍛錬を続けていましたが、直前になってメンバーの1人が家庭の事情により離脱してしまいました。
 そこで、熊本空港でバス待ちをしていた横浜市の中年男性を確保し、レンタカー代の足しにしました。
 また、阿蘇カルデラの受付では名古屋の31歳の女性が、レース後、九州を旅行すると聞きつけるや、これを拉致しその後我々と一緒に行動させることに成功しました。
 さて、今後どのように展開するのか、いつも予定と行動が食い違う実業団でありますので...。

005年6月4日(土)午前2時起床、眠気眼で牛乳と菓子パンの朝食を摂りゴール会場に車で向かいました。午前3時15分というのに駐車場は満杯、ようやくスペースを見つけ、大会バスでスタート会場に向かいました。

午前5時100kmの部の700名ほどが夜明け前の薄暗い中をスタートしました。
スタート直後からなだらかなアップダウンが続き、22km付近から一気に400m上ります。上りはきつくても新緑が柔らかく包んでくれます。
この辺りはランナーは皆余裕の表情、談笑し走ったり歩いたりと楽しんでいました。
400mを上りきると地元の獅子舞保存会の方達が歓迎してくれました。阿蘇のエイドは2.5km置きにあり、食べ物、水分、塩分の補給は全く心配ありませんでした。
アザミの花の写真や風景を撮っていますと千葉から来たランナーと話す機会がありました。地元出身で8年後の定年時には故郷に戻りのんびり暮らすとのことで、既に土地も買っているとのことで、彼とは前後しながら四方山話に花を咲かせました。
40kmからは下りが続き、ついスピードが上がり、50kmの中間点には5時間10分で着いてしまいました。
ここに50kmの部に参加する“ちっち”が待っており、おそばやおに
りを持ってきてくれました。
中間点で15分ほど休み、さて残りは僅か50kmと思い立ちあがると、アップダウンの連続で足を使いすぎたのか、筋肉がこわばり思うように走れません。
こういう時は、無理せず景色を楽しみながらのラン&ウオークに切り替える変わり身の早さよ。
千葉のランナーの個人応援団から大きなスイカをもらったので周りのランナーにお裾分けと思いましたが、こういう時には誰もいず1人で食べたらお腹がパンパンになってしまいました。
そうこうしていると、実業団仲間の“あっちゃん”が追いついてきて二人でチンタラチンタラ走っていきました。
79km地点で【みのむし】ことみのさんのエイドがあり、ここで頂いたビールはまさに干天の慈雨でした。美味かった〜
外輪山の上を走り、周囲は全て草原で牛がのんびりと草を食んでいました。象が鼻の先端からは阿蘇山が真正面に見え素晴らしい景色を堪能しました。
平地に下り、後続を待ちながら、酒屋に入ろうと後ろを振り向くと“ちっち”とイテテのN野が例の如く隣に若い女性をはべらせてやってきました。
午後5時20分町田・相模原実業団のメンバーは全員そろってゴールテープ切ることができました。

この後、N野は知り合いのテントに焼肉をゴチになりに行きました。我々は疲れているので宿舎に戻りましたが、彼は午後10時30分の門限の放送後ぎりぎりになって千鳥足で帰ってきて、1人で騒いでいましたが誰も相手にしませんでした。。
翌5日(日)阿蘇を発ち、宿舎の国立青年の家を後にしましたが、途中で全員の宿泊費(食費)を支払うことを忘れたことに気がつきました。無銭飲食だと騒ぎながら連絡を取り、後日振込みにすることにしました。4人で2泊3日2食で5,040円でした。

薩摩川内の新田神社では丁度祭の最中でN野の出身地寄田町の棒踊りが奉納されていました。
棒踊りは400年の歴史を持ち、県の無形文化財に指定されており、親・子・孫の三代で踊る珍しいものです。
また、この新田神社1300年の歴史を持ち、薩摩3大神社(霧島・鹿児島・新田)の一つという格式の高い神社でもあります。
この日は、N野の実家に昼過ぎに着き、午後からラッキョウ堀に精を出しました。今回は10数人から要望されていましたので総量で100kgにもなりました。
収穫、ヒゲ取り、天日干、箱詰めと結構大変な作業でした。
今までN野から贈ってもらって漬けていましたが、実際炎天下での収穫作業や、1個1個鋏で葉や根のヒゲ取りは数が多いだけで大変な仕事とだと思いました。

夜はN野のご母堂も一緒に温泉に行きましたが、11枚綴りで3,000円、110枚綴りなら23,000円で1枚209円ですので、地元の人で賑わっていました。
6日(月)はラッキョウを鋏で葉とヒゲ根を切り1日天日干にしました。こうすることで芽が出るのを防ぎ、砂も落とす効果があるとのことです。この日は海で貝を採ったり、魚を釣ったりしましたが釣果の方はさっぱりでした。

7日(火)はN野の遠縁の方が漁師をやっており、定置網漁をしているとのことで船に乗せてもらい見学させてもらいました。この日は不漁でしたが、スズキ(1mほど)や蛸、イカ、小魚を頂きました。この後N野の友人の船でキス釣りに行きましたが、全員入れ食い状態でした。またこの夜はN野の同級生たちが数人押しかけてきて賑やかでしたが、私は連日の疲れから風邪でダウンしていました。
8日(水)はN野の実家を後にして、大鰻で有名な池田湖を通り、開聞岳に向かいました。開聞岳は薩摩富士の別名があるようになかなか立派な山で茂吉も【開聞は円やかな山とわたつみの中より直ちに天に聳えけれ】と歌っています。
標高は922m登山道もあるので、体調の悪い私を残して4人は頂上を目指しました。片道2時間30分とのことなので3時間30分ほどで下りてくるかなと、車を木陰に移動し休んでいましたら2時間30分で下りてきました。流石ウルトラマン&ウーマンは強い。
折角、鹿児島まで来たのだから指宿の砂風呂に入ろうということになりました。入場料は900円、温泉だけなら500円ですが、ここへ来て砂風呂に入らないことは考えられません。目安は10分ですが私は15分ほどで出ました。体の心から汗が出るようで近くならやみつきになりそうです。

我々が出た後、大阪の中学の修学旅行生が100名ほどの団体でやってきました。更衣室ではユタカなぞ着たことが無いのか帯の結び方も分からないのも数多くいてわいわい騒いでいました。


また、ここには与謝野鉄幹・晶子が湯治に来ており、晶子は【砂風呂に潮さしくれば かりそめの葭簀のやねも青海に立つ】【 白波の下に熱砂の隠さるる不思議に逢えり指宿 に来て】と詠んでいます。
9日(木)最終日になりました。鹿児島のホテルを出てフェリーで桜島に渡りましたが、頂上の方は雲に隠れて何も見えませんでした。展望台から鹿児島市外を見下ろした後、坂本龍馬夫妻が日本人初の新婚旅行にやってきたと言う霧島連峰に向かいました。

霧島連峰で一番高いのは韓国岳の1,700m。頂上に登りながらカンコクタケと言っていたら、地元の方からカラクニダケと訂正されました。
九州の最高峰は九州本島ではなく、屋久島の宮之浦岳の1,935mとは驚きでした。右の写真は韓国岳頂上から火口の底を見たものです。写真のツツジはミヤマキリシマで登山道の両側や火口の壁面に可憐な花が今が盛りと咲き誇っていました。

私は下山後、車を移動し別のルート(大浪池経由)で下山する彼らを待ち、鹿児島空港に急ぎました。さあ、ビールを呑んで東京に戻ろう!