2006塩の道ジャーニーラン完踏記

 かって、上杉謙信が宿敵武田信玄に塩を送ったという話もある塩の道。この道も訪ねてみたい道の一つでしたが、このたびジャーニーランをこよなく愛する平賀氏が企画してくれました。残雪のこる塩の道には、桜、東一華、福寿草、碇草等花々が咲き乱れ、また、仲睦まじい道祖神や地蔵が街道の至る所で出迎えてくれました。、また、人里近くでは日本カモシカに2度も遭遇しました。
5月3日から6日までの4日間天候にも恵まれ、最高の走り旅でした。

006年5月3日(木)早朝自宅を出て、新宿駅で髭kaku待ち合わせ、大宮駅で新幹線に乗り換えたものの座る場所もない混雑振りでした。越後湯沢でほくほく線はくたか4号に乗り換えれば、こちらはラッシュアワー並の大混雑に身動きも取れないほどでしたが、午前10時30分には糸魚川駅に無事着くことができました。

駅前でアラレちゃんとK井さんと出会い、食
を買ったり昼食をとったりしている内にスタート時間になり、駅前には呼掛け人の平賀氏を初めとして18名が集まりました。
正午、駅前をスタートし商店街の雁木の通路を通れば7〜8分で糸魚川町道路元標があります。さあ、ここから【塩の道】に入ります。

【塩の道】は糸魚川から松本までほぼ真っ直ぐに南下し、約130kmあります。糸魚川側からは松本街道、松本側からは糸魚川街道と呼ばれていますが、街道の中間辺りに運上金や人改めを行っていた千国口留番所があったことから千国街道(ちくにかいどう)とも呼ばれています。

この街道は海産物や様々な物産が運ばれていましたが、生活に欠かすことのできないものとして、とりわけ塩が重要であったことから、後に【塩の道】と呼ばれるようになったようです。この【塩の道】は冬は雪に、夏は虻におそわれ、牛方や歩荷(ボッカ)が60kgほどの塩や物産を背負い、険しい峠道や急流の中を渡り、この街道を行き来していたことは、想像するだけでも大変なことであると思います。

さて、今日は正午スタートで峠越えもありますので距離は26qと僅かしかありません。天候も暑くも寒くもなく順調に歩を進め、14q地点では缶ビールも飲み、これから峠道に入っていきます。
すると1qも進まない内に雪が深くなってきました。峠まで後少しというところで先行していた2人が山の方から下りてきて、「道がない。」と一言。丁度、地元の方3人が山小屋の周辺を整備しているところに出会い、「これから先は雪で道が埋まっているし、雪崩の危険もある。」との話でした。予想をはるかに超える雪でしたので、携帯電話で別ルートで進んでいたグループと連絡を取り合い、一堂に集まりました。その結果、ジャーニーランがアドベンチャーランでは笑い話にもなりませんので10kmほど引き返し、大糸線根知駅からゴールの姫川温泉ホテル朝日荘に向かいました。
さて、2日目は昨日のような危険な場所はないだろうと思っていましたが、安全のため集団で行動しました。M北氏が斥候隊長として先行していましたが、途中から戻ってきました。「道が崩落して川になっている。」と。仕方なく川沿いの道なき道を歩み,そこを脱出したと思えば、今度は雪が残る山の斜面で、ここを滑り落ちれば100m以上も下の川に転落です。

写真は糸魚川から約50km地点にある千国口留番所(関所)の復元されたものです。松本藩の出先機関として設置され運上金の徴収や人改めを行い、明治2年に廃止されるまで280年間にわたり、政治・経済・交通の要の役果たしたとのことです。
ゴールは信濃大町七倉荘で今日の距離は60km余です。
3日目は塩尻で峠越えがありますが、それを除けば平坦なコースです。途中、集団を抜け出し次のチェックポイント島崎藤村詩碑を目指したのですが、どこにも見当たりません。地元の人に聞いても分からないし10分ほど走り回っている内に後続のグループに追いつかれました。夕食時にわかったのですが、最後のグループの女性が公民館にトイレを借りたところ、その公民館の中にあったとのことです。疲れたよ〜。
今日の楽しみは松本城です。松本城は国宝4城のうちの一つで全体に黒いところから鴉城とも言われていますが、昔は深志城といわれていたそうです。国宝に指定されるだけあって流石に見事です。なお、後の三つの国宝は姫路城(白
城)、犬山城(白帝城)、彦根城(金城)です。ゴールは辰野の小沢屋旅館で69km、集団で戻ってきましたので、近くの銭湯に行きました。この方が疲れが取れますね。
春の間、花粉症で走りこみもしていませんでしたが、4日目にもなると体も軽くなってきました。途中から一人になり、路傍の花を撮ったり、山菜取りをしている地元の方に、どうやって食べるのかを聞いたりしました。
今日のゴールは早太郎温泉【こまくさの湯】までの34kmです。今朝は5時30分にスタートし、正午到着の予定でしたが、全員11時前にはゴールしました。
私は近くの土産物屋さんで【こまくさの湯】の場所を聞きましたら割引券を
いました。儲かったなあと思っていましたら、他の人も割引券をったり、中には半額券までゲットしているのもいました。ジャニーランナーはこういうところはしっかりしているのですね。
ジャニーランはのんびりゆっくり楽しくですから、私の場合交通機関は最安値のものを利用するようにしています。往路は前日の高速バスの予約がGWのため一足違いで取れず、新幹線を使わざるを得なかったのが残念です。しかし、スキー車という安く利用できるのがあっとは知りませんでした。
帰路は
平賀氏、髭kaku氏やK井氏とともに鈍行です。乗り換えの度にあちらでビールを買い、こちらでワインを買い、上諏訪駅では1時間の待ち時間がありましたので足湯にも浸かってきました。
ジャーニーランの楽しみは走る先々での出会い、風景ばかりではなくこういうゆったりと流れるような時間も楽しいものです。
塩の道(千国街道)が往時の姿を多く残していましたが、これは国道が塩の道と離れたところを通ったことと大いに関係あります。そのために先人達が残した石仏、道祖神、庚申塚等が数多く残されていました。また、少し山に入れば様々な花が咲き乱れ、心を和ましてくれました。
もう一度行ってみたい街道でした。

塩の道に関して、ブログでも道祖神(5月7日)、杉玉(5月9日)、庚申塚(5月10日)、二十三夜塔(5月11日)について拙文を載せていますので、覗いて頂ければ幸いです。(写真は菊咲き一華)
ブログ:
http://blog.so-net.ne.jp/salie-yoshiki/