2006年宮古島100qウルトラ遠足汗走記

 今年で第10回を迎える大会で、今年で終わりとの噂が関係者の間に駆け巡ったこともありましたが、そのせいか今年は41都道府県から598名の参加申し込みがありました。沖縄県からは11名ですので、県外からの参加者がなんと98%強を占め、また女性の参加者が大変多く212名、35%強と他のウルトラ大会では見られないものです。
 主催者の海宝さんの人柄や制限時間が16時間と緩やかであり、またコースが風光明媚であり、ランニング専門誌【ランナーズ】でも人気の大会の3位にあげられていることもあるのでしょう。
 ツアーを呼びかけたイテテのN野は大変旅慣れており、バースデイチケット等を利用して格安ツアーをセットしてくれましたのでこれに便乗し宮古島に8名が乗り込みました。

006年1月13日(金)始発電車に乗り、ワイワイ話をしていると乗換駅を通過してしまい、慌てて羽田空港に駆け込みました。
宮古島空港で2台のレンタカーに乗り、宿舎に荷物を置いてから、東急リゾートの受付会場に行きましたが、いつものことながら全国から集まってきた仲間と挨拶したり、話し込んだりでなかなか昼飯に行くことが出来ません。
午後5時ごろから、近くの体育館で前夜祭があり、海宝さんの挨拶の前から車座になりあちらこちらで乾杯が始まっています。ただ、私は車の運転がありますので1滴も口にせず指をくわえていました。残念!
楽しみの一つにビンゴ大会がありますが、過去にウインドブレーカーやシューズが当たったことがありますので、今回も大いに期待しましたが、リーチをかけたまま景品が無くなってしまいました。これも残念!
宿舎は沖縄には良くあるドミトリー(1部屋に2段ベッドを入れて数人で部屋をシェアすること)で1泊1800円です。シャワーしかありませんがキッチンも応接室もパソコンも自由に使えます。

イテテが隠岐100kmで知り合った2人も昨日到着していましたので、ドミトリーのスタッフも交えて前祝が始まりました。11時の消灯時間になっても呑み足りない辻ポンとイテテは歓楽の巷にフラフラと出て行きました。
翌日のレースがありますので、ベッドに横になりましたが、イテテの友人二人は隣のベッドで交互に大イビキをかき、結局一睡も出来ずにスタートの朝を迎えてしまいました。

午前4時半ごろに東急リゾートに着き、スタート地点はごったがえしていましたが、短いレースと違いピリピリしたものはなく、のんびりムードが漂います。
午前5時スタート、私は前半飛ばして後半苦しむケースが多いものですから、意識してゆっくり走りました。10km辺りから徐々にスピードを上げ、といっても1km6分ほどですが、20km過ぎで呑んだくれの“あっちゃん”に追いつきました。しばらく併走しましたが、快調なので池間大橋のところで彼女をポイと捨ててきました。
宮古島ではサトウキビの収穫が始まったばかりで、あちこちで刈り取りの作業が行われていましたが、どの畑もじいさん、ばあさんばかりであったようです。日本の農業の行く末が気になるところですが、一つの穏やかな風物詩としては絵になります。
池間島を1周して再び池間大橋を渡り、38km付近では空の雲は取れ、青空さえ広がってきています。温度は23〜4度にもなっているのでしょうか、一人の男性がうわごとを言いながら首を上向きにして走っています。
同室のF村氏です。初めての100kmとのことですが、前半飛ばしすぎたようで結構きつそうです。
まだ半分も来ていないよと残酷に声をかけ、更に前に進みますと名古屋の
k沢さんが10回連続完走を目指して快調に飛ばしていますが、一言挨拶して一気に抜きさっていきました。
48kmの中間点では海宝さんが車でサトウキビを運んできて、ジュースを造っていました。サトウキビジュースはほんのり甘く、後味がすっきりしていますので2杯頂きました。
この中間点まで快調で6分ペース、少なくともこのペースを持続させ、無理をしないで余裕を残しながら行こうと思い、京都のA野氏と併走しながら歩を進めましたが、小用をし、少し前にいる彼に追いつこうとスピードを上げた途端、いきなり右足裏の付け根付近がつる感じがし、脚に力が入らなくなりました。狂牛病の牛が脚を折って倒れる感覚です。
歩き走りをしていますと、池間大橋でポイと捨てた“あっちゃん”がT代氏と追いついてきました。
このことを、T代氏に話をしますと簡単に「あっ!それ神経痛。神経痛ですよ!一生直りません。もう坐骨神経痛と仲良く付き合っていくんですね。」となんと残酷な宣告を下し、彼らは私の前から去っていきました。
残りまだ50kmもあるというのに、どうすればいいんだ。
かし、ここで諦めるようなさり〜♪ではありません。前を歩いているスタイルの良い若い女性がいます。ヨッシャー!一緒に軽く走ったり、歩いたり東平安名崎を過ぎ、残り30km翌日のワイドー100kmにも参加するというO川氏が横に来て、神経痛の話をするとニコニコしながら「間違いないですね。その症状は。もう付き合っていくしかないですね。フフ」と言いながら彼も去っていきました。
脚の調子も良くなってきたと思い彼女とも別れ、歩き走りをしましたが残り15km辺りで歩くのもやっとという状態になりました。そして、目の前の栗間大橋の長さに茫然自失。先程別れた彼女にも抜かれ、残り300m最後の気力を絞りゴールに走りこみました。12時間50分でした。
翌日、地元宮古市主催のワイドーマラソンが開催されました。呑んだくれのイテテはハーフに“あっちゃん”ジョイナー、髭kaku,辻ポンの4人は100kmにも参加しました。無謀な参加者である髭と辻ポンは夜な夜な呑んだくれているし、年齢的にも大昔に峠を越えてるし、スタートしてすぐにリタイアするだろうとタカをくくっていたのですが、いつまでも戻ってきません。
何んとこの二人あっさり完走してしまったのです。その上、髭kakuは最高齢完走者と言うことで沖縄タイムスのインタビューを受け翌日の朝刊に写真入で紹介されていました。
写真は祝杯を挙げる両巨頭。これからの若者は彼らの年金を支えていくのだから余程しっかりしてくれなくては困りますね。
(さり〜♪記)