車線変更事故。保険会社の「判例タイムズ」機械的運用の弊害を考える。
ある日、次のような事故が発生しました。
片側二車線の歩道よりの第一車線を走行していたA車に、中央線側の第二車線をA車にやや先行(約2、3メ-トル先)して走っていたB車が進路変更の合図をすることなくいきなり車線変更してきて衝突するという人身事故でした。
B車の運転者は、合図をすることなく、またA車の安全確認もすることなくいきなり車線変更したことを素直に認め加入保険会社に事故報告をしたために、保険会社は、過失割合判定マニュアル本「判例タイムズ」の<106図>を機械的に適用し、基本過失割合30(A車)対70(B車)から、Bの「合図なし」の過失修正20%増を採用して最終的過失割合を10(A車)対90(B車)と結論づけて、Aさんにも10%の過失責任があると通告してきました。
そこで、収まらないのがAさんです。
診断書を警察に提出するまでは体の具合を心配して連日電話をかけてきていたBからの電話がピタリとこなくなったのは、Bの人間性を示すものでこの程度の人間と割り切れば済むことですが、過失責任についてはそう簡単には割り切れないというのがAさんの率直な気持ちでした。
Aさんは法律の知識はなく、今回の人身被害事故も免許を取って以来はじめての経験でした。
そのAさんにとって、自分にも10%の過失責任があるとの相手保険会社からの通告は、今まで縁のなかった保険業界のこととはいえ素直に従う気にはどうしてもなれなかったというわけです。
Aさんがそういう気持ちを抱いたのは、むしろ当然のことと言っていいでしょう。
Aさんは、事故当時の状況を思い出していました。自車より少し右前方の隣車線を走っていたB車がいることは明るい時間帯だったこともありはっきりと認識して走行していた。そのB車がなにを思ったのか合図をすることもなくいきなり車線変更をしてきたため、とっさに急フレイキをかけたが当然のことながら間に合わず衝突してしまった。これが事故の真相だ。
この事故で、自分はどのような運転をすれば事故を回避することができたのか。合図もなしに車線変更してきたB車にも対応できるような運転を前もってしていなかったということが自分の過失として追及されるのか。
とりあえず、Aさんは事故相手加入保険会社の事故担当者に、自分の過失というもの具体的な内容について質問してみることにしました。
保険会社から返ってきた回答は、意外にも次のようなものでした。
「Aさんにも軽度の前方不注視があったものとして過失責任が問われるのです。たとえ前方を注視していたと反論なされてもそれを立証することができない以上、事故が発生したからにはお気の毒ですが前方不注視があったと法律上は認定されてしまうのです。」
Aさんは、保険会社のこの理屈に対し、これ以上反論しても無駄であろうというある意味あきらめの境地で聞いていました。
結果(事故)が発生した以上、道路交通法上の違反が認定されるのであれば、ほとんどすべての事故において過失責任が追求されることになり、事故回避不可能な事故というものは現実には存在しないことになるのではないのか。
Aさんが思った、今回の事故に限っていえば自分に過失責任はないという「直感」は、法律的理論に裏づけされる直感であり法の正しい急所をついた直感であると私は思います。
民法709条不法行為成立要件としての「過失」の意味内容について、現在の通説・判例は、「結果回避行為注意義務違反」と捉え、その行為義務の内容を明らかにして、行為者に義務として課すためには、「結果予見可能性」の存在が不可欠的前提として求められるとしています。
この辺のところを、有斐閣刊・「民法W-債権各論<第2版>238頁は、明確に次のように述べています。
「過失の有無は、この結果回避義務違反のみで判断されるわけではない。結果発生について予見可能性がなければ、当事者には、具体的状況において構ずべき回避義務の内容がわからず、またそれを要求するのも妥当とはいえないから、過失ありとされるためには、予見可能性のあることが当然の前提とされている(通説・東京地判昭和53.8.3判時899号48頁{東京スモン判決、とくに289頁}参照)。」
ところが、保険会社の事故担当者は、予見可能性の存在が行為義務の内容確定のために不可欠の前提となるということをよく理解していないがために、事故回避のためにどのような運転操作をすればよかったのか、という被害者ドライバ-の素朴な問いに、「そのことについては当方で説明することではないかと思われます。」というピントのボケた表現回答となって返ってくることになるわけです。
事故交渉担当という専門部署に携わり会社から給料をもらい、事故相手に「過失」責任ありと主張している以上、
あなたには、事故現場で予見可能性の存在を否定し得ない以上、この予見可能性から導き出されるこのような回避行為義務が存在したはずである。にもかかわらず、この義務行為を不注意で果たさなかったことが事故発生の一原因となったのです。だからあなたにも過失責任ありと当方は判断したのです。本来、こういう論法をとり、事故相手に説明しなければならない責任があるはずなのである。契約者に代わって示談代行義務を果たすためには…。
また、実際に発生する事故回避不可能な事故における交渉において、事故担当者の多くは、予見可能性の存在のみをもって、短絡的に「事故回避義務」の存在を肯定しているのが現実です。しかし、予見可能性が存在したからといって、事故回避可能性の存在が当然・無条件に肯定されるわけではないということについての考えは遠く及ばず、なんらの問題意識も持ち合わせていないのが実情です。
法的見地からの予見は可能であったかもしれないが、回避可能性はなかった。可能性のないところに義務は存在するはずもないから、事故回避義務もまた存在しなかったことになる。故に無過失事故の結論が導かれるのだ。
保険会社が、この論理を一刻も早く採用し現実に発生する実質無過失事故を名実ともに無賠償事故として正しく処理することが、事故の早期解決・訴訟等による無用な保険的出費を抑えることに通じることになるわけですが、その道のりは遠いの一言ですね。保険会社そのものに、このことに関する問題意識がまるで見受けられませんからね。
少し話が横にそれた感がありますが、また話を元に戻すとして、
事故回避不可能であるところには論理的に「回避義務」は存在しえません。だから、事故回避義務違反としての「過失」責任もまた存在しないことになります。
また、事故発生をあらかじめ予見できないところにも、行為者に課すべき具体的な「回避義務」は存在しようもないことから、事故回避義務違反としての「過失」責任もこれまた存在しないことになるはずです。
今回の事故は、事故回避も不可能だったし、Aさん以外の一般的ドライバ-を基準にして考えても、B車が合図もなく突然車線変更してくることなど到底予見することはできなかったというべきであるところから、事故回避義務違反としての「過失」責任は存在しなかったと主張することは、法律的見地からは正しい主張であるということができると思います。
問題は保険実務です。
今回の事故において、保険会社事故担当者に対し、いかような論理を駆使して判例タイムズ106図に記載されているその他の修正要素を採用して結果として100ゼロの結論を導き出すようにいくら理詰めで攻めても、担当者はけっして100ゼロを認めないでしょう。
保険会社が組織で動いている以上、担当者は上司の決済をとる必要がありますが、タイムズ搭載の車線変更事故態様においては、100ゼロを組織として認めない運用が日々の交渉業務において定着している以上、担当者の一存で100ゼロでの決着を事故相手と合意することは考えられないことだからです。
つまり、保険会社には、この種の事故態様において100ゼロ解決はありえないという動かしがたい前提が先にあって、この前提を正当化するための理屈を交渉の反論過程であれこれとさも「もっともらしくとっつけてくる」という交渉スタイルをとり続けるわけです。
裁判…?どうぞ、どうぞご自由に…。その代わりと言ってはなんですが、示談が成立しない以上、あなたの車の修理費はお支払いできませんよ、といんぎん無礼にやんわりと言ってくるというわけです。
そうだとすると次に考えられるのが、事故紛争解決機関「交通事故紛争処理センタ-」ということになりますが、保険会社との仲裁斡旋を申し込んだ事故当事者と保険会社を中立的立場から公平に取り扱うこの機関が、タイムズの修正要素を積極的に採用して現実に発生した事故の実態により近づけた過失割合を導き出すという積極的姿勢を過去の斡旋事例から見出すことはできないという現実からみて、残る手段は裁判での決着ということになります。
しかし、この裁判での決着という手段がいかに金と時間を費やすものであるかということは論を待たないところです。
わずか10%の攻防のために 一体いくらの費用と時間を費やすのかというバランスを考えたとき、けっして手軽に採用できる手段とはとてもいいがたい現実があるということです。もっとも、現在は「弁護士特約」に加入しているドライバ-が多いため、費用面の壁は克服できましたから、残る問題は依然として「時間」とのあくなき戦いということになります。
そうすると、結局は、保険会社との妥協によって早期解決を図るという手段しか残されていないことになるわけですね。
その結果、
法理論上は、法律上の過失責任が存在する合理的理由を見出しがたいにもかかわらず、早期解決のため、やむを得ず法律上の過失責任があったものとして取り扱われることを認め、相手に対する賠償義務を果たさなければならないという現実的矛盾。
この現実的矛盾を、弱者の立場にある被害ドライバ-のために正面から取り組んでいる保険業界関係人が果たして何人いるというのでしょうか。
この問題解決のため、組織という定められた型枠の中で生きている保険会社優等生社員(「アジャスタ-」と呼ばれる物損事故を担当する保険会社と別会社の社員を含む)の中に異端児の出現を求めること自体どだい無理な話でしょうから、保険代理店をおいて他にいないということになるのだと思います。
弱者ドライバ-の味方たることを期待される唯一の存在である代理店が、なんらの問題意識を持つことなく鵜飼>(保険会社)に操られる長良川の「鵜(う)」的存在となってしまったら事故にあった被害ドライバ-は浮かばれないということでしょう。
太宰治の傑作喜劇短編「カチカチ山」における最後の文章で語られるタヌキの悲痛な叫び声を聞かれた方はいるでしょうか。
年甲斐もなくうら若い処女うさぎに惚れ込み、泥舟で湖に沈められる愚鈍な中年タヌキの最後の悲痛な叫び声です。「惚れたが悪いか!」。
最後に被害事故ドライバ-の悲痛な叫び声を聞いていただきましょうか。
「乗ったが悪いか!!」
(2010.1.9)
追記
花子
この車線変更事故は、実際の示談交渉においてよくもめる事故態様の一つだと思いますが、太郎さんはもめる原因はどこにあるのだと思われますか。
太郎
実際の事故は、車線変更の合図を出すと同時に車線変更してきたとか、合図もなくいきなり車線変更してきた事故が多く、後方を走っていた被害車両のドライバ-にとって避けきれない事故だったという思いが強いからだと思います。
花子
でもこの事故態様を判例タイムズ「106図」に当てはめたら、基本過失割合は30(後方直進車)対70(車線変更車)ということになり、車線変更した車のドライバ-が車線変更合図をすることなく車線を変更したことを正直に認めることによって、保険会社も「合図なし」20%の過失修正を認めて10対90まではスム-ズに歩み寄ってきますよね。まさしく上の事故例の通りですね。
でも、車線変更した車のドライバ-が、車線変更の際「合図をした」と主張したらどうなりますか…?
太郎
保険会社は間違いなく、その合図が法の規定に従ってなされた合図であったかどうかを問題にすることなく、「合図なし」の過失修正には応じてきません。契約者の主張を信じる姿勢を崩そうとしませんね。この態度はかなり徹底していますね。
花子
でも今回の事故は合図なしの車線変更を認め、しかも左隣車線走行中の事故相手車の安全確認をまったくせずに突然車線変更した結果の事故ですよね。被害者側としては、車線変更車の「著しい過失」10%の過失修正を加算して結果として100ゼロ解決交渉をしていくのは当然のことだと思いますが、保険会社は、これまでの実務として例外なく「著しい過失」10%の修正に応じようとしません。何故なんでしょうか。
太郎
保険会社はそもそも考え方の根底に、「お互い動いている車同士の事故に100ゼロ事故はありえない」という動かしがたい大前提が横たわっているということです。
この大前提が法的見地から見ていかに根拠のないものであるかは、民法の不法行為法を少しでも学んだ者には容易に理解できるところですが、法的見地から、公平適正な賠償支払いをその社会的使命としなければならない保険会社の姿勢としてはあまりにもお粗末な限りで、このあたりに、いかにも近代的で時代の最先端をいく感のある本社ビルを誇示する保険会社が、今もって世間から「保険屋」とある種のさげすみの呼称で呼ばれている遠因があるのではないかと私はみているわけです。
いい機会ですから、事故態様「車線変更事故」、タイムズ「106図」を少し掘り下げて分析検討してみることにしてみたいと思います。
まず、判例タイムズは、車線変更事故の基本過失割合を30対70としていますが、そもそもこの事故態様をどのような前提で捉え、このような数値を基本過失割合の数値として交渉の出発点としたのでしょうか。花子さん説明してくれませんか。
花子
はい。タイムズは、車線変更事故を「進路変更車と後続直進車の事故」態様として捉え、
「…あらかじめ前方にある車両が適法に進路変更を行ったが、後方から直進してきた車両の進路と重なり、車両が接触したという通常の場合の事故を想定している。…したがって、基本割合には、進路変更車が進路変更に当たって法53条1項・2項、令21条に定める合図を履行したこと、後続直進車に軽度の前方不注視があったことを含んでいる。」(185頁)と説明しています。
◆道交法26条の2第1項……車両は、みだりにその進路を変更してはならない。
◆道交法26条の2第2項……車両は、進路を変更した場合にその変更した後の進路と同一の進路を後方から進行してくる車両等の速度又は方向を急に変更させることとなるおそれがあるときは、進路を変更してはならない。
◆道交法53条1項……車両(自転車以外の軽車両除く。第3項において同じ)の運転者は、左折し、右折し、転回し、徐行し、停止し、後退し又は同一方向に進行しながら進路を変えるときは、手、方向指示器又は灯火により合図をし、かつ、これらの行為が終わるまで当該合図を継続しなければならない。
◆道交法53条2項……前項の合図を行う時期及び合図の方法について必要な事項は、法令で定める。
◆道路交通法施行令21条……「同一方向に進行しながら進路を左(右)方に変えるとき」は、その行為をしようとするときの3秒前のとき。
太郎
以上のタイムズ筆者の説明から分かるように、タイムズ事故態様図「106」の基本過失割合30対70は、
@車線変更を行った車両が、法に規定した通りの適法な車線変更を行ったこと
A後続直進車に軽度の前方不注視があったこと
この二つの要件を前提とした基本過失割合であるということです。
花子
なるほど。車線変更車が法の規定に基づく車線変更を行ったのであるから、後続直進車が前方をよく見ていたなら事故回避の可能性があったにもかかわらず、これを怠った結果事故が発生したものとして30%の基本過失割合責任があるとしたわけですね。また、車線変更車の70%の基本過失責任は、道交法26
条の2第1項・2項違反の責任は重いとした結果の数値なんですね。
太郎
実は花子さんのように説明した資料は存在しませんが、そのように考えるのが合理的だと思いますね。
現実に発生した事故において車線変更車が適法な車線変更を行わなかったときには、その多くの場合、後続直進車の運転者にとって事故回避が困難であるという事実が不当に看過されており、果たして適法な進路変更合図がなされたのかという重要ポイントを進路変更車側の保険会社は見事にまで無視してくるのが示談交渉現場の実態なのだということを、まず押さえておかなければならないということです。
後続直進車にとって事故回避不可能→事故回避不可能な者に事故回避義務を課すことはできるはずもない→したがって、事故回避義務違反としての過失責任は存在しない→故に、無過失。
この一連の論理の流れを判例タイムズが数値で肯定するためには、車線変更車の「著しい過失」という修正要素10%を採用し結果として0対100にする手法が優れているのですが、保険会社は頑としてこの「著しい過失」の採用を拒絶してきます。どのような論法を用いて拒絶してくるのか。
上記本文において紹介した合図なしの車線変更事故。10%の「著しい過失」修正要素を採用するよう強行に申し入れたA代理店に対して、事故担当者が受付女性からアジャスタ-と呼ばれる物損事故を専門に扱う人間に交代したうえで、その人物から次のような文書回答が返ってきました。
その回答文書には、修正要素「著しい過失」を採用しない保険会社の典型的な理由が見事に述べられていますから、その一部を紹介しておくことにしましょう。
「問題となる点は、〇〇様からご指摘頂いております、弊社契約者の運転方法が判例タイムズで言うところの著しい過失に相当するかという点ですが、弊社として今回の事故状況から相当しないと判断しております。
その理由としては今回の事故が、弊社契約者××が漫然と運転したことにより発生したことが主な原因でありその部分に関しては、判例タイムズの基本の割合に加味されていると判断しているからです。又過失が御社契約者△△様に有るという点に関してですが、道路交通法第70条で言うところの安全運転の義務(軽度の前方不注視等)に抵触するものと判断し、事故発生の予見性が多少なりともあったと判断するにいたったからです。」
花子
でも、上記本文事故において、車線変更した運転者は、合図することもなく突然車線変更をしたこと。変更した隣車線を走行していた事故相手車の存在確認をまったくしていなかったこと。この二点を事故現場で認めていたんですよね。
保険会社は、この二点の事実をもってしても、上のような型にはまった文章を用いて修正要素「著しい過失」に該当しないことをあくまで主張してくるんですね。
太郎
花子さん。そもそもタイムズ筆者は、「著しい過失」というものを一般的にはどのように説明していますか。タイムズ50頁に記載されていますので読んでみてくれませんか。
花子
はい。そこには次のように記載されています。
「著しい過失 事故態様ごとに通常想定されている程度を超えるような過失をいう。車両一般の著しい過失の例としては、脇見運転等前方不注視の著しい場合、著しいハンドル、ブレ-キ操作不適切、携帯電話等の通話装置を通話のため使用したり、画像を注視しながら運転すること(中略)、おおむね時速15q以上30q未満の速度違反(高速道路を除く)、酒気帯び運転等が挙げられる。」
太郎
まず、次のことは確実に言えますね。
タイムズの進路変更事故態様「106」図に記載されている修正要素を見れば分かるとおり、著しい過失に該当する過失は基本過失割合には加味されていない過失である→だから、「著しい過失」として別個独立に取り上げ過失割合修正要素としたのだ。これは保険会社も反論の余地がないところだと思います。
問題は、車線変更車が変更した車線を走行していた事故相手車の存在確認をまったくすることなく車線変更したという「後方安全確認義務違反」という過失行為が、著しい過失に該当せず基本過失割合にすでに加味されている過失であるかどうかということの検討ですが、花子さんが読み上げてくれた著しい過失の各具体的例示「前方不注視の著しい場合」の反対解釈からから検討して、後方不確認の著しい場合に該当し、著しい過失に該当すると考えるのが論理的であり正しい見解であるということです。
また、そう考えることによってこの事故を100ゼロ事故とすることが可能となり、現実に発生した具体的事故の実態により近づけた解決ができるということで、そういう意味において、このような事故においてすらも、なお被害運転者に軽度の前方不注視や事故発生の予見可能性が存在したと強弁する保険会社の、事故実態を完全に無視した非現実的な態度と徹底的に戦っていかなければならないわけです。
花子
そのためには、自動車保険加入者にとって、事故現場では事故回避不可能事故、不可能ゆえに事故回避義務の存在しない無過失事故は不可避的に発生するのだという明確な認識のもと、賠償義務の存在しない完全な被害事故として保険会社と戦っていく代理店の存在が不可欠なんですね。
契約者側サイドに立つことができる唯一の存在である代理店が、鵜飼に自由に操られる(保険会社に盲目的に従う)長良川の鵜(う)的存在になってしまったら、契約者は救われないということなんですね。
太郎
なお、言い忘れていましたが、上記本文の中で述べられている「予見可能性と事故回避可能性」の問題。つまり、予見可能性があれば同時に事故回避可能性も存在したことになるのか、といった問題について明らかにした判例の存在をいまだ知りませんが、車線変更事故をめぐって判例タイムズ掲載図適用の可否を判断するにあたり、「予見可能性」「回避可能性」との関連を結びつけた旧東京海上発行資料を見つけましたので、最後に紹介しておきたいと思います。
この資料は、2001年5月発行の「東京海上・代理店ニュ-ス」という小冊子の中の一部記事であり、「過失割合-進路変更の考え方」というタイトルの中で述べられている記事の中に、次のように記載されています。
「(タイムズ106図は)『予め前方にある車両が適法に進路変更を行ったが、後方から直進してきた車両の進路と重なり車両が接触した』という通常の場合の事故を想定しています。つまり、直進車に予見可能性・結果回避可能性がなければ(注1)本図は適用されません。」
そして、注1の補足説明として、「(後続直進車が進路変更車の)側方通過後に進路変更車が直進車に衝突したようなケ-ス」と記載されています。
この記載内容は、保険会社によってよく使用される定型文言「双方が走行中の事故である以上、弊社は双方に過失責任があるものと判断いたします。」を否定する、きわめて良心的な?正当性のあるものと評価していいと思います。
花子
なるほど。保険会社も正当なことを言っていることもあるんですね(笑)。
現実の事故現場では、予見は可能であったかもしれないが、事故回避可能性はなかった事故であり、従って回避義務も存在しない事故だった。だから無過失事故である。この当たり前の主張が通らず、賠償責任を強要されているところに現自動車保険制度の大きな問題点があるんですね。
本日はありがとうございました。(2010.1.30)
追記 |
http://www8.ocn.ne.jp/~nakamura/qa1_2.htm
これはある方からの指摘なのですが、上記アドレス↑に記載されている内容が、2001年5月6日付けで発行された「東京海上・代理店ニュ-ス」の一部記事とほぼ同一内容のものであるということでしたので、発行された資料の現物を入手して確認したところ、指摘の通りでした。誰がどのような目的で作成したのか不明です。
◆<注意>
上記アドレスに記載されている車両走行形態図の中央図は、A車とB車を取り違えている。
◆「辛口コラム」(76)をお読みください。
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