交通事故・自動車保険関連諸問題。 辛口コメントを通してその本質を衝く。



(116)信号機のない裏通り交差点。一度停止違反車の出会い頭物損事故は多い。
事故を起こせば反則行為でなくなるから「反則切符」処理ができなくなり、道交法違反行為として「赤切符処理」して送致しなければならない責務を警察官は負っている。
だが実務の現実はどうか......。ほとんど例外なく、「物件事故報告書」を作成する安易な現場処理で済ませている。

千葉県警本部・交通捜査課に、一時停止違反物件事故の年間送致件数を問い合わせたところ、そもそも「データ」が存在しないから回答できないとのこと。
にわかに信じがたい意外な回答だったが、明白に立件可能な違反事故も送致することなく安易に処理している現実に、何の問題意識もなく対策も講じていないことが分かる。
反則行為をすれば反則金(行政罰)を支払うが、事故を起こせば何のお咎めもなし。これでいいんかいな......。(2023/8/27)



(115)レンタカー代車運転中「飛び石被害」事故でフロントガラスが破損した。自動付帯の「他車運転特約」行使の対象となるか、という相談メールがきた。
この特約は、自車が車両保険に加入していることを前提に、「対物賠償保険」で対応するとするのが東京海上日動。したがって、車の借主に、借りた車の所有者に対する損害賠償義務が発生していることが不可欠の前提条件となる。「飛び石被害」事故は、通常、借主である運転者に過失のない事故となるから、特約行使の対象外となる。

しかし、三井住友海上では結論が大きく異なってくる。三井住友海上は、借りた車の損害は自車契約の「車両保険」を使って賠償することになるから、「飛び石被害」事故もこの特約行使の対象となる。
また、賠償額の上限は、自車車両保険金額の上限ではなく、借用車の時価額を限度に支払うと約款に定められている。
ちなみに、通販保険「ソニー損保」は三井住友海上タイプである。(2022/8/22)



(114)ある保険代理店の方から感謝のメールがきた。
増額方式の免責金額設定と「免ゼロ特約」付帯契約の危険性を改めて認識させてもらったというのだ。
この方は、長年、契約者の車両保険料負担を少しでも軽減するために、免ゼロ特約を付帯した3万(5万)ー10万の免責金額設定契約を積極的に行ってきたとのこと。代理店側の勉強不足もさることながら、契約者側とトラブルのもととなるこのような商品を販売している無神経な保険会社側の姿勢を強く非難していた。(2021/7/17)




(113)NO112の作成日から7年の間隔をあけての作成日となっているが、この間このコメント作成を休止していたわけではない。
旧PC本体に不具合が生じたため本体を新しいものとの交換作業の過程でHPファイルの貴重な一部を消失してしまったことによる。気を取り直して、このNOから再開とした。

車両保険に入る場合少しでも保険料を安くするために、自己負担金(免責金額)を設定して、「免ゼロ特約」をつける契約者は多い。
免ゼロ特約とは車対車免ゼロ特約のことで、特定できる他車との事故に限り、車両保険の免責(自己負担)を0円とすることができる特約のことだ。

この特約は、免責金額・<3万(5万)−10万>のような「増額方式設定」としたときにトラブルが生じる。
1回目の保険金事故がいたずら被害事故だったとしよう。この場合、対車事故ではないから免責設定金額の3万ないしは5万を自己負担しなければならない。
問題となるのは2回目の事故の時だ。2回目の事故が他車への追突加害事故だったら、対車事故だから当然に免ゼロ特約を行使して自己負担金ゼロで自車の修理ができると、どの契約者も信じて疑わないだろう。多くの担当代理店もそう思っているのだから無理もない。

ところが、約款規定ではそうはなっていないから話がややこしくなる。
約款規定によると、増額方式<3万(5万)ー10万>では、1回目の事故が免ゼロ特約不行使事故だと、2回目の事故が対クルマ事故であっても、「免ゼロ特約」は行使できないことになっている。

2回目事故には、設定金額の10万円を自己払いしなければならなくなるのだ。
これは間違いなく保険会社とトラブルになるナ…。契約時、そんな説明は代理店から受けていなかったと契約者側が主張するのは間違いないからだ。

免責金額が、<3万ー3万>・<5万ー5万>の定額方式では、免ゼロ特約行使は何回目の事故でもOKとなるから、「免責・増額方式」設定は避けたほうが無難ということになる。ちなみに、ソニー損保・チューリッヒなどの通販自動車保険では、免責0円ー0円の定額方式設定はできない。0円ー10万の増額方式があるのみだ。通販保険の安さだけに目を奪われてはいけない理由の一つが、こういうところにも存在する。(2020/9/20)(2021/5/22追加補正)



(112)保険会社が動いている車同士の事故解決に、0対100の結論を導き出すことに激しく抵抗する本当の理由は一体何か。

事故担当者は、よく次のように被害者に言い放つ。「今回の事故では、あなたにも過失がありますから、代車は出ません。」。過失があればどうして代車が出ないんだ。そんな判例はあるのか。このように反論するドライバーが圧倒的に多いが、過失があれば代車は出さないと説明する保険会社の真の意味は、「過失があれば、レンタカー代車という『現物』は提供しない」ということなのだということを、まず理解しておかなければいけない。

代車費用の加害者過失責任分は請求がくれば支払うが、修理期間中、代車という「現物」は提供しないということなのだ。もし互いに過失ある事故で、加害者側保険会社がレンタカーを手配すれば、代車費用を業者に支払う段階で被害者の過失分を請求しなければならなくなるという余計な仕事が生じることになるからだ。保険会社がすんなり100ゼロを認めれば、レンタカー代車を提供しなければならなくなるが、被害者の過失責任を少しでも認定すれば、代車という現物を提供しなくて済むことになるというわけだ。これが保険会社にどのような「実益」をもたらしているかということだが、じつに大きな実益をもたらしているのだ。
被害者は、法律上当然にかかった代車費用の加害者責任分を請求できるが、過失責任分の自己負担金リスクが生じるレンタカー代車をあえて借りるよりも、修理業者の工場代車(無料)を借りて間に合わせるドライバーが圧倒的に多いのが現実だ。

このように、保険会社は100ゼロ解決を絶対に認めないことによって、事故による損害として、法律上当然に支払わなければならない「契約者側過失責任分代車費用」(通常10万円前後)を、事実上合法的に免れているというのが現実だ。保険会社にとってこの実益はじつに大きいといえる。逆に、被害者側からすれば、事故後すぐに修理に取り掛かってはいけないということだ。まず過失割合の交渉を優先して、過失割合が確定してから修理に取り掛かる。これが原則だ。レンタカー代車費用の請求を交渉の武器として利用しなければならないということだ。100ゼロを認めれば代車費用は請求しないが、あくまでこちらの過失責任を追及するのであれば、代車費用の加害者責任分を請求することになると…。(2013.9.22)



(111)ほけん村の村民になるにはどうしたらいいか、というメールがきた。うれしいかぎりだ。ほけん村は「事故付加価値の提供」を最重視している。この提供は当然のことながら無償だ。文書を作成することを想像してみてください。交渉文書の内容を考えながら書面を作成するという作業は、他の仕事や諸々の連絡が入ってくる日中の時間帯は作業が途切れ集中できないために、基本的には深夜の仕事ということになる。交渉書面作成という無償行為をやるためには、ある「前提」の存在を不可欠のものとする。それは、「村民の信頼に応える」という前提だ。だから、村長である私と村民のみなさんとの間に信頼関係がなければ、この無償行為は成り立たないということになるのだ。(2013.9.21)



(110)通販自動車保険に加入しているというドライバーの方から考えさせられるメールが届いた。通販自動車保険が「ハイエナ保険」と呼ばれていることは、この保険を選択した自分自身がなにか否定されているような気がして、なんだか悲しい思いになってしまったということから始まるこのメールは、通販自動車保険加入者側からみた心情を代表するものとして深く考えさせられてしまったのだ。

このメール人は述べる。他の人はいざ知らず、自分は、たんに保険料が安くなるから通販保険に入ったのではない。ネットで探しても「事故に強い代理店」を見つけることができなかったからだ。事故にあって代理店に裏切られるなら(過去に経験している)、はじめから割り切って代理店のいない通販保険がスッキリすると思ったからだ。どうして保険会社や代理店は自動車事故扱いを専門分野とする代理店の存在をネット情報としてドライバー側に提供しないのだろうか。

もっともな問題提起だと思う。結論から先に言えば、保険会社は代理店を事故解決能力によって差別化することはできないし、代理店は、「事故の際には、自分はこのように対応する」という意見表明をホームページ上で公開できない仕組みになっているからだ。代理店のホームページは、「保険募集に関する文書」とみなされ、保険会社の厳しい事前審査を受けて承認されなければ一字一句たりとも公開できないことになっている。違反すれば、たちどころに「代理店手数料減額」というペナルティが待ち受けているというわけだ。

そもそも保険会社は、契約者のために行う代理店の事故交渉を、代理店が行ってはならない日常業務として禁じている。代理店の代理事故交渉は、弁護士法72条違反の「非弁行為」に抵触するおそれがあるからだとするのが、その理由だ。禁じている事故交渉について代理店が、ホームページで独自の意見を述べることなど保険会社が認めるはずもない。このように、代理店は事故解決に関して独自の考えをネット上で公開したくてもできない動かし難いシステムが、保険業界には厳として構築されている。これが実態なのだ。(2013.9.20)



(109)通販自動車保険のコマーシャルは、あいも変わらずして安っぽくて芸がない。自動車保険の深みをとても理解しているとは思えない清純そうな若いお姉ちゃんが登場して、こんなにも保険料が安くなります、のくり返しだ。後遺障害専門サイトとして名高い「交通事故110番」の代表者は、通販自動車保険を「ハイエナ保険」と一刀両断のもとに切り捨てているが、事故交渉力のない通販自動車保険加入者からの、無過失主張事故相談メールが、このほけん村にもあいも変わらず数多く届く。

通販保険最大の弱点は、保険会社との交渉の「知恵」をアドバイスしてくれる人間(代理店)が存在しないことだ。武器(知恵)をもたず保険会社に戦いを挑んでいるのだから、赤子のように軽くひねられてしまうことになる。事故対応に自信のない者は、原則、通販保険に加入してはいけないのだ。「安かろう、悪かろう」<被害事故による不利益>
(値段が安いものは品質が悪いので、買い得と思っても結局は修理や買い替えで高くつくということ)ということになり、何のため保険かということになるからだ。

今年の10月1日から、「事故あり割増引率」・「事故あり係数適用期間」制度が本格的に運用されることになった。「うちでのこづち」のように、気軽に保険を使えなくなる時代が到来したのだ。3等級ダウン事故が発生すると、事故後3年間、最大5割もアップした不利益保険料を払わなければならなくなるという、ものすごさだ。無過失主張事故(0対100、0対95 、0対90 での解決事故)では、絶対に保険を使ってはいけない、いや、使えない時代がきたということなのだ。

見方を変えれば、きれいなべべを着せられて、ただただ頭を下げるだけの「商売上手」が唯一の武器である事故交渉力なき代理店は、加入者から見捨てられる時代がやってきたことを意味することでもある。(2013.9.15)




(108)四輪車同士の事故に「判例タイムズ」を運用して解決する際の基本的方針について、判例タイムズ筆者は、その114頁において、つぎのように明確に記載している。「実際に生じる事故は千差万別であるから、各表で修正要素として与えられている数値を画一的に適用するのではなく、事案により、その数値を増減して適用するという柔軟な態度が望まれる。」

判例タイムズという同じ土俵に上がって過失責任割合を話し合っていく以上、事故当事者双方(保険会社)が、この基本方針に沿っての交渉を進めなければ、話がかみ合わないことになることは明らかだ。

保険会社が「保険屋」としての正体をむき出しにして、判例タイムズを自己側に都合のいいように勝手に解釈し運用してきたら、一体どういうことになるか。その実例を紹介したいと思う。あまりにもひどい実例なので、保険会社名はあえて実名で公表することにする。
「株式会社 損害保険ジャパン」。担当したのは、関東地域に所在するサービスセンターだ。

事故の概況はこうだった。相談者が片側一車線道路走行中、右側反対車線路外車庫から加害車両がいきなり右折侵入してきた結果、相談者の運転する車の右後部車体部分に衝突。加害者は道路進入の際、右方からの走行車両の有無だけに気を取られ、左方(相談者走行側)の安全確認はまったくすることなく進入した結果、衝突して初めて相談者の車に気づいたという状況だった

相談者は判例タイムズ「100図」を適用しての交渉を開始して、当然のごとく、加害車両の過失加算修正要素「著しい過失」(道路進入に際して、左右の安全確認を著しく怠った)の採用を主張して、10対90から交渉を開始したいと申し入れた結果、同センターから返ってきた回答が以下の文面である。


「…○○様が仰せのように相手方に「著しい
過失」が発生するのであれば、○○様も相手の車が車庫にいたのを確認されていらっしゃるので、…事前に出てくるのを予見できるはずです。そこをご確認されていないというのは前方不注視=「著しい過失」にあたるものと主張させていだきます。…」

「理屈と飯粒(めしつぶ)はどこにでもつく」(天声人語より)というが、ここまで恣意的運用をしてくれば、保険的素人の一般ドライバーではお手上げという他はない。すさまじきかな「保険屋」根性。保険会社としての誇りも良心のかけらもない目先だけの利害関係を追及する存在を、蔑(さげす)んで「保険屋」と呼ぶ。(2013.7.15)



(107)「判例タイムズ」を用いた示談交渉のメリットは、法律論争をすることなく、0対100の無過失主張交渉が可能となる点にある。このことはすでに触れている。
各類型図ごとに記載されている「修正要素」(過失数値の加算・減算要素)の採用をめぐっての交渉ということになるから、現実に発生した具体的事故状況という事実関係が各修正要素にあてはまるかどうかの争いだけが争点となり、法律論争が入り込む余地は無いのだ。


これに比べて、民法709条に規定する「過失」が存在するかどうかという法律論争は、法的価値判断の問題となるから、利害関係の対立する被害者・加害者間で統一した結論に達することは困難だ。事故担当者が鬼の首でも取ったかのように言い放つお決まりのことば。「本件事故は、一方の事故当事者であるあなたにも、事故発生の予見可能性が存在したと判断されますから、あなたも過失責任が生じます。」。

事故担当者が安易に使う「事故予見可能性」。こういう場合を考えてみてください。空を飛んでいる飛行機がある日突然地上に墜落し、その結果として、地上を走っていた多数の車が甚大な損害を被ったとします。この場合、車を運転していた運転者にも、飛行機が墜落することは予見可能であったから、事故回避の具体的措置を取っていなかった運転者にも過失責任は免れない。こういう結論を裁判所が出したとしたら、どうでしょうか。例外なく誰だってこの場合は、理屈は分からなくても予見可能性は存在しなかったという結論だけは一致するはずですね。

事故発生予見可能性が存在するかどうかという問題は、@物理的見地からの判断とA法律的見地からの判断という二つの異なった立場があるということなのです。このことを事故担当者はまるで理解していません。@からの判断は、純然たる物理的法則にもとづいての判断ですから、価値的要素が入り込む余地はありませんが、Aからの判断は、発生した損害を当事者間でいかように分配すべきかという見地から、事故発生予見可能性なるものを判断することになるのです。事故発生に関与したA・B双方に分配すべきと判断したならば、A・B双方に予見可能性が存在したという結論が導かれることになるだろうし、Aが発生した損害を全部負担すべきと判断されたならば、Bには予見可能性は存在しなかったという結論が導かれることになるのだと思います。ですから、法的見地からの予見可能性存在の判断というものは、多分に、損害を負担さすべきか否かの価値判断の問題ということになるのではないかとほけん村は考えています。

最後に、裁判官は事故当事者双方に損害を分担さすべきだと判断したときに、どういう理屈をこねまわすのか、その実例を紹介しておくことにしましょう。ショッピングセンタ-駐車場、駐車スペ-ス内に駐車していた加害車両がいきなり通路に進入した結果、通路を走行していた被害車両に衝突したという事案の判決文です。

「本件駐車場の通路部分を走行する際は、同通路部分の前方左右を注視し、同通路部分を走行している車両等、本件駐車場の駐車場所から発進し、又は駐車場所に駐車しようとしている車両等の有無及びその動静等交通の安全を確認し、通路部分、駐車場所等の交通及び運転車両等の状況に応じ、他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転をしなければならない義務があった(道路交通法70条)。
それにもかかわらず、乙事件被告
(注→通路走行運転者のこと)
はその義務を怠り、走行している通路部分の前方左右の安全を十分に確認せず、空いている駐車場所を探しながら、前方左側の駐車場所から発進しようとしている被告車の存在及びその動静に気が付かないまま漫然と走行した過失が認められる。」
(大宮簡易裁判所)  (2013.6.16)



(106)平成25年3月9日発行の「週間ダイヤモンド」に自動車保険の保険料ランキング記事が掲載されている。
前提条件は、6等級新規加入・車両保険なし・ゴ-ルド免許・年齢条件→@26歳以上A35歳以上、トヨタ・プリウスで加入した場合等の保険料を算出比較したものだ。運転年齢補償が26歳以上・35歳以上のいずれの場合も、保険料の安さベスト3に名をつなれているのは、通販系自動車保険会社だ。そして、ワ-スト3に顔を出すのは、当然といえば当然のことだが、代理店の介在する国内大手損保会社だ(日本興亜→東京海上日動→損保ジャパン)。


26歳以上補償では、ベスト1位の「SBI損害保険」とワ-スト1位の「日本興亜損害保険」との保険料の差は、驚くなかれ、実に3万2,250円(66,000円−33,750円)。35歳以上補償でも、ベスト1位の「SBI損害保険」とワ-スト1位の「「日本興亜損害保険」との保険料の差は、2万8,920円(60,270円−31,350円)となっている。

自動車保険の保険料は、代理店の介在しない通販系自動車保険会社と代理店の介在する国内損保保険会社との間で、最大2倍近い開きがあるという現実。この現実を一般ドライバ-がどう評価するかということだ。

自動車保険を事故が発生した時に被る損害を補償してもらう保険と単純明快に捉えれば、通販系と国内損保系との間で大きな違いは無いのだ。だから「補償を得る」という観点からの選択基準の中心となるのは、保険料ということになるのは当然のことであるから、イザというときの補償を通販系の2倍でも厚くしない限り、国内損保系に勝ち目がないことは、小学生でもわかる理屈だ。

代理店の介在する国内損保保険を支持する一部ドライバ-に、ある根強い考えをもっている人達がいる。「代理店、事故現場要求」型のドライバ-だ。事故現場に来ることを代理店に要請するのが当然だと考えているドライバ-のことだ。このタイプのドライバ-は、例外なくこのように言う。「事故現場にきてもらうと非常に心強いし安心する。」。しかし、保険金支払い決定権のない代理店が事故現場に駆けつけたところで、事故自体は実は何も解決しないのだ(確かに、事故現場の事故直後の状況を把握できるなどのメリットがあるにはあるが…)。だとすると、契約者はたんに精神的な安心感を得るために通販系の2倍もの保険料を支払うのか、ということになるはずだ。ところが、この辺りの分析検討ができていないドライバ-が大半だし、多くの代理店も深くは考えていない。

自動車保険も損害保険商品である以上、他の保険商品(火災保険・傷害保険等)同様、イザというときの事故損害を補償してくれる保険であることには変わりがない。しかし、自動車保険をたんにその位置づけだけで理解しておくことは不十分だということを、ほけん村は主張し続けている。さらに一歩進めて、自分や家族の権利を護り且つ行使することのできる保険に位置づけしておくことが重要なのだ。
無過失主張事故・評価損請求事故・車両買換え諸費用請求事故これらの事故において、加入保険会社が契約者(被保険者)のために交渉の前面に出てくることは一切ない。保険会社の被保険者に対する契約上の義務は、「被保険者の過失責任の範囲を確定し、保険金を支払うこと」以外にないからだ。

これらの主張・請求事故。被保険者は一体誰に頼ればよいのか。すぐ頭に思いつくのが、弁護士特約加入による弁護士だが、弁護士は解決の即戦力にならないことを知らなければならない。そば屋の出前のように、すぐに駆けつけてくれる存在ではないからだ。頼りとするのは、身近に存在する代理店だ。この代理店にこれら一連の主張・請求事故の解決能力が備わっていなければ、被保険者は救われないことになる。まさしく、何のための代理店かということになるからだ。交渉能力のない代理店は、いないに等しい代理店ということになり、代理店の存在しない通販系自動車保険と質的には同一レベルの保険となる。いないに等しい、ただただ頭を下げるだけの代理店が介在する自動車保険に2倍近い高い保険料を支払って加入する契約者は、即刻通販系に切り替えるべきだろう。

代理店はもとよりのこと、国内損保大手保険会社もいまだ十分に正視してはいない。代理店が契約者側に提供する「事故解決能力」、この能力提供こそが、保険料2倍格差の中核的価値であるということを…。

ほけん村は、この能力を契約者側に提供することを「事故付加価値の提供」と名づけている。この価値は、保険会社が均一的に契約者側に提供できる性質のものではない。それぞれの代理店が独自に提供する価値なのだ。(2013.5.10)



(105)今年の春高校を卒業し、地元の信用金庫に就職する娘さんの母親からメ-ルがきた。今春から娘が自宅から車で45分ほどかかる就職内定先に車通勤することになった。車は、娘がバイトでためたお金に上乗せして新車を購入することにした。当然のことだが、娘は車運転に慣れていない。自動車保険の重要性は、主人の過去の事故経験で十分に認識しているだけに(ご主人は現在も会社団体保険に加入中)、娘のために保険はどこで入るか迷っている。現時点での最有力候補先は車購入予定先の「ディ-ラ-代理店」だ。専門家の立場からアドバイスをいただけないかという内容のものだった。しっかりした文章で、娘さんのことを思う母親の気持ちが素直に伝わってきて、精一杯のアドバイスをしなければと思わず姿勢を正したほどだつた。

ディ-ラ-代理店で任意保険に加入してはいけない
ということを、まず、最初にはっきりとアドバイスをさせていただいた。ディ-ラ-代理店は、自動車販売のプロではあるが、自動車保険の…、より正確には、保険事故対応のプロではないからだ。新車使用となれば、格落ち損害(評価損)請求の問題が発生する可能性があるが、この問題に対応できる能力は、もとよりディ-ラ-代理店には備わっていない。ましてや、無過失主張事故への対応力など言うまでもないことだ。

ほけん村はこの母親の方に、
これからの自動車任意保険は、たんに事故の際の損害補償を得るための保険としての位置づけから一歩脱却して、自分や家族の「権利」を護り、かつ行使することのできる保険に位置づけることが重要であり、そのためには、「事故付加価値」サ-ビスを提供してくれる専業(プロ)代理店の存在が不可欠となる、ということを熱っぽく説いた。

「事故付加価値」サ-ビス提供とは、加入者の「使者」として、
   @加入保険会社が事故交渉の窓口となれない「無過失主張事故」で、相手保険会社事故担当者との交渉窓口となったり
   A実質100ゼロ解決を意味する、0対95ないしは0対90の示談解決交渉の窓口に立ったり
   B保険会社が事故による損害と認めない、車両格落ち損害(評価損)請求の交渉窓口に立つこと
などを、その内容とするサ-ビス提供のことだ。

これらの「事故付加価値」サ-ビスを提供できるのは、ごく一部の限られた専業代理店だけだ。これら専業代理店の日々の活動は加入者側の視野に入ることはない。物理的に情報提供が保険会社によって制限されているからだ。「保険募集文書」という名の大きな壁によってだ。代理店が外部に公表する一字一句が保険会社の厳格な管理下のもとに置かれているために、「代理店として事故にどのように対応していくのか」といった各代理店独自の見解公表は、保険会社の事前検閲により事実上認められることはない。そのために、これらの情報がネット等を通じて保険加入者側に伝わることはないのだ。実に奇妙なことだが、保険加入者側が求めてやまない「事故対応力のある代理店」情報は、求める側には一切与えられていないという現実が、この情報氾濫時代においてもなお存在しているということだ。   (2013.1.17)




(104)新聞朝刊に「大人の自動車保険」(セゾン自動車保険)の一面広告が掲載されていた。その広告掲載内容の中に「車両保険」について説明がなされている箇所があり、こう書かれている。「…車体の購入価格がそれほど高くない場合など、自分の車に対する補償がいらなければ無理して入る必要のない保険だといえます。」。この広告説明文を読んだドライバ-は、車両価値が低ければ車両保険加入は必要ないんだと素直に受け取ってしまう方も多いに違いない。

しかし、車両価値を車両保険加入判断の目安とする考え方は、自動車保険にいかに安く加入するかという視点からの一つの考え方に過ぎないことに注意しなければならない。人は損得だけを基準にして生きているわけではない。理不尽な結論を素直に受け入れることができないのが人間の常だ。事故の際の理不尽な話し合い、対等な話し合いである示談交渉ができなくなるおそれがあるのが、車両保険未加入なのだ。詳細はほけん村HP「保険業界に横たわる諸問題ーその23」を読むべし。 http://members.jcom.home.ne.jp/0110maito/sub2.html   (2012.11.26)



(103)加入保険会社事故担当者に対して、判例タイムズ掲載の「修正要素」採用を相手保険会社事故担当者と交渉するように依頼。結果として0対100交渉を担当者に依頼することは、無過失主張をしていることとは異なる。この問題は、すでにこのコラムで述べたところであるが(NO90参照)
、修正要素採用による0対100交渉要請を無過失主張と混同する事故担当者が後を絶たない現実がある。

この問題、ためしに国内損保二社、「お客さまデスク」・「カスタマ-センタ-」に問い合わせてみることにした。結果は見事に分かれた。修正要素採用による0対100交渉要請と無過失主張とは明らかに異なる、と明快に回答したのは「三井住友海上」だ。若い女性担当者だったが、歯切れのよい回答だった。これに対して、もう一社の大手損保…。あえて名前は出さないことにするが、こちらはベテランと思われる男性担当者。曰く、修正要素採用による0対100交渉要請も、結果としては0対100主張の意思表示をしていることになるから、無過失主張と同じことになる。すこぶる歯切れが悪いが、会社の見解と理解していいかと念を押すと、そう理解してもらっていいと、この言葉だけは明確に答えた。

無過失主張であれば、加入保険会社は示談代行の前面に出ていくことができなくなるから、どう理解するかの影響は大きいことになる。改めて「無過失」とは…。民法709条に規定する、不法行為成立要件としての「過失」が存在しないということだから、この過失が存在しないと主張することが無過失主張ということになる。これに対して、修正要素採用の可否をめぐっての主張は、当該修正要素に該当する事故状況事実が存在したか否かの問題だ。両者の違いは明らかだろう。 

この両者の違いから、次のようなことが言えることになる。709条の過失がないことを前面に押し出して0対100主張交渉をするということになれば、「過失=予見可能性に基づく事故回避義務違反」がなかったことを主張しなければならないことになるが、予見可能性が存在したか事故回避義務違反があったかどうかという問題は、法律的見地からの「価値判断」の問題ということになり、価値観の違いにより結論は大きく異なることになるはずだ。これに対して、修正要素採用を主張して0対100の立場を明らかにすることは、修正要素に該当する事故状況事実があったかどうかの問題ということになり、法律的価値判断の問題が入り込む余地がなくなることを意味するということだ。判例タイムズという同じ土俵に上がって、保険会社と過失割合交渉をするメリットはここにある。 (2012.11.8)



(102)平成24年11月3日朝日新聞朝刊・千葉版(29面)に「交通事故19件で行政処分科さず 県警が懲戒処分」の見出しで記事が掲載されていた。記事の内容はつぎのとおりである。
「交通事故19件の運転者に行政処分を科さなかったとして、県警は2日、運転免許本部執行課係長の男性警部補(58)を減給1ケ月の懲戒処分とし、発表した。行政処分を求める上司の指示に従わず、『自分の判断のほうが正しいと思った』と説明しているという。監察官室によると、警部補は、過失の割合やけがの程度から処分内容の審査を担当していた昨年3月〜今年4月、人身事故19件について複数の上司から運転者に2〜6点を加点するよう指示されたのに、交通畑を約30年歩んできた経験などから『過失はない』と判断して行政処分を見送ったという。…以下略」。

この警察官は、自らの信念に基づいて違反者に行政点の加点手続をとらなかったために懲戒処分を受けたのだ。この新聞記事を読む側の我々一般ドライバ-は、行政処分としての加点がいかなる手続でいかなる場合に科せられるのか、無知の状態にあるといっていい。どこからも情報提供がないからである。交通畑30年の経験豊富な警察官が、どういう理由で違反者の加点手続をとらなかったのか、もっと掘り下げてその詳細を知りたいところだ。加点制度そのものに問題点があるからこそ、この警察官は自らの信念に基づいて行政処分手続をとらなかったのだろう。こういう警察官が自らの考えを外部に公表できるシステムがあれば…。誰もが思うところではある。権力機関へのチェックシステム。権力機関の職務執行根拠情報が権力執行を受ける側の国民に情報提供がなされない限り、適法な権力執行かどうかのチェック機能が国民に与えられていないことを意味することになる。

制度上、警察の上級行政庁として、警察を管理する立場にある「公安委員会」。この公安委員会の実態を多くの国民は知らない。新聞等の情報提供があまりにも少ないからだ。運転免許の行政処分権限は公安委員会が握っている。だが実際に運営し権限行使しているのは警察だ。管理される側の警察組織に属する人間が、管理する側の組織を実質的に運営しているという茶番的滑稽さ。形骸化した公安委員会組織。この組織は現実には十分に機能していない。警察組織の「隠れみの的存在」となってしまっている公安委員会組織。改善すべき問題点は多いのだ。 (2012.11.4)



(101)新車登録から1ケ月後の被追突被害事故。修理費21万円。当然のごとく格落ち損害(評価損)の問題が生じてくることになる。修理費の20%を支払うとしてきた保険会社に、修理費20%支払い基準根拠資料の提示を求めたところ、保険会社はつぎのような書面回答をよこしてきた。
裁判例において用いられている基準に照らし合わせると、おおよそ、修理費の10〜30%で認容されており、車体の骨格部位に大きな損傷があることを大前提として、その程度によって判断されている。今回の修理内容確認から判断して内鈑骨格部位に損傷を受けているとは認めがたく、上記判例に照らせば格落ち損害は認容できないと判断される。しかし、新車登録から1ケ月、被害者の心情を考慮して極めて例外的に修理費の20%を支払うことにしたのであって、いわば合理的根拠のない示談ベ−スの提示であるから、20%支払い提示の根拠となるような資料は存在しない。

社内基準に基づいて修理費の20%を支払うことにしたとは言えないから、このような表現になったと考えられるが、この保険会社書面で押さえておかなければいけない点は、「車体の骨格部位に損傷を受けていなければ、判例の立場から格落ち損害は認められない」と断定していることだ。はたしてそうか。判例はそのように判示しているのかということだが、これは明らかに間違っている。判例は、骨格部位に損傷を受けていなくても格落ち損害の発生を認めているのだ。
平成7年7月31日横浜地裁判決はつぎのように判示している。「修理の内容はフロントバンパ-及びヘッドランプ左の脱着、フロントフェンダ-左及びエンブレムの交換等であり
車体の本質的構成部分に重大な損傷が生じたものではないから、修理により原状回復がなされ、機能、外観ともに事故前の状態に復したものと認められる。しかし、事故歴ないし修理歴のあることにより商品価値の下落が見込まれることは否定できず、右評価損としては修理費の三割をもって相当と考える。」

また、平成20年12月15日東京簡易裁判所判決も、つぎのように判示して事故歴による評価損が発生することを肯定している。
「評価損については、@修理によっても技術上の限界等から外観や機能に回復できない欠陥が残存する場合と、A外観や機能は特に問題ないが、事故歴があるという理由で当該車両の交換価値が下落する場合が考えられ、いずれの場合についても、評価損として判断される損害を賠償すべきであると考えられる。そして、Aのような、車両の交換価値が下落したことによる評価損は、車両の所有者が事故によって評価損に相当する損害を潜在的に被っており、将来転売する可能性が考えられる場合には、当該車両を売却し損害として顕在化していない場合であっても、事故による損害を被っていると解するのが相当である。」

保険会社の事故担当者は、民法の基礎的知識である「物」と「財産」の区別が身についていない。有体物としての車と財産としての車はどこがどう違うのかが、まったく理解できていないのだ。
有体物の侵害と財産の侵害とはおのずと異なり、別個独立の損害となる。法理論上当然の道理を判例が追認したのが格落ち損害の問題といえるだろう。この両者の違いも理解せずして評価損の実務を取り仕切る担当者。その実態はお寒い限りで、多くの時間と労力が費やされる結果、迷惑を被るのは他でもない自己の財産を侵害された車の所有者ということになる。 

このコラムがマンネリ化しないためにも、たまには趣向をこらしてみなさんにクイズ問題を提供したいと思う。
有体物としての車が「財産」と呼ばれるようになるのは、次のどれと結びついたときか。
             @人 Aお金 B車検証登録


答えは、ほけん村HP「保険業界に横たわる諸問題ーその43」をご覧あれ。 

結局のところ、新車登録1ケ月の軽乗用車格落ち損害。修理費の何%請求を保険会社は認めたのかというメ-ル問い合わせがきたので、これに答えておきたいと思う。根拠資料となる判例資料を提示してくれとのことであったので、これを提示したところ、保険会社は、対物総賠償額を提示し、この金額を支払うと意思表示してきた。その金額の中に、修理費30%の格落ち損害分が含まれていたことは言うまでもないことである。 (2012.10.26)



(100)ほけん村へ無過失主張相談メ-ルをよこす方の事故形態は、そのほとんどが次のいずれかの被害事故に集約される。@優先道路、信号機のない交差点を通過直前、交差道路からいきなり飛び出してきた相手車と衝突した被害事故。A走行中、左前方路外で待機中の相手車が通過直前いきなり飛び出してきて衝突した被害事故。B駐車場内の通行帯走行中、通過直前、白線内駐車スペ-スに駐車していた相手車がいきなり発進し衝突した被害事故。C片側二車線、並進走行中の相手車が合図もなくいきなり車線変更してきて衝突した被害事故。

いずれの事故も被害車側ドライバ-にとっては避けようもない事故だが、保険会社は「判例タイムズ」を機械的に適用し被害者にも過失責任ありと主張し100ゼロを認めることはない。判例タイムズ適用図には、被害車両にも前方不注視の安全運転義務違反(道交法70条)
があるとして過失責任を認めているからだ。
いま、保険会社がすんなりと100ゼロを認め、要求に応じレンタカ-代車を提供してくる加害事故は次の事故だ。◆追突事故◆センタ-ラインオ-バ-事故◆赤信号無視事故。それ以外の加害事故については全面的過失責任を認めないから、上に述べた@〜Cの事故については、被害者との間で延々と事故交渉やり取りがくり広げられることになり、互いに多くの労力と時間を費やすことになる。

これら@〜Cの事故に対し、保険会社がすんなりと100ゼロ解決を認めたとしたら、事故解決において劇的な変化が起きることは間違いない。これを現実的なものとするための解決策はないのかということだが、唯一の即効的策は最高裁判所の無過失判決が出ること以外にない。それを可能とするのが、「弁護士特約」だ。この特約を付けていない事故相談者は多いが、それは本人の自己責任というよりも、むしろ特約付帯を進言できなかった無能な代理店の提示力のなさが大きな原因と言えよう。年間保険料わずか2千円前後の弁護士特約加入を提示できなかった代理店の責任は大きい。特約加入提示力なし代理店=事故解決力なし代理店。弁護士特約加入の最大のメリットは、採算性を度外視して自らの権利行使が可能となる点だ。10万の損害賠償金を勝ち取るために、30万円の弁護士費用を支払う者はいない。弁護士特約はこれを可能とするのだ。こんなことも理解していない代理店には、常に次の一手を読むことが要求される事故解決力も当然に備わっていないであろうことは容易に想像がつくことだ。ほけん村はそう考える。 (2012.10.15)



(99)事故付加価値…?あまり聞き慣れない言葉だと思いますが、この言葉は当ほけん村が創った造語です。
自賠責保険は法律で加入することが義務づけられている強制加入保険ですが、自動車任意保険は、加入するかどうかは加入者の自由です。
しかし、強制保険では、対物賠償が一切補償されないことから、任意自動車保険に頼らざるを得ないため、いずれの民間保険会社も、「自動車保険会社」と呼ばれるほど、自動車保険は会社収益の主力商品とされてきたのです。「きたのです…?」。過去形で表現したのは、いま、各保険会社は自動車保険収益悪化対策に追われている。若者の車離れ(特に都心部)・車人口の減少・少子高齢化に伴う高齢者の事故増加現象等の時代背景のもと、損害率(事故による保険金支払÷保険料収入)が悪化しているからだ。現に、大手保険会社は、平成24年1月に保険料改定を行ったばかりであるにもかかわらず、同年10月から再度の保険料改定を行うことにしている。なりふり構わず…。これが、営利会社である保険会社の現状というわけです。

ところで、みなさんは、自動車任意保険に何のために加入するんでしょうか。こう質問されれば、たいていの人が、漠然とではあるが、「イザというときの補償を得るため」と模範的な答えをするのではないでしょうか。間違いなく事故は起こさない。起きない。こう確信し、この確信が不動のものであれば、当然のことながら、自動車任意保険に加入する人はいなくなる。当たり前のこと。この保険には「無事故戻し」は一切なく、目に見えない「安全・補償」を先買い(先行投資)していることから、何事もなく無事契約期間満了日を迎えたときには、形になるものは何も手元に残っておらず、お金だけを保険会社に投入したという感覚だけが残ることになるわけですね。表現は悪いが、「保険会社に全部持って行かれた」。この思いをもつことになるというわけです。

こんな自動車保険。万一、事故が発生したときは、大化けすることになる。年間保険料、わずか数万円投入。それが100万円、200万円となって返ってくる。発生確率の高い「物損事故」などでは、車両保険に加入していることにより、4、50万の修理費用も保険で全部まかなってくれるということになる。だから自動車保険はありがたい。イザというときの「損害補償」を得るためには必要不可欠の存在だと認めることになる。車事故補償に欠かせない保険、それが自動車保険。誰もがそう思っているが、ほけん村は少し違った考えを持っている。自動車保険は、車事故による補償を得るための保険と捉えるだけでは不十分。自分や家族の権利を行使し利益を守るための保険に高めておくこと、すなわちグレ-ドアップ(品質向上)しておくことが必要だと…。

無過失主張事故が発生した。普段、保険会社は、万一の事故のときには、当社が示談代行サ-ビスをやるから安心してください、と言っている。この言葉を信じて無過失主張事故であることを連絡した加入者に、保険会社は冷たく言い放つ。「お客様が無過失を主張している以上、弊社が交渉の窓口となることはできかねます。」。示談代行サ-ビスは嘘だったのか!サ-ビスという以上、どんな事故でも対応してくれるのではないのか。加入者の疑問はもっともなことであるが、契約時取り交わした「約款(やっかん)」には、「被保険者(保険金を請求する権利を持っている人)が被害者に対して負担する法律上の損害賠償責任の内容を確定するため」に保険会社に「示談代行義務」があることを明記している。

ここに、普段、約款などに縁のない加入者と保険会社との間において、「示談代行」に関しての認識の大きなズレが具現化してくることになる。保険会社は、自分の権利や利益を守るために示談代行サ-ビスを行ってくれるのだ。加入者の多くはそう固く信じている。ところが、保険会社側は、あくまでも約款規定に基づいて行動するだけだ。「被保険者の過失責任範囲を確定するため」に事故相手側と交渉する、という職務上の義務を果たすために行動するのだ。被保険者が無過失を主張している以上、保険を使用しない意思表示を明らかにしたとものとして、被保険者の過失責任範囲を確定するために積極的に行動する職務上の義務は生じないと判断する。

また、初度登録年月の新しい自車が被害事故で損害を受け修理を余儀なくされた。修理をすることにより、事故前と同じ状態、つまり「原状回復」は事故相手の補償負担により果たされることになる。しかし、修理をしたという事実によって発生した「商品としての交換価値の減少(財産の目減り)」という損害(評価損・格落ち損害)はどうしてくれるのだ。これは事故によって発生した損害ではないのか。この損害請求を相手保険会社にしてくれるよう加入保険会社に申し出ても、保険会社が動くことはない。約款上課せられた義務以外の仕事を保険会社が行うことは一切ないのだ。このように、加入保険会社が相手にしてくれない、無過失主張事故・評価損請求事故等においては、加入者(被保険者)は誰を頼ればいいのか。

「弁護士特約」加入による弁護士…? 誰もが考えるところだ。しかし、弁護士は、そば屋の出前みたいに気軽に自宅まで駆けつけてくれる存在ではない。事故発生初期的段階では頼りとなる存在ではないということを知らなければならない。では誰を頼ればいいのか。もっとも身近な存在である担当代理店しかいない。この担当代理店に法的知識力・事故対応力がなければお手上げだ。自力に頼るしかないということになる。「何のための保険か」、この段階ではじめて思い知らされることになる。

加入者からみて、事故対応力のある代理店を自己の担当代理店とすることは、考えている以上に容易なことではない。かくも情報が大量に氾濫している現代であるにもかかわらずだ。対応力のある代理店を見つけ出す情報はどこにも提供されていないからだ。考えてみれば不思議なことだが、何故提供されていないのか。法の世界では人間みな平等だが、保険会社においても、代理店はみな平等扱いだ。事故対応能力によって差を設けることはできないから、平等扱いせざるを得ないのだ。代理店は代理店で、身近な通信手段であるインタ-ネット画面を自説展開の場とすることができないという現実がある。保険会社が介入してくる「募集文書」という名の厚い壁の前に、事実上自説展開の自由が認められていないからだ。加入者は、各代理店が開設しているホームぺージをいくら検索しても、加入者がもっとも知りたい情報である、「事故に対してどのような対応をしてくれるのか」という肝心かなめな点について、各代理店それぞれの考えは一切掲載されていない。ただただ退屈極まる販売保険商品の羅列と説明だけだ。せめて、せめてもだ。加入者の無過失主張事故に対して、代理店としての自分はどのような対応をとるのかを明らかにしない限り、加入者は代理店選択の有力な情報を与えられないことになるのだ。現状に気づけ!代理店!ということに尽きるだろう。

万一の事故補償に備える自動車保険を、自己ないし家族の権利を守りかつ行使するための保険にグレ-ドアップ(品質向上)しておくことの重要性。無過失主張事故・評価損請求事故等に対応できる事故付加価値の付いた自動車保険にグレ-ドアップしておくことの大切さを、事故が起きる前に再認識しておかなければならない。
事故付加価値とは、事故対応力のある代理店が提供する各種事故サ-ビスのことだから、あなたの自動車保険にどの程度の事故付加価値がついているかは、代理店の事故対応力によって決まることになる。事故付加価値は保険会社が商品として提供するものではなく、代理店が独自に提供するものであることをしっかりと認識しておくことが、賢い自動車保険加入者になるための前提条件だといえるだろう。

事故対応力のない代理店で自動車保険に加入すると、どういうことになるのか…。
そもそも代理店そのものが存在せず、「事故付加価値」を付ける余地とてない通販・ダイレクト自動車保険と、自動車保険の「質」においては同レベルということになり、代理店に契約手数料を払わない分保険料が安くなる通販保険を選ばない理由はどこにもないということになる。この場合は無条件に通販自動車保険へ…。これがほけん村の考えだ。 (2012.9.28)  ※<この小文は、「あなたの自動車保険。事故付加価値がついていますか?」のタイトルでトップベ-ジにも掲載中>



(98)2012年10月に自動車保険制度改定が行われ、更新前の保険期間中に保険事故があれば、更新時、「事故有係数」が適用され、係数適用期間(1年から6年)に応じて「事故有割増引率」が適用される制度が、周知期間(2012年10月1日〜2013年9月30日始期契約)を経て、2013年10月1日始期契約から実施されることはすでに紹介した。

問題は、2013年10月1日以降満期の長期契約、つまり、2010年10月1日以降に契約した長期3年契約に3等級ダウン事故があった場合には、事故日にかかわらず(すでに事故が発生している場合であっても)、更新契約に「事故有係数適用期間」と「事故有割増引率」が適用されるという通知を保険会社が長期契約者に出していることだ。この通知は、制度改定前の事故にもさかのぼって適用することになるのではないのか、という疑問が当然に出てくることになる。

保険会社の見解はこうだ。長期契約者には契約時「重要事項説明書」を交付した上でその書面記載内容を説明しているが、その書面には「○年○月現在の割増引率であり、将来変更となる場合がございます。」という文言が記載されている。この文言を根拠として、「事故有係数適用期間」と「事故有割増引率」の制度を制度導入前の事故に遡及的に適用しても正当性が担保される。

「事故有割増引率」制度の遡及的適用は、この書面の事前交付によって正当性が担保されると思うが、「事故有係数適用期間」制度の遡及的適用まで、この書面事前交付によって正当化されるだろうか。要は、「○年○月現在の割増引率であり、将来変更となる場合がございます。」という文言の解釈の問題ということになる。
文言解釈の問題だから、いずれの立場もとり得ることになるが、「事故有係数適用期間」制度の遡及的適用は文言内容解釈から正当性を有するとする保険会社の見解は、拡張解釈(拡大解釈)であり許されることはなく、民法1条2項「信義誠実の原則」に反する無効な通知である、というのがほけん村の結論だ。 (2012.9.20)



(97)「等級プロテクト特約」。保険期間中、1回目の事故については3等級ダウンすることなく、等級すえおき扱いとするこの特約。今年の10月から完全に姿を消すことになる。販売当初、加入者増加目的の目玉的特約として積極的に導入したこの特約も、保険会社側からみれば、保険金支払増要因の一つとなるお荷物的特約であったから、自動車保険の収益悪化に伴い、この特約が販売中止となるのは、当然の成り行きであったといえる。

問題としたいのは、この特約廃止を前にした代理店の姿勢だ。廃止事前情報を、等級プロテクト特約加入顧客に伝えたかということだ。加入者側は、事前情報を得られなければ販売中止に対する対抗措置をとるか否かの選択肢そのものを与えられないことになるのだ。常日頃、「当店は、いつもお客様の立場に立った代理店活動を行っています」などと大見得を切っている代理店は、はたして、この事前情報を顧客に伝えたのか。事前通知義務がない分、特に代理店としての姿勢が問われるのだ。

今や、映画監督として国際的に名をはせるようになった「ビ-トたけし」(本名北野武)。一介の漫才師としてデビュ-した彼が、芸術家としての社会的地位を獲得することは多くの人間にとって予想だにしなかったことと思われるが、ほけん村としては、初期の頃の彼が人間的には好きだった。強烈な毒舌。そこには、人間の「偽善性」を鋭く衝く、斬新さを感じさせる何かがあったからだ。「偽善的代理店」。あえてこう呼ぶことにする。特約廃止に伴って生じる更新保険料単価減少を、他の特約等付帯で穴埋めすることにエネルギ-を注ぐ前にやるべきことは、何故事前通知をすることができなかったのかを、自らに静かに問いかけてみることではないのか。 (2012.9.13)



(96)当ほけん村掲示板でも取り上げられている、今年10月の自動車保険制度改定。周知期間(2012 年10月1日〜2013年9月30日)を経て2013年10月1日始期契約から適用される新等級制度(「事故有割増引率」と「事故有係数」の導入)。この新等級制度を、2010年10月1日以降締結した長期3年契約自動車保険で3等級ダウン事故が発生した場合は、事故日に関わらず「事故有割増引率」適用対象事故として、更新契約に反映させるとする、保険会社の契約者への書面通知が、はたして正当性を有するかという問題。

東京海上日動はつぎのように説明する。
更新契約の等級・等級別の割増引率に関しては、約款上規定されていないから、等級制度改定による新等級制度を改定前に発生した事故に遡及的に適用して、更新契約に反映させることは、法律上問題は生じない。ただし、契約時、契約者への説明義務が課せられている「重要事項説明」からの見地から、はたして説明責任をはたしているといえるかどうかが問題となる。この点に関しても、契約者に契約時説明し交付している重要事項説明書の中に「○年○月現在の割増引率であり、将来変更となる場合がございます。」との文言があり、説明もしているところから、説明責任も果たしたことになると…。

契約時に交付される「ご契約のしおり」にも同じ文言が記載されているところから、10月制度改定で導入される「事故有割増引率」を、導入前の事故に適用して更新時反映させることは、許されるものと考える。問題となるのは、等級ダウンル-ルの重大な変更である「事故有係数」制度の改定前事故への遡及的適用だ。
ご契約のしおりには、「将来において等級ダウンル-ルの変更もありうる」などという文言は一切記載されていないから、遡及的適用は許されないという議論は当然に出てくる。保険会社が、これに関してどう説明してくるかだ。判明次第、ここに掲載したいと思う。 (2012.9.8)



(95)ある代理店からこんなメ-ルがきた。ある日突然、10年来のお付き合いである顧客から、自動車保険を解約したいとの連絡が入った。事情を聞けば、ディ-ラ-で新車を購入した際、自動車保険との抱き合わせ長期2年プランを提示され、別個に自動車保険に入るよりも、お得になると勧められたからだとのこと。ディ-ラ-担当者の保険勧誘は問題があるのではないかという趣旨の内容だった。

ディ-ラ-担当者と顧客との間にどのような会話がなされたのか知る由もないが、もし、このセットプラン提示の際に、保険もセットで同時に入ってくれれば自動車の見積り額も値引きできるなどという会話がなされているとすれば、保険業法300条1項5号で禁止する「特別の利益の提供を約し、または提供する行為」に該当することになる。新車購入時のデイ-ラ-の自動車保険・中途解約切り換え(現加入契約を一度解約して、新たに長期契約で入り直す)は、代理店にとっては大きな脅威だ。加入者との間で築き上げてきた人間関係も、目先にぶら下げられた「利益提示」のまえには、一瞬にして崩れ去ってしまうのだ。

ほけん村は思う。自動車保険においては、長年において、顧客との間で築き上げてきた厚い信頼関係・良き人間関係も、顧客は平気で一方的に破棄してくる。人間は、利害関係に直面すると、その態度を躊躇することなく変えてくる場合が多いのだ。自動車保険を「情」にからませて販売する代理店は、遠からず自然淘汰される運命にある。自動車保険も契約の一つである以上、ビジネスとはっきりと認識しておかなければならないのだ。
「事故付加価値」。この価値を加入者に提供できる能力がなければ、代理店としての存在価値は薄く、事故付加価値提供能力のない本業片手間のディ-ラ-代理店や通販自動車保険との競争に、いとも簡単に敗れてしまうことになるのだ。悔しかったら発奮して、事故付加価値提供能力を身につける以外にないということを代理店にアドバイスさせていただいた。 (2012.9.7)



(94)人身事故が発生した場合の初期対応において、保険会社人身担当者と担当代理店との決定的な違いは何か。担当者は、民事賠償のみしか念頭にない対応ですまされるが、担当代理店は、加入者(被保険者)が追及される可能性のある「行政上の責任」(交通違反点数+事故点数の加点→通常4点以上)までを視野に入れた対応を迫られる点にあるといえる。事故が発生した場合には、発生日時・場所、負傷者の負傷の程度等を警察に報告する義務が、事故当事者には課せられている(道交法72条1項)。報告義務を怠れば、3月以下の懲役又は5万円以下の罰金だ(道交法119条1項10号)。

ケガの程度が軽い(全治2週間以下)人身事故の場合、現場に来た警察官は、負傷者につぎのように指示する場合が多い。「診断書を提出するようであれば、警察に持ってきてください」。人身事故の場合、警察は、自動車運転過失傷害罪被疑事件として捜査しなければならない義務があるが、同罪は「親告罪」ではないから、人身事故を認知した時点から、診断書提出の有無にかかわらず、本来は捜査に着手しなければならないはずである。しかし、これを厳格に貫くとどういう事態を招くことになるか。人身事故の扱いは激増し警察の事故処理能力を大きく上回ることになることは明らかだ。このことは、物損事故の警察取り扱い現況をみれば明らかだろう。物損事故を認知した警察は、一部の例外を除き、原則として書類送致することはなく処理している。いわば、全件不送致の状態で、違反明白な道交法違反も不処罰処分の状況にある。限られた人数での事故処理が処理能力を上回っているからだ。

対自転車との接触事故。自転車運転者のケガは打撲程度。この軽症人身事故初期対応を人身担当者に全面的に委ねてはいけないということだ。事故担当者は契約者(被保険者)の行政責任ということは、一切念頭におかない対応をしてくるからだ。ここに、事故対応力のある代理店が絡めば、契約者(被保険者)は、初期対応における被害者との接触が重要な意味を持つことをアドバイスされることになる。一口で言えば、被害者との接触において、いかにして診断書を警察に提出しないようにしてもらえるかということだ。診断書を警察に提出して人身事故扱いにしなくても、不利益が生じることなくケガの補償をすべて保険会社がしてくれるのだという安心感を、被害者に与えることができるかどうかにかかっているということだ。この初期対応において、契約者(被保険者)に的確なアドバイスを与えることのできる代理店。事故付加価値提供サ-ビス以外のなにものでもない。事故対応力のない代理店や通販自動車保険では、逆立ちしても提供できない事故付加価値提供サ-ビスということになるのだ。 (2012.9.2)



(93)優先道路進行中、一時停止の規制あるわき道交差道路から、いきなり飛び出してきた車との衝突被害にあったト゜ライバ-の方から感謝のメ-ルをいただいた。
ほけん村から得た知識を活用して一人で交渉を行った結果、0対100の主張が認められたという内容のものだった。書面交渉による理論的根拠に基づく主張を行った結果とあるが、具体的にどのような交渉を行ったのか興味あるところである。この方は、つぎのように述べている。「明らかに相手側100%の過失とするべき事故において、被害者が必死になって自分の過失なきことを立証しなければならない今の現状は、理不尽この上なく、私と同じような思いをして欲しくない、という思いで一杯です。」。

保険実務の実情は、現実に発生した個性ある事故を、「判例タイムズ」へ機械的に当てはめることによっての画一的な処理が常態化、実質、過失責任が存在しない当事者にも平然と過失責任を押し付けての事故解決がまかり通っている。「動いている以上、過失責任は免れない」。法律を学んだことのない素人が言うのであればまだ許されるが、いやしくも、事故担当専門職業人としての肩書をつけた事故担当者の吐くべき言葉ではない。そんな判例はどこにも存在しないのだ。法律の基礎的素養も身につけていない事故担当者に自らの利害関係を委ねるほかはないドライバ-は浮かばれない。

この矛盾に満ちた事故実務現状を打破するには、いかなる方法があるのか。答えは一つだ。「判例法」として確立しえる最高裁判所の判決を得ることだ。わが国の裁判においては、イギリスのように「先例拘束性」は採用されていない。「裁判所は裁判をするにあたっては、原則として、同種事件につき、裁判の先例があるときはこれにしたがって判決を(すること)」(法学書院刊・井口茂著 「判例を学ぶ」13頁)の義務がわが国の裁判官には課せられていない。だから、保険会社は、簡裁・地裁クラスの判例はもとより、高裁判例においても確定判例としての地位を認めないから、これらの下級審判例に拘束されることはないという立場を貫く。だが、最高裁判例は異なる。制度上、下級審裁判官は自らの判断に従って最高裁判例と異なる判決をすることは可能であるが、判決内容が覆される可能性がきわめて高い、最高裁判例と異なる判決をくだす裁判官は、裁判官むらの一員としての資質を問われることになるから、裁判官人生の自らの将来を考えれば答えは明らかだろう。

「判例とその読み方」(有斐閣刊・中野次雄編)20頁以下は、つぎのように記述している。
「…下級審の裁判官は法律問題の判断につきどういう態度で臨むべきかが問題となる。考えられる一つの態度は、自分は自分で思うとおりの裁判をしていればよいので、あと上訴審(特に最高裁判所)がどういう判断をしようと自分の知ったことではないとすることである。これは、一見良心に従った態度のようにみえないでもない。しかし、考えてみると、それは裁判組織の一員であることを忘れた自分さえよければよいという無責任な自己満足にすぎないのではないだろうか。この考えを徹底すれば、上級審で破棄されることがどんなに明白な場合でも自分の考えを押し通さざるをえないことになるが、そのような態度が裁判官として正しいものとは思われない。思うに、…上訴審による是正は、いわば次善の方法なのであって、本来からいえば、第一審の段階ですでに最高裁判所の示すであろうような判断がなされることが理想でなければならない。…もっとも、そういうと、自分が正しいと思う判断を捨てて最高裁判所のするであろう判断をするであろう判断をせよというのは裁判官の良心(憲法76条3項)を無視するものではないかという反論があるかもしれない。しかし、憲法が「その良心に従ひ」といっている良心は、個人としての良心ではなく、裁判官という公の立場にある者としての良心を指している。…そして、最高裁判所のするであろう判断を志すのが裁判官のとるべき態度だということは、すなわちそれが裁判官の職務上の義務だということであり、裁判官としての良心に従うことにほかならない…このように、裁判官が初めからその事件につき最高裁判所のするであろうような判断を志すべきものだといっても、そのような判断をどうやって発見することができるのだろうか。それを予測する有力な手がかりとなるのは、その点に関してすでに最高裁判所の判例が存在すれば、その判例である。」

引用が長くなったが、裁判官を事実上拘束するのは「最高裁判所の判例」であり、保険実務もまた、これに拘束されるということだ。日常生活において多発する、一方の事故当事者にとって事故回避不可能な事故形態である@住宅街走行中、車庫からの突然の飛び出し事故A駐車場通路走行時、通路外駐車スペ-ス駐車車両の直前飛び出し事故B優先道路走行時、わき道交差道路からの突然の飛び出し事故等に関しての明確な最高裁判決がなされれば、無過失交渉をめぐっての無用な時間を費やすこともなくなり、保険金支払いはいまよりずっとスピ-ディに劇的変化することは間違いない。ほけん村が機会あることに言っている。自動車保険、「弁護士特約」に加入することの最大のメリットは、採算(賠償請求額と裁判費用との損得勘定)を度外視して弁護士依頼による裁判が可能になることだ。上に述べた@からBのような事故形態に関しての最高裁判例はいまだ存在しない。存在しない理由は明白だ。採算割れを度外視してまで争う事故当事者がこれまで存在しなかったということだ。「弁護士特約」の年間保険料は、わずか2千円前後。この特約を加入者に勧めることのできない代理店は、提示力のない代理店として無能な代理店であり、当然、事故の際にも役に立たない代理店である可能性が高いということになる。 (2012.9.1)



(92)日常茶飯事に大量発生する事故。保険会社がこれらの事故を迅速・簡潔に処理していくためには、「判例タイムズ」は不可欠のものとなる。しかし、個性ある現実に発生した事故を判例タイムズ類型図に機械的に当てはめる作業は、過失責任なき当事者に賠償義務を
押し付ける危険性を多分にはらんでいる。が反面、タイムズ利用による事故解決には、メリットの側面もあることを忘れてはいけない。抽象的な法律論争をしなくて済むというメリットだ。各類型図に記載された「修正要素」採用の可否をめぐっての話し合い交渉による事故解決が可能となるからである。だから、保険会社事故担当者が、この過失増減要素たる「修正要素」の採否をめぐって、現実に発生した事故を正確に分析したうえで、整合性のとれた論理的な判断がなされれば、現実の事故実態に限りなく近づけた過失割合が導き出されるはずである。しかし、保険実務の実情は明らかにそれとは異なる。保険会社事故担当者の論理性に乏しい恣意的判断に基づく運用がまかり通っているからだ。

こんな事故が発生した。屋内駐車場内で発生した事故だ。3階から下り通路(幅員1.5m)を進行して建物外部に向かっていたA乗用車に対して、登り通路(幅員1.5m)をはさんで通路外駐車スペ-スに駐車していたB乗用車が、いきなり下り通路に右折進入してきた結果、A車の運転席ドアに衝突した。B車運転者は、右方登り通路の安全確認だけを行い発進、衝突して初めてA車の存在に気づいた。A車運転者にとっては、B車の前を通過直前の不意の飛び出しであり衝突回避は困難な事故。この事故に、判例タイムズ100図(基本過失割合20対80)を準用して、修正要素「著しい過失」を採用、10対90 から交渉を始めることで双方が合意し交渉がスタ-トした。

争点となったのは、修正要素「B車徐行なし」の採否をめぐっての攻防だ。「徐行なし」の具体的内容として、タイムズはつぎのように記載している。「路外から著しく加速して飛び出す場合等である。」。事故担当者は、「徐行なし」を採用しない理由としてつぎのように説明する。B車の停車位置からA車との衝突位置までの距離を勘案すれば、「徐行なし」に該当させるべき速度まで出せないからと…。つまり、著しく加速して飛び出すことは物理的にできないから「徐行なし」に該当しないと。タイムズ説明文言の表見的理解、完全なる「浅読み」である。説明文言に「等」が付いている以上、「路外から著しく加速して飛び出す場合」は、「徐行なし」の例示説明であって、限定説明ではないという前提そのものを、この事故担当者はそもそも理解していない。路外といっても、いろいろな空間が考えられるが、通常、著しく加速することなく飛び出したような場合は、路上走行運転者が前方をしっかりと見て運転していたならば事故回避が可能と考えられるところ、軽度の前方不注視があったために事故に至ったものとして、基本過失割合の中に評価済みとして把握されているのだと理解すべきなのだ。

重要なことは、タイムズが何故、「路外から著しく加速して飛び出す場合」を「徐行なし」の一つの例示として挙げ、10%の過失加算修正要素としたのかということを、論理的に理解することだ。路上走行車にとって、たとえどんなに前方を注視して走行していても、路外から著しく加速して飛び出された場合は、事故回避が著しく困難になることから10%の過失加算修正を入れたのだと理解することが、自然かつ論理的な解釈である。だとするならば、前方をしっかりと注視して走行している運転者にとって、事故回避が著しく困難となるような形態の路外からの飛び出しは、タイムズ説明の「等」に含まれるものとして、「徐行なし」に該当すると理解すべきなのだ。だから、「徐行なし」の修正を採用して、結果として、過失割合0対100の結論を導き出すことは、通過直前の不意の飛び出し(直近飛び出し)という避けようもない事故の実態を反映した妥当な結果が得られることになるのだ。だが、保険実務はこのような結果になることをかたくなに拒む。タイムズ適用の過失割合結論に、0対100はあり得るはずもないという抜きがたい固定観念があるからだ。だから、先に紹介したように、修正要素採用を通して、結果として0対100を主張することは、無過失主張をすることと同じことになるから保険会社が交渉の窓口となることはできない、という事故担当者の誤った見解になって表れてくることになるのだ。 (2012.8.24)

 

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91)ある主婦の方から、こんなメ-ルがきた。これまでずっと国内大手損保で自動車保険に加入してきたが、毎年のように行われる保険料改定アップにうんざりしている。テレビCMで連日流される通販自動車保険に乗り換えることを主人と検討中。代理店のいる国内損保か、代理店のいない通販保険か、そのいずれを選択すべきか考えているところだ。ネットで情報を得ようといろいろ検索してみたが、保険料の違いだけを強調する説明内容のものが多く、いまいちすっきりと納得できるような情報に行きあたらず、消化不良の状態が続いている。ほけん村だったら、何かユニ−クなアドバイスをもらえるのではないかと思いメ-ルした、という内容のものだった。

通販、ダイレクト自動車保険を選ぶ基準として、保険料の安さをあげるの言うまでもないこと。代理店が存在しないから、代理店に払う契約手数料の分、国内損保より保険料が安くなるのは当然のことだ。しかし、保険料の安さよりも、もっと重要な選択基準があるということを知っておく必要があるということだ。実は、この選択基準については、現在通販保険に加入しているドライバ-の大半が、明確には認識していないと思われる。それは何か。「事故付加価値」というものの存在だ。

通販自動車保険に加入しようかどうか迷っている人は、何よりもまず、この「事故付加価値」を加入自動車保険に付けるかどうかということを、まず検討しなければならない。この価値が加入保険に必要ないと考えるドライバ-は、保険料が安くなる通販保険を選らべばいい。事故の際、事故対応力を有する代理店が提供する各種事故サ-ビスを「事故付加価値」とほけん村が独自に呼んでいる。無過失主張事故や評価損(格落ち損)請求事故が発生した。これらの事故の初期的段階で、被保険者の「使者」として、交渉窓口に立つことのできるのが事故対応力を有する代理店だ。これら、代理店が提供する「事故付加価値」は、代理店の存在しない通販保険には、もともと存在しない。「事故付加価値」は代理店が提供するものであり、保険会社が商品価値として提供できるものではないからだ。

自分は弁護士特約に加入しているから、代理店の提供する「事故付加価値」は必要ないという人も、弁護士は、そば屋の出前みたいに、電話一本で気軽に駆けつけてくれる存在ではないということに気づかねばならない。事故の際の初期的段階での対応には、期待薄の存在なのだ。

ほけん村は、メ-ル相談者の方につぎのようにアドバイスした。
自動車保険は、いざというときの「補償」を得るために加入するだけだったら、保険料が安くなる通販自動車保険を選べばいい。しかし、自動車保険を、たんに補償を得る目的ではなく、自己ないし家族の権利を守りかつ行使するための保険にバ-ジョンアップ(品質向上)しておく必要を認めたとき、つまり、無過失主張事故や評価損(格落ち損)請求事故等に対応できる事故付加価値の付いた保険にしておく必要を認めたときには、通販保険を選択すべきではなく、事故対応力のある代理店を介して保険に加入しておくことが必要だと…。  (2012.8.21)



(90)被保険者(保険金を請求する権利をもっている人のことで、契約者とは異なる)が無過失を主張するということは、民法709条に規定する不法行為成立の前提となる「過失」が自分の運転行為には存在しなかったと主張していることを意味することになる。この被保険者主張は、保険会社からは、被保険者が「加入保険による事故損害補償を求めない(保険を使わない)」という意思表示を明らかにしたものと理解されることになる。だから、保険会社としては、被保険者の過失責任範囲を確定するために、相手保険会社との接触を積極的に試み、課せられた示談代行義務を果たさなければならない約款上の縛りから解放されることになる。「被保険者様が無過失主張であれば当社窓口で交渉することはできかねます」という事故担当者の言葉となって現れてくることになるのだ。たまたま事故を起こしたドライバ-が事故慣れしていないのは当然のことであり、「自分は被害者の立場だ。相手の一方的原因で事故となったのだから、自分に過失はない事故だ」。自己運転の正当性を強調するあまり、正直な気持ちをそのまま出して無過失主張事故であったことを保険会社に通知することになる。保険会社の示談代行が受けられなくなるなどということは、想像だにしていない。保険会社の示談代行は「加入者である自分の利益を守るためにやってくれるサ-ビスだ」と本気で信じているドライバ-は、いまも数多く存在する。

これは現実にあった話だ。相手加害車両の路外からの飛び出し事故。判例タイムズ100図適用事故だ。過失加算修正要素「著しい過失」の採用を相手保険会社事故担当者に認めさせ、基本過失割合修正0対90からの示談交渉をスタ-トさせ、更なる過失加算修正要素である相手車の「徐行なし」の採用を相手担当者に要求することを加入会社事故担当に要請したところ、更なる修正要素採用を要求することによって、結果として0対100を主張することは、実質、無過失を主張していることになるから、保険会社が交渉窓口となることはできない、という論法を担当者がとったのだ。この担当者の論法がまかり通るということになると、判例タイムズ適用事故を事故担当者に委ねる場合、結果として0対100となる修正要素採用を被保険者は要求できないことになる。この担当者の論法が間違っていることは明らかだ。過失修正要素採用をめぐる事故担当者同士の交渉は、保険会社の示談代行義務の目的となる「被保険者の過失責任範囲確定交渉行為」の一部に過ぎない。

この担当者の事故担当専門職業人としての未熟さを追及するのは簡単なことだが、こういう考えを思わず吐露してしまうほどのある動かし難い「先入観」が担当者の頭の中に根付いているということが、実は問題なのだ。ある先入観とは…?
当事者双方の車両が動いていた事故における事故担当者同士の過失割合交渉においては、赤信号無視等の一部の例外的事故を除き、0対100の交渉結果となることはあり得ないという動かし難い強い先入観だ。約款規定上、保険会社の行う示談代行交渉は、被保険者の「過失責任範囲確定」という目的のために課せられた義務行為だ。この範囲確定のための交渉において、結果として0対100の結論が導かれとしても論理的には何の矛盾も生じることはない。だが事故担当者は、日常業務における判例タイムズの機械的当てはめ作業に慣れきってしまっているために、0対100の交渉結果はあり得るはずがないという結論だけが、しっかりと身についてしまっているのだ。

現場事故状況をしっかりと把握することもなく、事故当事者、特に事故相手側当事者の主張をしっかりと把握することもない、判例タイムズ当てはめ行為の「効率さ」のみを追求して事故解決を図っていこうとする職業姿勢。それに輪をかけているのが、鵜飼に操られる「長良川の鵜(う)的存在」になってしまっている多くの代理店だ。せめて担当代理店くらいは、受理したすべての事故を事故担当者に丸投げして全面的に委ねるのではなく、被保険者のために、個性ある事故として捉えなければならないのだ。そして、ときとして、事故担当者と戦う姿勢を示すことによって、チェック機能を果たす存在となることが必要なのだ。

「法は不可能を強いるものではない」。「可能」でないところに「義務」は存在しない。これは論理的帰結だ。過失認定の前提となる予見可能性の存在を、「物理的見地」から判断することと、発生損害の当事者間分担という見地からの検討をその内容とする「法的見地」から判断すること(法的価値判断)の区別という、出発点ともなるべき基礎的素養すらも保険会社からは与えられず、保険業務に携わっている実務担当者(事故担当者・代理店)に、自己の「財産的権利」を委ねなければならない契約者は浮かばれない。契約者は長良川を泳いでいるアユ的存在ではないのだ。改めて言う。「法は不可能を強いるものではない」。この法格言の意味するところをいま一度しっかりと噛みしめてみることだ。事故担当者は言うに及ばず、きれいな「おべべ」を着せられて嬉々としている代理店もしかりだ…。 (2012.8.12)



(89)通販自動車保険に加入しているというドライバ-の方から面白い質問メ-ルがきた。質問者の方の同意を得て、その内容の一部を紹介することにする。
「…数年前、国内保険会社から通販自動車保険に乗り換えて現在に至っているドライバ-です。いざというときの『補償』は国内損保でも通販保険でも変わらないと思っていますから、保険料が安くなる通販系を選びました。対人・対物無制限補償。車両保険「一般条件」、人身傷害保険・搭乗者傷害保険加入。どの保険会社であろうと補償を受けることにおいては変わりはないですよね。でも、ほけん村のコラムに、『たんにいざというときの補償を得るためだけだったら、代理店に契約手数料を支払わなくて済む分保険料が安くなる通販自動車保険を選ぶのも一つの選択方法。』と書いてあるのを見て、疑問が湧いてきたのです。いざというときの『補償』を得るために自動車保険に加入しているだけでは不十分なのでしょうか…?いざというときの補償を得るために自動車保険に加入しているというのが私の認識でした。自信がありません。教えていただけないでしょうか…。」

いざというときの『補償』を得るために自動車保険に加入しているだけでは不十分か」。自分(および家族) を護るための保険としてはいまだ不十分。これがほけん村の結論だ。現実に起きている事故を直視してみればいい。日常生活において、突然降ってわいたような「無過失主張事故」が発生した。弁護士特約に入っているから大丈夫。はたしてそうか…?弁護士はそば屋の出前とは異なり、電話一本で気軽に駆けつけてくれる存在ではない。たとえ代理人委任契約が成立したとしても、保険会社事故担当者と無過失主張直談判交渉をしてくれる実務行動型熱血弁護士を見つけることは難しいのが現実。初年度登録1年の愛車が事故被害に…。修理によって事故前と同じ状態に回復されたとしても、修理歴に伴って発生した商品としての交換価値の減少という「財産的価値の目減り被害」(格落ち損害・評価損)。この価値減少被害を、事故によって受けた「損害」として保険会社に請求するとき、誰が手助けしてくれるのか…? これも弁護士?

これらの事故被害。たんに補償を得るだけの自動車保険に加入していただけでは、十分に機能しないのだ。では、機能するためにはどうすればいいのか。
これらの事故被害に機能する「付加価値」の付いた自動車保険に加入しておけばいいのだ。事故付加価値の付いた自動車保険という商品を販売することは、どの保険会社にもできない不可能事だ。事故付加価値は「人」に専属的に付属しているものだからだ。事故付加価値提供の主体は代理店。この付加価値を提供できるのは代理店であって、保険会社ではない。加入している自動車保険にどれだけの事故付加価値が付いているかどうかは、代理店の提供能力によって決まることになる。提供能力なしの代理店で加入した自動車保険と、もともとが事故付加価値を提供することのできない通販自動車保険とでは、自動車保険としては同レベルということになり、保険料の安さにおいて勝る通販保険を選択しない理由はどこにもないということになる。

ほけん村は、上記質問者に提言した。自動車保険に対する認識を変えるべきだと。自動車保険はたんに「補償」を得るための保険として捉えるのではなく、「自らの権利を護り、かつ行使するための保険」にグレ-ドアップ(品質向上)しておくことの重要性を認識しておかなければならないのだ。
間もなく、自動車保険加入者にとって冬の時代がやってくる。今年10月からの「同一等級複数割引制度」の導入だ。被害事故で気軽に保険を使うことができなくなるのだ。無過失主張事故は今後ますます増えるだろう。保険会社の行う「判例タイムズ機械的当てはめ行為」の壁を突き破ることは容易なことではないのだ。付加価値能力を提供できる代理店の存在価値は今後ますます高まるだろう。  (2012.8.3)



(88)被保険者(保険の補償を受けることのできる人や保険補償の対象となる人)に人身傷害保険金を支払った保険会社は、被保険者が事故相手方に損害賠償請求権を有していれば、その請求権を被保険者に代わって取得することができるように法律の規定で定められている。このことを、保険会社による代位取得と呼んでいるわけですが、被保険者にも過失がある事故の場合、保険会社が代位取得できる範囲はどこまでか…? 具体的な例で言うと、裁判で確定した被保険者の総損害額6千万円、被保険者の過失責任30%の事故で、人身傷害保険金5千万円を被保険者に支払った場合、保険会社は事故相手に5千万円のうちいくらの金額を代位請求できるか、という問題です。

これに関しては見解が分かれていたが、平成24年2月20日最高裁判決が出て、「訴訟基準差額説」の立場を採用することを明確にした。訴訟基準差額説ー「被害者の過失割合に対応する損害額を上回った部分のみ代位取得できるとする(考え方)」(小松亀一弁護士)。上の例で説明すると、まず確定して争いの余地がないのが事故相手方の被保険者に対する損害賠償額。6千万円×70%=4,200万円です。そうすると、人身傷害保険金5千万円を支払った保険会社は、事故相手の支払い責任分4,200万円を代位請求することができるということになるのか。

この結論でなんの問題もないように思われが、最高裁は違った結論を導き出した。
被保険者の過失責任分30%は人身傷害保険金を支払った会社が負担しなければならないとしたのだ。つまり、総損害額6千万円×30%=1,800万円は会社負担ということになるから、5,000万円−1,800万円=3,200万円しか事故相手に請求することができないとしたのだ。そうすると、事故相手は保険会社から3,200万円しか請求されないということになるから、事故相手が本来被保険者に支払わなければならない、4,200万との差額1,000万円は被保険者に支払えという結論を導き出したわけです。そうすると、被保険者は加入保険会社から5千万円、事故相手保険会社から1千万円の合計6千万円を手に入れることになる。なんとも複雑な算術を試み、結局、人身傷害保険に加入していた被保険者は、「自己に過失があっても」、過失がない場合と同じ賠償金額を手に入れることができるということになったわけです。(2012.7.31)



(87)自動車保険はひたすら「お願いして」加入してもらう性格の保険ではない。その点において「火災保険」などと異なる。代理店の立場からすれば、「お付き合い」や「媚(こび)を売って」入ってもらう保険ではないということだ。代理店として加入者に提供する「付加価値サ-ビス」を商品価値として認めてくれるドライバ-を対象に販売すべき保険としての位置づけだ。たんにいざというときの「補償」を得るためだけだったら、代理店に契約手数料を支払わなくて済む分保険料が安くなる「通販自動車保険」を選ぶのも一つの選択方法。これがほけん村の基本的な考え方だ。ほけん村がいう自動車保険販売の前提となる顧客との「信頼関係」の具体的内容を教えてほしいとのメ-ル質問が来た。たんなる「きれいごと」、「抽象的なもの」としてこの言葉を用いているのなら、どの代理店も顧客との「信頼関係」を否定する者はいない筈だが…と。

自動車保険における顧客との「信頼関係」は、加入者自身が代理店の提供する付加価値サ-ビスの内容を理解して、そのサ-ビスを「商品価値」として認めてくれることが大前提となる。他の代理店では提供困難な「付加価値サ-ビス」の商品価値を認めてくれることが不可欠の前提となり、この前提の上に成り立つ関係がすなわち代理店と顧客との「信頼関係」に他ならない。専門職業人としての存在価値を認めてくれた顧客に「専門性」をもって応える。それは自負と自覚に裏付けされた専門職としての職業上の義務とほけん村は捉えているのだ。  (2012.7.30)



(86)年間保険料わずか数千円の「弁護士特約」加入のメリットはなにか。無過失主張事故が発生したとき、相手保険会社事故担当者と直談判して無過失を勝ち取ってくれる弁護士を保険で雇うことができる点だと、この特約に過大な期待をかけている加入者もいるが、そのような実務行動型弁護士はまず見つからないと思った方がいい。法理論を習得していることと、法理論を実践する場とは自ずと異なるのであって、真剣で研鑽を重ね「剣道の型」習得の達人者になったとしても、真剣勝負の場で場馴れしたケンカ剣道に勝てるとは限らないのと同じだ。実戦での積み重ねは強しということだ。

この特約加入の最大のメリットは、損得勘定を度外視して弁護士依頼をすることが可能となる点だ。5万円の損害賠償金を相手に請求するのに、自費で20万〜40万円支払って弁護士に依頼する人はまずいない。それを可能とするのがこの特約だ。これまで、請求額と自己負担費用とを秤にかけたときに、あきらめざるを得なかった多くの被害事故の損害賠償がこの特約のおかげで可能となったのだ。そういう意味で、この特約は自動車保険の革新的特約だと位置づけられると思う。この特約の加入もれは、代理店の存在しない通販自動車保険加入者に多いが、代理店経由の自動車保険でのこの特約もれは、多くの場合代理店そのものの資質の問題だといえる。この特約の重要性を認識していない代理店の説得力のなさの結果なのだ。こういう代理店は例外なく事故対応力もない。

またこの特約は、弁護士と依頼者との距離を身近にした点でも功績が大きい。国家試験最大級の難関である「司法試験」を突破した存在、弁護士先生は近寄り難い存在というイメージが依頼者側にはある。弁護士事務所の敷居は高いのだ。この高さを低くしてくれるのがこの特約だ。この特約を行使しても「ノーカウント事故」として割引等級に影響しないだけでなく、300万円を上限とする弁護士費用を保険でまかなってくれるのだ。その上、この300万円とは別枠で10万円までの「弁護士相談費用」が通常付いているというサービスぶりだ。おかげで依頼者は費用を気にすることなく、何人もの弁護士と面談して、自分と「波長」の合う弁護士を自由に選択することが可能となるのだ。

今でもほとんどの弁護士は依頼者を事務所に呼びつけて依頼内容を聞いた上で、代理人委任を引き受けるかどうかを判断するスタイルをとる。このため、多くの依頼者は自らの仕事時間を犠牲にして事務所に出向かなければならないことになる。こんな商売スタイルをとる業種はめったに無い。そば屋にそばを注文するのに、店まで取りに来いという商売スタイルは成り立たない。「法律家」と「そば職人」、どこが違うのか。どちらもその分野の専門職である点においては違いはないが、違いがあるのは、国の営業許可基準の難易度の違いだ。前者の許可通過門はおそろしく狭い。だからその狭き門を通過した者は「エリート」となる。エリートとは国家が意図的に作り上げた階層だとも言えよう。

「職業に貴賎はない」という言葉があるが、それぞれの分野の専門性においては互いに遜色はないのだ。そういう意味において、依頼者の求めに応じて、依頼者の自宅等に、夜間・休日気軽に出向いてくる腰の軽い弁護士が多く出現することが通常の姿とならなければないのだが、この要請もこの特約行使によって可能となるのだ。以前、ほけん村掲示板に損害保険会社事故担当社員から意見が届いたことがある。あまり弁護士特約行使を煽(あおり)り立ててくれるな、特約保険料の損害率の悪化は特約保険料の値上げにつながるもので、結局は加入者の首をしめることになるぞ。という内容のものだった。あまりにも短絡的な発想だ。この特約行使によって、真剣勝負の場が増え弁護士の実務実戦能力がさらに向上し、近い将来、交通事故を専門的に扱う「交通事故弁護士」が登場することを望むばかりだ。  (2012.7.22)



(85)滋賀県大津市立中学2年生徒の「いじめ自殺問題」が連日新聞・テレビの報道機関をにぎわしている。このコラムはこの問題を取り上げる場ではないので意見は差し控えるが、情けないのは、テレビ画面に映し出された「学校長」「市教委の教育長」の無残な姿である。「責任は取るものではなく、果たすものだ」という言葉があるが、いざという段階にいたり「その者の正体」が見えたことになる。普段、管理責任者としてもっともらしい顔をして行動していたであろう人間の真の姿があれである。とりわけ、当事者の真っただ中にいる校長の記者会見での応対ぶりがひどかった。安っぽい涙を流せとは言わないけれど、自殺した生徒を一人の人間として見ず、「管理の対象」としてしか認識していなかった何よりの証拠だろう。管理責任を果たせなかった悔悟の念を示す一滴の涙を流す気配すら感じられない応対ぶり。もはや管理者の資格はない。

一転して、保険会社の事故担当者。彼らは、保険会社の代表として表に出てくるわけだが、その割には平気で「うそ」をつき、「ごまかし」も平然とやってのける存在でもある。ちょっとした嘘やごまかしも「交渉事(ごと)」という生存競争の場では許容された駆け引きであるとの強い認識が担当者にはあるのだ。この認識は完全に誤っているとは言い切れない。取引上の「駆け引き」は、どの世界でも多かれ少なかれ見られる光景だからだ。

事故担当者に比べて、たまたま事故当事者の立場に立たされたドライバーが「事故慣れ」していないのは当然のこと。保険会社は、あの高くそびえ立つ本社ビルのように立派な社会的存在なのだ。発生した事故の真実を把握して客観的な正しい判断をしてくれるのだと、頑なに信じて疑わない。事故担当者はこのドライバーの「幻想」を巧みについてくる。事故慣れしていない一般ドライバーが事故担当者と対等な交渉をして、「事故交渉」という生存競争に勝つことは非常な困難を伴うことになる。

担当者と対等交渉を始める出発点はなにか。「書面交渉」をすることだ。何を書いていいかも分からないからとても無理だと思われる方は、そもそも、代理店のいない通販自動車保険や事故の際役に立たない代理店を通して保険に入るべきではなかったのだ。選択ミス。自己責任の世界だ。
誰でも経験したことだが、書面化するという作業は意外と厄介な作業となる。自己の考えを文字に変え祇に落とすという、いわゆる「思考」を客観化する作業であるからだ。祇に落とした人間の思考能力も判断されることになるし、何よりも客観化された思考は「一人歩き」することになるから、無責任ないい加減なことは書けなくなるということだ。だから事故担当者は例外なく書面交渉を嫌うことになる。現に今も実例の事故相談がきている。相手保険会社に今後は「書面交渉」として欲しいと申し出たところ、検討させて欲しいとのことで1週間以上経過した現時点でも回答がこないとのこと。お粗末な保険会社だ。相手の嫌がることをついていく。これが事故交渉という生存競争を有利に進めていく鉄則だと覚えておけばいい。   (2012.7.19)



(84)いま、国会議事堂・首相官邸一帯の国政中心地で異変が起きている。名も無き民衆が立ち上がっての「脱原発」を叫ぶ万単位の抗議デモ「金曜集会」である。しかし、ただ「原発反対」を叫ぶだけでは政治は変わらない。この意思を「一票」に結び付けなければ現実に国政を動かすことはできないのだ。多くの若者は政治に無関心を決め込んでいる。投票所に行かないことは何もしなかったことではなく、結果として質の低い政治家誕生に手を貸していることに気づかねばならない。これまで一度も投票所に行ったことのない無投票有権者が一斉に投票所に行くという行動を起こしたら、一体どういうことになるのか。間違いなく政治の山が動く。無投票層の行動の前には労組等の組織票の存在はとるに足らないものとなるだろう。「無投票層諸君!投票所に行こう運動」がネットを通して全国規模で波及的に拡がっていくのはいつの日か。期待したいところだ。

国会議員の質は国民の質の反映でもある。読売・朝日の大新聞は「国政の質が悪いのは主権者たる国民がアホだからだ」とは絶対に書かない。書けばたちどころに新聞不買運動が起こるからだ。世間の言葉に「似た者夫婦」というものがある。長年一つ屋根で生活すればその性質や趣味なども似てくるという意味だが、その生き様のレベルも同質だということだろう。このことは夫婦だけに限ったことではない。自動車保険にも言えることだ。レベルの低い代理店には、「補償」という保険本来の目的意識の希薄な顧客がおうおうにして集まる。

自動車保険は単なる販売商品ではない。販売したあとのメンテナンス(維持・管理)如何によってその真価が問われる商品だ。代理店として契約上の義務ではない「付加価値」を契約者に提供する以上、「相互の信頼関係の存在」がその前提に不可欠的に要求されることになる。信頼関係の存在しない顧客のために、寝る時間を割いてまで事故交渉書面を作成するほど代理店は博愛主義者ではない。信頼関係という「糧(かて)」があるから、寝る時間を割けるのだ。信頼関係の存在に無関心な代理店は、質の低い「付加価値」提供しかできない代理店でもある。ただただ頭を下げるだけ。加入者にひたすら「媚びて」、「懇願して」自動車保険を販売する代理店の行き着く先は目に見えている。自然淘汰という自然の理が両手を広げて待っているということだろう。  (2012.7.15)



(83)再度、今年10月から実施される保険制度改定を取り上げる。この改定が契約者側にとっていかに不利益な改定となるかはすでに紹介したが、その中でも、保険を使っても等級がダウンしない(通常は3等級下がる)「等級プロテクト特約」(以下、「等プロ」と呼称)が廃止される影響は大きい。たとえ被害事故であっても過失責任を追及されるケ-スがほとんどであり、自車修理費の自己負担分を保険使用で対応せざるを得ない場合が多いからだ。

さて、この10月改定を前にして契約者の利害関係に大きな影響を与えることになるのが「代理店」の存在だ。この代理店がどちらの方向に目が向いているかによって(保険会社側か加入者側か)、加入者の運命は決まることになる。10月改定前に代理店が等プロ廃止情報を加入者に伝えるかどうかによってだ。代理店の事前情報伝達は法律上の義務ではないから、事前伝達をするかしないかは、あくまでも代理店の胸三寸にかかっていることになる。

この等プロ廃止情報を契約者側が10月改定前に知らされないと、どういう不利益が契約者側に生じることになるのか。契約者はこの改悪に対抗する手段を選択することができなくなるということを意味する。つまりだ、10月前に現契約をいったん解約して、長期3年契約として再契約する方法を選択することができなくなるのだ。等プロを付帯して長期3年契約に切り替えれば(この方法を中途更改という)、向こう3年間は等プロを保持できることになるから、メリットは大きい。ただし、中途更改の方法はデメリットも生じることに注意しなければならない。契約期間途中での解約となるから、解約日(再契約日)から1年、また同じ割引等級による割引率を適用されることになる。だから、10月改定1ケ月前の9月に中途更改すれば、残り1ケ月で1等級進んで割引率が高くなるという権利を放棄することを意味する。この権利をとるか、等プロ保持のメリットをとるかは、あくまでも契約者の自由な選択だが、代理店の事前伝達がなければ、契約者側はこの選択自体の機会をも与えられないということになるのだ。

問題はこれだけではない。保険会社自体の営業方針だ。保険会社は、改定前の中途更改・長期3年分割契約への変更を、この6月の段階から不可とする営業方針を早々と代理店側に通知している。昨年10月以降、自動車保険契約を保険会社と締結した契約者は、こう主張するはずだ。契約日以降契加入者にとって不利な改定が行われることが明らかとなった場合、契約変更(中途更改)ができないなどということは、契約条項のどこにも規定されていなかったではないか。にもかかわらず、契約当事者の一方である保険会社の勝手な都合で、契約満期日前の途中で、契約当事者の片方である加入者の意思表示を一方的に制限してくるのは契約上問題があるのではないか。この主張に対して、保険会社はこう反論してくる。「あくまでも販売方針として制限するものであって、法律上の論点は生じない」。
つまりだ、会社側は、中途更改というのは、一度現契約を解約して再度契約し直すことだ。だとすれば新規契約ということになるから、前契約の合意内容には拘束されないことになるはずだ。新規契約に対して保険会社がどのような販売方針で臨むかは、あくまでも保険会社の自由であるから販売方針に従って加入していただくことになる。このような論法をとるのだと思う。

このような改定前の中途更改・長期3年分割契約変更への選択肢が、保険会社の一方的意思表示で奪われ、それが法律上なんの問題もなくまかり通るとするならば、「相手方当事者(多くは大企業)の作成した契約条件をそのまま飲むか、契約しないかの自由しかない契約」(東京大学出版会 内田貴著「民法U」18頁)を意味する「附合契約」は、まさしく大企業の利益保護のために存在する契約形態ということになるはずた。契約当事者はそもそも実質対等でなければならないはずのものだ。強者たる保険会社の論理だけがまかり通る附合契約の存在を許してはいけない責任が監督官庁である金融庁にはあるのだ。金融庁はあらゆる法令を駆使して保険会社の行き過ぎた行動に厳しい目を向けなければならないのだと思う。

ほけん村はこう考える。中途更改契約は形式上は新規契約だが、すべての中途更改契約を解約前の旧契約と全く別物の新たな契約として扱うのは妥当でない。今回のように、加入者にとっては不利益となる保険改定に対抗するための手段として行う中途更改は、旧契約と継続性を有する契約とみなすべきで、形式的には新規契約の形をとってはいるが、実質的にみれば既存契約内容の変更にすぎないと解すべきだ。だとすれば、契約更改前に加入者の契約内容変更権を、不利益改定実施月(10月)の早い段階(6月)で奪いとる保険会社の一方的意思表示は、すくなくとも民法90条(公序良俗違反法律行為は無効)に抵触するものとして金融庁は積極的に介入していくべき、いや、していかなければならないのだと…。  (2012.7.6)



(82)
故相談メ-ルをいただく方から、よく「ほけん村村長○○先生」と呼ばれることがある。この「先生」という言葉から、いつもあることを連想してしまう。国会答弁で政府閣僚が質問議員に答える際によく使う○○先生」という呼び方だ。妙に質問議員にへりくだった、媚を売る感じを受けてしまってしかたがないのだ。国会議員は先生なのか。○○さん、○○議員、○○委員と呼ぶべきだろうと思う。少なくとも、国会議事堂の中で国会議員同士が○○先生と呼び合うのは禁止しようという動きがなぜ起きないのか。不思議である。同じように、弁護士を○○先生と呼ぶことも抵抗を感じてしまう。○○弁護士の呼び方がふさわしいと思う。○○先生と呼ぶのは、教えを請う人を敬うための呼称だと反論する向きもあろうと思われるが、人それぞれの持ち場においては専門職であり、どんなに権威のある学者でも豆腐職人の前においては赤子同然である。人に教えを請う場合、すべての人に○○先生と呼称しなければならないとすれば厄介だ。

そんな堅苦しい人間関係はごめんをこうむりたいものだと思う。どんなに偉く、雲の上にいる人のように思える人物も、自分と同じ人間なんだ。難しい理屈はいらない。このことを実感するためには次の言葉を3回言ってみるだけでいい。「○○さんもウンコする」(この言葉表現の発信元は狐狸庵こと遠藤周作)。手が届かないほど、あんなに遠い存在に思えた人も自分と同じ人間なんだということが理屈抜きでスーと実感できるようになったでしょう? この実感をプラス志向に転じれば、向上心に結びつけることも可能となる。自分と同じ人間であるあの人にあのようなことができたのだ。自分にもできないことはないと…。自信喪失悩み多き人、ぜひ実行あれ。

ほけん村村長を自称する私は、いうまでもなく弁護士でもなければ司法書士・行政書士でもない。保険業界関係人という立場の人間である。何故職業を明示しないのかと疑問をお持ちの方もいると思われるが、職業を明らかにしたらこのホ-ムペ-ジを開設出来なくなるから職業を明らかにしないだけのことなのだ。誰に目を向けているのか。そのめん玉の向いてる方向によって人の言動は大きく変わる。いま、損保業界は大きな変換期を迎えていると言っていい。若者層の自動車離れ・少子化の流れ等による主力商品である「自動車保険」の赤字経営にどう取り組むかという問題だ。赤字だから保険料値上げ。この悪循環作業をくり返すしか能のない保険会社の行きつく先は目に見えている。(2012.6.28)




(81)相談者には悪いと思ったが、思わず一人で大笑いしてしまった事故相談メ-ルがきた。生保レディに勧められて自動車保険に加入しているドライバ-からの相談メ-ルだった。週末金曜日のある日の夜、仕事を終えて帰宅途上の被害事故。優先道路走行中、信号機のない交差点内での出会い頭事故だったとのこと。その際、担当代理店である生保レディに事故連絡を入れたところ、信じられない言葉が返ってきたというのだ。「私は事故の素人なので詳しいことは分からない。月曜日になれば事故専門担当者に連絡を入れ答えさせるから、それまで待って欲しい。」。にわかには信じられないが、その生保レディは正直に心の内を吐露したのだろう。

この生保レディのように、自動車保険という「商品」は販売できても、売った商品の後始末(メンテナンス)はできないという名ばかり代理店は意外と多い。事故対応力のない者は自動車保険を販売してはいけないという制約もないことを考えると、代理店選択権を有する契約者が、事故対応力のない代理店を選ばないようにするしか他に方法はない。では、代理店が事故対応力をもっているかどうかということを、契約者が事前にチェックする方法はあるのかということが問題となってくる。このことに関してはかなりの確率で判断できる方法がある。過去に何度も述べてきたところだ。

代理店に次の質問をしてみればいいのだ。「私が無過失主張をした場合、あなただったらどのような対応をしてくれるのですか。」。この質問に対する回答内容次第で、その代理店の事故対応力がほぼ推定されると考えていいと思う。「代理店の示談代行交渉は弁護士法で禁止されているので、弁護士特約で弁護士に対応してもらうことになります。」。こう答える代理店はかなりの確率で事故の際役に立たない代理店だと判断していいと思う。「弁護士法で禁止されている」と答えても、何故、弁護士法の規定で代理店の示談代行行為が禁止されることになるのか、その具体的理由を説明できない者がほとんどだからだ。つまり、中味を掘り下げて理解する訓練をせず、うわべの知識のみで対応するレベルの代理店と判断されることになるから、事故対応も底の浅い対応力しかないだろうということが高い確率で推測されることになるというわけだ。

反対に、こう答える代理店ならかなりの期待がもたれる代理店ということになる。「あなたの代理人となって交渉することは、弁護士法で禁止されている非弁行為に違反する恐れがあるということから、保険会社から代理店が行ってはならない禁止業務の一つとされています。ですから、あなたの『代理人』としてではなく、あなたの『使者』として相手との交渉窓口となり、その交渉過程で弁護士に委任すべき事故かどうかの判断をすることになります。」。こう答えてくれる代理店は少ないが、このような代理店でなければ、事故の際、全幅の信頼をよせることのできる代理店というわけにはいかないのだ。  (2012.6.26)



(80)ある代理店からメールがきた。今年10月から実施される「等級制度改定」に関する情報である。代理店曰く。過日、保険会社支社主催の「代理店勉強会」が開催された。その席上、保険会社から、10月改定前に中途更改による「長期3年契約」に切り換えることは極力控えてほしい、との申し出がなされた。この申し出に対して代理店側からはさしたる反論の声が上がらなかった。恥ずかしながら、自分もその他大勢の一人であり、顧客サイドの立場から声一つ上げることもできなかった自分自身が情けないと思った。率直なメール内容だ。

10月に行われる保険改定においては、単に保険料が上がるだけでなく、契約者側にとっては深刻な不利益改定が待っている。@保険使用事故による次年度保険料割引において3年間不利益割引率が適用され、前年度保険事故なし契約者と差別化される(複数等級制度の採用)。 A盗難・飛び石・いたずら等の「等級すえおき事故」が「1等級ダウン事故」となる。 B保険使用事故でも等級が3等級ダウンしない「等級プロテクト特約」が廃止される。

この改定内容からして、契約者側にどのような動きが出るかは容易に予想がつく。今年の10月以降に更新日を迎える契約者は、10月前に現加入契約をいったん解約して、同日付で新たに「長期3年契約」(等級プロテクト特約付帯付)を結ぶ。これを「中途更改」と保険用語で呼ぶ。こうすれば、少なくとも3年間の間は、1年に1回目の保険事故に限っては等級がダウンしないことになるから、そのメリットはかなり大きなものとなる。契約者にとってのメリットは、保険会社にとってはデメリットとなる。保険会社がこの中途更改の流れを極力抑えたいのは当然のことだ。中途更改長期3年契約の流れを大きなものとするか、せき止めるかのカギを握っているのは「代理店」に他ならない。代理店の考え一つによって、その流れはどちらにも転がることになる。代理店が保険会社の従順な子羊となり「情報」を契約者に提供しなければ、流れをせき止めることは容易だ。

代理店が契約者に提供する「情報」とは、「中途更改による長期3年契約のメリット」についてであることは言うまでもない。そのメリットを受け取るか受け取らないかの決定権者は言うまでもなく契約者だ。選択情報を提供するのが代理店の重要な仕事となる。代理店がこの情報を契約者に提供しなくても、自動車保険契約上求められる「信義誠実の原則」(民法1条2項)に反するわけではない。代理店の情報提供は契約上の義務ではないが、代理店として選択してくれた契約者に対する道義上の「義務」であり、代理店としての「良心」だろうと思う。  (2012.6.24)



(79)保険会社が営利会社としての本性をなりふり構わずむき出しにしてきたらどういうことになるか。その実例を紹介することにしよう。国内大手損保の三井住友海上や東京海上日動は、今年10月に等級制度改定を中心とした保険制度改定を実施する。自動車保険は保険会社の主力商品であることには変わりがないが、年々収益が悪化し今や営利性の乏しい主力商品になり下がっていると言っていいと思う。事故多発による保険金支払いに歯止めがかからず、毎年赤字を出している状態が続いているのである。

自動車保険は公共性があるとはいえ、赤字続きの営業をそのまま続けていくほど保険会社はお人よしではない。営利性を回復するのが至上命令となる。10月の改定で「等級プロテクト特約」が廃止されることはすでに述べた。保険事故が発生しても3等級ダウンしないこの特約は、それだけの存在価値はある特約だ。この特約が10月から廃止されるのだから、少し保険的知恵のある加入者は、つぎのような対抗策を思いつくはずだ。9月の適当な日に現加入契約をいったん解約し、「等級プロテクト特約」を新たに付帯して、長期3年契約で再加入するという方法だ。この方法を「中途更改」と呼んでいる。この対抗策をとれば、少なくても3年間は不利益改定から免れることができることになるのだ。

ところがどっこい。この動きを当然に予測した保険会社は先手を打ってきたのである。10月の改定前に中途更改して3年の長期分割契約に変更することはできないと…。たとえて言うならば、たばこの値上げ前に喫煙者が行う大量の買いだめ行為はできないというようなものだ。契約者側の意思は完全に無視した保険会社の一方的意思表示だ。保険制度改悪に対する対抗措置としての契約者側の「駆け込み的中途更改」は、営利性確保対策としてとらざるを得ない保険会社の立場も理解できないわけではない。特約保険料が高くなるからとの理由で、いままで「等級プロテクト特約」には目もくれなかった契約者の駆け込み的付帯要求を拒否するのは、保険会社の立場に立てば理解はできるが…。

問題はまだある。これまで、等級プロテクト特約の重要性を十分に認識して高い特約保険料を支払ってきた契約者の意思だ。この契約者の意思までも一方的に無視していいのかということだ。契約内容は、契約当事者の自由な意思によって決定されるものとする「契約自由の原則」の精神は、自動車保険契約のような「附合契約」(契約当事者の一方が、他方によってあらかじめ決められた契約条項以外に契約内容を選択する自由を持たない契約ー有斐閣「法律学小辞典」から)にも、その根底においては生かされなけれはならないのであり、取引の大規模化に伴い必然的に派生してきた「附合契約」から出現する非合理性を調整する役目が監督官庁にはある。だから、このような保険会社の営利性むき出しの露骨な態度を戒め是正させる義務が当然に課せられているはずなのだ。が、現実はどうか…。一方的不利益を課せられる他方契約者たるドライバ-の利益保護のために機能しなければならない監督官庁としての役目を果たしているのか。金融庁という名の監督官庁は…。契約当事者の一方である経済的強者たる保険会社の「販売方針」という一方的意思だけがまかり通る危険性をもともと内蔵している「附合契約」の弊害に絶えず目を配る配慮が金融庁個々の担当者には求められているのである。  (2012.6.19)



(78)前にも述べたが、自動車保険は打出の小槌(うちでのこづち)という感覚はすっぱりと捨て去らなければならないときがいよいよやってくる。今年の秋、自動車保険等級制度改定の動きが各社一斉に出てくることになるからだ。事故で保険を使えば3等級ダウンする。次年度更新時、前年保険事故ありのドライバ-と前年保険事故なしのドライバ-が同じ等級にいて同じ割引率になるというのは、事故発生リスクの高い人と低い人との同一扱いということになり、保険料負担という見地からは不公平だから、割引率に差をつける改定を行うというものだ。だから、この改定後は、同じ等級を適用されるドライバ-には、割引率の異なる二つのタイプか存在するということになる。

いま保険会社各社は、こと自動車保険に関しては軒並み「赤字経営」を強いられている状況下にある。ある大手国内損保会社の資料によると、2005年度以降、収支状況は悪化し、2008年以降赤字に転じた後は赤字幅が増大し続け今日に至っているとのこと。各種コストの削減等企業内部努力はしたのか、その詳細は不明であるが、収支が悪化すれば契約者に転嫁する。東電とどこが違うのかい、というドライバ-の声が聞こえてきそうだが、事故が起きたからといって気軽に保険使用という時代ではなくなったということは確かだ。

事故の厄介さは、自分だけがどんなに注意していても、相手次第で事故に巻き込まれることにある。なにも心配することはないではないか。相手に原因がある事故ならこちらに責任はないのだから…。この理屈がすんなり通ればなんの問題もないが、保険会社は「共に動いている以上共に過失責任あり」を事故対応の基本原則にしている。簡単には無過失主張を認めることはないから面倒となるのだ。
保険会社は、次のような考え方を基本方針としている。「道路交通法では、自動車を運転する者は常に安全運転に努め、事故をあらかじめ防止する義務を負っていると定められています。例えば、交差点に進入する際は、他の車が進入してくるかもしれないと予測し、徐行等を行うとともに、実際に他の車が進入してきた場合には、衝突を避けるよう努める義務があります。このような義務を果たしていれば、事故の発生を防止・回避できていた可能性があると判断できる場合に、運転者に過失があると判断されます。したがつて、実際に事故が起きた場合は、よほどのことがない限りは運転者に何らかの過失があるものと判断されます。」(保険会社発行資料から)。この基本方針が、「動いていた以上過失あり」の考え方に結びついていくのは自然の流れというものだ。

保険事故を起こしたドライバ-が等級ダウン後3年間にわたって不利益を強いられることになるこの等級制度改定が、どのような動きを引き起こすことになるかは容易に想像がつく。無過失主張事故あるいは、過失割合交渉事故の激増ということだ。当然のことながら、事故解決に要する時間が大幅に延長されることになるだろうし、何よりも「弁護士特約」の行使増加に伴う損害率(契約者が支払った保険料に対する保険会社が支払った保険金の割合)の悪化は目に見えている。弁護士特約の保険料アップは時間の問題となる。保険会社の収益悪化を改善するために行われる改定が、収益悪化の新たな要因を生み出すという悪循環に陥る矛盾は断ち切れないということだ。言い忘れていたが、保険を使っても等級がダウンしない「等級プロテクト特約」も当然に廃止される。要は、事故による保険使用は、これまで以上に甚大な不利益を契約者側にもたらすことになるということ。事故により責任負担5万の立場に立たされたらどうするか。人によっては自動車保険料1年分に相当する金額となる。自己払いか保険使用か。文句なしに自己払いだと即断できないドライバ-も数多く存在するのだ。 (2012.5.27)



(77)「週刊ダイヤモンド」・2012年4月21日発売号に「自動車保険18社保険料ランキング」が発表されていた。当然のことながら上位は、通販系自動車保険会社が独占している。ちなみに、上位3社を挙げると、@SBI損害保険Aアメリカンホ-ムダイレクトBセコム損害保険。逆にワ-スト3社は、Q共栄火災海上保険P日新火災海上保険Oあいおいニッセイ同和損害保険。保険料試算は、6等級・ゴ-ルド免許・年齢条件35歳・車両保険なし、という条件設定に基づくものだ。@の保険料は33,400円、最下位Qの保険料は68,490円、その差は35,90円。実に2倍強の差だ。

自動車保険は基本的には掛け捨て保険だ。無事故戻しがないから、1年間保険を使わなかったとしても支払った保険料は一円も返ってこない。返ってこない保険料は、大雑把に分ければ、事故を起こした他の契約者の保険金支払いに充てられたか、保険会社に吸い取られたかのいずれかということになる。いつ発生するかもしれない「補償」という形のないものに対し、安心料として支払うものが保険だから、安いにこしたことはないと考えるのは当然のこと。しかし、いざ発生した損害の「補償」を得ようとしたときに使いものにならない保険に加入していたら、「安かろう悪かろう」の悲惨な結果を招くことになる。補償内容を無視して保険料だけを保険会社選びの選択基準にすると手痛いしっぺ返しを食うのが自動車保険だ。

補償内容を選択基準にする大切さの具体例を示そう。
上の@〜Qのランキングに名を連ねた各社のうちで、「自転車による単独負傷事故を人身傷害保険で補償してくれる会社はどこか」。家族のうちの誰かが自転車を利用している家庭にとっては重要な補償ということになるはずだ。保険料の安さを売りにする通販系は一社の例外もなく補償対象外だ。それ以外の損保系で「特約」を付けることによって、自転車単独負傷事故を補償の対象としている会社は4社ある。K日本興亜損害保険・L三井住友海上火災保険・Oあいおいニッセイ同和損害保険・P日新火災海上保険だ。一番保険料が高いQの共栄火災海上保険は、付帯特約自体がなく、自転車単独負傷事故は常に補償対象外となっている。高かろう補償なしでは浮かばれない。この保険を売らなければならない専属代理店は厄介だ。

もう一つ重要な会社選択時の「補償」がある。「弁護士特約」だ。この特約、自動車事故に限定して行使ができる特約補償の会社が多いと思うが、日常生活全般の突発事故を補償の対象としている弁護士特約かどうかということを選択基準に置くことの重要性だ。例えば、散歩中、放し飼いにしていた飼犬に襲われ大ケガを負ったとしよう。飼い主との賠償交渉がこじれた場合、自費で弁護士に依頼するのと保険で弁護士を賄えるとでは大きな違いとなる。交通事故限定弁護士特約では「自費」、交通事故以外も補償対象とする弁護士特約では「保険行使」ということになる。

以上のように、自動車保険は保険料だけではなく、「補償内容」の検討も重要な選択基準となるということだ。そのほかに「誰もが指摘しない」重要な選択基準がある。それはなにか…。事故の際に受け取ることができる「付加価値サ-ビス」だ。このサ-ビスのうちもっとも重要なものが、加入保険会社が示談代行介入ができない「無過失主張事故」の際に受けるサ-ビスだ。このサ-ビスを提供できる者は限られている。事故解決力のある代理店だけということだ。この部分はたんに契約者だけではなく、保険会社・代理店をも巻き込んだ多くの検討課題を抱えているが、そのことに気づいているのは、いまのところほんの一握りの代理店だけにすぎない。 (2012.5.22)



(76)並行して走っていた隣りの車がシグナルを出すと同時に突然の車線変更による接触事故。この事故形態は例外なくもめる代表的なものの一つである。事故相手保険会社が機械的に判例タイムズ106図(以下「判タ106図」と記載)を適用して、基本過失割合30対70をまず提示してくるからだ。提示された被害者ドライバ-は当然に反発することになる。「ウソだろう。この事故、どうやって避けるんだい。避けようもない事故じゃないか。」と…。

法理論上は、この事故形態は、「予見可能性」ないしは「事故回避可能性」のない、従って「事故回避注意義務」のない無過失事故となる。保険会社発行資料もつぎのような説明をして被害者の過失責任を否定している。「並行して走っていた車が安全確認を怠り、進行変更をしたために相手方の車両を損傷させた場合などは、客観的に判断して予見可能性、結果回避可能性、安全運転義務違反のいずれもないことを理由に、相手方無過失主張に妥当性があると判断されることもあります。」。

「予見可能性の存在」。前(75)でも述べたように、物理的見地から判断すれば、この進路変更事故においても予見可能性の存在は肯定されようが、法律的見地から価値判断されたときはその存在は否定されよう。ただ厄介なのは、法律見地からの検討は「法的価値判断」(発生した損害を事故当事者にどのように配分すれば公平の原則に照らして妥当といえるかという見地からの判断)の問題となるだけに、判断をする主体者たる事故担当者が物理的見地と法律的見地の区別も認識せずに「予見可能性がなかったとは必ずしもいいきれない」と強弁してきた場合だ。法律論争になると、互いに法知識において素人同士の泥仕合が延々と続くことになる。

その点において、タ106図適用による過失割合増減要素である「修正要素」採用の可否をめぐっての攻防とする手法が優れていることになる。法律論争を展開する必要がなくなるからだ…。 進路変更事故においては、106図記載の修正要素「合図なし」(被害者の過失責任20%減算修正)の究明が重要なポイントになる。判タ106図は、「合図なし」についてつぎのように記載している。
合図なしとは、方向指示器等により右折等の合図をし、かつ、これらの行為が終わるまで当該合図を継続しなければならないのにこれを欠く場合をいう(法53条1項)。進路変更の合図は、
A(後続直進車)の前方注視義務違反の基礎として重要な意味を持つものであるから、その違反については20%の割合で加算修正するのが相当である。」

そもそも
タ106図が「合図なし」を修正要素としたのはいかなる理由によるのか、ということだ。保険会社資料によれば、合図の動作がなければ、対向車や後続車の運転者が進路変更車のその後の進行を予測できず、大変危険であるから過失割合の修正要素としたのだと説明している。この説明に異論はないと思う。この説明から次の結論が論理的に導かれることになる。後続車の運転者等が進路変更車のその後の進行を予測できないような合図出しは、「合図あり」とはいえず実質「合図なし」と同等視されるということだ。合図を出すと同時に進路変更を開始したような「合図出し」は形式的「合図あり」にしかすぎず、実質「合図なし」に該当するということだ。
判タ106図頁で「進路変更の合図は、A(後続直進車)の前方注視義務違反の基礎として重要な意味を持つ」と記載しているのは、進路変更車の合図の有無が
直進車の前方注視義務違反成立可否判定の重要な前提になるという意味であり、この判例タイムズ記述から、合図なしでは、直進車の前方注視義務違反(安全運転義務違反)は問えないということが論理的に導かれるとほけん村は考える。

タイムズ筆者も判タ106図の「基本割合(30:70)には、進路変更車が進路変更に当たって法53条1項・2項、令21条に定める合図を履行したこと、後続直進車に軽度の前方不注視があったことを含んでいる。」(185頁)と記述していることから、進路変更車の合図なしが確認されたら、文句なしに10対90から過失割合交渉がスタ-トすることになる。問題は、残りの10%の過失責任をどう処理して0対100にもっていくかだ。この10%の攻防をめぐって保険会社と被害者との間で激しい生存競争がくり広げられることになるのだ。被害者が修正要素「著しい過失」(10%)の採用を強く求めたにもかかわらず、頑として認めなかったある保険会社が提示してきた書面を最後に紹介しておくことにする。

「問題となる点は、〇〇様からご指摘頂いております、弊社契約者の運転方法が判例タイムズで言うところの著しい過失に相当するかという点ですが、弊社として今回の事故状況から相当しないと判断しております。
その理由としては今回の事故が、弊社契約者××が漫然と運転したことにより発生したことが主な原因でありその部分に関しては、判例タイムズの基本の割合に加味されていると判断しているからです。又過失が御社契約者△△様に有るという点に関してですが、道路交通法第70条で言うところの安全運転の義務(軽度の前方不注視等)に抵触するものと判断し、事故発生の予見性が多少なりともあったと判断するにいたったからです。」


何の具体的論拠を示すこともなく、軽度の前方不注視違反が認められるから過失責任は免れないと、一方的に決めつけてくる非論理的説明を展開して、いかに最後まで0対100の結論にいたることを頑(かたく)なに拒んできたか、この文面からご理解いただけると思う。情けない事故対応レベルであるが、これが保険会社の実態であるということだ。この保険会社の事故対応レベルに対抗するには、「名(無過失)より実(0対100と同一結果)をとる」という実戦的解決法が求められるのであり、ここに、「事故付加価値サ-ビス」を提供できる事故解決力のある代理店の存在価値が認められるのだ。(2012.5.21)




(75)改めて民法709条「不法行為」の条文を読み直してみた。「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」。ここに規定する「故意」・「過失」・「権利」・「法律上保護される利益」の具体的意味内容について明らかにする解釈規定を、民法(及びその附属法「民法施行法」)は設けていない。だからその意味内容を具体的にする作業がどうしても必要になってくるわけだ。堅苦しい響きがするが「法文解釈」という作業だ。

斎藤静啓(さいとう よしゆき)
千葉大学教授著「法学」(成文堂刊・平成2年12月第6刷)は平易な文章でつぎのように記述している。「…個々の具体的事実に対し法を正しく適用するためには、ただ法を知るだけでは不十分であり、法の意味内容を正確に認識・理解していなければならない。法が正しく理解されていなければ、正しい法の適用が行われるはずがない。そこで、法の解釈とは、抽象的に規定されている法の意味内容を明確化することにあるといえる。」(70頁)・「法の解釈は、一つの価値判断であり、価値的解釈である。」(73頁)

709条で一番出番の多いのが「過失」だ。裁判所がこの過失の意味内容をどう捉えているかは、このほけん村のいたるところで説明しているので省略するとして、保険会社はこの過失というものを一体どのように理解・説明しているのか。いつも手痛い目にあっている多くのドライバ-の関心事だと思うので、まず、これを紹介することにしよう。保険会社発行資料によれば、つぎのように説明されている。
「『過失』とは、ある結果の発生を予見して、これを避けなければならないにもかかわらず、不注意でこれを怠ったことをいいます。この過失の有無を判断するにあたっては、法律上、『予見可能性』と『結果回避可能性』の有無を検討する必要があります。この場合の『予見可能性』とは、自身の行為によって事故が発生するかもしれないとあらかじめ認識して行動することをいいます。また、『結果回避可能性』とは、あらかじめ注意を払うことで事故を未然に回避することができることをいいます。」

一見そつのない過失についての説明内容にみえるが、この説明内容レベルで事故担当社員にも教養しているとしたら問題だということだ。法律上、つまり法律的見地から「予見可能性」と「結果回避可能性」の有無を検討する必要があるとする説明内容に異論はないが、この両者の関連性についての説明が一切ないために、過失の有無を検討するには、両者を別個独立に検討すればいいという考えに行きつく危険性が多分にあるということだ。現実に、多くの事故担当者は、事故発生を予見できたのであれば、当然に事故発生を回避するための行動をとらねばならなかったはずだし、それができたはずだ。にもかかわらず、そのような行動をとらなかったがために事故が発生した。だから過失責任は免れない、と短絡的に結論づけ「過失」ありとしてその責任を押しつけてくる。この結論は、結局のところその思考過程において、「予見可能性」と「結果回避可能性」という両者の相互関連性の理解が欠如しているところに大きな要因があるのではないかとほけん村は考える。

両者の関連性については、有斐閣刊・「民法W 債権各論」(有斐閣Sシリ-ズ)・1995年12月発行第2版238頁が具体的かつ明確に記述している。「過失における客観的義務違反は、…結果回避義務違反ととらえることができるが、過失の有無は、この結果回避義務違反のみで判断されるわけではない。結果発生について予見可能性がなければ、当事者には、具体的状況において講ずべき回避義務の内容がわからず、またそれを要求するのも妥当とはいえないから、過失ありとされるためには、予見可能性のあることが当然の前提とされている。(通説・東京地判昭53・8・3判時899号48頁(東京スモン判決…)。」

この記述内容からわかるとおり、事故現場において、具体的にどのような事故回避のための行動をとるべきだったかということは、事故発生をあらかじめ予見できて初めて導き出せるということだ。この認識があれば、当然につぎのような疑問が出てくることになるはずだ。事故発生を予見でき、予見から導き出される回避行為をとることが非現実的な場合がある。この場合はどう考えるべきか…?住宅街走行中、住宅車庫から何の前触れもなく突然飛び出してくる車との衝突がその典型的な例だ。一軒一軒の住宅車庫からの飛び出し事故を回避するには、それぞれの車庫通過直前に一時停止するか減速徐行しなければならないことになるが、そういう運転をすることが現実に可能かということだ。考えるまでもないことだろう。こういうケ-スでは、たとえ予見可能性は否定できなくても、「事故回避可能性」の存在は物理的(事実的)見地からは肯定しえるが、法律的見地から価値判断すれば否定されるとするのが論理的であり、回避可能性のないところに事故回避義務は存在しえるはずもないことから、当然のごとく過失自体の存在が否定される。この結論は、ドライバ-の日常的な経験則にも合致することになる。保険会社事故担当者のように「予見可能性」と「事故回避可能性」を短絡的に結びつけて、予見ができた以上事故回避のための運転をすべきであったと速断するのは、営利追求を目的とする保険会社の一方的ご都合論理にすぎないのだ。 (2012.5.19)



(74)西原春夫元早稲田大学学長は、2008年(平成20年)10月中国政法大学において、「信頼の原則」の演題で特別講演を行っている。その講演において多くの興味深い内容が語られているので、その一部を紹介することにしたい。まず、「信頼の原則」とはどういう原則のことなのか。初めてこの言葉を聞くドライバ-の方のために復習しておくことにしよう。
彼の著書「交通事故と信頼の原則」(成文堂刊)14頁にはつぎのように記載されている。「道路交通事犯における過失認定の原理として用いるように定義(するとするならば、信頼の原則とは)『あらゆる交通関与者は、他の交通関与者が交通秩序にしたがった適切な行動に出ることを信頼するのが相当な場合には、たとい他の交通関与者の不適切な行動によって結果が発生したとしても、これに対しては責任を負わない』とする原則をいう、と定義されることになる。」

西原氏はこの講演の中で「信頼の原則をはじめて日本に紹介した張本人である」とご自身のことを紹介しておられるが、西原氏がドイツ留学から帰国した2年後の1966年(昭和41年)、彼はある法律雑誌に「判例にあらわれた『信頼の原則』」と題する論文を発表した。奇(く)しくもその論文発表2ケ月後の昭和41年12月20日、最高裁判所から交通事故における業務上過失傷害罪に問われた被告人の刑事過失責任を信頼の原則理論を用いて否定した画期的判決が初めて出されたのだ。

以来、この信頼の原則の考え方は交通事故民事事案における「被害者の過失相殺すべき過失を否定する理論」としても判例に登場することになり、今日に至っている。しかし、交通事故における過失相殺事案において、「信頼の原則」はいまだ十分には市民権を得た状況には至っていないというのがほけん村の考えだ。初めて信頼の原則を採用した最高裁判決からすでに40年以上も経過しているにもかかわらず…だ。
保険会社は、交通環境が未整備時代に形成された厳しい過失認定の基準である「自動車のように危険な道具を使う運転者は、道路上に起こり得るあらゆる事態を想定して運転しなければならない、という基準」(中国講演における西原氏の言)をいまも根強くその根底におき、現実には事故回避不可能な事故でも被害者に平気で過失責任を押しつけている。深く考えることもなく、「予見可能性は否定できないから…」ともっともらしい理屈を付けてだ。予見可能性存在有無の判断は、物理的(事実的)見地からと法律的見地からとではおのずと異なる、という基礎的理解もないまま言い放つから余計に始末が悪いのだ。人様に害を与える間抜けにつける特効薬は知らないが、「無知」につける薬はある。間抜けを脱却し恥じない事故担当者になるには、知識を身につける謙虚さとたゆまぬ努力があればいいだけの話だから…。

それはさておき、西原氏はこの講演の中で興味深いことを述べている。
「過失認定の論理構造については、…基本的には結果発生の予見可能性から出発し、それが肯定された場合、次に結果発生を防止すべき注意義務違反の有無を判定するという順序が認められているように思う。問題は、予見可能性という概念の範囲があまりはっきりしていないところにある。極端に言うと、同じ事例についてもあるともないともどちらの結論も出せるようなあいまいな概念と言わざるを得ないところに問題がある。それなのに、いったん予見可能性が肯定されると、注意義務違反もまた肯定されやすいという意味で、それが過失認定の基準を不確定にする原因となっている…。」

と述べたうえで、自車の走行車線は順調に走行できるが、対向車線は渋滞で車両がほとんど動かない状況のもと、対向車線の渋滞停車車両の陰から歩行者が突然飛び出してきたため人身事故が発生したという事例を引き合いに出し、「従来の過失認定基準によれば、『渋滞している車両の列の陰から突然歩行者が飛び出してくることはそもそも予見できないことなのか』という問いになるが、これと、「そのような車両の列の陰から突然歩行者が飛び出てくるようなことはないと信頼するのは相当か」という問いとを比べてみると、考える方向や結論にかなり違いがあることがわかる。」として、つぎのような結論を導いている。

「つまり、『信頼の相当性』という基準によると、被害者(ほけん村注→事故相手方)の行動の適否の判断がより具体的に前提とされるが、予見可能性のみの基準によると、広く結果発生に対する加害者のかかわりがより強く考慮され、過失認定の結論にも寛厳の差が生ずるように思われる。」

交通事故における「過失相殺」という民事の問題は、発生した損害を事故関与者(事故当事者)にどのように配分(分配)して損害を回復すべきかという問題に過ぎない。国家刑罰権の行使という国家権力が介入入する余地はない領域だ。だとするならば、予見可能性の有無という事故の一方当事者のみの見地から損害配分を考えるよりも、事故相手方の行動の適否を検討対象に入れたうえで、他方当事者の信頼の相当性を判断して損害配分を決定する方法がより妥当ではないかとほけん村は考える。いずれにしても、発生した事故に
信頼の原則が適用されれば、被害者の「事故回避注意義務」は否定され過失相殺されるべき過失はないという結論が導かれることになるのだ。 (2012.5.13)



(73)郡山タワ-法律事務所の三瓶正弁護士はそのブログの中で、「あなたの自動車保険の保険代理店は良い代理店かどうかを見分ける方法」というタイトルでコメントしている。この弁護士はつぎのように言う。良い代理店か悪い代理店か簡単に見極める方法は「弁護士特約」の付帯率だと…。弁護士だからそう言うのは当たり前だと簡単に片づけてはいけない。ほけん村も同感だからだ。年間保険料わずか2千円前後の「弁護士特約」を付けられない代理店は専門職業人にあらず。このことは以前から言っていることだ。でも、この特約を付けるかどうかはあくまでも契約者の自由意思だよね…?

その通りだが、契約者に加入を説得できなかったという、説得力・提示力のなさがそのままその代理店の実務能力の実態を反映することになるからだ。この特約付帯率の悪い代理店は間違いなく事故解決力のない代理店と比例する。A代理店は、この特約の加入を拒否する契約者に対しては、いつもこのように言っている。「この特約に加入いただかないと、万一の際、お客様だけでなく代理店である私自身も共に苦労することになる。どうしてもご加入いただけなければ、この特約なしでも喜んで引き受けてくれる他の代理店をお探しください。」。  (2012.5.11)



(72)以下は、ネット上のある行政書士(植山保行政書士)のHPに掲載されている文章の一部である。
事務所選びのコツについて少し触れておきましょう。まず、Webサイト上で『専門分野』として掲げているだけでは何の信用材料ともなりません。専門だと自称するのであれば、その専門分野については詳しく説明がなされている必要があります。Webサイト上では情報を出し惜しみしている事務所もありますが、そういう事務所は知識レベルは知れています。 
本当に専門性が高いなら、少々の情報を無償で提供したところで、まだまだ提供しきれない情報はいくらでも持っています。出し惜しみしなければならないということは、その程度の知識しか有していないと考えて良いでしょう。また、その情報の内容をよく読んでみることが大事です。本を読めば書いてあるような一般論的なことしか書いていないようでは専門性は低いです。そんな程度の知識であれば、本屋さんで何冊か関連書籍を買ってきてそのまま写せば良いだけです。本に載っていないような情報を載せていたり、一般論ではなく『考え』を掲載しているかどうかが大事です。一般論としての情報は丸写しできても、『考え方』というのは移植できないものです。」

専門職としてのゆるぎない自信と自負心に溢れた職業人のみが表現できる文章内容とみた。専門職業人としての「気概」を感じさせる内容だったので紹介することにした。彼がここで言っている「考え」・「考え方」とは、専門職業人としての「自分の考え、持論ないし見解」のことだろう。
ひるがえって、自動車保険を扱っている代理店のHPのことを考えてみた。そのHPは数多く存在する。しかし、どれを見ても事故対応に関して自らの考え方・持論を述べたHPは皆無といっていい。例外なく書店で入手可能な事故関連書籍記載内容の域を出ていない。立派なのはHPの外見だけ。「記載内容の質」という中味が伴っていないのだ。これでは、ドライバ-が事故に強い代理店を見つけようにも見つけようがないということになる。

確かに代理店の作成するHPは「募集文書」としての扱いを受け、保険会社への掲載内容事前申請・承認制という規制はある。しかし、そうではあっても、先に紹介したような行政書士のように、専門職業人としての「気概」をHP閲覧者に感じさせるような文言内容を一字一句も書けないほどの厳しい規制がなされているのか。「従順さ」は悪いことではないが、時として弊害を生じさせることもある。代理店は、保険会社にただ操られるだけの「長良川の鵜」的存在なのか。そうではあるまいに…。 (2012.5.6)



(71)ネット記事に、元損害保険会社社員の言葉として以下内容のものが紹介されていた。

「損保会社がやっている示談交渉サービスには、真実追及とか原因究明なんて高尚な理念はありません。ひと言で言うなら、いかに会社側の損害を抑えられるかってことですね。当事者の出方と、こちらの担当者の裁量次第でどうにでもなる。要するに、駆け引きなんです。ところが大半の事故の当事者は、保険会社が真実を探して、適正に納得のいく処理をしてくれると信じている。そこに大きなギャップがあると思いますね」


事故当事者が交渉時、保険会社に強く感じる「認識のギャップ」。このギャップと現実に直面したとき、多くのドライバ-は戸惑い、驚き、そして挙句の果てに「怒り」へと発展していくことになる。これに対処するためには、たんに大声を張り上げるだけではどうにもならないのだ。事故解決の「知恵」を借りなければどうしようもないということだろう。誰から…?知恵をもった「代理店」からだ。「知恵」と「知識」は明らかに違う。前者は実務実戦で蓄積された「体験的知識」という意味合いで、実戦で身につけたものではない後者と異なる。知恵のない代理店では、「自動車保険担当代理店」としての存在価値はなく、いわんや、そもそも代理店自体が存在しない通販自動車保険は論外だ。では、どうやって知恵のある代理店と知恵をもたない代理店を認識区別すればいいのか。

直接、代理店に「あなたは事故に強いですか?」「無過失主張事故にはどういう対応を取ってくれるのですか」と単刀直入に質問する。これも一つの有力な方法だろう。「代理店の事故交渉は弁護士法で禁止されています。事故解決は保険会社事故担当者がやってくれますから安心して下さい。」。こんな表見的な回答しか返ってこない代理店に、代理店手数料を余分に支払う必要はない。代理店の存在しない通販自動車保険が保険料格安な分だけメリットがあろうというものだ。建売り住宅と同じだ。見かけ、外見だけにゴマかさられてはいけないということ。見かけはよくても「事故の知恵」をもたない代理店はどうにもならないということだ。事故の際に「付加価値サ-ビス」の提供を受けるには、「事故知恵」をもつ代理店を通しての自動車保険加入が必要となってくる。これはドライバ-が持たなければならない知恵の一つだろう。  (2012.4.30)



(70)通販自動車保険加入者からの事故相談メ-ルが相変わらず多い。事故対応の「知恵」をもたないがために、右往左往した揚句の相談メ-ルとなる。この人たちに一番欠けているのは、「交渉テクニック」というものをまるで認識していない点だ。事故発生直後の勢いで「無過失主張事故連絡」を加入保険会社に入れたがために、初期対応の側面支援が全く受けられない状況下に陥り、立ち往生してしまうケ-スが多く目立つ。初期対応に関しての初歩的知識もないドライバ-は、代理店の存在する自動車保険に加入しておかなければならないということだ。「安かろう(格安保険料)、悪かろう(事故対応サ-ビスが受けられない)」では、保険の価値はない。

事故対応の「知恵」もなく、相手保険会社の海千山千の事故担当者と対峙するということが、どういう状況を招くかということは想像がつくだろう。黒も白といい含まれて反論もできない状況に追い詰められるということだ。せめて、これだけは覚えておいて欲しい。必ず「書面による交渉」を相手担当者に求めるということを…。相手担当者にとって、書面交渉は厄介な仕事となる。文書作成に時間を要することになるから…? そんな些細なことよりも、書面交渉となれば、@いい加減な文章は書けなくなるため、必然的に「責任ある回答」を書面化せざるを得なくなる。A担当者の法的知識・事故分析能力等があらわとなる。B口先だけで事故知識無知の相手方を丸めこむことが不可能となる…等、担当者にとっては不利な状況下に追い込まれることになるということだ。反面、保険知識の乏しい被害ドライバ-にとっては、事故担当者と対等に渡り合える唯一の手法ということになる。専門用語を羅列されても一つ一つの意味内容を確認したうえでの返信が可能となるのだから…。(2012.4.22)



(69)おもしろい質問メ-ルがきた。実務経験20年というベテラン代理店からのものだった。質問要旨は次の通り。通称「判例タイムズ」の正式名称は「民事交通訴訟における『過失相殺率』の認定基準」となっており、「過失割合」の認定基準とはなっていない。そして、タイムズの「はしがき」には「四輪車同士の事故の『過失相殺率』は、若干の修正をのぞき、「過失割合」と同一といってよい。」と記載されている。仕事上、当たり前に使用している「過失割合」と「過失相殺率」。恥ずかしい話だが、この両者を自分の頭の中で今もって明確に区別して理解することができずにいる。この両者の区別に関するいろんな文献を読んではみたが、いまいちすっきりと理解することができない状態がつづいている。何とかならないものかと思い恥を忍んで相談することにした。

この質問者の悩みがよく理解できる。「分かる」「理解できた」ということは、分かりやすい平易な自らの言葉を自由自在に用いて他人に説明ができるということを意味する。学生時代、家庭教師の経験をした者であれば分かるはずだ。きっとこの質問者は、このレベルにいまだ達してはいないが故の悩みだったのだろう。いま、私の手元に、弁護士等が書いた交通事故に関する多くの書物があるが、この両者の区別について具体的に解説した本は一冊も見当たらない。枚数の制限があるとはいえ、読者への配慮が足りないということだろう。

「交通事故そのときどうする!」(オ-エス出版社、榊原三佳・海道野守共著、2002年10月30日発行第2刷版)88〜89頁には、「過失割合と過失相殺ってなに?」の項目名のもとに解説が加えられている。交通事故には、@自分の一方的な過失で発生するものA自分と相手、両方の過失で発生するものB相手の一方的過失で発生するものの3通りがあるとしたうえで、「Aの場合は、事故の過失がどちらにどれだけあったか検討されます。その結果が『過失割合』なのです。」と解説したうえで、「過失割合は、過去に起こった同じようなケ-スの事故の裁判例を参考にして決められます。たとえば、…『民事交通訴訟過失相殺率の認定基準』といった本がありますので、保険会社に突きつけられた過失割合に納得できない人は、自分でも判例を調べたうえで、交渉に臨めばよいでしょう。さて、こうして決まった過失割合にしたがって、それぞれの損害額を双方に負担させる方法を、『過失相殺』といいます。…『過失相殺』とは、自分の損害額から自分の過失割合分を『差し引く』ということなのです。」

この記述から、筆者は、過失割合に従ってそれぞれの損害額を双方に負担させる割合が「過失相殺率」であるとしていることが読みとれることになる。

太郎と次郎の@過失割合5対5といった場合とA過失相殺率5対5といった場合とを考えてみよう。まず、@とAの共通点はなにかということから話を始めよう。「発生した損害に対する分担率ないしは配分率」という意味では@・Aともに変わるところはないということだ。タイムズのはしがきに「四輪車同士の事故の『過失相殺率』は、若干の修正をのぞき、「過失割合」と同一といってよい。」と記載されているのは、この意味だ。それでは、@とAの相違点はなにか。それはズバリ、「責任能力存在の有無」にあるといえる。つまり、@の場合には、太郎・次郎の双方に必ず責任能力が存在するが、Aの場合には、双方またはそのいずれかに責任能力が存在しない場合もあり得るということだ。ともに責任能力が存在しない限り過失割合というものは発生する余地はないが、発生した損害のうち、自己の過失責任分は相手に請求できない、差っ引いてしか請求できないという過失相殺においては、自己に責任能力を前提とする過失が存在しない場合でも過失相殺率というものは発生するのだ。

では、「責任能力」とはなにか。「民法U・債権各論」(東京大学出版会・内田貴著・2003年第20刷)の記述がきわめて秀逸だ。「人が過失行為により責任を問われるのは、あくまで過失のない行為を選択する能力があるということが前提であり、それを責任能力という」(403頁)。 

あえて大胆な結論を言おうとすれば、共に責任能力が存在する場合の発生損害分担率→「過失割合」であり、被害者に責任能力のない場合も含んでの発生損害分担率→「過失相殺率」 、あるいは、たんに過失割合に基づく発生損害分担率を「過失相殺率」 と呼んでいるのだ。「過失割合」は「不法行為責任割合」のことであり、責任割合そのものを意味する場合とその責任に基づく損害分担割合を意味する場合の両方を含んでいるが、「過失相殺率」は損害分担割合のみを意味しているとと理解しておけばよいのではないかということだ。  (2012.4.22)




(68)ある損害保険会社発行資料によると、「全ての代理店が行ってはいけない業務」の一つとして、「相手方と示談交渉を行うこと」を挙げている。そしてその補足説明として、「代理店さんはお客様(被保険者)の代理として示談代行を行ってはいけません。お客様の要請により、代理店さんが交渉の場に同席することは問題ありませんが、代理店さんが交渉の場に同席する場合には、最初の段階で@自らは代理店であることA示談交渉そのものには関わらないが、お客様は損害賠償に関する知識が乏しいため、代理店として相談に乗っていること、を相手方に説明を行い、自らの位置を示しておく必要があります。」としている。あくまでも第三者としての立場を貫けということか。相談に乗っている以上、交渉の場でアドバイス的発言もできないようなら、また、その能力もなければ、何のための代理店かということになるはずだが…。

古くて新しい問題であり、今もって、「結論」だけが先行してその法的論拠が明らかになっていないテ-マが、この「代理店は契約者の代理人として事故示談交渉を行なうことは、弁護士法72条に規定する非弁行為となるのか」という問題である。保険会社は、代理店の代理行為は非弁行為に抵触のおそれがあるからダメだという結論だけは明確に示しているが、何故に非弁行為に抵触するおそれがあるのかという法的論拠は明らかにしていない。あれだけ多くの「顧問弁護士」をかかえながら…。

代理店と非弁行為の問題は、このほけん村HPのいくつかのところで取り上げているが、この問題は、発生した損害を当事者間で公平に分担するにはどういう分担が妥当かという、過失相殺レベルの問題ではなく、「刑法の基礎的知識」がなければ解答は得られない厄介な問題であるということだ。構成要件・実行の着手・目的犯・主観的違法要素…、これらの知識が不可欠的に要求されることになる。これらの知識なくして「代理店の代理行為は非弁行為に該当し弁護士法に違反する」といやにはっきりと自信ありげに断定する人物に時々遭遇すると、「無知なるピエロ」故の滑稽さを感じ、その悪意のないあまりの単純的思考レベルに、かえってほほえましさを感じ思わず笑ってしまうことがある。本来、「ピエロ」は深遠さを感じさせる知的さ故にピエロとしての存在価値があるというのに…。

代理店が加入者のために行う無報酬代理行為が非弁行為に該当するか否かという法的判断を直接示した判例は存在しない。しかし、代理店の無報酬代理行為が非弁行為に該当しないという蓋然的予測は、すでに昭和46年7月14日の最高裁判決が明示した、
昭和72条において非弁護士の法律事務取り扱いを反社会的犯罪行為として禁止した立法趣旨は、弁護士資格のない者が、自らの利益のためにみだりに他人の法律事件に介入することを業とすることを放置するときは、当事者その他の関係者の利益を損ね、法律生活の公正円滑な営みを妨げ、ひいては法律秩序を害することになるので、これを防止するためのものであるとした判示内容要旨から明らかだといえよう。 (2012.4.21)

(67)事故により損害を受けた車を売却した場合、事故当時における事故車の「時価額」とその「売却代金」との差額を事故による「損害」として加害者に請求できるのは、つぎの二つのケ-スだと昭和49年4月15日の最高裁判決は判示している。
@事故車が事故によって物理的・経済的に修理不能と認められる状態になったとき、Aフレ-ム等車体の本質的構造部分に重大な損傷が生じたことが客観的に認められたとき。この最高裁判例は、これら@・Aのいずれかに該当する場合は、法的保護を受ける「権利」として事故車の買換えが可能になるということを意味している。

いうまでもなく、これら@・Aに該当しなくても買替えは自由であるが、その場合は時価額と売却代金との差額を「権利」として請求はできない。つまり、請求すること自体は何ら自由であるから、相手がこれに応じてくれれば儲けものということにはなるが、応じないときは、国の力を借りて相手の意思に反してでも無理やりむしり取ることはできないということ。最終的に国の保護を受けることのできるかどうかということが、権利と非権利との境い目というわけだ。

この事故車買替えに関して興味深い事例がある。以前ここで紹介したことがあるが、再度これを紹介することにする。
コンビニ駐車場で物損事故が発生した。一方の当事者が公道に出るための方向変換としてバックした際、後方で駐車していた相手車に追突した一方的加害事故だ。追突された被害者は自動車ディ-ラ-勤務の社員。被害事故車は上に述べた@・Aのいずれにも該当しなかったが、所有者であるその社員は車両買替えを希望したため修理はしないことになったのだ。加害者側としては、相手は修理をしないし、車買替えも権利としては認められないのだから、「代車費用」を損害として支払う必要はないということになる。

ところが…だ。加害者加入の保険会社は、加害者に対し、「代車相当額」なるものを事故による損害として認めることにしたいと承認を求めてきたのだ。
保険会社の理屈はこうだ。「相手は通勤に車を使用しているので代車の必要性は認められるが、現実には代車を使用していないから、当然、代車費用支払いには応じられない。しかし、事故損傷が大きく走行することは危険な状態であるにもかかわらず、代替車両納車までの期間無理して事故車に乗り続けている状況にあり、実際に代車は使用していなくても、代車が真に必要な状況であることを考慮したとき、車両損害に付随して発生した損害として『代車相当額』の支払いを認めざるを得ないものと考える。」

なんとも奇妙な論理の展開だ。この通知書を読んだ加害者の代理店はすぐさま反論し、「代車相当額」なるものを、加害者が事故により相手に与えた損害として認めることはできないと通知した。理由は極めて明快だ。「代車費用の支払いという『実損』(実際の損害)が発生していない以上、対物賠償保険の支払い対象とはならない。どうしても『代車相当額』を支払うというのであれば、これを肯定した判例を提示されたし。」。この代理店の反撃に保険会社はどういう態度をとったのか。意外にあっさりと支払いを断念し、判例等の裏付け資料を提示できないので、代車相当額の支払い請求については応じられない旨相手に伝える、と通知してきたのだ。

しかし、保険会社は、なおも代車費用の支払いにこだわり、「代車相当額の支払いがなければ、事故相手は危険を伴う事故車両に乗り続ける必要がないため、今後相手が代車を借りる可能性がある。その際は実損として修理相当期間の代車費用を支払うことになるが、よろしいか。」。誤解のないように改めて言っておくが、ここまでして被害者側の代車費用支払いにこだわりつづけ、その要求に応じようとしているのは「加害者加入側の保険会社」なのだ。営利会社である保険会社の基本姿勢が、可能な限り保険金の支払いを押さえることにあるのは当然のことだ。可能な限り事故被害者のために保険金を支払うなどという会社方針は金輪際あり得ないのだ。にもかかわらず、この逆転した支払い方針は一体何を意味しているのか。代車費用支払い要求の実体が「ディ-ラ-代理店」ということが分かれば、その疑問も容易に解けることになる。

一部上場の大企業である保険会社が、約款上支払い根拠のない保険金、支払ってはいけない保険金を相手の要求に応じて支払おうとする。これがいかに重大な問題であるかということを、保険金支払い担当者はもとよりその上席(上司)はどこまで理解しているのか。理解したうえであえて支払いを強行しようとしているならば、「嗚呼!恐るべしかな、ディ-ラ-代理店の要求圧力。」ということになる。ディ-ラ-代理店の保険会社に対する要求圧力のすごさは、すでに紹介した「落ちこぼれ損保マンの保険金不払い日記」(ダイヤモンド社刊)がその実態を明らかにしている。

代理店は、この要求もきっぱりとはねつけた。「現実に修理もせず、事故車買い替えも買替え要件に該当しない相手の任意意思において行うものである以上、代替え車納車までの相当期間、代車費用を損害として要求すること自体の正当性は認められるのか。この要求を認める根拠となる判例を提示されたし。」。
この代理店の要請に対し、保険会社は、勝ち誇ったかのように平成12年3月29日の東京地裁判決を提示してきたのである。
曰く。判決文の中に「修理のための代車代に係る損害は発生していないとも考えられるが、しかし、修理を実行すればその期間中代車の使用は避けられないのであるから、修理ではなく買換えを選択し、そのために代車を使用した原告に対しては、相当の期間中の代車代を損害として認めるのが相当である。」との文言がある。ご確認いただきたい。

通常の業務においては、地裁レベルの判例には目もくれない保険会社が提示してきたこの東京地裁判決の前提となった事実関係は、新車引き渡しを受けた約20分後、信号待ちしていた被害車両ベンツに加害車両が脇見運転で追突した修理費用330万円強の一方的被害事故で、上に紹介した最高裁判例のいう「車両買替え要件」に該当すると思われる事故だったということだ。この前提があれば、被害者は事故車を修理するか、買い替えをするか選択可能と考えられるが、事故車買い替え要件を満たさない場合は、修理期間中の代車費用を「間接損害」として加害者に要求できるだけなのだ。にもかかわらず、保険会社は判決文の都合のいい部分だけをつまみ食いして、この判決を根拠資料として現実には修理しない「修理相当期間の代車費用」の支払い承認を再度求めてきたというわけだ。

担当代理店も保険会社から随分と軽く見られたものだ。たんに資格を取っただけの代理店と同レベル扱いされた代理店は、この保険会社の支払い方針を逆手にとることにした。あえて曰く。「判例資料を根拠に、現実に修理しない事故車の修理相当期間中の代車費用を事故による間接損害と認めるという会社方針に契約者である加害者側が反対する理由はどこにもない。保険会社の方針は、保険金を請求する側にとって有利にこそなれ不利とはならないから。今後は、今回の保険金支払い事例を契約者のために大いに活用させていただきたいと考えている。」

以上の経緯をたどった結果、修理相当期間(保険会社は3週間と認定)の代車費用支払いはどうなったのか。保険会社は結局のところ、この支払いもすることはなかった。いかなる理由で…? 被害者が請求を取り下げてきたので保険金を支払わないことにした、というのがその理由だ。ほんまかいな…? あまりにも出来過ぎた話ではないか。代理店は被害者に直接確認する行動に出た。請求被害者答えて曰く。代車費用請求をしていることも、ましてや、その請求を取り下げた事実もない。では、いったい誰がその請求を取り下げたのか…? 言うまでもなくディ-ラ-代理店だ。ことの実態は、被害者社員から代理委任を受けていないディ-ラ-代理店が独断で請求を取り下げたということだろう。被害者社員に直接確認することもなく、それに応じた保険会社も関係法令等無視の節操のなさ丸出しで同罪だということだ。代理店は代理行為をやってはいけないと、日頃、上から見下ろして物を言っているのは、他でもない保険会社自身なのだから…。

保険会社が契約者から預かった保険料は究極的には一体だれのものなのか。支払い根拠のない保険金を支払うということは、契約者から預かった保険料を保険会社が私物化したということにはならないのか。圧力団体…? なる自動車ディ-ラ-について、あるネット記事はつぎのように記載している。
「自動車保険に加入するのであれば、ディ-ラ-で入るのが一番いいということを過去から書き続けております。なぜならば、ディ-ラ-で取り扱っている自動車保険の売上が保険会社の中でも大きな割合を占めており、しかも簡単に浮気をする。保険会社の対応がよくないと、東京海上から損保ジャパンにすべての契約を簡単に替えられてしまうのです。そのような緊張感のもとで保険会社の社員も対応するので
、事故対応の担当もエ-ス級を配置するのです。」 (2012.4.13)



(66)何故、0対90の過失相殺判例が出ないのか。保険実務ではけっして珍しくはない0対90ないしは0対95の示談解決。昭和51年3月25日の最高裁判決はつぎのように判示している。「民法722条2項が不法行為による損害賠償の額を定めるにつき被害者の過失を斟酌することができる旨を定めたのは、不法行為によって発生した損害を加害者と被害者との間において公平に分担させるという公平の理念に基づくものであると考えられる…」。つまり、過失相殺は、「発生した損害に対する当事者間の公平な分担」のために考え出された制度だ。

有斐閣Sシリ-ズ・民法Wー債権各論(有斐閣・第2版)は、「過失相殺の対象となる被害者の過失は、公平の理念に基づいて(加害者の)賠償額を減縮するために斟酌されるものである。したがって、帰責原因のレベルで問題となる過失と比べて、…義務違反の程度がそれよりも軽いもの(たんなる不注意ないし怠慢)でも、過失相殺の趣旨からは、それを過失として斟酌することができる(通説)。」と記述し(387頁)、709条の「過失」と722条2項の「過失」の内容は異なるとしている。

すでに最高裁判例も、損害の公平分担の見地から、責任能力なき者の過失や被害者側の過失も「被害者の過失」に含まれると順次拡張解釈して今日に至っている。しかし、保険実務ですでに定着している「責任能力者が行った709条規定の過失に該当しない不注意行為」を「被害者の過失」に含まれるとする判例はいまだ出ていない。つまり、判例は、責任能力者の不注意行為はあくまで709条の「過失」に該当しいない限り、722条2項規定の「被害者の過失」には該当しないのだという立場に立っているということだ。だから、0対90の裁判例が存在しないというわけだ。0対90とは、709条の過失責任はないが、722条2項の過失責任は認められるから、加害者の被害者への賠償額を10%減額過失相殺して支払うということを意味している。

裁判実務において、裁判官が争いとなっている事実関係を検討したとき、加害者だけに損害を負担させるのは公平を欠くとの結論に至ったときでも、責任能力者の不注意行為は709条の「過失」に該当しなければならないとする制約に縛られると、より真実に近い事実認定を行う上において事実認定を歪曲させる阻害要因が入り込む余地が生じてくることは容易に想像がつく。
その具体例が前に述べた「駐車区画線内に駐車していた車がなんの前触れもなく突然通行帯に発進し衝突する事故だ」。双方車両の衝突損傷の程度から、区画線駐車車両の停車状態からの急発進衝突事故であることが車両損傷状況から明らかであるにもかかわらず、あえてこの事実に目をつぶり、「被告車両が、その右側に駐車中の車両により右方通路部分の見通しが悪く、同通路部分を走行している車両等の有無を確認することが困難であったため、被告車の前部を通路部分に出して発進したところ、約1メ-トル走行した地点で、原告車の左前側面部と被告車の右前部が衝突し、本件事故が発生した。」と判示、車両の前部を一旦通路部分に出して待機後に発進したと誤った事実認定をして、駐車状態からいきなり急発進で通路に侵入した事実を否定し原告(被害者)にも過失があることを肯定している
(平成22年10月12日・大宮簡易裁判所判決、平成23年1月26日・さいたま地裁控訴審判決)。

以上述べたように、損害の公平な分担という過失相殺のもつ本来の趣旨を先行実行しているのは保険実務であり、判例はいまだその段階に至っていないというのが現実だということだ。しかし、通説のいう、709条の不注意に至らないそれよりも程度の軽い不注意とは、一体いかなる内容のものとして理解すべきなのか。この点に関しては、いまだ曖昧なまま放置されているのだ。(2012.4.9)



(65)2011年(平成23年)版、財団法人 日弁連交通事故相談センタ-東京支部編集「民事交通事故訴訟 損害賠償額 査定基準」(赤い本)下巻に、現職裁判官である小野瀬 昭氏の講演録「「駐車場内における事故の過失相殺について」が掲載されている。
駐車場事故は当ほけん村に寄せられる事故相談のうち、三本の指の中に入る事故形態であるだけに、興味深くその内容を読んだ。この中で、小野瀬裁判官は、事故態様を@歩行者と四輪車の事故A四輪車同士の事故B単車と四輪車の事故の三つに大別したうえで、過去の裁判例を具体的に紹介し分析を加えている。

私がもっとも関心をもったのがAの四輪車同士の事故。この四輪車同士の事故で深刻となるのが、通行帯走行中の車に、駐車区画線内に駐車していた車がなんの前触れもなく突然通行帯に発進し衝突する事故形態だ。この衝突事故においては、通行帯走行中車の運転者に、通過直前ないしは通過直後の不可避的衝突被害事故との意識が強いため、「あなたにも前方をよく注視して走行していなかった不注意がある」と当然のごとく平然と過失責任を追及してくる保険会社事故担当者に猛然と反発することになる。

たかだか物損事故、たんなる損害配分の問題にすぎないじゃないか。たとえ1割の過失責任でも反社会的行為としての不法行為責任を追及されることになるのだ、と深刻になる必要はないではないか。こう考える人も多い。しかし、この考え方はあくまでも外野席立場からの見解だ。自らが内野席、その当事者の立場に立ったとき、そのように余裕のある見解をとることが果たしてできるのか。答えはノーだ。私の過去の経験からして、物事を客観的立場から理論整然と論じる人の中にしばしば見受けられたのは、自らがいざ当事者になったとき見事に豹変する人物の存在だ。外野席にいるときと内野席にいるときとでは、自己を支配する意識の面において決定的に違ってくるのだ。残念ながら、小野瀬裁判官は核心ともいうべきこの不可避的飛び出し事故形態に関しての法的分析を、この講演録ではカヤの外においている。

駐車区画線内駐車車両の突然発進を事前に予測して、この予測にもとづく衝突回避対策を講じた走行をすることは事実上不可能といってよい。突然発進による事故が発生したとき、前方不注視という過失責任を問われる被害運転者は、結果過失責任を問われているに等しいのだ。  (2012.4.3)




(64)民法709条に規定する「過失」と民法772条2項に規定する「過失」とは、同じ法律の中にありながらその意味するところは異なる、とするのが今日の判例の立場だ。709条は、過失行為によって他人の権利・利益を侵害したときは損害賠償の義務が発生すると規定し、722条2項は、権利・利益を侵害された者に過失があったときは、その者にも発生した損害を配分することができると規定している。

だから、事故交渉実務レベルにおいては、0対90ないしは0対95の示談解決が日常的に行われているのだ。裁判所が何故同じ法律内の「過失」をそれぞれ異なった意味内容に解釈したのかというと、「責任能力なき者」の結果発生関与行為については損害配分ができなくなる不都合を回避するための苦肉の策だったと言えよう。709条に規定する「過失」の存在が認定されるためには、侵害行為をした行為者に「ある能力」が論理上必然的に要求されることになる。
709条にいう「過失」とは、自らの不注意な行為によって相手に損害を与えたときに賠償義務が発生するという規定だから、当然のこととしてその前提に、「他人に損害を与えるような不注意な行為をしないように行動することのできる能力」の存在が不可欠的に要求されることになる。この能力のことを法律用語で「責任能力」と呼んでいる。709条と722条2項が規定する「過失」を同じ意味内容と理解すると、責任能力なき者が関与して発生した損害は加害者のみが負担することになり、公平な損害負担配分に反することになるから両条文規定の過失概念を区別したのだ。

ところで、今日における判例の立場は、709条規定の「過失」というものを、「結果回避注意義務違反」として捉えている。この義務が存在するためには、結果発生に対する「予見可能性」に基づく「予見義務」の存在が不可欠的にその前提として要求されることになる。予見ができなければ、とるべき回避行為の具体的内容が明らかにならないからだ。

さて、以上のことを前提として、次のことを考えてみたいと思う。
まず、通説・判例は、722条2項規定の「過失」というものを「たんなる不注意」と曖昧に捉えているといってよい。「不法行為」(加藤一郎著・法律学全集22-U)(有斐閣・増補版・昭和58年)も「ここで被害者の過失といっても、不法行為の成立要件の場合のように厳格な意味ではなく、不注意によって損害の発生を助けたということである。」と説明している(247頁)。つまり、被害者の不注意も損害発生に関与したと判断されれば、過失相殺されるべき過失ありと認定されるというわけだ。過失709条規定の「過失」も含まれるのは当然として、さて、それでは、709条の「過失」に該当しない責任能力者の非過失行為も含まれるかという問題だ。予見可能性のない、あるいは予見義務のない責任能力者の侵害行為も含まれるのか。722条2項規定の「過失」の中には、責任能力者の「不注意による結果発生関与責任」も含まれるかということだ。このことに関して述べた文献は見当たらない。このことを判示した判例の存在も未確認だ。 過失相殺は「発生した損害を当事者間で公平に分担させるため」に出てきた考え方だ。だとすれば、いかなる分担の仕方が実質的にみて公平な分担・配分といえるのか。

この見地に立って考えるなら、不法行為過失が存在しなくても、損害発生に関与した不注意責任の存在が認定できれば損害分担は可能という考えが導かれるのは当然の帰結だと思われる。今日の裁判の実態を見たとき、責任能力ある被害者側に損害分担の必要性を認めたときには、あくまでも不法行為過失の存在を不可欠的に要求しているのではないのか。そのため、「法は人に不可能を強いるものではない」という法運用の根底に横たわっている大原則を無視して、交通事故被害者に不可能を強いてまで結果回避注意義務違反という過失責任を押し付けている現状的矛盾を解決するには、「回避義務違反」としての過失と「結果発生関与責任」としての過失を裁判上明確に区別して判決に積極的に採り入れるべきではないのか。10対90の損害配分と0対90の損害配分とでは決定的に異なるのだ。0対90の判例、大いに出でよだ。(2012.4.1)



(63)交通事故における「事実関係」(事故状況) をめぐって裁判所で争いになった場合、どちらの当事者に「証明責任」(=立証責任=
挙証責任)があるかということは、とても重要な問題になってくる。その理由は…?
その前に、まず、「証明」という法律用語の意味内容を理解することが必要となる。日常用語の「証明」とはその意味内容が少し異なるからだ。手元にある「3時間でわかる民事訴訟法入門」は、民事訴訟における「証明」をつぎのように定義している。「当事者がいろいろ証拠を出して裁判官にある事実が真実だと確信をもたせること」だと。そして、続けて、証明はその事実を真実だと主張するほうの当事者がしなければならないと説明している。そして、この「証明責任」を負った当事者がその責任を果たさなかったときには、提出された他の各種証拠では争っている事実関係が存在したか否かの判断がつかなかった裁判官は、その事実が存在しなかったものと認定していいということになっているため、審理にあたっている裁判官は、この事実の不存在を前提として争っている事実関係に結論を下すことが可能になるというわけだ。憲法の規定する「国民の裁判を受ける権利」を保障するためには、裁判官は黒白判明しないとして行司軍配を上にあげることはできない。そのために考え出された知恵ともいうべき法技術なのだ。(2012.3.31)



(62)山本さん(仮名)さんは新車購入予定のディ-ラ-から、任意保険期間途中での解約による保険会社乗り換えの勧めを受けた。提案内容はこうだった。任意保険長期3年契約で保険料はクレジット36回コンビニ払い。ファイナンス会社の事務委託手数料は支払い1回につき100円と少しで、36回総支払額4千円強。1年契約「口座振替12回払い」で3年間継続した場合と比べて支払総額2万円強安くなる、というものであった。
山本さんの奥さんは大いに乗り気であったが、山本さんは少し首を傾けた。保険会社が変わるということは「代理店」も変わることになる。担当代理店はディ-ラ-代理店ということになり、事故の際提供を受ける「付加価値サ-ビス」が今より低下することになるが…? という不安を持ったのだ。だが、このご主人の心配を奥さんは一笑に付した。「保険は保険会社が補償してくるものでしょう? 代理店ではないよね。」と…。 ちなみに奥さんは運転歴13年。これまで一度も事故を経験したことがないとのことだった。 (2012.1.28)



(61)A代理店のもとに、26歳になる自動車保険契約者から新車購入車両入替えの問い合わせがきた。
車購入先のディ-ラ-担当者から保険期間途中の保険会社乗り換え長期3年契約保険料プランを提示されたが、現在の保険料よりも月額保険料が1万円以上安くなる。保険会社が違うとこんなに保険料に差が出てくるのか。試算してみると、現契約補償内容で車両入替えをすると月額保険料は22,850円。ディ-ラ-から提示された月額保険料は12,520円。その差は10,330円となり、見事なくらいの保険料の差だ。

ただ保険料の差だけを強調されその差だけに目を奪われた契約者だったら、間違いなくそのディ-ラ-担当者の勧めるがままに保険会社の途中契約乗り換えを選択したに違いない。だが、この契約者は違った。提示された保険料差額の理由をA代理店に確認したのだ。その結果、つぎのような重要な補償内容がすべて削除ないし変更された内容となっていたのだから安くなるのは当たり前だった。@保険使用でも等級が3等級ダウンしない「等級プロテクト特約」の削除A車両保険自己負担金0円ー0円から0円ー10万円への変更Bレンタカ-特約削除…等々。

これらの補償内容をすべて削除し、ディ-ラ-代理店の提示補償内容と同レベルにした上で車両入替え試算をしたが、それでも月額保険料は提示された保険料よりも1,790円高くなるという結果が出た。万事休すか。しかし、
A代理店は少しも動じなかった。契約者にこういう説明内容のFAX を送信したのだ。月額保険料1,790円の差は間違いのない事実だが、その差は、事故の際に代理店として提供する各種事故サ-ビス内容の差・付加価値提供能力の差と理解していただけないか。ある意味での居直りである。しかし、この居直りが出来る代理店こそが真の専門職業人たるプロ代理店なのではないのか。ただただ頭を下げお願いするだけの代理店・保険料の安さだけを前面に押し出し強調する通販自動車保険との違いではないのか…。 (2011.12.28)



(60)平成21年12月に金融庁が作成した「保険会社向けの総合的な監督指針」は、保険会社の監督・指導に携わる金融庁職員向けの手引書であるが、その中に保険会社が行う示談代行サ-ビスに関して、つぎのようなチェック事項が記載されている。

「(エ)示談交渉サービスを行う場合には、保険契約者保護のみならず被害者保護にも留意し、特に交渉相手が個人である場合には、相手方の主張をよく聞くとともに、丁寧かつ分かりやすい説明を行う等、十分に配慮して交渉を行うような態勢となっているか。」。

交渉相手から書面による交渉を求められたとき、文書による交渉はできないと拒否したり、保険会社の提示した過失責任に十分な根拠なしとして反論してくる交渉相手に、説明を放棄して裁判への移行をちらつかせる担当者などは、これにひっかかることになる。交渉時、上記チェック事項に該当するような対応をとられたときは、躊躇することなく、保険会社名と担当者名を金融庁に通報すればいいだけの話だ。 (2011.12.24)



(59)こういう事故相談がきた。片側二車線歩道寄り車線走行中、右斜め前方中央線寄り車線を走行していた車両が合図を出すことなくいきなり車線変更してきたことにより発生した接触事故。事故現場では合図なしに車線変更してきたことを素直に認めており、交番の警察官を呼び物損事故として処理してもらいその場を離れた。その日の午後、相手保険会社に連絡を入れたところ、合図あり車線変更時の接触事故との連絡が入っているとのこと。
驚いて事故相手に連絡を入れたところ、事故現場とはまるで人の変わった応対ぶり。合図をして車線変更した。二度と電話をかけてこないでほしい。交渉は保険会社事故担当者と…。ある意味、絵にかいたような光景。こういう状況は日常的によく見かける光景であり、けっして珍しいものではない。事故現場で「合図なし車線変更をした」。この一筆をノ-トの切れ端にでも書かせて署名をもらう知恵の重要性を再認識するばかりだ。事故現場取扱い警察官の証言は期待できない。民事紛争のどちらかの当事者に結果として加担することになることを極端におそれるからだ。

相談者が加入保険会社事故担当者と打ち合わせを行なった結果、リサ-チ会社の調査を入れることになったが、これがベストの方法かというのが主な相談の内容であった。聞けば、相談者は事故の衝撃で右腕ひじの部分を強打しており事故以来痛みがとれないということであったので、迷うことなく病院に行き診断書をもって警察に人身事故として届け出るようアドバイスした。事故相手が同じ嘘をつくにしても、何の権限もないたんなる民間の調査員に対するのと警察官に対するのでは心理面での差が出てくるはずであり、何よりも人身事故扱いにしておけば「「実況見分調書」」の入手が可能となるというメリットが出てくるからだ。物損事故扱いでは「実況見分調書」は作成されることはない。事故現場にきた交番の警察官が作成する「物件事故報告書」は「実況見分調書」という捜査書類にあらず。たんなる事故取扱いメモ程度の内部行政書類にすぎないのだ。その証拠に衝突地点特定のための固定位置三方からの測定距離記載すらもない。 (2011.12.4)



(
58)契約者が支払った保険料(分母)に対する保険会社が支払った保険金(分子)の割合を「損害率」といっている。各保険会社は、この損害率の悪化を理由に毎年のように保険料を引き上げている。このような状況下、2年連続ないしは年度内2回以上の保険金支払い事故があった契約者に対しては、更新時契約条件の制約を求め、車両免責金額(自己負担金額)を0円-0円、0円―10万から5万ー10万ないしは10万ー10万への変更、あるいは、対物保険免責0円の増額変更を求めてくる。この変更の求めに応じない契約者には、どうぞ他社に行って下さいというわけだ。保険会社のずるいところは、この契約条件の変更申し入れを会社自らがその理由を契約者に通知して行なうのではなく、代理店を通して行なわせるところにある。契約者との余計な摩擦を避けるため、契約者と代理店の絆の強さをうまく利用し表面に出てくることはない。

保険会社の立場からすれば、契約者にとっては被害事故であろうが加害事故であろうがそれは問題ではなく、保険金支払い事故であることにおいては実質同評価事故となる。だが、担当代理店の立場からは異なる。被害事故と加害事故とでは同価値・同評価事故とはならないのだ。契約者の起こした事故態様を具体的に考慮しなければならないということだ。10対90ないしは20対80の被害事故でやむなく保険を使った場合には、保険会社からのいわばペナルティによる契約者の不利益を回避するために、他社への契約乗り換えを考えなければならないのだ。当然のことながら、一社専属だとこれができない。二社以上との乗り合いがなければできないということだ。こんなところにも一社専属の弊害が顔を出すことになる。 (2011.11.26)



(
57)ソニ-損保は自動車保険ホ-ムペ-ジにおいて、「安心の事故対応」⇒「ソニ-損保の事故対応にこんな不安はありませんか?不安に答えます。」というコ-ナ-を設け、その第一番目に「事故現場に担当者がすくに駆けつけてくれないと聞いたのですが、本当ですか?」との質問を取り上げている。
うがった見方をすれば、通販自動車保険に対して多くのドライバ-が持っている「通販保険は応援要請しても事故現場には来ない」という不安(通販自動車保険の最大の弱点でもある)に、逃げることなく正面から答えることによって、逆にその不安を和らげようとする作戦的効果を狙ったのではないか。先手をうって、自らすすんで自らの弱点を積極的に前面に押し出すことによって、不安を和らげるという営業的戦略に基づいてのものではなかったのか…とほけん村は深く考えた。

上のような質問を設定して、ソニ-損保はつぎのような答えを用意した。

本当です。
事故の状況にもよりますが、事故が起こった際、事故の当事者が事故現場に留まる時間は短いことが多いため、ソニー損保に限らず、一般的に保険会社の担当者がお客様からの事故報告後、短時間の間に現場に急行することが非常に困難です。仮に現場に保険会社の担当者が行くことができても、保険会社の担当者がとれる対応がほとんどないこともあり、ソニー損保では事故直後の現場に急行するサービスは現在行っておりません。(もちろん、ロードサービスが必要な場合は、すぐに現場に急行いたしますので、ご安心ください。)」

さすがのソニ-損保も、「お客様の要請に応じて現場に駆けつけているのは、ほとんどの場合代理店ですが、ダイレクト自動車保険には代理店が基本的には存在しません。したがいまして、お客様のご要望にこたえて事故現場に急行するサ-ビスは残念ながら提供することが事実上困難です。」とは営業的にホ-ムペ-ジでは公開できないため、上記のような回答にならざるを得ないのだと思う。しかし、「仮に現場に保険会社の担当者が行くことができても、保険会社の担当者がとれる対応がほとんどない」と断言している部分は明らかに間違っている。

代理店であれ保険会社の担当者であれ現場に急行すれば、つぎのようなメリットが生じてくることは疑いのない事実である。
@何よりも保険加入者側に精神的な安心感・安堵感を与えることになり、事故対応満足度に大きく貢献することになる。
A事故現場の詳細を把握することができ、事故実態を反映した過失割合判断の大きな資料を収集することが可能となる。
B事故相手と接触することにより、事故直後の相手の言い分を正確に確認することが可能となる。
Cレッカ-・レンタカ-代車手配要否の判断を的確且つ迅速に行なうことが可能となる。
D事故による車の破損部品の散乱状況・事故車の停車位置を撮影保存することによって、衝突地点.・事故車双方の衝突直前の速度等の証拠収集が可能となる。…等々

確かに、代理店の存在する「代理店型自動車保険」においても、現場に急行するのは「代理店」であり「保険会社の社員」が現場に行くことはない。代理店は契約者側の要請に応じてあくまでもサ-ビスとして現場に向かうのであり、契約上の義務ではない。保険会社は代理店のこのサ-ビス行為にどっぷりと甘え対価を払うことはない。現場急行は代理店固有の付加価値として契約者側に提供する大きな武器といえるのであるから、付加価値提供の面で他の代理店との差を強調できない代理店は、この現場急行を一つの売りにすればいいと思う。もっとも、法的知識に裏付けされた交渉能力にみがきをかけなければ、現場急行はたんなる身体的労務の提供レベルの付加価値にとどまることになり、この価値提供だけの売りでは、所詮、自然淘汰される運命にあるということは否定できないが…。

厄介なのは、この代理店の現場急行サ-ビスを代理店の当然の義務として、まるで使用人にでも言いつけるがごときどんな些細な事故でも現場に呼びつけようとする一部ドライバ-の存在である。その対応も代理店に与えられた難しい課題ではある。(2011.11.20)


(56)交通事故に正当防衛は成立するか。「通常であれば不法行為を構成するような行為でありながら、特別の事情があるために不法行為が成立しないとされる場合」(東京大学出版会刊・内田貴著・民法U372頁)の一つとして、民法は正当防衛を明文化し720条1項にその規定をおいている。
正当防衛が成立するためには次の三つの要件をすべて満たすことが必要となる。@他人の不法行為が関与していることA自己又は第三者の権利又は法律上保護される利益を防衛する行為であることB防衛のためやむを得ず加害行為をしたこと。正当防衛が成立したときは、不法行為は成立せず損害賠償責任は生じないということになる。

正当防衛のために加害行為を加える相手は、刑事上の正当防衛においては加害者だけであるのに対して、民事上の正当防衛は第三者に対する加害行為も認められるという違いがあるから、例えば、片側一車線の道路を進行中、いきなり反対車線から加害車両が飛び込んできたので、これとの衝突を避けるために、道路沿いの民家に飛び込みその家の塀を損壊したような場合、刑法では緊急避難ということになるが、民法では正当防衛が成立することになる。

交通事故における保険実務において正当防衛が論じられるケ-スがほとんどみられないのは何故か。立証の問題が大きな壁となっているからだ。立証責任は正当防衛を主張する側にあるから、上の例のように、反対車線に飛び込んできた車を特定ないし確保した上で、上記@〜Bの要件が存在したことを立証しなければならず、これが大きな重荷となっているのだ。

さらには、正当防衛が成立するためには、主張側の運転行為自体に過失がなかったこと(適法行為であったこと)を要するか否かという問題もある。不思議なことにこれに関して解説した文献は見当たらない。いずれにしても、民法に明文の規定があり理論上成立することに問題はないが、立証上の壁が大きな障害となって実務上はほとんど使われていない理論、それが正当防衛であり緊急避難だということができる。 (2011.11.18)



(55)保険の知恵として、任意保険会社の行う「一括払い」(自賠責保険部分と任意保険部分とをまとめて支払うシステムのこと)のからくりを理解することの重要性については、すでに(14)で述べてきたところである。面白いメ-ルがある代理店から寄せられた。被害者が軽症で過失責任が大きい事故のように、賠償額が明らかに自賠責保険金の範囲内に収まる場合以外は任意保険会社が「一括払い」をするのが保険実務。軽度の対人事故・自賠責保険加害者請求を代理店が行うお手伝いサ-ビスは現実にはほとんど行なわれていないのが実情であるから、ほけん村が言っているように、このサ-ビスを代理店が契約者に提供する「付加価値」としてことさら強調することに違和感を覚えるが…との内容だった。

一般ドライバ-の質問であればレベルの高い質問と評価できるが、専門知識が要求される代理店の問い合わせとしては、率直に言っていまいちレベルの内容ということになる。「一括払い」に対する理解不足から、こういう疑問が出てくることになるのだろう。自賠責保険の加害者請求でも、任意保険会社が行う「一括払い」と加害者自身が行う直接請求とでは、意にそわない任意保険使用というリスクを回避するという面において大きな違いが生じてくることをよく理解していないことが分かる。

自賠責傷害保険金の支払限度額120万円を超えたら任意保険に移行する。こんなレベルの知識は一般ドライバ-も理解していることだ。しかしもっと重要なことがある。自賠責保険の支払い対象とはならない諸費用は任意保険で支払わざるを得ないことになるという保険実務の基礎的知識に関連づけられたある重要性についてだ。その詳細は、「保険業界に横たわる諸問題ーその86」をご覧になっていただければ容易に理解可能となるはずだ。(2011.11.15)



(54)アンケ-ト調査・事故対応満足度NO1を売りにしている外資系「通販型」自動車保険会社に加入しているドライバ-から事故相談メ-ルが入った。聞けば、無過失主張事故通知を加入保険会社にしたために相談できる人がいなくてのメ-ル相談であるとのこと。加入保険会社に無過失主張事故通知を入れることは作戦的には得策でないとほけん村では何度かアドバイスしているが、普段かけ引き的行為に慣れていないドライバ-は、つい正直に思ったままを通知してしまうのだろう。

でも?…と、ほけん村は思う。事故対応満足度NO1を売りにしている会社なら、事故通知を受けた時点で契約者と連絡を取り事故状況の説明を受け、その結果契約者の無過失主張に正当性があるかどうかの判断をした上で何らかの具体的アドバイスをすべきではないのか。そうすることが契約者の事故対応満足度をより高めるためのもっとも効果的な方法ではないのかと…。簡単なことのようだが、これがなかなかできないのだ。どの保険会社も…。せっかく契約者が無過失主張をして保険を使わない意思表示をしてくださっているのだ。余計なことを言ってわざわざ自らの仕事をつくり出すことはないだろう。やぶへびご法度。こうとられても仕方のない対応をしている保険会社が圧倒的に多いのだ。それにしても、自称事故対応満足度NO1のこの通販保険会社、どのような人たちをアンケ-トの対象にしたのだろうか。CMを見るたびにいつも湧いてくる素朴な疑問なのだが…。 (2011.11.14)



(53)「共同幻想論」(吉本隆明著)という難解な本があるが、多くのドライバ-は、裁判所は社会正義を実現してくれる「最後の砦」といった認識をもっているのではないか、つまり、そのような「共同幻想」をいだいているのではないかということをつくづくと思う。つい最近でもこういう事故当事者がいた。0対95の提示案をあくまで拒否し、0対100でなければ示談解決に応じないという。裁判をすれば必ずこちらの無過失主張を認めてくれると頑なに信じての無過失主張だというのだ。このある意味純粋ともとれる裁判所に対する全幅の信頼がいかに「幻想」であるかは多くの事故判例が示している。

裁判官は何故黒衣を身にまとっているのか。何色にも染まらず、予断を持つことなく厳正中立の立場で事に臨むという決意を表しているからだとネット記事は説明する。しかし、その前提には、物事の道理に正面から真摯に立ち向かい、標準的な人間をその判断基準におき、ス-パ-マンでもないごく普通の人間ができもしないことを法の名を借りて強要してはならないのだ。いたずらに前例を踏襲し問題点を正視することもなく紛争事故をお役所仕事的に処理していく裁判官には、本来、真の黒衣をまとう資格はない。「法は不可能を強いるものではない」という絶対的真理を具現化した判例は数少ないのだ。

法律実務家である弁護士は、裁判所・裁判官に対する率直な意見をこう述べている。

「 それにしても裁判所、裁判官の質の低下が著しいと私は感じる。いずれも官僚的で杓子定規、自ら問題意識を持って現状を変えていこうという裁判官は少ないように思う。できるだけ前例にしたがって新しいことはしない。下手に動いて失敗したら自分の損になってしまう。そんな、事なかれ主義、役人的思考が蔓延しているのではないか。

 交通事故に関しては自賠責の問題、保険会社の問題、等級認定の問題など、真剣に取り組み、改善しなければならない問題は山のようにある。そして本来裁判所がそれらの矛盾や問題点に前向きに取り組み、様々な問題の根本に切り込んでいたならば、現在のような交通事故被害者の非権利状態は多少なりとも改善できていたはずなのだ。司法の最高権力である裁判所が、それこそ本気で取り組めば、保険業界や保険制度を変えることも可能なのである。しかし残念ながら、そのような動きはほとんど期待できない状況である。

 一番の問題は、現在の裁判所のシステムに無理があるということだ。…一人の裁判官が百件以上の訴訟を抱えていることなどざらなのである。その中で効率化を図るにはどうしても一つひとつの事件に十分注力できない状況になってしまう。とくに交通事故などは、彼らからしてみたら定型的な事件にしか見えないので、できる限り書面中心、和解中心となってしまうのである。このことがさらに裁判官の質の低下を招いているのではないかと考えている。結局個別の事例にしっかりと向き合うことでより事件を的確に捉える目を鍛えられるはずだが、書面だけで杓子定規に事件を判断しているだけでは、そのような目、事実を客観的かつ的確に捉える事実認定力はいつまでも鍛えられないことになる。」(「ブラック・トライアングル」幻冬舎刊・谷清司弁護士著159頁〜160頁)  (2011.11.9)



(52)自動車保険加入者にとっては欠かすことのできない重要な特約「弁護士特約」。保険会社によってこの特約の名称ならびにその補償内容も異なっているが、この特約未加入者は、通販型自動車保険に加入しているドライバ-に多く見受けられる。代理店のいない通販型では、この特約の重要性を理解しないまま、余計な保険料はすこしでも払いたくないという考えのもとに切り捨てられるケ-スが多いのだろうと予想がつく。

代理店の存在する「代理店型」自動車保険でこの特約未加入のケ-スは、専門職業人に値しない代理店と契約に関わってしまった加入者の不運だとほけん村は断言してはばからない。保険情報の提供能力・説明能力のない代理店では、「あくまでもご契約者様のご意思ですから」とのもっともらしい理由づけのもと、この特約未付帯契約が成立してしまう。

契約自由の原則の名の下、契約者の自由意思が尊重されるのは当たり前のことだ。しかし、そのためには、契約者が選択すべき特約情報を提供し加入メリットを具体的に説明しなければならない、という重要な作業がその前提として必要不可欠的に要求されるのだということが、このレベルの代理店にはまるで理解がない。当然のことながら、このレベルの代理店には「事故解決能力」もない場合が多いことは言うに及ばない。

「弁護士特約」は、保険会社にとって第二の「搭乗者傷害保険・日数払い」、お荷物的特約となる可能性が高い。ほけん村はこの特約が発売された当初からそう予告していた。特約年間保険料2千円強。どう考えても格安だ。いま弁護士に法律相談をすると、30分5千円。1時間1万円が相場だ。この対比で考えてみればいかに安いかが分かろうというものだ。人身負傷事故。交通事故紛争処理センタ-への傷害慰謝料地方裁判所基準での請求斡旋申し立てのため、この特約を行使して代理人として弁護士に依頼するメリットは契約者側にとって大きい。この特約行使はノ-カウント事故扱いとなり割引等級がダウンすることもなく、自らが仕事を休んで扮セに行く必要がなくなるからである。この特約、たとえ保険料が2倍となっても契約者にとっては加入メリットの高い必要不可欠の特約だといえる。

このほけん村の考え方に対して、損害保険社員から反論がきたことがある。(50)で紹介した損保社員だ。素人相手にそんなに煽る(あおる)なと、ほけん村掲示板に投稿してきた。

「村長さんもご指摘の通り(たぶん)、保険会社にとっていずれ諸刃の剣となる特約で、そろそろ販売にも制限がかかるかもしれませんな。現場センターから眺めていると、ここ1年ぐらいの特約請求が激増しています。もしかして、村長さんのせい?(苦笑)
自らの首を絞めるかもしれない特約があまりにも安い保険料で提供されていますね。まー賠償金が高騰すれば保険料に転嫁すれば良い構造が損害保険にはありますから、結局、契約者側が経済的負担をかぶるだけ=保険料の高騰=無保険車の増大=社会的不安、、、ってなアメリカ的な傾向に拍車がかかるのでしょう。

まー、せいぜい代理店として、その特約の使い方を素人相手に煽ってください(苦笑)。損害額がたかだか数十万の物損事故に、たかだか10%程度の過失割合にこだわるために弁護士が本気で『俺が判例をつくっちゃる!』と頑張ってくれるとは思えませんが。っていうか、簡裁、地裁レベルの判例が判例たりえないことぐらい、知っていますよね。しかも交通事故の大半が和解されていることの事実も。

ま、世の中、確かにヤラれたら3倍にして報復するのが流行っていますから、ゼロ主張やら無過失主張する方が増えましたわ。そういう事例もあるでしょうけど、あまり素人を煽っちゃいけないと思いますよ。保険のプロを自認するなら。日本国内で発生する交通事故の件数や、保険会社が扱う自動車事故の件数って、ホントのところ、想像出来ていないでしょう?法律的に精緻な理論で全て整合性がとれるような内容で補償処理が出来るなんて、夢物語ですから。せいぜい著しく不公平にならない範囲で、大量の補償を実現していくしか出来ないんですよ、保険会社って。」<ほけん村掲示板投稿日:2009年 3月21日>  (2011.10.28)



(51)最高裁は、事故被害による車両買替えについて、「被害車両が事故によって物理的または経済的に修理不能と認められる状態になったときのほか、被害車両の所有者においてその買替えをすることが社会通念上相当と認められるとき」も、事故当時の価格と売却代金の差額を事故による損害として請求することができるとした上で、この場合の車両買替えが法的保護の対象となることを肯定した。そして、「社会通念上相当と認められるとき」とは、「フレ-ム等車体の本質的構造部分に重大な損傷の生じたことが客観的に認められる」場合と判示している(昭49.4.15民集28.3.385)。

この最高裁判例を前提とした上で、契約者に100%過失責任がある加害事故に関して、A代理店のもとに事故担当者からつぎのような問い合わせがきた。「事故相手方は事故車を修理せず車両買替えを予定している。相手方の要求があったので、事故車修理相当期間を3週間と認定してその間の代車費用を支払いたいがよろしいか」。A代理店は相手「ディ-ラ-代理店」の要求に応じる姿勢を示す事故担当者に、以下内容趣旨のFAX文書を送信して回答を求めた。
上記最高裁判例のいずれにも該当しない今回の車両買替えは、あくまでも相手方の一方的都合によるものであるから、買替えに伴って派生するレンタカ-代車費用等は事故による損害とは認められないのではないのか。ましてや、修理もしない事故車の修理相当期間中のレンタカ-代車費用を事故による損害と認め保険金を支払う根拠を明示されたし。

この文書通知に対して事故担当者は、平成12年9月29日の東京地方裁判所の判決文を提示し、この判決文の中で述べられている「修理のための代車代に係る損害は発生していないとも考えられるが、しかし、修理を実行すればその期間中代車の使用は避けられないのであるから、修理ではなく買換えを選択し、そのために代車を使用した原告に対しては、相当の期間中の代車代を損害として認めるのが相当である。」を代車費用支払いの根拠とする旨回答してきた。

簡裁・地裁レベルの判例は判例たりえないとして現実の事故交渉では軽視ないしは無視している保険会社が、地裁判例を支払いの根拠として明示してきたことは意外だったが、現実に事故車を修理しなくても「事故車修理相当期間中」は代車費用を損害として支払う保険会社の方針は、事故当事者側にとっては極めて有利な話であり、これを拒否する理由はないと考えたA代理店は、つぎのように打診した。「保険金を受け取る側にとって有利こそなれ不利益とはならないこの代車費用支払いを拒否する理由はどこにもない。他の同様事案においても保険金請求が可能となる先例と理解してよろしいか」。
返ってきた回答は次のようなものであった。今後同様事故が発生した場合に対象事故すべてに適用するかと問われれば否だ。裁判所も事件ごとの背景的事情を十分に精査した上で判決している。保険会社も事故ごとに背景的事情が異なりそれを踏まえて先の判例を適用するかどうかを判断することになる。

ディ-ラ-代理店の圧力要請に応じて今回は支払うことにしたが、他の同様事故においても事故車修理相当期間中」は代車費用を損害として支払うわけではないというのが真意と受取ったA代理店は、どのような論理表現を駆使しようとも今回の保険金支払い事実は事実として残ると追いうち通知を担当者にしたところ、意外な結末が待っていた。担当者からの電話連絡で、相手方は都合により「事故車修理相当期間中」の代車費用請求はしないと言ってきたので保険金は支払わないことになったとのこと。

不審に思ったA代理店が事故相手方に直接確認したところ、請求しない意思表示を行なった事実はない。代理店が勝手に保険会社と話をつけたのでは…?。100ゼロ事故では相手方保険会社は示談交渉の前面に立つことは出来ない。代理店は契約者の代理人として代理行為をする法律上の資格はないとするのが保険会社の一貫した立場。保険会社はこの代理人資格のないディ-ラ-代理店と示談交渉をしたということになる。契約者に代わっての代理店の代理行為は、代理店が行なってはならない日常の業務行為として厳しく代理店に通知している保険会社自らがこの通知に違反することをやったことになるわけだ。示談解決に都合がよければ知ったことではないということか。まさしく、「他人に厳しく、自分に甘く」の典型的な例ということになる。コンプライアンスは何処にいったのか…?  (2011.10.20)


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50)保険金を支払う部署を担当する損保会社社員の生の声、こういったものはドライバ-にとって興味のあるところではあるが、なかなか聞く機会はない。2009年の3月、このほけん村の掲示板にその生の声が投稿されたことがある。まず、自己紹介としてつぎのように述べている。

「入社以来、自動車保険センターの第一線で全ての坦種について担当者業務から責任者業務までやっているモノです。自分でやったものは数千件、責任者としてかかわったモノが数万件、合わせれば5万件ぐらい?7万件?よく分かりません。これぐらい言えば厭味になりますか?(苦笑)でも事故処理の経験件数なんて一定を超えれば一緒ですよ。問題のない事案を問題なく片付けることが出来るぐらいですかね。経験値だけを単純に比較するだけなら、多分、日本全国損保社員の中でも有数の水準にはいると思いますけど(なにせ入社以来十数年これしかやっていないので)、これだってまぁ仕事ですからね。皆さんと同じでしょう。」

そして、「双方が動いている以上、互いに過失責任が生じる」という保険会社の論理的根拠のない定型的言い分を批判する私の考え方に対して、独特の言い回しで以下のように反論している。

「村長さんの根幹には、よほど『双方が動いている限り過失責任はあります』という保険会社の言い方が気になるみたいですね。もう、これが『保険会社の本質だ!』とばかりに(苦笑)。確かに乱暴な言い方です。でも保険会社はこれからもこの説明の仕方を変えないでしょう。保険会社は、その説明の仕方が乱暴で粗野で間違っているかもしれないと認識しながらも、やはりやめない。なぜかわかりますか?

結論を言うと、それは『あなたのような方がいるからです』。となります。これは村長さんを責めている訳でも、素人の方を騙している訳でもありません。今の時代、素人を騙すなんて、こうやってちょっとネットを調べれば分かる話ですから、組織的にそんなことはしないですよ。
また、担当者レベルでも『乱暴な言い方だよね』と分かっていても、やっぱりそういう説明をやめない。だって、無駄だと思うもの。何百人も話をしていると。

自動車の危険性が発現した『事故』という特異なトラブルを社会としてどのようなレベルでどのような寛容をもってお互いに補完し合っていくのか。整然とした法理論で真実を追求して加害者に責任を負わせるのもヨシ。よくも悪くも『まぁまぁこの辺で納めましょう』と双方の衝突を回避するもヨシ。
そのバランスの中で保険は機能していますし営業している訳ですから、どちらの言い分が正しいとか間違っているとか、そう簡単には言えないと思うんですけどね。
まぁ、こんなこと言ったって、すべては個人的な欲求をどれだけ満たすかが判断基準になれば『社会のことなんて知ったこっちゃない。この私の事故が大切なのだ!』というのももっともなことですしね。
こちらに相談されておられる方は皆さん『私には何ら責任がないはずだ!』というお気持ちで書き込みされている方が多いみたいですが、まー頑張ってください。頑張るのは自由だし。でも、僕は社会的にはお付き合いしたくない方たちですね(苦笑)。はは。」  (2011.10.18)


(49)2011年(平成23年)9月27日付の新聞記事によると、損保各社は2013年4月から、事故で保険を使ったドライバ-の保険料を「事故後3年間」最大限50%値上げする改正案を導入するとのこと。事故が発生したからといって気軽に保険を使うことができなくなる時代が到来するということだ。容易に想像されることは、無過失主張事故・過失割合執着事故が激増するだろうということだ。保険会社の「双方が動いている以上、互いに過失責任が生じます」などというなんの法的根拠もない定型的な言い分を素直に聞き入れるドライバ-などいなくなるだろう。いかにして無過失をかち取るか、自己に有利な過失割合をかち取るか。いま以上に利害関係が絡んでくるだけに、その主張・戦いはし烈さを極めるに違いない。保険会社の判例タイムズ機械的当てはめ作業による迅速・簡易処理による事故解決の流れは悪くなるが、その一方で事故対応を得意分野とする代理店の存在価値はますます高まっていくだろう。(2011.11.16)


(48)A代理店のもとに、通販型自動車保険に加入しているドライバ-から保険料見積もりをしてほしいとの依頼がきた。車両保険・オ-ルリスク補償の同条件で試算した結果、通販保険料との差年間3万円強とでる。これだけの格差が出れば、当たり前の話だが、代理店に契約手数料を支払わなければならない「代理店型自動車保険」に加入するドライバ-はいなくなる。にもかかわらず、ドライバ-が保険料の高くなる代理店型自動車保険にあえて加入しようとする真の理由は何なのか。この解明への追及姿勢が国内損保会社はいまだ徹底していない。追及姿勢のないところに改善策など出てくる幕などないのだ。

いま国内損保会社は、自動車保険の収益悪化を目の前にしてなりふり構わず小手先の改善策を小出ししている。年度内2回以上、ないしは2年連続保険事故を起こした契約者に対する更新時契約内容の一方的制限、あるいは新規契約者が希望するある特定の特約付帯契約の事前承認申請…等々。保険金支払い額を保険料収入額で割ったものを「損害率」というが、この損害率を低く抑えるには、単純な話分母である保険料収入を増やせばよい。小学生にも分かる計算式だ。この少子化時代、自動車保険の新規顧客を獲得するのは難しい。誰もが異論を差しはさまないと思われるこの一般論に素直にうなづくだけでは先はない。代理店と一体となって、どうすれば他社に一歩抜きんでた勝ち組となれるのか。この発想が乏しいのだ、損保会社には…。

自動車保険募集代理店は保険知識と契約手続上の事務的知識があればいい。事故発生時の解決処理はすべて保険会社事故担当者に任せればいい。極論すれば、このような認識しかない代理店は自動車保険を本来販売してはいけないのだ。迷惑を被るのは加入者だから。加入者は、保険知識と事務的知識のみの代理店など求めていない。事故が発生した時、代理店が提供してくれる「付加価値サ-ビス」に期待して割高な保険料を支払うのだ。提供する付加価値とは何か。それは個々の代理店が自らのセ-ルスポイントとして考えていかなければならない問題であり、提示された付加価値の内容が割高保険料に見合ったものかどうかを判断するのはあくまでも加入者なのだ。(2011.10.15)


(47)事故相手保険会社に対し「修理代全額請求」を求める被害者ドライバ-の言い分として、事故現場で加害者がこちらの修理代を全額支払うと約束(全賠約束)したからというのがよくあるケ-ス。しかし、保険会社はこの当事者間の約束には何の拘束もされないということを認識しておかなければならない。保険会社が契約者との間で契約時にかわした約束事は、被保険者(保険金を請求する権利を有する人)が法的義務を負う損害賠償金を保険金として相手に支払うということだから。義務を負わない賠償金を保険会社が支払うわけがないという理屈になる。保険会社が相手にしない以上、約束した当の本人に請求か、ということになるが…。
答えは、請求することはできるが法律上の権利としての請求はできないということだ。請求し払ってくれれば儲けもの。拒否されたらそれまでということ。両当事者の自由な話し合いで合意した約束事(=契約)だから法律上拘束されるのでは…? そう考えるのは当然だ。しかし、事故現場でなされた全賠約束などという意思表示は「錯誤」(思い違い)(民法95条)に該当し法律上有効とはならない(無効)。つまり、「全賠約束をしたのは事故の責任が全部自分にあると思ったからだ」という言い分が法律の保護を受けるということを意味している。だから、現場で相手から書面で全賠約束の一筆をとっても「鬼の首を取った」ことにはならないのだ。

この全賠約束などの法的責任について、法律の専門家はつぎのように分かりやすく説明する。
「事故直後は事実関係や損害額などの事案の全容を当事者は把握していません。また、過失相殺や加害者の賠償義務がどの程度まであるのかと言う法律的な理解も無い状態です。そのような状態での言葉には法律的に拘束力を認める訳には行きません。
加害者が『全面的に責任を持つ』と言った意味は『自ら過失があることをみとめ、法律的に賠償義務のある損害を支払う』と言う程度の意味しか無いと考えるべきでしょう。従って、加害者が過失相殺を主張することも許されます。」(西川雅晴弁護士HP「交通事故電脳相談所」)    (2011.10.7)


(46)物(有体物)としての「クルマ」と財産としての「クルマ」は、その意味するところが違う。にもかかわらず、この基本的知識に関して民法学者はまったくの無関心であり、どの民法教科書にもこの両者の区別に関する記述がない。ただ一人の例外的学者を除いて…元中央大学法学部教授・沼正也。外界に存在する物で「争奪」の可能性ある物は一つの例外もなく誰か特定の人(自然人・法人)の所有物になっていなければならない。日本一の山「富士山」だって誰か所有者はいるのだ。誰の物でもない無主物として外界に放置できるのは争奪の可能性ない物だけ。空気は無主物の代表的な例。争奪の可能性ある物を外界に放置すれば、国家が強者の独り占めを認め、強者の弱者支配を容認することにつながるからだ。そして、Aさんの物をBさんに移転出来るのは、対等な関係にあるAさんとBさんの自由な話し合いで「帰属替えすること」に合意したときだけに限られるとした。このように、だれか特定の人の支配下に置かれている「物」をその人の「財産」と呼ぶことにしたのだと沼元教授はその著書(沼正也著作集)で説明する。この考えはきわめて明快だ。

保険会社事故担当者がこの両者の区別を理解すれば、いまとは全く異なった事故対応をとらざるを得なくなるに違いない。
例えば、「格落ち請求」。財産であるクルマの所有権を契約者側が侵害した結果、財産としてのクルマの市場における交換価値の減少(財産の目減り)という損害を与えたのだという認識をもたざるを得なくなるから、「格落ち請求は、新車・初度登録3ケ月以内のクルマに限って認めている」などというなんの根拠にもならないピントのボケた回答は出来なくなるだろう。

また、「全損時のクルマ買換え諸費用請求」。財産であるクルマの所有権を契約者側が侵害した結果、財産であるクルマを自由に使用することができなくなった、という損害を与えたのだから、事故前と同じ状態にもどすために要した諸費用は事故による損害として賠償しなければならないという認識をもたざるを得なくなるだろう。だから、「代替え車購入に伴う諸費用については、事故がなくても次の買換えの際にいずれ必要となるものであるから、損害賠償の対象とはならない」などというピンボケ以外の何物でもない回答は恥ずかしくて出来なくなるに違いない。(2011.10.2)


(45)大リ-グのイチロー選手、今シ-ズン初めて打率3割台を下回ったことが話題となっているが、「打率」という業界用語は何も野球に限ったことではなく、裁判所の世界でも使われていることを教えてくれるのが「裁判の秘密」(洋泉社刊・山口宏、副島隆彦共著)という書物である。記述内容がとても興味を引くものとなっているので、その一部を紹介しておくことにしたい。

「なぜ裁判官が和解をすすめるかというと、裁判官・弁護士双方にとってこれが望ましいからだ。裁判官にとって、なぜ和解が望ましいのか。裁判所には『打率』という言葉がある。これは裁判官が、その年度に受理してかかえている事件数を分母とし、終了させた事件数を分子にした数字のことである。この『打率』によって裁判官の成績が、最高裁の事務当局によって考価されるわけである。これは、実際に私が検証したわけではないから、正確な話かどうかはわからないが、巷間、業界関係者の間でささやかれているのは、この打率がいいと出世が早いということである。分子にとっている『事件の終了』というのは、その内容は何でもいい。判決でも、和解でも、当事者に訴訟を取り下げさせるのであっても、あるいは、相手側に請求のすべてを認めさせて終わるのであっても。……日本の裁判の八割は、和解で解決している。」(同書28頁以下)  (2011.10.1)


(44)「過失相殺事案については、相手にも賠償責任が発生するため、信義誠実の原則(損害額を最小限にとどめる義務)がより強く求められることになります。弊社からの代車手配は辞退させていただきます。」。ある国内損保会社事故担当者からの回答文書の一部だ。一般ドライバ-にとって、普段聞き慣れない法律専門用語を使ってこういう内容の文書が送られてきたら、法律用語を駆使する担当者を事故解決のプロだと誤認して直ぐには反論できなくなる。当然のことだ。しかしその中味は、損害賠償に関する基礎的知識不足をおく面もなくさらけ出した素人的文面にすぎない。損害をこうむった者は、自らの過失責任分を差っ引かれた補償額を請求できる権利を有しているのであり、そこには、担当者のいう意味での「信義誠実の原則」が入り込む余地はないのだ。
平成22年4月1日からスタ-トした「保険法」は、その13条において「保険契約者及び被保険者は、保険事故が発生したことを知ったときは、これによる損害の発生及び拡大の防止に努めなければならない。」と規定している。 損害拡大防止努力義務を課せられているのは、保険契約者及び被保険者であって過失相殺をすべき事故相手方でないことは規定上からも明らかだ。(2011.9.26)



(43)こういう問い合わせがきた。保険実務で過失割合0(こちら)対90(相手)という示談が成立した場合、こちらの過失責任なしで示談が成立したということは一応理解できるが、その一方で相手の過失責任を9割としたのでは、結果として、こちらの過失責任1割を認めたことになり矛盾しないか…? 
もっともな疑問であるが、これに関してやさしく説明した解説本は見当たらない。民法709条に規定する不法行為成立要件としての「過失」と、民法722条2項に規定する過失相殺としての「過失」は違うということをしっかりと認識していないと、こういう疑問が誰にでも生じてくることになる。

民法709条の過失は、他人に損害を与える行為を行なった場合、その損害を賠償しなければならなくなるのはその行為に「過失」があったときだという意味での過失だ。であるならば、その行為を行なった者に、自己の過失により他人に損害を与えない行為を選択することができる能力、換言すれば「過失のない行為を選択する能力」(東京大学出版会・民法U・内田貴著403頁)、つまり責任能力が備わっていることが論理的に求められることになるはずだ。責任無能力者には、そもそも709条の不法行為としての過失行為をすることなど不可能なのであり、責任無能力者には不法行為能力がないというのはこのことをいっているのだ。

民法722条2項は、被害者に過失があったときは過失相殺(被った損害額から自らの過失責任分を差っ引かれること)できると規定している。そうすると、ここに規定する「過失」も722条の過失と同じ意味内容だと理解すると、すぐさま不都合が生じてくることは誰でも容易に理解することができる。責任能力のない者が被った損害は一切過失相殺されないということになり、加害者側は発生した損害の全部を負担しなければならなくなる。多くの場合、発生した損害は、加害者の一方的責任において引き起こされたものではないケ-スがほとんどだ。であるならば、損害発生に何らかの関与した被害者の責任を一切考慮しない損害賠償制度は損害の負担配分において公平性を欠くということになるはずだ。

この道理に基づいて裁判所は知恵をしぼった。過失相殺としての「過失」には責任能力のない行為者の過失も含まれるとして、損害の発生を避けるのに必要な注意をして行動する能力を意味する「事理弁識能力」のある行為者の不注意行為で足りるとし、責任能力のない8歳の子供の交通死亡事故において過失相殺を認めた(最大判決昭39.6.29)。また、「被害者側の過失」も過失相殺の「過失」に含まれると判示してその範囲を拡大している(最判昭34.11.26)。

過失相殺としての「過失」は、発生した損害の公平な分担という見地からその意味内容を確定していこうとするのが判例の流れであることを考えれば、損害発生に関与した被害者の「709条の過失行為に該当しない損害発生関与行為」も、過失相殺としての「過失」に含まれると理解しても何の不都合もないと考えるべきだろう。現に保険実務は実質この考え方にそった示談を実践している。 だから、冒頭の疑問に対する回答としてはこういうことになる。709条の不法行為過失責任はないが、損害発生関与行為としての722条2項過失は存在するとして1割の過失相殺を認めたという意味だから矛盾したことにはならない、と…。(2011.9.24)


(
42)「物損事故と言うのは本来、手間、暇をかけるものではありません。所詮は『モノ』なのですから、『正義』などの出番は無く、適当にかたずけるべきものです。加害者が嘘を言って、事故では多少、トクをしたとしても、そういう人格の加害者は人生をトータルに見れば、プラスマイナスの帳尻はマイナスになっているはず だと考えておけば良いのです。」。
これは、ある弁護士が自らのHPの中で述べている文章の一部である。事故被害にあったドライバ-がこのような見事な悟りの境地を開くことができるかといえば、それは無理というものであろう。人間の心理として、理にかなった千円の金は惜しげもなく人に与えることができても、理にかなわない金はたとえ10円でも払いたくないものだ。「ゼニ金の問題ではない」。よく聞かれるドライバ-の声の多くは、理不尽な相手側の態度に対して発せられた怒りの言葉なのだ。理不尽さに対する怒りに人身、物損の区別はない。(2011.9.23)


(41)各保険会社は、「民事交通訴訟における過失相殺率の認定基準」(別冊 判例タイムズ 第16号)とタイトルの付いた本(判例タイムズ社発行)を用いて過失割合判断実務を行なっている。この本を共通の過失割合判定資料とすることによって、大量発生する事故の迅速・簡易処理が可能となり、早期の保険金支払いが実現する。一方、事故当事者には、現実に発生した具体的な事故を類型化された没個性的な事故として捉えられる結果生じる不利益を被るという現実がある。
しかし、判例タイムズの適用は、無過失を主張する事故被害者にとってメリットのあることも忘れてはいけない。無過失主張の論理的根拠を法理論で武装し事故担当者に挑んだらどういう結果となるか。法理論の論争は「法的価値判断」の問題であり、相対立する両者間に一致点を見い出すことは困難となるからだ。事故回避不可能故の無過失を主張しても、あくまでも相手が回避可能であったと主張すれば、話し合いは平行線をたどり交わることはないのだ。この点、タイムズ適用においては、各事故類型図ごとに記載された「各種修正要素」(過失割合増減要素) を採用するか否かの交渉だけとなって、極めてシンプルな交渉とすることが可能となり、にわか仕込みの法律知識は不要となるばかりか、修正要素採用の可否をめぐっての理詰めの攻めで事故担当者を打ち負かすことにより、無過失をかち取ることが可能となるのだ。(2011.9.21)


(40)事故相談。相も変わらず多いのが駐車場内の事故。白線駐車スペ-ス内に駐車していた相手車が、通過直前いきなり飛び出してきて衝突するケ-ス。通路を速度を落として進行している被害者にとっては、避けようのない事故。こんな事故でも相手保険会社は、被害者の無過失を認めることはない。「駐車場は道路交通法適用外の場所ゆえ、どちらが優先道路といった優位性は存在せず。駐車場は一般道路と比べて車の出入りが多い場所と位置付けられることから、公道走行時と比べてより多くの注意義務があると考える。この前提に立てば、加害車両が駐車スペ-ス内からいつ何時前進ないし後進で通路部分に進入してくるかもしれないということは、被害者にとって予見可能であり予見義務があったと考える。」。この理屈を押しとおしてくれば、駐車場内における無過失事故は限りなくゼロに近くなる。

事実上、事故回避のできない事故であるにもかかわらず、あなたにも過失責任が発生すると言われた被害者は気持ちの整理がつかなくなり、「ゼニ金の問題ではない。気持ちの問題だ」。この定型言葉を吐くことになる。ならば、裁判か。社会正義を実現してくれる最後の砦と多くの国民が期待する裁判所も、事故実態を正視することのない判決をくり返し「法は不可能を強いるものではない」という当たり前のことを実現しようとはしない。
平成22年の大阪高裁判決はつぎのようにいう。「駐車場においては後進で進入してくる車両が相当数あるのが通常であり、それらの車両は後方の注意を十分に払うことが必ずしも容易でないことがあるため、駐車場通路を走行する車両は通常の道路を走行する者と比べ、後進での侵入車の存在により注意を払う必要がある。」

この大阪高裁の見解には、通路進行被害車両側の視点に立った考え方はまるでない。駐車スペ-スから通路に進入する車両は、通路部分を走行している車両が常に存在していることを前提として細心の注意をする義務があるのであって、不意に通路に侵入すれば事故発生の蓋然性が高く、進路走行車は事故回避不可能であることを事前に認識しておかなければならない高度の注意義務がある。一方通路走行車側にとっての注意義務は、左右駐車スペ-ス内の駐車車両の動向を含めた前方注意義務であり、駐車スペ-スに駐車中の車が不意に飛び出してくることを事前予測しその回避措置をとりながら通路を進行することは事実上不可能である。なぜなら、たんに徐行走行だけでは事故回避はできず、通路そのものを走行しないかぎり事故回避はできないことになるからだ。

この両車両運転者に求められる注意義務内容の実質的違いを考えるならば、駐車スペ-スからの通路への不意の進入事故は、飛び出し車両側の一方的過失によって引き起こされた事故と判断するのが一般的ドライバ-の常識的な考え方にもっとも合致するのではないのか。問題は、その理屈をどうつけるかだ。
@事故回避不可能⇒故に事故回避義務ないから過失なし。A法的見地からの予見可能性は存在せず⇒故に法的予見義務は存在せず、事故回避義務も存在しないから過失なし。B信頼の原則を適用⇒故に、事故回避義務存在せず無過失。
最終的な決着は、最高裁の判断を待つしかない。(2011.9.19)



(39)刑事上の過失は過失犯成立のために求められるのに対して、民事上の過失は損害賠償責任が発生する不法行為成立のために必要となる。だから、刑事上と民事上の過失は違う。こういわれてすぐに理解できるドライバ-は少ない。そうはいっても過失は過失だろう。普段法律に縁のない生活を送っている一般ドライバ-にとっての率直な気持ちに違いない。
そのため、事故で現場にきた警察官に過度の期待をかけることになる。自分の過失責任が有利になることをこの警察官に証明してもらえるのだと…。だがそれは誤った期待感であることを認識しなければならない。警察官には、民事上の過失のことなど一切頭にない。私人間の争いである損害賠償負担の問題に国家権力機関である警察が介入することなどないからだ。自分にとって有利となる過失責任の証明資料は、自らが集めなければならない。車内に大学ノ-ト一冊を常備しておくことが重要となる。事故直後現場でなされた事故原因に関する説明は、事故状況の真実にもっとも近い。走り書き程度でいい。「反対方向ばかりに気を取られ、相手車に全く気付かず交差点内に進入した」。これだけの内容でもいいのだ。そして忘れずに、作成日付と「署名」をしてもらうことだ。この「知恵」が保険会社との交渉時大きくものをいってくることになる。修理代を全額支払うこと(全賠約束)を強要すると、相手は用心して何も書かなくなる。一番まずいやり方だ。(2011.9.15)


(38)
犯罪捜査機関たる警察が何のために「実況見分」を行うのかといえば、平たく言ってしまえば、犯罪事実(物件事故の場合は主に道交法違反)があったことを調べるために行うのであり、見分を行った結果を書面化したものが「実況見分調書」というわけです。物件事故(物損事故)の届け出を受けた警察官には、平成4年2月1日付で警察庁より各都道府県警察に出され通達(警察庁交通指導課長等通達「物件交通事故処理要領について」)により、一定の要件に該当するもの以外は現場に臨場し実況見分をしなければならないことになっています。が現実には実況見分は行われることなく、事故当事者からの簡単な事故状況の説明と「物件事故事故証明書」発行に必要な情報だけを聞き取り、「物件事故報告書」なる内部報告書類を作成して一件落着としているのが実態だ。

この報告書は弁護士法23条の2に基づく照会(23条照会)を利用してコピ-入手できるようになっているが、そこには極めて簡単な事故概況と略図しか記載されておらず、衝突地点の正確な位置などの記載がないため、過失割合判断資料として期待した多くの当事者を失望させる証拠的価値の低い書面となっている。かような物件事故処理の実態からみて、警察が実況見分調書を作成するのは、原則人身事故扱いだけということになる(酒酔い、酒気帯び運転・無免許運転が絡む物件事故等は例外)。
建設的意見にこういうものがある。警察庁交通指導課長等通達では、当事者が実況見分の実施を要求した場合には警察官はこれに応じなければならない義務が課せられているのだから、これを厳格に実施して、実況見分調書を物件事故報告書に添付することはできないかというものだ。もっともな意見だが、そのためには乗り越えなければならない一つの大きな壁がある。刑事訴訟法47条だ。「訴訟に関する書類は、公判の開廷前には、これを公にしてはならない。但し、公益上の必要その他の事由があって、相当と認められる場合は、この限りではない。」。

現在でも不起訴になった人身事故の実況見分調書は、検察庁に行きコピ-入手可能だが、警察段階で書類送致しなかった捜査書類は不起訴になった場合と同等扱いできるかという問題があるからだ。警察当局は再捜査の結果、送致する場合もありうるとの見解を示し、警察段階での物件事故実況見分調書の閲覧要求を刑訴法47条を根拠に拒否してくる可能性が高いということだ。

ほけん村は、千葉県警に対して、「交通物件事故取扱要領の制定について」なる文書の開示要求をしたことがある。
その結果、以下の部分については公開不可とし、その理由を書面で送付してきたので、これを公開しておきたい。

◆開示不可部分「第2 物件事故の立件基準」中の「2 非現認事件の場合」及び「3 不申告事件の場合」
◆不開示理由⇒(不開示部分には、)交通物件事故発生に伴う道路交通法違反の立件基準となる捜査の要領、着眼点、手法が具体的に記載されている。これらの情報を公にすることによって、被疑者が当該事件の正確な事実を判定させないよう防衛措置を講ずる有意な情報を与えることとなり、結果として対抗措置を講ずるなど、以後の交通捜査活動及び適正な反則行為等法違反立件事務の遂行に支障を及ぼす恐れがあるため。

警察のいうように、警察官が違反行為を直接には見ていない非現認物件事故の立件基準が国民の前に明らかにされないということになれば、本来立件送致されなければならない物件事故が規定通り正しく処理されているかどうかのチェック機能が国民側に働かないことになる。警察はこれに関しては何も語らない。
警察官の実務雑誌「警察公論」(立花書房刊)の別冊付録「昇任試験問題と模範答案例」には、平成12年神奈川県警巡査部長昇任試験問題「物件事故の処理要領について述べよ」の答案例が掲載されている。その中に「物件事故立件基準」について言及した部分がある。

そこには、現認によらず届出等により当該事故に至る交通違反等を認知した場合、以下に該当する場合は立件送致するものとしている。

@運転者の客観的状態から現認事件と同様その違反行為が明確に立証できるもの(酒酔い運転、酒気帯び運転、無免許運転等)
A事故現場における車両の客観的状況から、現認事件と同様その違反行為が明確に立件できるもの(禁止場所追越し、通行区分、整備不良等)
B日常の交通取締りの検挙対象としている違反行為で、当事者双方の供述及び現場の状況から、その違反行為が客観的かつ明白に立証できるもの。
C当て逃げ事件…等  (2011.9.10)


(37)「過失がある以上代車要求には応じかねる」。この保険会社の意図的回答の前に、多くの被害者ドライバ-は、過失があれば代車は出ないんだと素直にレンタカ-代車要求を引き下げることになる。その結果、通常10万円前後の代車費用支払いを保険会社は免れているという現実がある。法的知識に乏しい被害者ドライバ-は、この保険会社回答の裏に隠された真の意味を推しはかるほどの専門的知識を身につけてはいない。過失があれば、レンタカ-代車という現物は提供できないと言っただけで、代車費用の過失責任分をも支払わないと言ったわけではない、という手の込んだ裏の意味を理解するほど被害者ドライバ-の法的知識は深くはないのだ。
無過失を主張する者は、すくに修理に取り掛かってはいけない。まず、未修理状態で保険会社と交渉を開始して、あくまでもこちらの過失責任を追及してくるのであれは、レンタカ-代車費用の相手過失責任分を請求することになると条件闘争をすればいい。これは交渉の駆け引きであり、代車費用を人質にした交渉テクニックということになる。(2011.9.9)


(36)交通事故相談者に一番欠けているものは、事故対応に関する「知恵」だ。知恵のないまま相手保険会社事故担当者と一対一の交渉を行えば、完全に見下された状況の中、対等者間でのみ可能となる「自由な話し合いとその結果としての合意」というものは成立するはずもない。ではどうするか。知恵を借りればいい。誰から…? 身近に存在する代理店がもっとも有力な候補だろう。事故にあうまではこの「知恵」の重要性に気付かないから、保険料のみが自動車保険選択の唯一の基準となる。しかし、事故の教訓として「学習」することは同じ失敗を繰り返さないためには重要となる。特に、無過失主張事故で孤独な戦いを強いられたドライバ-は、付加価値として、事故交渉の知恵を提供してくれる代理店を身近に確保しておくことが、自動車保険選択の重要な前提条件と認識することになる。ならば、付加価値提供能力のある代理店を見い出す方法は?この基礎的情報の入手方法さえも加入者側には提供されていないという現実がある。ここに大きな問題点が潜んでいる。保険会社側がこの情報を提供することなど無論ないし、ネット上の代理店HPでも提供されることはない。さまざまな規制の壁が、保険業法1条に定めるこの法律の目的「保険契約者等の保護」の前に大きく立ちはだかっているのだ。(2011.9.8)


(35)お天道様が容赦なく照りつける日曜日の昼過ぎ、優先道路を快適にドライブ中、信号機のない交差点内で発生した、交差わき道から停車状態で急発進右折侵入してきた相手車と避けるすべもなく衝突した交通事故。相手運転者の弁明。「左方反対車線の安全確認だけに気を取られ、右方走行車の安全確認をしないまま右折侵入してしまった。」。毎度くり返されるいつもの事故にオオムのごく繰り返されるおなじみの弁明内容。事故連絡を受けた保険会社事故担当者も、お決まりの判例タイムズ当てはめ流れ作業で被害者への定型的回答。曰く、「あなた様にも10%の過失責任が生じます。過失がある以上、残念ながら代車要求には応じかねます。」。一方的被害にあったうえ代車も出さないというのは一体どういうこと! これまたくり返されるお馴染みの光景、被害者の大いなる怒り。
交差点内で事故が発生すれば、保険会社が当然のごとく無条件に追及してきた道路交通法36条第4項違反による被害者の過失責任。この保険会社の36条第4項無条件適用を「信頼の原則」理論を用いて否定した高裁判例が出た。平成22年3月31日・名古屋高等裁判所民事第四部判決がそれである。勉強家は、「判例タイムズ 1347号」236頁以下をとくと読むべし。(2011.9.7)



(34)基礎学習をもう一つ。事故が起きたとき、無過失主張の意思表示を加入保険会社にするのはまずいやり方だと認識しなければならない。特に、代理店の存在しない通販型自動車保険に加入している人がこの無過失主張をおこなうと、事故相手側との間で孤独な戦いを強いられることになる。これを避けるためには、加入保険会社の事故担当者をうまく活用する知恵を身につけておかなければならないということだ。
具体的には、事故連絡を保険会社に入れる際、保険を使わない意思表示とみなされる無過失主張をするのではなく、たとえそう思っていたとしても、保険会社にはつぎのように連絡することだ。「自分は法律の素人なのではっきりしたことは分からないが、自分にも少しは過失があるかもしれないので、相手と交渉して過失の有無を明らかにしてほしい。」。こう申し出れば、加入保険会社は交渉の前面に立たざるを得なくなる。後は、じわりじわりと担当者を自分の意図する方向(100ゼロ解決)に導いていけばいい。自分にも少しは過失があることを認め担当者に事故解決を全面的に委ねてしまうと、判例タイムズの機械的当てはめ作業による定型的過失責任が待っていることになる。事故直後の勢いだけで無過失を主張し加入保険会社を楽にさせることはない。その分自分自身の苦しみとなって跳ね返ってくるだけのことだから。(2011.9.5)


(33)自動車保険。契約者側には大きな誤解がある。事故を起こすまではかたくなに信じている、加入保険会社は自分の権利や利益を守ってくれるために示談代行サ-ビスをおこなってくれるのだという、ある意味幸せな誤解である。事実は違う。被保険者が事故相手に対して、法律上負担しなければならない損害賠償責任の内容を確定するために被保険者の代理人として示談交渉を行うのであって、加入者側の権利や利益を守るためではない。だから、被保険者が事故の際無過失主張をした場合、保険会社は保険を使わない意思表示とみなし賠償責任を確定する必要がないとして、積極的に事故相手との事故交渉の場に出て行くことはない。
但し、事故相手から損害賠償請求が来たときは別である。その時は、加入者の相手に対する損害賠償責任を確定するために事故相手と交渉する義務が約款上保険会社には課されている。些細なことのようだが、「被保険者」と「記名被保険者」。しっかりと認識し区別できているだろうか。これも賢い契約者となるための基礎学習の一つである。(2011.9.4)


(32)本日の朝日新聞朝刊38面に注目すべき記事が掲載されていた。記事見出しにはこう書いてある。「内部通報で配転無効  東京高裁 オリンパス社員逆転勝訴」。記事によると、事実はこうだ。原告の社員(50)が、営業秘密を知る取引先の社員を引き抜くのはオリンパス社の信用を失わせると考え、上司や社内のコンプライアンス室に通報したところ、通報で引き抜きを阻止されたと考えた上司から制裁として不当な配置転換をされたために、配転無効の確認を求め裁判所に提訴、第一審でその請求を棄却された原告が控訴したという事案であった。
組織において多少なりとも人を使った人間ならだれでも分かっている。組織運営の問題点を指摘する者ほど仕事が出来る積極人間だということを。「不平・不満」と「問題提起」とはおのずと異なる。「組織防衛」とは、恥部をひた隠しすることではなく、さらけ出すことによってより強固な組織とすることが可能となるのだ。背任上司よ即刻去るべし、だ。平成16年6月に制定された「公益通報者保護法」。内部告発を行った労働者を保護するこの法律。健全なる企業がさらなる発展をしていくために乗り越えていかなければならない種々の障害を取り除いていく上において不動の地位を占めるに違いない。契約者側にとって謎に包まれた保険会社の真の内部実態解明もこの法律の対象外ではありえないのだ。(2011.9.1)



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31)損害保険会社の調査部門(サ-ビスセンタ-)で十数年間、支払い業務を行なってきた損保マンの内部告発本「保険金不払い日記」(ダイヤモンド社刊)が面白い。
損保の不正支払い体質は本当に困ったもんだ。これは保険料を集めるのも支払うのも自分たちだという構図の中で、第三者の監視がまったく機能していないことから起きている。……保険金支払いの現場では、当然、毎日揉め事が発生する。それを本社クレ-ムにしたくないという安易な発想が、その場しのぎの違法な支払いを増幅させているんだ。そもそも保険料は全契約者のものだという認識がまったく欠如しているよな。これこそ、全契約者、全株主に対する背任行為だということを誰もわかっていないんだ。ここにメスを入れないかぎり、損保の体質は変わらないと思う。」(206頁)と語る著者の弁は鋭い。(2011.8.31)


(30)ある人から聞いた話である。ショッピングセンタ-に立ち寄ったとき、出入り口の前で小学低学年の男の子が泣いていた。何かわけありか。事情を聴けば、近くの子供で親から買物を頼まれ千円札をズボンのポケットに入れ自転車でセンタ-に来たが、あるはずの千円札を途中で落としたらしく途方に暮れ泣いていたことが分かった。その子供のあまりのいじらしい姿に、その人はとっさに千円札を手渡していた。
別の日、その人物が同じショッピングセンタ-食料品売り場である好物を見つけた。「奈良漬」である。しかも20%値引きのシ-ルが貼り付けられているではないか。普段は高くて買うのに躊躇していたその好物を即購入。何故か芥川龍之介の短編「芋粥」(いもがゆ)を連想させる。一人暮らしの住まいに帰り買物シ-ルを見て驚くことになる。レジの打ち間違いで値引きされていなかったのである。急に得体の知れぬ怒りがこみあげてきて、片道20分もかかるその店に「値引き分を取り戻すために」駆け戻ったのである。わずかの金銭のために…。この人物のとったまったく異なる二つの行動。その心理をどう理解すればよいのか。
交通事故の当事者からよく聞かされる言葉だ。「ゼニ金の問題ではない。気持ちの問題だ」。事故解決につき当事者に納得感のある説明をしなければならない理由はここにある。契約者が気分を害することも、ときとしては、はっきりと告げない限り真の理解を得られない場面も多々あるのだ。「契約者に媚を売らない代理店」「契約者におもねかない代理店」。どの代理店も頭ではそう思っている。そういう代理店を目指すのなら、専門性に磨きをかけた独立心旺盛な代理店となるしかないのだ。(2011.8.30)


(29)東京海上日動は、2010年(平成22年)7月の自動車保険改定から、契約者にとってメリットの大きかった二つの重要な契約内容を補償の対象外としてしまった。
一つは、自転車の単独転倒負傷事故を補償の対象外としてしまったことと、他の一つは、車両事故による代車用レンタカ-の借入れ起算日を「保険会社の借入れ承認日」から「事故発生日」に変更したことである。前者を補償対象外とすることによって、たんなる転倒負傷事故を自転車事故と偽る保険金詐欺事故を防止することは可能になったかもしれないが、その一部の例外的事故のために多くの弱者救済を犠牲にしてしまったことになる。後者の変更は、保険金請求事故にあまり縁のない加入者にとっては、別に騒ぎ立てるほどのことはない変更と思われるかもしれない。
が、100ゼロ交渉をする者にとっては借入れ起算日の改定は「改悪」となる。100ゼロを認めればレンタカ-代車費用は求めないが、認めない場合は過失責任分を請求するという駆け引きを伴うじっくりと時間をかけた交渉が基本的にはできなくなるからだ(但し、保険会社が承認する「正当な理由」ある場合には、修理工場等搬入日を起算日とする例外規定を設けている)。ちなみに、東京海上日動の場合、代車特約(レンタカ-費用補償特約)行使のみの保険金請求事故は「ノ-カウント事故」になると「契約のしおり」に明記されている。車両保険を使わなくても車両保険金の支払対象事故が発生すれば、代車特約を単独で使える保険会社は、確認した限りでは、他に三井住友海上があり、東京海上日動同様「ノ-カウント事故」扱いとなる。(2011.8.29)


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28)自動車保険の「約款』(やっかん)。どの保険会社も契約時この「約款」の郵送を希望するか、それともネット閲覧で冊子郵送を省略するかの二者選択を求めてくる。ネット閲覧を選択すれば、保険会社にとっては、その分郵送コストの軽減がなされることになるからメリットが生じることになるが、契約者側にはその分保険料を割り引くなどの恩恵は与えられない。それはさておき、約款を手元に置いておくことは、賢い契約者になるためには不可欠のものとなることを認識しておかなければならない。聞き上手になるためには、この約款は不可欠の小道具となるからである。
いま多くの保険会社は、保険商品に関する各種問い合わせは土曜・日曜でも可能となるサ-ビスを行っている。もし自動車保険に関して疑問を生じた時などは、この問い合わせ窓口に積極的に電話をかけ質問すればいいと思う。その際の注意点としては、ただ質問をしてその回答を「はい、はい」と物分かり良く聞きっぱなしで済ましてはいけないということだ。必ず「約款」を手元に置き、約款何頁のどこにあなたの回答の根拠となる規定文言が記載されているかを確認し納得した上で、確認しるしを付けておく細かい配慮が必要となる。ここまでの作業をして、はじめて問い合わせをしたその質問は生きた質問となり、あなたは聞き上手の賢い契約者となれるのだ。(2011.8.28)


(27)事故に関与した運転者の行為が適法行為だったか非適法行為(不法行為)だったかの法的判断は、過失の有無によって決まる。気を引き締めた運転をしていたか、ぼんやりとした気の抜けた運転をしていたかという心理状態による過失の判断も、結局は外部に現れた客観的運転行為によって決せざるを得ない。ならば、いっそのこと、運転行為自体に課されたある一定の義務を果たしていたかどうかによって過失の有無を判断したほうがより説得力があるだろう。
このような考え方の推移をたどって、判例は民法709条規定の「過失」というものを「結果回避注意義務違反」と捉えるに至った。どのような具体的事故回避注意義務が当該運転者に課されていたのか。事故発生をあらかじめ予見することが可能でなければ、具体的な回避行為の内容が明らかになることはない。そこで論理の流れとして「(事故発生)予見可能性」の存在が、事故回避注意義務の前提として必然的に要求される考えが出てきたのだ。ここまでは問題がない。
問題となるのは保険実務事故担当者の考え方である。この予見可能性存在の有無の判断は「法的価値判断の問題」であるにもかかわらず、このことをまったく認識していないことだ。事実的見地から判断すれば予見可能性は存在しえても(事実上の予見可能性の存在)、法的価値判断の見地から見れば予見可能性(法律上の予見可能性)は存在しないと評価される場合が現実の事故現場では多多あるのだ。イメ-ジできない方は、住宅街走行中、車庫から突然道路に飛び出してきた車との衝突被害事故を想像していただければお分かりになるはず。担当者がこのことを少しでも理解認識すれば、いまのような判例タイムズへの単純機械的当てはめ流れ作業はできなくなり、いまは、なおざりにされている現場の詳細確認、事故関係者からの事故状況説明聞き取りに劇的変化が起きてくるはずだ。(2011.8.26)



(26)優先道路走行中、劣後交差道路から右折侵入してきた相手車に衝突された物損事故。劣後車側保険会社は判例タイムズ「76図」を機械的に適用してきて過失割合10対90を主張し、0対100を認めることはない。100ゼロを主張する相手方には、道交法36条4項(交差点における車両等の一般注意義務)を提示して、あなたにも10%の過失責任があるとする。
本条項は道交法70条の安全運転義務規定を特に交差点に限定しての規定と解されるが、交差点内で事故が発生すれば即本条項違反あり、と安易に結びつくものではない。70条に関して最高裁が示した見解、「(道交法)70条後段の安全運転義務違反の罪が成立するためには、具体的な道路、交通および当該車両等の状況において、他人に危害を及ぼす客観的な危険のある速度または方法で運転することを要する」(最高裁判・昭48.4.19)を念頭におくならば、被害相手車が他人に危害を及ぼす客観的な危険のある速度または方法で運転していたことを具体的に明示説明することなく、36条4項を安易にもちだしてはいけないのである。事故担当者はこの判例の存在に気づいていない。認識がないから、平然とこの条項を持ち出してくるのだ。判例タイムズ機械的当てはめ作業人のレベルにとどまる事故担当者への不信感は根強い。(2011.8.24)


(25)不法行為による損害賠償の方法には、次の二つがある。
@損害を金銭で算定して賠償するやり方とA損害が発生する以前の状態に戻すやり方(原状回復)。我が国の民法は、@の金銭賠償を原則とし(民法722条1項)、被害者が自由に選択できる方法を採用しなかった。事故により自車が全損被害を被ったとき、時価相当額の金銭賠償請求の他に、代替え車購入諸費用を原状回復諸費用として損害賠償請求するのは、損害賠償の二重請求になるのではないのか。保険実務ではこういった議論は起こらず、保険会社は時価相当額が事故による損害だとして、この金銭を支払えば賠償義務を果たしたことになるとする考えを基本方針として譲らない。一方被害者は、事故前と同じように車を自由に乗り回していた状態に戻すまでにかかった費用の総額が被った損害の金銭的評価額だろうと反論する。どちらの考え方が、実害の補てん(欠けた所を補充すること)という損害賠償の目的により合致することになるのか。こういった疑問を念頭におき、判例を読むのが判例の正しい読み方だと学生時代教わった記憶がある。原状回復諸費用を「事故による損害」と認めた、東京地方裁判所・平成6年10月7日判決を読むべし(交通民集27巻5号1388頁)。(2011.8.22)



(24)事故交渉。当事者が相手保険会社担当者と互角に渡り合える唯一の方法が「書面」による交渉。電話による交渉は事故担当者にとってすこぶる有利となる。相手当事者が普段聞き慣れない保険用語を随所に使って有利な方向に話を持ち込むことが可能となるばかりか、都合の悪い内容は言っていない、そういう意味で言ったのではないと発言内容の否定修正が容易となり、挙句の果ては、言った言わないの低次元世界に突入、水掛け論に終始するおきまりのコ-スとなる。
書面だとそういうごまかしは通らない。会社を代表した見解表明ということになるばかりか、担当者の法律知識、事故分析能力等がストレ-トに出てくることになる。だから、事故担当者は書面交渉要求に難色を示す。が「約款」に書面交渉を拒絶できると明文の規定をおいていない以上、示談代行義務のある担当者はこの要求を拒むことは出来ない。担当者の文章能力はさておき、極めて低レベルの事故見解を述べてくる担当者は珍しくない。論理的に突っ込まれ反論に窮すれば、顧問弁護士への委任要請で安易な交渉責務の放棄。事故担当とは名ばかりか。専門職としての誇り・自負心はどこに…? 今一度呼び戻せ。(2011.8.21)


(23)人身事故の負傷者の立場に立たされ自分にも過失があるときには、健康保険を使って治療をした方が有利になるという理屈は、負傷者にとって、なかなか理解しがたいことの一つである。「ケガをさせられた上になんで自分の保険を使うの?」ということになるからである。
こんなとき、賢い負傷者となるために分かりやすくその理屈を説明をし、理解してもらうのが代理店の仕事となる。加害者側人身担当が説明すれば逆効果となるのは必然。契約者の利益を守るという意識のない代理店には、このプラスアルファ-のひと押しができない。プラスアルファ-のない代理店は、契約者にとって時として不利益的存在となる。不作為とは何もしないことではない。やるべきことをやらないことだ。(2011.8.20)


(22)100ゼロ事故でない限り、保険会社は被害者の代車要求を「あなた様にも過失がある以上、代車はでません。」と拒否してくる。拒否回答された被害者は、「完全な被害事故なのになぜ代車が出ないの?」と途方に暮れることになる。特に、10対90の過失割合が予想される事故の場合にその傾向が強い。この代車要求と過失の問題。古くて新しい問題であり絶えず争いとなる。そこには、保険会社が話術の巧妙さを駆使して、保険知識の乏しい当事者を代車費用請求しない方向へと暗に導いている現実を見破らなくてはいけない。
事故担当者が代車は出さないと言ったのは、代車という現物は提供できないと言ったにすぎず、過失責任分の代車費用を支払わないと言ったわけではない、という弁明(この弁明は法的には問題がない)をしっかりと意識しての「過失があるので代車は出さない」の回答なのである。代車は出さないの一言で、被害者の多くはレンタカ-を自ら借りることはなく、無料で工場代車を提供してくれる修理業者に修理を依頼することになる。その結果、保険会社は代車費用の支払いを免れることが可能となる。保険会社の商売人としての「巧みなこずるさ」。保険会社が世間から蔑みの言葉で「保険屋」と呼ばれるのは、こうしたこずるさの一面を時としてのぞかせるからだ。(2011.8.19)



(21)人間、完全敗北はなかなか認めがたいもの。事故における加害者も然り。店の駐車場、白線駐車スペ-スからバック開始、その空いたスペ-スに入れるため後方で待機していた相手車に逆突。クラクションが聞こえていれば衝突は回避できたと加害者主張。とっさのことでうまく対応ができなかった。今思えば、確かにもっと早く鳴らすべきだったと非を率直に認めるも無過失主張の被害者側。この事故、加害者が被害者の過失責任を追及すれば、事故解決は確実に長期化する。
うまい解決法はないものか。契約者を説得できるのは、信頼関係を築き上げている代理店で事故担当者では無論ない。修理費の全額を補償するが、クラクション鳴らし遅れの非を認めていることから、契約者が一方的に悪い事故ではないと、代車なしの100ゼロ解決案を契約者に説明納得させ、事故担当者に提示円満解決。事故の早期解決には
、ときとして、代理店の介在が不可欠となる。契約者を説き伏せるという重要な作業のために…。(2011.8.18)


(20)通販型自動車保険「ソニ-損保」の契約件数が123万件を超えたというCMが流れていた。ソニ-損保に負けじと他の外資系通販型「チュ-リッヒ」や「アクサダイレクト」のCMもよくお目にかかるが、これらの外資系とソニ-損保が流すCMには、少し違いがあることにお気づきだろうか。
ソニ-損保のCMでは、まず真っ先にいかにも保険通を思わせる中年のオッサンを登場させ、「事故対応力の違いがソニ-損保を選ぶ決め手となりました」と言わせている。これに対して外資系は、ごく普通の女性ドライバ-を登場させ、保険料の安さやロ-ドサ-ビスの充実を真っ先に強調している。ソニ-損保のCMは、通販型に対して契約者側が常にもっている「いつなんどき発生するかも知れない事故の対応に対する通販型への根強い不安」を真っ先に払しょくさせる、いわば自らの弱点をあえて前面に出し、先手をうった作戦的CMか。しかし、事故対応力の充実をいくら強調してみても、実効ある「付加価値サ-ビス」を提供できる代理店が契約者の身近にいる限り、「代理店型」自動車保険に対抗することはできない。ここがある意味、通販型自動車保険が越えたくとも越えることのできない大きな壁なのだ。(2011.8.17)



(19)過去、事故対応をめぐって、事故に強い代理店存在の必要性を痛感した契約者。いざ、かような代理店を求めても、その希望がかなえられることはない。情報提供のないところに情報を求めてもかなえられる道理はないから。有力な情報提供場所であるインタ-ネット。街のネオンのごとくきらびやかな代理店のホ-ムペ-ジは数多く存在するが、事故対応に対する独自の見解を述べたペ-ジは一つとして見当たらない。販売保険商品の羅列と説明に終始。ユ-ザ-が一度立ち寄れば二度と立ち寄ることはない商品羅列の代理店ホ-ムペ-ジが、なぜかくも存在するのか。ユ-ザ-には理解し難い領域ということになる。
代理店の自由な意見表明を阻んでいる最大の壁。それは、「保険募集文書」に名を借りた保険会社の強力な事前介入。保険募集のため、または保険募集を容易ならしめるため使用する一切の文書類は、すべて募集文書とみなされ事前審査に基づく承認制。明確な規定と厳格な運用がなければ、この承認制の行きつく先が、保険会社側にとって都合の悪い情報は公表を許可しない方向へと向かっていくのは自明の理。(2011.8.16)



(18)事故担当者曰く、私有地駐車場内で互いが動いていた場合の過失割合は五分五分からスタ-トし、修正要素があればそれを加味する。今回の場合、当社の契約者は右前方の安全確認をせず駐車スペ-ス内から通路に侵入しているから、10%の過失加味となり60対40が妥当と考える。ここには、保険実務家として、過去の判例等を重視し(マンション駐車場、類似の事故態様判例は存在する)、これらの資料に基づいて事故を解決していこうとする姿勢はまるでない。「私有地の事故は5対5からスタ-ト」。保険実務がなぜこのような考え方を前提とするに至ったか。この担当者はおそらく十分には理解していまい。私有地は原則道交法の道路に該当しないから道交法の適用はない。適用がない以上、双方間に優先・劣後関係は存在しない。だから話し合いは五分と五分からだ…。マンション駐車場通路部分が道路に該当すれば、この前提は崩れる。愚かな担当者はこのことを説明しないから説得力がないのだ。(2011.8.15)


(17)保険会社に従順な子羊。厳しい見方をする者には、総じて代理店はそのように映るらしい。日々の代理店活動において発生する事象に対して問題意識をもつことへの希薄さ。語る意識も場も持たず、仲間と問題点を共有化することもない。関心事は数字(挙積)のみ。保険会社の思惑と見事に一致する。まさしく長良川の鵜飼と鵜の関係だと言っていい。保険会社に従属する代理店の独立性を阻んでいる最大の要因は何か。いわゆる「満期所有権」が代理店固有の財産権として法的に確立されていないことに尽きる。無体物は所有権の対象物となりうるのか、という民法の根源的考察はさておき、@保険契約を更新するための既存契約記録の使用権とAこれらの記録を使用して保険契約者に更新契約締結のための交渉権をその内容とする「満期所有権」が、保険会社に帰属するという現状を打破しない限り、代理店の真の独立はあり得ない。そして、この代理店の独立がやがては契約者側の利益保護へとつながっていくのだが、かような発想をもつ代理店とは今のところ出逢ってはいない。(2011.8.14)


(16)学生時代、家庭教師のアルバイトを経験した人なら、誰もが痛感したに違いない。人に分かりやすくかみ砕いて教えるということは、自分自身が熟知していなければできない技だということを…。この「かみ砕いて…」ができない事故担当者が実に多い。説得力がないのは当然だろう。
民法709条に規定する不法行為としての「過失」と民法722条2項に規定する過失相殺としての「過失」の意味内容は、どこがどう違うの?といった基本的な問題に真正面から取り組んだことがないために、自分自身の言葉で具体的な説明ができないばかりか、追及されるとうろたえて挙句の果ては完全な開き直り。「私は弁護士ではありません。そういう専門的なことは弁護士に聞いて下さい。」。過失相殺率と過失割合との違いさえも説明できない間抜けな担当者に、私はいつも次のせりふを浴びせることにしている。「大根を売っている八百屋の親父さんに薬の説明を求めているのではない。お前様が毎日扱っている過失のことを聞いているだけだ。」。恥を知らない人間に恥を求めるのは、「ぬかに釘」ということか。(2011.8.13)


(15)不特定の一般人・一般車が通り抜けに利用している、マンション駐車場通路部分で発生した物損事故。事故担当者は事故発生通路部分は道交法にいう道路ではないとして判例タイムズの採用を否定する。私有地であろうがなかろうが、事故現場が「不特定の人や車が自由に通行できる状態になっている場所」であれば、道交法2条1項1号に規定する「一般交通の用に供するその他の場所」に該当し、道路交通法にいう「道路」であるということは、すでに昭和44年7月11日の最高裁判決で決着済みの問題である。この担当者、事故現場立会を実施した上での回答であるから、最高裁の判例自体の存在すらも確認しなかった低レベルの事故担当者ということになる。もっともある大型ス-パ-マ-ケット屋外駐車場の走行通路部分を道路ではないと断言していた国内損保アジャスタ-にもお目にかかっているから、別に珍しいことではない。このレベルの担当者には、「己の恥は会社の恥」という自覚すらもなし。事故担当専門職としての「自負心」のなさが「向上心」の欠如につながっているのだ。(2011.8.12)


(14)任意保険会社が行う「一括払」とは、自賠責保険部分と任意保険部分とをまとめて支払うシステムのことである。
被害者への支払い総額が自賠責保険の上限である120万円以内で収まった場合、通常保険会社は自賠責部分の立替え払いのみで終了したことになるから、加害者加入の対人保険は行使しないで済むことになる。誰もがそう思う。が、何の対策も講じないまま人身担当者に委ねたままにしておくと、対人保険を行使されるケ-スがでてくるのだ。そのからくりはこうだ。警察提出用に病院から取り寄せた「診断書」は、自賠責保険請求用の診断書としては代用できないため、この診断書費用は自賠責保険からは支払われず、対人保険を使っての支払いというケ-スが出てくることになる(但し、1通目は自賠責保険の支払い対象となるが、物件事故として処理された場合は1通目であっても対象外)。
例えば、事故当初は打撲診断書、その後の精密検査の結果で肋骨骨折診断書というように、結果として2通の診断書を医者から作成してもらったような場合、2通目は自賠責保険の支払い対象とはならないから、たった1通の診断書作成費用(4,200〜5,500円位)だけのために、対人保険を使い割引等級を3等級ダウンさせるということが現実に起こりうることになる。このからくりを保険会社は契約者に積極的に説明することはない。契約者が「保険金請求書」を提出していることを理由として…。このからくりを契約者に説明しその対策をアドバイスできるのは代理店だけだから、代理店の存在しない通販型自動車保険の加入者は全くの無防備状態となる。詳細は、「保険業界に横たわる諸問題ーその86」を…。(2011.8.11)


(13)保険会社事故担当者がのたまう型にはまった説明内容の代表的なものとして、つぎのようなものがある。
「双方ともに動いていた以上、互いに相手車両の動静に注意して安全に進行すべき注意義務があった。⇒事故が発生したということは、基本的にはこの注意義務に双方が違反したということだ。⇒だから双方に過失責任が生じることになる。」「義務」は「不可能」なところには存在しえない。法の命じる注意義務を守ることが可能な状況下に置かれていた人間にだけ、義務を課すことが可能となるのだ。この道理を少しもわきまえず、
こうのたまう担当者の説明に説得力はない。「法は不可能を強いるものではない」…のだ。事故担当者はこの法格言をかみしめよ。(2011.8.10)


(12)保険会社事故担当者は、当然のことながら、人身事故を引き起こした契約者の行政処分や刑事処分については一切関知しない。極論すれば、どういう処分が契約者にこようが知ったことではなく、保険金支払いの義務さえ果たせばいいということだ。この点が、事故担当者と担当代理店とが大きく異なるところ。もっとも、事故担当者と何ら異なるところのない代理店も数多く存在はするが…。
契約者が人身事故の加害者の立場に立たされた時負わなければならない、行政責任や刑事責任についても何らかの具体的アドバイスを提供することは、代理店が契約者に提供する「付加価値サ-ビス」の中の一つに他ならず。法律・判例知識等の提供力もなく保険知識のみの提供だけにとどまり、ただただ契約者に頭を下げる懇願活動スタイルをとり、「一生懸命やらせていただきます」の熱意を示すだけでは付加価値サ-ビスの提供にあらず。付加価値に値する知識力の提供は、代理店の個性的存在価値を高める大きな武器となることに異を唱える者はいない。(2011.8.4)


(11)「交通事故というものは、れっきとした物理現象なのに、彼らはそれを物理現象として解析する方法をほとんど教わっていない…。少しでもいい、物理現象の解析には何が大切で、残された証拠のどこに目を付けて調べればよいのかという知識をつかんでいれば、事故捜査や実況見分調書のまとめ方は、まったく変わると思います。…今の実況見分調書というのは、ほとんど当事者の言葉によって作られています。…事故の直前に時速何キロで走っていて、どの地点で相手を発見したとか、どの地点でブレ-キをかけたとか、どのあたりでぶつかったか、といった情報は、すべて当事者が記憶に基づいて話していることにすぎません。…本当は事故の瞬間のことなどほとんど分からないのに、警察官に質問されるまま、細かい数字まで答えざるをえないという状況を。」。このように述べ、警察官の作成する実況見分調書の問題点を明らかにする交通事故鑑定人・駒沢幹也氏の指摘は鋭い。(宝島社刊「ザ・交通事故」から)(2011.8.3)


(10)刑法学者・西原春夫元早稲田大学総長は、事実上の予見可能性と法律上の予見可能性を区別することの必要性を説くと同時に、「信頼の原則」が適用されれば、法律上の予見可能性が否定ないしは法律上の事故回避義務が否定されるとの見解を示している。
交通民事裁判においては、特に被害者ドライバ-の過失責任を否定する論法として、この「信頼の原則」理論を積極的に採用していく流れはいまだ十分には確立されているとはいえず、保険実務においても、事故担当者は、保険会社側にとって都合の悪いこの理論が最高裁判例上なにゆえに登場するに至ったかを探究することもなく、無視つづけている現況下にある。(2011.8.2)


(9)無過失主張者に対して、保険会社事故担当者は例外なくこう答えてくる。
「あなた様にも事故発生に対する予見可能性を否定できない以上、事故回避注意義務が存在したことになり過失責任は免れません」。この答えには、「事実上」の予見可能性が存在したことと「法律上」の予見可能性が存在したこととは、明確に区別されなければならない問題であるという認識はまるでない。
事実上の予見可能性の存在で法律上の事故回避義務も存在したことになれば、空から車が落下でもしてこない限り、現実の事故において事実上の予見可能性を否定することはきわめて困難になることから、100ゼロ事故存在の可能性は限りなくゼロに近づくことになる。法律上の事故回避義務が存在したと評価されるのは、法律上の予見可能性が存在したときだけに限られる。上記大宮簡裁、さいたま地裁の裁判官にはこの認識が欠如している。(2011.8.2)


(8)ショッピングセンタ-屋外駐車場。通路部分走行車に左側白線内駐車中の車が停車の状態から突然通路に飛び出し衝突。よくある事故形態。左前側面部に衝突された通路走行の運転者は避けようもない被害事故として、大宮簡易裁判所に無過失主張提訴。
大宮簡裁は、通路走行車にも「通路部分の前方左右を注視し、本件駐車場の駐車場所から発進する車両等の有無及びその動静等交通の安全を確認し、駐車場所等の交通及び運転車両等の状況に応じ、他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転をしなければならない義務があった(道路交通法70条)。それにもかかわらず、その義務を怠り、走行している通路部分の前方左右の安全を十分に確認せず、前方左側の駐車場所から発進しようとしている被告車の存在及びその動静に気がつかないまま漫然と走行した過失が認められる。」と判示、前方注視義務違反・安全運転義務違反ありとして2割の過失責任を認定、控訴審のさいたま地方裁判所もこれを全面的に支持。
大宮簡裁裁判官の判決文は、結果過失(結果が発生した以上過失あり)認定の典型的な定型文。標準的な一般ドライバ-であれば、10人中10人までもが事故回避不可能なこのような不意の飛び出し事故にも、前方を注視し安全運転をしていれば事故は回避可能であったと机上の論理で強弁する裁判官。ハンドルを握るとしたら、これらの裁判官どんな運転をしているのだろうか。裁判官も役人の一人。過去判例踏襲の殻を打ち破る気概も気迫もない所詮は小役人ということか。(2011.8.1)


(7)無過失主張事故発生。保険会社は示談代行サ-ビスをすることが出来ない。「ではだれを頼ればいいの?」。契約者の質問に、「そのための弁護士特約です」。さわやかに答える事故担当者。
では、弁護士依頼の実態はどうか?弁護士は、電話一本で気軽に自宅まで駆けつけてくれる存在か。土日祝日・夜間、気軽に電話相談できる存在か。相も変わらずの武士商法スタイルを取り続ける弁護士。商売は需要と供給のバランスの上に成り立つもの。気位が高く、機動性に欠ける弁護士より、気軽な存在たりうる司法書士の活躍の場が広がることを期待するも、交通事故に対応できる司法書士あまりにも数少なし。契約者の行きつく先は…?(以上、2011.7)



(6)民法の基礎中の基礎、「物」と「財産」はどう違いどういう関係にあるの? どの民法解説書にも説明がないこの両者の区別と関係。保険会社事故担当者が理解していないのは無理からぬこと。「格落ち(評価損)請求」とは、事故被害による「車」という有体物である財産の市場における交換価値の目減り請求のこと。車という所有財産が事故により交換価値の目減り損害を受けたから損害賠償を請求する、これが格落ち請求の真の意味。
ある国内大手損保会社の女性事故担当者いわく。「当社は格落ち請求を認めていません」。自信に満ちあふれたその答えに、無知なる確信ゆえの滑稽さをかいまみる。


(5)ドライバ-の素朴な疑問。一時停止違反をすれば、反則行為として反則切符を切られ反則金を納付し違反点も加点される。一時停止違反で物損事故を起こせは、非反則行為となり反則切符は切られることはなく反則金も支払わないし違反点も加点されない。結果として、事故を起こした方がドライバ-には有利にはたらくことになる。この現実、どこに問題点があるのか。誰も語ることはない…。


(4)警察では「物件事故」と呼んでいる「物損事故」。事故が発生し現場に警察官が駆けつけても、物損事故である限り、警察は「実況見分」をしてその結果を「書面化」することはない。現場に来た警察官が作成するメモ書き程度の「物件事故報告書」は「実況見分調書」にあらず。
物損事故で裁判になった時、重要となってくるのは「衝突地点」。部品散乱状況は必ず撮影を…。事故当事者は法廷証言で自己防衛のため平気で大嘘をつく存在。この民事裁判の実態をよく認識しておくべし。「裁判所は社会正義を実現する最後の砦(とりで)」。こと、交通民事裁判においては「幻想」にすぎず。


(3)五木ひろしの「長良川艶歌」。作詞作曲、申し分なし。いい歌です。
でも代理店は、鵜飼(保険会社)に操られる長良川の「鵜」になってはいけないということ。迷惑をこうむるのは保険的知識の乏しい「契約者」。どんなにきれいな「べべ」を着せられようとも、鵜はしょせん鵜に変わりはないのだから…。


(2)初度登録後1年経過車、修理費50万強。契約者、加入保険会社の事故担当者に相談。「格落ち請求は出来ないの?」。担当者、答えて曰く。「はい。格落ち請求ができるのは、初度登録3ケ月以内の車だけです。」。この答え、契約者の無知に乗じて嘘を言ったのか。それともただのアホ担当者だったのか。真相不明なるものの、これが保険会社の悲しい現実。

                                                                  

(1)事故交渉力の乏しい、保険のプロではないクルマのプロ(販売の)たる自動車ディ-ラ-代理店が力を入れる「3年長期分割(年払・月払)自動車保険」。無過失主張事故発生後、頼れる代理店が存在していないことに初めて気がついた契約者のやり場のない怒りとほけん村への事故相談。誰のための長期3年契約か。