コメ自由化への試案
食料自給率を上げる方法は?
コメ自給率は現在100%


TANAKA1942bです。「王様は裸だ!」と叫んでみたいです   アマチュアエコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦します        If you are not a liberal at age 20, you have no heart. If you are not a conservative at age 40, you have no brain.――Winston Churchill    30歳前に社会主義者でない者は、ハートがない。30歳過ぎても社会主義者である者は、頭がない。――ウィンストン・チャーチル       日曜画家ならぬ日曜エコノミスト TANAKA1942bが経済学の神話に挑戦します     好奇心と遊び心いっぱいのアマチュアエコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦します     アマチュアエコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦します

2008年2月25日更新   
(6)トマトの自給率を上げる方法は? 
アメリカ並の品種改良と機械による収穫は
<生食用トマトと加工原料用トマト>  トマトの自給率を問題にする場合、生食用トマトと加工原料用トマトとを分けて考えなければならない。 これに関して分かりやすい説明があったのでここに引用しよう。トマトの自給率を問題にする場合、生食用トマトと加工原料用トマトとを分けて考えなければならない。 「ナガノトマト」http://www.naganotomato.jp/tomato/kinds.html から。
 トマトはトマトジュースやピューレーなどに加工する「加工用トマト」とサラダなど生で食べる「生食用トマト」があります。
◇加工用トマト 加工用トマトは「赤系トマト」と言い、真っ赤な色をしており、畑で完熟するのを待って収穫されます。そして、加工用トマトはその日のうちに工場に運ばれトマトジュースなどに加工されます。
◇生食用トマト 生食用トマトは「ピンク系トマト」と呼ばれ、店頭に並んだ時に赤くなるように、まだ熟さないうちに収穫し出荷されます。1984年に品種改良からつくられた“桃太郎”がその代表格です。
「加工用トマト」と「生食用トマト」は栽培方法がまったく違います。
◇加工用トマト 露地栽培で夏の太陽をいっぱいに浴びられるように地面に這うように栽培されます。そして、夏の最盛期である8〜9月のみに収穫されます。加工するのに「へた」は邪魔物なため、収穫する時にへたが取れるような品種です。
◇生食用トマト 支柱を立てて茎を上に伸ばすようににして栽培されます。ビニールハウスででも栽培できるので1年中収穫できます。
<加工原料用トマト>  加工用トマトについて「国産加工原料用トマトの生産の動向と課題」と題された詳しい説明があったのでここに引用しよう。 http://www.nochuri.co.jp/report/pdf/n0208re3.pdfから。
 現在,わが国ではトマトは大きく生食用と加工用の2つに分けられ,加工原料用トマトは,生食用トマトとは品種や栽培方法が大きく異なる。 加工原料用トマトは,契約栽培により安定した収入が得られることから,契約安定作物として,また稲作の生産調整における転作作物として栽培され生産が拡大した。 わが国では主にトマトジュース用原料として,長野県,福島県,茨城県等の少数地域に集中して生産されている。
 今後,国産の加工原料用トマトを安定的に確保していくためには,国内産地が直面している, @生産者の高齢化や後継者不足への対応,A機械化の推進と規模拡大,といった課題について具体的な取組みを行うことが必要であろう。
 加工原料用トマトについては,夏場の収穫作業が生産者の負荷となっており,収穫時の労働力確保が栽培規模を左右することになる。 しかし,1戸当たりの作付面積は平均20 未満と小規模であり,大きな動きはみられない(第10図)。 生産者の高齢化,後継者不足の問題に直面している主産地でも20 未満の栽培農家戸数が全体の7割弱を占めている(第11図)ように規模の拡大が進んでおらず, 機械化を推進するまでには至っていない。
 89年にはトマトジュース,トマトケチャップの輸入自由化が行われ,2001年のトマト加工品輸入量は18万7千トンとなっている(第4図)。
 トマト加工品の関税率は,トマトケチャップ,トマトソース製造用のトマトピューレー・ペーストについてはゼロ(無税)であるが, それ以外のトマト加工品については,国内トマト生産者,製造業者保護という観点から関税がかけられている。 ただし,94年までは20〜35%の関税率であったが,ウルグアイラウンドの結果,95年から2000年にかけて徐々に引き下げられ,2001年では関税率は9.6〜29.8%になっている。
 93年には8年ぶりに作付面積が増加したものの,生産量の回復には至らなかった。近年は,作付面積は安定し,生産量は6万トン前後で推移している。
<トマトの生産量>  トマトの生産に関しての資料を農水省のHPから引用しよう。
トマトの栽培面積と出荷量(H13農水省統計から計算)    露地栽培 5570ヘクタール 20万トン    施設栽培 7990ヘクタール 60万トン
http://homepage2.nifty.com/bombus/Page10-1.html から。
http://www.tdb.maff.go.jp/toukei/a02smenu2?TokID=F005&TokKbn=B&TokID1=F005B2005-002&HNen=H17&Nen=2005 から。
トマトの生産額 農林中金総合研究所のホームページ「統計の眼」http://www.nochuri.co.jp/report/pdf/r0403sta.pdf からトマトの生産額を引用すると、 2001年の粗生産額は1,904億円となっている。
<トマト出荷量>  単位トン
季節\年 12ー2000 13ー2001 14ー2002 15ー2003 16ー2004 17ー2005
全季節 708,500 699,800 688,600 669,000 665,900 668,100
冬 春 362,900 365,300 370,800 359,000 365,900 362,700
夏 秋 345,600 334,500 317,700 309,000 300,100 305,400
[農水省統計表]収穫量〜出荷量(カリフラワー〜すいか)  http://www.tdb.maff.go.jp/toukei/a02smenu2?TokID=F005&TokKbn=B&TokID1=F005B2005-002&HNen=H17&Nen=2005 から。

<輸入トマト(生鮮のもの及び冷蔵したもの)>
 \年 12ー2000 13ー2001 14ー2002 15ー2003 16ー2004 17ー2005
数量(トン) 13,003 9,452 4,193 4,185 4,857 5,894
金額(百万円) 2,898 2,093 1,463 1,149 1,646 1,820
価格(円/Kg) 223 410 349 275 339 308
トマトの輸入関税(生鮮のもの及び冷蔵したものに限る)2003年1月1日から 3%
[輸入トマト(生鮮のもの及び冷蔵したもの)]   http://www.officej1.com/tomato/data/y_ryou.html から。

<加工トマト輸入(調整したトマト、トマトピューレ、トマトペースト、ジュース、その他)>
 \年 12ー2000 13ー2001 14ー2002 15ー2003 16ー2004 17ー2005
数量(トン) 190,967 184,565 177,324 177,746 197,351 215,412
金額(百万円) 51,368 53,954 51,087 51,389 18,765 20,252
[加工トマト輸入]   http://www.officej1.com/tomato/data/tdkakou_yunyuu.html から。
<トマトの自給率>  トマトの自給率に関して2つの資料があったので両方を紹介しよう。
 トマト自給率 55% http://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%88%E3%80%80%E8%87%AA%E7%B5%A6%E7%8E%87&fr=top_v2&tid=top_v2&ei=UTF-8&search_x=1&u=www.foodpanic.com/index2.html&w=vc%3A%E3%81%A8%E3%81%BE%E3%81%A8+%22%E8%87%AA%E7%B5%A6+%E7%8E%87%22&d=Upqxn7XiP2pf&icp=1&.intl=jp から。
 トマト自給率 59% http://www.foodkingdom-miyagi.jp/jikyu/jikyu15.html から。
*                      *                      *
<トマトの品種改良> アメリカには1860年頃イギリスやフランスから導入された。1910年頃にかけては、偶然変異の選抜や純系選抜法によって、ポンデローザ、アーリアーナ、ボニー・ベストなどの優れた品種が育成された。さらに1911年から1935年頃には、品種間交雑に重点をおいた改良で、地域適応性や輸送加工性に優れた品種が多く育成された。1936年以降は一代雑種の利用が急速に普及するようになった。
  トマトの品種改良、それには他の農産物とは違った目標を持った改良が行なわれた。『世界を変えた作物』から引用しよう。
<機械で採るトマト>  わが国のトマト栽培は、ほかの野菜類と同様に、多肥集約の支柱栽培が多い。促成栽培や抑制栽培な作型が分化し、1年中市場に出回っている。 園芸加工品の中では、果樹のミカンと野菜のトマトは重要な位置を占めている。最近では、農産物の貿易自由化の波に中で、生産コストの低減が大きな課題となっている。 とくに、加工原料としてのトマトの生産は、国際的な競争力に乏しい。たとえば、1トンのトマトの生産に必要とされる労力をみると、日本はイタリアの3.5倍、アメリカの9倍にも達している。
 アメリカのトマトの生産コストがきわだって低いのは、トマトの品種改良によって、もっとも多くの労力を必要とする収穫作業を機械化したことによる。 (『世界を変えた作物』から)
 サンフランシスコから双発のプロペラ機で、サクラメントに飛んだときの話である。海岸山脈を越えてセントラル谷に入ると、色タイルを敷き詰めたような模様が眼下に開けた。西の海岸山脈と東のシェラネバダ山脈にはさまれて広がるセントラル谷は、温暖な気候とサクラメント川の豊かな水に恵まれて、みごとな灌漑農業を発達させていた。色タイルのように見えた模様のなかの赤い部分がとくに目についた。双発機がサクラメントに近づき高度を下げたとき、赤いタイルがなんとトマト畑であることがわかった。トマト畑を大型コンバインが走り、トマトが機械で収穫されていた。これは、著者の一人が、もう10年以上も前にアメリカで見た光景である。 (この本は1985年初版)
機械で収穫できるトマトの改良は、まず草丈の短縮。2メートル以上の草丈になると支柱を立てて茎を固定することになる。 しかし支柱があると機械収穫ができない。草丈の低い矮生と呼ばれる突然変異体を利用し、草丈の低い品種を改良した。
機械収穫に必要な第2条件は、均一な成熟だ。機会で一気に収穫するには果実がいっせいに成熟する必要がある。
第3の条件は、果実の離脱性が優れていること。普通の栽培ではあまり取れやすいと、収穫前に落ちてしまうので、逆に離脱しにくい方に改良がされていた。
そして第4の条件は果実の破損耐性。トマトは薄い果皮と多汁質の軟らかい果肉からなっているので、少しの衝撃でも果実が破損しやすい。 機械収穫に適したトマト品種育成では、衝撃に強いことが最も大切であった。
 1942年、アメリカのトマト栽培家ジョンゲニールが思いついた、トマトを機械で収穫すること、これは約20年かけて達成された。矮性化で無支柱栽培を可能にし、心止まりで果実の成熟をそろえて一斉収穫を可能にし、果実の小形化、細長化、硬質化によって損傷にたえるようにし、さらに離脱性を適度につけて、機械収穫用トマトの改造は成功した。 このトマトの改造は、アメリカならではの資本主義的機械文明の落とし子といえよう。 (『世界を変えた作物』から)
<新鮮野菜は地産地消>  生食用トマトと加工用トマト、両方を1つにして考えると、輸入の方が少し多いということになる。 これを、生食用と加工用と別に考えると、生食用トマトは国産、加工用トマトは輸入という図式になる。 生産コストを比べれば、国産トマトはアメリカ産に遠く及ばない。それでもアメリカのような機械で収穫する、ということは研究されていない。 詰まり、コスト競争には参加使用としていない、ということだ。
 生食用トマトは新鮮さが売り物になる。そこで、国産品が多くのシェアを占める。加工用は保存状態が良ければ新鮮さはあまり要求されない。そこで、価格の安い輸入品が多くなる。
 国産トマトの強みは、「地産地消」ということになる。新鮮さを売り文句にする野菜には「地産地消」という言葉が生きてくる。もっとも北海道産のトマトを熊本で販売するのは「地産地消」に反しないか、という疑問には何と答えて良いのか分からない。
(^o^)                  (^o^)                  (^o^)
<主な参考文献・引用文献>
『世界を変えた野菜読本』  シルヴィア・ジョンソン 金原瑞人 晶文社      1999.10.10
『世界を制覇した植物たち』    大山莞爾・天知輝夫・坂崎潮 学会出版センター 1997. 5.10
『トマトが野菜になった日」             橘みのり 草思社      1999.12.25
( 2008年1月28日 TANAKA1942b )
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(7)ブロッコリーの自給率はどうか? 
種子は日本の種子会社が作り栽培は米国農家
  今週はブロッコリーの自給率を扱う。今まで扱った品目は、価格競争に勝てずに、政府からの補助によって細々と生産していたり、 よく調べてみると、数字に表されたものよりも実際は他国の事情に左右されやすい状況であったりと、悲観的なものが多かった。 今週扱うブロッコリーは違う。自給率50%との数字はあるが、他国の事情に左右されずに安定供給できる確率はもっと高い。 そして、食料自給率が低い日本で、他国の事情に左右されずに安定供給できる確率を高める方策が見いだされるように思える。
<ブロッコリー出荷量>  単位トン
\平成ー西暦 12ー2000 13ー2001 14ー2002 15ー2003 16ー2004 17ー2005
数量(トン) 69,800 75,500 79,800 91,300 80,000 90,800
[農水省統計表]収穫量〜出荷量(カリフラワー〜すいか)  http://www.tdb.maff.go.jp/toukei/a02smenu2?TokID=F005&TokKbn=B&TokID1=F005B2005-002&HNen=H17&Nen=2005 から。
<ブロッコリーの自給率>  ブロッコリーの自給率に関して次のような説明があったので、ここに引用しよう。
ブロッコリーの国内輸入状況と自給率   日本での主産地は埼玉県(2004年収穫量:14,000t、栽培面積:1,110ha)、愛知県(同:11,700t、825ha)、北海道(同:10,800t、1,250ha)で、市町村別では愛知県の田原市が全国一の生産量を誇っている。 現在の国内自給率は50%前後を推移しており、消費量の半分は輸入に頼っている状態です。 今、ブロッコリーの最大の輸入相手国はアメリカです。。シャーベット状の氷に埋まって、新鮮さを保って輸入されます。今後の対策としては、もっと国内の生産を増やし、海外の輸入にはできるだけ頼らないようにするのが課題です。
 「ブロッコリー食料自給率解説ページ」http://www.foodpanic.com/jikyuritu/No15.html から
ブロッコリーは輸入が大半?  日本で消費されるブロッコリーの半分以上が、アメリカからの輸入品となっています。初めて輸入されたのは1980年、台湾からわずか8tだけでしたが、今では約10万t(うち96%がアメリカ)に急増しています。  また、輸入ブロッコリーのほとんどが、日本で開発された品種なため、国産と輸入品の外観の区別が付かない農産物です。
 「ブロッコリーあれこれ」http://www.agri.pref.hokkaido.jp/fukyu/isc/buro_iba/are_kore.htm から
ブロッコリーの輸入はアメリカからが89%  ブロッコリーの2003年(1〜12月)の輸入数量及び主な輸入先国は 66,019トンで、そのうち89%がアメリカからの輸入。
 「農水省 消費者相談Q&」http://www.maff.go.jp/soshiki/syokuhin/heya/qa/alt/altqa040417.htm から
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<「サカタのタネ」がアメリカブロッコリー種子60%のシェア>  日本市場でブロッコリーはアメリカ産が多くのシェアを誇っている。 そのアメリカ産のブロッコリーも種子は日本の種子会社「サカタのタネ」が60%を占めている。これについての「サカタのタネ」のホームページの記事を引用しよう。
ご参考:ブロッコリーについて=(株)サカタのタネ  国内におけるブロッコリーについてはすでに記述したとおりです。海外における当社ブロッコリーについてご紹介いたします。
 日本の種苗会社の中で海外においてはサカタのタネが、最初にブロッコリーのF1品種の販売を開始しました。特にアメリカにおいて当社品種は広く普及しました。アメリカでは、同国内の種苗会社が最初のブロッコリーのF1品種を発表しましたが、生産者の支持を得られず普及しませんでした。その3〜4年後、1971年に、当社の「グリーンデューク」が発表され、その後、「ショーグン」「グリーンバリアント」といった当社品種が順次導入され、1980年にはアメリカにおいて爆発的に普及した「マラソン」が発売されました。「マラソン」はそれまでの品種の作型をおおむねカバーできる万能品種で、収量性も高く、アメリカ国内では過去最高の8,000ポンド/エーカーを記録しました(従来の固定品種:2,000ポンド/エーカー、「グリーンデューク」:4,000ポンド/エーカー、「グリーンバリアント」:6,000〜8,000ポンド/エーカー)。このため、1970年代初め、アメリカにおけるブロッコリーの作付面積は25,000エーカーほどでしたが、1980年代には100,000エーカーと、その面積は約4倍となりました。このように研究開発も進み収量性は、3〜4倍になり、その期間にオイルショックがあったにもかかわらず、ブロッコリーの値段がほとんど変わらなかったのは、品種が変わり、収量が上がったことも一つの理由といえます。現在も、アメリカにおいて当社ブロッコリー品種は広く使われ、同国内の当社のシェアは、約60%※を維持しております。このように当社のブロッコリーは、アメリカ国内においても消費者の生活に大きく貢献しています。     ※当社推定値
 http://www.sakataseed.co.jp/hotnews/2006/060425-1.html から
輸入野菜と国産野菜の栄養成分に差はあるのでしょうか?  近年、生鮮野菜および冷凍野菜を中心に輸入野菜が増加しています。生鮮野菜のうち、特に輸入量の多いのはタマネギ、カボチャ、ブロッコリーなどであり、最近増えてきたものとしてショウガ、ニンニク、レンコン等があります。 ブロッコリー(生鮮もの)については、いくつかの試験研究機関で輸入品と国産品の品質の比較が行われました。形状は、輸入品は主枝が細く分枝が長いのに対し、国産品は輸入品に比べて主枝が太く分枝は短く、花蕾部(先端の蕾の部分)に厚みがあります。このような形状の違いにより輸入品と国産品を区別できます。ブロッコリーはビタミンC(アスコルビン酸)を多く含む野菜です。いくつかの調査によると、全体としては輸入品よりも国産品の方がビタミンC含量が高い傾向がありました。これは、輸入品の場合、収穫後、店頭に並ぶまでに20日間くらいかかるためと考えられます。ビタミンCの含量については、他の輸入野菜でも同様のことが言えるものと考えられます。 ブロッコリーの食味に大きく影響する甘味成分である糖の含量も、国産品の方が高い傾向があると報告されています。通常食べられている花蕾部(分枝も一部含む)には果糖とブドウ糖が多く、捨てられることが多い主枝部にはショ糖が多く含まれますが、いずれの部位でも国産品は輸入品に比べてこれらの含量が高いという調査結果が出ています。このため、食味の官能評価でも甘味やコクなどの点で国産品の評価が輸入品を上回っていました。 但し、野菜の品質は、輸入品、国産品を問わず、産地、天候、収穫時期などによって変動するため、現段階で輸入野菜と国産野菜の品質について結論的なことは言いづらいとされています。
 「(財)食生活情報センター 野菜・果物に関するFAQ」http://www.v350f200.com/faq/08.html から
輸入野菜は割安  輸入野菜は基本的には,同種国産品に比べて安価である。品目によって輸入品単価と国 産品単価との差は一様ではないが,卸売市場における輸入品単価は,国産品に比べて,ブ ロッコリーで約9割,アスパラガスで約6割,ネギで約5割の水準,等となっている。
 「野菜の輸入動向と輸入野菜流通の特徴78P」http://www.primaff.affrc.go.jp/seika/pdf/primaffreview/1/primaffreview2001-1-12.pdf  から
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<ブロッコリーの自給率は80%?>   ブロッコリーの国内消費量の約半分は国産で、残りの半分はアメリカからの輸入ということになっている。 だからブロッコリーの自給率は50%というのが正しいように言われる。ここで、畜産品の自給率のことを思いだしてみよう。 品目別自給率に飼料自給率を掛けることによってカロリー自給率が導き出される。「食料自給率が40%を割った」と言う「自給率」とは、「カロリーベース総合食料自給率」のことを言う。 この計算の趣旨を尊重するならば、種子の自給率も考慮しても良いはずだ。ブロッコリーについて言えば、輸入されるアメリカのブロッコリーの60%は日本の種子会社「サカタのタネ」の種子を栽培して出荷したものだ。 「カロリーベース自給率」の計算を応用すれば、50%+(50%X0.6)=80% となる。 つまり、ブロッコリーの「カロリーベース自給率」は80%ということになる。
 このことは単に「数字上のマジック」とか、「数字のお遊び」ではない。「日本でのブロッコリーの安定供給に外国の影響を受けない割合」という点に注目すれば、大きな意味を持つことが分かるはずだ。 アメリカが「わが国の言うことを聞かなければ、ブロッコリーの輸出を制限するぞ」と脅しを掛けてきたら「結構ですよ。それならば、日本の種子会社「サカタのタネ」にブロッコリーの種子をアメリカに輸出しないように行政指導することになるでしょう」と言えば良い。
 「農業は先進国型産業である」とのテーゼがここで生きてくる。このブロッコリーの例が、日本での食料の安定供給に関する問題点を検討する際の大きなヒントになる。 「重量ベース自給率」だけでなく「カロリーベース自給率」を理解することによって、食料の安定供給戦略が練り直されることになる。 ブロッコリーのように種子を育成し、栽培は大規模農業が可能な外国、あるいは人件費の安い国に任せて、知識集約型な産業である品種改良を積極的に進めることが、先進国型産業である農業のあり方だ、ということが導き出される。
 このことの重大さを理解すれば、「コメ自由化」の問題も、今までとは違った観点で考えることができる。答えはこうだ「コメの輸入を自由化する」「民間の種子会社を支援し、F1コシヒカリ、F1あきたこまちを育成する」という戦略だ。 さらに将来は「GMコシヒカリ」「GMあきたこまち」を育成することになるだろう。日本は、品種改良という先進国型部門であり日本人の得意とする分野を担当する。 実際の栽培は、それぞれ得意な国の人々に委ねる。これが将来の日本農業のあり方だと思う。当然品種改良には優れた農業経営者の協力がなくてはできない。 そして、それには当然十分な対価が支払われることになるだろう。
(^o^)                  (^o^)                  (^o^)
<主な参考文献・引用文献>
( 2008年2月4日 TANAKA1942b )
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(8)外国の事情に左右されないで安定供給できる確率 
自給率を高めることの意味は
<ブロッコリーの自給率と鶏肉・鶏卵の自給率>  ブロッコリーの自給率は通常50%と言われるが、アメリカでのブロッコリーの種子シェアは60%を日本の、「(株)サカタのタネ」が占めている。 従って、カロリーベース食料自給率の考え方に立って言えば、ブロッコリーの自給率は80%ということになる。 同じように、カロリーベース食料自給率の考え方を更に徹底して、鶏肉・鶏卵の自給率を考えると、7%とか9%よりももっと低くなる。 種子のシェアとか種鶏についてこれを自給率に取り入れてはいないが、このことも自給率を考えるうえで考慮すべきだ。 それは、自給率とは「外国の事情に左右されないで安定供給できる確率」と考えるとハッキリする。
<自由貿易とリスク分散と自給率>  食料の安定供給には「@自由貿易とAリスク分散とB自給率」がポイントになる。
 @自由貿易 当たり前のことだけど、議論する場合忘れがちになる。農水省のホームページ 「食料自給率の低下と食料安全保障の重要性」http://www.kanbou.maff.go.jp/www/anpo/sub13.htm には次のような文章がある。 ● 国内500万haに加え、海外に1,200万haの農地が必要 このような私たちの食生活は、国内農地面積(476万ha(平成14年度))とその約2.5倍に相当する1,200万haの海外の農地面積により支えられています。
 このため、農産物の輸入が行われなくなってしまうような場合には、大幅な食料の不足がひき起こされることとなります。
 つまり日本では食料自給率100%は不可能だということになる。だから海外から食料を輸入するということは避けられない。それには自由貿易が保証されなければならない。 保護貿易政策が台頭してくると食料安定供給が不安になる。政策担当者は自給地を広めようなどと考え、「大東亜共栄圏」などという幻想を抱くことになる。 従って日本が率先して関税障害を設けたり、保護政策を実行したりして、他国がそれに追従して保護貿易政策が大手を振るうようになると安定供給が不安になる。 当然のことであるにも拘わらず、忘れがちになる。
 Aリスク分散 農作物の収穫量は天候・気候に左右されやすい。「だから、自給率を高めよ」は間違っている。 「だから、供給地・供給国を多くせよ」が正しい。このことは「もう「尊農攘夷論」はやめにしましょうよ 安定供給のためには、自給率を下げること」と題して、 2001年5月14日に書いた。そしてリスクを分散させる関税率の工夫についても書いた。
 B自給率 今回書いている自給率とは、「外国の事情に左右されないで安定供給できる確率」と考えると理解し易い。 けれども、これは@自由貿易、Aリスク分散と組合わせた政策によってこそ効果がある。自給率を高めるために、関税率を高めたり、国内農業の保護政策を進めたりして、結果的に保護貿易政策をとったならば、他国も保護貿易政策を選択することになる。 日本だけ農業保護を行い他国の農業保護政策を批判するのは「身勝手なわがまま」だ。日本が率先して「国内農業の保護政策」から「自由化政策に政策転換」することによって、日本の食料安定供給は推進されることになる。
<食料自給率の推移>  食料自給率の推移を農水省のホームページから引用しよう。「日本の食料自給率」 http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/012.html の「総合食料自給率の推移(カロリー・生産額)(昭和35年度〜平成17年度)(エクセル:21KB)」
<総合食料自給率の推移(カロリー・生産額)(昭和35年度〜平成18年度) %> 平成18年度は概算
項目\年度 昭和35年 40年 45年 50年 55年 60年 平成元年 5年 10年 15年 16年 17年 18年
穀物自給率 82 62 45 40 33 31 30 22 27 27 28 28 27
主食用穀物自給率 89 80 74 69 69 69 68 50 59 60 60 61 60
供給熱量総合食料自給率 79 73 60 54 53 53 49 37 40 40 40 40 39
生産額ベースの総合食料自給率 93 86 85 83 77 82 77 72 70 70 69 69 68

<国土面積に占める農地面積の割合(2001年) %> (注)日本は2003年(平成15年)の数値 
日本 英国 ドイツ フランス アメリカ
パーセント 13 70 48 54 43
http://www.maff.go.jp/www/counsil/counsil_cont/kanbou/kikakubukai/18/01.pdf「国土面積に占める農地面積」14P から

<食料自給率の変化>  昭和14年度86% 昭和21年度88% 昭和40年度73%
「C戦前・戦後と現在の食料需給の構造変化」http://www.maff.go.jp/www/counsil/counsil_cont/kanbou/kikakubukai/18/01.pdf から
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<自給率低下、2つの理由>  「食料自給率が40%を割って39%になった。大変なことだ」との危機感があるようだ。では、なぜ自給率が低下したのだろうか?理由は2つあると思う。 まず、「地産地消という保護貿易政策  食糧自給とは江戸時代の鎖国が理想なの?」と題して書いたホームページの一部を引用しよう。 http://tanaka1942b.hp.infoseek.co.jp/chisann.html#1-10 から
食料の完全自給は不可能  農水畜産物個々の生産性向上を目指しても、食料自給率100%は不可能だ。農産物に関して言えば、この狭い日本列島という限定された区域内では、食料の完全自給はできない。 その根拠は農水省のホーム・ページに書かれている。<食料自給率の低下と食料安全保障の重要性>を見て頂きましょう。 <国内500万haに加え、海外に1,200万haの農地が必要>と題されたところに次のように書かれたいる。
 このような私たちの食生活は、国内農地面積(476万ha(平成14年度))とその約2.5倍に相当する1,200万haの海外の農地面積により支えられています。 このため、農産物の輸入が行われなくなってしまうような場合には、大幅な食料の不足がひき起こされることとなります。
 これがどのようなことを意味しているかと言うと、日本列島の土地では、現在の3.5分の1の人口しか養えない、ということを言っていることになる。 別の表現をするならば、@食料自給率100%を達成するには人口を3,600万人程度に減らさなければならない。つまり、江戸時代の人口に減らさなければ完全自給は達成されない。 A生産性を3.5倍にしなければならない。B現在の1億2000万人の人口を維持するには、国民が現在の3.5分の1の食料で我慢しなければならない。
 農水省のこのホーム・ページを読んで、その行間の意を推測するならば「食料自給率100%を目指すなんてことが不可能なのだから止めましょうよ」「農水省の事務方として、そのような正直なことを言うと、農水省にいられなくなる。 まだ、国家公務員を退職したくないので、誰か意を汲んで下さい」「誰か、食料自給率100%を目指すなんてことが不可能だ、とハッキリ言って下さい」と言いたいのだと推測することになる。 <農水省事務方の苦悩>を参照のこと。
海外からの食料輸入が止まったらどうなるか?  農水省・最新食糧自給率表から予測されること──海外からの食料輸入がストップしたら、安定的に供給されるものは「米」だけ。毎食白米ばかりの食事、おかずが少なくなり「おにぎり」中心になる(納豆・豆腐・味噌・醤油は超贅沢品になる=大豆の自給率は3%)。米の供給に関しては、減反政策を止めれば十分米不足は起きない。 それよりも作りすぎて外国に輸出するとなると、他国の食糧自給率を引き下げることになるので、「自給自足論者」はこれを非難することになるだろう。もっとも食料自給率100%以上の国に対して「食料を外国に輸出して、他国の自給率を低下させている。輸出を自粛しなさい」との非難は起きないのは不思議なのだが……。 米以外では、飼料自給率が低いので、牛肉・豚肉・鶏肉・鶏卵の供給は減少し価格が高騰する。このように考えていくと、「いざという時」に備えるには、主食=米に関しては心配ないので、家畜用の飼料(トウモロコシ、グレーンソルガム=コウリャン)の安定供給システムを作ることが必要になる。
 「食料自給率が40%と低い。自給率を上げなくてはならない」との主張は「もしも、外国が日本に食料を輸出させなくなったら大変だ」が根拠になっている。 もっとも、そのように危機感を煽る人たちが「もしも、食料輸入がストップしたらこうなる」とのシミュレーションを発表したという話は聞かない。「国産品愛用運動」が少し言葉を変えた、農産物生産者とその周辺の利益集団のレント・シーキングと見るのが正解のようだ。
@<江戸時代は自給率100%>  平成19年7月1日の日本の人口は1億2,777万人。農水省のホームページによると「日本列島の土地では、現在の3.5分の1の人口しか養えない」ということになる。 単純に計算すると、「日本列島では3,650万人の人口しか養うことができない」となる。幕末の人口は3,000万人から3,400万人と言われている。食料を輸入していなかった江戸時代には食料自給率100%だったはずだ。
 このことから、「現代の食料生産能力は江戸時代からあまり変わっていない。せいぜい2割程度生産性が向上したかも知れない程度だ」と言える。幕末から食料生産能力があまり変わらず、同じ程度の食料が生産されていて、それで自給率が下がったというのは、 それだけ人口が増えたからだ、と言える。江戸時代から21世紀にかけて日本の食料自給率が低下したのは、「食料生産量は変わらずに人口が増えたからだ」と言える。 なぜそうなったのか?なぜ食料生産が増えなくて人口が増えたのか?それは、農業よりも生産性の高い、工業製品を輸出し、代わりに食料を輸入できたから。 「こんなに狭く、国土面積に占める農地面積の割合の低い日本で、扶養可能な人口の3.5倍もの人口を養えるだけの工業生産を発展させた日本の工業技術力の高さを誇るできだ」と思う。 つまり、「食料自給率が低いのは、それだけ工業生産力が高いと評価すべきだ」と思う。
 江戸時代から21世紀にかけて日本の食料自給率が低下したのはこのような理由が考えられる。
A<敗戦直後、昭和21年の自給率は88%と高かった>  明治維新後、日本では加工産業を発展させ、食料を輸入し、人口が増えていった。1929年、ニューヨークの株暴落から始まった世界恐慌は、世界をブロック経済へと変化させた。 先進工業国の多くは植民地を支配し、原材料を輸入し、工業製品を輸出した。後進工業国である、日本、ドイツ、イタリアはブロック経済からはみ出され、自前でブロックを作らなければならなくなった。 日本では、台湾、朝鮮、中国、満州、インドシナ半島を含めた「大東亜共栄圏」構想が誕生した。こうして、多くの人口を養うために自給地を広めていった。 昭和20年、1945年、大東亜戦争は日本の敗戦で終了した。日本列島以外の食料自給地はなくなった。人口は、列島以外の外地からの引き上げを含め、列島での養える人口を超えていた。 昭和21年の自給率88%とは、満足に食べての88%ではない。米の代わりにサツマイモを食べ、多くの栄養失調者を生みながらの88%であった。
 その88%が現在は39%になった。その理由はなにか?日本人のエネルギー源はサツマイモから米に代わり、そうして肉類に変化したことがその理由だ。 米の自給率は100%。その100%の米から10%以下の、牛肉、豚肉、鶏肉、鶏卵にエネルギー源が変化した。このことによって食料自給率が低下した。
<日本人がゆたかになって食料自給率が低下した>  日本の食料自給率が低下した理由として、長期的には生産性の高い工業製品を輸出することによって食料を輸入し、扶養可能な人口の3.5倍の人口を有するようになった。
 短期的にはサツマイモや米に代わり肉類が日本人のエネルギー源に代わったこと。長期的、短期的にこの2つの理由が考えられる。そうしてこの2つの理由の共通点は、「日本人がゆたかになった」ということだ。
 日本人がゆたかになって、外国から食料を買ってこられるようになった。サツマイモや米よりも肉類を主なエネルギー源とすることができるようになった。 「ゆたかな社会」とは、「財政政策の効果」「金融政策の効果」を変えたし、政党間の政策の差を少なくし投票率の低下を招いた。そして「ゆたかな社会」は、日本で食料自給率の低下を招いた。
 このことを嘆くべきことなのだろうか?ただし、「ゆたかな社会」を意識している経済学者はいない。農業関係者もいない。「ゆたかな社会」にどのような対処すべきなのか?答えを用意できる関係者はいない。
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<外国の事情に左右されないで安定供給できる確率>  「日本の食料自給率が40%を割って39%になった。大変だ」と言う。何故大変なのか?それは「外国の事情に左右されないで安定供給できる確率」だからだろう。 それならば、現在使っている「自給率」だけでは不備だ。カロリーベース総合食料自給率では牛肉・豚肉・鶏肉・鶏卵などで飼料自給率を計算に入れている。けれども今まで見てきたように、種鶏のこと、種子のことは計算に入っていない。 それらを計算に入れた自給率を問題にすべきなのだが、そうした計算例はない。具体的な数字は出せないが、種鶏・種子も「外国の事情に左右されないで安定供給できる確率」には大きく関係してくる、ということは配慮しなければならない。
 食料の安定供給はどのようにして保障するか?という問題を考える場合、@自由貿易、Aリスク分散、B自給率を問題にすべきなのだが、B自給率に関しては種鶏・種子も考慮して考えなければならない。 そうして、これらを総合的に捉えた「食料安保議論」がなされなければならない。
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<主な参考文献・引用文献>
( 2008年2月11日 TANAKA1942b )
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(9)農水省は何故ムリな目標を立てるのか? 
もう尊農攘夷論はヤメにしましょうよ
<自給率は向上しない>  現在食料自給率は、「カロリーベース総合食料自給率」をもとに議論されている。このカロリーベース総合食料自給率で今後自給率が向上するかと言えば、「ノー」と言うより他はない。 これが今まで見てきた過程だ。これはアマチュアが公表されている資料をもとに出した結論であって、よく調べれば誰でも分かる結論だ。 それでも農水省は「自給率向上」を訴える。農水省のお役人さんならば、誰でも食料自給率向上が絶望的であることが分かるはずだ。それにもかかわらず「自給率向上」を訴える。何故だろうか?
<農水省のお役人さんは、農政圧力団体に逆らえない>  農水省に所属し、自給率問題に取り組んでいれば「自給率向上は無意味」と分かるにしても、それを公の場で言い出すわけにはいかない。 「農水省事務方の苦悩」 で書いたように、周りの人たちが、「もう「尊農攘夷論」はやめにしましょうよ」と言い出さなければならないと思う。
<役職者になると言いたいことが言える>  圧力団体に弱いお役人さんも、肩書きがつくとけっこう言いたいことが言えるようだ。 農水省のお役人さんでも 「食糧自給率が3割を切ってはいけないという根拠は、何ですか?」 ということも非公式の場なら言い切ってしまう。 その例を山下惣一著『それでも農は命綱』から引用しよう。
<自由化派VS自給派の論争> 「なぜ、自らの食を放棄するのか 自由化派VS自給派の論争」 
 霞ヶ関のいわゆる”官僚”と呼ばれる人と飲んでいて、ちょっとした口論になった。 「山下さんねえ。農村で食えないというのは、住んでいる人の数が多すぎるということなんですよ」といい出したからである。
「だって考えてごらんなさい。田畑の面積は限られている。つまり、生産力に限界があるんですよ。だから住んでいる人の数が多いと分け前が少なくなる。したがって、農村では生活できないんですよ」
「ですから」と相手は、口を挟む隙を与えず続けた。「農村の人たちは半分、都会へ出ていらっしゃい。これから都市周辺の農地をどんどん転用して住宅建設を進めますから、そこへ移っていらっしゃい。そうすると、農村に残った人たちも生きていけるんです」
 はじめは冗談かと思って聞いていた。しかし、どうも本気でいっているらしいとわかって、”こいつは馬鹿か”と考えた。
「何をいうんですか」と私は当然、反論した。「村の人間は半分、都会に出てこいというけれど、若い者ばかり出ていっていまって年寄りだけが残されているのが農村の現実じゃないですか。残った者のパイは大きくなりませんよ」
「あのね、われわれ国の仕事というのは、国民をまんべんなく豊かにすることであって、なにも住みにくい農村に人を住まわせることじゃないんですよ。住みにくいところに無理に住まなくてもいいんです」
 のれんに腕押しという感じである。どうやら私などは、頼まれもしないのに条件の悪い農業と農村にしがみついて、愚痴や怨み事ばかりいっている不平分子に映るらしい。
 話題は、農業問題からコメの自由化に移った。
「結構じゃないですか」と相手は高らかにいい放った。「日本のコメ市場が自由になれば、日本向けのおいしいコメづくりのオリンピックが始まりますよ」
「そんなことしたら」と私はいった。「10年後には、日本の食糧自給率はカロリーベースで3割を切りますよ。穀物だけだと1割台まで落ちる。本当に農業のない国になりますよ」
 相手は落ち着き払って、こういった。
「食糧自給率が3割を切ってはいけないという根拠は、何ですか?」
「えっ!」私は絶句した。長い間たってから、何だろう、と考えた。別の言い方をすれば、なぜ、日本に農業が必要か、ということになる。本当に必要なのだろうか?なぜ必要なのだろう。
 もし、私が生産現場に生きる百姓でなかったなら、この尊大な官僚と同じ考えになっていたかも知れない。農業みたいな効率の悪い仕事を日本でやる必要はない。 日本人にやらせる理由はない。こんなものは外国人にやらせて、必要な分だけ買えばいいのだ。あるいは、日本人が外国へ出かけていって、現地人を使って作って、持ってくればよい。 そのことが相手国の経済発展にもつながる。
 たしかに、環境の悪化、人口増という不安要因はあり、世界的に凶作のとき、どうするかという問題は残る。が、世界に食糧が余っていても、買う金のない人たちは飢えているのだ。 つまり、食糧危機と同義語なのであり、自分たちは飢えても輸出する”飢饉輸出”もありうる。どんな事態になってもお金持ちが餓死しないように、経済大国であるかぎり飢えることはない。 強い円を生かして外国から安い食糧をどんどん輸入すれば、相手国も豊になり、ひいては日本の工業製品のマーケットにもなりうる。一方、国内では所得と実質購買力よの落差が解消されて、日本民族は有史以来の本当に豊かな時代を謳歌することができる。
 いずれにしても、世界のどんな国であれ、一国主義では生きていけない。お互いに相互依存を深め、物と人の交易交流も盛んになり、世界はまさに第2の「大航海時代」に向かいつつある……。
 こういう時に、やれ食糧の自給率を高めよとか、コメ自由化反対などと叫ぶのは、時代に逆行するばかりでなく、一国主義、鎖国主義につながる危険な姿勢でさえある。 今回のコメ不足にしても、一国だけで供給しようとしたから起きたことであって、常にいつでも不足に対応できる輸入のパイプを持っていたなら起きないですんだことだ……云々。
 こういう理論はたいへんわかりやすい。説得力がある。
 それに対して、「いや、そうではない。それは間違っている」と主張し、反論するのは容易なことではない。
 ──地球規模で考え、行動しよう──などと唱えている人たちからみれば、まことに愚劣な、重箱の隅をつつくようなせこい話に聞こえるかもしれない。 一人上目使いに虚空を睨んで虫歯をシーハシーハいわせるようないじましさに映るかもしれない。
 しかし、それでもなお、やはり、それは間違っているのだ。
<『それでも農は命綱』から>
<正義を主張すると農水省に居られなくなる==竹内直一氏>  農水省に入省し、生産者よりも消費者を重視した政策を実行しようとして、業界からの圧力により農水省に居られなくなったのが、後に「日本消費者連盟」を創立させた竹内直一氏であった。 簡単に紹介すると、次のとおり。詳しくは「「お客様は神様」の現代資本主義社会」を参照のこと。
 「消費者は王様なりと言うのは嘘っぱちで、実際は企業の横暴につねに泣き寝入りだ。企業には消費者のことなど頭にない。政府は企業べったり、官僚もまた縄張り争いと思い上がりで全く頼りにならない。 集会を開いて決議したり、チラシを配ったり、デモ、陳情、署名運動といった、それまでの形の消費者運動ではまるっきりパンチが効かないことを、痛切に感じていた。 それが私自身に消費者のために何かやってやろうという気持ちを起こさせ、消費者連盟を生む原動力になったのだ」
 竹内直一(大正7年生まれ)、消費者運動に身を投じる前は、農林省のエリート官僚の1人であった。しかし、竹内本人の表現を借りれば、「素人臭い」いくつかの行動が彼をエリートの座から追いやることになる。 彼が農林省から経済企画庁に出向して、発足したばかりの国民生活局の参事官として物価、消費者行政を担当していたとき、牛乳を安く飲もうという消費者の運動を経済企画庁が支持して、牛乳を値切って買うことを呼びかけた。 呼びかけから、時には消費者への作戦指導にまで進む。それは牛乳の小売価格引き上げを図ろうとしていた農林省や乳業メーカーの神経を逆なでするものであった。43年6月、追われるようにして官僚生活に終止符を打つ。
 竹内が京都に生まれたのは、1918(大正7)年、ロシア革命の翌年で、大正デモクラシーはなやかなりし時代であった。と同時に、この年、米価が暴騰し、善行各地で米騒動が起きた、混乱の時代でもあった。
 京都一中、第三高等学校、東京帝国大学法学部と、超エリートコースを歩み、同大学を卒業したのが、1941(昭和16)年、第二次世界大戦の真っ只中であった。彼の青春時代は、戦争の軍靴の足音と共に過ごさざるを得なかった。 と同時に、国の内外の民衆が、権力と軍国主義の抑圧のもとで、いかに呻吟・苦闘してきたかをつぶさに見ることができた。
 東大卒業の翌年1月、農林省に入省、食糧管理局、食品局、統計調査部などに勤務、続いて経済企画庁では、物価・消費者行政を担当した。まさに、食品行政、消費者行政の第一線の担い手であった。 農林省では、大臣官房、大臣秘書官など農林行政トップの下で、官僚や政治家の悪業の数々を注視してきた。
 このようなエリートコースを歩みながら、官僚帝国の安逸に染まることはなかった。1968年、牛乳一斉値上げ反対運動を先導したとして乳業各社の要求で退職を余儀なくされた。これをきっかけに、彼は、人生をまさに百八十度転換することになる。
 翌69年4月には、日本消費者連盟創立委員会を結成し、代表委員に就任、次々に大企業の不正を摘発し、消費者運動の旗手として活躍することになる。 60年代から70年代前半は、日本経済が高度成長を果たしたが、その一方で、食品禍、薬品禍、公害事件が頻発した。1970年は「安保の年」であるとともに「公害元年」と呼ばれた。
 1974年5月には、日本消費者連盟が発足し、代表委員に選出され、食品添加物追放、合成洗剤追放、企業犯罪告発、行政犯罪告発などの運動の戦闘に立った。 消費者運動でも農林省時代の体験、法制度の知識を十二分に生かしたことが、大きな成果を生み出すことにつながった。
(『官僚帝国を撃つ』から)
 同じ頃、高橋晄正氏・宇井純氏も似たような状況にあり、同じように日本の市民運動に大きな影響を与えた。この人たちの仕事は高く評価すべきだと思う。
<事務次官ともなれば奥さん同伴の接待ゴルフも省内では非難されない==防衛省>  役職者ともなれば、非公式な場面ではかなり言いたいことも言える。さらに、事務次官ともなれば奥さん同伴の接待ゴルフも省内では非難されない。 お役人の世界はこのようだ。「貿易立国日本では、食料自給率の向上は望めない」とは実際の現場担当者は言うことはできない。 周りの人たちはそうした状況を察してあげ、もう、こんな「尊農攘夷論」はやめにしましょうよ。
 竹内直一氏は立派な消費者運動を起こしたけれど、今の若い農水省のお役人さんたちを、農水省に居られなくなるような立場に追い込むのはやめにしましょう。
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<自給率向上のために何をするのか?>  愛媛農政事務所ホームページ http://www.ehime.info.maff.go.jp/jikyuuritsu03.htm に「どうすれば自給率があがるの?」という項目があったのでこれを引用することにしよう。
 どうすれば自給率があがるの?
 食料自給率向上のためには、政府はもちろん、生産から消費まで、食料に関係する全ての方のご協力が必要です。
関係者の主体的取組例
地方公共団体
(都道府県、市町村など)
地域の食料自給率や地産地消の取組の目標を定める。
(○○市では野菜の自給率100%を目指す!)
農業者 買い手のニーズを積極的に把握し、農産物を生産する。
(地元の食品工場が要望している、特定の栄養価が非常に高い品種を栽培する!)
農業団体
(農協など)
地域の農産物の需要・生産を拡大する。
(地元の農産物直売所を通じて地産地消を進める!)
食品産業
(食品加工業、外食産業など)
適切な食品表示による正確な情報を提供する。
(食材の原産地表示を徹底する!)
消費者・消費者団体 栄養バランスの改善や食べ残しを減らすなど、食生活の見直しを心がける。
(ごはんを中心とした朝食を毎日きちんととり、食べ残しが出ないよう、たくさん作りすぎない!)

 「ごはんを中心に肉や油は控えめに、野菜をたっぷり使った食事を心がけましょう」
 肉類や油のとりすぎは様々な生活習慣病を引き起こす原因にもなっています。ごはんを中心に、野菜をたっぷり使ったバランスのよい食事を心がけましょう。
 (T注) 「ゆたかになったからと言って、敗戦直後のあの食糧不足、栄養失調時代を忘れないよう肉類は控えましょう」
 「食べ残しを減らしましょう」
 現在の日本では、食品の廃棄・食べ残しが非常に多くなっています。食料を大量に輸入して大量に捨てていることは問題であり、環境問題においても改善が必要です。
 (食料の無駄な消費を減らし、食料全体の消費を抑えることは、食料輸入の必要性を抑えることになります。)
 (T注) 「ただしメタボが心配な人は、ムダを怖れずにダイエットに励みましょう」
 「地元でとれる食材を日々の食事に活かしましょう」
 私たちが住んでいる土地には、その風土や環境に適した農産物が育ちます。身近でとれた農産物は新鮮です。一人一人が地元でとれる食材を選ぶことが、地域の農業を応援することになります。
 (T注) 「バナナは贅沢です」「ダイズの自給率は5%。納豆、豆腐、味噌、醤油の原料であるダイズはアメリカの契約農家に作ってもらっています」
 「「いまが旬」の食べ物を選びましょう」
 「旬」の農産物は、もっとも適した時期に無理なく作られるので、余分な手間や燃料などを必要としません。味もよく、栄養もたっぷりで、体にも環境にもやさしい食事が実現できます。
 (旬をはずれた農産物を作るには多くの手間とエネルギーが必要ですが、一方で、旬をはずれた農産物を、日本とは季節や気候の違う外国から輸入している場合も多く、食料輸入の増加の一因になっています。)
 (T注) 「穫れすぎた農作物は最新の技術で保存されて市場に出回りますが、これにより季節感が薄れています」
<これで食料自給率は向上しますか?>  「健康のための食生活」「無駄をなくして資源を大切にしましょう」「地産地消」「食材の美味しい食べ方」。 こうした食育のためのスローガンとしては適切な標語ではあるけれど、自給率向上にはならない。
 「大規模農業」「担い手と集落営農」などの標語も反論はし難いが自給率向上への具体策は生まれない。
農水省のお役人さんたちはみんな分かっているのです。「自給率向上なんて難しいことだ」と。けれどもそれをハッキリ言うとどうなるかも分かっている。 そこでこうした「自給率向上対策」が出てくることになる。もうこんな「尊農攘夷論」はやめにしましょうよ。
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<主な参考文献・引用文献>
『それでも農は命綱』            山下惣一 家の光協会  1994.10. 2 
『官僚帝国を撃つ』             竹内直一 三一書房   1997. 4.30
( 2008年2月18日 TANAKA1942b )
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(10)種子会社は「F1コシヒカリ」を育成せよ
「農業先進国型産業論」を再び主張する
 外国の事情に左右されないで安定供給できる確率を高めるにはどうしたら良いのだろうか? 農水省の政策を批判したのだから、それに代わる代案を出さなければならない。TANAKAの主張は<種子会社は「F1コシヒカリ」を育成せよ>だ。
 鶏肉・鶏卵、ブロッコリーで分かったように「食料自給率」の数字だけでは「外国の事情に左右されないで安定供給できる確率」を求めることはできない。 米は現在自給率100%ではあるけれどいずれ自由化される。以前に、「米が輸入自由化されたらどうなるか?」についての研究が行われた。 東京大学グループは「米の自給率は20%になってしまう」と言い、青山学院大学グループは「それでも20%は確保できる」と結論づけた。 悲観論、楽観論の違いはあっても20%という数字は同じであった。ただしこの数字は「重量ベース自給率」で「カロリーベース総合食料自給率」の考え方は取り入れられていない。 「外国の事情に左右されないで安定供給できる確率」という視点に立って考えると、もう一歩踏み込んだ見方が必要になる。 それは「将来は米もF1ハイブリッドライスが主流になるだろう」との見方だ。中国ではF1ライスが普及していると言う。 食料安保戦略から言えば、「F1ライスを育成することによって世界の米生産市場をコントロールすることができる」。
 日本のコメ市場開放を狙って各国の政府、農業団体、農業経営者が戦略を練っている。日本へ輸出する品種は「コシヒカリ」「あきたこまち」が主流になるだろう。 日本の種子会社が「F1コシヒカリ」「F1あきたこまち」を育成し、日本の消費者がこれを受け入れるならば、他国もこの品種を栽培し日本に売り込むことになるだろう。 このとき、日本の自給率が20%になったとしても、種子のシェアが80%とすれば、0.2+0.8X0.8=0.84 つまり実質的な自給率「外国の事情に左右されないで安定供給できる確率」は84%ということになる。
 「品種改良にみる農業先進国型産業論」の<ハイブリッドライスの可能性>で書いたように日本の品種改良関係者には中国のF1ライス育成に対する危機感は全くない。 「食料安保」意識もなければ「品種改良先進国」のプライドは感じられない。
<花粉症緩和米>  日本では遺伝子組み換え技術を応用した花粉症緩和米の研究が進んで、実用化に近づいた。 けれどもこれは、遺伝子組み換えであるという理由で反対が強く、農作物ではなく医薬品として扱われることになり、実用化には大きな壁が立ちはだかる。
 遺伝子組み換え農作物では食用・飼料用を中心にイネやダイズ、トウモロコシなどの研究が進んでいるが実用化へのめどは立っていない。
 イネをはじめとする農作物の遺伝子組み換えに関しては、「遺伝子組換え植物(GMO)の安全性確認状況」 を参照のこと。
<中国のハイブリッド米がコシヒカリより美味くなったらどうなる?>  中国ではハイブリッド米が実用化されている。これに対して日本の科学者たちの反応は鈍い。危機感もプライドも感じられない。 もしも中国でのF1ハイブリッド米がコシヒカリ並の旨さになったらどうなる?日本の農家は中国から栽培用のF1コシヒカリの種子を買い、それを栽培することになる。 「米は日本の文化だ」などと言っていられない。
 日本の消費者も農家も、中国から種子を買って、それでコシヒカリを栽培することに何の抵抗も感じないのだろうか?そうした危機感を持たないのだろうか? 日本にとってコメ栽培とはその程度のことでしかないのだろうか?「農業は先進国型産業である」「品種改良にみる農業先進国型産業論」などと言っていても、 日本がコメの品種改良の後進国になり、他国から種子を買い入れることになるかも知れない、そうした危機感が、農業先進国としてのプライドが感じられない。 このままでは、日本の農業は労働集約型の、汗を流すことに意義のある「発展途上国型産業」になってしまう。「土の臭いのしない人の意見は聞かない」少人数の特殊な人たちによる、 「生きることもなく、死ぬこともない」職業(百姓は生かさず、殺さず)になってしまう。
<コメ栽培の技術改革を>  インターネットの農業問題の掲示板で、農業関係者ではない者の意見に対して「土の臭いのしない者の意見は聞かない」と批判することがある。 農業問題を論じるには田畑で汗を流した者だけに発言権があるかのように言う。「鍬を持つ汗の匂いがしな」とか、部外者の発言に関しては「学者の戯言」「理論のための理論」などと表現し意見を無視する。 そこには「農業は労働力集約型の発展途上国型産業だ」との意識があるものと思われる。けれども、日本の品種改良の成果を振り返ってみれば、そしてアメリカの産学協同路線を見れば、「農業は先進国型産業である」ということが理解できるはずだ。
 現在、コメ自給率は100%になっている。しかしこれは高い関税に守られてのことなので、いずれは関税率は引き下げられ、コメの輸入自由化が始まるだろう。 そうなる前に、コメ作りを先進国型産業に変えれば良い。コメ作り産業、まだまだ技術改良の余地は多い。研究者への期待も大きい。 どのようなところに研究改良の問題があるか、アマチュアが思いつくだけでもかなりある。
 ハイブリッド米、遺伝子組み換え米については書いた。コシヒカリの直播はかなり前から実験されていながら実用化はされていない。氷点冷蔵に関しても実用化にはほど遠いようだ。 香り米もその効果は評価されていながら商売としては成功していない。インディカ米はチャーハンやカレーライスには適していると言われながら日本での栽培は進まない。 IR5、IR8などは東南アジアで期待されながら栽培の面倒なことであまり成果が上がっていない、けれども日本でコシヒカリを栽培する事を考えるならば日本の農家では十分な成果があげれられると思う。 こうした技術を組み合わせて、コシヒカリよりもうま味は落ちても生産性の高いコメを栽培し、香り米を加え、氷点冷蔵で収穫後のうま味を熟成させる、このようなことも研究の余地があると思う。
 日本人は農耕機具に関して多くの改良を施してきた。品種改良だけでなく生産方式、生産用具、品種の違うコメのブレンド技術など、日本の米作りに関しての技術改良の余地はイッパイある。
 農業にコンピュータを活用した例としては、天候・気候を予測し、ライバル生産地の出荷予定日を予測し、こちらの出荷日をずらすことによって市場で高く取引できるよう、システムを組んでいる人たちがいる。 これは「農業は先進国型産業」の典型と言えるだろう。
 「土の臭いのしない者の意見は聞かない」と言い、農業を労働力集約型の発展途上国型産業にしておくか、それとも外部の意見を聞きながら、知識集約型の先進国型産業に育て上げていくか?
 とは言ってもそれぞれの農家にとって、先進国型産業であるよりも国からの補助金をたよりに汗を流す労働力集約型の産業であるほうがストレスもたまらず、気楽な農作業だと言えそうだ。 自給率向上、先進国型産業としての農業よりも、「鍬を持つ汗の匂いがする者同士」で汗を流しているほうが気楽だし、特に後継者不足の年寄りにとっては、日進月歩で進歩する技術を追いかけていくストレスの溜まる農業よりも、望ましい日本農業の姿であるに違いない。
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<総合的な食料安定供給戦略の作成を>  このホームページでは「食料自給率を上げる方法は?」と題して書いている。日本の農業問題、食料問題に関してはこの他に「日本の農政はどうあるべきか?」とか「農業の後継者不足にどう対処すべきか?」とか 「都市と農村の所得格差をどう縮めるか?」など、多くの問題がある。そして、これらがこんぐらかって議論されている。 つまり「食料自給率を上げるには?」との問いに対して「農業の活性化」を主張したり、「自然環境保護のために農業は必要だ」とか「農業への補助金を増やすべきだ」といった、自給率向上とは違ったことに答えていることが多くみられる。
 自給率向上のためには何を為すべきか?農業後継者不足をどうするか?など、それぞれの問題に対して検討し、それらを総合的にまとめる必要がある。
 後継者不足に対しては「農業は儲かる」と印象づければ良い。そのためには補助金を増額するのも方法だ。農業の構造改革を主張するなら、「補助金を削除して自由競争を促進し、生産性向上を目指すべきだ」、が答えになる。 それぞれの問題に対しての答えは、それぞれ相反する答えになるかも知れない。それらを総合的に捉えて答えを出さなければならない。
 そのためにも「自給率向上には何が必要か?」をハッキリさせる必要がある。
<自由貿易とリスク分散と自給率>  食料の安定供給には「@自由貿易とAリスク分散とB自給率」がポイントになる。
 @自由貿易 当たり前のことだけど、議論する場合忘れがちになる。農水省のホームページ 「食料自給率の低下と食料安全保障の重要性」http://www.kanbou.maff.go.jp/www/anpo/sub13.htm には次のような文章がある。 ● 国内500万haに加え、海外に1,200万haの農地が必要 このような私たちの食生活は、国内農地面積(476万ha(平成14年度))とその約2.5倍に相当する1,200万haの海外の農地面積により支えられています。
 このため、農産物の輸入が行われなくなってしまうような場合には、大幅な食料の不足がひき起こされることとなります。
 つまり日本では食料自給率100%は不可能だということになる。だから海外から食料を輸入するということは避けられない。それには自由貿易が保証されなければならない。 保護貿易政策が台頭してくると食料安定供給が不安になる。政策担当者は自給地を広めようなどと考え、「大東亜共栄圏」などという幻想を抱くことになる。 従って日本が率先して関税障害を設けたり、保護政策を実行したりして、他国がそれに追従して保護貿易政策が大手を振るうようになると安定供給が不安になる。 当然のことであるにも拘わらず、忘れがちになる。
 Aリスク分散 農作物の収穫量は天候・気候に左右されやすい。「だから、自給率を高めよ」は間違っている。 「だから、供給地・供給国を多くせよ」が正しい。このことは「もう「尊農攘夷論」はやめにしましょうよ 安定供給のためには、自給率を下げること」と題して、 2001年5月14日に書いた。そしてリスクを分散させる関税率の工夫についても書いた。
 B自給率 今回書いている自給率とは、「外国の事情に左右されないで安定供給できる確率」と考えると理解し易い。 けれども、これは@自由貿易、Aリスク分散と組合わせた政策によってこそ効果がある。自給率を高めるために、関税率を高めたり、国内農業の保護政策を進めたりして、結果的に保護貿易政策をとったならば、他国も保護貿易政策を選択することになる。 日本だけ農業保護を行い他国の農業保護政策を批判するのは「身勝手なわがまま」だ。日本が率先して「国内農業の保護政策」から「自由化政策に政策転換」することによって、日本の食料安定供給は推進されることになる。
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<NIRA報告書から> TANAKA1942bは「農業は先進国型産業である」との考え、すなわち「農業は日本のような先進国に適した産業で、研究開発に熱心な日本人にこそ適した産業だ」と考える。 「農業先進国型産業論」という考え方は「農業自立戦略の研究」(通称「NIRA報告書」)に書かれたのが最初ではないか、と思う。 「NIRA報告書」をまとめた叶芳和氏が農業問題に発言しなくなってから、「農業先進国型産業論」は聞かれなくなった。「NIRA報告書」の姿勢を引き継ぎながらも、そこでは扱われなかった側面から、日本の農業を考えようと思っている。
 「NIRA報告書」で叶芳和氏等が農業をどのように考えていたか?以前にも「品種改良にみる農業先進国型産業論」で取り上げたのだが、報告書の初めの部分を引用しよう。
 日本農業が直面している高価格、過剰供給(生産調整)、低自給率等の諸困難は、解決可能な課題だと考える。さらに、諸外国の農業者にわが国市場へのフリー・アクセスを与えることも可能だと考える。 農業は先進国で比較優位をもちうる産業である。日本は先進国であり、農産物の輸出国にさえなれる潜在的条件をもっている。この条件をいかに生かすかが重要である。技術革新と規模の利益を実現させるシステムを設計することが肝要である。(中略)
 農業をいかなる産業と把握するかで、農業に対する政策体系は異なる。農業を「後進的な産業」ととらえた場合、国内の自給体制の維持をめざす限り、過保護農政に走ることになる。われわれは、農業は研究開発ならびにヒューマン・キャピタル(人的資本)の蓄積が他産業以上に重要であると考える。 それ故、農業は本来なら先進国で比較優位をもちうる産業であり、最も「先進国型」の産業であると考える。輸入制限がなくても、わが国で農業が発達する条件が潜在的にはあると考える。
<農地売買の自由化を>  「開発独裁」という言葉がある。発展途上国で政府が協力な権力によって経済発展を推し進めるために、独裁的な制度を設けることだ。 東南アジアの一部の国で、独裁的な権力で政府が経済成長を推し進めた国がある。独裁という言葉に抵抗を示す人も、経済成長のためならば致し方ない、との考え方をする人もいる。
 これは発展途上国でのこと。ある程度経済が成長すると、独裁ではなく、企業の自由な活動が経済を成長させる、との考えが強くなる。 日本の場合も、終戦直後は「経済安定本部」を設けて、政府が主導力を発揮して経済を建て直すことに成功した。その後、ドッジライン以後、民間主導の経済体制になった。
 この例は、発展途上国型経済から先進国型経済に移行したと考えられる。産業界が幼稚な時期には政府の保護政策が有効な場合もあるが、産業界が成長してくると政府の保護はむしろ成長にとって邪魔になることが多い。 そこで、日本の場合は「官に逆らった経営者」が出てきた。
 農業もこうした例を参考に考えると、これからは「先進国型産業」として、政府の保護・干渉を少なくして、自由な企業活動を促進する政策に転換すべきだと考える。 「先進国型産業」への転換を促す政策の主要なものが、「農地売買の自由化」と考える。
 農地売買を自由化することによって、@その土地を一番有効に活用できる自信のある者が高い入札価格を示すことになる。 その土地から、一番収益を上げる自信のある個人あるいは企業がその土地を購入することになる。高い価格で購入した企業が、その土地を有効に利用できないからと言って何も利用せず、遊ばせておくことは考えられない。 もし、思ったほど利用できないとなったら、その土地を売りに出し、二番目に有効利用できる自信のある個人・企業がその土地を購入することになる。 その土地にとっても一番有効に利用できる自信のある個人・企業が保有するのが良いことだと思う。土地売買を自由化することによって土地の資産価値が上がり、担保価値が上がり、農業経営の資金手当の手段が増えることになる。 売買が自由にできないと、有効利用できない者が何時までもその土地の所有者になっていて、土地が有効利用できないで、遊ばされることになる。
 A土地を所有しながら、農業後継者がいなくて土地を遊ばせている人、本当は農業を止めたいと思っている人は、農地を売り、その代金で他の事業を始めたり、あるいは老後の生活資金にすることもできる。 この場合、農地売買が自由化されていれば購入希望者が多くなり、売却代金が高くなる期待が持てる。つまり、この場合は農業を止めたいと思っている人にも「農地売買」は喜ばしい制度、と言うことができる。
 土地の売買を不自由にして、人を農地に縛り付けておく制度は「農民は生かさず、殺さず」の制度に近いものだ。「政府の関与はなるべく少なくして、自由な生産活動を保証する、先進国型の産業制度に変えるべきだ」と考える。
 「労働力集約型産業」から「知識集約型産業」(「先進国型産業」)へ政策変更すべき時期に来ていると思う。そして、その具体的な政策の第一歩が「農地売買の自由化だ」とTANAKAは主張する。
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<主な参考文献・引用文献>
『農業自立戦略の研究』(通称「NIRA報告書」)                総合研究開発機構 1981. 8. 1
『コシヒカリの直播栽培』             姫田正美・今井秀昭・井村光夫 農山漁村文化協会 1999. 3.31
『農業技術を創った人たち』                      西尾敏彦 家の光協会    1998. 8. 1
『古代からのメッセージ』 赤米のねがい                安本義正 近代文芸社    1994. 3.10  
『日本の食料問題を考える』                伊藤元重+伊藤研究室 NTT出版      2002.10.17
( 2008年2月25日 TANAKA1942b )
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