趣味の経済学
当世物価問題考
内外価格差問題
当世物価問題考
内外価格差問題
「東京の物価が世界一高い」「それはいいことだ」(前) ( 2002年6月17日 )
「東京の物価が世界一高い」「それはいいことだ」(後) ( 2002年6月24日 )
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趣味の経済学
アマチュアエコノミストのすすめ
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2%インフレ目標政策失敗への途
量的緩和政策はひびの入った骨董品
(2013年5月8日)
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FX、お客が損すりゃ業者は儲かる
仕組みの解明と適切な後始末を
(2011年11月1日)
内外価格差問題
「東京の物価が世界一高い」「それはいいことだ」(前)
<物価問題をどう捉えるか?>
インターネットの掲示板からヒントを得て、物価問題を取り上げることにした。先ず、どのように捉えるか?問題をどう切り取るか?が問題になる。この点が曖昧だと、話の行き先が定まらず、単なる政府・当局非難のカッコー悪い、みっともない論法になってしまう。
物価問題をどのように捉えるか?
(1)東京の物価をニューヨーク、パリ、ロンドンなど先進諸国の主要都市と比べる「内外価格差問題」との捉え方。マスコミで取り上げると「東京の物価は世界一高い。住み難い都市だ。政府の対策が必要」となるだろう。ところがどっこい、「世界の主要都市と比べて、東京の物価が高い」ということは、「東京は世界一生活しやすい都市だ」となる。ポイントは、物価を米ドルに換算して表示する、ということ。つまり円ドル為替相場の仕組みを理解すれば、分かることだ。
(2)日本国内、東京とその他の都市、農村部などと比べる「地域価格差問題」との捉え方。工業製品価格の地域格差はあまりない。サービス価格が少しあって、一番格差があるのは土地価格・家賃だろう。これに関しては「農業が栄えると、東京の家賃が下がる」との命題について論じようと思う。 さらに物価水準などを参考に「住みやすい都市、生活しやすい県」等の問題。
(3)暦年比較、「昨年に比べてどうだったか?」との捉え方、「インフレ・デフレの問題」だ。これに関しては理論書・解説書が沢山出版されているので、アマチュアの出番はないかもしれない。ユニークな見方が出来るようなら書きます。出来なければこのHPではパス。 経済学の常識「インフレは、いついかなる場合も貨幣的現象である」を忘れないこと。
(4)ある特定の物価についての研究。ある特定の商品が「価格破壊」と言われるほどに安くなった、その理由と影響の解明。低価格紳士服、ビールと発泡酒、外食産業などが対象になる。
(5)生産コストと小売り売価の関係。「薬九層倍」などの問題。経済倫理学に近い捉え方になる。
(6)所得と物価の関係。いくら物価の安い国でも、そこの所得水準が低ければ「住みたい国」とは言えない。この場合は「エンゲル係数」が問題になる。
物価問題、このようにいくつかの捉え方ができる。まず(1)から始めるとして、どこまで書けるか?ユニークな視点が定まったら、以後断続的に書くとして、いつもながら、私の個人的な趣味にお付き合いのほど、よろしくお願い致します。
<円安になると東京の物価が下がる?>
東京の物価をニューヨーク、パリ、ロンドンなどと比較する場合、それぞれの国での物価を米ドルに換算して比較する。東京の物価の場合、為替の変動によって評価がどのように変わるか考えてみよう。
円高に振れると・・・ 円ドル相場が1ドル=120円の場合、東京で120円のものと同等のものがニューヨークで1ドルとする。どちらも1ドルと表示される。 1年後に1ドル=100円になったとしよう。そうすると東京で120円のものは、1.2ドルと表示される。「東京はニューヨークに比べて20%も物価が高い」「政治家、官僚、経済学者の怠慢だ」との批判の声があがる。しかし東京での価格は1年前と変わっていない。庶民生活には変化なし。
円安に振れると・・・ さらに1年後、今度は1ドル=141円の円安になったとすると、東京での価格は0.85ドルと表示される。「東京の価格はニューヨークに比べて安い」となる。もっともこうなったからといって、政府を褒めたりする評論家やマスコミはない。日頃政府を攻撃し、反権力のポーズを取っている立場上、ここで政府の政策を褒めたりしたら沽券にかかわるからだ。そしてこの場合も東京での価格に変化はない。東京人の生活には変化なし。
この3年間の日本の物価は、私たち庶民には「変化なし」と感じる。しかしドル建て表示の「世界物価統計表」(そんな資料があるかどうか分からないが、ここでは仮にそうした統計資料があると仮定して話を進める)では「日本の物価はこの3年間、上がったり下がったり、乱高下が激しい」と評価される。
輸入品の価格はどうなるか・・・ 今までみてきたのは東京での国産品の価格と、ニューヨークでの米国産品の価格の比較。今度は東京での価格を米国産の輸入品に置き換えてみる。初年度、1ドル=120円の時点で、米国産の輸入品価格は120円。ドル表示は1ドルとなる。次の年、1ドル=100円になると、この商品が東京では83円で売られることになる(輸送費・関税・販売手数料などの取引費用は、この際除外し計算する)。この場合も米ドル表示は1ドル。次の年1ドル=141円になったとしよう。すると1ドルのアメリカの製品が日本では141円で売られる。これだけ高くなってもドル表示は1ドル。ドル表示の「世界物価統計表」で「日本の物価は1年前、2年前と変化なし」と評価される。実際東京での価格は、乱高下しているのだが。
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<インフレやデフレになるとどうなるのか?>
日本で120円で売られていたものが、インフレで144円になったとしよう。この場合私たちは「生活必要経費が2割上がった」「物価が上がって生活が苦しくなった」と感じる。では「世界物価統計表」ではどのように評価されるか?(1)為替相場が1ドル=120円のままならば、「日本の物価は20%アップした」と評価される。(2)購買力平価どおり1ドル=144円になれば、「ドル建て表示に於いて、日本の物価は変化なし」と評価される。「こんなに物価が上がったのに、世界物価統計表の資料編集者は日本の実体をまったく分かっていない。IMFや格付け会社と同じようにアメリカ人は他国の実状を理解しようとしない」と非難する評論家気取りが出るだろう。
こんどはデフレになった場合。120円だったものが100円になったらどうなるか?(実際にはこれほど大幅なデフレは滅多にない。デフレ・スパイラルと政府の政策を激しく非難する評論家が出る今日、それでも前年比1.1%の物価下落程度。20%の下落がどの程度のデフレなのか、想像がつかない)。
(1)為替相場が1ドル=120円のままならば、「日本の物価は20%下落した」と評価される。「物価が下がって生活が楽になった」とは評論しない。それは素人意見。「物価が下落した。先行き成長が止まり、デフレになる恐れあり」となる。(2)購買力平価どおり1ドル=100円になれば、「ドル表示で変化なし」となる。
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<購買力平価が働かない場合>
購買力平価とは──「purchasing power parity theory 自由変動為替相場制のもとで、日々変動する外国為替相場に中心ないし基準となる均衡為替相場があり、それは自国と外国の物価水準の比によって定まるとするG.カッセルの説。この均衡為替相場を購買力平価という・・・。」平凡社「大百科事典」から
上記の説明は経済学者の答え。アマチュア・エコノミストは次のように言う。 「変動相場制では、貿易財の物価水準は各国とも同一レベルになるように、為替相場が変動する」と。従って国によってばらつきがあるとすれば、購買力平価以外の要因が強く働いているに違いない。
東京の物価が世界一高いということは、「ドル建て表示すると高い」ということだから、円が安くなれば、「東京の物価は安くなった」となる。別の言い方をすれば「円が購買力平価以上に高く評価されている」となる。
では購買力平価以上に円が高くなっているのは、何故だろう?その要因としては次のことが考えられる。
(1)日本の金利が高くなって、円に対する需要が大きくなっている。ただし経済が成長し、日本国内での資金需要が高まったためであり、インフレを押さえ込む調整インフレのためだったら円相場が高くなることはない。
(2)日本経常収支が黒字基調で円に対する需要が大きい。ただしこれには別の主張もある。「経常収支黒字=資本収支赤字、つまり貿易黒字とは資本収支赤字があってのこと」との主張もある。(A)貿易黒字が円高の原因である。(B)貿易黒字は資本収支赤字の結果であり、円高の主要な要因ではない。むしろ(1)の金利差こそ主要な原因である。
さてこの論争、どちらに軍配を揚げるか?実は当代一流の論客が論争していて、アマチュア・エコノミストは立ち入ることの出来ないほど燃えている。ここでは(A),(B)それぞれを紹介するに留めておこう。
(A)「貿易黒字が円高の主要な要因である」
レスター・サロー「資本主義の未来」山岡洋・仁平和夫訳、TBSブリタニカ、1996年
リチャード・クー「良い円高、悪い円高」東洋経済新報社、1994年
リチャード・クー「投機の円安、実需の円高」東洋経済新報社、1996年
赤羽隆夫「日本経済探偵術」東洋経済新報社、1997年
(B)「貿易黒字は資本収支赤字の結果であり、円高は高金利による」
野口旭「間違いだらけの経済論」ごま書房、1999年
小宮隆太郎「貿易黒字・赤字の経済学」東洋経済新報社、1994年
岩田規久男「日本型平等社会は滅ぶのか」東洋経済新報社、1995年
竹森俊平「世界経済の謎」東洋経済新報社、1999年
(3)日本経済に対する期待が高い場合。その逆で、将来の不安がある場合、「ジャパン・プレミアム」等と称して日本の金融機関などに対する融資の金利を高くしたりする。こうしたカントリー・リスクがあると円安に振れる。円高とは「強い円」と言われるように日本経済に対する信頼が高いとき、と言える。
(4)(1)-(3)の場合であって、政府が為替市場に介入しない時。日本経済が芳しくない時は、やたらと介入したがる。先行きに不安がなければ、泰然自若としていられる。つまり為替介入しない時とは、景気のいいときに違いない。
このように見てくると、ドル建て表示の「世界物価統計表」で「東京の物価が世界一」になるのは、「日本経済の将来に世界中が信頼している時」、であり、「円高により、外国製品を安く買うことができ、日本経済は安泰」「東京人にとって、東京が住み易い都市」の時となる。
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<頭の体操です>
「経常収支黒字=資本収支赤字、つまり貿易黒字とは資本収支赤字があってのこと」を前提に考える。日本を困らすには、かつてABCDラインが日本との貿易を制限した。しかしこれからは出来ない。日本との貿易を制限したら、その国の経済が成り立たない。それほど世界貿易での日本の存在は大きい。ではアメリカ始めアジア諸国が日本からの投資を制限したらどうなるか?日本からの投資を制限したら、日本経済は資本収支が赤字にならない。ということは経常収支が黒字にならない。これで日本の輸出産業は打撃を受ける。コメ自給派の中には「コメを輸入に頼ると、輸出国が共同で日本への輸出を制限したら困る」との意見がある。しかし共同して輸出制限するのは難しい。
そこで、「コメ自由化への試案 =1=もう「尊農攘夷論」はやめにしましょうよ」▲でも書いたのだが、「日本に対する経済封鎖は、貿易を制限するのではなく、日本からの投資を制限する方が効果がある」となるのだが、この推論は正しいのだろうか?
こういう意見もある「アメリカは自国のドルが基準通貨であることをいいことに、貿易赤字を垂れ流し、日本からの投資を当てにしている。困った事だ」と。困った事なのか?もしアメリカが日本からの投資に頼らなくなったら、日本の資本収支が赤字にならず、経常収支が黒字にならず、日本の方が困ってしまう。「どうかアメリカさん、これからも赤字を垂れ流して、日本からの投資を受け入れてください」となる。このお願いごとは正しいのだろうか?
<「頭の体操」の答え>
( 2002年6月17日 TANAKA1942b )
当世物価問題考
「東京の物価が世界一高い」「それはいいことだ」(後)
<日本の物価、この10年間安値安定>
「世界物価統計表」で見ると日本の物価は、大きく上げたり下げたりしている。円ドル為替相場、1995年に1ドル80円の円高、1998年には1ドル145円の円安。これを「世界物価統計表」で見ると1995年の東京の物価はニューヨークの1.5倍。ニューヨークで1ドルのものが東京では1ドル50セント。それが1998年になると、東京の物価がニューヨークの0.83倍。つまりニューヨークで1ドルのものが東京では83セントで買える。東京の物価が諸外国に比べて「安い」とか「高い」と言うのはこうした数字を基準にして言っているわけで、指数で表示すれば、この10年ほどで150から83の間で乱高下したことになる。
では実際の物価はどうか。ピッタリの統計が見当たらなかったので、なるべく近い統計を引用しよう。先ず「全国消費者物価指数」、2000年を基準にして97年6月からの統計、一番高い月で101.1、一番低い月で98.2。これで見る限り、消費者物価指数の一番高い月と一番低い月の差が、たったの2.9%。
「国内卸売物価指数」で見ると、1995年を基準にして1997年6月からの数字、100を超える月はなく2002年5月に最低の92.7。
このように日本の物価はこの10年ほど、徐々に下がっていて、それでも10%以内。庶民の立場で言えば、「安値安定で、とてもいいことだ」となる。それでは「東京の物価はニューヨーク、パリ、ロンドンに比べて高い。問題として取り上げないエコノミスト、対策を打たない政府の怠慢だ」との批判は一体なんだったのだろう?
<それでも物価安にしたい場合>
それでも「物価高は良くない、政府は対策を打つべきだ」との主張は出るだろう。そこでその「対策」について考える。「世界物価統計表」で「東京の物価は世界一高い」と書かれないようにするにはどうしたらいいか?
(1)このまま不況が続き、デフレスパイラルが止まらない、(2)国債の格付けがもっと下がり、円安が進む。これで日本の物価高は収まる。そこで私たち国民に出来ること──「贅沢は敵だ」のスローガンのもと、節約し、贅沢品を買わない。これでメーカー・小売店は品揃え・サービス揃えを低価格へシフトする。総需要不足によりさらにデフレが進む。日本経済の先行き不安から円安が進む。このように国民の意識改革をすれば(マインド・コントロール)「世界物価統計表」での物価は下がる。つまり内外価格格差が小さくなる。
例えばこういうケース。「物価問題国民運動」などという看板を掲げ、「贅沢は敵だ」のスローガンと「節約」を呼びかける。「物価」だけでなく、「資源保護」「環境保全」も同時にアピールすると支持を得られやすい。NPOとしての法人登記ができれば権威が高まり、活動しやすくなる。企業に働きかけ、寄付を求め、チラシ・ポスターを作り、街頭での署名運動をする。新聞への投書も有効だ。新聞の投書欄を見ても分かるように、そちら側からの投書は掲載されやすい。NPO,NGO、環境保護、弱者保護、政府批判の投書は採用されやすい。当然、今までこうした運動の経験者が多く集まるので、活動は生き生きとしたものになる。
どういう結果が生まれるか?例えばこうだ。贅沢品が少なくなり、低価格商品が増え、平均価格が下がる。個々の商品のコストダウンがなくても、売り上げ不振から問屋・小売店での投げ売りもあり、物価水準はさらに下がる。景気対策のため日銀は低金利政策を採る。こうした政策と先行経済への不安から円安が一層進む。
120円だったものが117円になる。2.5%の物価下落になる。為替は1ドル=120円が、1ドル=141円になる。この結果「世界物価統計表」ではこのように評価される。「日本では消費者物価が前年比0.83になった。17%も下がった。これは消費者運動の輝かしい成果であり、先進諸国は大いに見習うべきである」と。
ただし実体経済は、不況で春闘での定期昇給はなく、雇用維持がやっと。それもワークシェアリングで実質収入は大幅ダウン。しかし政府主導の運動ではなかったので、いつものように政府批判で鬱憤をはらす訳にはいかない。しかも運動の中心には、堅い信念を持った、新興宗教の信者のような運動家がいたりして、議論をふっかけるには勇気がいる。経済問題であるにも関わらず、エコノミストは沈黙を守っている。
それでも恐る恐る発言したエコノミストがいた。「徳川吉宗と徳川宗春の違いですね。プロテスタンティズムや儒教のように、質素な生活と勤労に対する真面目な態度が大切だ、と考えるか、恋愛と贅沢こそが資本主義を成長させるので、誇示的消費が大切だ、と考えるかの違いですね」と。しかし「有閑階級(Leisure class)」「顕示的消費(Conspicuous Consumption)」「金銭的な文化の表現としての衣装(Dress an Expression of the Pecuniary Culture)」だとか、「機能的なものは美しい」とは反対に「高価・新奇・不適切」こそ消費者の心を捉える、などとわけの分からないことを言うので、その主張は無視された。
「戦時中・戦後・高度成長が始まるまで「贅沢は素敵だ」と憧れながら、出来なかった。80-90年代でやっと散財する楽しさを覚えたところでしょう。世界で最も無駄遣いしている自分に、豊かな社会を実感しているのでしょう」との感想も無視された。
<「物価問題国民運動」支持者のための参考文献>
「贅沢は敵だ」は今から60年ほど前に、大日本帝国の政府と大本営が帝国臣民に呼びかけた標語。「欲しがりません、勝つまでは」と一対になっていた。しかしその国の賢い庶民はこっそりと「贅沢は素敵だ」と言い換えていた。それから半世紀以上経ち、当時のことを知る人も少なくなった今日、もうすっかり「敵」が「素敵」に変わっていると思ったら、意外にも「贅沢は敵だ」と主張する人たちがいるようだ。「くたばれGNP」「経済成長こそ環境破壊の原因」「経済のグローバル化に反対」「多国籍金融機関とヘッジファンドが発展途上国の経済を牛耳っている」などのアジテーションにほんの少しでも共感する人に下記の本をお薦めします。 せめてこの程度は読んでいてください。
「スモール・イズ・ビューティフル」E.F.シューマッハー著 小島慶三,酒井懋/訳 講談社 1986.4
「居酒屋社会の経済学」レオポルド・コール著 藤原新一郎訳 ダイヤモンド社 1980.1
「大転換」カール・ポラニー著 吉沢英成訳 東洋経済新報社 1975.4
「経済人類学」のタイトルで易しく解説している本もある。
「経済学は科学か?」で議論すれば、これはもう神学論争になってしまう。上記著書の立場に立つか?「アダム・スミスは生きている」立場か?知識量・理論性などと言うより、ここは一つ「センスの違い」ということで、アマチュア・エコノミストとしては「ハイ・センス」「カッコーいい」を基準に、人からどんな風に見られているか?を気にしながらホーム・ページを作っていきます。
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<為替の仕組みが、分かる、分からない>
朝日新聞2002年6月8日夕刊13面「グラフ ウィークリー」の記事に次のような文があった。
労働者の街「山谷」にサッカー・ワールドカップ(W杯)を観戦に訪れた外国人サポーターが集まっている。物価の高い日本で滞在費用を少しでも節約しようと安宿を求めてやってきた。
もっとも「購買力平価以上にドルに対する円が高いため、自国で生活するより金がかかる。このため・・・」と書くと文章のリズムが乱れてしまう。ということで、小さなことに拘らないことにする。しかし為替相場が物価にどのような影響を与えるのか、こうした経済の仕組みはしっかり理解しておきたい。
為替の仕組みが分かると経済の動きが見えてくる。(1)元禄時代、勘定奉行荻原重秀が貨幣改鋳に伴なって考えたこと━━「慶長小判を改鋳するは、邪(よこしま)なるわざ」に対する重秀の答え
「たとえ瓦礫のごときものなりとも、これに官府の捺印を施し民間に通用せしめなば、すなわち貨幣となるは当然なり。紙なおしかり」
の意味。(2)将軍吉宗と大岡越前守忠相が金・銀・銭の三貨制のもと「米安諸色高」状況改善に苦闘したこと。(3)田沼意次とその協力者勘定吟味役の川井久敬が明和南鐐二朱判を発行し、江戸と大坂の変動相場制を変えようとしたこと。(これらについては大江戸経済学▲を参照)(4)幕末から明治初期に金と銀の不合理な交換比率から、日本の金が大量に流出したこと。(5)戦後1ドル=360円に固定されていた。このことにより日本の輸出産業が力をつけたこと。(6)そして今日、ヨーロッパで通貨統合がなった、その意義。
こうした経済の基本的な動きが見えてくる。そして応用問題として、「東京の物価が世界一」「それはいいことだ」の発想が浮かぶ。経済学、まだまだ専門家が見落としている”すきま”がある。そこでアマチュア・エコノミストの登場となる。経済学を趣味として「アマチュア・エコノミスト」を自称する方々いっぱい出てきてください。毎日仕事のために使っている頭、普段とはちょっと違った使い方をすると、頭の健康維持のためにもいいと思います。いかがなものでしょうか?期待しています。
<東京の物価、NYの1.15倍>
6月22日の夕刊にこのような見出しのある記事は、6月21日(金)に経済産業省が発表した今年1月時点での内外価格調査だ。これによると、「内外価格差は対ニューヨークで1.15倍。依然として他の都市に比較すると割高であるが、前年度と比較するとその差はいずれの都市においても縮小している。その要因としては2000年度調査時点の為替と比較して2001年度のほうが円安であったこと・・・」となっている。発表されたばかりなので、細かい点を検討する時間はないが、「内外価格差調査」とは「物価の調査」の名を借りた「為替相場調査」、つまり物価の実状に比べて「円」が為替市場で「高く評価されているか?低く評価されているか?」の調査なのだ。いずれ時間をかけて、こうした面からもユニークな論法を展開します。
( 2002年6月24日 TANAKA1942b )