――人目に付かないよう、明け方、まだ暗いうちに、ナルトくんの部屋を出たし、誰も見ていないのを、その時ちゃんと白眼で、確認したんだよ。
それなのに……と、ヒナタが話を終え、ナルトの言葉を思い起こす。
――日向様と話さなきゃなんねーな。
ヒナタは日向宗家の跡取りだ。
付き合うなら、当主である父親の承諾が、きっと必要になる。
――キチンとしてやんなきゃ、ヒナタもきっと、肩身が狭いってばよ。
堂々と交際をして、誰にも文句はいわせない。
少なくともオレは、そういう意味に受け取った。
ところが、ナルトの意図は、まるで違った。
ヒナタと噂になっているとオレから聞き、もっと真剣な、そして、極めつけの答えに行き着いたのだ。
ヒナタを部屋に泊めたコトが、里中へ知れ渡ってしまった。
しかも、そのことで、ヒナタが責められているらしい。
当然だ。
日向は名門中の名門で、しきたりの厳しさも群を抜いている。
その宗家の娘が、結婚前であるにもかかわらず、男に体を許したと、皆が噂しているのだ。
誤解だが、独り住まいの男の部屋へ、軽々しく彼女を、誘ってしまった自分にも非がある。
だとしたら、ヒナタの名誉を守る方法は、ただひとつ――。
断言できる。
これ以上、誰よりもヒナタに、"冷たく出来ない"アイツだからこそ、決心したんだと思う。
オレから事情を聞き、ヒナタもそういう結論に至ったハズだ。
もちろん、ヒナタへ包み隠さず、何もかも話したワケじゃない。
サクラの名前を出して、余計に気まずくなるのも避けたかった。
昨日の昼間、ナルトとヒナタが付き合っていると、資料室で噂している人がいた。
だから今朝、ナルトを呼び出して、真偽を問い詰めた。
そうしたら、日向様と話をするなんて、いい出した。
その程度の説明だが、ヒナタだって、わかっている。
急な結婚の申し出に驚いたのは、彼女だけじゃない。
ヒナタの父親である、日向ヒアシも同じだ。
今すぐ返事は出来ないと、とにかくナルトを下がらせ、それにヒナタも付き従った。
――キバから全部、聞いたってばよ。色々といわれてツライかもしんねえケド、オレを信じて、付いて来てくれ。
オレが一生オマエを守るから、と二人して出た屋敷の外で、とんでもない殺し文句をナルトから告げられた、ヒナタの混乱は頂点に達した。
それこそ逃げるように、オレのところへやって来て、ヒナタがいう、ナルトの勘違いにも気付いたワケだ。
そっとオレは、隣に座る、ヒナタの様子をうかがった。
ヒナタがナルトと付き合うコトに、里の人達は、あまり良い印象を持っていない。
ヒナタはそれを、ナルトの話から、敏感に感じ取ってしまった。
ナルトのバカが、守るなんて言葉を、安易に使うからだ。
結婚するなんて噂が広まったら、それこそ里中が驚くだろうし、ヒナタへの風当たりも、いっそう強まるだろう。
その瞬間ふと、サクラなら、と考え、気まずくヒナタから目をそらす。
ナルトの相手がヒナタではなくサクラなら、きっと、みんなも納得するんだろうな――。
抱えた膝の間に視線を落とし、
「キバくん……」
と、名前を呼ばれても、顔を上げられなかった。
「……私ね、ナルトくんに会うと、胸がどきどきして、まるで子供みたいに緊張しちゃうんだ」
返事をしないオレにかまうことなく、ヒナタは話し出した。
「それなのに、すっごく嬉しいの。ナルトくんの顔を見るだけで、幸せな気分になれちゃう」
おかしいでしょ、と語るヒナタの声が、かすかに震えている。
「ナルトくんを見かけるたびに私、カレが好きなんだと、思い知らされるの……ナルトくんが相手なら、きっと何度だって、恋に落ちちゃうんだろうね」
オレが顔を向けた先で、どこか遠くを見るように、街の明かりが瞬く里の景色に目をやったまま、ヒナタはいった。
「……私のナルトくんに対する気持ちって、それだけなの」
「……?」
ワケがわからないと、眉間にシワを寄せて、目を凝らし、声を失った。
「しょうがないと思うの。宗家に生まれたコトも、苦しい任務に耐えなきゃならないのも……だって、ツライのは、私ひとりじゃないもんね。忍なら誰だって、人にいえない苦しみを抱えていて、当たり前だと思うし……」
すっと背筋を伸ばし、天を仰ぐヒナタの流す涙に、月の光が降り注ぐ。
「私、ナルトくんのように強くありたいと、願ったの。どんなコトがあっても、あきらめずに立ち向かっていく、そんな強さに憧れたの」
だから私の恋は、とヒナタはいったん口を閉じ、光る目尻を指先で拭った。
「苦しさから、逃げるためなのかもしれない。ほんの束の間でもいいから、ナルトくんを見かけたり、運が良ければ、話をしたり……胸が高鳴る楽しい時間や、前に進む勇気を、ナルトくんに恋するコトで、得ようとしていたダケなんだと思う」
「……バ、バッカじゃねーのっ?!」
ハッとなり、焦って出した声が裏返る。
「それじゃあ、ナルトの気持ちはどーなんだよっ。単純じゃねえんだぞ、男は! 抱き締めたいとか……体目当てとかじゃなくて、好きなら、そーしたいって願うモンだし、それも含めて、恋なんじゃねえのか?」
しゃべりながら、昼間に見た光景を、思い出していた。
まるでナルトのように、広く、大きな青空だ。
「……ナルトを、信じてやれよ」
けれど、本当にデカイのは、ヒナタの方だ。
「サクラが何だよ。ナルトが選んだのは、オメーだ、ヒナタ」
六道の力やら、うちはと千手の因縁が絡む、サスケとの友情やら、とにかくたくさんの、ややこしいモノばかり、ナルトは背負い込んでいる。
くわえて、親友のサスケに想いを寄せる、初恋の相手と、同じ班の仲間として、微妙な距離を保ったままだ。
「何度だって、恋に落ちる相手なんだろ? そんな風に、ありのままのナルトを受け入れられるのって、オマエだけだと思うぜ」
だからこそナルトは、ヒナタを求めた。
そうだ。
勘違いだけで結婚を申し込むバカが、どこにいる。
「オレからしたら、ナルトにはもったいねーホド、ヒナタはイイ女だしな」
勢い良く立ち上がり、どこか吹っ切れたオレは、声を大きくした。
「まあ、唐突っちゃあ、唐突だけど、オマエを手に入れる、一番手っ取り早い方法は、結婚なんだろーよ。そーでなきゃ、ぜってーキスとか、その先も、ヒナタはさせてくんないだろ?」
「キ、キバくんっ!!」
慌てたように腰を上げ、オレに並んだヒナタが、
「そんなの、ヒドイよ」
と、胸の前で、ぎゅっと両手を結ぶ。
「ナルトくんの、というより、男の人の、ワガママに聞こえる……」
「ワガママ?」
そーかもしんねえなァ、とため息混じりに返事をしながら、ヒナタへ笑いかけた。
「心のどっかで、いつ死ぬかわかんねェと覚悟してんだ。任務の難易度は上がってく一方だし、責任も重くなってくだろ? 恋愛するにしたって、口先だけの言葉よりも、温もりが欲しいんだよ。黙っていても伝わる、繋がりのようなモンがさ……」
「それは……」
と、ヒナタはアゴをグッと持ち上げ、オレの目をのぞき込む。
「恋じゃないよね、きっと……」
胸を刺すような、小さいけれども、切ない痛みを伴う声だ。
「……恋じゃないのなら、何なんだろう。恋人を通り越して、家族になんか、なれるのかな」
ヒナタから顔をそらし、クンと、かすかに鼻を鳴らした。
さすが、と感心するほど、巧妙に気配を消している。
それでも、嗅ぎ慣れた匂いだけに、ようやくであったが、気が付いた。
「忍としてなら、ナルトくんの隣に並ぶ、自信があるの。自分を、そして、仲間を信じて、共に戦うことの大切さが、今の私には、良くわかるから……」
たかが盗み聞きのために、えらく必死となっている。
それこそ、白眼ナシでは、ヒナタでさえ、感知できないレベルだ。
その証拠に、
「でもね、仲間ではなく、異性として……一人の女性として、ナルトくんの横に立つ勇気なんて、私には無いの」
と、唇を噛み締めながら、ヒナタは無防備に、胸の内をさらけ出す。
「ずっと……ずっと、ナルトくんを、見続けてきたんだよ?」
強くありたいと願う彼女が、誰にも決して、明かそうとしない、心の声だ。
「ナルトくんが誰を見ていたのか、一番良く、わかってる」
オマエにとって、自然エネルギーによる忍術なのか、九尾の助けか、知らないが、そんな力を総動員しなければ、聞くことも叶わない言葉なのだろう。
だったら良く聞け、とオレは心の中で叫んでいた。
「私がナルトくんを、いつも目で追いかけていたように、ナルトくんも彼女を、ずっと追い続けているの」
だから分かる、と当たり前のようにヒナタがいい、たまらずオレは、ぶるりと身震いをする。
「どんな時も、ナルトくんの笑顔を独占できるのは、彼女だけ……男も女も、見た目も中身も、関係ない。ただ、彼女だから……」
サクラちゃんだから、と付け加え、ヒナタは目を閉じると、小さく首を傾けた。
「……私の恋が実ったら、ナルトくんの恋は、叶わなかったことになるんだよ。そんなツライ思い、彼にさせたくない。だって、私は……」
ナルトくんが大好きだから、と誰に告げるでもなく、つぶやく。
オレは腹に力を入れると、体の震えを抑え付け、すうと大きく息を吸った。
そして、ありったけの声を張り上げた。
「ナルトォーーーオッ!」