「アイツの良さを一番わかってんのも、きっとキバだってばよ」
およそナルトらしくない、穏やかで、大人が子供にいい聞かすような、優しい口振りだ。
「けどな、オレは誰よりもヒナタのコトを、まずは女として、見てやりてーんだ」
まさか、と思ったが、何も口に出来ず、ナルトの脇を退き、オレに並んだ赤丸が、オレの心を代弁するかのように、
「ワン! ワン!」
と吠える。
ナルトは腰を屈め、赤丸の鼻先を撫でながら、オレを見た。
「ちょっと、聞きてーんだけど……」
「な、何だよ」
わずかにたじろいだ。
ナルトだけでなく、吠えるのをやめた赤丸までもが、じっと注意深く、オレの顔を仰ぎ見ている。
「どーして、こんなコトになってんだ?」
責める口調ではなかった。
「オレのコトで……ヒナタが、キバへ相談したとか?」
「バカッ、有り得ねーだろっ、ソレ!」
へっ? と間抜けな声を上げ、眉間にシワを寄せるナルトを、怒鳴りつける。
「一度だって、ねーよ! ヒナタのヤツ、ナルトが好きだなんてコレっぽっちも、口にしたコトねーしっ」
バレバレなのによ! と乱暴にいい放ち、
「それよか、テメーは、ウワサになってるって、自覚ねーのかっ?」
と、ナルトを逆に、問い詰めた。
「ウワサ? 何だってばよ、ソレ」
「オマエとヒナタが付き合ってるっつー、ウワサだよ!」
ぽかんと口を開け、呆気にとられるナルトへ、
「そのせいで、ヒナタが影で、色々いわれてんだぞっ!」
と、身を乗り出す。
「ほっとけねえだろーが! 全部、テメーのせいだっ!!」
「オレの……せい?」
そうだよ! とナルトの襟首をつかみ、締め上げた。
「オマエと一緒にいるダケで、どーしてヒナタが、みんなからアレコレ、いわれなきゃなんねーんだ?! 里の英雄だか、何だか、知らねーが、そんなにエライのかよっ、テメーは!」
額を突き合わせ、にらみつけたが、
「そうか……」
と、ナルトは神妙な顔つきとなり、オレの手を払いのけようともしなかった。
「だったら、日向様と話さなきゃなんねーな……」
予想もしなかった返事に、耳を疑った。
ナルトから手を離し、まじまじと、ヤツの顔を見つめる。
人を、名前に”様”を付けて、呼んだ。
しかも、木ノ葉隠れの里で日向様といえば、日向宗家の当主を指す。
ヒナタの父親である、日向ヒアシのことだ。
「キチンとしてやんなきゃ、ヒナタもきっと、肩身が狭いってばよ」
嘘をいっていない。
ひと目見て、本気だとわかった。
呆然とするオレに背を向け、ナルトは颯爽と走り出す。
ウォン! と赤丸が、呼び止めるように、鳴き声を発した。
一瞬足を止め、
「キバ! 久しぶりに、思いっきり体を動かして、サッパリした!」
と、振り返ったナルトは、
「オメーはやっぱ、すっげェ大事な、トモダチだってばよ!」
といい残し、あっという間に姿を消した。
何が何だか、わからない。
立ち尽くし、突如吹き荒れる春の嵐に頬を叩かれて、ようやく我に返った。
「くうん、くうん」
「わかってんよ……答えは出たってコトだろ」
オレを気遣い、すり寄ってきた赤丸の背を、撫でてやる。
「ヒナタの片思いも、ようやく終わったんだなァ」
小さくため息を吐き、赤丸と一緒に空を見上げた。
ナルトは大事な友達だ。
そして同時に、ライバルでもある。
そんなアイツに一歩先を行かれたような、それでいて、くやしいとも思わない、不思議な心持ちとなって、流れゆく雲を眺めた。
さっきまでオレを見ていた、ナルトの透明な瞳を思い起こさせる、青空が、ヒナタの目の色のように白く清らかな雲を、遥か彼方へと運んでゆく。
そして、温かな春の日差しの下、ここにオレを残したまま、空と雲は解け合い、混じり合うのだった。
誰かが自分に恋をしている。
気付いたとして、どう感じるかは、相手次第だ。
嬉しいかもしれないし、戸惑うかもしれない。
ヒナタを相手に、ナルトは後者であったハズだ。
それがいきなり、彼女を嫁にすると、いい出した。
「勘違いしたんだよ」
いとも簡単に、ヒナタはそう、結論付ける。
「悪いウワサが流れていると聞いて、責任を取ろうとしたんじゃないのかな」
「そうだとして、ヒナタ、オマエはどーすんだよ」
「どうするって……」
「ナルトと一緒になんのか? なんねーのか?」
答えはなく、オレとヒナタは並んで、屋根の上に座ったまま、山の向こうへ沈みゆく、太陽を眺めた。
頭上はすでに暗く、星々がまたたき始めている。
沈黙は苦手だ。
それでも、ヒナタに寄り添い、黙ったまま、時をやり過ごす。
軒下からは、暮れなずむ空へと響き渡る、遠吠えがした。
赤丸だ。
――ナルトくんが突然やって来て、父様に会いたいっていうから、取り次いだの。そうしたら、結婚したいって……私と夫婦になりたいって……!
息を切らし、家にいたオレを訪ねて来たヒナタの、どこか普通でない様子を、赤丸も感じ取ったんだろう。
外へ出て、屋根に上がったオレとヒナタを二人きりにしたのちは、近寄ろうともしない。
――全然わかんないよ。里のみんなが一体、私とナルトくんの、何を知ってるっていうの? ナルトくんはキバくんから、何もかも教えてもらったっていうけれど、本当なの?!
オレと顔を合わせた途端、取り乱したように、ヒナタは早口でまくしたてた。
――どうしよう、キバくん! 私、どうしたらいいの?!
オレだけじゃなく、普段ならうるさいくらいヒナタにかまいたがる、母と姉でさえ、そんな彼女を目の当たりにして、びびったらしい。
家にこもったまま、だんまりを決め込んでいる。
そうはいっても、ウチのオンナ共は、決して追及の手を緩めはしないだろう。
思わず身震いした。
まさに、嵐の前の静けさだ。
ヒナタが帰ったら、きっと一から十まで、説明する羽目になる。
そうなったとして、何を、どう話せばいいのか。
つまるところ、ヒナタとナルトの間には、何もなかったのだ。
正確にいうと、二人はナルトの部屋で共に一夜を過ごしたが、何も起こらなかった。
そういうことになる。
もちろん屋根の上で、ナルトの部屋に泊まったと、ヒナタから最初に打ち明けられた時は、さすがのオレもドキドキした。
ナルトはヘンテコな術を使い、裸の女の子に変化して、大人をからかうようなガキだ。
そのクセ、女の子とチューしてみたいだの、エッチしてみたいだの、オトコが抱く他愛もない願望を当たり前のように持ち合わせている。
異性を相手に、下心を持って抜け目なく振る舞えるほど、器用なヤツではないけれど、ひょっとしたら、と想像してしまったのだ。
そうしてオレは、ヒナタからコトのいきさつを聞かされ、肩透かしを食らう羽目となった。
まったく、人が良すぎるにも、ホドがある。
ヒナタは何十件もの報告書を、ナルトのために、たった一晩で書き上げたのだ。
ナルトのバカさ加減にも呆れた。
だいたい報告書なんてモンは、口頭で火影に任務の終了を伝えた後、紙切れ数枚程度にまとめて提出すれば、簡単に済むコトだ。
それを面倒クサがって、いつまでも放っておくから、五代目の怒りを買うコトになる。
一週間前、五代目に呼び出されたナルトは、翌日までに報告書を全て仕上げるよう、迫られた。
こうなると、ヘビに睨まれたカエルだ。
あの五代目を相手に、反論など出来るハズもない。
オマケにナルトは、オレに輪をかけて、文章を書くのが苦手だ。
弱り切った挙げ句、たまたま火影の屋敷で鉢合わせた、任務帰りのヒナタに泣きついた。
この点は、間違っちゃいない。
オレも含めて、皆が忙しい身だ。
ヒナタしか、こんな無理難題に、きっと付き合ったりしないだろう。
そのうえ、ヒナタは知恵が回る。
さっそく任務受付所へ行き、記録を見ながら、ナルトがこなした任務の一覧表を作ると、ヤツの部屋へ行き、報告書の作成に取りかかった。
任務に向かった日付と現場を読み上げて、ナルトの記憶を引き出す。
どんな任務だったか、思い出し、ナルトはその内容を、ヒナタへ伝える。
それを文章にして、ヒナタが読み上げ、間違っていないか、ナルトに確認する。
そんな作業を延々と続けた二人は、翌朝になって、ようやく報告書を完成させた。