――あ、サクラ先輩だ。

ナルトにならって目を閉じ、たまたま耳にした世間話が、思い出された。

――美人で、強くて、頭もイイなんて、憧れるよねー。
――カカシ先生と綱手様の弟子で、一緒にチームを組んでた相手は、うずまきナルトに、うちはサスケ!
――超一流の忍に囲まれての任務だもんね、スゴイよ!

昨日の昼、本部の資料室で、報告書を書き直していた。
誤字が多すぎると、五代目に突き返されたからだ。

仕方なく、奥の机に陣取り、悪戦苦闘しながら書類を仕上げていて、くノ一達の会話を聞いてしまった。

――ねえ。今、サクラ先輩が話しかけた相手は、誰?
――あの髪型からして、日向一族の人なんじゃないかな。
――上忍のネジ先輩に似てるよね。

彼女達に背中を向けていたので、詳しい様子はわからない。
ただ、話の内容から察するに、数人の女の子が窓の近くへ集まり、通りを見下ろしながら、軽口をたたき合っているらしかった。

――あ、思い出した。中忍のヒナタさんだよ。
――サクラ先輩と、やけに親しそうに話をしてるね。
――確か、同期のハズ。だから、仲イイんじゃない?

ついつい聞き耳を立ててしまったのは、馴染みのある名前が続いたからだ。
しかも、ヒナタとサクラは、オレからすると、因縁浅からぬ関係にある。

――そういえば、ヒナタ先輩って、ネジ先輩の従姉妹で、日向宗家の、上の娘だよ。
――だったら、名門の出じゃない! 正真正銘のお姫様だね。
――だからかな。ネジ先輩、彼女のコトを、ヒナタ様って呼んでるよ。
――ええーっ。あの、ネジ先輩がぁ? どうして!?

日向一族には宗家と分家があり、宗家は何代にもわたる古い家系で、分家とは主従関係にあるとか、何とか、熱心に話し出す。

――見かけは何だか野暮ったくて、名家のお嬢様には見えないけどね。
――それこそ、ホントのお嬢様でしょ? 皆にかしずかれて、育つんだもの。ちやほやされるのが当たり前だから、必死にオシャレして、外見を磨く必要なんてないじゃない。
――生まれつき、地位や名誉に恵まれてるなんて、羨ましいなー。

ヒナタの苦労も知らず、好き勝手なコトをいう。
いい気なもんだ。

人知れずため息を吐くオレの後ろで、
――そういえば、ヒナタ先輩って、ナルト先輩と付き合ってない?
と、誰かがいい、自分のことでもないのに、ドキリとした。

――ナイナイ! ソレはナイよ!

女の子達が、一斉に否定する。

――ナルト先輩は年中、サクラ先輩を追いかけてるじゃない。
――そうそう、こんな風に。サクラちゃーんっ、デートしよう! ってね。

ナルトの声真似があんまり似ていて、オレまで吹き出しそうになる。

それにしても、女というのは、おっかない。
他人に対して、妙に鋭いところがある。

家で母と姉の話を聞いていて、たまにギョッとさせられるが、この女の子達たちの会話も、色々と容赦なかった。

――うーん。この間、ナルト先輩とヒナタ先輩が一緒に歩いてるのを、見たんだけどなー。
――同期なんだから、会えば、話もするでしょ?
――ナルト先輩って、ガサツだけど、けっこう優しいよね。いっつも一人のヒナタ先輩をカワイソウに思って、声をかけたんじゃない?
――それ以前にさ、ヒナタ先輩って、ナルト先輩の好みとは違うよ。
――そーだね。ナルト先輩って、サクラ先輩のような、活発で華やかな女性が好みなんだろうし。
――綱手様ゆずりの負けん気を受け継ぐ、男勝りなサクラ先輩と、地味で目立たないヒナタ先輩とじゃ、まるで正反対だもん。
――ああやって並んでいても、差は歴然としてるよねー。

どう見てもサクラ先輩のほうが、と最後までいわず、口を閉じてしまう。

そんな彼女達へ振り向くことなく、オレは書類をまとめ、そそくさと資料室を後にした。

報告書を出し、家に戻ってからは、ひどく虫の居所が悪かった。
怪訝な顔をする母や姉をよそ目に、ブスッとしたまま、早々と食事を済ませ、部屋へこもる。

そして、いつもと様子の違うオレを気遣い、寄り添う赤丸と床へ寝そべり、一晩中考え続けた。

窓の外には、ぼんやりと丸い月が浮かんでいた。
吹き付ける強い風に混じって、時折みしりと、柱のきしむ音がする。

だんだんと部屋の中が明るくなり、気が付けば、朝になっていた。

その時、オレは心に決めた。
ナルトを殴ってやろう。
そうしなければ、どうにも気が済まない。

朝食もそこそこに家を飛び出し、ナルトの部屋へ行くと、都合良く、ヤツはいた。
しかも、これといった予定のないまま、三日目となる最後の休日を迎え、朝からヒマを持て余していた。

当然だが、演習場へ誘うと、手放しで喜んだ。
そうでなくても、普段からナルトは、稽古相手に不自由しがちだ。

アカデミー時代へ戻り、忍術を使わない、体術のみの、忍組手と決めて、勝負することにした。
立てた右手の中指と人差し指を、互いに重ね合わせ、対立の印を結び、動き始める。

全力で挑まなければ、あっという間に、沈んでしまう。
ナルトも真剣だった。
互いに歯を食いしばり、息つく暇なく、技を繰り出す。

そんな勝負の最中、くたばっちまえ、と声には出さず、つぶやいた。

優しくされて、心が躍る。
そばにいて、幸せを実感する。

ヒナタにとって、オマエはそういう存在なんだ。

それが、わかんねーなら、ナルト。
オマエなんか――。

そこまで思い返し、
「なあ、キバ……」
と、オレを呼ぶ小さな声を聞いた。

「……ナンだよ」

まぶたを見開き、腕を枕にしたまま、つっけんどんに返事をする。

「眠ったんじゃなかったのか?」
「ウトウトしかけたケド、もう目も覚めたってばよ」

まぶたをこすり、こすり、ナルトは起き上がると、オレへ向かい、すっと右手を差し出す。

「……?」
「和解の印、だってばよ」

忍組手の作法だ。
オレはのっそりと体を起こし、無言のまま、右手を伸ばした。

そして、ナルトの中指と人差し指に、自分の指を絡ませると、渋々とではあったが、和解の印を結ぶ。

「今日のトコは、負けたと思ってねーからな」

繋いだ手が離れるのに合わせて、ナルトはいい、すっくと立ち上がった。

「ちゃんと、ヒナタのコトも、見てるってばよ」

オレも腰を上げ、どこか遠くを見つめるナルトの視線を追うように、前を向く。
視界の先に広がる木々の枝が、ざわざわと風に揺れていた。

横で赤丸が、くうんと、長い沈黙を心配するように、小さく鳴き声を上げる。

「ふざけんな」

気が付けば、オレはそう口にしていた。

「てめーなんかに、ヒナタの何がわかるっていうんだよ」

話し出すと、止まらなかった。

「ヒナタはイイ奴だ。おめーなんかに負けねーほど、立派な忍なんだ」
と、告げたのを皮切りに、ひたすら、ヒナタの長所を数え上げる。

「名門のお嬢様ってのは、肝がすわってて、絶対にわめき散らしたり、泣いたりしねーんだよ。地味なのも、当たり前さ。無意味に出しゃばることが、何よりも嫌いなんだから」

いずれは日向宗家を継ぐんだぞ、といきり立つ一方、オレの目線は足下を向いていた。

「上に立つ人間として、聞き役に徹する我慢強さも、必要なんだ。礼儀正しく振る舞うのだって、おっとりとした、お嬢様育ちだからじゃねェ。一族の名誉を守るためだ。そんだけの自覚が、ヒナタにあるからなんだよ」

くやしかった。

同じ班の仲間であるヒナタが、サクラと比べられ、劣った存在であるかのように、陰口を叩かれる。

もとを正せば、ナルトのせいだ。

「それにアイツは小さい頃から、厳しい父親を相手に稽古ばっかで、同い年の子供と、遊ぶコトさえ許されなかったんだ。それじゃあ、友達も出来ねーよな」

けれども、本当は、わかっている。
こんなの、八つ当たりだ。
その証拠に、うつむいたまま、ナルトと目を合わせられずにいる。

「いつも独りぼっち。でも、それが何なんだ。群れるばっかの連中より、一人で行動することを何とも思わないヒナタの方が、断然カッコイイじゃねーか」
「オレも、そう思うってばよ」

勢い付いて、どうにも止まらないオレの、グチのような、おしゃべりに、突然ナルトの声が重なった。

「カッコイイっつーより、カワイイよな。髪はいつもサラサラで、イイ匂いがするし……オトコのようなブカブカで、味気ねー服をいつも着てっけど、その下にある肌は透けるように白くて、ふっくらとした胸なんか、ホント、目のやり場に困るってばよ」
「なんか……すっげえ、ヤラシくねーか? オマエ、ヒナタのドコ見てんだよ」

弾かれたように顔を上げ、横を向いたオレは、思わず息を呑んだ。

「キバは、ヒナタと一番仲がイイもんな」

柔らかい笑みを浮かべる、ナルトの澄んだ青い瞳が、真っ直ぐにコチラを見据えていた。