夏草薫る 第三話 夏祭り

 武家の内情というものは、外から見るよりも、はるかに大変だった。家の格式に見合う数だけの家士や下男下女を雇わねばならず、家計は火の車が常である。
 加代は江成家の苦しい事情を知り、奥の仕事だけでなく、炊事や雑事まで厭うことなく、こなした。富農の娘とはいえ、百姓の子である彼女にとって、体を動かすことは性に合っていたし、下働きも別段、苦にならなかったからだ。
 加代が仕えている江成家の奥方である貞は、そんな彼女を気に入り、夏祭りの日、外へ出してくれた。つまりは用事が済んだら少し遊んできてもいいよ、ということだ。
 いい付けられたとおり、さほど遠くない家に頼まれた包みを送り届けた加代が、祭りを見に行こうとして、多一郎と出くわしたのは、武家屋敷の間を抜け、町人町へ出ようとした時だった。
 ――夏祭りへ行くのか?
 普段なら言葉を交わすことさえない、彼からの問いかけに戸惑いながらも、加代は首を縦に振った。すると多一郎は、一緒に行こうと、いってきた。
 祭りには多くの者が繰り出し、気性の荒い者達も中にはいる。迷ったり、いざこざに巻き込まれてはいけないというのが、彼のいい分であった。
 当然のことながら、加代は尻込みをした。
 彼女が仕える江成家には二人の息子がおり、長男の忠義は与力見習いとして出仕し、近く婚儀が控えている。
 次男の多一郎は、藩校である信道館を一番の成績で卒業し、若干15歳で家督を継いだばかりの藩主、大和守重久によって、側小姓に召し上げられていた。
 重久は古い藩体制を一新しようと、身分に関係なく、優秀なものを御小姓に取り立てていた。実際、あげられた者の中には、江戸詰めの家の冷や飯食いや、平侍である徒士組の子息などもいた。
 その中にあって、多一郎は特に藩主の気に入るところとなっている。お忍びで重久が領内を回った際、お付きの者は多一郎ひとりであったと、とかく噂になっていた。
 近く重久の命で、城代家老の本多和正が剃刀親となり、元服することや、若くして郡奉行付きの与力にあげられることまで決まっている。
 このように異例の出世をとげた多一郎だが、役目の合間に方々を歩き回っては、屋敷で実地踏査の帳面をつけ、難しい書物と読み比べている。
 同い年だというのに、慢心することなく、勤めに励む多一郎を、加代は秘かに恐れ、敬っていた。あまりにもまぶしい存在である彼と、まともに話をすることすらできない。
 そんな加代の心中など気付きもしないのか、多一郎は返事も聞かずに歩き出し、彼女もおずおずと従うしかなかった。
 祭りが行われている神社の参道にたどり着くと、あまりの賑わいに、加代は度肝を抜かれた。多くの露天商や大道芸人、見せ物小屋の、派手な口上が飛び交っている。
 それでもお囃子の調子に合わせて、自然と心が浮き立った。
 山家育ちの加代には、何もかもが物珍しく、あれは何でしょう、これは何でしょう、とついつい言葉が口を突いて出る。
 多一郎は丁寧に説明してくれたばかりか、ともすれば往来する人や荷車へぶつかりそうになる加代の肩に、そっと手を触れ、助けてもくれた。
 気持ちがほぐれ、楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
 そろそろ屋敷に戻る刻限かと思われた頃、加代は物売りに声をかけられた。
 朱に塗られた飾り櫛を見せられ、お似合いですよ、と勧められる。ぼうっと見惚れる彼女の後ろで、多一郎までもが袂に手を入れ、櫛を興味深げに眺めていた。
 彼が何かいおうとして、口を開きかけると、加代は慌ててその場を離れ、二人はそのまま屋敷に帰った。
 夏祭りの日を境に打ち解けた加代と多一郎は、顔を合わせると、必ず話をするようになった。
 洪水に襲われた中津村の、砂に埋もれた悲惨な田畑の様子や、日々の食べ物にまで困る貧農達について、加代が語り、多一郎も真面目に耳を傾けてくれた。
 奥方の貞が、当主の正治に、加代と多一郎について、話をしているのを聞いたのは、それから半年ほどしてからのことである。
 多一郎は無事、元服の式を済ませ、良忠と名を改めていた。
 勤めから戻り、着替えをしている正治の着替えを、貞が手伝っている居室の横を、たまたま加代は通りかかった。
 ――良忠と加代の間に、何か間違いがあってはいけません。
 計らずも耳にしてしまった奥方の言葉に、加代は心臓が止まる思いだった。急いで座敷を離れ、台所へ行くと、土間に下りて、何度も深呼吸をした。
 それから幾日もしない内に、出府して江戸に渡る内定が、良忠へと下された。偉い学者の元で、堤防と用水路について学ぶためと伝え聞いた加代も、間もなく鈴木家の茶会へ手伝いに出され、彼が江戸へ詰めている間に、江成家を離れることが決まった。
 家老鈴木隆久の一人娘早苗の侍女となった加代が、再び良忠に会い見(まみ)えるまで、3年の歳月が流れた。
 花の稽古へ行く早苗の伴をしていた道中、江戸から戻り、郡奉行与力を経て、町奉行与力となった良忠と、偶然鉢合わせたのだ。
 お互い押し黙ったまま会釈のみを交わし、通り過ぎたが、江成家御次男の良忠さまだと、加代から聞かされた早苗は、すっかり彼にのぼせ上がってしまった。花の稽古へ通う際、良忠の出仕する時間を見計らって、屋敷を出るようになったのだ。
 城主の信頼厚く、剃刀親は城代家老の本多さまで、頭もずば抜けて良い。良忠は将来性のある、立派な若者に育っていた。
 早苗の父である隆久は、良忠を娘の婿にと、がぜん乗り気になった。良忠の父、江成正治を屋敷へ呼びつけ、ただちに二人の結婚が決まったのだ。
 加代にも中津村から、何度目かとなる縁談が、持ち込まれた。もう断る理由のなくなった彼女は、素直にその話を受けた。