床に座り込んだまま、壁へ寄りかかり、ぼんやりとしていた。
強い西日が窓から差し込み、部屋のあちこちに、濃く長い影を落としている。
目の前には、脱ぎ捨てられた着物と帯が、折りたたまれることなく、無造作に積まれたままだ。

はあ、ともう何度目になるかもわからない、ため息を吐き、ヒナタは顔を両手で覆った。

(ナルトくん、どうして……)

まったく予想もしていなかった展開に、どうしよう、と動けないでいる。
もうじき、父も帰宅するはずだ。
合わせる顔が無いと、今から逃げ腰では、ますます家中に混乱が広がるかもしれない。

(とにかく、服を着なきゃ)

ようやく壁から体を起こし、立ち上がろうとして、
「姉様、いますか?」
と、障子の向こうから声がした。

「ハナビ? ちょっと待って」

慌てて、部屋着である黒の浴衣へ袖を通し、帯を締めると、ほんのわずかだが障子を開け、縁側をのぞき見る。

「父様がお帰りになったの?」

恐る恐るたずねると、ムスッとした顔で廊下に立っていた妹は、首を左右に振った。

「いえ。姉様にお客様です」
「私に? 誰かなあ……」

部屋を出て、後ろ手に障子を閉めながら、つぶやくヒナタを、ハナビが目を吊り上げて見ている。

「ハナビ……どうしたの?」

背丈が伸び、ほっそりとした体に白い着物と黒い羽織りを身に着け、黒々とした長い髪が腰まで届く姿は、父と瓜二つだ。

「どうしたも、こうしたも……どうするおつもりなんですか?」

それでも、口を尖らせて話す様子が、いかにも幼くて、ヒナタは小さく微笑んだ。

「どうするって、何を?」
「うずまきナルトのことに決まってます!」
「ああ、そのこと……」

何でもない風に答え、歩き出すヒナタのあとを、ハナビも早足で付いてくる。

「ああって……何を呑気に! 私なら、すぐにでも、縁談をお断りします!」

あまりにも意外な言葉が返ってきて、ヒナタは思わず足を止めた。

「突然、何をいい出すの?」
「姉様はわかっていないのです! 里のくの一の多くは、火影の妻になるのが、夢なんですよ? だからみんな、うずまきナルトに憧れています! その彼が、わざわざ当家に来て、姉様に会わせろと大騒ぎしたのに、どうしてそんなに落ち着いていられるんですかっ?」

振り返り、じっと肩越しにハナビを見つめたまま、返事をしないでいると、
「な、何です?」
と、面食らったように、彼女はあとずさった。

「何でもない……」
「姉様!」

肩をすくめ、再び歩き出すヒナタの後ろで、
「もうとっくに、里中の噂になってます! いつまでも、知らん顔なんか出来ないんだから!」
と、ハナビが捨て台詞をいうのが聞こえ、ため息をついた。

(そっか……そんなに話が広まってるのなら)

誰が訪ねて来たのか、だいたい想像がつき、緊張に身が引き締まる。

そもそも、日向の家は出入りが自由だ。
キバやシノであれば、勝手に門をくぐって庭を横切り、直接ヒナタの部屋や稽古場へと押しかけるし、里からの使者は必ず、父が迎えることになっている。

ヒナタは、はあ、とさらに深い、ため息をつく。

堅固な守りが敷かれていると勘違いして、妙木山の大ガマ様の背に乗り、仰々しく乗り込んで来たナルトのことだ。
とても丁重に、しかし日向宗家独特の、慇懃無礼な応対をされて、さぞかし戸惑ったことだろう。

(ウチみたいに古風な話し方をする家は、木の葉でも珍しいもんね……)

今は玄関で自分の客を出迎え、取り次いだのがハナビで良かったと、ヒナタは胸を撫で下ろし、
「サクラちゃん!」
と、玄関先の敷石に立ち、物珍しそうに屋敷の中を眺める彼女へ声をかけた。

「待たせてごめんなさい」
「ううんっ、待ってなんかいないって! それより、突然来ちゃってゴメンね」

ヒナタが現れたことに気付き、照れ笑いをする仕草が、同性の自分から見ても可愛らしく、華やかだった。

不意に泣きたくなるのを我慢して、
「いいの。部屋でぼうっとしてただけだから……」
と、無理やり作った笑顔を、ヒナタも返す。

「そう? なら……」
ちょっと外に出れる? とサクラに聞かれ、うなずいた。

「たぶん大丈夫、だけど……」
「あっ、でも、ちょっとじゃない、多分! あの……遅くなっても平気っ?」

ちぐはぐとした話し方で、同じように彼女も緊張しているのだとわかり、とっさに、
「へ、平気っ!」
と、返事をしてしまった。

「でも……ちょっと、待ってて! 家の人に断ってくるから」

ヒナタは急いで奥に引っ込み、勝手口へと走った。

「ちょっと出かけてきます! 少し遅くなりますから、食事は先に召し上がっていて下さい」

簡単に用件だけを告げ、玄関へ引き返そうとするヒナタへ、
「どこへいらっしゃるのですか?」
と、夕飯の準備に追われていた日向家の門人達は、いっせいに振り向いた。

「あ、あの、ちょっと誘われたの……同期の友達に。それで、少し遅くなるから……」
「キバ君ですか? それとも、シノ君?」

答えに迷った。
けれども、嘘をついたところで、どうしようもない。

「は、春野サクラさん! 今、玄関で待っていてくれてるの」

正直に打ち明け、心臓が大きく波打つ。

「……綱手様のお弟子さんですね」

包丁を動かしていた手を止め、門人の一人はヒナタへ体ごと向き直ると、静かにいった。

「それに今日、屋敷に来た、うずまきナルト君の……」

そこで言葉を切り、考え込む門人達の重い沈黙が、ヒナタを突き動かした。

「お願いです!」

当主となる道を閉ざされ、自由に生きることも、許されない。
それでも、サクラの口から語られる"何か"を、ヒナタは心待ちにしていた。

――ナルトにはもう、何も期待しない……それが、正しい選択なんだろうな。

イルカの言葉に偽りはなく、つらい思いをするのも、結局は自分なのだとわかっている。

「恐らく……ナルトくんのことで、やって来たんだと思うの。だから……」

大人になると誓った、あの決意は何だったのか――いつしか視線が足下を向いていた。

「わかりました」

ハッとして、ヒナタは顔を上げた。

「いってらっしゃいませ。しかし、覚えておいて下さいね。あまりにも遅いようだったら、コウを迎えにやりますよ」

門人の一人がいい、他の門人も次々に、
「いっておきますが、コウの白眼は容赦ないですからね」
「どこにいても、あなたを見つけ出しますよ」
と、いった。

「はい」

返事をするヒナタへうなずき返すと、皆は何事もなかったかのように、再び夕飯の支度を始める。

「いってきます」

そう言い置いて、玄関に戻ったヒナタは、サクラと一緒に屋敷を出た。

「ヒナタ、ホントごめん。こんな時間に連れ出すなんて……」
「ううん、気にしないで」

ほとんど日も沈み、里は夕暮れの中にあった。

「ねえ、ヒナタって、お料理得意?」

並んで歩きながら、サクラはニコニコと話しかけてくる。

「うーん……料理は作るのも食べるのも大好きだけど、上手かどうかは……」
「たとえばね、野菜をたくさん使う献立にするとして、どんなのを作る?」
「野菜を使った? たくさん?」
「そっ! たっくさん! しかもチョー簡単に作れるのがイイ!」

無邪気にサクラが両手を広げ、笑っていい、
「簡単に作れるもの……」
と、ヒナタも頬に手を当て、考えてみる。

「そうだなあ……鍋物とか、炒め物とか。煮物も難しくはないけど……。でも、オススメは野菜スープかな。とっても簡単だと思う」
「なるほど! 体があったまるし、翌朝も温め直して、食べれるもんね!」

そうそう、とうなずくヒナタの右手を取り、
「材料は何がいる?」
と、サクラは八百屋を見つけ、走り寄った。

「サ、サクラちゃん?」