すがるように、ナルトの首へ、ヒナタも両腕を回してくる。
言葉を交わすことなく、二人はきつく抱き合った。
そんなナルトとヒナタを撫でるように、舞い落ちる赤い花弁が、次々と色を失い、空中に霧散していく。
やがて、腕の中でヒナタが顔を傾け、地上へと目をやり、ナルトもそちらへ視線を向けた。
幹が裂け、崩れ落ちる神樹が、ひときわ明るい金色の光を発する、小さな粉となり、地上へ降り注いでいる。
「キレイだね……」
「ああ、スゲーな!」
空中をヒナタと二人で漂いながら、半ば圧倒されたように、ナルトは答えた。
「地上に見える、あのいっぱい並んでる、四角いのは田んぼか? 草ばっかでわかりにくいけど、あん中の黄色い固まりは、稲だよな。アッチの青いのは何だ?」
「あれはアジサイだよ。それでね、あの満開の花はサクラで、向こうに見える黄色い花はヒマワリ……あと、赤い彼岸花まで見えるよ」
すごいね、と少し興奮したように、ヒナタはいった。
「まるで、四季がいっぺんにやって来たみたい」
「花だけじゃねェ! あの木になってる赤い実はリンゴだろ? で、アッチのはカキじゃねーか? なんかもう、ムチャクチャだってばよ!」
「果物だけじゃなく、野菜もスゴイね。雑草に埋まってて、ホントわかりにくいけど、よく見れば、トウモロコシやホウレンソウ、ナスにインゲン……たくさん、たくさん、なってるよ」
「デタラメすぎんだろ。米から野菜まで、こんだけたくさん、一度に収穫できんのか?」
少しずれた質問にも、
「できるよ」
と、柔らかく微笑むヒナタの顔を、ナルトはじっと見つめる。
「災難から逃れた人達が戻って来るだろうし、どの国も里も、この地が元に戻れるよう、協力を惜しまないはず。中にはここへ移り住んで、畑や田んぼを耕しながら、暮らし始める忍だって、現れるかもしれないね」
「そうだな……力ばかりじゃねェ、平和な世界なら、そういう生き方もアリだってばよ」
雲ひとつない青空の下で、ヒナタと抱き合ったまま、ナルトは笑った。
風が弱まり、金色の粉も消えつつある。
尾獣だった神樹は、すっかり姿を消していた。
かわりに、太陽の光が届き、はるか遠くまで見渡せるようになった大地は、自然に埋め尽くされている。
家々があったと思われる集落や、道という道は、あぜ道まで含め、全てが緑色の雑草に覆われ、跡形もない。
尾獣の命は、星のように輝きながら、人の痕跡を残すことなく、洪水に襲われ、泥だらけとなった荒野を復活させた。
全てはナルトが十尾を操り、成し遂げたことだ。
「こんな風にチャクラってのは、大地にかえってくのか……コレが神樹の……人の命が望んだ、再生なんだな……」
どれだけ長い時間が経とうと、人は自然に勝てない。
これからも全ての命ある生き物は、自然に呑まれ続ける――そう語った、四尾の言葉を思い出す。
「それでも、未来はちゃんとある……オレは、役目を終えたってばよ……」
正しく力を導いた、とつぶやくナルトの耳に、突然ヒナタが唇を寄せた。
「お願い、あきらめないで」
彼女は、ナルトにしがみついていた腕を緩め、耳元でささやく。
「火影になるんだよね? まっすぐ自分の言葉は曲げない……それが、ナルトくんの忍道でしょ……?」
腕の中にいるヒナタへ、ナルトは視線を落とした。
「ヒナタ? オマエ、様子が……!」
息を詰めて見守る彼女の顔が、みるみるうちに色を失っていく。
「まだ……まだ、伝えていない、言葉があるの……」
ヒナタは力なく、がくりとナルトの肩に、額を乗せた。
「ヒナタッ?! どうしたんだってばよ、ヒナタ!!」
首に回されていた彼女の腕が、するりと滑り落ち、初めて事の深刻さに気付かされる。
ウソだ、とナルトは顔を歪めた。
「ヒナタッ、行くな!!」
両目を閉じ、ぐったりとする彼女の右手を取った。
「どうして……クラマがどうして、オレじゃなく、ヒナタを連れて行くんだっ!!」
震える指に力を込め、ヒナタはナルトの手を、握り返そうとする。
「ナルトくん……好きだって、いって……」
「好きだっ、ヒナタ! オマエが好きだ!」
「違うよ……ちゃんと……本当に好きな人に、それを……告げなきゃ、ダメ……一緒にいたいって……」
そういうんだよ、と目を閉じたまま柔らかく笑う彼女へ、ナルトは激しく頭を左右に振ってみせた。
「ヒナタ、頼むから、オレを一人にするな……こんな風に、オレを置いていくな!!」
混乱のあまり、頭の中が真っ白となった。
ぐるぐると世界が回り、ナルトの頭を揺らす。
――お前が生きるために必要なチャクラと、残酷な未来を残してやる。ワシが選んだ、ヒナタの命と引き替えに。
九尾のいった通りとなってしまうのか。
口惜しさのあまり、噛み締めた唇から血が滲み、鉄の味がした。
(父ちゃんや母ちゃんと、同じだ)
自分を守るために、いつだって、愛する人が犠牲となる。
(そうだ……ヒナタは……)
突如として、あの日の彼女が脳裏によみがえる。
深い青色の着物に身を包み、背中に大きな蝶がとまっているかのように見える、鮮やかなオレンジ色の帯を締めていた。
知らぬ人のように、後ろで髪をひとつにまとめ、化粧までしていたが、やはりヒナタだ。
建物の屋上から通りを見下ろしながら、ナルトが名前を呼ぶと、彼女は答えた。
――ありがとう。
声は届かずとも、確かに聞こえたのだ。
(オマエはいつだって、オレを見ていてくれた)
ありがとう――かつて、母もいった。
――私を母にしてくれて、ありがとう。ミナトを父にしてくれて、ありがとう。
里の厄介者であったはずの自分が、生まれながらに、守られ、愛されていたのだと、ナルトは知った。
――私達の元に生まれてきてくれて……本当にありがとう。
母が残した、別れの言葉を思い出し、痛感する。
(もうずっと……ずっと前から、わかってたんだ……)
ナルトはヒナタの長い髪に指を添え、頬ずりするように、顔を近づけた。
(里のみんなが嫌っていても、ヒナタだけは、オレを信じ、認めてくれた)
顔を歪ませ、ナルトは必死に声を絞り出す。
「オレは……オレは、まだ伝えてない!」
ヒナタの右手に指を絡ませ、いっそう強く、握り締めた。
「まだだってばよ、ヒナタ!」
何の返事もないまま、重力に逆らい、舞い降りるように、二人で地上へと落ちて行く。
ナルトは彼女の手を、固く握ったまま、離さなかった。
「オレも……オレにも、まだ伝えてねー言葉が、あるんだってばよ!!」
気付けば、叫んでいた。
繋いだ手は、冷たくなってもなお、悲しいほどに、優しさばかりを伝えてくる。
救いを求めるように空を見上げたその時、
「ナルトーッ!」
と名を呼ばれ、ハッとなった。
ヒナタを抱いたまま、背中を反らし、声がする方向へ顔を向ける。
猛烈な早さで近付く黒い影を、ナルトは視界に捕らえ、目を見開いた。
巨大な鷹だ。
それは派手な羽音と共に、ナルトとヒナタの真下へと、飛び込んで来た。
「ナルトッ! ヒナタ!!」
しがみつくように鷹の背に乗るサクラが、空中を漂う二人を見つけ、再び名前を呼ぶ。
「サクラちゃん!」
ナルトは答え、もう一人、彼女の後ろに立つ人物と目が合った。
「サスケ……!」
次の瞬間、鷹が羽ばたき、風にあおられた。
ふわりと体が浮くのに合わせ、ヒナタの背中と膝の後ろに腕を添えると、彼女を抱え直す。
そして、大きく旋回してきた鷹の背に、ナルトはヒナタもろとも、飛び乗った。
「サクラちゃんッ、ヒナタが!!」
ナルトがいうよりも早く、走り寄ったサクラが、鷹の背に下ろされ、横たわるヒナタの顔をのぞきこむ。
「何があったの!?」
ナルトへ問いただし、慌ただしくヒナタに触れるサクラへ、
「やめろ、サクラ」
と、厳しい声が飛んだ。
「サスケくん?!」
振り向き、とがめるように、彼を見上げるサクラへ、
「少し離れてろ。ナルトと二人だけで話す」
と、サスケはいった。
「そんな! ヒナタがこんななのに、どうして!」
「オレを信じろ」
ぴしゃりといい放つサスケを前に、サクラは口を閉じ、不安そうにナルトを見たあと、ゆっくり後ずさる。
そうして、鷹の首筋までサクラが下がり、背を向けて座り込むのを見届けると、サスケは横たわるヒナタへ視線を落とした。
「もう、息をしていない……でも、こうなることは前もって、九尾から知らされていた」
「……?!」
驚き、身を乗り出すナルトを押し留め、
「残酷な未来なんて言葉を信じるな」
とサスケがいい、ナルトは息を呑む。
「いいか。これはオマエのために、するんじゃない」
オレのためだ、とうつむき、まぶたを閉じるサスケを前にしながら、金縛りにあったように、ナルトは動けなかった。
(サスケが来たとわかった時、真っ先に考えたんだ……)
やがて顔を上げ、目を開けたサスケが、印を結ぶ。
かつて長門が使い、多くの人を救った術だ。
(止めなきゃダメだ、止めねーと……!!)
九尾はヒナタの命をナルトへ授け、ヒナタには別の命を与えようとしている。
それは、ナルトにとって、絶対に許されない選択だった。
それでも、サスケの左目である輪廻眼が放つ、赤い光を眺めながら、ナルトは呆然と立ち尽くす。
大切な、近しい者を犠牲にして生きるよう、ナルトへ命ずるこれは、神の力を使い、自然に逆らった者へ下される、審判なのかもしれなかった。