「神樹の花が……」
ヒナタが指差し、ナルトとサクラは同時に頭上を仰いだ。
神樹のつぼみが、大輪の花を咲かせようと、ふくらみつつある。
そうして、ゆっくりと姿を現した花弁は、息を詰めて神樹を見守る三人の目を突き刺すほどに、鮮やかな赤色だった。
暗闇に包まれながらも、その鮮烈な赤は、神々しい輝きを放つ。
ナルトは、並んで立つサクラの横顔を、盗み見た。
乱暴に拭い去ったのか、頬に涙のあとを残したままだ。
(サクラちゃんは、オレのコト……)
思いあぐね、さまよう視線の先にいたヒナタと目が合った。
この場に不釣り合いなほど、彼女は優しく微笑み、うなずいてみせる。
そして、力強く天を見上げ、再度神樹の花を見るよう、ナルトを促した。
(何だ……?)
言葉のやり取りも無いまま、それでも、暗い空に目をやれば、太陽の輪郭がぼんやりと浮かび上がる。
その下で大輪の赤い花が、キラキラと金色に輝く、粉のようなものを振りまいていた。
不思議なことに、それは風に流されることなく、まるで意志を持つように、ふわりふわりとあたり一面へ広がっていく。
(まるで、星みてーだ……)
幼い頃、死んだ人間は空へ帰り、星になると聞かされた。
他愛もない、おとぎ話のたぐいだが、尾獣の命もこうして星となって大地へ帰るのだとしたら、どこか救われる気がする。
それほどまでに美しく、清らかな光景に包まれながら、ふと、頬をかすめる、わずかな風に気が付いた。
六道の力が弱まっている証拠だ。
「サクラちゃん! ヒナタ!!」
ナルトが叫び、二人へ顔を向けた、次の瞬間、轟音と共に風が吹き込んできた。
キャッと短い悲鳴を上げ、サクラとヒナタは両腕で顔を覆う。
(間に合わなかったか!)
今まさに、チャクラを神樹に吸い取られ、ナルトは人柱力としての役目を終えようとしていた。
(あきらめんな! まだ、終わりじゃねェ!!)
何としても、この二人だけは、助けなければならない。
ナルトは手の上でチャクラを練った。
(コレで、サクラちゃんとヒナタを、外へ逃がす!)
取り巻く凶暴な風を吹き飛ばそうと、右手を前へ突き出し、術を放つ。
ところが、それはあらぬ方向へ消えてしまい、いとも簡単に吸収されてしまった。
噛み締める歯の間から、ナルトは荒く息を吐く。
砂混じりの突風が次々と押し寄せ、いっきに視界もせばまった。
(どうにかして、ここから二人を出す方法はねーのか?!)
ナルトは自分の手に視線を落とした。
オレンジ色に光り輝くチャクラの炎も、六道の印である体の模様も、全て消え去り、元の姿に戻っている。
しかし、九尾と繋がっている感覚が、確かにあった。
(どういうコトだってばよ……?!)
そこへ、まるで地鳴りのような、いっそう大きい音をたてる、風の音を聞いた。
(コレはヤベえーだろっ! さっきのより、ずっと!!)
そう思うよりも早く、強い力に背中を押された。
海で巨大な波に呑まれたように上下が逆さまとなり、ようやくナルトは、風に飛ばされたのだと気付く。
足が地に着いておらず、風に逆らいながら懸命に体をひねり、自分の位置を確かめようとした。
(神樹の花……?! もう、こんな近くに!)
目がくらむほど、背後が赤色に染まっている。
(こんな高さまで、飛ばされたのかっ?!)
ナルトは慌てて、サクラとヒナタ、二人の姿を探した。
そうしている間に、金色の粉が降りかかり、体へまとわりつく。
すると、ひどい砂嵐の中にいて、呼吸が楽になった。
「この粉ってば……」
小さく口にして、何気なく下を見たナルトは、息が止まりそうになった。
とっさに、胸の前で両手の指を交差し、印を結ぶ。
「影分身の術!」
考えるよりも先に、体が動いた。
またたく間に分身が現れ、
「わかってんなっ? 行くぞ!!」
と、声をかけると、
「オウッ!!」
と返事があり、二人のナルトは一直線に、地表へ向かった。
(間に合えっ!!)
さっきの風で、やはりサクラとヒナタも、空中へ投げ出されたのだろう。
そして、今度は上から下へと吹く風に襲われたのだ。
(このままじゃ、二人共、地面に叩きつけられちまうっ!)
理由はわからない。
しかし、わずかだが、チャクラが復活していた。
ナルトはチャクラの力を借りて、風を切り裂き、急降下する。
そして、大地に足を着けると、反動を利用して、そのまま地面を蹴り、飛び上がった。
「サクラちゃんっ!」
「ナルト!!」
真下からすくい上げるように、サクラを腕に抱き留めると、脇目もふらず、竜巻から脱出する。
土を蹴散らし、たどりついた砂嵐の外で、太陽の光に目がくらんだナルトは、地面へ膝を突いた。
「大丈夫っ?!」
素早くナルトの腕を抜け、立ち上がったサクラに、強く肩をつかまれた。
「まだ、生きてるのねっ?! 弱ってるなら、すぐに治療を……」
「ヒナタ……ヒナタはドコだっ?!」
えっ、と戸惑いつつも、すぐにサクラは身を乗り出し、ナルトと共に、素早く周囲へ視線を走らせる。
「ちょっと! マズイなんじゃないのっ? どうして、ヒナタがいないのよ!」
サクラの叫びを聞くよりも早く、
「ココで待っててくれ!」
と、ナルトは走り出した。
無事でいてくれ、と祈りながら、巨大な黒い嵐を目がけ、力の限り高く、飛び跳ねる。
途端に鳴り響く轟音が耳をふさぎ、風と砂に頬を叩かれた。
ヒナタ、ヒナタ、と名前を何度も呼ぶうちに、体からオレンジ色の炎が吹き出し、たちまちナルトの全身を包む。
(コレは……クラマのチャクラ?!)
いつの間にか、尾獣モードへ変化していたが、あれこれと考えている時間はなかった。
いち早く自分とヒナタの存在を感知すると、ナルトは閃光となって、嵐の中を突き進む。
そして、神樹の根元で、動かないままの二人を見つけた。
「ナニやってんだっ!!」
ナルトが怒鳴っても、分身はヒナタの手を握ったまま、平伏すようにひざまずき、動かない。
ただヒナタだけが、上から迫るナルトへ、ゆっくりと振り向いた。
「ヒナタッ、ナニがあったんだってばよ!」
着地したナルトは、印を結んで術を解き、消え去った分身と入れ替わるように、ヒナタの手を引いた。
――どうだ、これで良くわかっただろう。
突然の声を聞き、立ちすくむ。
術を解いたことで頭に追加された、分身の記憶だった。
――ナルト……お前は選ばなかった。
九尾が分身へと、話しかけてきたのだ。
知らず知らずのうちに、ナルトは繋いだヒナタの手を、ぎゅっと強く握り直す。
――分身を残し、サクラと逃げた。だが、安心するがいい。ここにいる日向の娘は、何もかも分かっている
サクラを助け、嵐の外へ脱出した時、同じく分身もヒナタを連れて、ここを出ているはずだった。
しかし、ヒナタとナルトが二人きりになる、その瞬間を、九尾は待っていたのだ。
――お前が誰のために、己の命を犠牲にしてまで、この世界を守ろうとするのか。
空いた手を額へ押し当て、ナルトは強く、頭を左右に振る。
――もっとも、失いたくないもの……一緒にいたいと、サクラに告げることが出来ない、その気持ちを、一番理解してくれる者だ。
額から汗がにじみ、地面へ膝を突いた。
横からヒナタが心配そうに、顔をのぞき込んでくる。
まさか、とナルトの全身に震えが走った。
――お前に心を許し、体を捧げた、唯一の女……一生片思いでいる、そのツラさを分かってくれるヒナタだからこそ、お前は恋に落ちたのだ。
やめろ、と声にしないまま、強く願う。
なぜ、今の自分と同じように、分身が膝を突き、うずくまっていたか。
その理由を知ってしまったのだ。
――ずいぶんと勝手な恋だな、ナルト。それがわかっているからこそ、お前はヒナタの中だけで、生きることを誓ったのだ。美しい思い出として……お前亡きあとの、この世界で。
そして、とうとうナルトは、一番聞きたくない、分身とヒナタの会話を聞いた。
――ヒナタ、オマエ……クラマの、九尾の声が……。
分身が話しかけ、ヒナタは答える。
――うん、聞こえる……聞こえてるよ。
ナルトは飛び跳ねるように、立ち上がった。
「クラマ!! なんで、ヒナタにそんなコト、話して聞かせたんだっ! どうして、そんなコトするんだってばよ!!」
一瞬にして、世界が切り替わる。
ナルトはヒナタと固く手を繋いだまま、あの場所にいた。
深い心の奥にあって、いつも尾獣達と出会う、真っ白な、無音の空間だ。
『ナルト、ワシはもう一度、繰り返す』
ぴたりと重なり合うヒナタの手が、泣きたくなるほど、温かい。
『ナルト、お前は選ばなかった』
隣に立つヒナタを、食い入るように見つめる。
彼女は微笑んだ。
まったく変わらない、ナルトが良く知る、優しい笑顔だ。
『ヒナタを選んだのは、ワシだ』
九尾の姿を探すように身を乗り出し、ナルトは吠えた。
「クラマ!! ヒナタをどうするつもりだっ!」
『火影になるまで死なぬと、お前はいった』
「うっせーっ! 質問に答えろっ、クラマ!!」
初めて、クククと九尾が笑いをもらす。
『お前を生かしてやると、いっているのだ』
「オメーが死んで、オレが生き残る? 冗談じゃねェ!! それに、火影になんのはオレの夢で、オメーの夢じゃねーだろっ?!」
『フン、今さら何をいってもムダだ。この時のために、ワシは力をたくわえてきたんだ』
「狸寝入りをしてかっ? サクラちゃんとヒナタへ、オレが里を出たと、わざわざ知らせに行って、こんなトコへ連れてくるためかよ!!」
『うるさいぞ。ここまでヒナタと来れたのは、ワシが最後の力を分けてやったからだ』
くだけた口調となった九尾の声に、初めて悲しみがにじんだ。
別れを惜しむがいい、と絶望的な響きを伴って、知らされる。
『お前が生きるために必要なチャクラと、残酷な未来を残してやる。ワシが選んだ……』
ヒナタの命と引き替えに――と、九尾がいい、ナルトは叫んだ。
「やめろっ! ヒナタを選んだのは、オレだったハズだ! オマエじゃねーッ!!」
『だから、お前は死ぬまで、ヒナタのことを忘れない。そんな残酷な未来であっても、世界は守られる。ナルト、お前が生きている限り、人はまた、前へ進むだろう』
予言の子なら生きるのだ、と別れを告げる声が、ゴウと風の吹き込む音に呑まれ、消えて行く。
ナルトは再び、嵐の中へと戻された。
ヒナタと二人、ひらり、ひらりと散りゆく神樹の真っ赤な花びらに囲まれながら、風に翻弄され、空高く浮かび上がる。
「ヒナタ、大丈夫だ! ぜってー、オメエだけは、死なせねェ!!」
「ナルトくん……ありがとう」
繋がったヒナタの手が、ぎゅっと強く、ナルトの手を握った。
「もう、その言葉だけで、十分だよ。それよりも、下を見て。ほら、大地があんなに……」
きらきらと輝く神樹の花粉で満たされ、地上はもう、闇に包まれていなかった。
灰色の荒野は消え去り、鮮やかな色がいくつも広がっている。
その明るい光景を真下に見ながら、ナルトはつかむ腕を懸命にたぐり寄せると、ヒナタを抱き締めた。