「まあ……デートみたいなモンかな」

笑いながら、イルカがあっさりとうなずき、木ノ葉丸は目をくりくりとさせた。

「ものスゴイ美人じゃねーの! 先生も隅に置けねーな、って……え?」

ひょっとして日向のヒナタ様? と顔をのぞき込まれ、とっさにヒナタは口へ手をやると、
「ひ、久しぶりね。木の葉丸君」
と、しどろもどろに答えた。

「どういうコトなんだよ、コレッ?!」
「まあ、色々と事情があるんだ」

驚く木ノ葉丸の腕を引き、
「ちょうどいい。ちょっと頼みたいんだが……」
と、道の端へ連れて行くと、イルカは何やら彼に、耳打ちをした。

道の真ん中で、ヒナタはそんな二人の様子を、遠目に見ていた。

やがて木ノ葉丸は、
「ま、ソレぐらい、頼まれてもイイけど……」
と、ヒナタを意味ありげに振り返ったかと思うと、素早く地面を蹴り、あっという間に姿を消してしまった。

「どうしたんですか?」

ゆっくりと歩み寄ってくるイルカへ、彼女が首を傾げてみせると、
「急ぎの伝言をお願いしただけだから」
と、彼はいい、
「甘いものは好き?」
と、逆に聞いてきた。

「好き、ですけど……?」
「じゃあさ、ちょっと行ってみないか? 美味しいぜんざいを出す店が、この先にあるんだ」

はい、とヒナタが小さく返事をし、イルカは細い路地の奥へと、彼女を案内した。

(あ、ここ……)

何度か角を曲がり、見知った建物の前に来ると、ヒナタは考えるよりも先に、最上階を仰ぎ見た。

ひときわ往来の盛んな繁華街にある、この集合住宅は、そのそびえ立つ高い外観から、復興のシンボルのようにいわれている。
大戦後、その一番上に位置する部屋へ、ナルトは移り住んでいた。

――里の奴ら全員に、オレの存在を認めさせてやるんだ!!

彼の元気な声が聞こえたような気がして、ヒナタは微笑んだ。

(ナルトくん……木ノ葉隠れどころか、全ての国々が認める、英雄になったんだね)

いくらヒナタが手を伸ばしても届かない、遥か高みで、ナルトは広い世界を、その目に映している。

――そして、オレは火影になるってばよっ!

余すことなく里の様子が見て取れる、あの高い場所の後ろには、歴代火影達の顔が彫られた、岩山が広がっている。
かつての言葉どおり、その中に彼自身が加わる日を、ナルトは待っているのだ。

「やっぱり、ここで立ち止まるのか」

視界の端に、そろって上を向く、イルカの姿があった。

「君は不思議な子だね。まともにナルトと目を合わせられないばかりか、アイツと出くわして、気を失ってしまったこともあったんだろ? でも、こうして遠くからなら、彼と真っ直ぐに向き合える……」

違うんです、と喉まで出かかった声を、ヒナタは呑み込んだ。

(イルカ先生じゃなく……私を、見てくれているの?)

少しだけチャクラを練り、大きく見開いた瞳に力を込めると、部屋の窓からではなく屋上のヘリに立って、じっとこちらを見下ろす二つの影に、目を凝らす。

ひらひらと青空に舞っているのは、朱色に染め上げられた、長い羽織りの裾だ。
自来也の後継者であり、妙木山蝦蟇仙人と名乗ることを許された者だけが、袖を通すことのできるそれを、鮮やかなオレンジ色の服の上に羽織り、彼はそこにいた。

――ヒ ナ タ。

ナルトの唇がかすかに動き、強い視線が吹き下ろす突風のように、ヒナタの体を射貫く。

ありがとう、と彼女は心の内で叫んだ。

(もう、十分だよ。ナルトくん……)

にじんでゆく景色を追い払おうと、ヒナタは瞬きをしながら、
「先生……木ノ葉丸君に何を伝えるよう、頼んだんですか」
とたずね、足下に視線を落とした。

「さあて、何だろう……」

イルカはとぼけながらも、うつむく彼女の肩に、そっと手を置いた。

「ヒナタ……君はいつもそうやって、ナルトを遠くから見守って来たんだね」

力無く首を左右に振り、おずおずとヒナタは口を開いた。

「ナルトくんの回りにいた人は、みんな同じだったと思います。キバ君やシノ君、いのちゃん、シカマル君、チョウジ君……」

イルカ先生やカカシ先生だって、と消え入るように話す彼女へ、
「それとは、違うよ」
と、イルカは短くいい放った。

「アカデミーの教室や廊下、校庭で……彼が歩く通りの道端で……敵から目をそらすべきではない、自分の身を守ることさえ危険な戦場で……。君はいつもナルトの姿を目で追い、そっと影から応援し続けたんだ」

ヒナタは恥ずかしさに、頭がぼうっとなった。
いつだって気が付くと、彼のことを目で追っている。
そして、周囲の人々も、そんな彼女に気付いているのだ。

「ヒナタ……ナルトがそれを、知らないとでも?」

知っていたとして、彼にはどうすることもできないと、分かっている。

何も答えようとしないヒナタの態度をもどかしく思ったのか、
「どうして、きちんと話をしようとしないんだ」
と問い質すイルカの声が、わずかに裏返って聞こえた。

「さっき、ホムラ様のお屋敷で、ナルトの母親の話が出たよね。まだまだヒナタの知らない事実が、たくさんあるんだ。そういうことを、ナルトの口から、直に聞きたくないのかい? もっと彼のことを知りたいって、思ったりしないの?」

ヒナタは胸が苦しくなり、
「……ナルトくんのお母さんだもの」
と、下を向いたまま、くぐもった声を出した。

「きっと強くて、立派な人に決まってます」

それに、とイルカへ視線を戻し、
「もう、満足です」
と、彼女は小さく笑ってみせた。

「私、屋上にナルトくんがいるなんて、思ってもみなくて……」
「思ってもみなくて?」

いい淀むヒナタをうながすように、イルカは首を傾げ、聞き返してくる。

「息が詰まって、気を失いそうでした。でもすぐに、イルカ先生のことを見ているんだと、思い直したんです」
「でも、違っただろ?」

ようやくイルカが笑い、ヒナタは肩をすくめた。

「ナルトくんの隣で……木ノ葉丸君は困ってたみたい」
「そうか、そりゃそうだよな」

ふっと腕を伸ばし、イルカはその大きな手の平で、彼女の頭を撫でた。

「選ばれるのを、待っているんじゃない……」

再び頭上を仰ぎ、目を細めた彼は、
「ヒナタは選んだ。だから、今度はナルトが選ぶ番だと、木ノ葉丸に伝えさせたんだ」
と、声をひそめた。

「家の前を通るから、彼女をよく見て考えろと、伝言したんだが……」

答えは出たのかな、と心配そうにつぶやくイルカの手が離れ、ヒナタは小さく吹き出した。

「何か、おかしいコトいったか?」
「いえ……イルカ先生って、本当にナルトくんのお兄さんみたい」
「うーん。考えようによっちゃ、モテる弟を僻む兄貴、といった役回りかもしれない」
「ひ、僻んでるんですか?!」

彼女が驚き、たずねると、
「そりゃあ、そうだろう!」
と、イルカは憤慨したように、胸の前で腕を組んだ。

「見つめ合っただけで、満足だなんていう女の子……しかも、あんな離れた場所からだぞ」

そんな子に好かれるなんて男冥利に尽きるよなあ、とあまりにもしみじみとした口ぶりで彼がいい、ヒナタもついつい笑ってしまった。

「あんな風に……見てくれたらいいな、って、ずっと夢見てたんです」

私だけを――。

風が吹き抜け、あらゆる熱気をさらっていく。
ヒナタは指を滑らせると、ほつれた髪を撫でつけ、空を見上げた。

(ナルトくんが選ばれるのを待っている相手は、きっと……)

もう何年も、彼に寄り添い、行動を共にしてきた彼女は、その強固な意志でナルトを支え続けた。
そして、憎しみが渦巻く世界の中で、命を賭してまでナルトとサスケの呪術を解き、二人を守りきったのだ。

(ナルトくんの視線の先は、いつだって、サクラちゃんだったもの……)

上を向いたまま、動こうとしないヒナタの背を、そっとイルカが押し、二人は歩き出した。

「ホムラ様が動いている以上、この縁組の話は任務に等しいと、オレは思っている」

打って変わって険しい顔つきとなったイルカは、静かに語った。

「それに忍の世界は、子供がのんびりと大人になるのを待っていてくれるような、優しい世界でもない」

特に君のような一族を束ねる家に生まれた者にとっては、と一息に告げ、
「満足したといい切れるのなら、ナルトにはもう、何も期待しない……それが、正しい選択なんだろうな」
と、彼の顔を仰ぐヒナタから、目を逸らした。

(それが、大人になるということ……)

そっと帯に触れ、瞬きをした途端、目尻からぽつりとこぼれ落ちるものがあった。
彼女はぐっと奥歯を噛み締め、後ろを振り向く。
赤とオレンジの鮮やかな色合いを身にまとった彼の姿は、どこにもなかった。

――まっすぐ自分の言葉は曲げない。

大人になるんだ、とヒナタは声を出さずにつぶやくと、顔を前へ戻した。
そして、乾いた路地の表面にたった一つ、小さなシミを残して、歩を踏み出す。

大人になる――それが今、自分に課せられた役目であり、曲げてはならない、決意でもあった。