こんばんは、と小声で返したきり、イルカから顔を背け、ヒナタは後ずさると、もたれかかるように、通路の柵へ背をつけた。

「イルカ先生が、役者はそろったなんていうから……」

割って入るように一歩前へ進み出たカカシがいい、ヒナタに寄り添うネジへと、視線を走らせる。

「ちゃんと彼女に、事情を説明したのか?」
「行けばわかると、話しました」
「ソレ、説明になってないよねェ……」

カカシとネジのやり取りを聞き、今さらのように、ヒナタは気が付いた。

(行けば、わかる……)

柵から体を起こし、すうと息を吸い込むと、目にチャクラを集中させる。

――白眼!!

途端に強烈な光の渦が、彼女の体を覆い尽くした。

(これは、何っ?!)

目をかばおうと、とっさに上げた両腕の隙間から、ヒナタは恐る恐る、前をのぞき見た。

「すごい……!」

ナルトの部屋は、建物の階段を登り切った最上階の、一番端にある。
その一画だけが、夜の八時をそろそろまわる時刻だというのに、煌々と真昼のごとく光り輝いていた。

「やっぱり白眼でなら、見れるワケね」

ドアと向かい合うヒナタとネジに、カカシは並ぶと、ため息混じりとなっていった。

「えらく特殊な結界だな」
「何らかの形でチャクラを封じ込め、応用する忍術なんでしょうか」

カカシの向こう側で、そうイルカが疑問を呈し、
「忍術ではないですね」
と、ネジが答えた。

「術式のようなものが、まったく見当たりません」

そうだろう? と横からネジに同意を求められ、白眼を解いたヒナタは腕を下ろし、うなずき返す。

「私は……」

光が消え、元通りとなった薄暗い通路でいい淀み、脇にいるネジから
「何だ? 気が付いたことがあるなら、いったほうがいい」
と促された。

「あの、私は……ナルトくんそのものだと、感じました」
「結界のコトをいってるの?」

カカシに問われ、ゆっくり瞬きをしながら、こくりと再び首を傾ける。

「とてもまぶしいけれど、あったかくて……赤味を帯びた、夕日のようにキレイな、オレンジ色だったから……まるでナルトくんのように、見えたんです」
「……なるほどね」

相づちを打つカカシの声が、心なしか暗い響きを伴って聞こえ、ヒナタはかたわらに立つネジを、おずおずと上目遣いに仰いだ。

「ネジ兄さんは……私を迎えに来るより前に、ここへ……立ち寄ったんだよね?」

覚束ない口調となっていい、
「だったら、何だ」
と、ネジに問いただされた。

「結界を作ってる……多分ナルトくんのチャクラだと思うけど、オレンジ色の光はもちろん、ナルトくんの無事な姿も見たんでしょ? 」
「見たさ。どういう訳か、居間の床の上で布団にくるまり、呑気に熟睡しているな」
「疲れてるんだよ、きっと……だから、いずれ目覚めたらナルトくんも結界を解くだろうし、焦らず今は、眠らせてあげたほうが……」
「カカシ先生が確かめたいのは、そんなコトじゃないさ」
と、イルカは突然、ドアへ近付き、ヒナタを振り返った。

「まずは、アカデミーで教えたことの、復習をするぞ。結界忍術は、一種の封印術でもある……覚えてるか、ヒナタ?」

学生時代に戻り、はい、と慌てて彼女も返事をした。

「隠したい、もしくは守りたい対象を、封陣で囲みます」
「そうだ。その際、よく使われるのが行の印で、結界で囲む対象に、その術式が書かれた札を貼ったり、術式を直接チャクラで書き込んだり、練り込んだりする。けれども、それで全部じゃないよな?」
「あ、ええと……はい。術者がチャクラを操作して、結界を作る場合もあります」

例えば木ノ葉の里を囲む、情報班の結界のように、とヒナタが答え、アカデミーの教師らしく、イルカは笑顔となって、大きく首を縦に振った。

「後者の場合、結界が解かれるのは、どういった時だ?」
「術者がチャクラをコントロール出来ない状況です。意識を失ってしまったり、命を落としてしまったり……」

説明の途中で、ヒナタは危うく、声を上げそうになった。

(術式が全く使われていないんだから……)

完全に部屋の中で眠り込んでいるナルトが、結界を張れるはずもない。

「ヒナタのいったコトは正しいよ。ある意味、この結界はナルトの分身といえる」

カカシが口を開き、ヒナタの驚きに、追い討ちをかける。

「でも、術式によって、意志をチャクラに託すことは、可能だが、チャクラ自体が意志を持つことは、有り得ない」

唯一の例外をのぞいて、とカカシは眉間にシワを寄せた。

「それは……尾獣だ」

弾かれたように、寄りかかっていた柵から体を起こして、ヒナタは身を乗り出し、
「この結界に、どんな意志があるというんですか?」
と、カカシを見上げながら、声を震わせた。

「ただ、他人を部屋に入れないようにしているだけで……」
「だったら、確かめてみるしかない」

ぴしゃりと発せられたイルカの言葉に、ヒナタも思わず押し黙る。

「そのために、オレも、ヒナタも、呼ばれたんだから」

おもむろに彼は、ズボンのポケットから鍵を取り出し、
「それに見合ったアイテムを使ってみる……結界を解く、重要なポイントだろう?」
と、優しくヒナタへ笑いかけ、
「すごく初歩的だけどな」
と、うなずいてみせた。

(そっか……ナルトくんの部屋の鍵を預かっているのは、私一人じゃないんだ)

がっかりはしなかった。
それよりも、見聞きしたことが頭の中で上手く整理できず、戸惑ってばかりだ。
でも、とイルカへ歩み寄り、彼の手元を見つめる。

(ナルトくんはもっと、混乱してるのかもしれない……)

尾獣、とカカシが口にしたことで、それは確信に変わりつつあった。

(任務の間に何があったのか、私は知らない。でも、助けを求めているのなら……ナルトくん、私は……)

ヒナタが息を殺して見守る中、ナルト、とイルカは名前を呼び、鍵穴に鍵を差し込むと、ゆっくり動かした。
けれども、かちゃりと留め金の外れる音がした直後、回されたドアノブは、ぴくりともしなかった。

「やはり、開かないか」

静かな通路に、ぽつりとこぼされたネジの声が響き、
「まあ、予想通りだね」
と、いとも簡単にカカシは応じた。

「イルカ先生でダメなら、次は、ヒナタの番だ」

皆の視線がヒナタへと注がれ、イルカは場所を譲るように、そっとドアから退いた。

――ヒナターッ! 出て来ーいっ!! オマエが好きだあーっ!

日向の屋敷へやって来たナルトの、その叫びを、人づてにしか、ヒナタは聞いていない。

――自分が、すっげー突拍子もねえコトをしてんのは、わかるってばよ。でもオレには、どうしても、ヒナタが必要なんだ。

本当に彼がそういったのか、未だもって、信じかねている。
それでも、伝え聞いたその言葉を思い出すだけで、胸が潰れ、苦しかった。

(白眼でしか見ることの出来ない、不思議な結界……鍵だけでは開かないドア……)

ヒナタは深呼吸をして、ドアの前に立つと、腕を伸ばし、ドアノブをつかんだ。

(ホントに、突拍子もないコトばっかりだね)

ナルトくん、と心の中で呼びかけ、指先に力を入れた、その時、ふわりと浮いた体が、強く前方へと、引っ張られた。
声にならない悲鳴を上げながら、つんのめり、床に両手を突いたヒナタは、我が目を疑った。

(ココって……?)

手の平から、じんわりと冷たい感触が伝わってくる。
しかし、触っているのは間違いなくつるつるとした木の板で、視界の先に続くのも、室内の廊下だ。

(ドアを……すり抜けた?!)

一度しか来たことはないが、暗がりであっても、確かに見覚えがある。
ヒナタはナルトが住む部屋の中へ、まるで時空間忍術の使い手のように、一瞬にして、入り込んでしまったのだった。