「夜明け前の暗いうちから、日向の娘はナルトの部屋へ、親に内緒で通っている……けれども、今日に限って現れなかったと、毎朝のように日向の娘を見ていた、新聞配達人がいい、口さがない里の連中は、ナルトが帰って来たと知り、日向様は娘を屋敷に閉じ込めたのだと、言いたい放題だ」

なのに、と話すネジの声に、ヒナタを非難する響きはない。

「ウワサの張本人であるアナタは、それを知らないという」

むしろ静かで、冷静に事を見極めようとする、落ち着きに満ちていた。

「今日一日だけで、そんなウワサが広まるなんて……」

うつむいたまま、力無く笑っていい、
「ナルトくんはやっぱり、里の人気者なんだね」
と、ヒナタは首を左右に振った。

「ネジ兄さんも知ってると思うけど、ここのところ、長老の具合が思わしくないの。昨夜から今日の昼まで、看病のために、そちらのお屋敷にいたから、今朝はナルトくんの部屋へ行けなかっただけで……」
「そうか。ウワサとは、いい加減なものだな」

呆れたように応じるネジの声にも、苦笑いがにじんでいた。

「ナルトが留守の間、アイツに代わって植木に水をやるため、部屋へ通っていると、アナタはイルカ先生に打ち明けている。カカシ先生からも、アナタが部屋の鍵を預かった経緯を聞かされた。何にせよ、優しいアナタのことだ。恐らく、やましい気持ちなど、無かったんだろうが……」
「そんなことないよ」

躊躇なくヒナタは、ネジの言葉を打ち消した。

「父様に内緒でナルトくんの部屋へ行ったのは、事実だもの」

それでいて話しながら、やはりネジと目を合わせられない、自分の弱さに歯噛みをする。

「すべては、私の軽はずみな行動のせい……」

里のウワサを通して、誰もが皆、知っていたのだ。

謝って済むことではないと知りつつ、
「ごめんなさい」
と、告げずにはいられなかった。

「日向の名に泥を塗ってしまって……」

知っていて、ネジだけでなく両親も含め、日向家の人達は、ヒナタがナルトの部屋へ通うのを、黙認していた。

「大人になると、決心したのに……自分の言葉は曲げないと、誓ったはずなのに、私は……」
「気に病む必要はない。アナタだけでなく、日向も揺れているのさ。こんな風に」

大きな手がヒナタの髪に触れ、ぐらぐらと頭を揺らす。

「ヒアシ様とて、結論を出せずにいるということだ。そして、ヒアシ様以外、日向一族でアナタに意見できる者など、いるはずもない」

思いがけず、頭を撫でられたと、気が付いたのは、手の平の温もりを残して、ネジが腕を引っ込めた後だった。

ヒナタはどぎまぎしながら、
「ネ、ネジ兄さんは? ネジ兄さんなら……」
と顔を火照らせて、上目遣いに彼を見た。

「オレは知っているからな」

いつ頃からか、と何かを思い出すように遠くを見やり、
「何気ない瞬間、ナルトはアナタのことを、たびたび目で追っていた」
と、ネジは有るか無きかの笑みを、口元に浮かべた。

「話をする時も、アナタに向けられるアイツの眼差しは優しく、温かかったはずだ」

不意に顔を戻したネジと目が合い、慌てたヒナタは下を向き、
「そんなの……私だけじゃない」
と、声も小さくなる。

「ナルトくんは誰にだって、優しいよ……」

風に吹かれてきしむブランコの音も、かすかに聞こえる街の喧騒も、音という音すべてが、遠く夜の彼方へと消えていく。

(私……何を、いってるの?)

歯を強く噛み締めていたせいか、ひどい耳鳴りまでする。

(……しっかりしなきゃ!)

沈黙が支配する公園の片隅で、もの言わぬネジの視線を受け止めつつ、ヒナタは深呼吸をした。

「それで、ナルトくんは、いつ里に帰ってきたの?」

やがて彼女が顔を上げ、質問で返すと、何事も無かったかのように、ネジも返事を寄越した。

「昨夜だ」
「昨夜……?」

繰り返すヒナタへ、ネジは硬い面持ちとなって、うなずいてみせる。

「そうだ。そして今日、五代目のところへ任務完了の報告に来るはずだったが、ヤツは姿を現さなかった」

午後には上忍会議もあったが、とネジが続け、ヒナタは胸の前で、ぎゅっと両手を握り締める。

「そこへも顔を出さず、しびれを切らした五代目は、ナルトの元へ使いを出した。今日の会議はナルトにとって、とりわけ重要なものだったからだ」

感情を押し殺したネジの冷淡な口ぶりや態度は、普段と何ら、変わりない。
ともすれば高慢だと誤解されがちだが、正しく物事をとらえようとする、彼らしい冷静さの現れだ。

「それでもナルト抜きで、まずは、国の北部で降り続いている大雨について、話し合われることから会議は始まった」
「火の国から田の国へまたがる穀倉地帯が、洪水に襲われたという……」

そうだ、とうなずくネジの表情と声は、険しいままだった。

「事態は深刻だ。家や田畑が土砂に埋まり、避難した人間は十万人にのぼる。今現在の行方不明者数からいって、恐らくは、死者の人数も大変な数字になるだろう」
「そんな……」
「すでに木ノ葉の先遣隊が避難者の救助や誘導に当たっているし、雨はやみつつあるという、雨隠れからの報告も上がっている。追加で派遣された者達が現地入りし、行方不明者の捜索や排水作業といった、次のステップに進む準備も万端だ。しかし上層部は、その更に先を、読まなくちゃいけない」
「その先、というと?」
「このままでは間違いなく、食料危機が訪れる」

ネジの頭に巻かれた額当てが、月の光を反射して、冷たく輝くのを見上げながら、ヒナタは息を呑む。

「収穫直前の、この時期、あまりにも広大な面積が被害に遭った。しかも、砂や岩にまみれ、荒れ地となった田畑の復旧に、四、五年はかかる見通しだ。周辺各国との取引が多かった地域だけに、影響は世界中へと広がるだろう……」

こういった混乱は、総じて争いを生み易くする。

「事実、食料を確保しようと、各国が動き出している」
と、ヒナタの不安を察したのか、率直にネジは語った。

「これを機に、有利な取引を企む連中も現れるだろう」

手段を選ばずにだ、とネジがいい、ヒナタは目の前が暗くなる。

「また戦争に……なるのかな」
「そうならないためにも、ナルトの力が必要だ。ここだけの話だが、大名からナルトへ、火影就任要請まで出ている」
「火影? ナルトくんが、火影に?!」
「どうして、驚く。火影はナルトの夢だ」

きっぱりと言い切るネジを、信じられない思いで見つめ、
「そんなの……突然すぎるよ」
と、つぶやかずにはいられなかった。

「そうでもない。前々から、体力の衰えを理由に近く引退されると、五代目は明言していた。それに、ナルトを表へ出して、外交に当たらせれば、災害の陣頭指揮に、綱手様も専念できる」

おいそれとは里の外へ出られない。
それが、影という長の立場だ。

ナルトを里へ留め置き、他国の侵略には一切かかわらせない。
ただし、火の国もしくは木ノ葉隠れの里へ攻め入ろうとするならば、断固容赦せず、彼が相手をする。

強大な尾獣の力が、あくまで、専守防衛のために使われるという、国外へのアピールを兼ねたナルトの火影就任は、今の状況であれば、世界中から好意的に受け取られるだろう。

小国にとっても都合が良く、大戦の英雄である、他の大国との繋がりも深い、彼が火影なら、木ノ葉へ助けを求め易い。

「次の火影はナルトだ。皆に異論はない」

淀みないネジの説明は、理にかなっていたが、どこか性急すぎて、危うい気もする。

「ナルトくんが、火影になる……」

うわごとのようにいい、
「わかったか、ヒナタ。日向一族にとっても、ここは正念場だ」
と、初めてネジから、『ヒナタ様』ではなく、『ヒナタ』と呼ばれた。

自分の立場の危うさに、ようやく考えが及び、ヒナタはハッとして、
「それで、ナルトくんは……」
と食い入るように、ネジの目を見据える。

「今、どうしているの?」
「部屋にこもっている。しかも結界を張って、誰も入れようとしない」
「……」

押し黙るヒナタにかまうことなく、ネジは続けた。

「ナルトを呼びに、五代目はサイをやった。アイツなら、ナルトと親しいし、他人の部屋へ忍び込むことも、造作ないからな」

でも結局は結界に阻まれた、と知らされたヒナタは、口元へやった手の下で、そっと下唇を噛む。

「上忍会議を終えて、サイの報告を受けた五代目は、内々にナルトの様子を探るよう、カカシ先生に命令を下し、ナルトがアナタへ鍵を預けた経緯を知るカカシ先生は、オレに声をかけてきた」
「でも……そんな単純なものとは、思えないよ」

引きつる唇をどうにか動かして、ヒナタは上半身を乗り出した。

「鍵があれば、結界を破れるなんて……ネジ兄さん、ホンキなの?」
「それは、行けばわかることだ」

にべもない返事と共に、ネジは後方へ高く飛び跳ねた。
話すべきことは話したということなのだろう。
すっくと電柱のてっぺんへ降り立ち、上に向けた手のひらの、手首をクイと曲げて、手招きする。
ヒナタはナルトの部屋がある方角へ、引き寄せられるように、顔を向けた。

――ナルトくんの幸せって、何?

小声で問いかけ、駆け出すと、砂利を蹴った足下から、ふわりと砂埃が舞い上がる。
そんなヒナタの動きに合わせ、先を行くように、電柱から離れるネジを、彼女も追いかけ、たちまち二人はナルトの部屋がある、建物の前に来た。

踊り場から踊り場へと飛び移り、階段を上がった最上階にはカカシがおり、
「ヒナタ、悪いね。呼び出しちゃってさ」
と、彼は寄りかかっていたドアから体を起こすと、呑気に右手を挙げた。

「これで、役者はそろいましたね。ナルトのヤツ、どんな反応を示すんだか……」

すっと通路の奥から、イルカまで姿を現し、
「イ、イルカ先生っ?」
と驚く彼女へ、気軽に挨拶をする。

「こんばんは、ヒナタ。それにしても、よく屋敷を出て来れたなー。日向様はご承知なのか?」
「皆が想像するより、ヒアシ様は理解のあるお方です。包み隠さず事情を話したら、簡単に許しが出ましたよ」

代わってネジが答え、イルカはニコニコとうなずき、ヒナタを見た。