「オレってば、特別なんだ」

ナルトは素早く指先で目頭を触り、涙を引っ込めた。

「四代目の息子だからな……背負うモンの大きさはわかってるし、ソイツを誇りにもしてんだ」

でもな、と自らへいい聞かすように、
「ヒナタにとってオレは、別の意味で特別だってばよ」
と、いっそう声をひそめ、ナルトはいった。

「オレが、アイツを変えただけでなく、救ったとまで、いうんだ。そんなオレに憧れ、追い付きたいと、ヒナタも頑張ってきた」

だから、と顔を突き合わせたまま、
「イルカ先生にいわれた通り、選んだんだ」
と、目に力を込める。

サクラちゃんではなく、ヒナタを――声にしないまま、ナルトは胸の内で、つぶやいた。

「オレは何を期待していたんだろうな」

目の前でイルカは、一歩、また一歩と、後ろ向きに階段を下り、弱々しく首を左右に振った。

「ナルトへの未練を捨てさせようとしたのか……それとも、諦めることなく、ナルトと幸せになって欲しいと願ったのか……」
「イルカ先生らしいってばよ。ヒナタのことを、心配したからこそ……」
「いや。違うんだ、ナルト」

苦しげに眉をひそめ、
「どっちにしても、ヒナタは傷付く」
とイルカが続けるのを聞き、ナルトは息を呑む。

「そうあっさりと、ナルトへの想いを、断ち切れるはずがないんだ。かといって、ナルトと付き合えば、オレとの結婚を勧める家の方針に、背くことになる。そうなったら……」

オマエまでが傷付くんだ、とイルカにいわれ、今度は長い息を吐いた。

「誰よりも、他人を大切に思う、優しいオマエだからこそ……ヒナタが悩み、苦しむのを見て、平気でいられるはずがない。そんなナルトを、オレは見たくなかったはずなんだ」

柔らかい街灯の光を浴び、たたずむイルカの姿を、身じろぎすることなく、じっと見つめ、
「……優しいのは、イルカ先生の方だってばよ」
と、ナルトはやがて、小声を発した。

「ありがとな。心配してくれてさ」
「ナルト……」
「でもな、ヒナタはそんな、弱っちいヤツじゃねェ」

イルカを上目遣いに見やり、頑とした口調で告げた。

「アイツの強さは、オレが一番良く知ってる」

驚いたように、瞬きを繰り返すイルカへ、歯をむき出して、笑ってみせた。

「明日の朝、ヒナタが来たら、オレの気持ちを打ち明ける……まずは、そこからだってばよ!」

右手を前へ突き出し、親指を立ててみせるナルトとは逆に、イルカは眉間にシワを寄せた。

「イルカ先生?」
「……女にうつつを抜かし、幸せになりたいなどと口にするのは、忍として言語道断だ」
「はあっ?! 幸せになりてーなんて、ひとっこともいってねーよなっ?」

ムキになっていい返すナルトの頭を、その大きな手で鷲づかみにし、
「そうか、だったらオレがいってやる」
と、イルカは乱暴に揺らすと、
「幸せになれ、ナルト」
と突然、優しい声を出した。

「両親の分も、自来也先生の分も……いっぱい、いっぱい、幸せになるんだ」

そういい残して、彼が通りへ出て行ってしまい、口をぽかんと開けたまま、呆気にとられていたナルトは、
「……待ってくれ!」
と慌てて、追いかけた。

「何だ? 今日は一楽でラーメンをおごってなんか、やらないからな」
「そんなんじゃねー! そんなんじゃねーけど……」

いい淀むナルトへ、イルカは寂しそうに微笑んだ。

「少しだけ、オレも想像したんだ。嫁さんをもらって、子供が生まれて……自分だけの家庭を持つ」

悪くないよな、と照れ臭そうに鼻の頭を掻くイルカと向き合いながら、ナルトはそっと下唇を噛む。

「どんな忍でも、そういう夢が当たり前に見られる、平和な時代の火影に……ナルト、オマエはなるんだ」
「……」
「さあ、もう帰って、ゆっくり休め」

ただ黙ってうなずき返し、
「お休み、ナルト」
と、右手を挙げて、去っていくイルカを、その姿が消えるまで見送った。

(ホント、ありがとな……イルカ先生)

ナルトは引き返し、建物の長い階段を上がった。
そして、ようやく自分の部屋へたどり着くと、真っ先に台所をのぞき、自然とため息が出た。
何もなかったかのように、全ては綺麗に片付けられ、野菜スープがどうなったのかも、わからなくなっている。

おまけに、一人きりの部屋は、どこか薄ら寒かった。
ナルトは軽く身震いをし、寝室へ行った。

着ていた服を脱ぎ、ベッドの上に放りっぱなしだったTシャとハーフパンツを拾い上げ、それらと新しい下着を手に、浴室へ向かう。
シャワーを浴び、着替えを済ませると、いくらか気分が楽になった。

居間で寝そべり、鉢植えの木の、青々とした大きな葉っぱに触れた。

「よかったな。オレが留守の間、ヒナタに水を貰ってたんだろ?」

居間の窓際には、六つも植木が並んでいる。
もとは一つだったのを、何年も世話する間に株分けし、増やした、ナルトのお気に入りだ。

「ちょっとぐらい、放っておいても、枯れやしねーけど……オレがいない間、面倒みてくれるヤツがいると、安心だってばよ!」

植木の瑞々しい葉はひんやりとしていて、触ると心地良く、ひょっとしたら、ヒナタも同じように触ったかもしれないと、妙に心が浮き立った。
そのうえ、彼女と一緒に料理をした時、ちょっと腕がぶつかっただけで、どぎまぎしたことを思い出し、心臓が早鐘のように、脈打ち始める。

(もう寝よ……綱手のバアちゃんとイルカ先生に、休めって、いわれたし……)

ナルトはフラフラと起き上がり、寝室へ行くと、脱ぎ散らかしたままの服を片付け、ベッドに寝転んだ。
そして、横になりながら、ぼうっと時間を過ごしていて、壁に吊した、赤い羽織りが目に入った。

――これをずっと、身に着けんさい。

大戦後に妙木山で、仙ガマのシマから手渡されたものだ。

疲れ切っていたが、なかなか寝付けないこともあり、思い立って、ナルトはベッドから足を降ろすと、羽織りを手に取った。

――よいか、ナルトちゃん。これには、自来也ちゃんの後を継いで、妙木山蝦蟇仙人を名乗る意味合いもあるんじゃ。

やはり仙ガマの、フカサクからいい含められたことを思い返しながら、窓辺に立ち、手に持った羽織りを広げ、じっと見つめる。
窓の向こう側では、里の明かりが点々と、人々の静かな暮らしを祝福するように、温かい光を放っていた。

――自来也ちゃんは、ずっと予言の子を探しておった。過酷な戦場を渡り歩いてもなお、いつか予言の子によって、平和な時代が築かれると、信じていたんじゃ。

ナルトには、忍の世界に安定と秩序をもたらす、予言の子として、どんな明かりも絶えることがないよう、果たさねばならぬ、使命がある。

――忍の世界は生き様ではなく、死に様じゃとも、自来也ちゃんはいうとった。だからこそ、ナルトちゃんは天寿を全うしなくちゃならん。力ばかりが全てではない、平和の世に死ぬんが、予言の子のつとめじゃ。

ナルトは羽織りにくるまり、ベッドへ腰を下ろすと、そのまま突っ伏した。

――自来也ちゃんが、ナルトちゃんに託したものを、決して忘れてはならんぞ。そうしていつの日か、戦いのない、平和な世で"生まれ育った者"に、ナルトちゃんもその羽織りを託すんじゃ。

歴代の火影達は皆、その身を投げ出し、里を守ってきた。
他にも多くの忍が、憎しみの連鎖の中で命を落とし、その犠牲のうえに、今の世界は成り立っている。

(守っていかなきゃなんねーんだ……)

ベッドに額をこすりつけ、ナルトはうめいた。

(そのための仲間も、オレには大勢いる……なのに)

どうしてこんなに苦しいんだ、と胸を押さえ、ごろごろとベッドの上を、転げ回る。
お陰で眠くなるどころか、ますます目は冴え、不安ばかりが増していった。

たまらずナルトは跳ね起き、ベッドの布団を引きはがすと、それを腕に抱え、居間へと舞い戻る。
そうして、窓際に並ぶ鉢植えの前で横になり、ひょっこり首だけ出して、布団にくるまった。

――ナルトくん。

あの優しい声がいつ聞けるのか、もどかしい気持ちとなって、緑の葉を眺めながら、ひたすら朝を待つ。

(ヒナタ……)

だんだんと白ばむ外の風景が、やがては昇る太陽に照らされ、はっきりと里の街並みを形作ってゆく。
窓を通し、動き出した人々の活気あふれる声も聞こえ始め、差し込む朝日のまぶしさに、ナルトは頭まで布団をかぶった。
それでも、一睡も出来ないまま、彼女を待ち続け、とっくに日が高くなり、明るくなった部屋の中で、ようやくナルトはゆっくりと、そして深い、眠りについた。