「香燐?! 驚かせんじゃねーっ!」
「サクラに見惚れてたのか?」
「み、見惚れてなんか……!」

ナルトが何かいい返そうとするのを無視するように、香燐は立てた人差し指で、ちょんちょんと向こうを指差す。

「ナニ、グズグズしてんだ。みんな先、行ってんぞ」
「ヤベッ!」

来た時と同じ岩ばかりの山道を、サスケまでもがさっさと話を切り上げ、軽快に下っている。
このままでは引き離されると、急いで地面を蹴った。

(アレッ?!)

一息に皆を追い抜こうとして、空中でバランスを崩したナルトは、平らな岩場を見つけ、飛び降りる。

「どーしたんだ」

香燐がすっと隣へ降り立ち、メガネのレンズ越しに、冷たい視線を投げて寄越した。

「……いや、ちょっと」

言葉を濁し、頭を掻くナルトの前へ、いきなり彼女は足を突き出した。

「噛めよ」

太ももまである長いソックスを素早く下ろし、苛々したように、ホラッ! と香燐が指し示す、ふくらはぎに目を留め、ナルトは息を呑んだ。

「コレってば……」
「ウチの能力だよ。怪我をした箇所と同じトコを噛ませて、回復させんだ」

サクラの医療忍術には負けるかもしんねーけど、と素っ気なくいい、
「さっさとしろ。ふもとまで、フツーに歩いたって、三時間はかかるんだぜ」
と、文句をいう香燐の、むき出しの足には、歯形がたくさんついている。

いいようのない衝動にかられ、痛々しい噛み跡が残る足へ、ナルトは手をかざした。

(こんな、他人に傷付けられるだけの能力……)

静かな怒りが腹の底から沸き上がり、グッと奥歯を噛み締める。

「ナルト!!」

さあっと一切の傷跡が消えた、まっさらな足を見て、香燐は悲鳴にも似た声を上げた。

「オマエ、チャクラなんて、ほとんど残ってなかったハズッ?!」
「これでも回復は早えーほうなんだ」

立ち上がり、怯えたように自分を見上げる彼女から、ナルトは顔を逸らした。

「これだけ休めば、充分だってばよ。足の骨に、ちっとばかし、ヒビが入った程度だからさ」

そういって、岩場から飛び出すナルトの後に、香燐も続く。

二人は並んで、前を行く隊列を追い、やがて香燐のほうから、
「……サクラもスゲーが、オマエはソレ以上だな」
と、話しかけてきた。

「そういや、さっきもサクラちゃんの医療忍術を褒めてたっけ」

ライバルだったんじゃねーの? とナルトがイタズラっぽく問いかけると、意外にも香燐は、しゅんとした顔つきとなった。

「三尾が暴れてる間、アノ女ときたら、顔色ひとつ変えず、落ちてくる巨大な岩を素手でぶちこわすし、サスケから付かず離れずの位置に居続けて、ぜってー逃げねーし……」

淡々と語る彼女の横顔に、サクラを羨むような色が、浮かんで見える。

「それに、サスケの目はすっげえ特殊で、正直ウチの手には負えない。だから、針の糸を通すような精密さで進める、サクラの治療を横から見てっと、ホントかなわねーよな、と思っちまう」

わずかなチャクラの流れを読み、敵の位置や人の感情さえ、手に取るようにわかる香燐が感心するほど、見事な手際だったのだろう。
しかし、サスケを好きだという彼女にとって、それをかたわらで見守るだけのことが、どれだけもどかしく、つらいか、わかる気もした。

「サクラちゃんは、サスケに認められたい一心で、頑張ってきたんだ」

ナルトはいい、はるか前を行く、華奢なサクラの後ろ姿に、視線を当てた。

「オレもさ、里の連中から嫌われてたから、人に認められたいって気持ちは、痛いほどわかる。でも、サクラちゃんのは、特別だってばよ」

サスケ、一人だけに、認めて欲しかったんだからさ、と告げ、にっこり笑った。

「その一生懸命な姿に、オレも励まされたんだってばよ」

ふーん、と鼻で笑い、
「オマエ、わかりやすいな」
と、香燐は眉をひそめた。

「アノ女と、ウチに仲良くしろと?」
「オマエは悪いヤツじゃねーし、サスケにとっちゃ、大切な仲間の一人だってばよ」

それに、とナルトはひときわ高くジャンプし、香燐の頭上で体をひねると、
「サスケには、心の底から信頼できる味方が、一人でも多く、必要なんだ」
と、自分を見上げる彼女の目を、真っ直ぐに見つめ返した。

「頼むからアイツを支えてやってくれ」

できればサクラちゃんと一緒に、と頭を下にして、香燐を見ながら、地表へ両手を突く。
そのまま、くるりと回転したのち、地面に下りると、続けて彼女も、膝を屈めて着地し、すっくと立ち上がった。

「ウゼーんだよ。ウチはな、他人と馴れ合うのが、大キライなんだ」

香燐は腰に右手をあて、首を傾けると、ナルトを斜めに見ながら、ケンカ腰となった。

「それにな、ナルト。てめーこそ、他人の心配なんかしてる場合じゃねーぞ! わかってんのかっ?」

思わず吹き出しそうになるのを、ナルトは我慢した。

(なんか、昔のサスケみたいだってばよ……)

そう考えた途端、香燐が顔を真っ赤にし、ナルトは焦った。
心の動きを誤って読み取られ、バカにしたと、勘違いされたのかもしれない。

「サスケの苦しみを受け止めてやれる人間は、そうそういねーんだ」

ついつい、必死になる。
彼女もまた、自分やサスケと同じく、異端者として、過酷な道を歩んできたのだ。

「オマエこそ、オレを心配してくれる、優しさがあんなら……」

ナルトは言葉に詰まった。
傷付けたくないのに、これでは、サスケを想う香燐の気持ちを、利用しているも同然だ。

(違うんだ。オレってば、香燐も友達だと……)

上手く説明できずにいるナルトを横目に、香燐は突然、自身の長い袖をまくり上げて、両腕を見たかと思うと、上着の襟元を引っ張り、服の中をのぞき込む。

「どうしたんだってばよ」

たずねるナルトへ向き直り、
「はあ……」
とあからさまに、ため息をついてみせると、
「まさかとは思ったけどな」
と、メガネの縁に指をやり、クイと押し上げる。

「ウチの体にあった古傷が、全部消えてる」
「別に、オマエの能力まで消えたワケじゃねーだろ?」
「あったりめーだっ! そんなコトあってたまるかっ」

香燐に詰め寄られ、道の真ん中でナルトはウッと声を発し、のけぞった。

「でもな、間違い無く、てめーは化けモンだよ! 一瞬で、山を緑でイッパイにしたり、消えねーハズの傷を消してみたり……フツー有り得ねーぜ? そんなデタラメなチカラ!」

容赦なく顔を近づけ、ナルトに罵声を浴びせた彼女が、
「オマケに……重吾のいった通りだ」
と、殺気だったように、いきなり声を低くする。

「太陽のように明るくて、見てらんねーな」
「どういう……意味だってばよ」

警戒しながらたずね、緊張のあまり、手足が冷たくなった。

「その明るさが、てめーの心の闇を、よけー際立たせてんだ」

痛々しいくらいにな! と香燐は悪態を吐き、ナルトから離れた。

「てめーこそ、苦しみを受け止めてくれる相手が必要だって、ウチはいってんだよ!」

予想だにしなかった答えを聞き、面食ったナルトが、
「香燐ってば、やっぱイイ奴だな……」
と、ぼそりとつぶやき、彼女は頬を引き攣らせた。

勘違いすんな! と声を荒げ、
「傷を消してくれた、せめてもの礼に、教えとく」
と、メガネを触りながら、頬を赤く染める。

「ナルト。おめーは六道仙人の生まれ変わりどころか、ソレを越える存在になるかもしんねー」
「あはは。買いかぶりスギだってばよ!」
「うっせーっ、黙って聞け!」

香燐の気迫に押されて、押し黙り、ナルトは口をへの字に曲げた。

「誰からも好かれるし、信頼される。火影になったら、なったで、木ノ葉隠れの里は、オマエのもと、いっそう繁栄すんだろーよ、きっと」

でもな、と香燐は胸の前で腕を組み、凄んだ。

「しょせんは、人間だ。優しさを分け与えるばかりじゃ、いつか自滅する。支えてくれる、確かな存在を見つけねーと、自分で自分の首を絞めかねない」
「オレには、たくさんの仲間がいるってばよ。サスケやサクラちゃんだけでなく、他にも大勢……」
「だったら、今のおめーは何だ? 混乱しきっていて、マトモじゃねー」
「そんなことあるかっ! オレは十分、マトモだってばよ!!」

ムキになっていい返すナルトから、フンとそっぽを向き、彼女は回れ右をした。

「そこまでいうなら、もう何もいわねーよ」

肩越しにいい捨て、駆け出すと、振り返ることなく、山を下りて行ってしまった。

(支えてくれる、確かな存在……)

優しい少女の面影が脳裏をよぎり、ナルトはふと、ある疑念を抱いた。

――ひょっとしたら、彼女のことをきっかけに、九尾は眠りについたのではないか。

単なる思い付きだが、ナルトの心を強く揺さぶる、何かがあった。

(クラマ……オマエ、まだ寝てんのか?)

胸に手を当て、問いかけてみるが、何も返事はない。
ぎゅっと服の胸元を握り、空を見上げると、頬に雨粒が当たった。