高野悦子「二十歳の原点」案内
二十歳の原点序章(昭和42年)
1967年 6月16日(金)
 久しぶりで地域へいった。
 地域は、西大路三条の隣保館での活動である。
 京都市立壬生隣保館☞1967年5月17日
年上の大学同級生男性「学友の死に寄せて」

 仏語をさぼって御所でのんびりとした。
 御所は、立命館大学広小路キャンパスの西側にある京都御苑のことである。
京都御苑地図京都御苑の門

 空が珍しくあおくライトブルーの地色に、しぼりたての白の絵具のような白さの、もこもことした、ふんわりとした雲が、なんとなくそれにしては刻々と流れては消えていった。
 京都:晴・最低13.9℃最高31.1℃。日中は雲が多かった。
☞二十歳の原点1969年5月5日「雲が風に流れる」

 ヘッセの詩を想いだした。
  私は定めのないものが好きだ─
  ものでなくては あの雲の心はわからない
 ヘルマン・ヘッセ(1877-1962)は、ドイツの作家・詩人である。代表作は小説「車輪の下」、「デミアン」で、1946年ノーベル文学賞受賞。ここでの詩は以下の「白い雲」である(高橋健二訳「世界の詩1 新ヘッセ詩集」(彌生書房、1963年)、学習研究社出版局編「世界青春文学名作選8(世界青春詩集)」学研新書(学習研究社、1963年))。
白い雲
おお見よ、白い雲はまた
忘れられた美しい歌の
かすかなメロディーのように
青い空をかなたへ漂って行く!

長い旅路にあって
さすらいの悲しみと喜びを
味わいつくしたものでなければ
あの雲の心はわからない。


私は、太陽や海や風のように
白いもの、定めのないものが好きだ。

それは、ふるさとを離れたさすらい人の
姉妹であり天使であるのだから。
☞二十歳の原点1969年3月29日「ヘッセときいて「雲」を思いうかべ」

1967年 6月18日(日)
 つゆのおりたった草の上で
 京都:曇・最低18.3℃最高30.7℃。午前4時ごろにごく弱い雨が降っている。

1967年 6月27日(火)
 それからソフトボールをやって、思いきりあばれたい。
☞二十歳の原点ノート1966年9月16日「このところ二十、二十一、二十二日の体育大会のソフトの練習で」

 特に現在のこのようなマスプロ教育と言われる中においてはなおさらである、といわれている。
 マスプロ教育については様々な定義があるが、大学の場合、講堂や大教室での講義中心のカリキュラムを意味する。マスプロはマスプロダクション=大量生産の略である。聴講者(または登録者)が500人を超えるなど教員と学生との間に距離感があることから、講義内容の質が伴わないと、学生の学問的関心を失うきっかけになりやすいとされる。
 1960年代末からの大学の大衆化の流れの中で、とくに私立大学が大量の学生の受け皿になり、効率化を進めるうえで生じたマスプロ教育の問題点が指摘されるようになった。

 立命館大学文学部をみると、専任教員一人当たり学生数は68人(1967年度)で、明治大学の70人よりは少ないものの、早稲田大学の37人や同志社大学の40人などに比べると多かった。

 「大学には〝五月危機〟という言葉がある。これは本学に限らず全国の大学にある言葉である(特に私立大学)。この言葉は様々な期待と意気を持って入学した新入生が5月ごろになると〝大学〟というものをある程度知り、マスプロ講義などにもふれ、それらに失望して〝大学〟から遠ざかる傾向を言い表したものである」(『本学の教学を探る』「立命館学園新聞昭和42年5月11日」(立命館大学新聞社、1967年))
 
 『大学でいかに学ぶか』を再び読み始めた。第一章をよんでとじてしまったが、
☞1967年8月20日「『大学でいかに学ぶか』第一章を読んで」

 私は現在、部落研に入っている。
 部落研☞1967年5月10日

 立ちあがって眼下に広がる景色をみていた。
 ふと手前の山の岩のごつごつとしたのを見た。
 登った山(山科)☞1967年4月22日

手前の山の岩

 手前の山の岩は、京都市東山区山科上野池ノ下(現・山科区御陵安祥寺町)の岩である。
山道の位置手前の山の地図
 山道の入口は安祥寺境内の地蔵堂左手にある。この山道を進み、本堂を左に見ながら進む。
☞1968年3月31日「安祥寺が見えてくる」
山道入口本堂
 山道は沢沿いに進んでいき、最初はなだらかだが、途中から傾斜がきつくなってくる。この道は現在、手入れがされていないので、倒木や枯れ葉などで相当荒れている。
なだらかな上り急な上り

 登ってくる途中でいかにもごうまんに、威厳を保って見下していた岩だった。
 上り道をしばらく進んだ左手の木々の間の上の方に岩が見える。
 かなり上の方なので、意識せずに目の前だけ見て歩いていると気が付かない。ただ、この山道の本堂より先でランドマーク的なものは、この岩だけである。
 近づくと、全体は岩と言うより“岩壁”と言えるくらいの大きさがあることがわかる。
山道から見える岩岩アップ
 岩の上まで実際に行ってみた。その先端に立つと住宅地まで眺めがよく、緊張して足元がビクつく。
 もっとも岩の直下に高い樹木がうっそうと茂る現在においては絶壁の上にいるという感じはそれほどしない。当時は別の見え方だったのかもしれない。
 現在、奥にある山の頂上付近は林になっているため、景色はほとんど見えないし、手前の山の岩も確認できない。
岩からの眺め山の頂上
高野悦子「二十歳の原点」案内