高野悦子「二十歳の原点」案内
二十歳の原点ノート(昭和38年)
西那須野で1963年①
 本項においては、高野悦子が中学校卒業までの主な生活の舞台だった栃木県西那須野町(現・那須塩原市)について「二十歳の原点ノート」に沿って紹介する。
西那須野町
西那須野町地方図西那須野町の中心部
 高野悦子が中学生当時の栃木県西那須野町は、1955年に旧・西那須野町と旧・狩野村が合併して誕生した町である。「にしなすのまち」と読む。
 このうち国鉄東北本線・西那須野駅前に広がる中心部(下右図)は合併前の旧・西那須野町地区に属しており、塩原温泉や大田原市の玄関口にあたる栃木県北部の交通の要衝として市街化していた。
 ただ「大部分の地域は、明治初年先覚者の努力によって、不毛の原野に水が引かれ、各地より開拓者が入植して開拓が始められ」(「町勢要覧80年のあゆみ」(西那須野町、1967年))、那須疎水の整備によって田園地帯となった。

 その後の北関東の車社会化に加え、1982年に隣の旧・東那須野駅が東北新幹線が停車する那須塩原駅となったこともあり、現在の西那須野駅前は各地の地方都市と同様に空洞化が著しい。一方で国道4号など幹線道路沿いにスーパーなどが並んでいる。
 西那須野町は2005年に隣接する黒磯市、塩原町と合併し、那須塩原市となった。
西那須野中学校広域図野々山さん宅広域図

1963年 1月 1日(火)
 まっ白でそして新しいくつをはいて
 ジロと散歩にいった
高野悦子実家跡実家で父・三郎と
 高野悦子の実家☞二十歳の原点1969年1月2日
ジロ散歩コース
 ジロ(次郎)は高野家の二代目の愛犬。愛犬との散歩は実家を出て北西に向うコースが中心だったとされる。
 周辺道路は当時、車の通行は少なかった。
ジロ散歩コース地図ジロ散歩コース跡

1963年 1月 2日(水)
 塩原のイソ屋は満員で、イコイの家に電話したらそこも満員なのだそうだ。
いそや臨江閣 栃木県立塩原憩の家

 野々山さんとバドミントンをした。そして私は野々山さんから一つのものを教わった。
野々山さん宅
 野々山さんは、小学校および中学校の同級生女子。野々山さん宅は、栃木県西那須野町(現・那須塩原市)扇町のタバコ店で、高野悦子の実家のすぐ近くにあった。建物は現存せず、現在はマンションが建っている。
野々山さん宅地図野々山さん宅跡

1963年 1月 8日(火)
 今日は始業式とおそうじをやってきたが、
西那須野町立西那須野中学校
 高野悦子が通った中学校は、栃木県西那須野町西那須野(現・那須塩原市下永田)にある西那須野町立(現・那須塩原市立)西那須野中学校である。
 高野悦子は1961年4月に入学、1963年1月8日時点では中学2年生(14)である。
 1947年創立の西那須野中学校では、いわゆるベビーブームの子どもたちの入学によって、このころ生徒数が急増し、それに対応するために1961年4月に5教室からなる木造の第三校舎が完成。さらに1962年5月18日、音楽室と普通教室の計3室をからなる木造の第四校舎を旧・西那須野町立東小学校から移築・完成した。1962年には学級数が20に達し、中学校発足以来最高となった。
 当時は写真のように、校舎は木造平屋で東西広い廊下を真ん中にはさんで南北両側に教室が並び、学期ごとに南側と北側の教室が入れ替わった。校庭は広く、周囲は雑木林だった。
中学校卒業アルバムの写真西那須野中学校地図
 高野悦子の中学2年生と3年生で担任の三木先生は「彼女は、高野とか、悦ちゃん、カッ子ちゃんという呼び名で、先生方、多くのクラスの仲間から呼ばれ、特にクラスの男子にとっては憧れの存在でした。
 小柄で端正な顔だちで、髪はかりあげで、それは愛くるしく、とっても好感がもたれました。いつも優しく、なごやかな表情で明るく、学習、体育面にも勝れ、部活動にも一生懸命参加、学級のもろもろの事などにも、前向きの姿勢で何ごとにも取り組んでいました。
 人をかきわけて、先に立つということはなく、自然とみんなから推されて、いつのまにか、クラスの中で軸となって、活躍することが多々ありました。
 例えば、構内の諸行事である、学級対抗の球技大会、水泳大会、合唱コンクールなど、偉ぶらず、目立たず、リーダーシップを発揮して、どの競技にも自らも参加し、どれもこれもよい成果をあげた原動力になりました」
(『第18回卒業生 高野悦子』「萌 西那須野中学校50年の軌跡」(西那須野中学校、1997年))と話している。なお三木先生の教科は国語である。
現在の西那須野中学校
 中学校通学ルート☞西那須野で1963年⑤

 何となくクラスの空気、といってもフミエちゃん達のグループが私をのけものにしているみたいだった。
 高野悦子は中学校時代、性格的にお高くとまったり気取ったりするところはなかった。しかし、同級生の女子のグループの一部には“お姫さま”と名付けて、仲間外れにしたり距離を置く者もいたとされる。
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