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●タカクラ・テル(倉輝)
「大正・昭和期の作家、社会運動家。本名輝豊。明治24年(1891)4月14日、父輝房、母美弥の長男として高知県高岡郡口神川村(窪川町)に生まれる。第三高等学校から京都帝国大学文科に進学、大正5年(1916)京大卒業後嘱託となる。10年土田杏村とともに長野県で自由大学運動を起し、11年以降『女人焚殺』『蒼空』などを出版し、小説『高瀬川』『百姓の唄』『狼』を『都新聞』に連載するなど作家としても活躍した。次第に農民運動に参加するようになり、昭和8年(1933)二・四事件(教員赤化事件)で検挙された。翌年保釈され、その後は国語・国字問題、農業問題について独自の見解を発表、15年には小説『大原幽学』、19年には『ニッポン語』を出版した。第二次世界大戦後は日本共産党から衆議院議員に当選、25年には参議院議員となったが、マッカーサーによって追放され、中国に亡命した。26年『ハコネ用水』を発表、34年帰国、48年共産党中央委員会顧問となった。61年4月2日、東京都昭島市で没。94歳。『タカクラ・テル名作選』(全6巻)が刊行されている。」(山野晴雄「たかくらてる 高倉輝」(国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』第15巻上、吉川弘文館、1996年、101頁)同(臼井勝美・高村直助・鳥海靖・由井正臣編『日本近現代人名辞典』吉川弘文館、2001年、592頁)
このホームページは、このタカクラ・テルの思想と行動、生涯を跡づける評伝研究を中心に、山野晴雄の活動を記録するために、作成したものです。
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