知恵ノート@:6月8日に霊波之光の先祖供養に行くのはやめましょう。
概要
6月8日は霊波之光の初代教祖長谷義雄が修業の旅に出発した日とされており、この日は教団では先祖浄霊の日として信者以外の一般人でも普段は信者以外が入れない区画にも入って祈願が受けられます。(午前8時〜午後4時まで・支部や礼拝所では午後3時まで)
受付の後、生命橋から先祖や最近亡くなった人の名前等を書いた木の御札を聖神橋から聖神之池に流し、天使閣(お城)前までの参詣ができ、そこで紙製の御札をもらって儀式は終了いたします。
受付ではまず3項目あり 1 ○●家先祖代々 2 (個人名)の霊位 3 (女性)の水子之霊となっています。
1人1年に1項目1体のみ昇天させられるとされています。
受付では神子か職員、もしくは奉仕の役員(主に女性)が受付に出された紙に基づいて木の札に記入して行きます。
そして木の札を渡されて、普段信者以外は入れない敷地に入り、生命橋まで歩きそこから聖神之池に浮流します。そして、天使閣前にある受付に行き紙の御札を受け取って儀式が終了となります。
当初は8月15日だった。
霊波之光ではかつては先祖浄霊をお盆の8月15日に行っていましたが、ある年から初代教祖長谷義雄が修行の旅に出かけた日であるとされる6月8日に変更されたのだそうです。
また教団最大の売り物である病気治しの方法も、当初は密教的な九字を切るというものであったが、いつの間にか長谷義雄自身の霊波(光)によって治癒するというようになった。
病気なおしという、教団の中心的な儀礼を簡単に変えることに象徴されるように、教団の教義や主張は一貫性がなく場当たり的です。
霊波之光はもともとが教祖長谷義雄の精神錯乱もしくは全くのでっち上げから出発していて、そのときの自称御守護神や教主の思い付きで教義もどきもコロコロ変わります。
御守護神の呼び方も「先生」「教主」「聖主」「神様」などなど変わっているわけだし、一事が万事そんな感じの霊波村なのであります。
参考資料:霊波之光の登記簿
千葉県野田市議会平成20年7月23日議事録
◆岡田早和子議員(市民ネットワーク) では、次にいきたいと思います。宗教法人が主催する行事における交通渋滞の対策について伺います。先月6月8日に宗教法人霊波之光の行事がありました。その際に流山街道など通常では考えられない交通渋滞があり、まめバスがなかなか来なかったので困った、もし災害や急病があったときに消防車や救急車などの緊急車両が通れるのかとても不安だと市民の声が寄せられました。行事の前には歩道に迂回するようにと看板が出ているようですし、関係者にはお手紙が出ているようですが、予想を超えた人数のため今回のような交通渋滞を引き起こしたと聞いています。
そこで、伺います。当日交通渋滞のあった時間には、まめバスはどのぐらいおくれがあったのでしょうか。また、市民からの問い合わせや苦情はあったのでしょうか。同じく消防車や救急車など緊急車両の出動はそれぞれ何台あったのか、通常よりもおくれがどのぐらいあったのでしょうか。多くの市民がこれだけの迷惑をこうむったのです。市からこの宗教法人に対してどのような指導をしたのか、今後またこのようなことがあるときの市の具体的な対策もあわせて伺います。
◎企画財政部長 まめバスの関係につきましては、南ルートの左回りと右回りで影響を受けました。左回りでは、老人福祉センター9時発及び10時35分発が25分から80分おくれが生じ、後続の12時30分発が欠便となりました。13時55分発からは正常運転になりました。右回りでは、老人福祉センター9時発及び10時35分発が40分から130分おくれが生じ、後続の12時30分発がやはり欠便となり、その後13時55分発、15時30分発、17時発でも20分から70分のおくれが生じました。
当日ですが、日曜日であったことから、市役所への苦情の関係は確認できませんでしたが、野田警察署には渋滞という通報が12件、それから運行を委託している茨城急行自動車には16件の苦情、問い合わせ等があったということでございます。まめバスの運行開始以来このようなおくれはなく、今までの大祭の開催日でもおくれは十分から20分程度ということから、今回宗教法人に渋滞の原因を確認したところ、信者の方にはふだんより大祭のときは渋滞が起こらないよう周辺の道路に進入禁止する旨の周知をしており、このようなことは起こらなかったが、毎年6月8日は御聖旅祭といって大祭の中で一番信者の集まる日であり、この日が日曜日と重なって一般の方も非常に多くて予想以上の人出になったということでございました。今後の対策を立てるよう申し入れをしたところ、今回の渋滞は警察にも指導を受け深く反省をしており、今後このようなことが起こらないよう対応するとの回答を得たところでございます。
なお、例年行われております清水公園のさくらまつりとか野田夏まつり躍り七夕など公的な定期的に行われる行事の際には、事前に周知した中で迂回運転等を行うほか、交通事故などにより通行どめの規制がかかったときは迂回運行し、対応しているところでございます。
以上でございます。
◎消防長 6月8日の緊急車の出動につきましては、午後1時ごろ南分署救急隊が宗教法人付近の路上に救急出動しております。現場までの走行距離は2.1キロメートルありまして、5分で現場到着しております。この5分というのは平均的な所要時間と考えております。
以上です。
◆岡田早和子議員 そうしますと、まめバスが大幅におくれて、まめバス始まって以来の欠便が出たということは、市民生活にも大きく影響があるばかりではなく、本当に市の責任を問われても仕方のないことではないかと思うのですが、緊急車両には影響がなかったということなのですが、それは出動するときに道を考えて出動したとか、そういうので影響がなかったということでしょうか。
◎消防長 午後1時ごろの出動ということで、特別込んでいたというようなことは聞いておりません。普通に現場まで到着しているということです。
◆岡田早和子議員 そうすると、午前中が一番ひどい渋滞だったと思うのですが、毎年毎年この6月8日というのは大祭があるそうなので、今後もやはり同じようなことが起きる可能性が強いと思うのです。それで、具体的に今後渋滞が起きないように宗教法人に対して指導する必要があるのですが、どんな対策をすると宗教法人が言っているのか、それで市としてもどういった指導をしたのかというところをもう一度伺います。
◎企画財政部長 まめバスの関係ですが、対応の関係ですが、先ほど申し上げましたように、信者の方には案内を出しておりまして、16号から入るようにというようなことでやっていたのですが、今回一般の方も多かったということで、非常に日曜日と重なって混雑したということで、霊波之光のほうに入ってくる道路に案内の人が立っていましたし、それから進入禁止の表示なんかもしてやっていたということで、今回まれに見る混雑だったということですので、今後についてはこういうことが起こらないようにということで警察からも指導を受けているということですので、その辺は十分対応してくれるというふうに考えております。また、これ以外にも幾つかの大祭が予定されていますので、その辺についても十分混雑が起こらないようにということで私どもで申し入れをしているという状況でございます。
以上です。
◆岡田早和子議員 市民の方から苦情があったときに私も消防署のほうにお話を伺いに行ったのですけれども、やはり対策として、緊急車両が今回は1時だったから、5分で通常どおりの時間で着いたと思うのですけれども、これは毎年6月8日に行われて、また祭日にぶつかるときもきっとあると思うのです。そういった場合に午前中に緊急車両とかが出るようなことになった場合は、まめバスが欠便が出るぐらい渋滞したわけですから、緊急車両も多分通れなくなってしまう可能性が高いのではないかと思うのですけれども、消防署としてそこら辺はどう考えているのか再度伺いたいと思います。
◎市長 実は清水公園のさくらまつり等のときに迂回ルートというのをつくっております。宗教法人がやる行事ですから、そういうことをやること自体がいいのかどうかという議論は当然出てくると思っておりますが、対応策について先ほど答弁をさせていただいているとおり、警察の指導もあり、宗教法人側でそれなりの対応をとってくると思いますが、事実上そういう形で交通が難しくなってくるようなことがあった場合には、やはり事前にお知らせをした形の中での迂回ルートをつくっていかないといけないということにもならざるを得ないだろうなと、そんなふうに思っております。ただ、そこまでの結論を出すのは、我々がやっておるといいますか、観光協会も含めてでございますが、やっている行事とは違う宗教法人の行事でございますので、そこについて果たしてそういうことをやっていいのか、もしくは逆に言えば、宗教法人について規制的なことをかけるということは、これはまた憲法論上の問題にもなりかねませんので、そこら辺は警察のほうでやってもらわないと、我々がやると間違ってしまう可能性がありますので、警察にしっかりやってもらう以外にはないと、そんなふうに考えております。
救急自動車の場合には、交通どめになっておっても、これは長い時間例えば16号が交通どめになっておっても、そういう形の中であってもある程度の時間の中で、それぞれの運転者のマナーに沿って対応しながら何とかたどり着けるような形をとっておるわけでございます。同じような形をとらざるを得ないと、事実上込んでおる場合には。宗教法人側が対応したけれども、結果的にそうなってしまったというケースの場合には、まさに救急自動車としての機能を十分発揮してもらう中で車を運転している一般の皆さん方のマナーに期待する以外にはないという形にならざるを得ないという状況であろうかというふうに思っております。いずれにしても、警察の規制、それから宗教団体がそれに対して自主規制としてどういうふうにしていくか、そこら辺をポイントにしながら、そういう形をとった中で果たしてどうなるかということを考えた上で、事前に難しい問題、例えばそれでも恐らくどうしようもなくなるのではないかという場合には迂回ルート等についての検討もせざるを得ないという形になるのではないだろうかなというふうに思っております。一般の公共の道路について交通規制をどれだけかけていけるかという話のデリケートな問題が入ってまいります。特にそれが宗教法人にかかわってまいりますので、そこら辺は警察のほうの考え方を中心として宗教法人と話し合っていただくということがポイントになるのではないだろうかなというふうに思っております。
一般人が平成24年(2012年)霊波之光ラッシュの現場を直撃
何の進歩もないのが分かります。
http://megalodon.jp/2015-1108-0725-17/blog.goo.ne.jp/stay_green_1983/e/124f887e4d659689f5ce627a34476104
http://megalodon.jp/2015-1108-0730-46/blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/df/cd12f09f9f96085171e3289e7497f37a.jpg
元信者・誘導の体験談
* 大祭日の奉仕者の車だけで800台以上にもなり、教団側が乗り合わせて来てほしい呼びかけても知らん顔。
* 我先にと駐車場から公道に出ようという車が何台もあり轢かれそうになった。
* 国道16号の誘導をしていたら唾やガムを吐きかけられた。トラックの運ちゃんに殴られた。
*
3代目推奨の帽子をかぶって奉仕をしていたら御大神後援会員から「おまえは砂漠のキツネか」とバカにされた。
*
ここは裏門だから正門から出てくれとお願いしても強行突破する人間が多い。
それでいて自分の知り合いなら見て見ぬふりをする人間が多い。
要は注意しやすい人間しか注意しない。だから逆恨みする人間が多い。
* 霊波の入っているとされる御神アズキ(7/2)、御神米(11/2)、大祭日の翌日に下賜される餅に信者が我先にと殺到、一家に一つだと黒服を着た職員が言っても言うことをきかず1人何個も奪って行く。
誘導者は屈強でないと務まらない。
我先に押し合いへし合いして、それを狙うスリが発生する。
* 御新米を配布する担当で黒服を着ていた長谷司元理事は初代の教祖がスクリーンに写っているにも関わらず我先に御神米に殺到しようとする信者に怒りが爆発、回れ右を命じ、映像が終わるまで神米の配布を中止を命じたのを目撃した。
などなど魔の棲家となっているのが分かります。
そしてその脱会者は「文句がある霊波信者は掲示板でブー垂れてないで実際にやってみろ、霊波の信者がいかに最低かが誘導をしてみたら分かる」と証言しています。
近隣のショッピングセンターの駐車場に止めて参拝するよう信者が質問サイトで呼び掛け
モラルに反しているため、その行為をそのショッピングセンターの運営会社に通報いたしました。
来る6月8日(木)に近隣の野田市の宗教団体霊波之光で大祭が開かれますが、Yahoo!知恵袋上で御社駐車場を〇円買い物しさえすれば●時間無料になるからここに車を止めた方がよいという書き込みが霊波之光信者と思わしき者からありましたので厳重に注意をいたしました。
そうしたところ相手は書き込みを削除いたしました。
私が考えますにショッピングセンターの駐車場はショッピングセンターを利用する人のためのものであり、ゆっくりとショッピングなり施設を利用してほしいから●時間にしているもので、霊波之光に行く人の駐車場代わりのためにあるではないと思います。
〇円利用しさえすれば●時間自由なんだろう、という考えは間違っていると思います。
ただでさえ野田市では霊波之光の行事に伴う交通渋滞は社会問題になり、市議会でも取り上げられています。
6月8日が日曜日の場合、御社にとって大きな営業妨害になりかねない問題であります。
霊波之光の近所での評判はチンピラ集団
林檎氏の証言を紹介いたします。
宗教なのに…
霊波之光教会の近くに住む知人の家に行き、
帰りにその知人の車で送ってもらった時、教会の近くを通ったので、
「信者では無い近所の人は教会の事をどう思っているの?」
と聞いてみたら「チンピラ」と言う答えが帰って来ました。
「何でも金で解決しようとする、土地をいくらでも出すから譲ってくれ!って言って来る。
信者から巻き上げたお金で何でも金、金、金で解決しようとするからチンピラ」だそうです。
なかなか評判がよろしくないですね…
近所の人達からチンピラだと表現される怖い教会は、さっさと脱会した方が良いですね。
2007.09.04 23:48:28
たかぼんより
霊波之光は周辺の土地を買い漁って理科大ともトラブルを起こしておりますし、市民の憩いの場の公園も買収して職員の駐車場に変えているのです。
そして白装束を着た人間を夜ごと巡回させて気持ち悪さとある意味の恐怖を周辺住民に与えているのです。
2007.09.05 02:06:02
たかぼんコメント
今や霊波之光は宗教団体というより「不動産業者」と成り果ててしまっているのです。
信者からカネを集めて「箱物」を建設して、祈願とか、グッズを販売しているのです。
宗教法人ですから固定資産税は無料ですし、税制面でも優遇されています。
清掃などの維持も信者がやってくれるわけです。
また、近所の土地を買い漁って集会場や駐車場にしております。
会合や集会では導きが強調されておりますが、
要はカネ集めと労力集めということであります。
誰がいくら寄付したか本部や支部では名前を貼り出して競争心を煽ります。
また賛助会という名の寄付の金額によってバッジの色を変えてこれまた競争心を煽っています。
建物を建てれば建てるほど長谷一族が太るシステムになっているのです。
霊波之光とは長谷敬詞・敬仁という不動産業者を肥え太らせるための集金システムなのです。
そして近所の人にとっては迷惑そのものでしょう。
大祭日には大渋滞、白装束が周辺をウロウロし気持ち悪いことこの上ありません。
そして土地を譲れと得体の知れない連中がやってくる。
夜は夜で白装束が車でウロウロして、公道で休んでいるトラック運転手に嫌がらせをする。
そして毎晩詰所で大声で騒いでいる。
そんな奴等が大祭が終わると近所に花をもって回るのだそうです。
当然受け取らない人の方が多いそうです。
それだけ近所からは嫌われているということです。
霊波之光の先祖浄霊では先祖は成仏はできません。
@ 流し雛や禊祓と同じ発想
信者たちは先祖の霊魂浄化や特別祈願をしたいときに、生命札(身代わり札)を教団内部の聖神之池に流します。
生命札には氏名が書かれますが、これによって悪因縁を切ったり、低級霊を除去できると信じられていますが、これらは流し雛や禊祓と同じ発想で単なる気休めに過ぎません。
また生命橋ができる以前はどうすれば悪因縁を切ることができたのでしょうか?
結局橋から札を流して、信者に有り難がらせる演出をしているに過ぎません。
A 霊波之光が主張する、「先祖からの因縁」論は全くの誤りです。
個々の行為により、善悪・苦楽の業が生じるというのが因縁の理を説くものであり、自らの作った業因の果報は他人が変わりに受けることなどありえないのです。子供の病気や怪我を親が代わることはできません。
まして会った事のない先祖の果報を子孫が身代わりになることもありません。
先祖からの因縁論を破折
そして何よりも1人1年1体では天文学的数字の先祖を全て昇天させること自体が道理の上で無理があります。先祖といっても父母は2人でも祖父母は4人、曽祖父母は8人、玄曽祖父母は16人というように倍々で増えて行き重複もあるのでしょうが天文学的数字の先祖が存在することになります。
B 存在しない低級霊・霊魂
精神・性質のあるところには必ず肉体・実体があり、肉体・実体があるところには必ず精神・性質が具わるというのが宇宙森羅万象を貫く道理であります。精神だけが存在するなどということは絶対にありえないのです。
低級霊なるものは姿・形はないが人を苦しめることを欲しているのだから意思は持っているのでしょう。道理に全く反しております。
従って霊波之光が主張しているような低級霊・霊魂など存在いたしません。断言いたします。
仏法においては、三世(過去世・現世・未来世)にわたる永遠の生命観と、色心は一如である(色とは物質或は身体を云い、心とは精神のことである。物事の一切は皆色と心との二法に帰するのである。)ことが明かされて、特別な霊魂等が存在しないことが明かされています。
すなわち、不幸や災害は。霊魂(悪霊)によってもたらされるのではなく、自らの心身両面に渡る行為の因果によって起こるものです。
従って、「霊魂」が独立した形をもって、人に災いをもたらしたり、子孫を守るなどの特別なはたらきをすると説く「御霊信仰」や新興宗教などの霊魂説は真実の生命論とかけ離れた迷信であります。
低級霊を破折
霊魂を破折
霊波之光の狭い葬儀や法事に関する考え方
@ 霊波之光の教えによれば、亡くなった人間の霊にそのような力はないものであり、葬儀葬式、その他の供養行為は、現存する縁者の心を癒そうというもの、または、現存者が祖先への感謝の気持ちを持ち、自己の寿命をまっとうすると、自らのために誓う等々精神的作業をするための儀式に過ぎないとしています。
破折:死後の生命というものは地獄に堕ちている者、成仏している者、さまざまです。それぞれの業を感じ苦楽を得ておりますが、とくにその苦しみや強い怨念、過去の執着などは生きている人間に感応し、人によってはまれには言葉が聞こえたり、物が見えるという種々の作用を感じるのです。
これは霊魂ではなく「感応」の働きであります。
この感応は死後の生命だけではなく、生きている人からも故人に影響を与えます。
そこで葬儀や追善供養や法要は遺族の強い信心と御本尊の功力によって、亡くなった人の生命を成仏させることにあります。
霊波之光の考え方は宗教の考え方というよりは唯物論に基づいた議論であります。
そういうことを霊波之光が説いていたとしたら死後の生命は霊波之光によっては救われないということになり、死後の生命は永遠に地獄で苦しみ続けなければならないということになります。
なぜなら死後の生命には主体性がありません。生きている人間の追善供養により成仏するものなのであります。
A 霊波之光の教えによりますと「日本の慣習としての仏事」は、仏教徒である必要はなく、いわば残された縁者の心を癒すための社会的儀式に他ならず、それは、抽象的な「信仰心」に基づくものであっても、もはや宗教でも信仰そのものでもありません。
破折:葬儀や法事などの仏事は亡くなった方の成仏のために行なわれるのであります。
遺族の強い信心と御本尊の功力によって、亡くなった人の生命を成仏させることにあります。
亡くなった方つまり死後の生命には主体性がありません。従って生きている人間の追善供養することにより、死後の生命も成仏していくのであります。
また追善供養は生きている人にとって功徳となります。
追善供養を先祖に対して行なっていることは自己をも救うこととなります。
従って葬儀、法事は単なる慣習や世俗的な行事ではなく、上記のような意味があって行なわれているのであります。
この人の考え方は仏法に対して余りにも表面的な捉え方しかしておらず、仏法に対して無智であるということです。
B 霊波之光では生まれ変わりを否定しています。
そのため過去や未来を説かない霊波之光では葬儀は仏教に任せざるを得ないのです。
先祖の供養も葬儀も不要と説いているということは今さえ良ければよいということです。
過去も未来も説いていない霊波之光は完全無欠の宗教とはとうていなりえず、足りないところは他宗教に頼らざるを得ないということです。
「二つ心に救いなし」なる長谷義雄の論理は最初から崩れております。
takayoshi9100さんの証言 - 霊波員の祖母の葬儀は浄土真宗で行われた
http://chiebukuro.yahoo.co.jp/my/takayoshi9100
浄土真宗の信者で、裕福だった祖父母の、祖母だけが霊波之光に入信してしまい、母親(エホバの証人)や叔母(ご主人がカトリックの神父さんで、家が教会で、お付き合いしているときからカトリックに改宗)が辞めるように説得しても聞く耳を持たず、(おそらく、本人を驚かせる「奇跡」とされるものがあったのかもしれません)もっと驚いたのが、浄土真宗との二重信仰をよしとしていた、訳の分からない状態です。
祖母本人は、野田市の本部まで年に何度も来る、寄付も相当額行う、熱心な信者でしたが、祖母本人が亡くなった時は、浄土真宗で葬儀を行ったのが笑えました。
当時、母親以下エホバの証人の家族の中で、自分と弟だけが信仰から離れていたので、母親は葬儀に出ませんでしたが(世の中的に、自分の親の葬儀に出ないというのは、勘当されているとか、よっぽど関係が悪化しまくっていること以外はあり得ないですよね?)
自分と弟は葬儀に出て、初めて「お!浄土真宗でやる気だな?」と気づき、焼香になった時に、「今までの経緯を考えるとここは母親の顔を立てるべきだな」と思って、焼香はしませんでした。(いくじのない弟は、びびって自分の横から離れませんでした)
霊波之光は「来るもの拒まず」のカルト宗教だというのは間違いないです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14130365724
結論 - 6月8日の先祖浄霊は信者獲得のための無料体験セール
邪宗霊波之光教団が主催している、いかなるイベントにも参加すべきではないと思います。
なぜなら、彼らには意図があるからです。そのイベントを通し、あなたを勧誘する、個人情報を握り後日家庭訪問にくる、物を売りつけに来る等です。
毒は毒として登場しません。気をつけてください!
お誘い状をアップしておきます。