・人間は死によって全ての罪は清算される。生きているときに作った罪は全てこの世において行き、子孫に浮き出ることになる。
・霊波之光では全ての人は「神の守りを受けていない」「宇宙の法則を犯している」ので善人だろうと悪人だろうと全て「悪人」として処理されている。
・日常生活の中で、悩む、悔やむ、ねたむ、怒る、憎むといった想念の累積を後天性の因縁という。
自分で後天性の因縁をつくる人は、絶対というほど先天性の因縁を引き出しているものである。
・宇宙の法則を守り、神の守護のもとに生きている場合は、罪による苦しみとか、宿命的な不幸なこと(先天性の因縁によるもの)は起こらないのであって、すべて天命である。
・霊波之光に入信、神通力をもって宿命的な苦しみから助けてもらえる。
そして、神の教え(御書)を学び、神の目的(地球上に、真の平和をつくり上げる)の前にひれ伏し、神の目的(地球全部の人類を救う)に従って進むことによって救済されていく。
・宇宙の法則を犯し、神に守られていない、祖先の人間がつくった宿命的な苦しみは、三代の因縁といって、寿命でいけば顔を合わせるようにできている三代の人、つまり、祖父、祖母、自分、妻、子供、孫、この中に必ず浮き出るのである。
・先祖の因縁なるもので霊波之光では一括りにしているが天文学的数字の先祖を一括りにすること自体に無理がある。
生まれながらにして障害があるということはそれらは1つの結果であってそれ以前にそれをもたらす原因が必ずあるはずである。
その結果を生じさせた原因は生まれる以前にあったということになる。
それはやはり過去世というものがあってそこにおける我々の生き方なり行いが原因となって、生まれながらにこうした結果を受けたとしか言いようがない。
・人間の体は、親子、兄弟、夫婦といえども、それぞれ別々。生まれるときも別々、死ぬときも別々である。それは何千人何万人いる先祖も然りである。何千人何万人いる先祖の身代わりになどなれる道理など全くない。
・霊波之光では宇宙の法則を犯し、神に守られていない、祖先の人間がつくった宿命的な苦しみは、三代の因縁といって、寿命でいけば顔を合わせるようにできている三代の人、つまり、祖父、祖母、自分、妻、子供、孫、この中に必ず浮き出るのである、と言っているが霊波之光の信者も含まれ、霊波之光の信者でも逃れようがないというのが現実である。
そしてそれに対する救済の方法が霊波之光の信者になることだけならまだしも日常生活の中で、悩む、悔やむ、ねたむ、怒る、憎むといった想念の累積を後天性の因縁といい、自分で後天性の因縁をつくらないこととあり末法の凡夫には実現不可能なことである。
両親が霊波信者である生まれながらの信者にも障害などの差別が存在している状況は現実に存在している以上
霊波之光を信じていようといまいと苦しみは立て続けに起こってくるということである。
つまり先祖からの因縁なるものがあろうとなかろうと我々の生活には全く関係ない。
以下が法論記録です。
|
||||||||||||||||||||||
名前:たかぼん 日付:2008年2月9日(土) 4時53分 | ||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||
名前:たかぼん 日付:2月11日(月) 21時53分 | ||||||||||||||||
|
|
||||||||||
名前:たかぼん 日付:2月14日(木) 5時55分 | ||||||||||
|
|
||
名前:神の御声 日付:2月15日(金) 17時7分 | ||
|
投稿者 :たかぼん |
投稿日時 : 2008/02/15 18:25 |
まず神の御声氏の言説を整理いたします。
3353により人間は死によって全ての罪は清算される。生きているときに作った罪は全てこの世において行き、子孫に浮き出ることになる。
3357-58により霊波之光では全ての人は「神の守りを受けていない」「宇宙の法則を犯している」ので善人だろうと悪人だろうと全て「悪人」として処理されている。
3360により日常生活の中で、悩む、悔やむ、ねたむ、怒る、憎むといった想念の累積を後天性の因縁という。自分で後天性の因縁をつくる人は、絶対というほど先天性の因縁を引き出しているものである。
3365により宇宙の法則を守り、神の守護のもとに生きている場合は、罪による苦しみとか、宿命的な不幸なこと(先天性の因縁によるもの)は起こらないのであって、すべて天命である。
3370により霊波之光に入信、神通力をもって宿命的な苦しみから助けてもらえる。そして、神の教え(御書)を学び、神の目的(地球上に、真の平和をつくり上げる)の前にひれ伏し、神の目的(地球全部の人類を救う)に従って進むことによって救済されていく。 当方は更に質問し、3372において両親ともに霊波之光信者であれば子供に先祖からの因縁なるものが浮き出る余地はないはずである。
なぜなら赤ん坊には意思能力がないので後天的な因縁なるものをつくる余地がないからである、
そうしたところ3377において霊波之光に入信すると、神の守護のもとに生きている場合(霊波之光に入信し神とのつながりをつける)は、罪(宇宙の法則を犯した罪)による苦しみとか、宿命的な不幸なこと(祖先の因縁が生きている人に浮き出る苦しみ)は起こらない。
3379において宇宙の法則を犯し、神に守られていない、祖先の人間がつくった宿命的な苦しみは、三代の因縁といって、寿命でいけば顔を合わせるようにできている三代の人、つまり、祖父、祖母、自分、妻、子供、孫、この中に必ず浮き出るのである。
と述べております。
|
投稿者 : たかぼん |
投稿日時 : 2008/02/15 19:18 |
現実に霊波之光で両親や祖父母が霊波之光の信者でありながら、
子供が障害を持って生まれてきたというケースは存在しているのです。
なぜなのでしょうか?
霊波之光では生まれ変わりを否定しておりますので先祖にその責任を持って行っているのですが、
先祖といっても父母は2人でも祖父母は4人、曽祖父母は8人、玄曽祖父母は16人というように倍々で増えて行き重複もあるのでしょうが天文学的数字の先祖が存在することになります。
その先祖達は1人1人生まれながらにして裕福な家に生まれた者もいれば貧乏な家に生まれた者もおります。
また裕福になって行った者もいれば貧乏になってしまった者もいるはずです。
健康な身体で生まれた者もいれば障害を持って生まれた者もおります。
穏やかな性格の者もいれば生まれながらにして気性が激しい人もいる
何から何まで同じ人は誰1人おりません。
先祖の因縁なるもので霊波之光では一括りにしていますが天文学的数字の先祖を一括りにすること自体に無理があります。
さて、生まれながらに障害を持って生まれた、貧困の家に生まれた、ケンカが多い家に生まれたそれらは1つの結果であってそれ以前にそれをもたらす原因が必ずあるはずなのです。
生まれながらにして障害があるということはその結果を生じさせた原因は生まれる以前にあったということになります。
それはやはり過去世というものがあってそこにおける我々の生き方なり行いが原因となって、生まれながらにこうした結果を受けたとしか言いようがありません。
何千人何万人いる先祖の身代わりになどなれる道理など全くないのです。
神の御声氏は3377において人間の体は、親子、兄弟、夫婦といえども、それぞれ別々。生まれるときも別々、死ぬときも別々である。と述べています。それは何千人何万人いる先祖も然りであります。
また3379において宇宙の法則を犯し、神に守られていない、祖先の人間がつくった宿命的な苦しみは、三代の因縁といって、寿命でいけば顔を合わせるようにできている三代の人、つまり、祖父、祖母、自分、妻、子供、孫、この中に必ず浮き出るのである、と述べております。
これは霊波之光の信者も含まれるということです。
霊波之光の信者でも逃れようがないというのが現実です。
そしてそれに対する救済の方法が霊波之光の信者になることだけならまだしも3360により日常生活の中で、悩む、悔やむ、ねたむ、怒る、憎むといった想念の累積を後天性の因縁といい、自分で後天性の因縁をつくらないこととあります。
神の御声氏は取り上げませんでしたが、長谷義雄は子は親を見て育つとあるように親の信仰がしっかりしなければ子の信仰もしっかりしないものになると言っており、
信仰に金筋が入るようになるまでは長い時間がかかると言っているのです。
人間が完璧にならない限り、末法の凡夫では神の御声氏が3365で言うような神に完全に守られ、天命に生きるという事はできません。
現実には実行不可能なことばかりであります。
まして両親が霊波信者である生まれながらの信者にも障害などの差別が存在している状況は3365に述べているような天命などというような言葉で片付けられるものではありません。
霊波之光を信じていようといまいと苦しみは立て続けに起こってくるということであります。
つまり先祖からの因縁なるものがあろうとなかろうと我々の生活には全く関係ないのであります。
|