神の御声の低級霊の定義
① 3339よりこの世に肉体あるいは他の物体をもって存在したものではなく、初めから神と同じように霊体であり、神と同じように元より存在しているものである。
② 3341より人間のみしかも神に守っていただけない低級霊と同じ波長の持ち主だけに近づく。
③ 3344より意思を持って主体的な活動をし、単に霊魂をもてあそぶだけではなく、ときには、生きていたときの姿や名前を利用して、物質化現象を起こすこともできるのである。
④ 3346より自然災害などの罰は低級霊の仕業である。
これに対して破折を加えて行きます。
① 人間の歴史は200万年ほどしかたっておらず、地球の歴史は46億年とも言われております。
低級霊なるものが神と同様にはじめから存在していたなどと考えること自体がおかしいといえるでしょう。
およそ物事には原因があって結果が存在いたします。原因があるから結果が出てくるのであり、原因なくして結果だけが出てくるなどという事は1つとしてありません。
そしてすべての物事に原因と結果を認めることを道理といい、筋道と言うのです。
従いまして最初から存在しているなどということが道理に反しており、霊波之光の神も低級霊も存在いたしません。
② 霊波之光では人間のみが感情を有しているかのようなものの考え方をしております。
しかし、人間も他の一般動物も、植物も無生物も実は感情を有しているのであります。
仏法では、生命を有情と非情の二つに分けてそれを証明しています。
有情とは、感情を自ら表現できる生命を持つものであり、人間、動物は当然、これに含まれます。
非情とは、感情を自ら表現できないもの。即ち人間、動物以外の全ての存在です。
しかし、自ら表現できないからといって、それでは感情が無いのかというとそうではありません。
分かりやすく言いますと、よく人探しの霊能者が、その人の遺留品などに手を触れたりし、場所を特定する場面をテレビなどで見たことがあるでしょう。
これは非情のものにも生命がちゃんとあるという証拠です。
よく草花などに、音楽を聞かせたり、やさしい言葉を掛けてやったりすると、きれいな花を咲かせる、ということがあります。
これも非情にも心があるいい証明です。
同じように、インチキ教団の御札など、例えば霊波之光教団の札などを購入し家に飾ったりしていると、その札にもインチキ教団の心(教祖の心)が乗り移っているわけです。
従って、それに影響され徐々に徐々に不幸になってゆくのです。 恐ろしいことであります。
さて翻って犬や猫、鳥でもザリガニでもよく仲間同士でけんかをし時として相手を殺すこともあります。またライオンは群れを乗っ取りますと前のオスの子を殺します。当然憎しみの感情や恨みの感情が双方に芽生えるはずです。
神の御声は人間にのみ低級霊がつくと言っておりますが、道理の上から考えても邪論であります。
③ 道理に反しております。なぜなら精神のあるところには必ず肉体があり、肉体があるところには必ず精神が具わるというのが宇宙森羅万象を貫く道理であります。精神だけが存在するなどということは絶対にありえないのです。
従ってそのような低級霊など存在いたしません。
では何かと申しますと感応妙によるものなのであります。
死後の生命についていえば、大宇宙の生命に冥伏(みょうぶく)した死後の生命は、
過去世の業因によって十界(じっかい)のそれぞれの業(ごう)を感じ、苦楽を得ていますが、
とくにその苦しみや強い怨念、または過去の執着などは生きている人間に感応(かんのう)し、
人によってまれには言葉が聞こえたり、物が見えるといった種々の作用を感ずるのです。
普通
はこれを霊魂のはたらきと考えているようですが、どこまでも感応によるものなのです。
この感応は、死後の生命だけでなく、生きている人からも故人に影響を与えます。