脱会者T氏が証言する霊波之光信仰の現証


T氏略歴
・ 昭和45年       北海道生まれ
・ 昭和59年10月28日 旧札幌支部にて入信
・ 平成元年       進学に伴い東京の班に移動
・ 平成12年       栃木県の班に移動
・ 平成15年11月24日 脱会

* T氏の霊波之光脱会3周年のたかぼんとの対談
* 馬主会事件とは
* T氏が見た現証証言集


彼は昭和59年10月28日、長谷義雄氏が亡くなってまもなく14歳で当時札幌市中央区南20条西13丁目にあった札幌支部で入信し、進学とともに東京に班移動しました。
平成4年7月28日には長谷敬詞の誕生祭に参加するも就職活動がうまくいかず、希望の職種に就くことができなかったことから霊波之光に疑問を持つようになりました。
相談したところ
 
「あなたは引き換え条件で信仰をしている」
 
と罵声を浴びせられたそうです。
 
青年部班長で過激派上がりのK氏は何とか彼を「励まそうと」御水取りの御儀に彼を推薦しようとしましたが
 
「童貞かどうか」
 
彼に聞いてしまったので彼は激怒し、猛烈抗議する騒ぎとなりました。
更に浅草の班長で当時部長で月刊誌第1号で「花やしき」で写っていたK女史が「言われたあなたにも責任がある」などと彼に対して言ったのではないのですが彼は自分に対して言ったものだと思いこみ以後K女史への憎しみを募らせていきます。
ここは古参職員のW氏が間に入り「行き過ぎた指導である」としてK氏が彼に謝罪して決着させることとなりましたが
 
W氏は「御水取りの御儀というものは童貞の男性がやるもの」と認めました。
 
しかしその後は
 「独身の心身ともに健康な男性」
 
という表現にかわったそうです。

平成10年新班体制になたことが彼の傷口を大きくすることとなります。
青年部班長B氏の組に移動しましたがこのM氏は班移動の手続きを忘れていたので別の班にいたことが明らかになりました。
彼には責任はありませんでしたがそれを当時の足立区在住で北区に出張班長現地区長のNが彼を貶める発言をしたそうです。
 
 
N自身は元創価学会の幹部でしたが奥さんのうつをきっかけに霊波之光に転進し入信以来説教者など信者の中枢にいましたが新班体制で1班長に「格下げ」となってしまったので不満があり会合で霊波之光のウラ話をよくしていました。
これが「知られざる情報」に投稿されたということです。
またK女史に対しては彼は平成10年9月15日敬老の日についに襲撃を断行、これもまた古参職員W氏が間に入りK女史が彼に謝罪して解決としました。
しかしK女史はウラから手を回してNとMを通じて彼に謝罪を要求しましたが彼は断固としてこれを拒否したそうです。
 
さて平成12年春彼の出身高校の出身者のうちのある特定の地域の者がアムウェイ等のマルチ商売をしていたことが平成4年頃から問題となっていましたがその中の中心的な人物がなんと霊波之光の文京1班の組長になっていたことが判明しました。
彼が出身高校の友人からの照会で調査したところBのあとをついだ青年部班長Mが彼を班から追い出すよう仕向けたというのです。

 マルチをしている者を霊波之光の組織はかばう体質は「馬主会事件」でも明らかですがここでも霊波之光はマルチ商売をしている組長をかばいました。


彼は転勤先の栃木県の班に移動することとなりました。前青年部班長B氏が友人I氏が班長をしている班に移動させたのです。
しかし彼は既に「危険人物」ということで「監視対象」となっており沖縄支部長経験の当時の青年部担当職員Sから青年部班長Yは監視の任に当たるよう命じられていました。
 
彼は栃木では飛翔会担当員だったそうですが飛翔会リーダーS氏は随分強引かなと感じていたようです。情報が全部千葉県流山地区と野田地区の班だけに集中するようになっていて名簿も全て彼らが握っていたようです。
担当の職員もまだ20歳そこそこの実習生でありS氏には頭があがらずいいように使われていたようです。
 
平成13年になると彼は霊波之光に行くごとに災難に襲われるようになりました。
3月7日には携帯電話が水濡れでこわれました。
6月8日にはスリに遭いました。
この年には彼は会社からリストラ寸前の通告までされて彼は精神的に行き詰りました。
それでも霊波之光の中で彼女もでき、これが最後に咲いたあだ花になりました。

既に私は取引先であった彼の両親から彼の霊波之光からの脱会についての相談を受けていました。

弟も兄のT氏に誘われて入信していましたがせうつ病になり脱会しました。

両親はそれから5年間に渡り治療して資格も取らせ結婚もさせることができたので何とかT氏もやめさせられないかというものでした。

平成14年5月になり彼が北海道に帰ることとなったので我々は彼の両親、親戚とともに決起しました。

運のいいことに札幌の班長が班移動を拒否し地区長とケンカをしたということで我々は脱会交渉を始めました。

「彼女がいるので脱会はできない」

というものでした。

月1回から2回は関東に通い、彼女も北海道に来たようですが

「絶対に霊波関係者との結婚は認めない」

 というのが両親親戚たちの結束した考えでした。

ところが平成15年になると彼女がうつ病となり8月にはついに彼と会うことすら難しい状態となりました。

また彼が転勤した先の班長K子が平成15年6月11日彼の班移動を拒否し罵声まで浴びせていた事が判明し私は再び交渉を再開しました。

今度は脱会交渉はスムーズでした。

栃木の青年部班長YはK子と内通して彼を貶める発言をしたことがなんとK子が暴露してしまい、更に霊波之光の一部信者と右翼団体との黒いつながりや馬主会事件など反社会的な教団の実態が知れ渡るところとなり彼の両親一族、友人たちまでが団結して彼の脱会を後押ししました。

T氏はついに平成25年(2013年)10月25日になって御札の更新をやめたいというお話があり、月刊誌を「郵便局の口座振替にしているんだけどどうにかならないのか?」という相談を受けました。

私は近所の特定郵便局の局長Kさんに連絡してT氏と引き合わせ口座振替を止める手続きを行っていただき結果、振替は行われませんでした。

そして、最後に私が引導を渡しました。

「こんな反社会的な集団からは脱会して人生やり直しましょう。あなたの結婚まで私はあなたをサポートします」

ついに彼は脱会を決意し当方が用意した「脱会の雛形」どおりに彼は署名捺印をして霊波之光に内容証明郵便を送りつけて霊波グッズ全てを送り返したのが平成15年11月24日でした。


1年たった彼はいいました。
 
「脱会したら『神』を媒介にしてものを考えなくなったので物事を自由に考えられるようになった。」
「いままでのカルトの中の人間はどうでもよくなりうらまなくなった。」
「霊波之光については客観的に見られるようになりカルトであったということがよくわかった」
「地元の活動にも参加ができるようになり顔が広くなった。」
「霊波にカネや時間がかからなくなった分、電気製品や趣味にお金や時間が使えるようになった」
そうです。
職場でもK子をはじめとする霊波之光関係者の嫌がらせにもかかわらず評価も確実に上がっており戦力として重宝されています。
健康状態も関東と比べ涼しいので夏でも体がよく動くそうです。

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