脱会者T氏の証言


霊波之光脱会者T氏の証言です。追加して行きます。


邪教に深くのめり込むとどうなるのか?
日蓮大聖人曰く、

「始めはことなきやうにて終(つい)に亡びざるは候はず」
日蓮大聖人御書1397頁「聖人御難事」
(初めは何事もないように思われるが、ついには人生を破壊してしまうのです〉


@ ガンが治らなかった実例

(北海道旭川市での実例)

北海道旭川市の60歳前後の信者さんの奥様が平成15年早春にガンで亡くなられました。
ご冥福をお祈りいたします。
ご夫妻は平成11年に入信されたそうです。
特に悩みもなくある班長経験の組長さんの付き合いだったそうです。
しかし3年後の平成14年奥様が突如ガンで倒れられたのです。
班長をしていただけあって組長さんは旦那さんを霊波の活動に誘いました。
2人で野田まで行ったそうです。御神酒御祈願を受けに行くためです。
ちなみに支部や礼拝所では受けられません。
本部で水曜日と土曜日にだけ受けられます。
旭川空港から飛行機に乗りましたが金属もないのに金属探知機が作動して
その組長さんは「これは霊波だ!」などと回りに宣伝したそうですよ。
しかしどうでしょうかね。
テロ対策とかで金属探知機はベルトの金属でも反応したり誤作動したりするのは飛行機に頻繁に乗る人には分かることではないでしょうか? 奥さんは一時は持ち直しましたが亡くなられました。
「死に顔は苦しんだ様子もないほど美しかった」などとこの組長さんは言い訳しています。
金属探知機の作動といい死に顔の件といいその旭川の元班長さんの言い方、とてもまともとは思えません。
現在某電話工事会社にお勤めのまじめな方なのですが
結果を出せず受け持ちの信者の奥様が亡くなったという「結果」はどうしようもありません。

亡くなった奥様の息子さん夫婦も霊波など信用していなかったのですが
親の為ならということで札幌支部に参拝していたようです。
旦那さんも野田まで行ったくらいですから真面目な方だと思います。
霊波ではこういう真面目な方に対してもウワサを流して貶めるのですよ。
その組長さんも当事者である以上さんなことまではしていませんがね。
やはり霊波などに頼ってもガンは治らないという事を再確認した次第です


(栃木県小山市での実例)

栃木の青年地区長Y氏のお母さんもガンで亡くなられたそうです。50歳の若さでした。
母親の説教者に対しては懐疑的でY氏が職員にという話しがあったときも「息子には別の道を」と頑として反対したと聞いております。
茨城の有名説教者いわく「お母さんは霊波を信じる気はなかった」
夫は絶対に家で行われる会合には姿を見せなかったそうですよ。
また母親の説教者もこの問題についてはクラヤミですよ。


A 滝行での発狂事件

平成13624日日曜日、北関東地区の滝行が霊波之光本山内で行われましたが発狂した人が出たそうです。
青年部は夏5月から10月までは青年部員なら希望者、11月から4月までは10月に滝行を受けた者で霊波之光の承認を得た者が受けることができます。
530分に霊波の正門前に集合します。御衣(というか白装束)を着用しない人と青年部員証を持ってきていない人は受けられません。
霊波の教団職員の引率で敷地内に入れます。
通常は朝8時以降でないと入れません。
そして更衣所で水御衣に着替えます。男性は専用のパンツと水御衣とはちまきを巻きます。そして専用のぞうりをはきます。女性はそれにスポーツブラが加わります。
滝行を受ける者は前日はリンスの入ったシャンプーは禁止、化粧も禁止です。
あと女性は生理の人は受けられず生理の人は翌週滝行をうけるか第5日曜日があるときはそのときまとめて受けます。
当日も着替えた後の用便は禁止です。

水屋の前に集まり玉詩神への道を唱えます。
そして「御守護神様二代様我等人類救済の道へ歩ませたまえ」と唱えながら天使閣の前まで行きそこから滝に入ります。
独特の雰囲気です。「御守護神様二代様我等人類救済の道へ歩ませたまえ」という声以外は何もないような感覚です。
そして女性から滝に入ります。滝に座ってあぐらですわって手はそのときだけは手は組んで「御守護神様二代様我等人類救済の道へ歩ませたまえ」と3回絶叫します。3回目が終わると霊波職員が「よし!」と言って滝行終了となります。
女性など金きり声です。普段静かに話す女性が金きり声を出すと笑えます
そして更衣所まで帰りますが当然水浸しです。日曜日に霊波に行くと滝行の水の後がたどれます。
着替えた後は7時のお祈りをしたあとで霊波職員の宗教のはなしをきいて解散となります。
8時半以降に滝場の清掃をします。専用のぞうりと白足袋をはきます。葉っぱとかを取り除く程度ですが。

霊波では「滝行は御守護神様(長谷義雄氏)の御聖行を学ぶ一環として行っているわけであって病気を治したり精神的な悩みを解決するものではない」と言うようになりました。

平成13624日の北関東地区の滝行中ある男が発狂して暴れだしました。青年部班長4人が押さえつけようとしましたが手に負えません。10人近くでついに押さえつけて更衣所に連行しました。
そのときは「御守護神様二代様我等人類救済の道へ歩ませたまえ」の声が絶叫に変わっていました。
霊波の職員は「また始まったか」というように仏頂面をしていました。
滝行が終わったあと戻ったら彼は別に何事もなかったかのようにタバコをふかしていました。


B 半生を教団に捧げたのに

栃木県のある老婆の組長K代おばあさんですが

息子の放蕩が原因で亡くなった夫と2人で築いた家屋敷を全部持って行かれ一家離散していたことが明らかになりました。
 
話は平成12年冬にさかのぼります。
K代さんはある相談を受け持ちの信者Tさんにしていました。
「自分は高額賛助会に入っているが年金暮らしで生活が苦しい、息子の賛助会も自分で支払っている。老人は葬式やら結婚式やら孫へのプレゼント、こずかいやらで結構お金も出る。何とかならないものだろうか?」
Tさんは「息子は信仰する気はないのならあなたの名前に統合して10万円にすればいいのではないか?もしくは息子に3万円は出させてあなたは7万円負担すればいい」
しかしK代さんは考えた末今まで通り自分の10万円と息子の3万円の負担にしたそうです。
さてK代さんがどうして身の丈に合わない高額の10万円の賛助会にしたかというと1999年高額賛助会のバッジを「緑色」にしてそれ以下の「青色」のバッジと「差別化」したからです。
こうして競争心をあおり次々と緑色のバッジをつけるために高額賛助に変える人が続出したわけです。
10万円というのはかなりの大金です。身の丈に合わず苦しむ人が続出し、霊波の本部では3万円とか5万円を前払いしてもらい年末までに10万円支払っていただければいいとも言っていたようですが結局は班長なりが立替しているのが実情です。
K代さんは長男夫婦と済んでいましたが次男夫婦も同じ敷地内に住んでいました。
どちらの息子も嫁も霊波之光の信仰には関心がなく「婆さんが好きにやっているのだから」程度でした。
また娘については同じ市内に住んでいましたが離婚した上子供を引き取り、前の年に30代の若さでクモ膜下出血を起こし入院していたようです。
平成13年になるとK代さんの家にTさんが電話しても電話が止められてかからないということが多く発生するようになりました。K代さんは携帯電話は持っていませんでしたので連絡がなかなかつかなくなりました。
そのうち家屋敷がサラ金業者によって突然差し押さえられたのです。
息子がギャンブルで借金を作りついに払えなくなったというわけです。
そして一家離散しました。
K代さんは信者さんの紹介で同じ市内のバラックに移転したようです。
そして信者の1人がこう言いました。
「K代さんは神の御力で何とか別の家に入ることができた」
本人もそう思おうとしていたようです。
しかしどうでしょうか?
一家離散して高校生の孫など高校はやめざるを得なくなったのではないでしょうか?
とても幸せな状況とは言えないではありませんか?
また家族の状況を見ても30年以上霊波之光に帰依していた割りに幸せとはいえません。
心の状態がどうのとかほざく信者もいるかもしれませんがTさんから見てまだ普通の人間の部類に属する婆さんだったようです。
夫と2人で築いた家屋敷が借金の肩に持っていかれてしまったのです。
組長として歩み、導いた人が班長や御大神後援会員になり我が事のように喜んでいた方です


C 青年部班長残酷物語

この方は元々一般信者さんでしたが群馬の役員の娘さんと奉仕で出会い結婚しました。
そうしたところ班長から夫婦で更にあゆめよということで「青年班長」(当時は青年部班長は青年部を卒業した40歳以上の者で適当な後継者がなく仕方なく青年部をまとめている者を指し青年班長は39歳までの者)に祭り上げられ、奥さんに尻を叩かれながら精一杯青年班長として頑張っていました。
しかしなかなか部員さん方は動いてくれません。
都合のいいときだけなのです。そんなものなのですが。
それでも○○集会に班で何人出してくれ、奉仕に何人必要だ、矢継ぎ早に霊波之光の青年部本部から指令が来ます。
そんな中彼はアルバイトを始めます。新聞配達でした。
青年部班長になると車もエスティマとかノアー、ラフェスタ、ステップワゴンなど定員の多い車を買って人を乗せて野田まで走らなければなりません。当然車はローンです。
また携帯電話代もバカにはなりません。
生活費が足りないということでアルバイトをはじめたわけですがそれでは本業の仕事に力が入りません。
ついに会社は辞めざるを得なくなり新聞配達が「本業」となったわけです。
さて新聞配達専業ですが朝3時に出社して朝刊にチラシを入れて配達し、昼間は集金やチラシの組み立て、バイクの整備、そして夕刊の配達、そして夜は集金と拡張と午前中に仮眠できるくらいでとても野田との間を往復しているヒマはありません。
更に奥さんは妊娠して心細かったのでしょう。奉仕中に傍にいてほしいと何回も彼のところに電話を入れてケンカになっているシーンが目撃されたといいます。気持ちは分かりますが青年班長に祭り上げるのを後押ししたのは組長たる彼女ですし霊波之光用の夫と実生活用の夫に2つの役割を1人の夫に要求するのはこの時点ではなかなか難しい相談でした。
そして生まれてきた子は女の子でしたが生まれつき心臓に持病がある状態だったそうです。
当然奥さんも子供にかかりきりとなり組長としての職務もなかなか難しかったのは容易に想像できます。
やがて青年班長としての職務を放棄することとなりました。
その班だけ人が集まりません。青年部班長は基本的に何人かの代理を作り都合が悪いときは代わりに連絡役をさせるのですがそういった人もなかなかいないと全部1人でやらざるを得なくなります。
普段は温和で元気のいい青年地区長も「これはどういうことだ」ということになったそうです。
というのもその青年班長「青年部を50人に拡大した」とウソの報告を青年部地区長にしていたそうです。おそらく名簿を見て50人青年部層の人を青年部員として登録してしまったのでしょう。
結局平成15年、新班体制でも青年部班長の成り手がいないということで青年部班長に祭りあげられましたが活動する時間がないまま秋には班長代理が引き受けることとなり降りることとなったそうです。

(付録)
当霊波之光撲滅対策本部掲示板に掲載された霊波之光元青年班長あいうえおさんの証言です。あいうえおさんは良い奥様を持たれて幸せですね。あいうえおさんご一家の今後の幸せをお祈りいたします。

 8 名前:あいうえお :04/12/16 14:42:53 ID:t8EVTVkX
はじめまして、入信して22年青年班長していました。
おかしいおかしいと思ってる時、偶然「神子のページ」
から「知られざる情報」を発見し退会の決心をしました。
退会するときは結構ドキドキでしたがぜんぜんなあんにも有りませんでした。
今では長年の重荷が取れ、明るく前向きに人生過ごしています。
自由を感じています。なんだったんだろう。。。
10 名前:あいうえお :04/12/17 10:07:03 ID:+0sgPYhw
霊波問題さん、残念ながら【うまみ】はぜんぜんありませんでした。
青年班長とはいっても要は人がいないのでお役が回ってきたのに過ぎません。
会合だの布教だの御奉仕だのメチャクチャ忙しいかったです。
その上、導け、導け、導け、って。。。。親、親戚、兄弟みんなコッチの都合
で入信させました。他人の幸せより自分達の都合で価値観を他人に押し付け
るやり方にず〜〜〜っと疑問を感じていました。
私はラッキーな事に妻から疑問を投げかけられたのと同時にインターネットでネットサーフィン
中に偶然、実に偶然、【知られざる情報】と出会い、やっと長年の呪縛から
脱出する事が出来ました。
20年以上入信していましたが結局【偽物】だったこと確信出来ました。
自分の分、親戚、兄弟まとめて御札等々のいわゆる【霊波グッズ】を教会に
宅急便で送る時、正直ドキドキでしたが、あっけないものでした。
今は晴れて自由の身、結局は自分の人生、自分で考えて生きていくのもの
だと確信しています。
陰鬱な環境から脱出できて幸せです。

11 名前:あいうえお :04/12/17 18:27:49 ID:D6vWBN+4
在籍中、思い返してみると周りを見回しても幸せそうなヒトは一人も居なかった
と思います。
やたら、高齢の方が多くて青年部とは言ってもみ〜〜んな40歳まであと数年の
方ばかりでした。
現在の北朝鮮のキムジョンイルばりの神々しさを弐台目参台目に求める姿、今思い出しても
【ぞっと】します。
因縁という脅し文句と奇跡というニンジンをぶら下げて、ヒトをだまくらす。。
よくよく考えてみると狭い霊波村であ〜だ、こ〜だ。と言っているだけで国内外
での災害等には見向きもぜず、【導け、導け】って狂気の沙汰でした。
自分達の欲望のままに【ハコモノ】作りに懸命になって信者から金を毟り取る。
まさに悪魔です。
奇跡を売り物に病苦に苦しむ善良なヒトを欺く、その悪魔の先鋒になっていた
自分自身の過去、心の底から反省しています

D 都合の悪い人間は導きはしない。


くだらない駄ジャレをCMで流しているOA機器関連の会社というと皆さんああここだと思い浮かべる方多いかと思います。
今日はここの社長さんの実家のお話をさせていただきます。
誤解のないように言っておきますがその社長さん信者ではないときいております。
栃木県益子町というと皆さん思い浮かべるのは「益子焼」ですがその販売をしているのが
今回の主人公のZ地区長さんです。
本当は苗字にしたいのですがこの益子町この苗字が多いものですから名前のイニシャルにしておきます。
Zさんは娘さんの病気をきっかけに霊波之光に入信したと奥様の体験談が機関紙に出ています。
娘さんはその後霊波之光の神子になったそうです。
さてその販売店に出入りしていた業者のTさんなのですが信者さんでした。
Tさん、Zさんご夫婦から色々な珍説を聞いていて証言を下さいました。
 
1 青年部でこの人間使えると考えた場合は導きがなくても組長にしてしまう。
10人信者を割り当てて減らしたら組長から降ろすと脅して導きをさせて組長として育成する。
2 青年部には信者を訪問(霊波之光の用語ではふれあい訪問と称する)するときは最初にピンポンを鳴らし
出なければ電話をかけよ。
相手が出たなら在宅しているというわけで玄関のカギをあけさせろ。
といったようなことを言っていたとききます。
結果については上々で夜警などZさんの班だけで58人集まったこともあるそうです。
 
さて出入り業者のTさん、導きたい人についての情報をZさんに流していました。
Tさんは自分の会社の就業規則に顧客に個人的な立場であったとしても宗教、政治関連の話はしてはならないという
項目があったため自分の班長は相手にしないで地元の班長たるZさんに話をしていたそうです。
自分の班長は会社をクビになってもお導きをするのが当然でありこれが教えだなどと言っていましたが
Tさんは以前導きの関係で友人をなくし霊波之光に相談したところ嫌がらせを受けたことがあるので
「冷静」に判断して自分の班長を相手にしていなかったわけです。
現実にTさんの情報で入信された方もいたようです。
Sさんという陶芸家がおられますが顧客の中には首相を輩出している政治家がおられます。その方のイトコに当たられる方の息子さんが40歳独身でしたがガンで余命いくばくもないという話をきいて自分で話をするのは難しいが導きに関しては評判のZさんにお話をしに出掛けました。
すると次のことを言われたそうです。
 
「Sという一族は益子では特異な一族であり、自分のことしか考えない一族なので今回一族の1人がガンになったからと言って私たちが助けるイワレはない」
 
と言われたそうです。Tさんは唖然としていました。
「天地一切の者と和解せよ」「暖かい心」などと普段は言っている人なのにこんなものなのかと感じられたそうですよ。
結局その方は年を越せず亡くなられたそうです。
 
長谷義雄は「棺桶に足を突っ込んでいる人は救えません。1ヶ月ほどの命がある人なら救います」などと言っていたとTさん聞いていましたがSさんは10月初めにZさんにお話して11月の陶器市を経て12月までは生きていたということです。
残り少ない余生、父親と母親に親不孝を詫びながら陶器市での陶器の販売を手伝っていたと聞いています。
 
Tさんは霊波不信に陥ったそうです。
自分たちの都合のいい自然に治る病気とか自分で解決できる災難に対してだけ導きをしてあたかも神の力で解決したかのように言うのが霊波之光という信仰なのだなと悟り、数年後に脱会されました。
 
長谷義雄は益子焼が好きである陶芸家で信者のUさん(仮名)が信者で彼の作品を買って公開もしておりますが亡くなった途端に貶める態度を取ったので奥様や息子さんは御札を返したようです。

E 何でそんなに威張っているの?

札幌市白石区や厚別区を担当していた地区長は、白石3班の班長をアゴで使い、車を運転させて後部座席でふんぞりかえっていて大変見ていて気分が悪かったと脱会されたTさんが証言しております。
地区長は1アパートの管理人、白石3班班長は商店主でどうみても白石3班班長の方が社会的地位は高く感じたとのことです。
妻もあまりの傍若無人な素行の悪さで説教者を降ろされるという話も伝わっております。
子供が霊波之光職員になったので更に威張りだしたということです。


付録・インチキ教の幹部はいずこも同じです)
創価学会のお話ですが、平成17年7月16日付慧妙によると
秋田県の創価学会幹部が地元横手市の創価学会幹部と一緒に秋田県横手市の日蓮正宗寺院勝法寺にやって来たこともあったが、その県幹部は、勝法寺の御住職(現在岩手県二戸市安穏寺御住職)の正当な話に耳を傾けるだけで、反論らしいものは何1つできないまま、帰っていった。
それだけでもお粗末な話だが、その際、同行した地元幹部が、まるで使用人のように扱われていたことも、じつに異様な光景であった。
後日、使用人扱いされていた本人に、勝法寺御住職は「年齢もそんなに変わらない人間に対して、『車からお金取って来い!』とか、『何だ!小銭を見つけきれなかったのか!』等と言って威張りかえっている人物が長に就いているような組織が、健全だと信じているのか」と問いかけると、
その地元幹部は、困ったように苦笑いするだけだった。内心では、自分でもそうとう苦々しく思っていたのであろう。


F 霊波暦=カルト暦

霊波之光は大正4年=1915年に遡って霊波元年だそうです。
制定されたのは2000年=平成12年であり霊波86年と制定されております。
長谷敬詞が言うには西暦2000年はキリスト教暦であり、
霊波之光は霊波暦で行くと講話で発表しております。

インチキ教団では己の世界でしか通用しない「年号」なるものを用いて
悦に入っているわけです。
信者の反応はまあ、変なことを考えたものだなという程度でありました。
ある班長は平成13年じゃなかった霊波87年11月3日に
御自身の結婚式のプログラムに「霊波87年」と入れたところ、
なんと御大神後援会会長と別の班長が圧力をかけてやめさせたそうであります。
プログラムの霊波暦の部分が黒塗りにされております。
 
一般の人が目にしたら変に思うだろうと圧力をかけたということです。
 
新宗教の年号など「糞壷」の中でしか通用しないシロモノであります。
新宗教の幹部はどこでも同じですが「糞壷」の中では元気ですが
日の目にさらされることを極端に嫌う生き物であります。
要は自分の信じる教団は実は世の中から見るとおかしいことをやっているのだ
ということがよく分かっているということであり
自分の信じる教団がインチキ教団なのだということが潜在意識の中にあるということであります。


(たかぼんコメント)

この霊波暦なるカルト暦も教義の1つと言うべきでしょう。
インチキ教団というものは、
そのときの教団や教祖の都合で教義がころころと変わり、
本尊もころころと変わるということです。
そうなりますと教義や本尊が変わる前の衆生は救済されないということとなります。
またそれまでの教義で修行していたことが誤りということとなり、
その教団を信じる衆生は救済されて行かないという問題が起こります。
「インチキ教団は本尊に迷っているのが実情である」と
日蓮大聖人様は喝破されましたが、
遡って制定されるインチキ教団の年号もその1つと言えます。

遡って年号が決められるなどということなど普通の世界であろうはずがありません。
糞壷の空想の世界でのみ可能なことと言えます。
「平成」も昭和64年1月7日の昭和天皇崩御の際に決められて故小渕恵三当時の官房長官後の内閣総理大臣が発表いたしましたし
台湾の「中華民国○○年」は1912年が中華民国元年でありますが1912年1月1日に孫文が中華民国臨時大総統に就任した際に定められたものであって決して遡って制定されたものではありません。

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